
昭和の古き良き時代、レトロ感漂う色街の美味しい酒場の紹介かと思うと、さにあらず。単なる場末で、一杯千円以上(場合によってはそれ以上のぼったくり料金)のまずくて最悪の酒を、ありあわせの酒の肴で飲んでるだけの話です。
場所が色街だから、艶っぽい話があるのかというと、中途半端に分かったようなことばかりの話でどうにも読んでいてムカツク。妙に達観したような著者の距離感がイライラします。
酒か、女か、街の風情か、どれかに絞って書けばいいものを本当に適当に書いています。しかもそのどれもが中途半端。読んでいる私が泣けてきますよ(号泣)。
もっともその適当さが味わいになるような文章なら良いのでですが、文章も小学生の作文並みでかなり苦痛。枯れた文章というか、著書の感性が枯渇して、文章が死んでいるとしか感じられません。
ああいう場所に行けば、地味だけど、ぐっと心にくるような出来事や話があるはずだし、人が生きていく事の悲哀というか何とも言えない情感があるものですが、本書ではそれが全く感じられない。
取材場所の選定もいい加減なら、下調べもおざなりで呆れるばかり。タクシーの運ちゃんに場所を聞くなんて、当たり前過ぎてバカかと思う。あんなの馴染みの店に紹介してキックバックもらうだけジャン! ご当人が分かってるだろうに・・・つくづくやる気が無い、というか色街を語る資格がないんじゃないでしょうか。
申し訳ないが、三流のエロ雑誌の風俗街探検記事の方が、はるかに面白い!! トコトン俗ではあっても、少なくとも庶民の側に徹しきった潔さがかえって心地良い。地元の街並みや人々の描写は、本書よりもはるかに優れたものさえ(たまに)ある。
どこかで自己を卑下しながら、それでも薄っぺらなプライドを持って文章を書いているのが行間から滲み出て、読んでいても心が寂しくなる。
ただ、風俗街に行って酒場を探して飲んで、やっつけで記事書き、経費で落としている姿が目に浮かぶようだ。酒が好きだといいながら、適当な酒を飲んでる人間は、『酒』ではなくて『酔う』ことが、あるいは『酔っている自分』が好きなんじゃないの?って思う。
メニュー自体はありきたりでもちゃんとした物を出す店は、いくらでもあるし、そういう店を色街で探し出すのがプロだと思うんだけど・・・。
とにかく話の水準が低過ぎる。これ以上の話なんて、いくらでも知っているし、聞いてます。海外で一人旅してりゃ、誰だっていろんな目に合うもんだし。国内だって、注意していれば、もっと&もっとdeepな話があるはずなのに・・・。
これ系の本も何十冊も読んでる私としては(そんなに読むなよ~(自爆)、憤りを覚えるぐらい否定したくなる本です。人が生きていくのって、本当に&本当に大変なんだけどね。だからこそ、刹那的に陽気になることが大切なんだけど・・・。泥をかぶってまでその域に落ちる覚悟を感じません。どっからどこまでも傍観者的でイヤ!
虚飾に満ちた薄っぺらな紹介記事です。著者が情熱を持っていない本は、どんな分野であろうと無価値です。本書はそれに該当するように感じられてなりません。
そうそう、三重県のA島。いわゆる『女護が島』のことでしょう。もうちょっと歴史にも触れろよ~。情報源としても使い道がなく、本書は即刻、売り飛ばす予定。
【目次】色街を呑む!―日本列島レトロ紀行 (祥伝社文庫)(amazonリンク)
和歌山・天王新地の巻―やり手婆がとつぜん突き出したもの
黄金町&堀之内の巻―桃色の蛍光灯の下、女たちの目線の強さ
町田・田んぼの巻―肌を剥き出した少女と気だるい女を隔てたのは?
高知・玉水町の巻―古びた旅館の二階からこぼれ出たもの
京都・五条楽園の巻―一見をこばむ闇のむこう
大阪・飛田新地の巻―美少女たちの化粧や髪型の謎
釧路&札幌の巻―滅びゆく色街の残影
青森・第三新興街の巻―猥褻語溢れる、連絡船の遺した祝祭
宮崎・上野町の巻―あの球団選手も遊んだかもしれぬ色街
広島県・福山の巻―チンチン村のパツ屋
群馬県・太田の巻―いかなる街の風俗地帯にもないセンス
金沢の巻―古都の隠れたもう一つの顔
松山・ネオン坂の巻―漱石の描いた郭を発見!
フィリピン・マニラの巻―オカマで有名だった通りの今
福島県・小名浜の巻―港町に遺された、僅かな遊郭の風情
ソウル・弥阿里&涼里の巻―生きている色街の生臭さ
西川口の巻―西川口のお膝元
三重県・A島の巻―数百年の聖域
解説 麻木久仁子
関連ブログ
「酒の肴・抱樽酒話」青木 正児 岩波書店
「下町酒場巡礼」大川渉、宮前栄、平岡海人 筑摩書房
「江戸の性談」氏家 幹人 講談社
「赤線物語」清水 一行 角川書店
「性風土記 」藤林 貞雄 岩崎美術社
「AV女優 (2)」永沢 光雄 文芸春秋
「恋は肉色」菜摘 ひかる 光文社