通常なら激しい抵抗を伴いつつ、キリスト教化されていくのはよくありますが、この地では目立った抵抗のないまま、受け入れられた理由としてローマ・カトリックではなく、東方キリスト教(文中では明言されていないけど、アリウス派でしょうね)が先に伝播し、その後にローマ・カトリック化していったからだと説明しています。ガリアでも確かアリウス派が広まってましたね。
ケルト的な霊魂不滅の思想、我々のいる世界と水平的に繋がっている異界を信じ、そこに人が移動するというような世界観がアリウス派キリスト教を受容しやすくしていたそうです。その例証として、聖アンナ崇拝(聖マリアの母)がケルト的地母神アナの習合したものであり、マリア崇拝よりもはるかに盛んであるとか、興味深いです。
また、「ブランの航海」「メルドゥーンの航海」等、文字に記録することを忌みするケルト的世界観が伺える作品を要約にせよ、知る事ができてとても面白いです。まるで御伽噺です。こういうのの邦訳が欲しいですね。既存のものでもあるかな?
海の向こうやドルメン(巨石遺跡)の地下に隠されていて普段は気付かない世界というのも、なんかとってもイイ! 「聖パトリックの煉獄」というのも紹介されていますが、そこはまさにキリスト教的解釈下のケルト神話世界であり、地獄などの描写ももう嬉しくってウキウキしちゃうくらい(ん!? 普通はウキウキしないか?)。読んでて、私は日本の寺社によくある胎内巡り(=真っ暗の地下を道案内として張られた数珠を手探りしつつ、巡ることで地獄の疑似体験をし、仏との縁(えにし)を結ぶもの)を思い出しちゃった。善光寺や清水寺とか、日本各地にあるね。私はあちこちで必ずやってましたけど。好きなんです、コレ。どこの世界もやはり類似するものがありますね。
そうそう、この本の中でケルトの神々が歴史を下るに従い、キリスト教の勢力が広がって過去のものとして忘れ去られていく中で、地母神アナが人食い妖婆に変じていくのが説明されていましたが、これって日本の妖怪が零落した神々であるっていうのとソックリですね。ふむふむ、勝手に納得。私的な解釈ですが、よくある話です。
日本において地方豪族の信奉する神が大和朝廷の支配下に入ると国津神とされ、天孫系の天皇に連なる大和の神々が天津神として国津神の上位に位置する。神の序列化は、ケルトとキリスト教間でも行われていたんですね。
そういった事とかを考えさせてくれるだけでも、この本は読んで良かったです。ケルト神話が何より面白いしね。でも、第3部のアーサー王絡みはちょっとパス。ユング的な解釈が鼻につき、いささか興醒め。この手のって嫌ってほど、飽きるほど、読んだことあるし…。グリム童話とかの解釈とかね。最近では、食傷気味で陳腐にさえ感じてしまう。ちょっと拒否反応が出てしまいました。この章は不要だったね。でも、全般的にケルトの入門書としては、良書だと思いました。
【目次】ケルト神話と中世騎士物語―「他界」への旅と冒険(amazonリンク)
序章 知の果てにて
第1部 ケルト人と他界
第2部 ケルト・キリスト教と他界
第3部 中世騎士物語と他界
終章 「夜の航海」
関連ブログ
「アーサー王の死」トマス・マロリー 厨川文夫・圭子訳
「図説 ケルトの歴史」鶴岡 真弓,村松 一男 河出書房新社
「トリスタン・イズー物語」ベディエ 岩波書店
聖ブレンダンの航海譚 抜粋
私は、一応、専門は、イギリス文学ですが、最近は、ケルト・ブリテン文学と呼ぶべきだと、強く思うようになりました。ケルト的な神秘性、大地性、宇宙性、ヴィジョン等が、色濃く感じられるからです。おっしゃるように、表向きのキリスト教とは異質の世界観が基盤にあると思います。
アリウス派との関係が興味深いですね。私は、プラトン主義、グノーシス主義等の叡智の伝達者として、イエスを見ています。イスラム教のイエス観と比べて見ることも必要だと思っています。
イスラム教でマホメットに先立つ預言者の一人として捉え、十字架上では亡くなっていないんですよね、確か。非常に興味深いです。
ヒーラーとして、またヨハネ教団との対立関係なども含めて興味深い限りですね。これからも宜しくお願いします。