2007年07月19日

ラテン語ミサ典書が復活 保守色を深めるローマ法王ベネディクト16世

ラテン語ミサ典書が復活 
保守色を深めるローマ法王ベネディクト16世
【世界日報より以下、転載】
世界に十一億人の信者を誇る世界最大宗派、ローマ・カトリック教会の最高指導者ローマ法王ベネディクト十六世は教会の刷新、近代化を決定した第二バチカン公会議(一九六二-六五年)のラテン語ミサの廃止、他宗派との対話路線(エキュメニズム)などの修正に乗り出してきている。同十六世はここにきてラテン語ミサの復活を承認する一方、カトリック教会が「イエスの教えを継承した唯一、普遍のキリスト教会」と宣布した教理省の文書を発表させたばかりだ。ベネディクト十六世時代に入り、カトリック教会はますます保守的傾向を深めようとしている。
他宗派との対話に支障も
カトリック教会の唯一、普遍性を主張

【世界日報より以下、転載】バチカン法王庁教理長官を長く務めたベネディクト十六世は当時から「教理の番人」と呼ばれ、その信仰姿勢は保守的、根本主義的といわれてきた。ドイツ出身の同十六世は法王就任二年目が過ぎた今日、カリスマ性のあった前ローマ法王ヨハネ・パウロ二世の影からもようやく解放され、次第に独自色を強めてきている。
 ベネディクト十六世は今月七日、使徒的書簡「一九七〇年の改革以前のローマ・ミサ典書の使用についての自発教令」を発表した。簡単にいえば、第二バチカン公会議で廃止されたラテン語ミサ典書の復活だ。

 カトリック教会では、第二バチカン公会議前はラテン語礼拝が通常だった。しかし、教会の近代化を決定した第二バチカン公会議でラテン語礼拝が廃止されて以来、ラテン語礼拝は一般には見られなくなった。ところが、ローマ法王に選出されたベネディクト十六世は「カトリック教会の精神的糧となってきたラテン語ミサの素晴らしさを生かしたい」という希望を機会あるたびに吐露してきた。

 ラテン語礼拝の復活は同時に、カトリック教会根本主義勢力「兄弟ピウス十世会」との和解をも意味する。同十六世は法王就任直後、ルフェーブル派の「兄弟ピウス十世会」の現リーダー、ベルナール・フェレイ司教と会談するなど、ラテン語ミサの復活に向け水面下で交渉を進めてきた経緯がある。

 フランスのマルセル・ルフェーブル枢機卿が創設した聖職者グループ「兄弟ピウス十世会」はラテン語の礼拝を主張し、第二バチカン公会議の決定事項への署名を拒否する一方、教会の改革を主張する聖職者を「裏切り者」「教会を売る者」として激しく糾弾してきた。ルフェーブル枢機卿は当時のローマ法王ヨハネ・パウロ二世の強い説得を無視し四人の聖職者を法王庁の許可なく任命したため破門を受けている。ルフェーブル派の復帰が実現するならば、イスラム教との対話や教会内の改革派グループとの関係が一層悪化することは避けられないだろう。

 バチカン法王庁教理省は十日、「教会についての教義をめぐる質問への回答」と題された文書を発表した。同文書については、教理省(前身・異端裁判所)は「教会に関するカトリック教会の教義を明確にし、承認できない解釈を拒否し、超教派の対話を継続していくための価値ある指示」と説明している。通称、「教会論」と呼ばれる内容だ。第二バチカン公会議ではカトリック教会以外の教会にも「真理が含まれている」と認めるとともに、カトリック教以外の他宗教も神と一体化できる、などの内容が記述されている。だから、今回の教理省文書はカトリック教会の「教会論」を明確にする狙いがあるわけだ。

 簡単にいうと、イエスの教えを直接継続した弟子ペテロを継承するカトリック教会こそが唯一、普遍の「イエスの教会」という教義は不変であり、前ローマ法王ヨハネ・パウロ二世時代の「ドミヌス・イエズス」(二〇〇〇年)でも再確認されてきた内容だ。カトリック教会から見るならば、プロテスタント教会は「イエスの教会」ではなく、「教会的団体」ということになる。

 同文書が公表されると、予想されたように、プロテスタント教会から激しい反発がわき上がってきた。簡単にいうと、「お前の教会は本当のキリスト教会ではない。だから、イエスから継承されていない教会は聖職者を叙階する資格はない」と罵倒(ばとう)されているのに等しいからだ。

 それに対し、バチカンの「キリスト教一致推進評議会」議長のヴァルター・カスパー枢機卿は十一日、「教理省の文書は何も新しいことを述べていない。カトリック教会の教会に関する教義に何も変化はない」と説明する一方、「われわれはプロテスタント教会が教会でないとは主張していない。イエスの教えを継承するカトリック教会のような唯一性、普遍性を持った教会ではない、という意味だけにすぎない。もちろん、プロテスタント教会も教会である点で変わりない」と弁明している。

 問題は、カトリック教会の「教会論」に立脚して、他宗派との対話、キリスト教会の再統一は可能かという点だ。

 教理省のジョゼフ・アウグスティン・P・ディ・ノイア次長は「対話は相手の見解に歩み寄ったり、間違った譲歩をすることではない。それぞれが自身のアイデンティティーを明確にしてから対話を始めるべきだ」と述べ、教理省の今回の文書を「カトリック教会のアイデンティティー宣言だ」と述べている。

 ラテン語ミサの復活には教会内でも懸念を表明する改革派聖職者が少なくない一方、教理省の教会論については「分裂したキリスト教会の再統一を妨げる最大の障害は真理の独占を主張する頑迷なバチカンにある」といった反発の声が他宗派から既に出ている。しかし、信仰の絶対主義を標榜(ひょうぼう)するベネディクト十六世にとって、それらの反発は既に織り込み済みだろう。ローマ・カトリック教会はベネディクト十六世時代に入り、確実に保守的傾向を深めようとしている。
いやあ~、ラテン語のミサ復活なんてところまで行っていたんですね。全然知りませんでした。

これって、かなり凄いことだと思うんですが・・・。

今後、この傾向が強まっていくことは必至でしょうから、少なくとも何かしら大きな変化が起きてきそうですね。世界は変わりつつあるんだなあ~と実感しました。
posted by alice-room at 00:53| 埼玉 ☁| Comment(13) | TrackBack(0) | 【ニュース記事A】 | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
いつもブログ拝読してます。
今回の記事は、簡単にいえば、ルター以前のありようを模索することで、自身のアイデンティティーを取り戻そうとするカソリック側の運動ということですよね、簡単にいうと。(笑
ルターの宗教改革やラテン語世界の崩壊以降の近代世界の出現(フェーブル他著・「書物の出現」参照)以前に回帰しようという試みともいえる訳で、なかなかに興味深い(皮肉も込めて ^o^)運動ですね。
いずれにせよ、パウロさんとはいろいろ違う考えの持ち主なんでしょうね
Posted by TAO at 2007年07月19日 01:51
TAOさん、こんばんは。ブログをご覧頂いてどうも有り難うございます。

>今回の記事は、簡単にいえば、ルター以前のありようを模索することで、自身のアイデンティティーを取り戻そうとするカソリック側の運動ということですよね

おっしゃる通りだと私も思います。どんな組織にでもあることでしょうが、進路が左に傾けば、反動として次の機会には右に傾く、そういう時系列的な動きなのかなあ~とも思います。

前法王があれだけ、長期間在位し、バチカンとしては革新的であっただけに、その反動もそれなりのものがあるのかもしれません。

まあ、企業とかでもトップが替わるとこの手の振幅はよくあることですが、本当に興味深いと思いました。いろんな意味で気になりますね。
Posted by alice-room at 2007年07月19日 21:51
こんばんは。
非常に興味深いですね。
前法王も教義についてはかなり保守的だったと聞いてます。今の法王はその腹心の部下だったらしいから、わたしは同じ路線をより一層進めようとしているのかなと思いました。

ラテン語のミサには興味ありますね。年配の知人は、むかしラテン語のミサに参列していた経験があるそうです。あっちの方が日本語よりなんだか格式があって良かったとか(笑)わたしも一度参列(見物?)してみたい。
Posted by 大阪のマリア at 2007年07月19日 22:43
こんにちは~。凄いことになってますね。
今上聖下は任期もそれほど長くないでしょうから、何かと急いで
らっしゃるんでしょうか。部外者の気楽さで、ラテン語のミサに
参加したーいとか思ってます(^^;;
さすがに大昔のような祭壇に向かったきりで
会衆には後ろ姿を見せてるミサは復活しないでしょうね。
Posted by 侑子 at 2007年07月20日 12:38
大阪のマリアさん>そういえば、前法王も避妊は認めていなかったし、聖職者が男性である点を変えようとはしませんでしたね。諸宗派との対話を進めたり、自ら諸外国を訪問したり、新しい動きをされてもいましたが、バチカンとしてのアイデンティティに関しては、本当におっしゃるとおりでしたね。

ラテン語のミサですか、普通のミサも遠くから眺めたことがあるだけなんで正直かなり好奇心はそそられますねぇ~。そもそもラテン語自体も知らないのですが、ましてそれを話すところなんて・・・日常ありえませんもんね。機会があれば、私も是非拝見したいものです(笑顔)。

侑子さん>おはようございま~す。ラテン語のミサ、やっぱり皆さん興味惹かれますよね! 私もまさに同感です(ニヤリ)。後ろ向きに行われるミサ、おお~本にありましたね、そういう記述が! いやあ~、もしそこまで戻るのなら、それはそれで拝見したいような・・・。

個人的には、中世において豪奢を極めたクリュニー修道院のミサとか、見れるものなら見てみたいですねぇ~。肉以外なら、吐くまで贅沢品を食べまくった食事も希望(笑顔)!! な~んて。
Posted by alice-room at 2007年07月21日 08:07
ラテン語のミサ典礼書自体(規範版または1962年版)は現在も発行されており、教会によってはどちらかを使用しているのが現状ですね。
ご存知の通りピウス十世会は熱狂的なトリエントミサの熱狂的な支持者であり、カトリック教会のその他の派閥から見れば「特異」的な会であるものの、修道会によっては修院内の聖堂で普通に規範版のラテン語ミサや場合によっては1962年版のミサを行っています。

また、トリエントミサ(1962年版も含みます)は言葉的に精査されておりその典礼用語自体が神的な響きを持っていますね。(当たり前といえばそうなんですが…)

まぁ、第2バチカン公会議以後の対面式ミサは主体を共同体におき、共同体全体で奉献を行い、トリエントミサのように「共同体へ背を向けた」ミサは主体を司祭に置き、司祭を通しての自己奉献をする、とでもいえるでしょう。
Posted by Breviarii Romani at 2007年09月07日 22:02
Breviarii Romaniさん、こんばんは。いろいろと情報をどうも有り難うございます。
改めて、少し調べてみたら、コメントして頂いた内容がよく分かりました。そういうことなんですね、ふむふむ。

>第2バチカン公会議以後の対面式ミサは主体を共同体におき、共同体全体で奉献を行い、トリエントミサのように「共同体へ背を向けた」ミサは主体を司祭に置き、司祭を通しての自己奉献をする、とでもいえるでしょう。

ミサの目的自体が神に捧げられたものであり、十字架の方を向いて行うのがより本質的だとの記述をしていた本がありましたが、捉え方としておっしゃられたような解釈ができるのですね。大変勉強になりました。どうも有り難うございます。
Posted by alice-room at 2007年09月08日 01:22
11月10日土曜日、東京カテドラルで、説教以外、福音朗読など、全部ラテン語もミサがあります。
…私は昔、実行委員会をやっていました。
ラテン語ミサに傾倒するほど、古い信者ではないのですが、クラシック音楽が好きなこともあり、ラテン語は好きです。
ロザリオはラテン語です。
Posted by Madeleine at 2007年09月09日 18:17
Madeleineさん、こんばんは。東京カテドラルというと関口教会のとこですよね。あちらでもラテン語で行うミサがあるんですか、全然知りませんでした。ロザリオがラテン語というのも初めて知りました。情報有り難うございます。

私の場合、音楽としてはゴレグリウス・チャントとか結構好きなんですが、シタールを用いたヒンドゥー教寺院の奉献歌とかも好きで趣味が散漫ですね・・・(苦笑)。もっとも日本の声明(しょうみょう)なんかもいいと思ってしまうのだから、散漫というよりも節操がないかもしれません。

宗教で使われる音楽は、概して人の心に訴えかけてくるものが多く、自然と心に残るのかもしれません。私が心惹かれるのは。
Posted by alice-room at 2007年09月10日 00:08
この欄を拝見しまして、かなり誤解がありますのでコメントをすることにしました。

まず、「ラテン語ミサの復活」とありますが、いままで廃止された事はありません。「教皇のラテン語ミサ許容に反応さまざま」のところと重複しますのでそちらをご覧になって下さい。

つぎに、ローマ・カトリック教会はイエズス様ご自身が建てた唯一の教会であることは事実であり、ドミヌス・イエズス(「宣言 主イエス」の題でカトリック中央協議会邦訳発行)の内容も変わったことは書かれておりません。

もっとはっきりと申すならば、東方正教会やプロテスタント教会などが母なるカトリック教会に戻るのが本当のあるべき姿なのです。

司祭の叙階問題にしましても、正教会とは違い使徒継承のところで途切れていますので叙階の秘跡が成り立たないのです。正教会や聖ビオ10世会などは異端でありますが、途切れていないため、非合法であっても秘跡が成立してしまいます。

ついでに、司祭職は男性固有のものと神様が創られましたから、女性司祭を認めないのは男女差別であるということになりますと、人間のからだで例えるならば、女性におちんちんが付いていないのは男女差別であるということを言っているのと変わらなくなってしまいますし、カトリック教会には神様の決めたことを変更する権限はありません。
Posted by しょうたろう at 2008年05月02日 22:03
>つぎに、ローマ・カトリック教会はイエズス様ご自
>身が建てた唯一の教会であることは事実であり、ド
>ミヌス・イエズス(「宣言 主イエス」の題でカト
>リック中央協議会邦訳発行)の内容も変わったこと
>は書かれておりません。

すみません、先ほどの私のコメントは、こちらを拝見していませんでした。出典を明示して頂き、有り難うございます。機会があれば確認してみます。

>もっとはっきりと申すならば、東方正教会やプロ
>テスタント教会などが母なるカトリック教会に戻
>るのが本当のあるべき姿なのです。

失礼ながら、カトリック以外の方は、この考え方に大いに反対することでしょう。全く正反対の意見を多く聞きます。

これでは寛容も何もないしょうし、他の宗教や宗派の方からは相手にされないでしょう。

更に申し上げると、最後の男性固有の話のたとえですが、詭弁でしかありません。私はdebateについて、学んだ事がありますが、その典型例がこのパターンです。

大変申し訳ありませんが、このブログは宗教について語るブログではごぜいません。特定の宗教や政治団体、組織を誹謗や中傷する意図もありませんし(論拠を示して批判はしますが)、このブログ上のコメントであっても、結果的に他の宗教や組織等を貶めるような表現は、ご遠慮願います。
Posted by alice-room at 2008年05月05日 13:45
「この傾向が強まっていくことは必至でしょうから、少なくとも何かしら大きな変化が起きてきそうですね。」 ―

おお、この記事は覚えてましたが、こんなに早く大きな動きになるとは想像していませんでした。

一般には、ピウスのウィリアムソンなどもあれほど過激な発言をしているとは知られていなかったようで、ネットあってこその情報の伝播力が利いているようです。ヴァチカンにどれほどのネットリサーチ能力があるのかないのかと話題になりますね。
Posted by pfaelzerwein at 2009年02月05日 05:51
私も相変わらずバチカン絡みの記事は、国内外問わずチェックしてますが、今回のはさすがにまずいでしょうね! 

ただでさえ、経済状況の悪化が世界情勢全般に対して、保護主義的な動きを加速し、いろんな意味でやばそうな・・・方向へ進みそうな折も折り。

これですからねぇ~。ますます悪い方向へ行かないか気になりますね。バチカンに関して言えば、調査能力というよりは、関心事の方向が既に違うのかもしれませんね。

まあ、それ以前から、だいぶ問題山積みというか・・・せっせと積み増しているカンジではありますが・・・。

独善的な『正義』ではなく、他者との共存を負編めた相互主義が広まる事を願うのみです。強い自己は大切ですが、独り善がりにならない世界を目指して欲しいですね!
Posted by alice-room at 2009年02月05日 20:26
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