2005年05月07日

「マグダラのマリア―マリア・ワルトルタの著作による」あかし書房

magdara.jpgまず、これはちょっと特殊な位置付けの本であることに触れておきたい。翻訳された神父自身も述べられているが、(原文の)著者の述べているのをそのままに受け取るのは抵抗というか反感さえ抱くかもしれない。実際に私も胡散臭く感じている。何故なら、著者はこれをイエズス(イエス)自身から伝えられたものを書き取ったものであると言っていて、普通の常識人にはにわかに信じられない。また、いきなりある私人がそう主張しても危ない人で係わり合いになってはいけない人だと思うでしょう。それが正常だと思う。

いうならば、イエスからのヴィジョンをみたという主張なのだが、これについて翻訳者の神父が適切だと思われることを書かれている。私が理解しえた範囲でいうと、ファティマの啓示についての(ラッツィンガー現法王による)神学的解釈で説明されたいたように、啓示(ヴィジョン)には公的なものと私的なものがあり、カソリックの説く範囲を逸脱しない限りで私的な啓示も否定されるようなものではないそうです。

とすると、この本は史実というのは当然問題があるが、啓示自体が個人的なもので可能性としてありうるとすると、創作という評価もふさわしくないのかもしれません。前置きが長くて恐縮ですが、こういう位置付けの本だ、ということが分からないと誤解してしまいますので。

では、感想を。
著者マリア・ワルトルタは困難な家庭状況を経た後、長らく病床にありながら、ほとんど聖書以外の資料も無い中で書かれた1万5千枚にも及ぶ著作を書いた。この本はその著作からマグダラのマリアに関するものだけを集めたものとなっている。何よりも特筆すべき事柄として資料もなく、特別な教育を受けてもいない彼女がヴィジョンを見てそのまま記述したという内容が、歴史学的にも聖書学的にみても、きわめて正確で誤りがみられないそうです。う~ん、どうなんですかね? 何も知らない私はそうなんですか、としか言えませんが。ただ、読んだ感想としてはすごく良かった!と思います。 信者じゃないので号泣するほどではありませんが、じわじわ~っと感動してきたのも事実です。普遍的な人間性を説いたものとして、優れていると感じました。お釈迦様が述べられた話を本で読んだ時にも感じた種類の感動です。飢えた虎に我が身を提供する話にも通ずるかな?(いささか違うけど)

著者としては、不服に思われるかもしれませんが良質の文学作品のような味わいがあります。私はこれを読んで本当に良かったです。それがキリスト教的な解釈に沿うのかどうかは不明ですが、マグダラのマリアという存在、悔い改めた者という意味が初めて自分の中で理解できたような気がします。それとユダの描き方が素晴らしい。ユダを取り上げた文学作品はたくさんありますが、期せずしてこの本の中に描かれたユダも印象に残る存在です。キリスト教的なものに興味がある人、どうしょうもなく鬱々としている人、癒されたい人なんかだったら、これ良い本だと思いますよ~。

でもね、普通の小説のような気持ちで読むなら、それほど感銘を受けないし、失礼ないい方ですが「面白い」とか思わないでしょう…。私はこの本を読んで、なによりもキリスト教でよく聞く「悔悛」とか「懺悔」のキリスト教における意味あいが実感として少し分かったような気がします。日本語で言う後悔とか反省とは、似て非なるものというのが感覚として分かったような感じです。すご~く勉強になったかも??? それだけでもこの本読む甲斐がありましたね。

基本的には聖書に書かれた内容を踏まえ、それを何十倍にも肉付けし、詳細にあたかもドラマで再現されているかのように感じることができる本です。これ、そのままですぐでにも映画化できそうですよ。絵コンテが既にあるように感じなんです。翻訳者もその辺のこと、書かれてますが。

でも、量はあったかも。数日間かかりましたから読了するまで。全員にお薦めする本ではないですが、一部の人には目を開かせてくれるかもしれないですね。うん。

マグダラのマリア―マリア・ワルトルタの著作による(amazonリンク)

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posted by alice-room at 19:20| 埼玉 ☔| Comment(4) | TrackBack(0) | 【書評 宗教A】 | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
こんばんは。以前「ダヴィンチ・コードにはまりまくり」との記事のところで書き込ませていただいた者です。下巻、読み終わりましたよ~。10分だけと思って読み始めた日、結局やめられず3時間で読破しました。面白かったです。映画も楽しみです!主人公がトム・ハンクスってのは個人的にはいただけませんが…。
マグダラのマリア、かなり気になる存在でしたが、以前ダ・ヴィンチ・コードの特集(?)で米倉涼子とかが出てた番組で、マリアの像には髑髏も一緒にあったというのを見ましたが、2回見てもどういう関係があるのかよくわかりませんでした。その本では、その理由が載ってたりしました?よかったら教えてください(>_<)
Posted by at 2005年05月08日 23:40
縁さん、こんにちは。確かTVに出てたマグダラのマリア教会は聖遺物としてマグダラのマリアの遺骨(頭蓋骨)を持っていたからだと、思いました。記憶はもう薄れかけてますが・・・。

宗教絵画としてのマグダラのマリアの場合ですと、まさに頭蓋骨って図像的な意味がありました。えっと・・・美術辞典に載ってたの見たんですが、すみません、はっきりと覚えていません。

たぶん、悔悛の象徴か、現世のはかなさの象徴だったと思います。美術辞典か図像関係の本に良く出てきますので更に詳しくはそちらをどうぞ。マグダラのマリアに限らず、キリスト教絵画一般にも使われているものみたいです。

残念ながら、この本には直接関係する内容はありませんでした。このコメントが少しはお役に立つといいんですが・・・。
Posted by alice-room at 2005年05月09日 14:15
なるほど~。ちょっと疑問に思った程度だったので、十分です。あのへんの話はとても奥が深いですね。ありがとうございました!
Posted by at 2005年05月09日 21:00
縁さん、お役に立てたようでよかったです。
Posted by alice-room at 2005年05月09日 23:56
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