
バタイユによるランスの大聖堂について書かれた文章。それだけが読みたくて読んでみました。
著者の生きた時代において、大聖堂はなお人々の心の拠り所であったことが痛いほど感じられる作品です。中世ほどの熱狂的な想いとは異なるものの、当時を振り返られることはない現在では考えられないであろう想いが、この作品が書かれた時代には、まだまだ切実に存在していたのを感じます。
世界遺産が残っているようなところには、共通しているのかもしれませんが、何よりも地元の人が大切に思い、慈しみ、守る気持ちがその時代、時代にあり、それが継続してこそ、今の姿があるんだろうなあ~って思わずにいられません。
法隆寺を守ってきた人々なんかも相通ずるものがあるのかもしれないですね。
とまあ、ありがりな感想ですが、悪くはないんですが、正直、心を打つほどではなかった。ユイスマンスの「大伽藍」とは比較にならない!
何故、私がここまでゴシック建築、とりわけステンドグラスに強い関心を持つに至ったか、その原因たる『聖別された空間』への描写はここには無い。しかし、ユイスマンスの作品には、それがある。
他の人がどう評価するかは分かりませんが、私は本書をまた読みたいとは思いません。実際、他の作品は更に興味がないものばかりで、心がピクリとも動きません。エミール・マールの解説を読んで感じるような新鮮な驚愕がありません。勿論、感動もね。
【目次】ランスの大聖堂 (ちくま学芸文庫)(amazonリンク)
Ⅰ 一九一八(ランスのノートル・ダム大聖堂)
Ⅱ 一九三七‐四〇
悲劇=母
髪
プロメテウスとしてのファン・ゴッホ
天体
風景
幸運
戦争の脅威
聖なるもの
星を食べる人々―アンドレ・マッソンの天才
Ⅲ 一九四六‐四八
半睡状態について
アンドレ・マッソン
よみがえるディオニュソス
取るか棄てるか
神の不在
神話の不在
シュルレアリスムと神
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