
若かりし頃の苦悩に満ちたパリその他のランボーとエチオピアにまで流れ流れた零落のランボーがオーバーラップしながら、対比しつつ描かれています。詩人が労働なんかするもんか、と言い切る若き天才児。ありとあらゆるものから、自由でそして自らが神に祝福され、才能に溢れていると思い込む若き天才。また、そうしなければ、維持できないもろさの漂う自負心。
周りから見ると、口先だけの役立たず。働きもしない厄介者、今で言うならニートみたいなもんかな。仮に天才であって、後に評価されてもその時点では、穀潰し以外の何者でもない存在。それでも彼は、自らの生活の為に手を汚すこと(=労働すること)を恥じ、身内や友人に金を無心し、寄生するしかない。かなり辛い状況ですね。やがて、アブサン中毒になり、ロンドンでは阿片窟に入り浸る。デカダンスの王道をいってますね! 私には貫き通す度胸も気概もありませんでしたから、憧れつつも途中で挫折して労働者になってるし・・・(一抹の苦い味ってやつ)。
まともな神経の人から見れば、働きゃいいだろ!ってことになるんですが、怠けてて働かないのか、それがその人の生き方なのかは判断の難しい所。もっとも現代でそんな甘いことを許容してたら、誰も若いもんは働きませんね。夢があるとか言ってね(そりゃ、私自身か)。ある意味で若い時分に誰でもが夢見、それを見続けていられるか否かが芸術家、それ以外かの境なのかもしれません。その場合、世間的に評価されているかはどうでもよいことであり、本質は内面の問題なのですが・・・。とは言っても、神ならぬ身である人間は、周りの目が気になるのも事実。まさにそこが煩悩であり、俗人の悲しさなのですが。
ちょっとうがった感想かもしれませんが、そういうことを痛切に感じさせてくれる(呼び起こしてくれる)映画でした。嫌いじゃないです、この作品。私はね。
でも、おそらく一般受けしないし、何コレ?!つまんない。 で、終わっちゃうんだろうな。そういう気持ちを経験した人には、痛いほど分かるし、胸が苦しくなるかも。考えたこともない人は、パスされる作品ですね。挫折した人には分かるんじゃないでしょうか?
自由でいたいと思っても、生きていく為には妥協が必要であり、また、緊張感が無い中でただ、夢の為に生きていくというのも、砂糖でお城でも作るようなものだし、本物の材料で作られた城とは比較にもならないしね。その微妙な狭間で、人は生きているのかなあ~とも思うが。
難しいねぇ~、いろいろと思い出させてくれる映画です。でも、このテンポもついていけない人多そう。そういう映画でした。
ランボー 地獄の季節(amazonリンク)
『ランボー 地獄の季節』ですね。私は、大学一年の時に、ビデオで見たのですが、その時は、かなり感化されたのを思い出しました。それから十年ほどたち、記憶の底に眠ってしまっていたのですが、今日のこちらの記事を読んで、当時の強い気持ちを、またよみがえらせていただくことができました。
まるで自分が俗人とは思えずに芸術だけに溺れようとしていた大学時代、卒業し親から逃れるための労働漬けの日々、どうにも煮えきれずにいた日々。そして今、ふたたび職業作家をめざし、働きもせず、書くことだけに孤独に邁進しつつも、肩身の狭さを感じつつ。こんな気持ちならいっそ働いてしまった方がどれだけ気が楽になるだろう、と思いながらも、自らをふるいたたせて、負けないで超越できたら、と、しみじみとした感慨、勇気のようなものを与えられました。ありがとうございます!
(長くだらだら自戒をつらねまして、すみません・・・)
私の場合は、正直言ってどっちつかずの中途半端な生活をしておりまして、人に語る言葉を持ちません。ですが、ご自分の信じられた道なら、是非それを邁進して頂けたらと、勝手ながら思っています。ハイリスク・ノーリタンの可能性があったとしても…。
信長の言葉ではないですが、「人生50年、下天のうちに比ぶれば、夢幻の如くなりけり」というのも真実だと思います。
私の場合も生活していかなかればならない反面、目標(夢)に対しての熱意を捨てたくもないので日々悩むばかりですが…。とにかく逃げではなく、自分の進むべき道を歩みたいですね。お互い!(慣れ慣れしくてすみません)
私のブログのような、勝手な主観だけのものが少しでもお役に立てて嬉しいです。人生は生きているだけでめっけもん、というのもありですし、笑顔で生きていきましょう!!