「学歴分断社会」吉川 徹 筑摩書房

感情論やジャーナリスティックな一部分だけを誇張した話とは一線を画し、淡々と現代日本の抱える社会状況を分析していく姿勢は、最近ではあまり見られないだけに貴重な感じがしました。

どうしても格差社会とか、階層の二極分化とか世間の流行りに踊らされてしまうところもある私ですが、学校歴ではなく、名実共に明確な学歴(大卒か、高卒か)による社会的分断があることを本書を読んで実感として納得しました。

大卒でも本当に大卒なの?歳食ってるだけ、人生浪費してるんじゃないの?という感想さえ持ちかねない大卒が実際に存在し、どこの大学を出たかを世間が気にするのも評価のシグナルとしてはあながち間違いではないなあ~とか普段感じたりはしていましたが、本書に書かれているような学歴により社会に対する価値観等が変わってくることについてはあまり意識したことはありませんでした。

確かに昔はどこの家庭も子供を勉強させて少しでも上の学校に入れようとするのが『普通』だった気がしますが、今はそれが『普通』ではないんですね。

自分の親や家庭を翻ってみても進学する気があるなら、上の学校に行かせてもらえたし、学習塾やら習い事も希望すればどれも行かせてもらえましたしね。

親は高卒でしたが実際、私よりも所得上でしたし、今後も抜けないかもしれませんね。
大学院まで行ってもそんなものですが、それでも学校に行ったからこそ、あちこち転職したり、起業した後でもとりあえず、定職につけて自宅も買えましたし、なんとか生きていけるだけ所得があるのは親が金出してくれたからなんでしょうね。

本書でも書かれていますがこの不確実性下の時代、大学出ることによるメリットは限定的ではあるものの、それでもやはり・・・ってのはあることも事実でしょうね。また、自分の属する集団や環境によって、進学に対する評価や価値観も全然変わってくるのも事実でしょう。話している内容が全く異文化というか異世界であったりするこもありますしね。

日本には「お里が知れる」なんて言葉もありますが、更に細かいこと言うと、どこの学校を出たかでも随分と変わってきたりします。大学ではなくて、むしろ幼少期の方が人格形成に及ぼす影響多いですから、地域色や文化水準を反映させる高校や中学校なんかの方がより影響力ありますしねぇ~。

いい歳して社会に出てから相当経ってからでさえ、転職活動中に履歴書の高校名を見て「○○の高校出身なんですね。〇〇のタイプの人、うちにもいますよ~」とか言われても返答に困ったりする。人事担当者は大学名よりもむしろそちらに関心を覚えるようで、つくづく学校歴を痛感させられた経験が思い出される。

まあ、本書の話からはだいぶそれてしまいましたが、ロジカルな分析でいろいろと示唆に富む本だと思います。本書は売り飛ばさずに、手元に置いておこうと思っている本でした。
【目次】
第1章 変貌する「学歴社会日本」
第2章 格差社会と階級・階層
第3章 階級・階層の「不都合な真実」
第4章 見過ごされてきた伏流水脈
第5章 学歴分断社会の姿
第6章 格差社会論の「一括変換」
第7章 逃れられない学歴格差社会
学歴分断社会 (ちくま新書) (amazonリンク)

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