「東京の下層社会」紀田順一郎 筑摩書房

最近、『下流社会』やら何やらと世間を賑わすタイトルの本が売れていたりするが、ざっと眺めてみた限りでは、はなはだ薄っぺらな現象面の認識ともっともらしい説明がついていて単純に社会不安と危機意識のみを煽るだけの世迷言としか思えない。

人間が営む社会は、確かに時代により変化はすれども、本質的には変わらない面も多岐に渡る。歴史を学ぶ意義は、まずその変わらない点と変わる点を学ぶところにあると私は思うのだが、その意味で本書は大変興味深い。たかだか100年やそこらで日本が変わったと思うか、変わっていないと思うか、読む人によってずいぶんと変わってくることだろう。

ミートホープの事件や中国で作られたダンボールと肉を6対4の比率で混ぜた加工食品、下水溝から生成した油をつかったインスタントラーメンなどなど、世界という点で見れば、何一つ変わっていないと言えるかもしれない。本書には、陸軍や海軍から出た残飯が非常に栄養価が高い故、引く手あまたで払い下げられ、スラムに住む細民の大切な食料となっていた姿が生々しいルポの記事として紹介されている。いろんな物が混ざり合い、夏の暑さですえて腐りかけ、異臭を放つ残飯に群れ集う人々、それが近代国家たる日本の姿だったらしい。

私が以前読んだ東南アジアの紀行文には、やはり上流階級の人々が食べ残した残飯を集め、吸殻やらゴミやらくずやらがまぜこぜになったものを屋台で下層民に販売する姿が書かれていたが、決してそれは他人事ではなかったことが分かる。時間の経過により、腐敗する段階にあわせて残飯の値段が下がっていくのも、リアル過ぎて苦しくなる話だが、それでもそれを買って食べられる人々はまだ幸せだというのが、現実らしい。

また、日本では軍の施設に繋がる下水溝で一斗缶をかまえて米粒などが流れてくるのを待っているという話もあった。そうして集められた米粒は養鶏場などに売られたらしい。その他、残飯でも売れ残ればそれを乾かしたうえで、菓子問屋に卸す。そしておこしや大福餅の原料として相当の値段で売られていたそうだ。

こういった話を本書では、かの紀田氏が丹念に文献資料を集めて二次資料によるものではあるが、適宜引用しながら、解説を加えている。

本書は食にとどまらず、あたかも現代の漫画喫茶難民のような定住するところを持たない人々の木賃宿や長屋住居などにも詳しい。不衛生の限度を超えた寝具に、まさに気絶せんばかりの悪臭・異臭に加えて蚤・虱・蚊が押し寄せる有様。読んでいるだけど、背筋がぞわぞわしてきて吐き気がこみ上げそうになるのですが、それでも野宿よりもマシだという話が切ない。

「西行も三日露宿すればそぞろに木賃宿を慕うべく、芭蕉も三晩続けて月に明かさば必ずや蚊軍、蚤虱の宿も厭わざるに至るべし。ああ木賃なる哉。木賃なる哉、木賃は実に彼ら、日雇取、土方、立ちんぼ的労働者を始めとして貧窟の各独身者輩が三日の西行、三夜の芭蕉を経験し、しかして後慕い来る最後の安眠所にして蚤、シラミ元より厭う処にあらず。」

本書には他にも騙し騙され、搾取され続けて牛馬以下の存在として扱われた娼婦や女工の生活などが克明に描写されている。近代国家を支える殖産興業の基盤として、低賃金での労働力として暗黙のうちに、国家自体がそうした社会構造を是認していたところに根の深さがあるなど、教科書には出てこない視点が刺激的だ。。先日のニュースで中国の奥地で子供達が誘拐され、煉瓦作り工場に幽閉されて労働力として酷使されていた話を聞いたが、本当に世界が変わってきたとは私にはどうしても思えない。

もっともこれらの事を時代を超えても変わらない人間の本質として認めるのは、絶対に嫌だし、そこまでの悲観主義者ではないが、どんなに文明が進歩し、インターネットで世界中の情報が瞬時に分かっても、人は人以上の存在になれないものだとつくづく思う。せいぜいできることは、まずは事実を知る事だろう。

未だに延々と引きずる従軍慰安婦問題だが、単純に外国の女性だから慰安婦にしたというよりも同様のことを政府や軍は国内においても行ってきたことを分かっていないと、人種差別だけの偏った議論になりかねない。いろいろな見方があるのは承知のうえだが、そもそもの為政者の認識として、軍を効率的に統制し、効果的に活用する為の道具としての慰安婦であり、戦後においてGHQの占領軍が来た時に、日本の婦女子の貞潔を守るためと称して吉原に資金を与えて客をとらせようとした話なども同じ発想であろう。

どんなことでも常に本質から物事を見ようとしないといけないと私は思うのだが、一般受けはしないらしいし、世間様からは嫌われがちである(苦笑)。ただ、本書を読んでいて強く思ったのだが、やっぱり知らないというのは『悪』であり、『罪』だなあ~と思う。安易な希望的観測かもしれないが、たくさんの人が真実を知るだけで世界は良くなると思うんだけどなあ~。いい人は世界中にたくさんいるからね、本当に。他方、すぐにでも殺した方が社会の為だと思う人もそれにもましてたくさんいるんだろうけど・・・。

余談が過ぎましたが、まずは読んでみるだけの価値ありです。私は3回目かな、この本読んだの。本を読むたびに、私は『人は人であることのみによって、決して生来的に自由になれるのではない』と思わずにはいられません。

娼婦や女工、乞食だろうと本人の自由意志なら、何をしようと勝手ですが、選択の余地がない場合も実際あるのが現実なのも知るべきでしょう。世界が少しでも良くなる事を望みたいですね。

そうそう、本書ではしっかりと参考文献が紹介されていて、好学の徒(雑学の徒?)には次へのステップが進めます。面白そうな文献もあるし、ちょっと読んでみたいかも。あっ、今日は国会図書館で本読もうと思ったのに、ケロロ軍曹見てて行き損なった。駄目な私。
【目次】
最暗黒の東京探訪記
人間生活最後の墜落
東京残飯地帯ルポ
流民の都市
暗渠からの泣き声
娼婦脱出記
帝都魔窟物語
糸を紡ぐ「籠の鳥」たち

参考文献

東京の下層社会(amazonリンク)

この記事へのコメント

  • 檀原

    ググっていてこちらに辿り着きました。
    以下の本、おそらくご興味をもって頂けると思うのですが、いかがでしょうか。

    メールさせて頂きたかったのですが、ブログの仕様の関係でこの欄にコメントさせて頂きました。


    <開港百五十周年記念・語られなかった『ヨコハマ正史』>

    書名「消えた横浜娼婦たち---港のマリーの時代を巡って」
    著者 檀原照和
    版元 データハウス
    定価 ¥1,700-(税別)
    発売時期 2009年5月末

    http://www.amazon.co.jp/dp/4781700160/

    「かつて横浜は霧の街だった」
    「昭和30年台半ばまで横浜港には海賊がいた」
    「中区・黄金町高架下の違法飲食店街は警官の一言で始まった」
    「ヨコハマメリー最後の物語」
    「伝説の娼婦・メリケンお浜」
    「中華街・GIバーの世界」

    など、港に花開く横浜文化の隠されたルーツを紐解きました。

    地図も含め、図版多数。

    もし書店で見かけたら、立ち読みして下さい。
    2009年08月19日 00:46
  • alice-room

    檀原さん、情報有り難うございます。
    本屋に行ったら、是非注意して探してみたいと思います。

    横浜は、学生の時が大学の近くだったのですが、いろいろな歴史があったんですね。うかつにも全然知りませんでした。
    ちょっと、興味を関心をそそられました。どうも有り難うございます(お辞儀)。
    2009年08月19日 05:12
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