以前にジャポネスク・バージョンを見損なったので、今回はしっかりとエルサレム・バージョンとジャポネスク・バージョンのセットでチケット押さえました!
今日はエルサレム・バージョンのマチネ。
ジーザス役は体調不良で直前の交代だったようですが、しっかりと声は出ていましたねぇ~。
年齢の若さ故か、声的にはやはりいささか若過ぎるきらいはあるものの、十分に良かったと思います。
ユダは微妙な感じでした。
声域の幅が少し足りない感じですかね、台詞を聞いていてなんかちょっと低いと感じたところがところどころ感じました。
マグダラのマリア。
以前の時はもっと良かった感じでしたが、以前のキャスト表無いので分かりませんが、今回は不満足。
特にソロのパートでなんか心に響かない。
以前に聞いた時と比べると、なんか非常にさらっと、あっさりと通り過ぎてしまった感がありました。
前回はあまり気付かなかった一方で、今回、特に好きだったのはヘロデ王のところかな。
登場人物も背景他、演出も派手になり、それまでの場面から一気に場面転換してメリハリが遺憾なく発揮されている。
なんか歌舞伎の女形とかそういう系の押出しの強い人工的な過剰感のある演出ですが、なんか良いですわ(笑顔)。際立つね、舞台が。
そうそう、最後のキリストの十字架磔刑。
死ぬ前までは肉体が絶えず、動いていたのが、こと切れた後、肉体が静止し続けるのは当然ながら、さすがだなあ~なんて思いました。あれは、きついんじゃないかな? 照明落ちるまで、ずっとあの状態を維持するんだから。
引っ張って&引っ張って・・・・余韻に繋げるあの間だけに・・・・ピクリとも動いたら、台無しだしね。
でも、素人的にはすっごい大変なのではとか頭の片隅で思いつつ、見続けていました。
そうそう、やっぱり手を洗った後の赤いのが印象的!
ユダは銀貨30枚でジーザスを売り飛ばすのですが、最後に穴に引きずり込まれ、沈んでいくのは地獄に落ちたことの演出的表現なのですかね?
聖書だったか、外典だったかには、自殺してバラバラになったような記述を読んだ覚えがありますが・・・。サン・チャゴ・デ・コンポステーラに至る道中にあった教会とかの装飾には、首を吊ったユダの像とかありましたけどね。ま
また密告の代価である銀貨30枚で贖われた土地は、その後、一切の作物がならなかった・・・とか。
そういえば、高価な香油を無駄使いしたとマリア(←まさに香油を注がれたもの=メシア)を責めるユダとの場面、またまた巷ではイエスが結婚していたらしい文献とやらが出てきたとニュースになってましたね。タイムリーに。
本物だとしても、おそらくグノーシス系の福音書の一つなんだろうけどね。
今回も聖書の基本事項を知っていれば、個々の場面が聖書の何を踏まえているか、分かり易過ぎるくらいで、逆にあの場面をこういう風に解釈し、また表現としてそう演出するのか?とか元々の劇作家の発想を踏まえてみると、興味深さが増しますね。
キリスト教を国教とするローマ帝国に罪は無く、神の子ジーザスを貶めた罪を背負うのは、全てユダヤ人とするあの聖書の論理が透けてみえてきますもん。もっとも、それらを含めて楽しむのが本来前提の作品ですしね。
今回も十分に楽しめました。
来月のジャポネスク・バージョンがどんな風に演出が変わるのか、非常に楽しみでしかたありません(笑顔)。
2012年11月10日
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