
十字軍を扱った歴史の本は、数あれども本書の主張はちょっと珍しいのではないかと思う。十字軍という存在を当時の人々の精神的な理解から再構築するのは良いとしても、当時の人々がイスラム教徒に対して十分な尊敬の念を持ち、世俗的な物欲などを有する者はごく一部の者でむしろ積極的に宗教的理想の実現の為に行ったという捉え方には、甚だ違和感を覚える。
確かに「十字軍=無知で強欲な人々による大虐殺」という図式はあまりにステレオタイプに過ぎるにしても、著者のいくら精神だけに限定しても綺麗事過ぎる理解には、単なる『反動』的な自己欺瞞(自らの祖先に対する本能的な弁護によるものか?)を感じてしまう。まるで日本の政治家が第二次大戦の植民地主義に基づく侵略戦争を否定するかのようだと言うのは、言い過ぎだろうか?
著者が言うように、世俗的な幸せ(=物質的欲望)を捨ててあえて宗教的な幸せを求めるような、当時の人々の行動原理には、確かにある種の崇高な動機がうかがえるものの、決してそれが主要な要因には思えない。最近、しばしば言われるように十字軍を生み出した背景には、商業の復活以後の都市の勃興や人口増、社会制度全般にわたる急激な変化等々の歴史的・社会的背景の存在の方がより重要であったように私には思われる。
第二次大戦中に食っていけない農家の次男・三男が満州に移民したように、膨れ上がる人口増のはけ口として、また「神の平和」(=貴族同士による所領・勢力争いの休戦)の一つの形として、同胞で争うよりも対外的な敵に対しての戦闘による不満の解消を図るというのは、実際、私には理解しやすい。
勿論、罪深い存在として常に精神的な後ろめたさを持っていた人々には、十字軍参加によって得られる、全ての罪が許される贖宥状が何よりも嬉しかったのも事実であろう。要は人生におけるやり直しがきくわけだし、うまくいけば戦勝品による一攫千金の夢まであるのだから、当時の人々があれほど熱狂的になるのも納得できる。
ただ、本書は当初あれだけ熱狂的に支持された十字軍熱が衰退し、人が集まらなくなった理由などへの考察にまでは至っていない。(個人的には、大聖堂建設を手伝うことでも十字軍同様の贖宥状が得られるのであれば、わざわざ見知らぬ異国に行くよりも近場で家族と共にいられる大聖堂建設を選ぶ人の方が多いのは当然だと思うし、それも十字軍衰退の原因の一つにはなったのでは?と思う)いろいろな意味で私には本書の主張には納得できないし、不十分だとしか思えない。
その一方で、第二部では具体的な十字軍資料がたくさん引用されている。普通の本では、そういった資料名の紹介はあっても具体的な引用があまりないのでその点で、研究者でない人には大変役立つと思う。私も実際、どのような記述がされているのか、関心があるもののいちいち個々の文献まで目を通していないので大変面白かった。
本書の意義は、まさに引用している文献の具体的記述、それに尽きると思う。後は、どこにでもあるような話しだし、いささかバランスを欠く特殊な主張(?)ではないかとさえ思うのでお薦めしない。
でも、引用が占める割合が圧倒的に多く、それがいいので興味ある人には使える資料かもしれません。第二部は丸々引用だけです。ご参考までに。
【目次】十字軍の精神(amazonリンク)
第一部 叙述
第一章 十字軍の歴史
第二章 十字軍の精神
第三章 テクスト案内
第二部 テクスト
第一章 呼びかけ
第二章 応答
第三章 十字軍のキリスト教徒
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