2007年11月02日

「食人国旅行記」澁澤龍彦 河出書房新社

本書は四巻から成る「アリーヌとヴァルクール」の物語中、第二巻だけを採り上げて独立した物語としたものだそうです。最初は桃源社から出たものが、現在、河出書房から文庫で出ています。

私は確か桃源社で持っていてはるか昔に読んだと思いますが、たまたま文庫で見つけて改めて購入して読みました。

全然、時代的な古さを感じません。というか、その鮮烈な開明的(啓蒙的)思想性に久しぶりに感動しました!!

最初は、恋する二人の愛の逃避行で始まるため、ロミオとジュリエットのラブロマンスかよ~と思いますが、どうして&どうして、二人の運命は暗転直下、激動の渦中に投げ込まれます。

運命に翻弄される二人。主人公は本来有り得べからざる(ような特異な習俗・慣習・文化を持つ)国々を訪れます。

そして、そこでおよそ当時の良識人且つ理想に盲目な若者が到底許容できない価値観にさらされるのですが、彼はそれまでの自らの価値観を根底から揺さぶるような状況に置かれます。

あまりにも残虐で無慈悲且つ階級を是する国もあれば、あまりにも聡明且つ人道主義的で徹底的な平等を是とする国もあり、それらの両極端性が著しく際立って描写されています。

前者においては、家庭では女性を完全に家畜以下と看做し、人民対国家では人民を牛馬以下の奴隷と看做す描写は、怖気や嫌悪感を催すほどですが、後者において余りにも理想的な幸福の中で無邪気に生きる市民も憧れてやまない理想郷ではあるものの俗物たる私にはまさに有り得ない楽園幻想としか思えない。(でも、私はこの国に憧れてしまう)

ただ、誤解してはいけないのはこれは、あくまでも合理的思考を突き詰めていったうえで提示された一つのモデルであり、著者が置かれていた時代的・個人的状況と無関係ではないことです。

トマス・モアの「ユートピア」論とは異なるものの、現状への不満が思索の下で昇華されたものと言えるだろう。まして、現代の矮小な『常識』レベルから、判断すべき作品では決してない。その点だけは力説できるだろう。

柔軟で、理性的な思考能力を持ち、(サドについても予備知識があれば、更にOK)常に政治的な視点を欠かさない人物なら、本書で物語のスタイルをとって示される、あまりに進歩的というか超絶的な『合理性』の姿にある種の神々しさを覚えるかもしれない。少なくとも、私の胸を強く打ったことは事実である。

ただ、TVや新聞記事読んで、ふう~んと納得してしまう人には絶対に合わない本です。これだけは間違いないでしょう! まかり間違えば、反体制的な思想の持ち主と誤解されかねない危うさと不穏当性があります。

実際、普通の人には毒が強過ぎる文章であり、思想です。でも、これこそがサド文学のサドたる所以と私は思いっきり肯定しちゃいますけどね。普通の人と話すと、逆に言うと一番理解されない点ですね。特に、日本の人はこの手の話が苦手みたいだし。

勿論、本書で出てくる考え方でも個々の部分は、おかしいと思うし、私的には正反対のものも多数あるのですが、そんな枝葉末節などどうでもいいほど、本質的に『来るモノ』があります。

タフな思考能力と精神力のある方にお薦めしめす。言葉は悪いけど、『ゆとり教育』で育った世代には辛いと思います。安保とか周りに流されてるだけで主体性のない世代にも合わないような気がしますねぇ~。
(どんな世代だ、私?っという話もあるが・・・)

そうですね、いわゆる『ユートピア』論から別次元に行ってしまった感のある世界です。しかし、この作品に着目した澁澤氏はやっぱり改めて凄いなあ~と今になって思いました。残念ながら、最初に読んだ時には全然理解できていなかった自分に気付きました。こんなもんです。

少しだけ以下に文章を引用してみましたが、万人向きではないでしょう。
土人の隊長は、あわれな捕虜たちを点検し、六人だけ前に出させて、隊長みずから棍棒をふるって、一撃のものに彼らを殴り殺してしまいました。すると、部下の四人が、殺された人間の身体を切りこまざき、血のしたたる肉片を、隊員一同に分配するのでした。どんな肉屋だって、これほどすばやく牛の肉を切りこまざくことはできなかろうと、思われました。

 それから土人たちは、わたしのよじのぼっている木の隣の木を根元から引っこ抜くと、枝を取り除き、これに人をつけて、今切りこまざいたばかりの人間の肉片を、その炭火の上でこんがり焼くのでした。ぱっと焔が燃えあがると、さっそく土人たちは、肉片をうまそうにがつがつ食ってしまいました。
ここまでは普通の物語で済むのですが・・・。
「人肉食の習慣を品性の堕落だなとど考えては困るな。人間を食うことは、牛を食うことと同様に単純なことだよ。いったいきみは、種の破壊の原因というべき生存競争を、けしからぬ悪だなどと思っているのかね。それに、この破壊ということが一旦行われてしまった以上、解体した物質を土の中に埋めて葬ろうと、あるいはおれたちの胃の中におさめてしまおうと、まったくどちらでもよいことではなかろうかな?」
段々と、世論の反発が高まってくる雰囲気が漂ってきます。特に、西欧キリスト教文化にとっては、タブーに触れる内容です。
悪徳の数が減れば、法律がたくさんあることは無駄になります。法律を必要とするのは罪悪です。罪悪の量を減らし、みんなが罪悪だと思っているものが、実は自然のものにすぎないということを認めれば、法律はたちまち無用のものになります。

 ところで、どんな気紛れな行為でも、どんな卑賤な行為でも、それが社会に対して何らかの侵害をもたらすということは絶対にありえません。賢明な立法者によって正しく評価されるならば、それらは全て、危険なものと見なされるわけにはいかなくなるのです。ましてや、罪悪だなどと見なす事は不可能になります。

 われわれはもっと法律を廃止すべきであるましょう。法律などというものは、暴君が自分の権威を証明するためにに、人民どもを彼らの気紛れに服従させるために作ったものにすぎないからです。ひとたび法律を廃止するならば、われわれを縛っている多くの束縛はなくなって、その結果、この束縛の重圧に苦しんでいた人間は、ほっと息がつけるようになるはずです。
法家の思想を高く評価する私とは正反対ではあるものの、論理的な思考の進め方でこの手の文章が延々と続きます。面白いんだけどなあ~。私は好き。

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posted by alice-room at 19:17| 埼玉 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 【書評 海外小説A】 | 更新情報をチェックする
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