逆に言えば、狼男なんてほんのとっかかりに過ぎないのに、それがタイトル故になんかとっても安っぽいB級映画を思い浮かべてしまいます。実際、そのせいで私も購入してから一年以上も放置してしまったりする。危うく読まないで忘れてしまうとこでしたもん。実にもったいない。
本書で扱われている題材は、中世の人々が心の中(心的世界)で描いていたイメージであり、図像とは異なります。それを伝承などから引用したうえで考察を加えている。考察自体も興味深いですが、私的には何よりも引用文それ自体だけで十分に楽しいし、有用だと思います。きっと中世好きには目を通すだけの価値があると思いますよ~。
具体的にいうと、「聖体の奇蹟」がなかなか優れもの。カトリックがミサでワインがイエス様の血で、パンがイエス様の肉だとかなんとかってあるでしょう。あれが聖体ですが、司祭が聖別すると同時にイエス様の肉と血に変化するという理解をするんですよ、キリスト教って。
で、その神学上の解釈が時代によって変遷していて本当に面白いんです。外形的に見える姿は別としてシンボルとしての変化と捉える人がいる一方で、物質的に名実共にイエスの血と肉に変化するという人など、いわゆる部外者にはおよそ理解不能な議論ですが、なかなかに興味深かったりする。
特にこれが重要なのは、カトリックにおいては聖体拝領の度に聖変化という奇蹟が起こっているわけで、聖人の聖遺物によらずとも奇蹟は『聖体』で事足れり、ということになるわけです。それ故にこの聖体を先頭に掲げて行列することで病気除けや豊作祈願などが可能にさえなるんです。
これは聖遺物による奇蹟を待たずに、全ての教会が等しく奇蹟を有するという素晴らしい論理でありながら、実際はそうもいかなかったそうです。本来はどれも等しいはずの聖体が、奇蹟をもたらし易いものと、そうでないものとに分かれ、民衆はより奇蹟をもたらす聖体のある教会に殺到したそうです。聖遺物の有無による教会の不均衡是正の目論見はこうして失敗したそうですが、いやあ~面白くて勉強になります。
本書では触れられていませんでしたが、私はこれを読んでようやく黒魔術の儀式の意味が分かった気がします。聖体拝領の代わりに、冒涜した儀式を行い、あまつさえ、教会から盗んできた聖体(=イエスの実体)を汚すという行為は、単純に象徴的にイエスを侮辱する形式にとどまらず、イエスそのものを実際に辱める行為なのですね。今の今まで理解できなかったのですが、初めて納得できました。
さて、上記のことを踏まえて奇蹟が教会で常に起こっているならば、それを信じる人々が聖体にイエスそのものを見るという奇蹟はあっという間に現れます。なんせ、物資的にも変化していると強烈な暗示(語弊があるかもしれませんが?)が潜在意識の髄まで浸透している民衆には、心のイメージ通りに実際にそれを見たのでしょう。それ故、中世に奇蹟が頻発するといった説明は実に説得力があり、なるほど~っと思ってしまいました。
更に更に、本書では「大祭司ヨハネ」にも一章丸々使って説明しています。最初はよく分からなかったけど、これってずいぶん前にうちのブログでも採り上げた「プレスター・ジョン」のことだったりする(ちなみに英語名John(ジョン)ってヨハネのことね)。いるはずもないキリスト教を信奉する巨大な国家が存在するという「都市伝説」みたいなもんなんですが、当時のヨーロッパ諸国はその実在を信じ、盛んに使者を送って同盟を結ぼうとしていたんです。これも実に(!)面白いですよ~。その話が説明されています。
数はもうちょっと欲しいところだけど、興味深い図版もあるし、伝承の引用・紹介もあって勉強になります。ただ、う~ん残念な点は、いまいち説明がすっきりしていなくて分かりにくい感じがします。でも、それを補ってあまりある情報があるのでそれ目当てならお薦めです。
【目次】狼男伝説(amazonリンク)
序章 ヨーロッパ中世の想像界
第1章 狼男伝説
第2章 聖体の奇蹟
第3章 不思議の泉
第4章 他者の幻像
第5章 彼岸への旅
終章 イメージの歴史的変遷
関連ブログ
「大モンゴル 幻の王 プレスター・ジョン 世界征服への道」 角川書店
「エチオピア王国誌」アルヴァレス 岩波書店
プレスター・ジョンも出てくるとは意外でした。どうやら内容的には「買い」の本だったようですね。
そのうち機会があったら読んでみたいと思います。
でも、きっとその時には私は読んだことを完全に忘れている可能性が高そうです・・・(苦笑)。いくら読んでも頭に何も残らない私って・・・???