
本書が扱うのは14世紀以降、1563年のトリエント公会議まで。
本書の中心課題は15世紀の新しい図像の研究。
中世末期芸術の示す二つの相
1)物語的芸術・・・キリスト教の歴史、聖人たちや殉教者の物語、聖母、とりわけイエス・キリストの物語 ← 13世紀の象徴主義から強い感情を伴う物語性へ
2)教育的芸術・・・芸術が人間に義務を教えている
中世の作品は美術館ではなく、その現場において見なければならない。美術館はたくさんの興味深い事実を教えてくれるが、心の躍動は与えてくれない。芸術作品はその地方の風景や森や水や、しだや牧草の匂いと結び付いていなければならないのである。著者のこの揺るぎない信念がある限り、読者は強い共感と感動を免れ得ないだろう。
芸術作品は街道を通って遠くから訪ねてゆくべきものである。そして、それを見た帰り道では、何時間もその感動を心の中で暖めるのだ。するとそれは心の内部のすべての力を活動させはじめる。芸術作品がその秘密のいくつかをわれわれに打ち明けてくれるのはそれからなのである。(P12)
十四世紀の終りまでは、劇作家たちはイエス・キリストの生涯を上演する際、その着想を「福音書」―正典であれ外典であれ―と「黄金伝説」にしか求めなかった。しかし、彼らはついにあの驚くべき書物に頼ることを思いついた。それは、それまで知られていなかったわけではないが、成立からすでに百年以上たっていながらも何の影響も与える事のなかった偽ボナベントゥーラの「イエス・キリストの生涯についての瞑想」である。あの黄金伝説でさえ、当時の民衆には足りなかった具体性がこの「瞑想」という本により埋められていったらしい。
それはまさに劇作家を魅了するものであった。事実、「瞑想」の著者は演劇的感覚をもっており、説教を身振りで行いクリスマスの物語を演じた聖フランチェスコのまがうことなき弟子であることを示している。その師のように、著者は登場人物を行動させ語らせずにはいなかった。彼はヨセフとマリア、イエスと弟子たち、イエスとその母の間で交わされる多くの会話を想像した。彼の本の中ではすべてが語り始める。神も天使も徳も魂も。
「瞑想」は絵画的であると同時に演劇的である。この二つの要素のおかげで、この本は聖史劇の作家たちを大いに魅惑したのである。彼らはそこに舞台と対話を同時に見出した。とりわけ、想像、詩情、情熱といったドラマを生き生きとさせるすべてのものを発見したのである。(P60)
洗礼者ヨハネの物語はイエス・キリストの公生涯と密接に結びつけられている。十五世紀の初頭から「ヘロデの饗宴」の場面に、それ以前の芸術家の知らなかった一つのエピソードが現れる。聖ヨハネの頭が食卓に運び込まれたとき、ヘロディアがその刀を彼の額に突き刺すのである。1413年以前にランブール兄弟が彩色したベリー公の「いとも豪華なる時祷書」は、私の知る限り、このエピソードの描かれた最も古い例である。それは十六世紀にアミアン大聖堂の内陣周壁を飾る浮彫の中にふたたび現れる。聖史劇のト書きに残っているとは、本当に驚きです。それを見つけた著者の熱意もさることながら、実に興味深いです。
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福音書の中にはこうしたことは一切書かれていないし、イタリアの芸術の中にもそれは全く見られない。
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最初にヘロディア刀の一突きが語られたのはどこにおいてであろう。それは聖史劇においてである。メルカデに帰せられる「アラスの受難劇」の中に、次のようなト書きがある。「ここで娘は、ヘロデの食卓にいる母親に洗礼者ヨハネの首をもってゆく。ヘロディアは小刀でその首を打つ。彼女は首の目の上に傷をつける。」(P86)
さりげなく出てくるベリー公の時祷書も、本書の中ではずいぶんたくさん紹介されていて、そこに描かれた写本のデザインがランブルール兄弟のアイデアではなく、イタリア由来、さらにはビザンティン由来であることが説明されています。それを知っただけでも私には大いなる驚きでした。
十三世紀ほど芸術がキリスト教の真髄を的確に表現したことはなかった。シャルトル、パリ、ブールジュ、ランスの彫刻家たちは、いかなる神学者よりも明快に、福音書の奥義が、その究極の言葉が、愛であることを説いたのである。私が強烈な印象を受けたあのシャルトルは、そういう意味では紛れもなく知性と心の奥底に訴えかけるものであったと思いました。
十五世紀にはこの天上的輝きはとっくに消え去っていた。現存するこの時代の作品の大半は陰惨で悲劇的であり、芸術はもはや苦しみと死のイメージしか描き出そうとはしない。イエスはもはや教えを説くことなく、苦悩している。
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この時からキリスト教の奥義を宿す神秘の言葉は、もはや「愛する」ではなく「苦しむ」であるように思われる。それゆえ、われわれがこれから取り組もうとしている時代が特に好んだ主題は「キリストの受難」である。
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以前は知性に訴えかける教義であったイエス・キリストの死が、今や心に語りかける感動的なイメージとなったのである。(P124)
「憐れみのキリスト(悲しみの人)」像の15世紀流行の理由:
教皇によって、大きな贖宥と結び付いていた為
神秘の葡萄絞り機:この手の象徴主義的図案にすっごい惹かれてしまう私。うっ、読んでいてゾクゾクします。手元にある「カトリーヌ・ド・クレーブの時祷書」の挿絵などにも共通するものがあり、それを眺めつつ、本書を読みました。
葡萄絞り機の下に横たわったイエスが押しつぶされて桶の中にその血を流している。
「生命の泉」同様、キリストの血への信仰と関係している
→当初の「受難」の象徴的表現から、16世紀のプロテスタンティズム(=聖体の秘蹟を否定)に対するカトリシズムの教義確立の意図の下、「聖体の秘蹟」の表象となっていく。(P165)
神に近づくこと。これこそはまさに十三世紀末頃からキリスト教徒の心を奪い始めた欲求である。こうして人々は少しづつ神を自分たちのところまで引き降ろしていったのである。(P200)
【本文より要約】こ、この連鎖ってすごくないですか? 『とりなし』自体は知っているつもりでしたが、本書を読むまで聖人が直接神かイエスにとりなすのだと思っていました。
人々は、聖人にとりなしを願い、聖人はそれを聖母に取り次ぐ、聖母はキリストにとりなし、キリストが神にとりなす。・・・・この繋がりが『聖人崇拝』ということらしい。
十五世紀と十六世紀のほとんど全ての象徴的作品が「貧者の聖書」あるいは「人間救済の鏡」から生まれたことについては、もはや議論の余地はないと思われる。(P330)意味は分からずともそれらの2冊を傍らにおき、お手本としていたそうです。
古代の異教徒達のキリスト教世界における位置付け:これも結構ショックです。バチカンは2度行ったし、この絵もしっかり見たけど、全然そんなこと知らないでぼお~っと見てた。エミール・マールの本を読むといつも思うのですが、私は目が開いていても何も見ていなかったことを痛感せずにはいられません! やぱり、原書で読みたいなあ~エミール・マールの本は。う~ん・・・素晴らしいです。
「真の神は異教徒から顔をそむけなかったばかりでなく、彼らに特別な啓示を与えさえした。キリスト教のすべての教義がかいまみられ、時には古代の賢者たちによってそれらが明瞭に語られたこともある。プラトンとアリストテレスは聖三位一体について語り、アプレイウスは善良な天使と邪悪な天使がいることを知っていた。そして、キケロは復活を予言した。神の息吹に満たされたシビュラと呼ばれる処女たちは、救世主の到来をギリシア、イタリア、小アジアに予告した。シビュラの書に学んだウェルギリウスは、世界の様相を変えようとする神秘な子供を詩に歌った。」
・・・by『権威ある異教徒によって証明されたキリスト教信仰』(P340)
ラファエロはすべての教会博士を集めた「聖体論議」と向かい合わせに、哲学者たちが一堂に会した「アテナイの学堂」を描いた。彼はこうしてヴァチカン宮殿のただ中にあって、古代思想は神聖であり、哲学者は神学者の正当な先祖であり、ギリシアの知恵とキリスト教信仰はつまるところ同一のものでしかないと断言していたのである。
【目次】(上巻)中世末期の図像学〈上〉 (中世の図像体系)(amazonリンク)
序言
第一部 説話的芸術
第1章 フランスの図像とイタリア芸術
第2章 芸術と宗教劇
第3章 宗教芸術は新しい感情―悲壮感―を表現する
第4章 宗教芸術は新しい感情―人間的優しさ―を表現する
第5章 宗教芸術において聖人たちは新たな姿で登場する
第6章 古い象徴主義と新しい象徴主義
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(以下、下巻)
第二部 教訓的芸術
第7章 芸術と人間の運命―人生、悪徳と美徳
第8章 芸術と人間の運命―死
第9章 芸術と人間の運命―墓
第10章 芸術と人間の運命―世の終わり/最後の審判/刑罰と褒章
第11章 中世の芸術はいかにして終焉を迎えたか
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「ロマネスクの図像学」(上)エミール マール 国書刊行会
「ヨーロッパのキリスト教美術―12世紀から18世紀まで(上)」エミール・マール 岩波書店
「ヨーロッパのキリスト教美術―12世紀から18世紀まで(下)」エミール・マール 岩波書店
「キリストの聖なる伴侶たち」エミール マール みすず書房