2007年11月12日

中世思想原典集成 (3)~メモ「天上位階論」「神秘神学」

「中世思想原典集成 (3) 」上智大学中世思想研究所 平凡社

を読んで大変な感銘を受けたが、悲しい事に私の頭はすぐ忘れる。今回、画像データとして保存しておいたがテキスト化できなかったので止む無く、『天上位階論』の解説部分だけを手打ちでメモとして残しておく。

この作業をしておかないと、他のところで参照したりする時に、絶対に探し出せないような・・・気がする。面倒だったが、入力作業をしながら何度も読み直したことで、少しだけ内容の理解が深まった気がする。
『第七書簡』において「デュオニュシオス」を自称しているこの著者の正確な名前はギリシア語では「デュオニュシオス・(ホ・)アレオパギテス」(Dionyosios Areopagites)と称される。この名前を構成している「デュオニュシオス」ギリシア人である彼の固有名詞であるが、「アレオパギテス」のほうについては、若干説明を要する。

 古代ギリシアの神話にあるオリュンポス十二神の中の主神であるゼウス(Zeus)とその妻ヘラ(Hera)の息子に「アレス」(Ares)という軍神がいた。この「アレス」に由来する「アレイオス」というギリシア語は「アレスに捧げられた」を意味する。他方で、ギリシア語「パゴス」は「丘」を意味しているので「アレイオス・パゴス」(Areopagus)とは「アレスの丘」という意味になる。丘は今日もそれらしい面影をいくぶんか残してアテナイのアクロポリスから約300メートル西にある。そこには古代アテナイの最高法院が置かれていたために、元来は丘の呼称であったその「アレイオス・パゴス」という言葉は、当の最高法院そのものをも指す言葉となった。「アレオパギテス」とはその最高法院の議員(裁判官)のことである。この機関は殺人、毒殺、放火という重犯罪を審理するほかに、官憲の監督、法律の保護を任務とし、その議員はアルコーン(執政官)の経験者から選ばれ、終身制であった。それゆえ、「デュオニュシオス・(ホ・)アレオパギテス」とは「アレイオス・パゴス(アレオパゴス)の議員(裁判官)のデュオニュシオス」ということになる。

 この人物は新約聖書「使徒言行録」に「彼[パウロ]について行って信仰に入った者も何人かいた。そのなかにはアレオパゴスの議員デュオニュシオス(デュオニシオ)、またダマリスという婦人その他の人々もいた」(使17:34)と述べられている人物にほかならない。すなわち、彼は、アテナイで布教した使徒パウロによってキリスト教に入信したあるギリシア人であり、したがって使徒パウロの直弟子であるが、しかし彼はパウロに師事した後、「パウロに次ぐ」偉大な神学者ヒエロテオス(Hierotheos)なる人物に師事し、その教えを伝えようと著作を著したのである。それゆえ彼は使徒時代に属する最初の教父とみなされることになり、特別に高い敬意を払われるようになった。彼の著作は後に「デュニュオシオス文書」(Corpus Dionysiacum)あるいは「アレオパギテス文書」(Corpus Areopagiticum)と呼ばれ、キリスト教関係の文書のなかでも他を圧して「聖書に次ぐ権威」さえもつようになった。そればかりか、その関係が逆転されて真プラトン主義者たちの先駆者であると誤解されるようにもなったのである。

 しかし十九世紀末から二十世紀初頭にかけてなされた実証的な研究によって、実は「デュオニシュオス文書」が使徒時代に書かれたものではなく、紀元500年頃に書かれたものであることが確証された。すなわち、「デュオニュシオス文書」は当のデュオニュシオス・アレオパギテス自身の著作ではなく、偽書であることが判明したのである。だが、真の著作者が誰であるかということはいまだに確定されていないために、今日ではその著者を「偽デュオニュシオス」(Pseudo-Dionysios)と呼んでいるのである。

「デュオニュシオス文書」は『神名論』、『神秘神学』(De mystica theologia)、ここに訳出した『天上位階論』(De coelesti hierarchia)、『教会位階論』(De ecclesiastica heirarachia)、10通の書簡(Epistulac)から成る。ギリシア語原文が失われてラテン語訳だけが存在している第11番目の書簡というのあるが、それは後で追加された偽書であるとされている。

 これら一群のギリシア語文書は六世紀前半から東方キリスト教思想界に流布しだす。思想界に登場した当初からこの著作に対する疑いがもたれたりしたが、しかし特に七世紀偽に証聖者マクシモス(Maximos Homologetres 580-662年)によりその文書の真作性が確信されるようになると、東方ギリシア語思想圏では急速に広く受け入れられ、高い権威を有するようになった。
 
 他方、西方ラテン語思想圏では「デュオニュシオス文書」の写本が758年に教皇パウルス1世(在位757-767年)から小ピピン(フランク王在位751/52-768年)に贈られた記録があるが、この文書が思想界で注目を浴びるのは、827年にビザンティン皇帝ミカエル二世(在位820-29年)がフランク王国のルートヴィヒ一世(敬虔王。フランク王、皇帝在位814-40年)にその写本を贈呈したときからである。西方で「デュオニュシオス文書」に対する関心が高まったのには、この時代がいわゆるカロリング・ルネサンスの時代で、知識人のあいだでギリシア文化に対する強い関心があったという事情もあるが、特に当時王国の教会政治の中枢にいたヒルデゥイヌス(855/61年没)の果たした役割が大きい。

 ヒルドゥイヌスは、教会政治に対する思惑から、「使徒言行録に記されたこのデュオニュシオスと、パリの初代司教として殉教したデュオニュシウス(フランス語で「ドニ」[Denis]、サン=ドニ[Saint-Denis]と呼ばれた)とを同一人物(実は別の人物)だとし、さらにパリ初代司教のデュオニュシウスはパリの司教も任命されたのではなく、全フランク王国の使徒、つまり教皇代理に任命されたとする虚説を立てた(この点に関しては、本集成第六巻「カロリング・ルネサンス」所収のヒルドゥイヌス『聖デュオニュシウスの生涯』参照)。そのため、デュオニュシオスはフランク王国と、なかでもデュオニュシウスを守護聖人とするサン=ドニ修道院(ヒルドゥイヌスはここの修道院長であった)と特別な関係をもつ人物となっていた。パウロの弟子のデュオニュシオス・アレオパギテスとパリの初代司教のサン=ドニとの同一視は以後エラスムス(1466/69-1536年)に至るまで続いた。

 「デュオニュシオス文書」は初めヒルドゥイヌスによってラテン語訳が試みられたが、これは公にされなかった。九世紀にエリウゲナ(またはヨハネス・スコトゥス 801/25-77年以降)によってラテン語訳行われるとともに、『天上位階論』に対する註解書(『天上位階論註釈』)も著されて、以後「デュオニュシオス文書」は西方においても東方と同様に絶大な権威をもって受容されていき、ラテン語訳は十七世紀までに15種類の翻訳が行われたほどである。かくて、「デュオニュシオス文書」は真作性をほとんど疑われることなく東西キリスト教思想界において高い権威をもって受容された。その真作性が疑われたのはとりわけルネサンスと宗教改革の時代以降であり、その後、述べたように、十九世紀末に至って偽作性決定的に明らかにされた。

 偽デュオニュシオスが「われわれは自分から率先して言うつもりはまったくないけれども、しかし、神について教えている聖なる人々が天使の様子から観想した限りで、われわれに教示されたことを可能な範囲で説明することにしよう」と述べていることからも窺えるように、彼は自分自身の立場をキリスト教の伝統的な教えの伝達者にすぎないとしている。彼の言う「神について教えている聖なる人々」には、彼の師であるパウロをはじめ、新約の聖書記者と旧約の預言者たちも含まれているのみならず、もう一人の彼の師ヒエロテオス(実在の人物かどうか不明)も含まれている。パウロの著作は聖書そのものであるが、ヒエロテオスの著作は偽ディオニュシオスにとって「いわば第二の聖書」と位置づけられている。つまり、「ディオニュシオス文書」が言明している限りでは、彼がキリスト教の伝統的な教えとして直接依拠しているのは聖書とヒエロテオスの著作である。しかし、実際にはそのほかにニュッサのグレゴリオス(335-94年)をはじめとするカッパドキアの教父たちやアレクサンレイアのクレメンス(150頃-215年以前)をはじめとするアレクサンレイアの教父たちにも依拠しているところがある。

 ところが、ヒエロテオスが使徒の仲間であるいう設定にもかかわらず、ヒエロテオスが著している(ことになっている)思想の伝統は、実は異教的な新プラトン主義と深い関係を有しているのである。つまり、偽ディオニュシオスがヒエロテオスから伝承されたとしている思想には、偽ディオニュシオスと同時代(5世紀)の異教的新プラトン主義者であるプロクロス(410/12-85年)の思想との密接な親近性が明白にみてとれるのである。シェルドン=ウィリアムズという現代の一研究者は、偽ディオニュシオスが自分の師匠ヒエロテオスを使徒の仲間に設定したのは、この人物を通じて異教の源泉に権威を与えるために考案した虚構であると見ている。

新プラトン主義もキリスト教もヘレニズム時代の混淆主義(シンクレティズム)という思想状況の下に成立し、展開したものである。そして両思想の関係そのものも初めから混淆主義の内にあったのである。新プラトン主義はプラトン主義を機軸としつつもアリストレスやストア学派やグノーシス主義やピュタゴラス学派その他当時行われたほとんどすべての思想を自らの思想の構成要として取り込んでいるし、この学派の実質的な創立者であるプロティノス(205頃-70年)の思想はキリスト教の立場からは異教的な思想であったにもかかわらず、すでに、東方ではニュッサのグレゴリオスなどにより、西方ではアウグスティヌス(354-430年)などにより、キリスト教の内に受容されていたのである。偽ディオニュシオスと新プラトン主義との関係について哲学史的に重要なことは、プロクロスに代表される後期新プラトン主義が偽ディオニュシオスを通して初めてキリスト教の内部に流入することによって、初期から後期までの新プラトン主義の思想の全体像がキリスト教思想界に知られる事になったことである。そして初めこの東方に起ったのと同じことが、西方ラテン語思想界でもエリウゲナの「ディオニュシオス文書」の翻訳と註解書(『天上位階論註解』)および彼自身の著作『プリフュセオン』(Periphyseon 本集成代六巻所収)を通して九世紀に起ったのである。こうして「ディオニュシオス文書」の登場によって、新プラトン主義の全体が東西のキリスト教思想界において重要な思想財となるのである。

 偽ディオニュシオスと新プラトン主義との関係として一つ注意しなければならないのは、プロクロスが偽ディオニュシオスの思想源泉であるということがしばしば言われるが、しかし偽ディオニュシオスに見出される新プラトン主義的概念や思想の枠組みには、かならずしもプロクロスにのみ帰することができない部分があることである。プロクロスと偽ディオニュシオスとに共通する、先行の新プラトン主義的源泉を想定する必要があろう。しかし、残念ながら、その方面の研究はほとんど進んではいない。

 偽ディオニュシオスが新プラトン主義に負っているもののなかで最も顕著なものは神秘的神術(神の働きを惹き起こす術)であることが指摘されている。従来のキリスト教がさまざまな点で新プラトン主義から影響を受けていた中で、この面に関しては影響は受けていなかったのに対して、偽ディオニュシオスはニュッサのグレゴイオスによる聖書の神秘的解釈と密接な関連をもちつつも、それに加えて神秘的神術を導入した。それは、一言で言えば、魂の上昇は、まず教会の位階における儀礼と祭式を通して、次いで天上の秩序と働きの結果、起るとするものである。

 偽ディオニュシオスが新プラトン主義から取り入れたもう一つの重要な概念はトリアスの概念である。トリアスというのはギリシア語は元来は三という数を表しているが、新プラトン主義においては特に一元的であると同時に三元的であるものを意味している。つまり、もっと具体的に言えば、三つのものが相互に関連して一つの構造や働きをなしていることである。トリアスの概念はすでにキリスト教の三位一体(この言葉の下のギリシア語も「トリアス」である)の教義にも現れ、ニュッサのグレゴリオスなどのカッパドキア教父たちにも広く応用された概念であるが、後期新プラトン主義のもろもろのトリアス概念は偽ディオニュシオスに対してはその思想の全体にわたって、つまり思想体系の基本的枠組みとして、あるいはもろもろの思想の要素概念として、いっそう広範な徹底した影響を与えている。彼の著作に頻出するトリアスの例を挙げれば、(1)あるものがそれ自身に不変にとどまっている相(止留)、(2)それ自身から出て結果を生み出す相(発出)、(3)結果が出てきた源へ回帰する相(還帰)、あるいはまた、(1)分有されず、分有しない相、(2)分有される相、(3)分有する相、あるいはまた、(1)それ自体として存在している相(存在)、(2)発出によって結果を生み出す作用因として存在している相(力)、(3)結果が還帰していく目的因として存在している相(作用)、そのほかがある。

 トリアス概念と密接に関連して偽ディオニュシオスが新プラトン主義から取り入れた方法的・構造的概念に弁証法がある。これはプラトン以来の一(いつ)と多あるいは総合と分割の弁証法の系譜に連なるものである。偽ディオニュシオスの「神についての教え」(文字通りには「神学」だが、本巻収録『神秘神学』解説参照)の最高で最も基本的な概念は「神性の根源」であるが、これは究極の自己同一性に止留しながらも、多様なる被造物に発出する。この発出の過程が一性から多性への分化、分割という上昇の弁証法であり、その逆の多性から一性への還帰の過程が一化、統一という上昇の弁証法である。この二種類の弁証法によって、最高の普遍的一性においてある神性の根源(厳密にはこれは一性をも越えている)から最低の特殊的多性においてある被造物に至るまでの一切がヒエラルキーを成す構造的連関において理解される(拙論「偽ディオニュシオス・アレオパギテスにおける思惟の構造と神学の位置付け」『文化と哲学』第五号1986年、20-39頁参照)。そして、偽ディオニュシオスの「神についての教え(神学)」の体系もトリアス的弁証法構造を成している。神性の根源が被造物に発出する相、すなわち下降の弁証法の局面に対応しているのが肯定神学であり、被造物が神性の根源に還帰する相、すなわち上昇の弁証法の局面に対応しているが否定神学であり、それ自身に止留している相、すなわち肯定も否定も超えた局面に対応する神学が神秘神学である。

 偽ディオニュシオスの思想では、神の次元領域と被造物の次元領域とが大別されるが、被造物の次元領域はさらに知性によって捉える事のできる時限領域(可知的世界)と感覚によって捉えることのできる次元領域(可感的世界)とに区別される。この後の方の区別はプラトン以来の伝統を踏襲している。天上界とは知性によって捉えることのできる次元領域であり、そこに存在している非質量的知性が天使である。『天上位階論』はこの天使の位階を論じている。

 「位階」と訳された元のギリシア語は「ヒエラレキア」であり、これは現代日本語として「ヒエラルキー」と言われて日常的にさまざまな分野で使われている。実はこの言葉を最初に使用したのほかならぬ偽ディオニュシオスである。もっとも、この言葉の派生源である「ヒエラルケース」という言葉は「(高位)聖職者」という意味でキリスト教以前から使われている。「ヒエラレケース」は偽ディオニュシオスにおいて一般的に「聖なる物事に関する創立者、司令者、支配者」の意味で使われており、本訳ではそれが天使である場合は「司令者」と、旧約時代(ユダヤ教)の聖職者の場合には「祭司」と、新約時代
キリスト教)の聖職者の場合には「司教」と訳した。

 ヒエラルキアは元来は「聖なる物事に関する創立、司令、支配」を意味しており、偽ディオニュシオスにおいてこの意味で使われることもあるが、多くの場合それは被造的世界の階層的秩序全体ないしその各部分(全体の位階を構成する各階層(階級)は多くの場合、「ディアコスメーシス」と呼ばれる」を意味しているが、同時にそれは神が顕現する場でもあって、そのような意味ででのヒエラルキアは本訳では「位階」と訳した。偽ディオニュシオスは位階を次のように定義している。「位階とは、できるだけ神に似たものになるところの、また神から自分に与えられた照明に応じ自分の能力に従って神を模倣すべく上昇するところの聖なる秩序であり、知識であり、活動である」。つまり、「秩序」、「知識」、「活動」のトリアスが位階を形成している。「秩序」は、止留、発出、還帰というトリアスの動的構造として確立されているが、このトリアスは相互に一定の法則により関係し合って多様な位階の体系に展開する。隣接する階級のあいだでは直接的に交流し、離れている階級のあいだでは中間の階級を介して交わる。「知識」は神の照明を下位の階級に伝達し、「活動」は照明の源へ引き上げる。

 偽ディオニュシオスは被造敵世界を上位のものから下位のものへと、天使、人間、事物の三階層に区別し、それぞれに天上の位階、教会の位階、律法の位階を割り当てている。これらのうちの初めの二つに関してはそれぞれ『天上位階論』と『教会位階論』という著作が残されているが、最後の律法の位階に関してはそれを主題にした著作はない。律法の位階は感覚によって捉える事のできるレヴェル、教会の位階は感覚によっても捉えられると同時に知性によって捉えることのできるレヴェル、天上の位階は知性によって捉えられることのできるレヴェルであり、魂はこの三つの段階を上昇して神性の根源に向かう。

 『天上位階論』は天使の秩序組織と機能と体系的に解説したものである。天上の位階もトリアスによって構成されている。すなわち、大別して上位、中位、下位の三階級に分けられ、各階級が三隊に分けられている。最上位の階級には熾天使(セラフィム)、智天使(ケルビム)、座天使(王座)が属し、中位の階級には主天使(主権)、力天使(力)、能天使(能力)が属し、最下位の階級には権天使(権勢)、大天使、天使が属している。この構成を見ればわかるように、「天使」というのは天上的知性の全体を指す場合とそのうちの最下位のものを指す場合がある。最下位の知性が特に「天使」と呼ばれるのは、その階級の知性がわれわれ人間に最も近い位置にいて神の神秘をわれわれに伝達する働きが、われわれの方から見るとまさに「使者」としての働きであるからである。
 
 天使のすべては質料からの自由な知性そのものであって(存在)、自分自身が自分自身を知性認識する(作用)ことができる(力)。それゆえ、存在(ウーシア)、力(デュナミス)、作用(エネルゲイア)というトリアスの各要素はすべての天使において互いに不可分に結び付いて互いを包含している。

 偽ディオニュシオスは天使を指すのに「知性」とか「存在」とか「力」など多様な呼び方をしている。このうち、「力」とはもともと旧約聖書で「天の大軍」とか「万軍」とか「天軍」などと呼ばれている神の「軍」のことであるが、それは多くの場合、旧約聖書における天使に対する呼称なのである。

 『天上位階論』が後の思想に与えた影響として特に取り上げなければならないものの一つは、大教皇グレゴリウス(在位590-604年)やダンテ(1265-1321年)に見られるように、中世の全時代を通じて行われた天使論に対する決定的な影響である。また、『教会位階論』とともに『天上位階論』はキリスト教の宗教的象徴の解釈の方法と理論に対しても大きな意義をもった。すなわち、『教会位階論』は宗教的儀式の象徴的行為に関して、『天上位階論』は天使と神に対する象徴的名称に関して、それらの解釈方法と理論の基盤を提供した。 

 もう一点触れておかねばならないのは、中世の美学や美術に対する影響である。偽ディオニュシオスにおいては、感覚で捉えることのできる物質的な美しさはすべて神的な美を分有しており、したがって、それは神的な非物質的・知性的な美しさを象徴する。それゆえ、この世のあらゆる美はわれわれを神へと引き上げる手段となる。『天上位階論』に述べられているこの神学的美学は、九世紀にエリウゲナによってラテン語訳とその註解(『天上位階論』)によって西方思想界に流入することになった。エリウゲナにとっては目に見えるものも見えないものもすべての被造物は「神現」ないし「神の現れ」であり、この世のすべての美しさは神的な美に導く階梯である。そしてエリウゲナやサン=ヴィクトルのフーゴー(1141年没)を介してサン=ドニ修道院の院長シュジェール(1081頃-1151年)は偽ディオニュシオスに鼓舞された美学思想を展開した。彼がサン=ドニ修道院に新しく建てた聖堂がゴシック様式の最初の建築であったかどうかは別にしても、石やステンドグラスなどの建材も含めて聖堂という建物の美が神の美にわれわれを導くものとして解釈したことにより、彼はゴシック建築に美学的基礎を与えたのである。
解説も大変分量があるが、本文はもっとある。しかし、ゴシック建築を理解するには絶対に必要だと思った。『天上位階論』や『黄金伝説』を読まずに、シャルトル大聖堂の解説をする人を私は絶対に信用しないだろう・・・。

ゴシック建築に関心を持つ方には、絶対に目を通すべき本だろう!! これを日本語で読める幸運に感謝&著者達の労作に感謝。

聖書に次ぐ権威が認められていたことも驚きながら、教会における宗教的象徴の解釈や理論に影響を与えたって凄くない?! それって当然、象徴儀式である典礼にも直接的な影響があったんでしょう、おそらく?

まさにキリスト教の根幹に関わる書だったんではないでしょうか? これを知らずしてゴシックの『大聖堂』を理解するとは、やっぱり論外だよね。本書を読まなければ、私は全く知らないままでした。

ゴシック建築やゴシック美術の本を読んでも、ここまで本質的な要素に遡って解説してないもんなあ~。ほとんどの場合。

前川道郎氏の「ゴシックということ」という著作を読んで初めて、ディオニュシオス偽書に関心を持ったおかげです。あの本もいい本でしたが、素晴らしい本は更なる良書へ繋がる好例ですね! 前川氏にも感謝です(最近、お亡くなりになったそうで残念です)。
posted by alice-room at 00:07| 埼玉 ☔| Comment(5) | TrackBack(0) | 【備忘録B】 | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
こんばんは、凄い本ですね。
といってもザット拝見しただけでは十分理解できません、難解です。alice-roomさんってすばらしい方ですね。ゴシック教会は「綺麗だな」とは思ったことはあっても、こんな事を考えたことはありませんでした。まず、この記事を読み返して頭にいれます。

ところで、話しがずれるのですが、ポンペイの壁画に「ディオニソスの秘儀」ってのがありますが、それは、この記事に出てくるディオニソスと関係があるような気がしますが、ご存知ならばお教えください。
いずれにせよ感銘を受けました。感謝です。
Posted by はなそうび at 2007年11月13日 22:39
正直な話、私も読んでいてどれくらい理解しているのか自信がありません。かなり表面的な理解だと思っていますが、意識する事で少しでもゴシック建築のことを知る事ができれば・・・という気持ちだけだったりします。

「ディオニソスの秘儀」というのは、酒神バッカスを称えて混沌と狂乱を伴う祭儀のことでしょうか? 私も詳しくはありませんが、そちらの事を指すなら、私の方で扱っているものとは別なものみたいです。ご存知かもしれませんが、wikiにも書かれているこちらのことだと思います。(ご参考までに)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%AA%E3%83%8B%E3%83%A5%E3%82%BD%E3%82%B9
Posted by alice-room at 2007年11月14日 00:45
alice-roomさん、おはようございます。
う~んとね、試したとかでは無いです。(私はそういう嫌味なんかはしないです)。ただマジで何か関連事項があるのかなぁと単純に思いました。(最初のオリンポス神のおはなしで)ポンペイの壁画は大好きなので、aliceーroomさんもそうかな?
でも、あなたが素晴らしい女性で感動してます。こんな女性がいるなんてネットは広大です。ブログも最高に素敵、痺れます。頑張ってね!!私も頑張ります。予想の範囲を超えた最高の返答をくださって心から感謝します。(よければこのコメント消しておいてね。貴女に伝われば十分なので)
ゴシックのお話しは難しくて難解だけれど、あたまの片隅に必ずとどめておきます。
心からの謝罪と感謝、貴女への賛辞をおくります。Loveはなそうび
Posted by はなそうび at 2007年11月14日 07:01
ポンペイの壁画は、面白そうですね。世界遺産を扱ったTVや本で見ただけで本物は見たことはないのですが、私も大変興味があります。

そしてもったいないようなお褒めの言葉を頂いて有り難うございます。ただ、誤解を招いて申し訳ありませんが、私の性別は男性です。ブログに表示されている絵が女性なので、紛らわしくてすみません。個人的に眼鏡っ娘が好きなので、以前ブログ内でも記事にしたことがあるのですが、途中からでは分からないですよね。今後プロフィールでも別に記載するか、検討してみます。

失礼しました。
Posted by alice-room at 2007年11月14日 18:33
はじめまして、alice-roomさん。私アラジンと申します。

私は、今ちょうどこれを図書館から借りて読んでる最中ですが(テキスト打ちも少々)、まさかこれと『黄金伝説』にちゃんと着目している日本人がいるとは思いませんでした。
今、私は他に『タタ財閥』も借りていて、それもこのブログの記事にあり、西尾維新さんの記事もあるみたいで(私はアニメよりで原作にさほど詳しくないのですが)、共通の話題で盛り上がれたらうれしく思います。

私は強制も勧誘もなしにイスラーム教徒になった変わり者で、ヒクマットを含むイスラーム哲学やスーフィズムやペルシャ詩、ゾロアスター教(『アヴェスタ』)、中東神話(シュメール・アッカド・ヒッタイト)、聖書、世界各国の皇室・王室文化(特に食べ物)、ロシア武術システマ(実践)、ビジネス書や二次元も大好きなので、いろいろ楽しい話題は提供できると思いますw

alice-roomさんさえ良ければ、私とお話してください。
Posted by アラジン at 2014年05月04日 22:13
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