いつだったか岩殿観音を訪れた時にも、付近にある札所を調べてここの吉見観音を知ったのですが、あまりにも不便な場所故、行ったことがありませんでした。今回ようやくのチャレンジです!
東武東上線東松山駅からバスで久保田に降りて30分以上は歩くことになります。大きい道沿いですが、案内板が札所の直前にならないと無くてあまり親切とは言えないかも? 私は親切な方々に道を何度か聞いて、ようやくたどり着くことができました。

もっとも、私は行く途中でも面白そうなところがあるとドンドン寄り道してしまうのでそれもいけないんですけどね(苦笑)。ここは歩いている途中で見つけた蔵です。土蔵ファンとしては、しっかり写真を撮らねば!

同じ蔵を反対側から、遠く離れて撮ったもの。拡大したら、あまり違いがなくなってしまった。

先ほどの蔵のすぐ近くにあった、とっても立派なおうちです。右手の蔵も真新しいですが、最初はお寺かと思うほどしっかりした特徴のある造りをしたおうちも素敵です♪
うちの本家の建物も昔は相当に立派だったんだけどねぇ~。お寺もやってたし。今じゃあんな安っぽい家建ててしまって・・・と、親戚連中が集まった時に出てきそうな愚痴は置いといて。


「延喜式内」な~んて書かれていたら、そりゃ寄っちゃうでしょ。期待しちゃうってもんです。
【wikipediaより抜粋】
延喜式神名帳(えんぎしき じんみょうちょう)とは、延長5年(927年)にまとめられた『延喜式』の巻九・十のことで、当時「官社」とされていた全国の神社一覧である。延喜式神名帳に記載された神社を、「延喜式の内に記載された神社」の意味で延喜式内社、または単に式内社(しきないしゃ)、式社(しきしゃ)といい、一種の社格となっている。

な、なんつ~か、歴史の流れを感じてしまう。廃寺になって消えてしまうものも多いことを考えれば、現存するだけでも歴史の一証人だろうが、本当にひっそりとただ&ただひたすら存在している、ってカンジです。
でも地元の方の篤い崇敬があってこその賜物でしょうね。他の文献とかに何か関連する資料が残ってないか、気になりました。京都の一条戻り橋&清明神社などの有名どころでさえ、歴史の圧倒的な力の前では、すぐに忘却の彼方へと送られてしまうものですし、ふとそんなことを思ったりしました。

そんなこんなの遠回りをしつつ、お目当ての吉見観音へ向かいます。道中の路傍には、それっぽい石碑が見受けられます。いかにも坂東の札所云々の記述がありますね。

だいぶ苔むしてます。

真っ直ぐ伸びる参道の両脇にもなにやら・・・。

石仏もいっぱいありました。


しっかり入口をガードしています。いよいよ吉見観音へ!
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