私が購入して読んだのは北洋社のもの。一番入手し易いのは講談社学術文庫かな~。
1972年のものが本としては一番立派でカッコ良さそうですが、本書の「解説」はすごく内容豊富で一読の価値あるものだから、この「解説」も必ず読みましょう。これが実に生きてくるので。
さて本書ですが高田馬場の古書店をぶらついていて、ツレが見つけた本です。
本の目利きについては、残念ながら、私の方が確実に負けていますね。まあ、競うような話でもありませんが・・・(負け惜しみ)。
装丁はシンプルですが悪くなく、内容を見ると中世に書かれた書痴(もどき?)の本収集癖の話でしょ。
当然、薔薇の名前などを頭の片隅に浮かべながら、興味津々だったりします。
しかも世界初の愛書家について書かれた本として、有名な古典らしく、なんか私のようなタイプには必読書かと・・・。手に取るまで知らなかった自分の無知は置いといて・・・。
実際、読む前の購入段階では、荒俣さん的な有り金を稀覯本購入につぎ込んでしまうおたくタイプの人が、他人からの批判を避けて自己弁護する為、自己正当化の言い訳を書き連ねているかと思い込んでました。
勿論、建前は公益に資するような大義名分もあり、そして自己正当化もどう取繕っても大いにあるのですが、それ以上に本書が書かれている動機は奥深いです。
逆に、本書の文章だけではその辺分からず、「解説」で本書の著者の時代的・思想的背景を知って、初めて本書で書かれている書物収集(=書物への愛)が個人を越えて、当時、中世のおかれた時代的状況下で別な意義を有するのが分かるのも新たな発見でした!
「解説」を読んで、文中に確かにアリストテレスへの言及が、イエス・キリストよりもはるかに多く、著者がアリストテレス的きりスト教解釈の教育を受け、それに基づいて本書を書かれているのも納得しました。
読んでる時にも確かにアリストテレス哲学への言及やら、新プラトニズムのディオニシウスの「神名論」や位階等、12世紀ルネサンスを確かに感じます。
もっとも、当時著者はペトラルカとの親交もあったようで、それって先週読んだ「ルネサンスの神秘思想」とまさに繋がる中世からの一連の流れだったりする。本書の著者もユマニスト(人文主義者)の先駆けって訳になりますね。
ずばり結論から言ってしまうと、(16世紀の)ルネサンスを準備するギリシア・ローマの古典籍の収集・発見・翻訳は、全て本書でいう「書物への愛」の結果であり、それらを支えるものこそ、まさに書籍収集に他ならない、のであったりする!!
話が前後するが、本書は神の世界(=キリスト教的世界)を守り、広めていく為のキリスト的闘士の武器として、真理を、知識を求め、その手段として書物を集めることを説いている。
本人も最終的には英国ダラム教会(あのリンデスファーン修道院の系列)の司教にもなってるし、英国の外交官として、アビニヨンの頃の法王庁へも行ってたらしい。
そもそもが英国王エドワード三世の教育係をやっており、その教育を受けたエドワード3世が異端とされたあのウィクリフを擁護したりと、なるほどねぇ~と思わずにはいられません。アレキサンダー大王の家庭教師はアリストテレスだったしね。教育の影響はかくも多大なものがありますから。
そうそう、神の世界を語る知識を得る為には、それ以上の価値のあるものなどこの世には無いので、どんなに高価であろうとも価値ある書物を購入することを躊躇ってはならない、的なことなども書かれてあり、高い金出して本を買い漁る著者への批判を誤解だと退けている。
俗物の私には、奥さんに「また高い本を買って~」と叱られた旦那さんの言い訳にも聞こえるが、それは俗人の浅慮に過ぎないであろう。
著者はどこに行っても教会やら学校やらがあると立ち寄り、忘れ去られた書物を救い出そうと頑張ってたそうです。金に糸目をつけず、外国の書籍商も骨を折って、本を探し出し、わざわざ、海外から相応の費用を払って、本を送ってくれるそうで、著者はそれらの苦労に見合うだけの費用込みで代金を払っていたそうです。
更に更に、托鉢修道士のドミニカン(ラッツィンガーさんとこですね)にも多額の援助をして、陰に日向に面倒を見たそうで、その見返りではないが、世界の津々浦々まで彼らが説教に向かった先で、猟犬宜しく書物を狩り出し、本を集めてきてくれたそうです。
組織力の勝利!
おまけに英国の有力な政治家で兼、外交官であり、内外から便宜を図ってもらおうとプレゼント攻勢を受けるそうですが、自分は清廉潔白だから、金品には心動かされないといいながら、代わりに貴重な書物を贈ってもらっていると臆面もなく、言い放ったりする。
しかも、もらった分以上に、相手に良くしてやっているとか言っちゃうし・・・オイオイ。
写本しかない時代に、個人で1500冊以上の本を収集したそうで、まさに非凡なコレクター以外の何者でもないです。そんな人物の書いた本の本ですからねぇ~。まあ、そりゃ必読の本ですね、書痴としては(笑)。
(まあ、私ごときでは書痴見習いにもなれませんけどね)
そうそう、集めた本を学ぶ意欲のある学徒に貸し出す図書館の運営の規則まで提言していたりする。
保証金を預かって盗まれたり、痛めたりされないようにし、複数人の管理者を置く等、いかに真剣に考えていたかも伺えます。
同時に今の学生もそうだけど、本を開いたはいいが、本を枕代わりにして寝る奴とかよだれで本を汚す奴。
食べ物を食べながら、脂まみれの汚れた手で頁をめくって、本を汚す奴、などなど、著者ではなくても真っ先に排除したい輩も具体的に例示されています。
どこぞの大学の図書館にいる馬鹿な大学生達と様子が重なります。
無知なのに、知ったかぶりをして有害以外の何者でもない愚か者など、著者の語る言葉は現代にも通じ、共感の念を覚えずにはいられません。
馬鹿は本など読まなくてもいいし、勉強する意欲も能力もないものに私学助成金などばらまいて、学士に値しない学生を量産する私立大学もいらんよなあ~。国立も各県に一つ、必要とは思えませんしね。
高校さえも過半数は、その存在意義にはなはだ首をかしげるレベルですし・・・。
とまあ、民主党批判は置いといて。
普通の本好きには、本書は決して面白くはないです。
古書好き向きに、良く出ているような無駄話を集めた類いの本ではないので。
でも、一部の人には、大変興味深くて別な意味で好奇心をそそられる本です。
最低限の中世についての知識は必須ですね。
本書を読んで、面白く感じるには。
ちなみに、本書自体もラテン語から直接日本語に翻訳されており、注釈もついていますが、これがなかなか有用で、きちんとした教育を受けた人が真面目に翻訳に取り組んだことが良く分かります。
ラテン語の原著を読んでみたいなあ~と思ってしまいますね。
とさっきまで読めもしないフランス語の写本の本を眺めてた私が生意気に言ってみる。
英語なら、無料でテキストあるかな?
ネットで探してみよっと。
決して万人向きではありませんが、本書はなかなかに味わい深くて面白い本でした。
原著の著者の死後、蔵書は母校のオックフフォードへ寄贈されたようですが、だいぶ借金もあったようで(金に糸目つけず、集めちゃったから)、蔵書は散逸してしまったそうです。
そういった意味でも教訓深いです♪
せっかくだから、ここまで読んでくれた人に教えますね。
amazonのkindleアプリ入れているならば、英語版ですが無料で読めますよ。
http://www.amazon.com/Love-Books-Philobiblon-Richard-ebook/dp/B0082Z5COO/ref=sr_1_3?s=books&ie=UTF8&qid=1355066132&sr=1-3&keywords=Richard+de+Bury
アメリカのamazonで0円購入できます。
確かgooglebooksでも無料で公開されてたので、そちらでも良いかも?
良い時代になったもんです♪
【目次】書物への愛―フィロビブロン (1978年) (北洋選書)(amazonリンク)
第一章 知恵の宝はおもに書物のうちに収められている
第二章 書物をどこまで愛すべきか
第三章 書物の購買価格
第四章 すでに地位を得た聖職者に対する書物の不平
第五章 裕福な修道者に対する書物の不平
第六章 托鉢修道者に対する書物の不平
第七章 戦争に対する書物の不平
第八章 書物の収集の機会は多かった
第九章 古代の作品を愛するが、現代の研究をないがしろにしない
第十章 書物の斬新的完成
第十一章 なぜ法律書よりも人文系の書物を好むか
第十二章 なぜ文法書をかくも熱心に改訂させたか
第十三章 なぜ詩人の作品を削除しなかったか
第十四章 熱烈な愛書家とはだれか
第十五章 書物への愛がもたらす便宜
第十六章 新たに書物を著し、また改訂することは、いかに価値があるか
第十七章 書物の保存に払うべき適正な配慮
第十八章 この書籍収集は学徒の公益を目的とし、自己満足のためではない
第十九章 学徒への書物の貸出方法
第二十章 諸学徒が敬虔な祈りにより、この好意に報いるように勧める
解説・新版へのあとがき 古田 暁
フィロビブロン―書物への愛 (講談社学術文庫)(amazonリンク)
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「十二世紀ルネサンス」伊東 俊太郎 講談社
「中世思想原典集成 (3) 」上智大学中世思想研究所 平凡社
「愛書狂」鹿島茂 角川春樹事務所
「書物の敵」ウィリアム ブレイズ 八坂書房