とにかく先週一週間と同じ仕事を来週もするのか、再来週もするのか? そう思っただけでたまらなくなり、ふっと旅に出てしまう。そんな突発的且つ短絡的行動で旅に出てしまう著者の姿が、妙に人間らしく共感を覚えます。
できるだけ、マイナーな鄙びて過疎地になったようなボロ宿に好んで泊まる著者の屈折した心情が、淡々として記述によく表現されています。
商人宿や安宿に泊まるのは、著者の純粋な好みの問題ですが、いささか枯淡というか人生に枯れ切った物事の捉えようが、微妙にいい感じです。周囲のモノに対しても、ヒトに対しても、適当に距離を置き、いつも人と接することなく、できるだけ仕事もせずに、社会の片隅に目立たずに生きていたい。その為に、離婚したばかりで自分の作品のファンという女性と会ってもいないのに結婚したら、どうだろうかと夢想し、わざわざ旅に出て会うところなど冷静に考えるとキチガイ沙汰なのだが、こういう人がリアルにいそうだし、読んでると存在を肯定しちゃう気持ちになってしまうのが不思議。
場末の町で人生に疲れた男女が出会い、一時的に互いに傷を舐め合い、やがて離れていく。まさに、社会の底辺そのものなののように見えるのだが、脱力的な生き方はあるがままでもあり、社会にはしばしばこういうことがあったりする。実に自然であるのでそれがまた本書の味わいになっている。
全体を通して、私には著者の旅の考え方に共感する部分がいくつかある。賑やかな観光地よりは、静かな一軒宿や一人旅を愛し、うらぶれた中での人の生活への慈しみ的な部分はまさに思いを同じくするが、同時に著者には違和感を覚えることも多い。
一泊一万円を超えるとこに泊まって貧困旅行とはさて如何に? まして、車で移動しているのには、違和感以外のなにものでもない。公共交通機関(鉄道、バス)か、死ぬほど歩けと言いたい。
更に言うと、自腹でなく領収書の認められる(=出版社持ち)旅行は『旅』ではない、それは出張であってそんなもので大層な旅行記を書かれては、嫌悪感さえ覚える。
行き当たりばったりの旅をしていて宿が見つからないので綺麗でないところや安宿に泊まるというのは、分かるがあえて汚くてボロイところに泊まりたいというのは、私には気持ちが分からない。
私も奈良や東北で商人宿や宿坊など、いくつか泊まったことがあるが、可能な限り綺麗なところか、古くても歴史のある建物(旧陣屋旅籠)などに泊まりたいと思う。勿論、安くね。
鄙びて寂れた、うら悲しさには確かにそそられるのだが、清潔でないところはパスしたい。著者は更に静かでいいからと鉱泉の宿を温泉よりも好んでいるが、選べるならば私はしっかりと効能のある温泉を絶対に選ぶ!
とまあ、ずいぶんと違いもあるのだけれど、それでも本書には一人旅を愛好する人なら、たぶんに共感できる要素があると思う。私の場合であるが、今でも時間に余裕がある時やなんかどうしょうもなくなると、ふとやってしまうのが、手ぬぐい3枚(温泉用)と下着と靴下の替えに、現金とクレジットカードを手にふらっと来た電車を乗り継いでいくことがある。
乗り込んだ電車の終点(基本はターミナル駅)まで行き、そこから接続していて乗ったことのない電車に乗る。缶ビールは駅の売店で冷えたものを購入し、同時にワインはペットボトルに移したものを
ちびちび飲みながら、文庫本を読みふける。気が向いたらキオスクで時刻表を買ってどこまで行けるかを調べてみるのも面白い。
但し、どこかに行こうとして調べるのではなく、乗った電車がどこに行くのかを調べる為に。田舎に行くほど、電車の接続は悪くなる。接続待ちで一時間や二時間近くというのがあるので、そうしたら、駅から出て町を歩くのもいい。食堂があれば、食事をしてもいいしね。この点、18切符などは非常に都合がいい。もっとも地方であれば、駅員さんに話せば、そのまま外に出してくれることもままある。
都内と違い、無賃乗車や悪質な客でもないのである程度は融通を利かせてくれるものだ。相手に迷惑をかけないようにしている限り、人はそこそこ親切なものである。これはどこの国に行っても通用する(場合が多い)。笑顔と挨拶さえ、できれば世の中は渡っていけるものだ。
温泉地なら、その間に共同浴場か立ち寄り湯でさっと一風呂浴びてくるのもイイ。ちょうど電車も来る時間だし、湯上りに暖かい車内で揺られながらほろ酔い加減のお酒もまた楽しい♪ 勿論、飲み過ぎないようにしないと周りに迷惑ではあるが・・・。
その点、著者は下戸なのかな? 本書ではお酒に関する記述はない。私なら酒を少しづつ飲みながら、旅の日誌を書くのもまた楽しい♪ いろいろなことが頭に浮かび、思ったこと感じたことを車内で書き留めるのはなんとも言えず、素敵だ。
宿に泊まり、夜、TVも見ずに明日どこに行こうかな?っと思いつつ、ふと思いついたこと、今日の出来事をノートに書くのは一人旅の特権だと思う。人と行くのは楽しい時は、確かに楽しいのだが、自分と向き合うこういう時間が取れないのが残念だ。
人は環境が変わると、思考も思いも変わっていく。著者がする旅の中で何が変わったのかは分からないが、著者も自分と向き合って内省的に物思いに沈むようだ。もっとも、著者自身、神経衰弱で精神的に病んでいるそうでその傾向は一層強い。
世の中をアグレッシブに生きていくタイプの人には、本書は不向きであり、逆に軟弱で駄目人間と叱咤されかねない内容の本だが、弱くて自分は駄目かもしれないという人は救いになるかもしれない?
そこまでいかなくても、ひっそりとそして淡々と生きていくだけで満足できる人が読んでもいいかもしれない。私はそこまではいかないが、好意的に言えば、癒されるような部分を感じたりもしました。昔読んだ、井伏鱒二の小説に出てくる(タイトルを忘れた)宿の話と何故か類似性を感じました。あの小説に出てくる旅人もなんか、著者に近いんだよねぇ~。
読んでも何の訳にも立たないけど、ある人々には癒しになる内容です。もう駄目駄目人間であるのを肯定しちゃいます?(苦笑)
ちなみに、本書内で著者が訪れたいくつかの土地は私も旅行で行っており、宿泊したこともあるが著者とは全く違い感興を抱いた覚えがある。しょせん、同じところであっても人によって受け取り方は違うということだけ当然だが、書いておく。
河口湖で一週間何もせず、酒ばかり飲んで雪の降る別荘用マンションに閉じ込められていたり、奥多摩の民家の離れに同じく一週間篭っていたり、人生はあっという間に浪費されてしまうものであることを記憶に留めておこう(独り言)。
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