2008年01月14日

「中世末期の図像学〈下〉」エミール マール 国書刊行会

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「中世末期の図像学(上)」からの続きです。

やっぱりこの本も読むと、目から鱗が落ちてきます。実に興味深い!

初版が1907年でとても百年前の著作とは思えません。私が物を知らないだけかもしれませんが、私にとってエミール・マールの著作以上に美術関係で学ぶ所の大きかった本はありません。このシリーズは間違いなく名著です!! 日本語で読めて本当に良かった。訳者陣に感謝&感謝です。でも、いつか原書で読むぞ~。

以下、いつものように本書より抜き書きメモ。
キリスト教的芸術というものが存在して以来、芸術家たちが表現してきた人生の観念は結局同じであった。人生は戦いであり、人間は絶えず自分自身と戦わねばならないということである。世代が代わっても、同じ事が繰り返される。個人の進歩はあるが、全体的進歩と言うのはない。それゆえ、古い教会の壁の悪徳と美徳の像の語る言葉はいつまでも力を失わない。父親が学んだ事を今度は息子が学ぶ。それぞれが神の助けを得て自らに打ち勝たねばならないことを学ぶのだ。
十四世紀末ごろにには新しい世界に入ったことが感じられる。芸術家達はそれまでとは違って、それほど高尚ではなく晴朗でもないが、感じやすい魂を持つようになる。イエス・キリストの教えよりも、その苦しみの方がより深く彼らの心を打つ。芸術はじめて苦痛を表現するようになる。芸術が死を表現しようとするのもそれとほとんど同じ時期である。新しい中世がシャルル五世の治世の終わりごろに始まったということができるであろう。

 この根本的な変化は、十三世紀と十四世紀の托鉢修道会の歴史が書かれることによってはじめて完全に理解されるであろう。フランシスコ会士とドミニコ会士は感性に訴えることによって、キリスト教徒の気質を変えるに至った。ヨーロッパ中でイエス・キリストの傷口に対して涙を流せたのは彼らであった。死について語ることによって大衆に恐怖を抱かせ始めたのも彼らであった。

 これから検討する「死の舞踏」を最初に思いついたのもフランシスコ会やドミニコ会の説教師たちであったと、わたしは確信している。(P86)
「死の舞踏」に関する本は、以前も読んだことがあるのですが、本書と比べると雲泥の差があります。一流の学者の著作は、やはり違いますねぇ~。
十三世紀と十四世紀にあれほど有名で、繰り返し書き写された『三人の死者と三人の生者の物語』が
・・・
この説話が実際に芸術に表現されるようになるのは・・・十四世紀末のことである。
・・・
わたしは1400年ごろに作成されたベリー公の時祷書の一冊の中にこの説話を発見した。この主題は公のお気に入りであったに違いない。なぜなら、1408年、公はレ・ジノサン教会の扉口にこの主題を彫刻させ、そこに自分の墓碑が置かれる事を望んだからである。それ以降、この説話は芸術家たちの創作意欲を刺激して止まなかった。(P88)
本書を読む前と後では、ベリー公の時祷書の捉え方が全く変わっている自分に気がつきます。綺麗であるだけでは、対象物を満足に理解しているわけではないんだなあ~と心の底から思いました。
中世には、みずからの血で羊皮紙に呪文を書いたうえで自分を鏡に映してみると、自分の死後の姿を見ることができると信じられていた。(P99)
これって、もっと詳しく知りたいな♪ 意識して資料を探したいかも。
1470年頃に書かれた『リンゴの噛み痕』と題された詩である。奇妙なことに、この遅い時期の作品は「死の舞踏」の原作にまでわれわれを立ち返らせる。その冒頭の部分はまるで説教のようであるが、そうした構想は十四世紀に、役者たちが演ずるよりも前に、フランシスコ会やドミニコ会の説教師が発展させたものであった。

 この詩人は、われわれの始祖が罪を犯したその瞬間に、地上の楽園に死神が生まれたと説いている。天使は地上の楽園からアダムとエバを追放する一方で、三本の長い矢と神の印璽をつり下げた一枚の小勅書を死神に引き渡した。この小勅書では、神は君主のように語り、彼が死神に全権を委ねることを皆に知らせている。それゆえ、死神はこの文書に定められている自分の仕事を平然と開始しているのである。

 カインが自分の弟を殺したとき、死神がその傍らにいるが、アベルを打ち倒しているのはこの死神である。そして死神は一方の手に小勅書を、もう一方の手に矢を持って、世界を横切って去ってゆく。彼にはいくらでも仕事があったのである。(P117)
『死神』という存在の定義を初めて知りました。勅書で権限が与えられているとは・・・、いやはや面白いです(笑顔)。
中世末期の地獄の表現:
「聖パウロの幻視」が図像の着想源になった。
死者の国への旅の話は、いずれもアイルランドからわれわれに伝えられてきたものである。
―聖ブランダンの旅、オーウェンの旅、チュンダルの旅
まさかこんなところで聖ブランダン(ブレンダン)が出てくるとは思いもしませんでした。ユダの記述のところで、アレレ?と思ったらやっぱりブランダンだったとは。いろんな知識が、複雑に絡まっているのがとっても楽しい♪
実際、中世の芸術の原則は、ルネサンスのそれとは反対であることを認めなくてはならない。終わろうとしていた中世は、苦しみや諦めや神の意思の全き受容といった、霊魂のあらゆる惨めな側面を描き切ってしまっていた。

 聖人や聖母、そしてキリスト自身でさえ、しばしば十五世紀の貧しい人々のようなひ弱な姿で描かれ、霊魂からの輝きしか持っていなかった。この芸術はこのうえなく謙遜な芸術であり、真のキリスト教精神がそこにはあった。

 ルネサンスはこれとは完全に異なっている。その隠された原則とは慢心である。人間はもはや自身以外のものを必要とせず、みすからを神にしようとする。この芸術の最高の表現は衣服をまとわない人間の肉体の表現である。(P256)
ルネサンスに対して以前は全面肯定的な捉え方をしていた私ですが、既に何度か書いてますが、中世を知れば知るほど、ルネサンスとは距離を置いた見方をしている自分がいます。
中世の伝統を滅ぼしたのはルネサンスではなく、宗教改革であった。
宗教改革はカトリック教会にその思想のあらゆる面を監視することを余儀なくさせ、厳しく自己規制を行わせ、あの詩情と幻想の伝統に終止符を打たせたのである。(P258)
かくしてキリスト教美術のあれほどまでに豊かな『美』は過去のものになっていってのかと思うと、実に切ないです。憤りさえ、覚えてしまうのですが、それでもラファエロのマドンナを見た時の感動もまた、真実なので困るのですよ・・・私は。
【目次】(上巻)
序言

第一部 説話的芸術
第1章 フランスの図像とイタリア芸術
第2章 芸術と宗教劇
第3章 宗教芸術は新しい感情―悲壮感―を表現する
第4章 宗教芸術は新しい感情―人間的優しさ―を表現する
第5章 宗教芸術において聖人たちは新たな姿で登場する
第6章 古い象徴主義と新しい象徴主義
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
(下巻)・・・本書の内容
第二部 教訓的芸術
第7章 芸術と人間の運命―人生、悪徳と美徳
第8章 芸術と人間の運命―死
第9章 芸術と人間の運命―墓
第10章 芸術と人間の運命―世の終わり/最後の審判/刑罰と褒章
第11章 中世の芸術はいかにして終焉を迎えたか
そうそうデューラーによる黙示録の図像が「ヴィッテンベルク聖書」を通して、広く受容され、お手本化していったそうだが、先日読んだ本にもこの図版がたくさんあったなあ~。

ベリー公の時祷書にしろ、『キャサリン・ド・クレーブスの時祷書』にしろ、バラバラになっていた知識が本書を通して有機的に関連付けられていくのはなんとも言えず楽しい限りです。木版画や活版印刷術など、全ては結び付くんですね。本当に勉強になります。

中世末期の図像学〈下〉 (中世の図像体系)(amazonリンク)

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「ヨーロッパのキリスト教美術―12世紀から18世紀まで(下)」エミール・マール 岩波書店 
「キリストの聖なる伴侶たち」エミール マール みすず書房
「ルターの首引き猫」森田安一 山川出版社
「ヴィッテンベルクの小夜啼鳥」藤代幸一 八坂書房 
「聖ブランダン航海譚」藤代幸一 法政大学出版局
「屍体狩り」小池 寿子 白水社
「ヨーロッパの死者の書」竹下 節子 筑摩書房
「Les Tres Riches Heures Du Duc De Berry」Jean Dufournet
「The Hours of Catherine of Cleves」John Plummer George Braziller


posted by alice-room at 18:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 【書評 美術】 | 更新情報をチェックする
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