異端審問官ベルナール・ギュイ(Inquisitor Bernard Gui):
ジャック・フルニエ(「モンタイユー」に登場する)と並んでベルナール・ギュイは14世紀初頭では最も悪名高い異端審問官だった。ドミニコ会氏のベルナール・ギュイは自らの数十年間の異端審問の経験を1231年、著書「異端審問便覧」(Practica inquisitionis pravitatis )において要約した。
デュオニシウス・アレオパギタ(Dionysius Areopagtita,Dionysios ho Areopagites):
ディオニシウス・アレオパギタは使途パウロの説教に動かされて改宗し、アテナイの初代司教になった。5世紀末頃、シシアの一週同士(偽ディオニシウス・アレオパギタ)によって数種の著作が書かれたが、それらにおいては彼は新プラトン主義者たちの思考形式や概念措置を用いてキリスト教の教義を表現した。
サン=ドニの修道院長イルヴァン(Hilduinus)は9世紀にこの偽ディオニシウス・アレオパギタの著作を初めてラテン語に翻訳した。そして、彼はこの著作を自分の修道院の保護聖人で殉教者である、パリのディオニシウスと同定している。
偽ディニシウス・アレオパギタの著作は西洋の神秘主義やスコラ哲学者の神学的・思弁的思想に決定的影響を及ぼした。
ディオニシウスによれば神は一者であり、この一者から世界は段階的に下りながら生まれてくる。つまり、下からは全てのものが三つの段階―浄化・啓発・一者化―を経て上昇しながら、神へと戻るというのである。中世の”光の隠喩法”は偽ディオニススの著作に基づいている。
「だが、誰かが日光について対自的且つ即自的に考察して、いったい何を言おうとするだろうか。光は善に由来するし、善のイメージであるからだ。したがって、善も”光”の名をもって称賛されるのだ。原像が模写において啓示されるからだ。つまり、万物を超越する神の善意が至上かつ最も高貴な存在[神]から最下等のものにまで到達しながら、しかも万物の上に超然としている―なにしろ、上等の存在は同じ(善)の超越性の上に抜きん出ることはないし、また下等の存在はその囲いから飛び出すこともないからだ―のと同じように、また神の善意がまるで万物の尺度、そのアイオン[永遠の力]、数、秩序、囲い、原因、最終目的であるかのごとく、むしろ万物を啓発し、創造し、生気づけ、守護し、完成させるように、神の善意の光り輝く模写も、この大きな、燃えず燃え続ける、 耿々たる太陽を照らすのだ―善の多様な形態をした反響が、この善意に関与しうるすべての物体を振動させるように―、そして、上方からその光を拡散したのであり、しかもそれ固有の光線の輝きを、高・低を問わず可視界全体を超えて滔々と流れさせるのだ。」(偽ディオニシウス・アレオパギタ『神聖なる名称について』De divinibus nominibus ⅩⅢ、4―K・フラッシュ『哲学史』)
アルベルトゥス・マグナス(Albertus Magnus,Albert le Grand):関連ブログ
シュヴァーベン(ドイツ南部)のラウインゲンに生まれたアルベルトゥス・マグナス(1193頃~1280)は哲学者、神学者にして自然科学者だった。1223年パドヴァのドニミコ修道会に入会した。トマス・アクィナスとシュトラースブルクのウルリヒは後に彼の弟子となった。博学のゆえに彼は―先人のアラヌス・アブ・インスリスと同じく―”全科博士”とも呼ばれた。彼はキリスト教的アリストテレス主義を基礎づけ、最初のスコラ哲学者として自然科学・哲学・神学の思想を統合した。彼の自然科学に関する著作は精密な観察で際立っており、神学的観点から解放されている。
「中世思想原典集成 (3) 」上智大学中世思想研究所 平凡社
ゴシックということ~資料メモ
ステンドグラス(朝倉出版)~メモ