2007年04月10日

「ヨーロッパの祭と伝承」植田重雄 講談社

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タイトル通りヨーロッパに伝わる祭りを著者自身がフィールドワーク的に捉え、その歴史と祭りに関わる伝承を集めて紹介した本です。

文献資料にとどまらず、可能な限り、実際に祭りをみたうえで書かれているようでその点では、十分に意義があるとは思うのですが、個人的にはもっと深い洞察や考察に基づくものを期待していたのであまり面白くなかったです。

もともとの土着的な信仰にキリスト教的な解釈が加えられたうえで、変質させられながら、守護聖者などを祀ったりするようになる姿が説明されています。と同時に、いくらキリスト教的にしても消しきれないケルト的な要素なども紹介されています。

一年を通じての祭りを採り上げているので、数や種類がそこそこあるものの、個々の内容への掘り下げはごくわずかでせいぜい試論とでもいうべき感じでしょうか。このぐらいなら、わざわざチェックをしなくてもいいような気がします。

ただ、いくつか気になった点があったので少しだけ引用。
中世キリスト教では神を讃美する為に、朗詠、讃歌以外に舞踏を行っていた。
イスラムのスーフィズムなどだと踊りの要素が重要ですが、そういった点で舞踊を除外しているキリスト教って宗教としては、少し珍しいと思っていたので、ふむふむと頷いてしまいました。
三王礼拝は遠くマタイ福音書の三人の東方の賢者(博士)の叙述に基づく伝説であるが、異説では三人の魔術者とも言われている。山王の遺骨は、女帝ヘレナの時、発掘され、四世紀にミラノへ移され、今日でもサン・エウストルジオの巨大なローマ石棺の中に祀られている。1164年7月23日、ミラノを攻め落としたドイツ国王バルバロッサは聖遺物を持ち帰り、ケルンに祀った。しかし、1904年その一部をミラノに返還した。
あるんだあ~、三博士の聖遺物って。ホントに何でもあるなあ~、ちょっとビックリ!
マタイ福音書における東方の三博士がどうして三王になったかは明らかでない。この三王のカスパールはトルシスであり、メルキオ-ルはヌビアであり、バルタザールはゴドリーエンであると8世紀の英国の司教ベダ・ヴェネラビリスは述べている。彼らは星の導きで13日旅をしてベツレヘムに訪ねてきた。しかし、三王はクリスマス後54日にヘロデ大王によって殺されたと言い伝えられている。

 祝福の字母 C+M+B の本来の意味は「クリストゥス マンシオネム ベネディカート(Christus Mansionneom Benedicat)キリスト この家に 祝福を賜え」というラテン語の頭文字をとったものではないかと推定されている。このラテン語の意味が忘れられたか、あるいは民衆の間では頭文字だけで済ませた為に、新たに山王の名をつけて覚えやすくしてそこから発展を遂げたらしい。
へえ~、そうなんだ。これは初めて聞きました。略語から、いつのまにか三人の賢者になっていったんですね。それにヘロデ王に教えずに姿を消した三博士がその後、殺されていたのも初耳。正典には、そういう話無かったと思ったけど??? 出展は何だろう。興味が湧きますね。
【目次】
冬の光と闇
冬と夏の争い
夏の歌と踊り
秋の収穫の喜び
冬と眠りと安らぎ
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ラベル:歴史 書評 中世
posted by alice-room at 18:06| 埼玉 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 【書評 歴史A】 | 更新情報をチェックする
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