2007年10月30日

「ロマネスクの図像学(上)」~メモ

「ロマネスクの図像学」(上)で気になった所を抜き書きメモ。
四、五、六世紀のキリスト教芸術が二つ存在したこと。
1)オリエントのギリシア的大都市、アレクサンドリア、アンティオキア、エフェソスのキリスト教芸術
2)エスサレムやシリア諸地方のキリスト教芸術

マギの礼拝図
1)ヘレニズム型 聖母が横を向いている
2)シリア型 聖母が正面を向いている
以前、柳宗元氏の本でキリスト教美術におけるカッパドキアの意義を指摘されていたが、本書を読んでようやくその指摘の重要性が分かりました。『縁無き衆生は度し難し』だったんでしょうね、私って。
(P117)
シャルトル大聖堂の十二世紀のステンドグラスとプリネーの壁画は、この同じ形態のもとに「洗礼」を描いている。
(形態・・・二つの特徴
 1)水に浸されたキリストはその裸体を自らの両手で覆っている
 2)キリストが浸されている川は奇妙な外観(=釣鐘状に広がるドーム型)を呈している)
(P119)
シャルトルの西正面の柱頭彫刻
「エルサレムの入城」ギリシアの古い型(←オリエント型:驢馬に座っている)
・キリストは驢馬にまたがり、座っていない。
・二人の若者は自分のテュニックを敷き、他の者達は木の枝を切り、使徒達はキリストに付き従っている。
(P122)「弟子の足を洗う」場面。オリエント型
シャルトルのステンドグラスはカッパドキアの壁画の全体的な配置やその細部を驚くほど正確に再現している。ペトロの足を両手でつかみながら身をかがめるキリストの姿勢も、頭に手をやるペトロの身振りも構図の両端に二つの集団をなしている使徒達の配置もみな同じである。
(P135)
注目すべきは十二世紀のフランスの全ての「磔刑図」において、キリストが四本の釘で十字架につけられていることである。これはオリエントの非常に古い伝統に従ったものであり、その表現は十三世紀はじめまで続いていたのだが、この頃古い習慣が崩れ、フランスでは釘が三本に減らされ、両足を重ね合わせて釘付けされた表現に変わるのである。
(P149、150)
十二世紀フランスの諸作品はビザンティンのオリジナルよりはるかに古いモデルに着想を得ていることが認められ、ヘレニズム系芸術やシリア系芸術によって全て説明される。

 メロヴィング時代とカロリング時代にガリアはオリエントからこの初期キリスト教美術を伝える多くの挿絵入り写本を受け取った。そして十二世紀まで、ガリアはこの古い遺産を継承し続けたのである。

 ビザンティン芸術はいわざ豊かな遺産を受け継いだ新参者のようにしか思えないのである。
ビザンティン自体が豊かな伝統の継承者とする視点は非常に新鮮に感じました。

あと、彩色写本って実は中世においてはデザイン集でもあったんだなあ~というのが、率直な感想です。
(P169)「イエス・キリストの幼少時代」に捧げられたシャルトルのステンドグラス。
「降誕図」聖母と聖ヨセフと幼子。幼子は二匹の動物達の間で眠っている。
オリエント芸術の修正点:
・聖母の寝ているのは藁布団ではなく、寝台になっている。
・幼子の寝ている場所は秣桶ではなくて祭壇になっている
 ←教父たちの考えたように祭壇と同一視される秣桶であり、誕生の時から生贄として示されている幼子をそこに見ている。
そう、こういった見方を知らないでは、写本もステンドグラスも真の意味で堪能できない!
(P171)「イエス・キリスト洗礼」
オリエント図・・・立ち会う天使達は差し伸べられた両手をチュニック自体が包み込んでいる。これは敬意によって両手を覆い隠しているのだが、フランス人には不明
 ↑
シャルトルのステンドグラス・・・チュニックをキリストのものとして天使が持っている図になっている
(P179)
キリストの言葉によって開かれ、その獲物を吐き出す怪物のあご、ユダの恐ろしい死者の国の入口が列のところで既に説明したように「ヨブ記」のあのレヴィアタンの口なのだからである。
レヴィアタンって、やっぱポイントですね。時祷書でもひときわ目を惹きます。
(P189)「神殿への奉献」
蝋燭祝別行列を記念して、二人の侍女が火を灯したろうそくを持って立っているデザイン
 ↑
オータンのホノリウスによると
「人の捧げ持った蝋燭のろうはキリストの人性を、その光はキリストの神性を表している」
これも同じく象徴性の解釈。
(P231)
シュジェールの詩より
「愚鈍なる精神は物質を経て真実にまで昇る」
(P230)
中世の図像は建築、彫刻、ステンドグラスに劣らず、多くをサン・ドニに負うていると私は確信する。シュジェール大修道院長は象徴主義の領域における創始者であった。彼は芸術家達に新しい型や新しい組合せを提示し、次の世紀がそれを取り入れてゆくことになる。
(P249、250)
サン・ドニのステンドグラスのデザインにある、キリスト教会とユダヤ教会との間に立つイエス。イエスは右手でキリスト教会に冠をかぶせその一方の手でユダヤ教会の顔を覆うヴェールを持ち上げている。

シュジェールの詩:
「モーゼがヴェールで覆ったものが、キリストの教えによってあらわにされる」
VS
アウグスティヌスの「神の国」:
「旧約聖書はヴェールで覆われた新約聖書以外のものではなく、新約はヴェールを脱がされた旧約以外のものではない」
この考え方って、その後至るところで目にしますね。
(P280)
シュジェールの書物の一節
「パウロは挽き臼で小麦粉からぬかを取り去り、
モーゼの律法の深遠なる意味をあらわにした。
かくも多くの穀粒からぬかの無い真のパンを、
われら天使の永遠の糧を作った。」

意味は、旧約聖書は聖パウロの象徴的方法によって解釈された時、全部新約聖書に変化するということ、つまり、モーゼと預言者の麦は純粋な小麦粉となり、教会はそれによって人々を養うのだということである。
『神秘の水車』とかは、み~んなこの手の類いです。ルター時代の印刷図版にもよく使われてたのを思い出しました。
(P256)
エッサイから一本の大木が生えている。王たちは次々に重なって象徴の木の幹を形成しつつ、段状に並んでいる。彼らは王杖も手にせず、吹流しも持たず、後になって見られるような聖琴を奏でる事もない。彼らは何もせず、ただそこにいるだけである。というのも、彼らの本当の役割は使命を与えられた一族を受け継ぐ事なのだからだ。
 彼らの最後に聖母が玉座に坐し、その上に、精霊の七羽の鳩が頭上を舞う神が君臨することになるのは、まさに彼らがいたからこそなのである。木の両側には、肉の系譜に対する霊のそれのように予言者達が重なっている。神の手、あるいは彼らの頭上の雲の間から現れる鳩が、彼らが霊の息吹を受けた者である事を示し、彼らに使命を授ける。
 代々、彼らはエッサイのひこばえの君臨を予言し、同じ希望の言葉を繰り返す。これが驚くべき新たなる図像のあらましである。
 一つの細部が、この図像の神秘から生じるあの美を付け加える。エッサイはベッドの上に横たわった姿で描かれている。彼は眠っている。日が暮れ、点じられたランプが彼の頭上に吊るされている。つまり、彼が未来を見るのは、夢の中でのことなのだ。この眠り、この夢、この予言的な夜のなんと黙示録的壮大さであろうか。
 そしてまた、「エッサイの株から一つの芽が萌えいで、その根から一つの若枝が育ち、その上に主の霊がとどまる」という『イザヤ書』の一節を図像かするなんという雄大な構想であろうか
こういったことを知らないで見たのでは魅力半減というのも頷けるでしょう。
(P258)
シャルトルのステンドグラスの中で「エッサイの木」の両側に段状に並ぶ預言者たちがまさしく典礼劇のそれと同じである事は注目に値する。いくつかの特殊な細部はとりわけ示唆的である。シャルトルでは、ハバクク、ソフォニア、ザカリア、ヨエル等のそばにモーセ、バラムがいるのだ。この二人は普通は預言者の中には入っていないが、このステンドグラスの中には姿を現している。それは彼らが典礼劇に登場しているからなのである。
・・・
しかし、さらにもっと決定的な証拠がある。シャルトルではモーセただ一人が片手に持つ吹流しにその予言を書き記しているが、不完全な形で書き写されたこの言葉は「神は汝らを励まさん・・・」と読める。ところで、それはモーセが「預言者劇」の中で発する言葉そのものだ。
文字は読めなくても、今度行ったら是非確認したいものです。双眼鏡持参でね。
(P261)
至る所で、玉座につくキリストを頂点とするユダヤの王たちの幹が見られる。聖母はわが子の足元に座を占めている。後に聖母崇敬が盛んになると、この木の頂点に立つのは彼女となる。たしかに彼女は幼子を抱いているが、しかし、ここで讃えられているのはむしろ彼女の方であるように思える。その時、「エッサイの木」は聖母の系統樹となる。かくして「エッサイの木」は最初の構想ともシュジェールの思想とも決定的に離れてしまうことになるのだ。
posted by alice-room at 22:01| 埼玉 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 【備忘録B】 | 更新情報をチェックする
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