
序章で述べられているが、近代以降の私達の思考様式・視点から、中世という時代を評価し、理解してきた従来の捉え方ではなく、中世の同時代人が有していた思考様式・視点から捉えようとする試みが、即ち本書であるそうです。
この着眼点は、昨今の本では結構みられるようになりつつあると思いますが、著者自身が述べているように本書を書かれた当時においては、非常に珍しかったでしょうし、今なお、ここに書かれた内容(蜜蜂等の暗喩)は示唆に富み、読む価値のあるものだと思います。
ただ、予備知識無しに本書を読んでどれだけ楽しめるか? あるいは理解できるかと言うと、結構、読者を選ぶ本だとも思います。
端的に言えば、十二世紀ルネサンスやゴシック建築やロマネスク建築、光の形而上学、キリスト教神学等、基本的なことは知っていないと、本書で書かれている説明はすべて上滑りしてしまいます。勿論、本書内でもそれらの解説はされているものの、知っている人前提のものであり、そうでないと全然説明不足です(たぶん)。
逆に、それらを知っていると、本書で述べられている指摘は大変示唆に富み、格段に面白さを増します。中世の写本やステンドグラスなどに描かれた図像が示す意図を、表面的な形象の把握に留まらず、まさに世界を現したものとして当時の人々の価値観で理解し、共感できるように近づきます。
単なるデザイン(図像)ではなく、世界の縮図、ある種世界そのものを感じられるような気がします。エミール・マールが示した図像理解の精緻さまではいきませんが、これはこれで微妙に重なり、一読の価値はあります。
また、中世の社会そのものへポイントがあるならが、阿部謹也氏の作品などと合わせて読むと、理解がより深く具体的になるような気がします。「ハーメルンの笛吹き男」にも共通しますが、都市の誕生がもたらした影響、新しい社会集団の登場は、社会全体を大きく変化させていったことを感じます。
そういった事柄が結び付いて、私が大いに関心を持つゴシック大聖堂などにつながっていく、実に楽しいです♪ 実は、このブログで書評を書く為に読み返していたら、改めて気付く事が多々ありました。一読ではなく、熟読すべき価値があります。お薦め~!
以下、抜き書きメモ。
中世ヨーロッパにおける階層秩序的な社会観の根幹を、神学的にはっきりと定式化したのはアウグスティヌスである。彼は、その著作「秩序について」で、宇宙が上下に段階づけられた諸階層からなり、また宇宙においては個々の構成要素が、それぞれ全体にとり不可欠なものとして存在することを述べ、そのような宇宙の秩序が、神自身の創造の意図に従ったものであると語る。不平等社会の固定化というマイナス面を近代的な価値観からだと批判されそうですが、すべての存在を現状のまま、強烈に肯定している点は、自らの存在意義を見出せず、自殺者などを多数生み出す現代と比べて、大いに考えさせられるものがあります。人間にとっての幸福の概念は、決して絶対的なものではないことを痛感します。
アウグスティヌスによれば、現世に存在する悪しき構成要素も、神の創造した世界の秩序の中では一定の意味を持つ。
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アウグスティヌスに従えば、あらゆる秩序は、その構成要素のあいだでの不等性を前提としながら、全体としての調和をめざすものである。彼はそうした秩序の観念を、「秩序とは等しいものと不等なものに、それぞれの場所を与える配置のことである」と語ることによって集約的に提示している。
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こうしたアウグスティヌスの神学的世界像は、のちの中世の知識人に決定的な影響を与えることになった。
同じく神学的な議論によって、中世ヨーロッパの社会観に大きな影響を与えた者として偽ディオニシオス・アレオパギテスの名をあげておこう。
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彼は新プタトン主義的な宇宙論を、キリスト教における天地創造の教えに包括的に適用し、両者を融合させた議論を展開しているが、彼の著作は九世紀にギリシア語からラテン語に訳されると、西欧における神学や社会論に大きな影響を与えることになった。
とくにその「天上位階論」が中世社会における身分秩序の思想に与えた影響は計り知れない。その核となる教えは、創造された宇宙の秩序の中で、個々の者がその身分にふさわしい位置を占め、自身に与えられた職分を果たすことを、神が望んでいるというものである。彼によれば、世界に存在する個々の者は、その固有の身分に満足しなければならず、そうでなければ、神の法が損なわれるとされる。
暗喩を用いた社会像とは、身近にあって調和的な統一性をもつものとの比較で社会にあるべき姿を提示することであるが、中世の社会論で暗喩として使用されたものには、人体、蜜蜂、建築物、チェス、都市や城といったものがある。こうした暗喩による社会の理解は古代以来の伝統を持つが、中世の政治社会論の中で神学的世界像を背景としながら、それらが活発に論じられるようになるのは、中世盛期とくに十二、十三世紀の現象である。それは中世都市の成立とともに商人や手工業者といった新しい社会集団が社会的な影響力をもつようになる時代と対応する。まさに、都市の誕生が新秩序の合理的肯定を必要としたのですね。ふむふむ。
こうした新たに重要性を増した社会集団を、どのように中世の身分秩序の体系に位置づけるていくかが、十二世紀以降の社会論における大きなテーマとなる。そのさい、複雑化した社会のありようを、異なる価値と役割をもったさまざまな構成員の調和として表現するために、暗喩による社会の把握が好んで用いられるようになる。
中世における暗喩を使った社会像は、すべての秩序だった調和物が、神によって作られた宇宙と同じ原理によって構成されるという、大宇宙と小宇宙の相似性の観念を背景としてもっているといえる。これが、天球と対応した人体図、「ベリー公のいつも豪華なる時祷書」などの図像につながるんですよねぇ~。
十二世紀の知識人達に共通する新しい自然観がある。つまりそれは、神が創造した自然の調和物の中に、人間が模倣すべき範例を求めようとする立場であり、そしてそうした観念は、自然の神秘を積極的に探究しようとする知的態度を生み出すことになった。シャルトル学派も改めて、一通り著作集を読んでおく必要を感じます。面白いけど、大変なんだよなあ~ふう~。
蜜蜂は性交を行わず、処女でありながら、生殖を行う・・・・処女マリアだから、教会にはロウソクを灯すんですねぇ~。単なる照明以上の意義があるわけです。
蜜蜂は天の露によって養われる・・・神の言葉によって霊的に自身を高めること
蜜を産出する・・・・永遠の生命、神による救済
ロウソク・・・・キリストの神秘な体、すなわり教会であろ、それを蜜蜂である信徒たちが、敬虔な作業で作り出すという象徴的解釈がなされる
教会建築における個々の部分の解釈で、信徒を教会建築を形作る石とみなす観念は、とくに中世の神学者によって好まれた暗喩であった。ロマネスク建築しかり、ゴシック建築しかり。教会という建物こそが、物質的にも霊的にも教会そのものだったりする。映画「スティグマータ」で教会の建物にこそ、カトリックとしての価値を見出す発言を司教がするが、私はずっと誤解してました。あれは神学的に正しい、意義ある台詞だったようです。う~ん、何も知らない私が見ていて面白く感じたのは、うわべだけしか理解できなかったんですね。
十二世紀の神学者サン=ヴィクトルのフーゴーは、「人々が神を称えるために集まる教会は、聖なるカトリック教会を意味し、それはその生きた石によって作られる」という。また、デュランドゥスも「物質的なもの【教会】が集められた石からなるように、霊的なそれはさまざまな人間から構成される」と語る。
プロテスタントが聖書を拠り所として、教会等の建物をあくまでも集会所的な単なる建物とみなす考え方が、カトリックにとっては神学的に受け入れられないのは、なるほどと思いました。
【目次】中世ヨーロッパの社会観 (講談社学術文庫 1821)(amazonリンク)
序章 隠喩による社会認識
第1章 蜜蜂と人間の社会
第2章 建造物としてのキリスト教会
第3章 人体としての国家
第4章 チェス盤上の諸身分
終章 コスモスの崩壊
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「十二世紀ルネサンス」伊東 俊太郎 講談社
「中世思想原典集成 (3) 」上智大学中世思想研究所 平凡社
「ロマネスクの図像学」(上)エミール マール 国書刊行会
「ゴシックの図像学」(上)エミール マール 国書刊行会
「ゴシックの図像学」(下)エミール マール 国書刊行会
「ルターの首引き猫」森田安一 山川出版社
「キリスト教図像学」マルセル・パコ 白水社
「The Hours of Catherine of Cleves」John Plummer George Braziller
「ハーメルンの笛吹き男」阿部 謹也 筑摩書房
「中世の窓から」阿部 謹也 朝日新聞社
「甦える中世ヨーロッパ」阿部 謹也 日本エディタースクール出版部
「中世の星の下で」阿部 謹也 筑摩書房