
キリスト教の図像学における、エミール・マールが書いたような本を期待しつつ読みました。しかし、いくら読んでも具体的な図像とそこに描かれた内容とが一致するような説明は、一部を除いてほとんど見つけられませんでした。
そもそも本書に入っている図版があまりにも小さい写真であり、説明されている文章との対応関係が明確に分からないうえに、極端に図版の数が少な過ぎることで、およそ図像の説明としては、根本的な問題があるように感じます。
元々の読者としての対象が、十分な予備知識を持っている人だからかもしれませんが、無知な私には、本書で解説される名称の漢字の量で既についていけませんでした。
巻末の初出を見ると分かりますが、複数の雑誌や本に載ったものをまとめた為、内容にも相当部分の重複があります。一方で、本来説明して欲しい用語や一般的な基礎知識部分の説明は既知のものとして、必要以上に省いてあり、決して理解しやすい文章ではありません。
また、それらを克服して読んでいっても、今まで実際の寺社仏閣で見ても分からなかった図像が、目から鱗・・・のように理解できるようになるのでもなく、正直本書を読んでいて感動がありませんでした。
個人的な希望としては、概説的で総括的な部分は削ってでも、もっとポイントを絞って具体的な図像を例示しつつ、それが何を示しているのかを明確に説明して欲しかったです。図像の元となる伝承などは興味深かったのですが、それがいかにして表現されているのか、時代的な推移を踏まえた説明などは、はなはだ不満足です。
う~ん、この類いの名著って無いのでしょうか? 仏教や神道の図像学的な本があったっていいと思うのですが、私が見た限りでは、ほとんど見たことないんですよねぇ~残念!
巷にあふれる、安っぽくて陳腐な、初心者をなめきったような入門書ではなくて、難解でも苦労して読む価値のある本があれば、挑戦したいのですが・・・ふう~、見つからないなあ~。
あちこちの神社やお寺で見た彫刻も意味が分かれば、もっと楽しくなるんですけどねぇ・・・。是非、研究者さんに期待したいところです。
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と批判的なことばかり、書きましたが、本書を読んでいて改めて仏教とキリスト教の違いを感じました。有名な話ですが、例えば、こんな話があります。
「投身飼虎」キリスト教だったら、間違っても動物の為に自己犠牲をするなどという場面は出てきません。殉教はOKでも、憐れみの為にいう観念が根本的に欠如している感じがします。
ある国に慈悲の心厚い三人の王子があり、一日そろって山中へ分け入り、飢えた雌虎が七頭の子虎をかかえ死にかけているのを見つける。兄弟たちは憐れみの心に打たれるが、どうするすべも知らず遠ざかっていく。ただ末の弟だけは仏道を成就するため、不惜身命の一大決意をして引き返し、自分の体を食べさせようと、着物を脱いで竹の枝にかけ、虎の前に横たわる。しかし母虎は食いつく力もない。そこで彼は竹で自分の首を刺し血を出したまま、高いところから虎めがけて跳び下りる。虎の親子はその血をなめて力をつけ、ようやく肉にかぶりつく。これが物語のクライマックス投身飼虎の場面である。弟を探しに戻ってきた二王子が見出したのは、その残骸だけに過ぎない。二人の号泣と父王夫妻の悲嘆。人々は、無くなった王子の為に遺骨を納めて竹林中に塔を建てたという。
(それにキリスト教では人と動物は等価値ではありません。仏教では、全ての生き物を等価値に扱ってる、と思うのですが? それゆえの憐れみでしょう。おそらく・・・)
だからこそ、仏教の為に争うというのはあまり聞かないのに(一向一揆の扱いは、特異な例としていいのか不明ですが)、キリスト教の為の争いは、あれだけ多いのでしょうね。
そういえば、それに比して神道ってのは、どんな宗教にもあるはずの経典の存在しない超・宗教だと教わった気がするなあ~。昔、某予備校の講師から。あれって正しい話なのだろうか? 教育勅語が唯一の経典相当だとの話だったのですが・・・。
う~ん、その辺のことも是非知りたいものです。どっかに良書はないものでしょうか???
【目次】
第1部 仏教の説話
第一章 本縁説話
第二章 譬喩・本生・仏伝
第三章 仏伝文学
第四章 本生譬喩文学
第2部 仏教説話の美術的表現
第一章 仏教と美術
第二章 説話図遺品の分布
第三章 仏教説話図描出の仕方
第四章 仏教説話図と典拠
第3部 美術にみる仏教説話
1 猿の橋渡し
2 孝子の蘇生
3 六牙白象の物語
4 善事太子の冒険
5 投身飼虎
6 命に代えて鳩を救う
7 布施に徹した太子
8 鹿と忘恩の男
9 キンナラに教えられた国王
10 三重苦を装う王子
11 空を飛んだおしゃべり亀
12 首を布施した月光王
13 夜叉の青年と龍女との恋
14 スダナ王子と美しい妖精
15 海水を汲み干そうとする大施青年
16 燃燈仏の予言
17 得眼林
18 舎利仏と外道の通力競べ
19 維摩と文殊の対論
20 善財童子の求法遍歴の旅
21 幻の城の喩え
22 蓮華化生
23 観音の救いはいつ、どこにでも
24 地獄の責苦
第4部 本生物語
一 ルル鹿本生物語
二 尸毘王本生物語
第5部 仏教美術の基本
起源と伝播
種別
仏像
仏画
仏教図像学
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>神道ってのは、どんな宗教にもあるはずの経典の存在しない超・宗教
まず「どんな宗教にもあるはずの経典」というところが間違っています。そもそも文字がない時代の宗教には経典は在りませんし、世界には経典の無い宗教も沢山あります。
村山修一は、『変貌する神と仏たち』の「はじめに」で、以下のように述べています。「多くの日本人は神道を国粋的、仏教を外来的という概念で捉えるが、神道は仏教と接触する以前、すでに中国の陰陽道・道教の影響を被り変化しており、仏教も中国化されたものが中国の諸思想と混淆しつつ伝来し、日本人に受け入れられた。それゆえ神仏習合はたんに二つの宗教の混融、国粋的と外来的の抱合などという単純なものではなかった。」
あまり神道関係の本は読んでいないので、断言は出来ないのですが、僕も村山修一の概説が妥当だと思います。明治政府が神仏分離令を出していますが、これは強引にこのような事をしなければ分けられないほど神仏が解け合っていたことを意味します。
話は変わりますが、記事中に「投身飼虎」と書かれていますが、これは「捨身飼虎」の打ち間違いなのでしょうか?それとも「投身飼虎」という言い方もあるのでしょうか?
長いコメントになり申し訳ありません。
>まず「どんな宗教にもあるはずの経典」というところが間違っています。そもそも文字がない時代の宗教には経典は在りませんし、世界には経典の無い宗教も沢山あります。
確かに文字がない文化であっても宗教(概念)はいくらでもあるわけですし、おっしゃられる通りですね。学生時代に聞いた話を今の今まで私は何も考えずに信じてました。かなり、うかつですね!
神道についても情報有り難うございます。仏教受容以後の神道は、まさに神仏習合で実質不可分な面が多々あると思うのですが、仏教受容以前と以後の神道には質的な変化があるように個人的には思うですが・・・なにぶん勉強不足で、論理立てて説明するまでいっていません。もう少しその辺も含めて、いろいろ学んでいきたいです。
ヒンドゥー教の神の一人にシッダールタがなっているほどの、何でもOKの受容性はないものの、神道もアミニズムや征服王朝による序列付けの政治的側面など多面的な要素があるなかで、広範な受容性を持つ宗教であるわけですし、興味深い対象だと思っています。すみません、話がそれました。
「投身飼虎」の件ですが、確認してみました。やはり本書ではそういう表記になっています。似たような話はいくつか聞いたことがあるのですが、細かいところで異同がやはりあるのでしょうか?
全然、そういう点には気付かなかったのですが、今度読むときにはそういう点にも注意してみたいです。