2007年11月20日

半歩遅れの読書術 松岡正剛

【日経新聞2007年11月18日より、以下転載】
半歩遅れの読書術~感想記の公表 好きな本にケチをつけず~

 ウェプ上でサイト「千夜千冊」を書きはじめてこのかた、千二百冊ほどの読書感想記を公表してきた。そのうちほぽ千冊を『千夜千冊』(求龍堂)という全八巻の全集にした。

 この作業を通して感じたことは、いろいろあるが、なかで自分が決めたルールで「あたり!」だと思えたのは、「本にケチをつけない」ということだった。

 ぽくもよく頼まれて書評を書くけれど、指定された本によっては、その内容や運び方や表現力に文句をつけたくなるときがある。これは書評というものの性質上しかたのないことで、むしろクリティックがあることのほうがメディアの書評欄としての役割をはたして
いると言える。

 しかし、自分が好きに選つづんだ本の感想を綴っていくときに、ケチをつけるのはつまらない。そういう本はとりあげなくていい。やはりどのように没頭したか、どこで脱帽したか、どんなふうにその読後感を人に伝えられるか、そこをのみ書きたい。

 先だって、久々に加地伸行の『儒教とは何か』(中公新書)を読んで、それを「千夜千冊」にのせた。実はこの本は、十年以上前に読んだときは物足りなかった。儒教の礼教性と宗教性の峻別はともかくも、なにもかもを「死の宗教」扱いしていることに限界も感じた。

 ところが、「千夜千冊」で“儒教もの”をとりあげようと思って十数冊を流し読みしていたら、この本がどうしても必要な本であることに気がついたのだ。なかでも、儒教が「死をめぐる宗教」であることは、とくに重要な見方の分かれ道となったのだ。

 世の中には、先駆的な本というものが必ずあるものだ。たいてい仮説に満ちている。たとえばフレイザーの『金枝篇』(岩波文庫)、バハオーフェンの『母権制』(白水社・みすず書房)などはそういう本だろう。科学書にはとくに多い。脳や宇宙に関する本はそういうものばかりと言っていいだろう。

 このような仮説に富んだ本は、いくらでもケチをつけられる。まして時代を先んじて挑んだ著作は、まちがいも多い。その後、その分野が切り開かれ、次々に後続バッターが業績を積み上げていくのだから、そこから見ればなんとでも文句が言える。しかし、フーテのンの寅ではないが、「それを言ったらおしまい」なのである。そういうことは学問のなかでやればよろしいわけで、それを堅気さんの前でひけらかしてはいけないのだ。

 たまにケチをつけないで読むこと。世の中、だんだん勇気に満ちてくる。(編集工学者)
これも日経の記事を見て思ったのだが、書評『千夜千冊』は大変有名であり、私もこのブログを書き始めた時は、勝手にこれを追い抜くことを目標にしていた時がある(おっ、生意気~とか、身の程知らずとかいじわる言わないように・・・)のでこの記事には思う事があった。

読書数は、いくらなんでも千冊なんて少ない事は有り得ないが、感想をそれだけ書くという経験は無かったし、『数は力なり』ではないが、やっぱりある種圧倒するものがあると思う。『千夜千冊』で数はそれだけで一つの力であることを実感したのが私にはいい契機だった。

しかし、最初は目標にしていたこともあり、「千夜千冊」のサイトは時々読んでいたのだが、段々違和感を覚えると共にこれは私の求める書評というか読書履歴とは違うことに気付いた。

結局、私の読書の参考にはならないし、読んでても感性も着眼点も含めて書評の視点が全く異なるので私にはどうしても面白くないことが分かった。

それ以来だろうか、ほとんどサイトを覗いてみたことがない。本になって書店の店頭に並んでいるのも見たが、やっぱり全然面白くないんですよ~。読む本のジャンルも違うけど、お金をもらって本を読み、物を書く視点なのかなあ~と思う。

前置きがダラダラと冗長になってしまったが、その視点の違いをこの記事を読んでいて改めて感じた。

他人の目に触れるというのが最優先事項で書かれている為に、尚更私には使えないし、マネできないし、したくもないのは当然だと分かった。自分自身に役立たせることが最優先の書評と異なるのは、至極当然だろう。

逆にこの記事で自分の書評の観点が明確になって興味深かった。あくまでも『私』というバイアスがかかった、読書時点での評価であり、しばしばあるが読み返しや他の本を読んで知識を得たうえで再読した時の感想が全然異なるのは、私の成長(理解力の拡大)そのものなのだろう。

私的には、その成長過程が自分で後から分かるように記録する点だけ注意すれば、より一層この書評(ブログ)は有用になると感じた。また、最近は、別なノートに記していたアイデアや気付きもこちらのブログに少しづつ移行させているので、ブログの体裁としては混沌とするが、私的には大変使えるツールとなりつつある。

現在は、ブログという形で記録しているが、今後は別途データベース形式でダブルに情報を持って相互利用できるようにしてみたいが、さてどうしようかと考えている。その為にperlを使おうかと思ったが、それよりもアクセスの方がいいかな? VBAで何か組めるか、考え中。

以上、独り言でした。

せっかくだから、引用記事について一言。もっと『私』にとって面白くて有用な書評が読みたいなあ~。

関連ブログ
活字の海で~読書術は普遍的テーマ 相次ぐ指南本が好調~
「ぼくはこんな本を読んできた」立花 隆 文藝春秋


posted by alice-room at 00:09| Comment(0) | TrackBack(1) | 【ニュース記事A】 | 更新情報をチェックする
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