2008年01月27日

古本屋は海を超えた~日経新聞 2008年1月21日より

【日経新聞 2008年1月21日の記事より】
古本屋は海を超えた~戦前植民地に数多くの店舗、独自の市場で存在感~

一九三〇-四〇年代、朝鮮の京城(現ソウル) には現在の東京・神保町のような日本人による古書店街があったことをご存じだろうか。京城だけでなく旧満州(現中国東北部)や台湾、樺太など、戦前に植民地だった各地に日本古書店が数多く存在した。私は千葉県船橋市で古書店を営むかたわら十年前から、これまでほとんど知られていなかった戦前植民地の同業者について調べてきた。

きっかけは九六年、千葉県内で古書店を営業していた先達の歴史を本にまとめたことだった。その際、「旧満州で営業していた先輩がいる」という話が耳に入ってきた。 意外な事実に心動かされ、旧満州を手始めに資料を集め始めた。

頼みは古書店の全国団体が戦前から発行している会報や組合員の名簿、愛好家が作成した各地の古書店分布図など。それらでまずどんな店がどこにあったかを把握し、植民地の市
民地の市街図と照らし合ゎせて、一軒一軒、地図上に落とし込んでいった。戦後に引き揚げてきた店主の家族から話を聞いたり、貴重な写真をいただいたりもした。


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日本と相場変わらず

三〇年代後半の京城には、六十店以上もの日本古書店があったょうだ。 繁華街の鐘路通りには文明堂、広文堂、明文堂といった二十店程度が集まっていた。学生相手の教科書や廉価本の販売が中心だった。朝鮮では、京城以外にも平壌や釜山に各十店前後、大邱ゃ新義州には数店があった。

当時の朝鮮の古書店事情を群書堂店主だった柳田文治郎が東京古書籍商組合の三一年十二月の月報で語っており、興味深い。柳田によると、東京から遠く離れていても、本の相場はあまり変わらない。日本国内の流行や相場変動が三-六カ月もすると、朝鮮でも同様に
起こっていた。

二七年ごろから、日本では「円本」と呼ばれる定価一円の全集本が盛んに出版されていた。それまで四円以上していた本が安価で手に入るとして広まったが、古書市場には円本があふれ、供給過剰が問題になっていた。 円本の在庫過剰は朝鮮でも同様で、各店は大きな打撃を受けたようだ。

旧満州には約二十店、台湾にも同程度の古書店が存在した。樺太などを合わせると、日本古書店は数百にのぼったのではないだろうか。もっとも売れ筋は各植民地間で微妙に異なっていた。朝鮮は教科書ゃ思想書などが多かったが、台湾では児童書ゃ女性向けの実用書が売れた。


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旧満州では知識人向け

旧満州は岩波文庫など、知識人向けの本が人気を集めていた。満鉄社員らが多く住んでいたことが要因だと思われる。 戦火が激しくなると新刊の発行はできず、古本の仕入れも難しくなった。

四四年、新京の巌松堂がほぼ全巻そろった岩波文庫を販売すると張り紙を出したところ、開店前から長蛇の列ができた。 同店は毎週、岩波文庫を十点だけ展示して一人一 点という限定で抽選販売した。その後は、代わりの本を持って行かないと商品を買えない「交換本」と呼ばれる商法になっていく。

終戦直後、多くの店は廃業に追い込まれたが、素人のにわか書店が現れ、中国人を相手に売買していた。引き揚げ後、広島ゃ兵庫で営業する黒木書店の黒木正男もその一人。四五年八月十八日、ソ連軍が進駐する旧満州の新京で蔵書の岩波文庫を売り出すとすぐに完売したと、五〇年の古書組合機関誌の中で振り返っている。

中国人の間でも、夏目漱石や森鴎外といった文学全集が人気を集めた。 面自いのは、たばこの巻紙に使うためライスぺー パーでできていた辞書類が良く売れたことだ。


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現地から″逆輸入〟も

戦火の中、危険を賭して植民地に渡り、値段の手ごろな良書を仕入れる東京の古書店主もいた。 新宿に店舗があった一草堂書店の宮田四郎は四三年二月、東京から船で樺太に向かった。樺太の中心、豊原で医学雑誌ゃ理工学専門書などを買い入れ、日本で販売してかなりの利益を上げたという。

これまでの研究は私が加盟する古書組合の会報で発表してきたが、このほど「植民地時代の古本屋たち」(寿郎社)として一冊の本にまとめた。 改めて知ったのは、当時の日本と植民地の間ではかなりの書物が往来しており一種の古書ネットワークが形成されていたことだ。物資不足で新刊書があまり出回らない中、植民地の読書好きにとって古書店の存在は大きかっただろう。(おきた・ しんえつ=鷹山堂店主)
個人的なメモとして、ネット上にもメモ。

非常に興味深いテーマです。今度、この本を買って読もうっと♪

植民地にも日本の古書店があったんですね。へえ~。満州は満鉄の社員がいるから知識人向けの本が売れたというのは、さもありなんって感じです。

しばしば言われ、私も実感をもって感じますが、昔から続く都市で地元で知られた名門の学校(高校や大学)がある土地には、必ずいい古書店があるものです。また、同時に図書館に蔵書されている内容の質が高いんですよ~。

残念ながら、歴史の無い新興住宅地にある古本屋さんでは、掘り出し物の本ってないですね。漫画本とエロ本とゲームしかありません。

需要が供給を創出するのであって、供給が需要を生み出すサプライサイドの経済学ではないような気がしますネ。まあ、私の主観でしかありませんけど。

先日読んだ「世界の古書店Ⅱ」の中で、「アジア、日本の資料の宝庫―イギリス、ロンドン」だったかな? 戦中、日本の軍や満鉄の書籍が接収され、戦後は財産放棄させられてイギリスの研究室の資料となった話などがあったけど、その背景として海外での日本の古書店などの存在もそれを支えていたんだなあ~っと思いました。

面白いよね、こういった感じである本で得た知識が別な本や活字で得た知識と突然むすびつく瞬間があり、その時の知識や情報の広がり感がたまらなく好きだったりします。まさに、その為に本読んでるようなもんだもんなあ~。しかし、金にならない読書だな、私の場合は(苦笑)。 

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ラベル:満州 古書店 記事
posted by alice-room at 19:32| Comment(4) | TrackBack(0) | 【ニュース記事A】 | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
とても興味深く読みました。
なるほど~。
やはり神保町の古書店なんかがいいんですかねえ。
回ってきた古い雑誌に去年やっていた植草甚一さんの回顧展のニュースが。
ほんとこの方にはあこがれましたっけ。
年をとったらワタシも「散歩と雑学が好き」な
生活したいものです。
Posted by OZ at 2008年01月29日 20:25
なんか面白いですよねぇ~。でも、私は歳をとる前から、既に「散歩と雑学」&古書まみれの生活になってますが・・・人生終わってたりして・・・ヤバイかも?しれません。
Posted by alice-room at 2008年01月30日 21:32
>でも、私は歳をとる前から、既に「散歩と雑学」&古書まみれの生活・・・・

あ、ほんとだっ(笑)
これは失礼しました。(爆)
Posted by OZ at 2008年01月30日 22:23
あの・・・できれば、「そんなことないですよ~」の社交辞令があってもいいと思うのですが・・・(苦笑)。
正直者は、生きていくのが大変な世の中だと思います。もっとも私は正直生きていくつもりなのですが・・・さてさて???
Posted by alice-room at 2008年02月03日 01:00
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