2007年11月29日

「キリストの聖なる伴侶たち」エミール マール みすず書房

本書はエミール・マールの著書「Les saints compagnous du Christ」の全訳。

キリスト教の聖人たちを採り上げているが、ポイントは聖人の解説ではなく、キリスト教図像学の解説に他ならない。従って、本書のカテゴリは「宗教」ではなく、「美術・図像学」となるので要注意!

あの中世図像学の碩学エミール・マールの著者だから、当然と言えば当然なのですが、本書も学ぶべき事がぎっしり詰まった充実した内容となっています。

但し、あの偉大な定番「ゴシックの図像学」「ロマネスクの図像学」等々に比べると、さすがにパワーは落ちてますけどね。その代わり、著者がイタリアで教鞭をとるようになった以降のものですので、フランスばかりではなく、イタリアに関する図像が非常に多く採り上げられています。その点が従来と異なる点です。

私もまだ全部読み終えてません。やっと半分近くかな? 残りはいつ読めるのか分からないので、とりあえず読んだ範囲でメモ。
聖ヨハネと聖エリザベツに関して西方教会にある独自の伝説。
13世紀末、聖ボナヴェントラ作とされていた「イエス・キリストの生涯についての瞑想」で具体的な伝説が新たに生まれた。聖史劇への影響。
→ 自分の周りで二人の幼子を遊ばせている聖母の図像はこれに起源を有する
→ レオナルド・ダ・ヴィンチの「岩の聖母」が最古の例。後にラファエロの「美しい庭師と聖家族」
私も実物を見たことありますが、そんな経緯があったとは知りませんでした。この時が初めて図案だったんですね。へえ~。
聖ヨハネはフィレンツェの守護聖人。どこよりもこの都市で手厚く崇拝された。
みんな知ってるんですね、これぐらいのこと。私は二度も行ってて全然知らなかったけど、友人に有名じゃんと言われて落ち込んでます。
イエスの受洗の意義の変遷
1)西暦初期、洗礼は復活を意味していた
2)中世、崇高さに満ちた神秘の出来事
3)トリエント公会議後、謙遜の神秘
ヨハネに関して流布していた伝承:

 ヘロディアはヘロデの王宮内に聖ヨハネの首をそのまましまいこんでいたというのである。それは世の終りに至って聖ヨハネが肉体の復活をするのを妨げるためであった。なにしろ首と胴体とが切断されているのだから。後に、ローマ皇帝がこの聖なる首をもらい受けてきて、コンスタンティノープルに美しい教会を建てて、そこに奉納し、崇拝をささげた。

 十字軍が1204年コンスタンティノープルを攻略したとき、王宮も教会も容赦なく、荒らしまわった。敗北した敵に暴力をふるうことを辞さず、町のあちこちに火を放った。この時の火事で半ば消失したとある教会に、アミアンの司教座聖堂参事会員でヴァロン・ド・サルトンと名乗る人が、箱に入れられた一つの首を、洗礼者聖ヨハネの名を刻んだ銀製の皿に載せられた首を発見したのだった。

 「主に先立つ者」のあまりにも有名な聖遺物発見の経緯はこんな具合だった。この人はいそぎフランスに向けて出発、首を持ち帰った。長途の旅行費用を支弁するため、銀の皿は売却せねばならなかった。アミアンの教会関係者たち一同から凱旋将軍のように歓迎された。大聖堂内に安置された聖遺物は間もなく、数知れぬ巡礼者たちの群れを招き寄せることとなった。

 洗礼者ヨハネの首がアミアンに到着したのは1206年のことである。12年後、1218年大火が起こって首の安住の地、アミアンの古い町は烏有に帰した。まさにこの時、かつての教会堂ではあまりに小さ過ぎ、巡礼者聖ヨハネの祝日に押し寄せる大群衆を容れることができぬとかねて見究めていた司教は、フランスの全司教座聖堂中、最大のものを建てる決意を固めたに違いない。そうでなければ、新しい教会堂の驚くべき広大さの理由はとても説明がつかない。

 王家も競って長い行列をつくり、続々この地に巡礼を重ねた。聖ルイ、シャルル5世、王妃イザボー・ド・バヴィエールなどが姿を見せた。王妃イザボーは壮麗な黄金の皿を寄進し、首はそこに納められた。のち、ルイ11世はその皿をいくつもの見事なルビーで飾らせ、このあと、私人で王の範にならう人々が続出し、皿は値段のつけようもない財宝となった。

 フランス革命の時、イザボーの皿の宝石は剥ぎ取られて溶かされてしまった。首はアミアン市長が自宅へ持ち帰って隠匿し、信仰が回復したのち、教会へ返した。
アミアンの大聖堂の聖遺物なんて、この本読んで初めて知りました。そっかー、大聖堂は聖遺物箱だもんね。シャルトルもしかり。
アミアン大聖堂の内陣仕切り内にある浮彫に描かれたもの:

 ヘロデの脇で食卓についているヘロディアのところへ首が運ばれてきた。ヘロディアはいきなりナイフをとると、洗礼者ヨハネの額めがけてそれを突き刺す。前面ではサロメが卒倒し、召使いの人の腕に倒れかかり、今しも鳥料理を運んできたもう一人の召使いは仰天して足を止める。

→この伝説はアミアンで生まれたもので、実際、大聖堂に保存されている首の左眼上方には、一つの穴が観察できた。アミアンでは、巡礼者たちに対し、この傷の説明として、ナイフで刺されたとの伝説を語ったのである。

また、サロメの卒倒は地方的な伝承と考えられる。洗礼者聖ヨハネの聖遺物のもとへ治癒を求めて集まった病人達の中には癲癇患者が多くいた。そして当時、癲癇のことを「聖ヨハネ病」と呼んでいた。
最初に現象があって、伝説は後追いで作られていくんですね。
【目次】
洗礼者ヨハネ
聖ラザロ
聖マリア・マグダレナと聖マルタ
聖ペテロと聖パウロ
聖アンドレ
聖大ヤコブ
聖ヨハネ
聖トマス
残りの弟子たち
キリストの聖なる伴侶たち(amazonリンク)

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「ゴシックの図像学」(上)エミール マール 国書刊行会
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「ヨーロッパのキリスト教美術―12世紀から18世紀まで(上)」エミール・マール 岩波書店
「ヨーロッパのキリスト教美術(下)―12世紀から18世紀まで」エミール・マール 岩波書店
ラベル:書評 アート 図像
posted by alice-room at 23:49| Comment(2) | TrackBack(1) | 【書評 美術】 | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
alice-roomさん、こんばんは
TBありがとうございました。
エミール・マールの「ゴシックの図像学」「ロマネスクの図像学」は、僕も欲しいのですが、高くて買えません。(苦笑)
聖遺物の伝承は面白い話が多いので、この本も面白そうですね。
話は変わりますが、「幕末機関説 いろはにほへと」というアニメに、歴史の転換期に現れ、騒乱と混乱を巻き起こす「覇者の首」というものが出てきました。こちらの方は、怨念が宿っているのですが、首に霊的な力が宿ると言うのはヨハネの首と発想は同じかもしれませんね。
Posted by lapis at 2007年12月04日 00:46
こちらこそ、TB有り難うございました。実は私も読んではいるものの、なかなか手が出ません。必須資料として手元に置きたいのですが、まともに揃えたら6冊で3万円近いし、値段と同じくらい場所を取るのも二の足踏む理由ですね。

黄金伝説に至っては、絶版になったのを購入した後、平凡社から出た再版を全部買ってしまったりと誘惑に負けてしまってるので部屋がえらいことになってます。時祷書も同じの2冊買ってるし・・・。はあ~部屋の床が本当に心配で気が気ではありません。

図書館で済むなら、極力本は買わずに済ませたいですねぇ~。

いろはにほへと、ちょっとだけ見たことありますが、「覇者の首」というのがあるんですか。首は人体で大切な部位だけに念や想いが籠もるんでしょうね。きっと。
Posted by alice-room at 2007年12月04日 18:49
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