2005年07月19日

「怪談部屋」山田 風太郎 出版芸術社

kaidanf.jpgやっぱり、読む前から期待していた通りの山田風太郎氏の作品です。まさに夏のこの時期にピッタリの怪談ですが、申し訳ありませんが、そこいらで売っている二束三文の今時の怪談と一緒にしたら、罰が当たりますぜ!っていうくらいの味わい深さ。こういうのを真夏の夜中にひっそりと読んでこそ、暑気払いもできるってもんでしょう! 昨日で関東は梅雨明けもしたし。

風太郎氏というと、ちょいエロさと共になんとも妖しげな忍法を駆使した忍者が活躍する『忍法帳シリーズ』で有名ですが(知らない奴~もぐりでぃ・・・伝法調に洒落っす)、勿論、あれはあれで面白くて好きですが、それ以上にもっと&もっと私が好きなのが、この手の「新青年」ノリの作品群。本書に載っている作品も、ほとんどが昭和20年代のものです。

淡々と語られる合理的精神に基づく現代人の理性行動に見え隠れする、原始的、否、原書的な生き物として人類が有する否応も無い本能行動。或いは理性を軽く凌駕するこの世の不可思議さ。そういったものを非常に、上品且つ洗練された筆致で描いていく構成力。もう、絶品の高級料理みたいなもんですよ。舌に載せるとしっかりした味わいにもかかわらず、ふわぁ~っと軽く舌で脂がとろけていくかのように軽い。コースのメイン以外にも、時々デザートとしてくずきりみたいなものまであり、のどこしが心地よいうえに後味も絶妙。いくらでも食べれてしまう、そんな極上の小説なんです。

読書家のグルメを自認される諸氏には、是非ご一読を願いたいところ。まして現代世紀の紳士淑女のプチ・ブルジョワ諸氏にはこんな怪談を寝物語に目を通されることは、教養溢れる日常生活を送るうえで必須の事でございましょう。(どこぞの口上みたいになってきたけど・・・笑い)

でもね、これ『新青年』とか好きな人にはたまりませんよ、ホント。お約束ながら、銀幕を闊歩しそうな絶世の美女やら、美少年。肉体的、或いは精神的畸形とか、ウットリ。江戸川乱歩の「一寸法師」なんかも私の大好物なんですが、あれにも似た作品がありますよ~。テイスト的には、似ていながらも異なっているのですが、こちらはこちらでまた美味しいのでまだ食べたことのない人は、是非、真夏のこの機会に!

巻末に著者が述べている素晴らしい文章があるので以下、転載
日本の探偵小説には、本来の本格的推理小説以外に、異常心理諸説、科学小説、空想小説、冒険小説、怪奇小説までふくまれている。わたしはいままでそのいずれの扉もたたいてみたが、なかんづくわたしに、もっともむずかしいという結論を得させたのは怪談であった。
怪談というものは、理におちてはこわくない。あとで合理的解決というものをくっつけてはも白くない。しかし、わたしたちが或る怪談を着想するときは、近代人のつねとして、ほとんど必然的にその合理的解決なるものがその話にくっついてくる。牡丹灯籠の近代的解釈として、ひとつの密室殺人をかんがえるといったぐあいである。結果として、さっぱり怖くないということになる。
怪談は、やはり徹頭徹尾、荒唐無稽なものでなくてはならない。荒唐無稽の世界を描いて、読者を一種の雰囲気にひきずりこむには、天才的文章力を必要とする。たとえば、鏡花のごとく。そうでなくては、書く本人だけいい気持ちになって、読者はたんにばかばかしがるよりほかはない。
第一、昔の人はおばけを信じていたが、今の人は信じちゃいないのだから、それをあえてへんとこな気持ちにひきずりこむのは、どれほどの文章力を必要とするか。―――
あえて怪談にかぎらず、同様の意味で、約二千年ほど前ほとんど同時に、キリスト、釈迦、孔子が出て、爾来これに匹敵する宗教家がでないのは、ほじめ簡単に生まれないからだと考えていたが、最近になって、たとえそれに匹敵する人物はうまれたかもしれないが、世界がしだいにそのような人にはうごかされなくなったのではないかと思いはじめた。科学の分野における出藍の超人は、未来続々出現するであろうが、宗教の世界では、キリスト、釈迦のごとき巨大な影響力をそなえた人物は、もはや永遠に出得ないのではあるまいか。
―――実はわたしは、宗教も一種の怪談だと思っているから、こんなことをいう。
・・・・・・ともかくも、怪談を成功させるには、天才的文章力と、それから、かく本人がそれを信ずる性格―――すくなくとも一種病的性格の持主でなければなるまい。わたしは、精神健全なる大作家のかいた怪談で、いまだ隔靴掻痒(かっかそうよう)の感、ないし息切れをかんじなかったものはなく、ポーの作品の息気及ぶべからざる点は、ここにあると考える。
ここに収録した怪談は、わたしがこういうことを知る以前にかいたものである

なるほど~、怪談の本質をうまく言い表していると思ったので抜粋しました。現代における怪談の難しさが分かりますよね。不可思議な行動の犯人がただ、精神病患者だったからとか、もうゴミかと思うほど安易な設定の昨今の怪談には正直、へどが出そうなくらい嫌悪感があったので私。京極さんの作品が、小説ではあっても怪談でないのは納得しますね。途中まで非常に面白いのでかなり読んでますが、いつも最後の決着のつけ方がイヤ。大嫌い。無理に意味付けしてるようで違和感を覚える。まあ、それが良くも悪くも京極氏のスタイルなのかもしれませんが、絶対の氏の作品は怪談ではないね。あれを妖怪小説というのにも、抵抗を覚えます。

すみません、そっちはどうでもいいですね。とにかくこの本は面白いよ~!!

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posted by alice-room at 18:48| 埼玉 ☁| Comment(2) | TrackBack(0) | 【書評 小説A】 | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
僕も、山田風太郎は好きです。この本は、持っていませんが、忍法帳や明治ものはだいたい持っています。明治ものが一番好きです。読んでいない作品が多いのは、初期のもので、そうするとまだ宝の山が残っているわけですね。楽しみが増えました。
京極氏の本は、だいたい読みましたが、最近は買わなくなりました。飽きてしまったようです。(笑)
Posted by lapis at 2005年07月19日 21:12
だと思いました~、きっとlapisさんならお好きではと。私も風太郎氏のだいたい好きなんですが、バラバラとたまたま目に付いたものから読むという、いい加減な読み方なんですが、初期のものも味わい深いですよ~。
最近は、風太郎氏の作品が文庫でたくさん出ているので嬉しい限りです(笑顔)。
Posted by alice-room at 2005年07月19日 22:17
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