いよいよ、念願のローマ遺跡かと思うと、意気揚々と向かう。この辺りには、ローマ征服以前のカルタゴ人の遺跡トフェやカルタゴの軍港、アントニヌスの共同浴場等々、たくさんの旧跡があるが、歩いても所詮は6キロ前後。余裕だぜい!ってな気持ちで一番端のトフェから回るべくスタート。
なんか地図からだと駅からすぐみたいに書いてあるけど、相当距離あるよ~。道を尋ねるとみんな親切で教えてくれるのだが、なかなか目的地につかない。日がドンドン高くなり、暑さが増すにつれ、正直参ったなあ~と思い始める。日本から持ってきた「地球の歩き方」では、地図が小さ過ぎて全く役に立たない。先日、テュニスの観光局で事前にgetしておいたMAPがとっても役に立ちました。道を尋ねるのにも、これぐらい詳しくないと使えない。チュニジアに関するガイドブックって日本では見つからなかったので、嫌いなんだけどこれを購入したが問題あるなあ~。

幼児の焼かれた骨がたくさん見つかり、いけにえに捧げたのではないかという説がでて、有名になったところでもあります。でもね、事前の期待が大き過ぎたんだと思うけど、とくに何があるというほどでもない。石に刻まれた墓石のようなものがすこ~しまとまって立ち並んでいる。ちょっと期待外れで、え~ってな感じでした。もっと巨大な神殿のようなものを想定していたのである意味、愕然としてしまいました。バスで来た観光客はひとしきりパチパチ写真を撮ると30分もせずに、バスに戻っていくのも分かるなあ~。幾分、悲しかったです。


で、そこからカルタゴの軍港のあったところへ。実はトフェに行く前にここの前で行ったり来たりしていて、既にお馴染みになってしまった感も。当時は、人工的に円形になるように湾をくりぬき、200隻以上の船が停泊できるようになっていたそうです。そして、岸には倉庫が立ち並ぶ、まさに海洋国家カルタゴの面目躍如たる壮大さ・機能美だったんでしょうね。今見ると単なる浮島みたいに見えますが、復元図(上記参照)はなかなかに立派でした。
パレオ・クリスチャン博物館。ここ何にもないよ~。おまけに付属の博物館は「修理中」と紙が貼ってあってcloseなんだもん、ドツボ。私以外は誰もいないし、誰もここに至る道歩いていない。

で、ここからカルタゴ博物館までの歩きが地獄だった。歩いて数100mと思ったが、トンデモナイ。行けども行けども着かない? あとね、歩くと分かるけど、この辺りは本当に&本当に大金持ちの方々の住居(高級住宅街)。真っ白な大邸宅が丘沿いに高くそびえ、緑の木々と色鮮やかな花々が咲き誇る。あちこちに上の階の方にデッキチェアが見え、お手伝いさんらしき人が水を撒いたり、雑事をこなしている。なんか別世界ですよ~。
道が分からなくてあちこち道を曲がっていくと、行き止りに(どうやら、家の玄関までの私道らしい)。疲れて泣きたいような気持ちになったが、何気にチュニジアのお金持ちの家が見れたのは良かった。普通に3階建て以上の白亜の豪邸らしきものがあちこち立っている姿は、なかなか壮観でした。不審者に間違われ、立派な門構えの中にいるお犬様に吼え掛けられたりはおまけですが(ううっ、確かにサングラスで怪しいかもしれないけどさ、チェ!)
これは本当に苦労してカルタゴ博物館へ。カンフーを習っているという若者達(私もそのつもりだが)に途中まで道案内してもらいながら、ようやく辿り着いた!有り難う、カンフー青年達(メディナでもカンフーを習っているという人がいたが、チュニスではカンフーブームなのかも?日本人はカンフーじゃなくて空手なんだけど・・・まあ、一緒に見えるか)。
で、そのカルタゴ博物館のすぐ隣にあるサン・ルイ教会を先に見る。十字軍参戦中に没したフランス王が葬られているのだが、どうだろう。見る価値があるとはいえないように感じた。
【追記】
カルタゴの軍港跡と復元図を絵葉書から追加UPしました
個人的には、鎌倉のまんだら堂と似た雰囲気があって好きなところなんです。まぁ、あの墓石みたいなやつらも、あんな風に綺麗に並べてあるから墓石らしく見えるのであって、配置なんてテキトーなんですけど(笑)
港はそれなりに気に入って下さって嬉しいです。
あと、お写真を挙げて下さって嬉しいです。二年半前の記憶が今鮮やかに・・・
へー、フローベールの小説にちなんだサランボ駅があるのですか!なんだか、それだけで楽しくなります。トフェの写真を見ると、本当に墓石のようですね。そのような場所に、タニト神は、かつて、どのように祭られていたのでしょうか。
延々と歩き回られたようですが、ご苦労様でした。何か、カフカの「城」みたいですね。しかも、お犬様に吠えられるというおまけ付きでしたし。でも、そんな苦労自体も楽しまれているみたいですね。
lapisさん>そうなんです、フローベールの小説のモデルがまさにこのトフェなんだそうです。本当は旅行に行く前に、読むつもりだったんですが、読み損ねてしまいました。おいおい、読みたいとは思うんですが・・・。とりあえず、苦労はしましたが、記憶に残る旅になりました(笑顔)。まあ、旅なんて失敗と偶然の産物ですから、あまりクヨクヨせずに元気でやってきました。
テレビなんかで見るだけでも、ちとガッカリはしますよね
ただローマが征した時点で 既に骨抜きにされていたのかと思いますよね
古今東西 栄枯盛衰ってのは ありますけど
海洋系とか 遊牧系の所は あまり建造物なんか残してなかったりするので
その勢力の強大さと比例してないのか
それとも 定住型の文化から見て、その機動力が脅威だったから誇張されて伝わってるのか・・