2007年02月24日

今ではレーニン廟ではなく聖遺物にロシア人行列

今ではレーニン廟ではなく聖遺物にロシア人行列
【世界キリスト教情報 第814信より転載】 
【モスクワ=ENI・CJC】(ソフィア・キシュコフスキー記)かつては市民が共産党の指導者ウラジミル・レーニンの遺体を安置したモスクワの赤の広場のレーニン廟の前で長い行列を作っていたが、今日ではロシア正教会の信徒が聖遺物を目当てに行列している。
 洗礼者ヨハネの手と信じられている聖遺物がモンテネグロから到来し、7月18日までの約40日間、ロシア、ウクライナ、ベラルーシなどを巡回した際には信徒250万人近くが崇敬に集まった。
 伝承では使徒ルカが洗礼者ヨハネの手をアンテオケに持ち込み、10世紀半ばにコンスタンチノーブルに移されたが、オスマントルコ軍の攻略で陥落した際に押収された。その後、十字軍の騎士団が入手、以来何世紀にもにわたってロードス島やマルタ島などを転々、サンクト・ペテルスブルクの冬宮内の教会に落ち着いた。
 1917年のボルシェビキ革命の後に、ユーゴスラビア国王の手に渡るまで、また日の目を浴びながらヨーロッパを転々とした。同国で共産主義政権が成立するとまた所在が分からなくなったが、1993年にモンテネグロのツェチニエ修道院にあることが分かった。
 6月7日、聖遺物はモンテネグロからモスクワの救世主キリスト教会に到着した。ロシア正教会のアレキシー二世総主教は、信者が「偽りのない悔い改めとキリストにある生命を私たちに教える悔悟の伝道者」としての洗礼者ヨハネに懇願するよう呼びかけた。
 聖遺物の力で罪と病気が克服されることを祈って、17時間も並んだ信者もいたという。これまでにも治癒の力があるとされている聖パンテレイモンの遺物や使徒アンデレの遺物には同様の熱意が引き出されている。
 聖遺物が巡回中には政府高官まで敬意を表しに姿を見せた。巡回先にはロマノフ王家最後の地エカテリンブルグ、自動車製造の中心トリアッチ、北オセチアでは2004年9月に悲惨な学校人質事件があったベスランなどもあった。首都ウラジカフカスでは、イスラム教徒も姿を見せた、とインターファクス通信は報じている。
 (注=イスラム教ではヨハネをイエス同様に預言者として認めている)。
去年のニュースみたいですが、聖遺物や光の形而上学についてネットで調べていたら、たまたま見つけたニュースに、驚いたので早速メモ。

『洗礼者ヨハネの手』の聖遺物ですよ! これって物凄いことだと思うんですけど・・・。ヨハネとイエスとの関係を考えてみてもそうですが、水の洗礼をこの手でイエスに施したわけで、どんな状態の手なのかは不明ですが、確かに奇跡もおこりそう。

以前、マリア様の肌着の聖遺物を見た時や「ルルドの水」を入手した時には、奇跡がおきなかったけど、どうしても何か起こりそうで期待してしまうなあ~。

聖遺物を巡る『巡礼の旅』っていうのは、やっぱり憧れだったりする。今年は、どこか一箇所ぐらい行けるかな???

関連ブログ
「聖遺物の世界」青山 吉信 山川出版社
「中世の奇蹟と幻想」渡辺 昌美 岩波書店
ローマ法王が聖遺物「ヴェロニカのベール」視察
黄金伝説 ~聖人伝~ ヤコブス・デ・ウォラギネ著
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「フランスにやって来たキリストの弟子たち」田辺 保 教文館
シャルトル大聖堂 ~パリ(7月5日)~
posted by alice-room at 23:34| 埼玉 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 【ニュース記事A】 | 更新情報をチェックする
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