現代カトリック事典(amazonリンク)
聖遺物の移転(transfer):
聖人の遺物を一つの聖堂から他の聖堂へ盛大な儀式をもって移し、そこへ永続的に安置すること。ロレトの聖なる家の祝日はかつて移転の祝日と呼ばれていた。
聖遺物箱(reliquary):
遺物を納め、保管する容器。遺物が公の崇敬のために展示される場合には必ず遺物箱に納められる
聖痕(stigmata):これについては、映画「スティグマータ」以来関心がありましたし、是非アッシジにも行ってみたいので為になりました。
十字架につけられたキリストの傷のすべて、あるいはそのうちのいくつかがある人の身体、すなわち手、足、脇腹、額に現れる現象。傷は外的な原因なしに自然に発生し、定期的に流血がある。
聖痕を受けた人(stigmatic)の中で最もよく知られているのはアッシージの聖フランシスコである。1224年9月17日にアルヴェルニア山上での脱魂状態の間にフランシスコは天使(セラフィム)が十字架につけられたイエズスの姿を示し、自分の身体に聖痕を刻み付けるのを見た。この時から、二年後にフランシスコが死ぬまでこの聖痕から血が流れ出た。フランシスコはこの現象を隠そうとしたが隠し切れなかった。この時以来、聖痕を受けた約320人について、学者による調査が行われ、そのうちの60人以上が列聖された聖人である。
真性の聖痕は脱魂状態に陥った人にだけ現れ、それに先立って鋭い感覚的苦しみと精神的苦しみが伴い、それによって聖痕保持者は苦しむキリストに似た者となる。苦しみを伴わない聖痕の場合には、聖痕の目的が十字架につけられたキリストとの象徴的一致とキリストの順境の一端を担うことにあることから、その真性について大きい疑いが持たれる。
何世紀にも渡る教会法上の手続きの後、教会は真性の聖痕と認めるためのある種の判断基準を定めた。キリストが受けたのと同じ場所に傷が現れているかどうかもその一つである。ヒステリーまたは催眠によって血の汗が流れる場合には、キリストの傷と同じ箇所に傷は現れない。一般に傷から鮮血が流れ、キリストの受難の日または受難と関連のある日、例えば聖金曜日またはキリストの祝日に痛みが生じる。傷は化膿することはなく、そこから流れ出る血はまじりけのないものである。これに反して、身体のほかの箇所にできたごくわずかの傷であってもそれは化膿する。
さらに聖痕の傷は通常の医療行為によっては治らず、長い場合には30~40年持続する。傷からは血が流れ出て、それは真性の出血であって聖痕を受けた最初だけでなく、何回も繰り返して出血がある。また、出血範囲も異常であって聖痕の傷は主要血管から離れて表層だけにとどまっている。それにもかかわらず真性の出血がある。
最後に聖痕を受けるのは徳を英雄的程度にまで実行し、十字架に対する特別の愛をもつ人だけである。(語源はラテン語stgma、ギリシャ語の「いれずみ」を意味する語から)
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スティグマータ 聖痕 <特別編>(1999年)
「日本の奇跡 聖母マリア像の涙」安田貞治 エンデルレ書店
聖人への祈願(invocation of saint):この聖人による神への取り次ぎって概念が、興味深いんだよねぇ~。神学的な解釈では取り次ぎなんでしょうけど、どう見ても聖人自身の力にすがってご利益を願っているとしか思えません。願いごとを叶えてくれない聖人像や聖遺物を叩いたり、痛めつけたりする民衆の姿にはもっと実感がこもっているでしょう。
聖人達に物的・霊的必要に対する助けを祈り求めること。
聖人への祈求の論拠になるのは、天国の聖人と地上の信者との間にある親密な交流である。聖人たちに祈求するののは、神にわれわれの祈りを取り次いでくれるように願いことであって、これは地上においてわれわれが他の人達に祈りを願うことに通じる。
人の聖徳が高ければ高いほどその祈りは効果があるため、天国の聖人は特に強力に取り次ぐ人である。
第二バチカン公会議は次のように教える。
「われわれが天上の住人の祈念を大切にするのは、単にその模範のためだけではない。・・・われわれがイエズス・キリストの友人であり、共同相続人であり、われわれの兄弟であり、すぐれた恩人でもある聖人たちを愛し、聖人たちを与えてくれたことを神に感謝し、謙虚に聖人たちを呼び求め、われわれの唯一のあがない主であり救い主であり、われわれの主である神のひとり子イエズス・ィリストを通して神からわれわれの必要とする恩恵を祈り求めるために、聖人達の祈りと力と助けを求めることは、非常に有益なことである。」(「教会憲章」50)
聖人列伝(ラテン語 Acta Sanctorum 英語 Acts of Saints):これは、いわゆる民間伝承を集めてベストセラーになった『黄金伝説』とは別物みたいです。きちんとした歴史的事実の認定が必要らしいです。黄金伝説と比較してみると面白そうかも。
広範な調査に基づいてボランディスト(Bolandists:聖人伝を編集するイエズス会員)によって発表された聖人たちの伝記。これまでに多くの巻数が発行されてきたが、まだ完結していない。この列伝はカトリック教会の聖人伝の基本的出展である。
アイオーン(Aeon):これ、この単語の意味が分からなかったんですよね。マグダラのマリアの福音書やユダの福音書を訳していて一番意味が不明だった単語。いや、本当に勉強になりました。
時間の長い連続。グノーシス派では神からの流出によって生じる精神的世界の一つであって、目に見えない精神的世界プレローマ(pleroma:充満)を形成する。これは目に見える物的世界ケノーマ(kenoma:混沌とした世界)と区別される。グノーシス派から派生した異端の間では、キリストを指す語としてこのアイオーンが使われた
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ユダの福音書(試訳)
マグダラのマリアの福音書(訳)
悪魔祓いの儀式(rite of exorcism):エクソシストの名称はよく聞くものの、その意味するところをよく知りませんでした。へえ~、こういうことなんですね。権威者に許可をもらってやるのが正式なものなんだ。それに対して私的な悪魔祓いもあるんですね。ふむふむ。
悪霊を追い出すための特別権能を用いる認可を受けて正式に任命された人物、一般に司祭が行う準秘跡。最近までこの特別権能は下位聖職階級である「祓魔師」に授けられてきた。しかし、この権能は教会権威者から特別且つ明示的な許可を得た司祭によらなかれば行使することはできなかった。
教会は悪魔祓い師に対する指針の中で、あまり早急にある人物が悪魔に憑かれていると判断してはならないと警告している。その理由としては「悪魔つき」と思われていても、ヒステリーその他の情緒障害の場合が多いからである。そのうえ、明らかに悪魔に憑かれている者をどのように扱うかについての十分な指示が与えられている。とくに悪魔に欺かれたり、怯えたりすることのないよう十分に配慮することを指示している。
何世紀にもわたって悪魔祓いの儀式は長く詳細にわたるものであった。すなわち、多くの儀式、多くの十字架のしるし、詩篇の朗読、アタナシウス信経、聖ミカエルへの祈り、聖水の使用、断続的厳命から成り立っている。多くの形式の中で、司祭は次のように宣告する。
「私は厳命する。昔からの蛇よ、生者と死者の審判者によって、おまえの創造主によって、宇宙の創造主によって、おまえを地獄へ追いやる力を持つ者によって厳命する。直ちに恐れつつ、おまえの恐怖の軍勢とともに離れ去れ。教会の懐に避難を求めるこの神のしもべ[名前]から離れ去れ。」
私的悪魔祓いはある人物を傷付けている悪魔に離れ去るように私的に厳命することであるが、どの司祭によってもまた信徒によっても行うことができる。例えば聖水などの準秘跡の利用によって、あるいはイエズスの名を呼び求めることによって行われる。
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法王大学で開講したエクソシスト講座の詳細
悪魔祓いの全国集会をローマ法王が激励
エクソシズムについては映画の「エミリー・ローズ」
が実に面白かったです。
白黒つけた結果(結果がオープン)になっているのも
好感が持てます。
悪魔祓いは今は医者の立会いが必要だそうですね。
「エミリー・ローズ」・・・。まだ見てないんですよ~。去年、映画を見に行こうとしたら、もう上映終わっていたし。去年、すごい話題でしたよね。やっぱり、早く見てみたいです!
>悪魔祓いは今は医者の立会いが必要だそうですね。
そうなんですか。やっぱり科学的に説明ができないことが明確になったうえで、初めて悪魔祓いの段階になるんですね。そういえば、「奇跡」の認定でも科学的に説明ができないか、神父兼科学者による厳密な科学的調査を経てからでないといけないんですもんね。同様ですね。
「白黒つけた結果」ではなく「白黒つけてない結果」が好感もてたんです。
多分管理人さんにも気にいっていただけると思います。
一つのものを見るとき、一方から見るとこう、他方から見るとこう、という視点の違い、という点からも
非常に興味深かったです。
偶然昨日話した友達が行ったというので話しを
聞きましたが、とーっても良いところだそうです。
磁場としても特別なものだとは彼女の弁。
聖フランチェスコには興味がありますねえ。
塩野七生さんの本で彼の面白いエピソードが
ありました。
同じく聖フランチェスコのことももっと&もっと知りたい気持ちがあります。
う~ん、でも海外行くなら、シリアの遺跡も見に行きたいし、イランにも見たいのがあるんですよ~。フランスのゴシック大聖堂やロマネスク教会堂もしかり。
結局、どこに行けばいいのやら??? 欲望だけが大きくなる一方です(笑顔)。まさに煩悩の塊。