自分の責任で、自分が好んでそれを選んだ結果なら、自業自得で済みますが、必ずしもそういう訳ばかりではありませんしね。
これは数ヶ月前に読んだ本ですが、なかなか書評を書く暇がなく、他にも何冊分か貯まっているので少しづつ思い出せる範囲で書き留めておきますか・・・。
経済学では、かつて合理的理性を持ち、十分な情報を与えられた中で合理的な判断をする『人』を前提にしてモデル組んでいたりしましたが、人はむしろ非合理的な判断の方が多く、結果として愚かな意思判断をしてしまうのも理解されるようになってきました。
どうしょうもない、暴力男に殴られても殴られてもついていく女性や、メンヘラ女に振り回される男性、浪費することでしか生の充実感を得られない自己破産予備軍の人々等々。
まあ、それらは自己責任でくくれる範囲なので、他人事と一気に切り捨てられますが(実際はそうでもないし、過去のトラウマもあるのだけれど・・・)、真面目に生きてきて本人になんら責任がないのに、避けられない不運としかいいようのないもので、実際、不幸に陥る人々も多々いたりする。
昨日、読んだ「無縁社会」にも自分ではどうしょうもない場合も多々あり、だからと言って、それを外部に助けを求めて、どうにかなるのか・・・・というやりきれない無力感を感じる。
自分さえ、十分に救えない私が他人をどうこうする余裕も気持ちもないが、出来る範囲では、自己満足に過ぎないとしても・・・自分が悔やまない範囲で何か出来るといいかなあ~とは思った。
自分のツレや家族(一部を除く)、仲の良い友人・知人、まあ、それぐらいで手一杯かな。
本書では新宿(私の職場のあるところでもある)で売春などで生計を立てている女性を救うことを仕事にしてきた婦人相談員の方が書かれているが、金銭がいかに重い、人を縛り付ける鎖なのかということも実感する。
かつてのローマ法だったかな、「債権は債権者と債務者を結ぶ法鎖である」と習った覚えがあるが、奴隷制度の無い日本ではあるが、人を縛り付ける『鎖』自体は今も無くならない。
もっとも銀行の預金も預金債権であり、鎖ではあるんだけれどね。
太陽倶楽部ではないが、その法鎖を振りほどくには、自然人なら死ぬというのも一つの選択肢ではあるのだけれど・・・本書にも自殺してしまう結末が幾つも描かれている。
いつの時代も「幸福」とはありそうでなさそうなイデア的な概念なのかも知れませんね。
一瞬、それを感じることはあってもなかなかその永続的存在を実感するには、類い稀な才能 or 幸運が必要なのか・・・。
金が無いのは不幸に結び付きやすいけど、金があってもなかなか幸せとは言えず、宗教に走るわけでもなく、物欲に身を任せるわけでもなく、なかなか精神的平穏というのは得難いものだなあ~と思ってしまう師走だったりします。
現実逃避も悪くないのですが、なかなかそれも一長一短が有り、課題の先送りで一生逃げ切れるのかというのもありますしね。家康のように、重い荷物を背負って坂道を登るような人生の方が重みが実感できるだけ、マシなのかもしれません。
私は楽に逃げ出したいクチですが、逃げるのも最近辛いのですよ・・・。
ちょっと、暗い本を読み過ぎて、精神的に斜め下トレンドに行きそうなので注意しないと。
周りを不幸にしたくはないもんね。
生きていれば、まあ、楽しいこともあるし、美味しいお酒や食べ物を食べれば、幸福感あるしね。
世界遺産を見れば感動するし、ゴシック大聖堂や装飾写本を見れば胸が熱くなって、涙が出るから、もうちょい生きていけるかな・・・・。
さて、他にも溜まってる本、読まないと!!
閉じられた履歴書―新宿・性を売る女たちの30年 (朝日文庫)(amazonリンク)