2012年12月22日

「無縁社会」NHK「無縁社会プロジェクト」取材班  文藝春秋

何年か前にNHKスペシャルとして特集された番組で、ネット上では大変有名でしたが、見たことなかったんですよね。まあ、想像はついたけど・・・・。

図書館で見つけたので借りて読んでみた。

「ひとごとでは無い」「明日は我が身」ってのが一番の感想でしょうか。
だからこそ、放送当時、物凄い反響を呼んだのでしょうけれど・・・。

うちの父親も今年、国から勲章と賞状もらったけれど、定年退職後、引きこもってるもんなあ~。
家族と同居して話し相手がいるから、まだマシなんだろうけれど、年金も恩給もあるから、贅沢しなければ、食べるのに困らないだろうが、なかなか難しい話だ。

それでも私自身よりは世間的にみれば幸せなのかもしれない。

親戚つきあいもしてるしなあ~。

田舎の大きな庄屋の本家筋の分家だから、未だに親は親戚の集まりには顔出してるけど、私はもう親戚なんてごく一部しか知らなかったりする。親戚の葬式で、父の兄が「本家を代表しまして・・・・」と葬儀の挨拶をしているのを聞いて、すっごい驚いた自分がいたりする。

本書で「献体」とか「直葬」とか書かれていたけど、それはそれで別にいいとも思う。

他人と極力関わりたくない、というのは、やっぱり率直な気持ちであり、生活の為の仕事とかでなければ、一部の友人・知人以外と関わるのを避けるという行動は、まさに自分自身そうであったりもするので。

一切のプライベートを持つことの出来ない(ように当時は感じられた)企業城下町で働いたのは、いい経験だったのかもしれない。会社の敷地に神社があり、選挙事務所が置かれて基本的人権さえ絵空事に思えた衝撃は、その後、ベンチャー企業をハシゴすることになる私の行動原理の根幹にあるような気さえする。

社縁をはじめ、ありとあらゆる組織的な絆を拒否ってきたのが、今の私の人生だったりする以上、最後も無縁になるのは、不可避的な結末な気がしてならない。

大学の教授の顔が利くところなんて、死んでも就職を世話されたくもないし、まして親のコネなんて、一生私にはトラウマになりそうで駄目。

無職で職を探している時に、以前の仕事関係で勤め先を紹介してくれるという人もいたけれど、みんな断ってどこにも行き場が無くて苦しかったこともある。

どうしても人に頼れない性分なのだろうか。
人間性が矮小故に、未だに小事にこだわり過ぎているきらいがあるのかもしれない。

別に人に頼らないとかいうような立派な人生を送ってきたわけでは到底無いのだけれど、利害関係のある人間関係が大嫌いなんだと思う。

会社を立ち上げ、商売する際、取引先を紹介してもらったり、助けてもらったりは普通にしているのだけれど、貪欲に利益に徹する姿勢が足りなかったことを痛感する。身奇麗にし過ぎて、綺麗事を通し過ぎた故にビジネスで大切な利益を上げれなかったのだから。

幸い、取引先に迷惑をかけずに会社を清算し、個人的な負債も返済して、今は貯金も出来ているものの、一つ間違えば終わっていたかもしれません。

私の何倍もの資本で、ビジネスを切り盛りし、TVとかにも出ていた友人の作った会社も潰れてしまったしなあ~。

仕事を優先し、家庭生活を壊した人の話も載ってますが、普通に当たり前だとも思う。それでなくては、何も資源の無い日本で経済の発展は無かったはずなので・・・・。

「プロテスタンティズムと資本主義の精神」ではないが、勤勉・倹約・刻苦とかいうもの無しでは、資本主義は成立しないとも思う。以前はそれが許されていた、それだけで済むように他の部分を社会が支えていたのかもしれない。

しかし、昔日の日本ではもうなかったりする。
老後に食べるもの、住む所に困らないだけのお金があるだけでも幸せだと言えるでしょう。今の私達、つ~か、より若い人にはたとえそうしようとしても、金銭さえも同じようにはいかないのが普通なのだから。

仕事し過ぎで鬱。
別に珍しくもなんともないし、自分の友人にも何人もいる。
薬を飲みながら、それでも仕事を頑張っているのもいれば、何ヶ月か休職し、しばらく勤務するもののまたぶり返し、休職をする。それを延々と続けているのもいる。

私自身でさえ悩みが続けば、そういう方向になっていく経験もあるのでなんとも言えないものがあるが、自分で変えるしかないような気もする。

周囲への不満を口にしても状況は変わらない。
自分が行動することによってしか、変化は起きないような気がする。
もっとも、なんでもポジティブに行動していくのが『善』というポジティブ病や自己啓発病の類いもあれも漠然とした不安から、愚かにも煽動されてメディアにのせられている感が半端無い。

ブラック企業や婚活なんて単語も、それらを煽る同根は、本書のような「無縁」社会への将来に対する漠然とした不安に他ならないように思えてならない。

もっとも実際、そういったキーワードの並んでいる本を読んだりする私自身が既に踊らされている訳なのですが・・・・。

そういえば、小学校や中学校の同窓会の案内来ても出たことなんて一度も無いし、そもそも会いたくもないものなあ~。学校は常に苦痛だったし、会社も苦痛だったりする。

ひたすら黙々と一人でする仕事なら、疲れても苦痛ではないのだけれど・・・・。
本読んだり、旅行している時だけが束の間の精神的解放なのかもしれない。

ツィッターはフェイスブックなんかもやればすぐ気付くが、あれって申し訳ないが、リア充はやらないような気がしてならない。かりそめの友人とかりそめの共感者、その場しのぎのごまかし以上の価値を見出せなかった、私には。

もっとも、ラジオやTVの人の声だけが心の慰めという本書の文章には、一片の真実があるのも実感する。

2ちゃんに書かれたスレ読んでるのもツィッターとかと実質、たいして変わらないし、そこになるのはやっぱり共感や反感を媒介にした『絆』や『つながり』なのかもしれない。

このブログ自体もそれに近いところあるし、今書いているもの自体が既に書評でなくなっているぐらいだしね。

本書は、現実から目を背けて来た人々に対して、これでもかと近い将来の『現実』の姿を写した鏡だけに、思わず、顔を背けたくなるような辛い姿だが、一読の価値はあるかと思われる。

まあ、何でもそうだけれど、本書を読んで悩んで落ち込むだけなら、読まない方が(知らない方が)ハッピーだと思う。ちょうど年の瀬でもあるし、自分の将来の姿と照らし合わせ、今、何をすべきか方向性を考えるには良い契機かもしれない。

さあ、今年は一生懸命守りに入っていましたが、来年はうって出るか、それとももう少し先の飛躍の為に力を貯めるべきか、選択する必要があるかと思われます。

この年末年始に結論を出そうかと思います!!
(その前に、年内の仕事をまずは終わらせないとですが・・・・・)

風邪のせいか頭痛いなあ~もう、寝ようっと。

そうそう、本書の内容が人ごとでなく感じた個人的理由の一つ。
今年、うちの親戚で新潟から都内に出て働いていた人が亡くなった。50歳ぐらいなのかな?
死因は病気か何かみたいだけれど、一人暮らしをしていて、亡くなったようでまさに本書の内容に重なる部分が多い。

幸い、身元がはっきりしていたので新潟にいた弟さんが一切合財の始末をしに来られたのだけれど、その人の両親は存命だけど、ぼけていたりして弟さんが面倒見ているようで、お葬式にもその弟さん一人が都内に来られたみたい。

うちの両親が身内が一人では何かと心細いだろうと、始発の電車で都内の火葬場に向かって同席したようだけれど、なんだかね。明日は我が身と痛切に感じたのはそれが初めてでした。

それ以来かな? 
ネット上で「無縁社会」という言葉を見て、ピンと来たのは。

まだ、私にはやることがあるので人生の傍観者であるわけにはいきませんが、ふと、それさえも怪しくなることを感じぜずにはいられません。健康、これがなければ、もう全てが成り立たない、そんなことも今更ながらに強く感じさせられました。

元々、身体弱いからなあ~。昨日も早退してるし・・・・。
【目次】
序章 “ひとりぼっち”が増え続ける日本
第1章 追跡「行旅死亡人」―わずか数行にまとめられた人生
第2章 薄れる家族の絆―「引き取り拒否」の遺体の行方
第3章 単身化の時代―「生涯未婚」の急増
第4章 社縁が切れた後に―疑似家族に頼る人々1
第5章 “おひとりさま”の女性たち―疑似家族に頼る人々2
第6章 若い世代に広がる“無縁死”の恐怖―ツイッターでつぶやく将来の不安
第7章 絆を取り戻すために―二度の人生を生きた男
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posted by alice-room at 22:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 【書評 未分類B】 | 更新情報をチェックする
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