2005年10月20日

「陰陽師」荒俣 宏 集英社

onnmyouji.jpg土御門家って、皆さんご存知でしょうか?私が初めてその名を知ったのは、本書の著者荒俣氏の書かれた「帝都物語」でした。この本を最初に手に取ったのもまずは、土御門家についてページが割かれているからでした。

本書は土御門家をスタートに、現代に残っている陰陽師にまつわる場所や人々を尋ね、フィールドワークを通して地方や現在に至る陰陽師の姿を描き出していきます。なんせ資料を調べるのがお好きな荒俣氏ですから引用される様々な文献はもとより、実際に行って調べてるので情報が豊富で面白いです。さすがは本家とでもいうべき荒俣氏らしさがあり、ありがちな陰陽師関係本とは一線を画していてユニークです。

さて、内容ですが、土御門家は中央にあって陰陽道に関する官位を独占する一方で、地方の民間陰陽師についても許認可権を持ち、お茶やお花の家元のように一定の上納金等を集めていたそうです。また、中世以降になると陰陽師は中央の仕事以外にも、散所(さんじょ)という荒地を管理し、自由無所属の人びとをたくさん抱えるようになりました。地鎮祭と土木工事の技術を有する陰陽師には、まさにうってつけだったそうです。そもそも、そういった無所属の人々との繋がりは、芸能の民を束ねることからも進んでいったようです。

その辺のこともとても興味深いが、昭和20年頃まで吉備真備ゆかりで賀茂家の祖先の地と言われる吉備に上原(かんばら)大夫という陰陽師の一団が村を作っていたそうです。そしてそこには、あちこちに安倍晴明伝説が残されているんだそうです。

他にも学者の小松和彦氏の研究で一躍有名になった高知県物部村のいざなぎ流などもしっかり採り上げられています。もっとも以前から小松氏の本ならかなり読んでいた私には、そんなに目新しいものはなかったですが、リアルに今現在も祈祷が行われているのは、注目に値しますね。いざなぎ流の話だと必ずと言ってもいいほど出てくる「唐土じょもん」の祈祷祭文の話とかもきちんと入っています。知らない人は、ちょっと珍しくて良いかも?

確か、異色(異端?)の漫画家丸尾末広氏によって唐土じょもんの話は漫画化されていたような気がしました。すっごくインパクトがありますが、特殊過ぎて普通の方にはお薦めできません。探したんですが残念ながら、作品名は見つかりませんでした。 まあ、一応参考までに。

それらはおいていて、本書で気になったことをメモ。
森鴎外の小説「山椒大夫」の山椒はさんじょにつながりがあり、「さんじょ」とは未だ開墾されていないような土地とかを指していた。また「大夫」も陰陽師を指す言葉であることから、即ち、さんじょを治める地方の有力者である、民間陰陽師のことだったんだって。これは、初めて知ってちょっと感動しちゃいますね。

だって、「安寿恋しや、ほーほれほー」「厨子王恋しや、ほーほれほー」とかいうあの山椒大夫がまさか地方で流浪の民を使役する陰陽師とは思いもしませんでした。売り飛ばされて奴隷のように働かされる安寿の仕事である汐汲みは、塩作りの過程であり、まさにさんじょでの人びとの仕事なんだって。いやあ~、なんかトリビアにならんかな?これ。こういう話、大好きだったりする(笑顔)。

あと遊女と傀儡(くぐつ)との関係も面白い。同様に彼らは陰陽師との関係も深いそうです。陰陽師が芸能の民を束ねていた以上、当然といえば当然ですけどね。

大江匡房「傀儡子記」より
~クグツとは定住しない人々の呼び名で、家を持たずに暮らしているという。男は弓と馬を使い、狩猟に従事する。また木人(でこ)をあやつり、生きている人のように舞わせることができる。また「魚竜蔓蜒の戯」という正体不明の技を行う。彼らは「百神(百大夫)」を信仰し、女は化粧し、媚を売り、素晴らしい声で歌う。一夜の交わりも嫌わない。かれらは田を耕すことなく、枝葉を一本も採らない。県官にも所属することのない流浪民である。東国の美濃、遠江、また播州や但馬にいる。その名は小三、万歳、孫君などある。今様や催馬楽、田楽、呪禁、占いなどを行う。~

どうも傀儡と遊女というと、あの小説の「吉原御免状」を思い出してしまいます。あれも背景的なものは、事実なんですね。改めてあの本も感心しちゃいました。

いざなぎ流のスソの祭文より
~釈迦如来尊すなわち仏が四十二歳、妃が四十一歳になっても子宝に恵まれなかった。相談すると、叔父のだいばん殿を養子にして御世を継がせるべきだと、との教示があった。仏は。だいばん殿を養子にもらうのであれば、妃がいなくてはいけなからうと、浄土へ妃探しに行った。そこに二人の姫がみつかったので、妹の方を貰い受けて、だいばん殿の妃にした。

 ところがすぐに仏の妃が懐妊した。だいばん殿が、仏の妃に望まれた「七十五品の願」を聞き届けて、七十五品をすべて揃え、妃に送った。その引き換えに、約束どおり御世を譲ってほしいと訴えたのだが、仏は一日延ばしにして譲ってくれなかった。

 やがて仏に子の釈尊が誕生した。その子が大きくなったので、仏はだんばん殿に、「石の的を打った者に御世を譲る」と宣言した。だいばん殿は、はね返ってきた矢で目をつぶしてしまい、一方の釈尊はみごとに石の的に矢をあてた。

 怒っただんばん殿は仏の許を脱し、旅に出てしまった。残されたのは妃のみ。妃は釈尊を恨み、釈尊を調伏しようと決心した。しかし妃の力では、釈尊を調伏することなどできない。途方にくれているとき、唐土じょもん様という人が通りかかった。妃は贈り物をして調伏法を伝授してもらうことになった。

 唐土じょもんは、次のようにして、恐ろしい呪詛を実行した。
 伊勢のごんざが川へ降りていき七段三段の壇を作ると、茅萱の人形に色絹を逆さまに縫い着せ、逆刀を使い水花を三度蹴上げ蹴下ろし、地に伏し天を仰いで、「三年三月火の病に罹るがよい」と調伏した。すると呪詛が効き、釈尊は倒れてしまう。

 釈尊はこの悲運を克服すべく、偶然なことに唐土じょもん様の許を訪れた。すると唐土じょもんは、釈尊に問いかけた。「以前に人と諍いをしたことはないか?」と。

 釈尊は叔父のだいばん殿との一件を思い出した。その話を打ち明けると、こんどは唐土じょもんが驚く番だった。
「その釈尊を調伏してしまったのは、実は私だったのです」と。

 釈尊としては唐土じょもんに呪詛返しをしてもらうほかない。この呪詛返しが撥ね返ってきたのは、だいばん殿の妃であった。彼女は再度の呪詛返しを依頼するが、いざ調伏してみると、その呪いがこんどはだいばん殿の妃に行ってしまった。妃は重病にかかり、腹を立てて鳥になって飛んでいってしまった。~

うっ、メモし過ぎて疲れた。まあ、こういった本もちょこっと見る分にはいいかも。軽~く読み流すレベルです。そうそう、いざなぎ流のお話をもっと知りたければ、何はなくとも小松和彦氏の本を見ておきましょう。以前は阪大の助教授でいらしたのですが、その後、教授になられた方です。この手のお話や民俗学系の生贄とか習俗の話は、傾聴に値すると思います。何よりも面白いです♪ 

あれぇ~作品名忘れた?この人も妖怪関係とか、手当たり次第本出すから、冊数多くて誰だったか分かんない?読んで面白かったのをいくつか紹介しておきます。

陰陽師―安倍晴明の末裔たち(amazonリンク)

小松和彦氏の本
鬼がつくった国・日本―歴史を動かしてきた「闇」の力とは(amazonリンク)
神隠しと日本人(amazonリンク)
憑霊信仰論―妖怪研究への試み(amazonリンク)

posted by alice-room at 00:37| 埼玉 ☔| Comment(2) | TrackBack(0) | 【書評 未分類A】 | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
陰陽道の事はあまりよく知らないとはいえ,なんだか魅力のある世界です。
でもそういう世界に縛られたくないけれど。。
世界のあちこちに似たような話があったりしますよね。
面白い
Posted by seedsbook at 2005年10月20日 15:26
「陰陽道」ってもともとは、中国から来た道教に日本古来の習俗やら山岳宗教やらの要素が混交してできた日本独自のものらしいです。
私も縛られるのは、ちょっと勘弁して欲しいですが、人の営みに付随する禁忌みたいなものだと考えると世界共通ですね。seedsbook さんの言われるように。部外者で見ている分には、なかなか興味深いです。ほんと。
Posted by alice-room at 2005年10月20日 15:53
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