と、誰に対する言い訳かはしりませんが、これで安心して書けますね(笑顔)。もっとも、何故ここしばらく絶版ばかりかというと、7月・8月と勢力的に古書市を回り、相当安い本ばかりをある程度買い込んだ結果が絶版ばかり、だったりします。以上、裏方の事情より。
さて、いよいよ本書の紹介。
先日、知人(前に戸来にあるキリストの墓を教えてくれた)から楊貴妃の墓が日本にあるんだって。という情報を受けて、「また出たよ~」と思っていた矢先に古書市で見つけた一冊。
正直、トンデモ本だろうなあ~と思ったんですが、どうしてどうして著者はなかなか理性的な先生。諸説ある中で、ある程度分かっている事実から可能性としてこの伝説はありえるとか、これは無理だろうとかを考慮したうえで、こういった伝説がありますよ。こういった説がありますよと紹介してくれている。
まえがきでは、楊貴妃が玄宗と逃げる途中で泣く泣く殺さざるを得なかったが、墓の改葬時には香袋しか無かった。それ以後の事をこの本で書きたいと書かれているが、私的には日本に渡ってきた以後の事をもっと知りたかったが、さすがにその辺は資料がない為かあまり記述されておらず、ちょっと残念。逆に言うと、結構良心的に書かれていると感じた。
何よりも、楊貴妃が田舎から出てきてまずは皇子の妃になり、やがて玄宗皇帝に見初められて紆余曲折を経ながら、熱々の仲睦まじい生活を送っていたことや、結果として反乱を生ぜしめ、傾国の美女となった過程なども詳しく書かれていて非常に勉強になりました。
以前に、中公新書で「楊貴妃」読んだことあるんだけど、こっちの方が分かり易い。しかも本書は殺害された後に蘇生し、日本に渡った伝説などもいろいろ紹介してあり、とっても興味深いです。実際に、その伝説が残る土地や楊貴妃の墓にも著者は行って資料集めも頑張っていたようで、ただ本を読むだけで楊貴妃について、詳しくなれるのもイイ。トリビアよりも面白いですよ(笑顔)。
本から、楊貴妃について分かっていることのおさらい。
唐の玄宗の妃。名は玉環。蜀州司戸参事(地方の会計事務官)を勤めていた父の四女として生まれた(719年)が、父は早く亡くなり、叔父の養女となった。17歳で玄宗の第18皇子寿王瑁の妃となる。玄宗の寵愛していた武恵妃が亡くなると、玄宗は亡き妃にそっくりだった貴妃のとりこになるが、父が息子の妃を奪うという世間の批判を避ける為、一度、彼女を道士として太真の号を授け、後日、環俗して後宮に入れた。以上が一般に言われている事実らしい(平凡社百科事典もほぼこの記述と同じだった)が、亡くなった一年後の改葬で骨が無く、香袋しかないと言うのがいかにも不可解だというのが世間での評価だったらしい。ただでさえ、その容姿・人柄が優れて、皇帝があれほど寵愛した楊貴妃は民衆や貴族達にも絶大な人気があったうえに、さきほどの不自然さから、楊貴妃生存説が生まれる土壌となっていったそうだ。
宮中では、流行の胡服(胡はイラン辺りを指す)を身に付け、舞も上手だったらしい。玄宗の寵を一身に集め、皇后と同じ扱いを受けた。3人の姉もそれぞれ夫人号を授かって重要人物となり、一族は高位高官を占めた。なかでも楊国忠は財務で才能を発揮し、玄宗の意を迎えつつ、敵対勢力の李林甫を排除すると宰相として実権を握った。しかしその横暴さ故に、安禄山の乱を招く。
安史の乱が起こり、玄宗に従い成都へ逃れる途中で楊一族は相次いで責任を求める兵士達に殺害された。楊貴妃もこの時に絞め殺された。時に756年6月38歳であった。翌年、長安に戻った玄宗は隠密裏に改葬させたというが、その際には香袋しか無かったとされる。
そもそも殺害方法は、絹の布による絞殺だったらしい(推測か?)のだが、その後に蘇生した可能性があるのでは、というのが小説になっているようだ。その後は、もう仮説というか、かなり可能性を積み重ねた小説なのだが、当時の外国人接待機関も楊氏の一族のものが担当しており、日本から来た遣唐使とも懇意な仲であった。そしてその手づるを辿って貴妃を日本に逃がした。というのがいわゆる楊貴妃日本渡来説になるそうだ。う~む、確かに可能性としてはありそうだし、面白いけど、どうなんでしょう。勿論、一切の証拠は無いそうです。あったら、学会がもめるって!
でね、日本に来てからの話というと、もう完全に伝説・風説のおとぎ話の世界だって。著者もその辺は、分かっているのでただ紹介するに留めていますが、個人的にはマグダラのマリアがマルセイユに辿り着いた話を彷彿とさせるようで、とっても楽しいです。
せっかくなので、その伝承を抜書きすると
楊貴妃が日本に到着したの時は、日本宮廷の変乱の時であった。そのため彼女は日本の女帝となった。これとは別に、山口県久津(現在、山口県大津郡湯谷町久津)というところに「楊貴妃の墓」といわれる五輪塔が現存しているそうです。東への航海中、貴妃は病を得、日本に漂着後、まもなく死亡した。
また、久津港の一角にある二尊院は平安初期の大同三年(808年)、伝教大師の創建とされるが、ここの本尊である釈迦、阿弥陀の二尊仏については、楊貴妃がこの地に漂着したというので、玄宗皇帝は貴妃を忘れかね、方士を蓬莱の国に派遣して仏像二体を妃に賜ったものという。妃もまた髪飾りを形身に託したが、やがてこの地で死去した。そのため、二尊院境内の右手に楊貴妃の墓と伝えられる五輪塔が建てられたといわれているそうです。

また、京都の嵯峨に天台宗の二尊院があり、ここの釈迦、阿弥陀の二仏も国宝になっているそうだが、面白い言い伝えがあるそうだ。
唐の国で安禄山の乱が鎮圧されたあと、楊貴妃が日本の長門国向津具に住んでいると伝え聞いた玄宗皇帝は、早速、彼女の菩提を弔う為、釈迦と阿弥陀の二仏を向津具に送った。ところが、それが間違って京都の二尊院の方へ届けられたため、向津具側は引渡しを要求したが、京都側は応じない。そこで朝廷に訴え出て、もめたあげく、結局、当為の名仏師天照春日をして本物そっくりの二仏を作らせ、本物と贋物とを両二尊院で一つづつ分け合って一件落着した。そんな話もあるそうです。著者も作り話だと言ってますが、なんか楽しいですよね。こういう話スキ。西欧の聖遺物を巡る争いと同じだもん。
まだまだ楽しい話は続く。
有名な白村江の闘いで、大敗を喫した日本であるが、その時の唐は日本まで攻めてこなかったが、玄宗の時代になると、彼は版図の拡大を図り、高宗の時代に実現しなかった日本侵略を思い立った。この噂が日本に伝わってきたので日本の神々が集まって危難を救う方法を協議した。なんかすごくないですか、この話。神風ではなくて、女に化けてたらしこむとは…。一番効率的且つ効果的な気がしますが…。しかし、日本の神様ってこういうのお得意?ヤマトタケルでも熊襲をうつのに似た様なことしてるし…と思ったら。
その結果、尾張の熱田大明神を選び、唐に送り込むことになった。唐に赴いた熱田大明神は、絶世の美女・楊貴妃に変身して玄宗の後宮に入り、その色香をもってまんまと皇帝をたらしこんだから、玄宗は日本侵略などさっぱり忘れてしまった。
やっぱり日本武尊と関連するんだって!楊貴妃が日本武尊の転生であったという伝承まであるそうな。そこまでいくと、SFか巷によくある○○ノベルズとかと一緒じゃん(笑)。
なお、熱田神宮の近くにも楊貴妃の墳墓地があったという話もあるが、貞享三年(1686年)に破棄されてしまったそうです。熱田社伝にも記されてるんだって。う~ん、これだから神社仏閣の縁起ってのは楽しいんだよね。あちこち旅してて、この手の古い社寺の縁起を読んだり、奥院の祭神を知ると、非常に興味深かったりする。
とまあ、ざっといろいろ抜き書きしてみたが、なかなか楽しめる本でしょ。暇があって、この手のものが好きな人は、古書店で探してみて下さい。きっと半額以下だし。暇つぶしには、いいと思いますよ~。
楊貴妃は茘枝(れいし)が大好物で、美容に良かったとか。長安から遠く離れた四川から運ぶ為に官吏や公文書の往来用の駅伝制を使って、超特急で運ばせていたとか…、役に立たない知識がたくさん増えます(笑)。
最後に、なんでこんなに私が大喜びでこの本を読んだかと言うと、私が大好きな澁澤氏にもまして一番崇め奉ってる夢野久作の「ドグラマグラ」がまさにここに着想を得てるのに改めて気付いたからです。勿論、小説中にいろいろと書かれていましたが、勝手にそれらの伝承も全て創作と勘違いしていました。まさか、本当に楊貴妃の墓とかそれに関する伝承が、こうして残っているとは…。ああっ、なんて迂闊な私。これ読まなければ、ドグラマグラの事を表面的にしか理解してなかったんだあ、とも自責の念に捉われてしまいそう。
だって、学生の時には「ドグラマグラ」に匹敵する小説が書ければ、世の中に生きた証が残せるから、満足してそのまんま死んでもいいとずっと思っていたのにね。死ぬ死なないは別にしても、やっぱり初心忘るるべからず。本当に見習いたいし、ああいった素晴らしい小説書けたら、後悔ない人生ですね。って、いうかその前に書けって!(自爆)
今、人生の中でも時間があるのに…。もう一度、ドグラマグラも読み返すか?初版、復刻版でも。もう3,4回は読み返してるけど、これ最高!! 映画もなかなかそそるしね(ニヤリ)。速攻でDVD買ったもん。
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関連サイト
湯谷観光情報
楊貴妃伝説 ロマン膨らむ/油谷町
長門市の観光文化 千年のロマン甦る「楊貴妃の里」
油谷町 楊貴妃の里
関連サイト
「色道禁秘抄」福田和彦 ベストセラーズ
日本に「楊貴妃の墓」があるとい話は聞いたことがありますが、場所までは知りませんでした。
神様が「女に化けてたらしこむ」というところが面白かったです。ところでヤマトタケルが女装して討ったのは、クマソだったような気がします。僕の記憶違いでしょうか?
本書とは関係ないのですが、夢枕獏「沙門空海唐の国にて鬼と宴す」にも楊貴妃が出てきます。遣唐使とのからみも作中に出てきます。読んでいれば面白いですが、それだけの作品ですので、読まれるなら図書館を利用することをお薦めします。例によって詩集のような小説ですがハードカバーで全4巻です。
あっ、ご指摘有り難うございます。そうです、熊襲でした。先日読んだ蝦夷がまだ頭に残っていて、無意識に蝦夷とか書いてました。早速、訂正しておきます(御辞儀)。
夢枕獏氏の私も読みました~。あの作品集なかなか楽しいですよね。鬼がたくさん出てきますし、サラって読めるし。実は、図書館で読んだのでした(行動読まれてる?)。でも、教えて頂くまで遣唐使の話のこと忘れてました。やっぱり、ブログにでも書いておかないと駄目ですね。本当に、読んでも記憶が怪しくて…。これからもお気づきの際にはいろいろ教えて下さい。ちなみに、橋姫とか、踏みつけられるあまのじゃきの話も結構好きでした。
楊貴妃が日本渡来していたのですか?ふむむ
面白そうな話です。
Alice-roomさんもドグラマグラお好きなのですね。
私も好きで昔何度も読みました。今も本棚に並んでいます。それに匹敵する小説を書こうと志した事があるのですね。是非挑戦してください。楽しみにしていますから。。。
冗談はさておき、時々あの本を読むと、その度に衝撃を受けている自分がいます。どこまでできるか分かりませんが、最初は短編からでも挑戦してみてみたいです。まずは、書いてみないといけないですね(笑顔)。
もともと、わきがは性的誘引物質を含んでいるので、あんなにメロメロにできたんではないかっちゅー話もあるみたいですが、(何かいい匂いがする・・・とかいう記述も残ってるし)
大陸ならともかく、日本でも喜ばれたんでしょうかね?
ドグラマグラがそんな話だとは、ついぞ知りませんでした。あれはコメディかと思ってました。
ちょっと読み返してみたいと思います。
そうそう、ドグラマグラですが、あそこに描かれているのって当時の最新知識や学説を背景にしていて非常にそそる内容だと思いますよ~。隔世遺伝うんぬんというのも、今は(種々の理由で)排除されていますが、当時ブイレクスルーとして脚光を浴びた説でロンブロォーゾの生来的犯罪人説とかを踏まえていますし、現在の遺伝子治療などと共通の土壌だと思います。
唐伝来の絵師というのも、実際に唐から渡ってきた人々(亡命貴族等)がいたのも歴史的事実らしいですし、かなり有り得るものを踏まえているようです。勿論、チョンガレ節とかコミカルな部分が多いですが、逆にあれが背景の深刻さとの対照で興味深いかも?
ただ、アクが強いのも事実ではまる人は熱狂的にはまるみたいですよ~。夢野氏の父が右翼団体の大物というのも、そもありなんって感じですしね。
なんか長々とすみません。結構、裏読みしても楽しいですよ~。
私は本当に昔の中国の興味があるんですよ~
それじゃバイバイ
私は、楊貴妃が、日本に来たという証拠をいくら積み上げても、学会は無視するだけだと思いますよ。😓
私は龍神楊貴妃伝という作品を書いて、これを証明しています。😇
しかし、私の言う事に、お金を出してまでの価値があるかどうか・・・おそらく信じていただけないでしょう。
そこで、5月25日午後5時〜30日午後5時まで、電子書籍版の無料配信をしていますので読んでいただけませんか?
もし読んで、あほらしいと思ったら、三吉 不二夫氏の「楊貴妃墓の謎」への書評で書いていただいているような調子で、おもいきり馬鹿にしていただいてかまいません。
どうぞ、よろしくお願いします。😊
龍神楊貴妃伝1「楊貴妃渡来は流言じゃすまない」
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龍神楊貴妃伝2「これこそまさに楊貴妃後伝」
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