パリの牢獄で判決のおりる前に死んだテュルリュパン派異端の某説教師の遺体は、14日間、石灰の樽につめられて保存された。ある異端女と一緒に焚刑に処するためであったという。貴人に限らず、聖人が亡くなるやいなや、聖人の遺体は霊験あらたかなる奇跡を期待する人々によって、もぎ取られ、引き千切られ、バラバラにされたうえで指一本、骨一本、髪の毛までもが聖遺物として珍重されたという話もよくいろんな本でみました。まさに狂気の沙汰でしかありませんね。もっとも現代でもアイドルの身に付けたものを高値で取引する人々がいるわけで、そういう意味では人間の普遍的な性向なのかもしれませんが・・・。いやはや、凄まじい限り。
これは当時、一般に広まっていた風習であったが、その生地から遠く離れたところで貴人が死ぬと、その遺体はこまぎれにされ、肉が骨から分離するまで、気長に煮詰められる。そして、骨は綺麗に洗われて、箱につめられ、故郷に送られてておごそかに埋葬される。一方、内臓と煮出し汁とはその地に葬られるのである。
このやり方は、12、13世紀に大流行し、国王は勿論、司教についてもしばしば行われた。
1299年、さらに重ねてその翌年、ボニファティウス8世はこの風習に対し、厳しい禁令を発している。これは「少なからぬ数の信者によって無遠慮にも、恐るべきやりかたをもって実修されている、忌むべき野蛮の風習」である、と。だが、14世紀には、この禁令に関する法王特免がしばしば出されているし、15世紀に入ってもなお、イギリス、フランスにおいてはこの風習はいぜん重んじられていたのである。
ある未刊の15世紀の著作は、天の花婿、つまりキリストと魂との神秘の結婚を、まるで市民の結婚話のでもあるかのような言葉づかいで語っている。これも冷静に考えると、かなり奇異な話なのですが・・・。だってイエスが独身者とは考えていないわけでカトリックの教会側がこの作品をおよそ認めるとは、考えられないでしょう。こんなのが刊行されたら、まさに禁書目録にでも載ってたところでしょう。
イエスは父なる神にいう、「もしよろしかったら、わたしは結婚し、子供や身寄りをたくさん作りたいのですが」父なる神は、異議を唱えた。子なるイエスが、黒いエチオピア娘を花嫁に選んだからである。つまり、この話は、雅歌の一節「わたしは黒い、けれども美しい」を下敷きにしているのだ。
父なる神はいう、これは不釣合いだ、家族にとっての不名誉だ、と。ここで、取り持ち役に天使が登場、花婿の為に弁ずる。「この娘は黒いことは黒いですけれど、にもかかわらず、彼女はしとやか、肢体はよく均整がとれ、たくさん子供を作る能力をもっています。」父なる神は答えていう、「わが息子は、彼女が黒く、ブルネットだ、といった。正直なところ、私は息子の嫁が若く、上品で、かわいらしく、しとやかで、美しく、整った肢体をもっていて欲しいのだ。」そこで、天使は彼女の顔つき、体つきを大いに褒め称え、魂の美徳のあらわれだ、といった。父なる神は、ついに折れ、子なるキリストに向かっていうには。
その娘をとれ、彼女は美しく、
いとしの夫を、よく愛するだろう。
また、われらの財宝から豊かにとれ、
とって、豊かに彼女に与えなさい。
この作品のまじめで敬虔な意図については、いささかも疑念を差し込む余地はない。これは、つまりは野放しの状態に置かれた想像力というものが、どんなにつまらぬことを考えつくものであるかということを示す、一つの例証なのである。
中世末期、舞台前面に華やかに登場した14人の救難聖者崇拝のケース。民衆のイメージの中では、この14人は神から特別の権能を与えられている、だからこのうちのだれかに祈願しさえすれば、さしさまった危険をさけることができるということになっていた。聖者崇拝が、行き過ぎを通り越して、いきつくところまで行ってしまっていますね。神への『とりなし』どころか、聖者教とでもいうべき別な信仰にすり替わってしまっているように感じます。もっとも、民衆にとってはおよそ抽象的で理解しにくいイエス像よりも、より身近な聖者の方がよりリアルな存在であったのかもしれません。
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聖者は神より全権を委託され、その効験のほどはきわめてあらたかであったのだから、その聖者が単なるとりなし役でしかないという考えは民衆にとっては、とうてい受け入れがたいものであったに違いない。救難聖者たちは、神の全権代理人ということになっていたのだ。
実際、14救難聖者の礼拝式文をふくむ、中世末期のミサ典書にしてからが、この聖者たちのとりなしというはたらきが、きわめて強い性格のものであることを、はっきり表明していたのである。例えば、15世紀末のバンベルクのミサ典書の一節はいう、「神よ、あなたはあなたの選ばれた聖者たち、グレゴリウスその他を、他の聖者にまさる特別の権能をもって、飾られました。かくて、すべて、難儀に際して、彼ら聖者に援助を求めるものは、あなたの恩寵の約束に従って、その請願の幸いなる成就に到達するのです」
かくて、教会はトリエント公会議を機として、14救難聖者のミサを禁止するにいたったのである。それというのも民衆が、魔除けのお札の迷信よろしく、この信仰に執着する危険があったからだ。事実、既に不幸な最後を迎えないように守ってくれる魔除けとして、聖クリストフォロスの画像や彫像を毎日拝むことが行われていたのである。
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いまや災厄ということになれば、そこに必ず出てくる神の怒りという強烈な観念は、はっきりとしたイメージをもつ聖者たちの上に、いとも簡単に移植されたのであった。神のはかりしれぬ正義が疾病の原因なのではない。聖者の怒りが疾病をひきおこすのだ。そしてその怒りは、なだめられるまでやまないのだ。いったい聖者が病気をいやすならば、どうしてそれをひきおこさないはずがあろうか。
この21世紀になっても聖人崇拝はなくなっていないし、プロテスタント、カトリックを問わず、聖者のメダイなどは人気有りますからね。かくいう私もマグダラのマリアやルルドの聖母、聖クリストファーとかのメダイを何十種類も持っていたりする。全然、信者でもないのに・・・。まあ、神社でキティちゃんのお守りを買うよりは、ご利益ありそうな気がするんだけど・・・? どっちもどっちかな?(苦笑)
関連ブログ
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オタクの守護聖人
「聖遺物の世界」青山 吉信 山川出版社
「守護聖者」植田重雄 中央公論社
「中世の奇蹟と幻想」渡辺 昌美 岩波書店
黄金伝説 ~聖人伝~ ヤコブス・デ・ウォラギネ著
黄金伝説 Golden Legend コロンビア百科事典による
理性の力で自然を解明しようと言うさまざまな方法論の中で、唯一科学を応用する手法が生き残ったのが現代世界だと思うと、何か残念なものを覚えます。案外、昔の人のものの見方のほうが、今の人たちよりも高度に洗練されていたのかもしれないと思うからです。
哲学のほうでは、今、現象論の取ってきた方法論がまったくの独りよがりの思い込みであったことが、どうにかわかりかけてきましたね。
そして科学というツールは、ある側面で確かに有用であったとは思うのですが、それは総合的・包括的に物事を認識し、分析するという側面をなおざりにしてきた側面もあるように思います。シンプルにいうと、バランスの悪さが問題かもしれませんね。おっしゃられていた「昔の人のものの見方のほうが洗練されていたかも~」という点について、そんな風に私は理解しました。
客観性の名の下に、実体としての対象を見ずに外形的な部分だけで判断するというのも、おかしいということにようやく現代も気付き始めてきたのかもしれませんね。
哲学に関しては、私は本当に部分部分をつまみ食い的にしか知らないもので、正鵠を得た発言ができないかと思いますが、イデア的なものを追い求める手段として、個々の物を見るのではなく、個々のものそれぞれにイデアの一部である実体がある、そういう感じがします。
歴史学のアナール派の考え方もそういったことの一つの現れのようにも思えます。