2007年07月10日

「図説 キリスト教文化史1」ジェフリー バラクラフ 原書房

本書は章毎に異なる著者が書いた共著であるが、だてに上智大学中世思想研究所が監修してるわけではなく、実に客観的な歴史的事実に即したキリスト教の解説がされていると思います。

決して、熱に浮かされたようなほとばしる情熱は無いものの、適当な牽強付会による歴史解釈でも、宗教がかった偏見に満ちた歴史観でもなく、おそらく学問として妥当と思われる姿勢を貫いていると思います。

その一貫した姿勢の下で、キリスト教という宗教が歩んできた歴史や社会に及ぼしてきた影響を一歩、対象から離れたところから冷ややかに眺めている感じがします。

逆にそれ故に学ぶべき視点が多く、より整理した形でのキリスト教史を理解することができたと思います。宗教としてのキリスト教ではなく、社会に多大なる影響を与えた歴史的位置付けにおける一つの思想としてのキリスト教を知るには、結構良い本だと思います。

たっかいけどねぇ~。私は定価の約10分の1だから買ったけど、なかなか買えません。有益だけど、一度読めば十分かな。定価での購入は二の足踏むなあ~正直なところ。

ただ、図版もそこそこあるし、内容も実にしっかりした骨太の本です。でも、序章はいささか勢い過剰気味。序章はもっと淡々として簡潔であった方が良かった。
【目次】
序章 キリスト教世界とは何か
Ⅰ古代世界
 1章ローマ帝国におけるキリスト教
 2章キリスト教芸術の誕生
Ⅱ宣教の勝利
 3章蛮族の改宗
Ⅲ東方教会
 4章ギリシア教会と東ヨーロッパの諸民族
図説 キリスト教文化史〈1〉(amazonリンク)
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2007年06月01日

「聖ブランダン航海譚」藤代幸一 法政大学出版局

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以前に読みたいと思いつつ、目の前に積まれた未読の山にかまけて忘れていました。先日、神保町で久しぶりに見つけて購入。読んでみました。これ、当りです!

最初の三分の一は「聖ブランダン航海譚」の全訳になっています。紙の色まで変えてあり、なかなか凝っていますが、更にインキュナブラ(初期印刷本)の復刻版の木版画が入れてあり、読んでいて実に楽しいお話になっています。

残りの三分の二は解説で、著者はブランダンの名称だけは知っていても内容を知らない一般読者を対象に、まずは内容を知ってもらい、関心を深めてもらうことを狙ったそうです。その為、個々の本のバリエーションの比較など文献的考察はあえて省き、可能な限り分かり易く読み易いものに仕上がっています。まさに、細かい事は置いといて内容を知りたいと思っていた好奇心の徒である私のような読者にはうってつけでした(笑顔)。同時に、著者の狙いも期待通りに達成されていると思います。

そもそもアイルランドで生まれた聖人伝説兼、航海譚たる「聖ブレンダン航海譚」はラテン語で書かれたもの(写本)が祖形であり、西欧中に広まったものですが、本書が底本としたのは、それから数百年を経てドイツ民衆本として印刷された「聖ブランダン航海譚(←発音が異なる)」である為に、いろいろな点で異なっている点があります。

その点については、本書の解説部分で分かり易く説明されており、大変勉強になります。当時の民衆が文章からイメージしたと思われる内容も木版画が具体的なイメージを提供しているので、より一層中世の庶民の世界が理解し易いです。

そういえば、先日読んだ「ルターの首引き猫」という本で、宗教改革当時の印刷技術の影響や、そこに刷られた木版画の意義を知ったけど、本書の解説でも絡んできてますね。知れば知るほど、奥が深いし、益々興味が湧きますね。何よりも面白いです。

中世文学のティル・オイレンシュピーゲルが、聖ブランダンの聖遺物で起こす奇蹟も、これを知らないと面白さが半減しますね。他にもいろんなところで出てくるし、やっぱ知っておかないとね。

名称だけでも聞いたことのある人は、本書を読んでおいて損はないですよ~。
【目次】
聖ブランダン航海譚

解説
プロローグ
 (ドイツの民衆本、中世の文学に現れたブランダン、その祖形)
アイルランドの章
 (遙かな遠い国、聖パトリックそしてシャムロックの花、キリスト教の伝播、実在の聖ブランダン)
異界1
 (ユダ、聖パトリックの煉獄、煉獄、悪魔、善き男)
異界2
 (鯨、異界のメルクマール、磁石山と魔の海、城、楽園、のらくら天国、異形の人びと)
エピローグ
 (中世のベストセラー、伝説の終焉)

テキストと参考文献
藤代幸一著訳書目録
あとがき
聖ブランダン航海譚―中世のベストセラーを読む(amazonリンク)

関連サイト
聖ブレンダンの航海
Curraghさんのサイトです。ラテン語版の訳やたくさんの情報がありますよ~。私も勉強させてもらっています。

関連ブログ
聖ブレンダンの航海譚 抜粋
「図説 ケルトの歴史」鶴岡 真弓,村松 一男 河出書房新社
「ケルト神話と中世騎士物語」田中 仁彦 中央公論社
「ルターの首引き猫」森田安一 山川出版社
「ヴィッテンベルクの小夜啼鳥」藤代幸一 八坂書房
「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら」藤代 幸一 法政大学出版局
ラベル:書評 中世 航海譚
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2007年05月30日

「創立者の横顔~ホセマリア・エスクリバー師とオプス・デイについて~」精道教育促進協会

古書店であまり見ないような本があったので購入したもの。ダ・ヴィンチ・コードで名前だけが一人歩きして誤解されてしまった「オプス・デイ」の設立者に関して書かれた本です。設立者本人の文章と他の者の目を通して描かれた文章です。

今までオプス・デイがカトリック教会の中で占める位置がいまひとつよく分からなかったのですが、本書を読むと「オプス・デイ=神の御業」というのが何を指し、何を意図しているのか、また既存の修道会等とはどのように異なっている為に、あえて新設されたのかが分かります。

私の理解できた範囲で説明してみると、一切の俗世間から乖離して山奥の人里離れた修道院に籠もって生きていく修道士的な生活と種々の虚実の駆け引きに身を費やす俗事の生活が、神の作った世界で二重世界のように平行して存在しているのではない。たとえ俗事にまみれた生活であっても、自らの職業に誠心誠意、正しく励むことでその職務の中に聖性を見出しうるということのようです。

わざわざ修道士にならなくても、日々の仕事に精励することで人は誰でもキリスト教信者としてふさわしい生活を送ることができる、という点で現代という時代における宗教的生活の新しい在り様の提示になるみたいでその意味で既存のカトリックと異なり、新設された組織が必要であったようです。

非キリスト教徒でカトリック自体を正しく理解しているとはいえない私ですが、本書の中で示される世間的問題に対する個人の自由の尊重や既存の教区に縛られない国際的な組織というのは、大変興味深かったです。

伝統的なカトリックやプロテスタントに関する本を読んだ後で、本書を読んでみると更に面白さが増すかもしれません。勿論、本書は内輪から書かれた本であり、それに対して外部からはどう思われているかも併せて捉えていくと、どんなに騙されやすい人でもさすがにダ・ヴィンチ・コードは、フィクションだなあ~と納得できます。

いろんな意味で示唆に富んだ本でした。勿論、あくまでも一つの宗教への多面的アプローチの一つでしかありませんけどね。

ちなみに・・・amazonで探しても登録が無かったです。値段がついているから市販された本だと思うのですが、いわゆる取り次ぎルートに乗らないで販売された本なのかなあ~?

関連ブログ
オプス・デイ創立者、列聖へ カトリック新聞
オプス・デイと映画「ダ・ヴィンチ・コード」「苦いレモンを甘いレモネードに変えたい」と語るオプス・デイのスポークスマン
オプス・デイがダ・ヴィンチ・コードに対して分別のある評価を求める。
ペルー事件と「オプス・デイ」 「陰謀結社」実態と落差
「世界を支配する秘密結社 謎と真相」 新人物往来社
「法王暗殺」より、抜き書き
オプス・デイの機関誌もムハンマド風刺漫画掲載
ラベル:カトリック 書評
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2007年05月16日

「ヴィッテンベルクの小夜啼鳥」藤代幸一 八坂書房

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先日読んだ「ルターの首引き猫」の本と多くの図版が重なります。また、解説も重複するところが多いです。基本的に両方が宗教改革時の印刷物の図版を扱っているので、当然のことなのですが、せっかくなので違いを述べてみます。

前者では、図版の数が絞られている反面、一つ一つの図版が非常に大きく、図版を介した内容の説明をしながら、宗教改革の中でその図版がどんな意図を持って製作され、どのような影響を与えていったのかを解説しています。

それに対して、本書では図版の数が多くなっている反面、小さな図版も多く、図版自体の説明も詳細にされているものと簡略なものに分かれます。特定の図版については、詳しい説明がされ、宗教改革における意味の解説もされているのですが、どちらかと言えば、宗教改革の説明の為に図版が使われているという感じで、前者の本とは構成が対照的であるように思います。

どちらか一冊ということならば、私は前者の分かり易さと内容を絞り込んだうえでピンポイントの解説の詳しさを強く押します。もっとも本書もそこそこ面白いので両方読んで読み比べると相乗効果もあり、一層理解が深まると思います。悪くないと思いますよ~。

なお、前者の第5章 「ヴィッテンベルクの鴬」というのが、実は本書の「ヴィッテンベルクの小夜啼鳥」と同一の図版を指しています。

そうそう、本書ではいかにもオイレンシュピーゲルを翻訳された藤代氏らしく、中世ドイツの民衆の習俗や慣習などに絡ませたコメントなどが多く、そういった視点からの解説も多いです。ご参考までに。
【目次】
ある男の旅から
宗教改革の発信地
ヴィッテンベルクの小夜啼鳥
謝肉祭劇を覗く
ザックスとデューラーの町―ニュルンベルク
古城ワルトブルク
四人の使徒
結び
ヴィッテンベルクの小夜啼鳥―ザックス、デューラーと歩く宗教改革(amazonリンク)

関連ブログ
「ルターの首引き猫」森田安一 山川出版社
「宗教改革の真実」永田 諒一 講談社
プランタン=モレトゥス博物館展カタログ~メモ
「グーテンベルクの時代」ジョン マン 原書房
「世界の名著23 ルター」松田智雄編 中央公論社
「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら」藤代 幸一 法政大学出版局
国立西洋美術館、平成14-18年度新収蔵版画作品展
デューラーの版画等
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2007年05月10日

「聖女の条件」竹下節子 中央公論新社

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カトリック教会における、聖人且つ女性である『聖女』に絞って採り上げたもの。黄金伝説や基本的な説明の後で、具体的にどのように信仰されているのか、実際の聖地での崇拝のされ方なども含めて著者なりの考察を加えている。その際には、キリスト教(カトリック内)にとどまらず、日本や中国など西欧諸国以外や異なる宗教である仏教など多面的な比較文化論的なアプローチをしている。

なかなかボリュームがあり、内容が盛りだくさん、同時に読み易い。実際に聖地であるルルドやカスシアへの巡礼した体験記もあり、この手のものを詳しくない人には十分過ぎるくらいの内容だと思う。

しかしながら、著者自身が後書きで書かれているのだが、「聖母マリアの生涯」部分はご自身の著書「聖母マリア」(講談社メチエ)からの流用であり、聖母信仰や聖人信仰の部分は、上記の本と「聖者の世界」(青土社)に多くを拠っているそうだ。

私的には、本書の中で一番使える、というか読んでいて有用であると思ったのはまさに聖母信仰や聖人信仰の部分であるので結論から言うと、本書以外の本を読むべきであった。

著者が書かれている比較文化論的な説明(死後の肉体の扱い方や桜型聖女VS薔薇型聖女等)は、正直どうでも良い。特に有意義な指摘があるわけでもなく、不要。巡礼部分も本質的な意味で価値はない。肝心の聖人信仰部分は、よくまとめてある反面、明確な典拠をつけておらず、最後にまとめての文献一覧はあるが、個別に確認できない。また私が他の本で知ったこととは異なる説明もあった。どちらが正確かは、確認できていない。

色々と不満足な点もあるものの、聖女リタの話などは、もっと簡単な説明しか知らなかったので大変勉強になった。部分部分では、他にも初めて知ることも多かった。もっともルルドの実在した少女ベルナデッタなどについての説明などはイマイチ。その後の不幸とも言えるような境遇にあったことや、秋田のマリア像の経緯なども他の本で詳しく知っていただけに本書の記述と、ちょっと異なる印象を受けたが、この辺は微妙かもしれない?

なお、本書のタイトルである「聖女の条件」はあくまでも切り口でしかなく、結論として何か有意義な内容が示唆されるようなことはない。あくまでも、切り口以上のものではないので注意!

そうそう、本書の中で私が始めて知ってことをメモ。
カナの結婚に関する奇蹟における代願(←マリアとイエスが結婚式に呼ばれたが、酒が足りなくなった時、イエスが水をワインに変えたというあの有名な奇蹟のこと)

 マリアが女性らしい気配りでブドウ酒の量をチェックしていなかったら、イエスがわざわざこの奇蹟をなすことはなかっただろう。これが後に、たとえイエスが見落とすことでもマリアを通して頼みさえすればイエスに取り次いでもらえる、という「代願」の根拠となった。
代願自体は勿論、知っていたけど、こんな根拠は初めて知りました。でも、これってイエスである神の全能の否定のように感じるんだけど・・・どうなんでしょう? 今度、他の本を読むときに意識してみようっと。

まあ、暇があったら目を通しておくといいかも?って感じでしょうか? 本書だけでは、肝心のマリア崇拝が分かりません。もっと他の本も読まないと足りませんね。昨今のマリア神学の動向についても教えて欲しかったなあ~。
【目次】
 序章 聖女の意味するもの

第1部 聖母マリア
 第1章 聖母マリアの生涯
 第2章 「聖処女」信仰の話―聖マリア・ゴレッティ、福女ラウラ・ビクーニャ
 第3章 近現代の聖母信仰―パリ、ルルド、ファティマ、メジュゴリエ、秋田、ナジュ

第2部 聖女リタ
 第4章 聖女リタの生涯
 第5章 腐らぬ遺体の話
 第6章 聖痕の話
 第7章 桜型の聖女と薔薇型の聖女―ジャンヌ・ダルク、リジューの聖テレーズ、マザー・テレサ、シスター・エマニュエル

第3部 巡礼
 第8章 ルルドで考えたこと
 第9章 カスシアで考えたこと―聖女リタを訪ねて
 終章  聖女の条件
聖女の条件―万能の聖母マリアと不可能の聖女リタ(amazonリンク)

関連ブログ
「聖母マリア」 竹下節子著 講談社選書メチエ 
「聖母マリア」 竹下節子著 講談社選書メチエ 覚書
「ヨーロッパの死者の書」竹下 節子 筑摩書房
「聖母マリアの系譜」内藤 道雄 八坂書房
「黄金伝説3」ヤコブス・デ・ウォラギネ著 人文書院
「ファティマの奇蹟(奇跡)」最後の目撃者が死亡
「ファティマ 第三の秘密」教皇庁教理省 カトリック中央協議会
「日本の奇跡 聖母マリア像の涙」安田貞治 エンデルレ書店
米カリフォルニア州で「血の涙流す」聖母マリア像
動く聖母像の奇跡を録画しようと信者が集結
巡礼者がネイプルの動く聖母像を見に集まっている
「芸術新潮1999年10月号」特集「黒い聖母」詣での旅
「黒マリアの謎」田中 仁彦 岩波書店
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2007年05月08日

「フランシスカニズムの流れ」川下勝 聖母の騎士社

アッシジのフランチェスコが作った組織「小さな兄弟会」。それがどのような歴史的経緯を経て、どのような姿をとるに至ったのかが描かれています。

目次に出てくるヨキアム主義や映画「薔薇の名前」にも出てきた清貧論争など、興味深いものもあるのですがいかんせん、読んでいると眠くなります。

淡々と事実を述べていくような記述なので、全てを読了するのはかなり辛い感じです。私も真ん中を過ぎたくらいで読了を挫折しました。

よほど関心がないと大変だなあ~という感じがしますので、本書はちょっとお薦めできないかなあ。ちゃんとしているんだけど、面白い記述ではないです。それを求めてはいけないタイプの本かもしれませんが・・・。
【目次】
第1章 小さき兄弟会創立時期の時代背景
第2章 小さき兄弟会創立者アシジのフランシスコ
第3章 小さき兄弟会の創立
第4章 小さき兄弟会の会則
第5章 13世紀における小さき兄弟会の伝播
第6章 福音宣教
第7章 聖職者修道会化
第8章 学問への道
第9章 霊性、聖性の開花、信心の特質
第10章 小さき兄弟会初期の総長の系譜
第11章 内的生活および法律にかかわる問題と解決の試み
第12章 危機への直面―ヨアキム主義と托鉢修道会論争
第13章 危機への対応
第14章 司牧特典論争
第15章 スピリトゥアル論争
第16章 清貧論争
第17章 コンヴェントゥアル主義と形成と発展
第18章 西欧教会の分裂と小さき兄弟会
第19章 オブセルヴァンテス改革運動
第20章 オブセルヴァンテス以外の改革諸派
第21章 小さき兄弟会分割への歩み
第22章 小さき兄弟会の分割
フランシスカニズムの流れ―小さき兄弟会の歴史 1210~1517(amazonリンク)

関連ブログ
「アッシジの聖堂壁画よ、よみがえれ」石鍋真澄著 小学館 感想1
ブラザー・サン シスター・ムーン(1972年)フランコ・ゼフィレッリ監督
「黄金伝説4」ヤコブス・デ・ウォラギネ著 人文書院
ラベル:書評 キリスト教
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2007年05月07日

「ルターの首引き猫」森田安一 山川出版社

グーテンベルクの活版印刷術の発明は、宗教改革が促進されるだけでなく、それによって宗教改革そのものが可能になった前提条件であったわけですが、特に民衆レベルで意識改革や情報伝達において、印刷された木版画入りのパンフやチラシの影響は大変大きかったようです。

本書では、宗教改革当時の木版画の図像を通して、文字を読めない民衆に対して、いかに効果的に宗教改革を意図を知らしめたのかを大変分かり易く説明しています。

紹介される図版も数を絞り、その分より一層詳しく、それが何を意味し、当時の人々にどう受け取られることを意識し、意図していたのかまで踏み込んだ説明がなされています。

また、その図版が明示する内容だけでなく、間接的に暗示するカトリックの既存の図像などまで遡って説明がなされており、実に面白い。あまりの巧みなそのメディア戦術には、現代の広告宣伝よりも凝っているんじゃないのと思いたくなるほどの卓越した上手さです。

今のチャラくて安易な宣伝には、是非見習って欲しいぐらいですよ~。本当に! せっかくなんで幾つか紹介してみますね。

神の水車

左上に神がいて、恩寵の力により枯れていた水の流れを戻して、止まっていた水車を再び動かし、製粉の仕事を可能にする。製粉職人を演じるキリストが袋から穀物をホッパー(漏斗上のもの)の中に入れて、粉にひく。ここで穀物は四福音書の著者を示す動物になぞらえている。

ひかれた粉は四本の文字の帯で描かれ、「信仰、希望、事前、教会」の四つの言葉が示される。製粉職人の助手は、人文主義者の雄であるところのエラスムス。エラスムスと背中合わせにして、パン粉をこねているのはルターであり、桶にルターの名がある。

出来上がったパンは聖書として描かれ、それはカトリックの代表者たちに手渡そうするが、彼らはそれを拒絶し、聖書は地面に落ちている。

また、右側のカトリックの代表者たちの上には鳥が「バン、バン(破門、破門)」と鳴いている。中央にいるのは、「からさお」を大きく振り回している農民(カルストハンス)がいて、鳥とカトリックの代表者たちを追い払わんとしている。

ここまでが明示的な説明らしいですが、実は、この図版の前にカトリック側の図版に「神秘の水車」というものがあるそうです。そこでは、四福音書の著者が穀物を入れ、製粉の結果、生まれてきた御子キリストが描かれているんだって。製粉過程とは、キリストの受難を暗示し、それを経て生まれたパンはキリスト自身であるとする、聖体の教え(カトリックの正餐説)を示すそうですが、その図版を踏まえて初めてここにあげた「神の水車」がより一層の深い意味を持つんだそうです。

本書では、もっと&もっと詳しく深い説明がされていて、本当に奥深い。ルターの有名な諸文書なども知っていれば、更にこれらの説明が生きてくるのでもう面白くってしょうがありません! シンプルな図版なのに、そこに込められた内容を考えると驚愕と感動ものです!! 是非、関心のある方は本書を手にしてみて下さい。

文盲であった民衆に、多大なるインパクトを与えることを可能にした理由に納得がいくはずです。また、ルター自身が書いた文書や当時の人文主義者の文書なども目を通していれば、その面白さは飛躍的に増大しそう。まさに知れば知るほど、美味しい本でしょう♪
力強く推薦しちゃいます。

ルターの首引き猫

以下もたくさんの説明が本書ではなされていますが、キリがないので説明は省略しちゃいます。これは「首ルターの首引き猫」。十字架を支えるルターと三重冠が頭から落ちかけている教皇が、首にまわした綱を引き合っている姿。教皇の周りにいる動物達はカトリック派の神学者達。教皇の懐からは金袋が落ち、お金が転がっている。

便壺に突き落とされるルターの屍

便壺に突き落とされるルターの屍。カトリック側からの反撃として、猫の頭で象徴されたカトリック派神学者ムルナーがルターの主張通りに、生きた場合をパロディとして描いたもの。カトリックの終油のサクラメントを拒否するルターが息を引き取ると、猫の大合唱により葬送の儀式が行われ、ルターの屍は哀れ、厠の便壺に突き落とされる。なんともエグイパロディです。

尻から出てくる小阿呆

尻から出てくる小阿呆。「カルストハンス」は農民を表すと共に、カトリックを批判する「匿名の汚物的小著」ということで、カトリック派の神学者で猫で表されたムルナーは、この図版であえて自虐的に猫で自分を表しつつ、カルストハンスを糞になぞらえ、大阿呆が強いシロップを飲み、尻から出された小阿呆として描いている。

いやはや、毒に満ちたパロディ合戦です。これらの明示的意図以外に、暗示的なダブルミーニングを持っていたり、本当に面白いことこのうえなしです。

少しでも関心のある方、これは読んでおくべき本ですよ~。巻末には文献目録の紹介があり、資料としても充実しています。
【目次】
第1章 歴史のなかの宗教改革
 1ルターの宗教改革
 2人文主義者たち
 3書籍印刷なくして宗教改革なし
 4人文主義者のネットワーク

第2章 「神の水車」
 1パン職人ルター
 2生きたパン
 3聖書のみによって
 4カルストハンス

第3章 「真理の勝利」
 1勝利の凱旋
 2「ロイヒリーンの勝利」
 3フッテンとルター
 4剣と筆

第4章 「ルターの首引き猫」
 1ルターと教皇の一騎打ち
 2動物頭の神学者たち
 3ネズミの王様と鍛冶屋

第5章 「ヴィッテンベルクの鴬」
 1闇から光のもとへ
 2ライオンになった教皇
 3夜明けを告げる鳥

第6章 カトリックの反撃
 1風刺作家ムルナー
 2神学者ムルナー
 3ムルナーへの揶揄・攻撃
 4ムルナーの大反撃

あとがき
ルターの首引き猫―木版画で読む宗教改革(amazonリンク)

関連ブログ
「宗教改革の真実」永田 諒一 講談社
プランタン=モレトゥス博物館展カタログ~メモ
「グーテンベルクの時代」ジョン マン 原書房
「世界の名著23 ルター」松田智雄編 中央公論社
「キリスト教図像学」マルセル・パコ 白水社
「ヨーロッパのキリスト教美術―12世紀から18世紀まで(上)」エミール・マール 岩波書店
「新装版 西洋美術解読事典」J・ホール 河出書房新社
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2007年05月01日

「世界の名著23 ルター」松田智雄編 中央公論社

グーテンベルクの活版印刷発明に関する本から、その影響を受けたといわれる宗教改革への関心が湧いて、今更ながらルターの本を読んでみました。

いやあ~、従来のキリスト教会の腐敗に対する不満をきっかけに始まった・・・的な概要は世界史で学びましたが、ここまで凄いというか、凄まじいものとは想像だにしませんでした。実に、実に興味深いです。

ルターの主張する宗教改革というのは、分かり易く言うと、キリスト教原理主義とでもいうのでしょうか?あまりにもラディカル。正直びっくりしました。
【本文より引用】
・・・教皇ののこした勝手気ままと嘘八百の留保は、いまやローマではもう形容を絶するほどの事態を生み出しています。売買、交換、騒動、嘘事、瞞着、強奪、窃盗、空いばり、姦淫、悪辣な手管、ありとあらゆる仕方で神を冒涜するそのさまは、アンティクリストでもこれ以上背徳的な支配はできないほどのものです。
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・・・ローマなる悪魔の巣窟を打ち砕きたまえ、そこに腰をすえているのは、パウロがあたなの宮に坐し、神のごとくにふるまうだろうと述べた、あの人、即ち罪の人、滅びの子なのです。教皇の権力とは、ただ罪と悪意を教え、増やし、あなたのみ名をかり、あなたのみ姿を偽って、人々の魂を永劫の滅びに導くもの以外の何者でありましょうか。
バチカンの法王を悪魔呼ばわりですもん。精神世界の指導者たるべき存在が現世的執着心ばかりを持ち、世俗的な領土や権力、物質的利益ばかりを求めるその姿勢を痛烈なまでに批判し、バチカンが有するというありとあらゆる権力・権限・権能を聖書の内容にそぐわないとしてほとんど一刀両断に切り捨てます。聖書に根拠のない、福音書の内容に反するような「法王の命令に従わなくて良い」「別な法王を選ぶ権利さえある」という主張は、到底バチカン側が受け入れられるはずなどありません。異端として火刑に処せられても当然というべき主張でしょう。

ましてルターの時代って16世紀でしょ! いやあ~、昨今の「俺は体制に組みしないぜ」とかほざいているどこぞのロッカーやら自称アーティストなんかと違って、筋金入りの急進派ですね。しかも自己満足ばかりで真の体制批判につながらないテロなどとは違い、まさに言論だけで社会を変えてしまったのですから、いやはや恐ろしい&恐ろしい。「ペンは剣よりも強し」なんて言葉は、言論の自由が認められている現在にもかかわらず、空虚にしか感じられなかったのですが、改めてその言葉の意義を考えさせられることしきりです。

「シュワーベン農民の十二ヵ条に対して平和を勧告する」
キリスト教界(会ではないことに注意!)内部の聖書の教えに反する在り方には、あれほどまでにラディカルであったルターの教えですが、世俗の世界に関しては全く違った在りようとなります。ルターの進めた福音主義的な考えを恣意的に取り込み、自らの欲求確保(農奴からの解放、税や各種権力への無効要求等)の為に、世俗的・現世的秩序を変革しようとする農民の行動に対しては、非常に冷ややかというよりもむしろ積極的にその動きを抑圧しようとします。

けだし、ルターの考える福音書の教えは、徹底した現世的秩序(教会内部は別)の肯定であり、キリスト者に与えられる自由はあくまでも精神的自由であり、それ以上でもそれ以下でもないとする。為政者が何を為そうが、それに耐え忍んでこそのキリスト者であり、為政者であるところの領主・貴族に対して自らの主張を行うというのは、キリスト者を語る(=偽る)不届き者ということらしい。奴隷であってもキリスト者の自由があるのと同様に、農奴であってもキリスト的自由があるとまで言っている。農民に対して、厳しくその行動を諌める一方で、領主・貴族達には、行き過ぎた苛斂誅求や圧政などを慎むように忠告するだけなのは、甚だ対照的である。

さらにこれら農民の要求が過熱化し、暴徒となって非道な殺人・放火・略奪等を行うように至っては、「盗み殺す農民暴徒に対して」の中で次のように述べている。これらの悪魔に唆され、暴虐を働く暴徒達は既にキリスト者に値しないうえ、社会秩序の安寧確保の為に、神から与えられた重大なる使命・責務として積極的に彼らを弾圧し、殺害することが為政者の義務であるとさえ言っている。

【本文より引用】
農民たちは自分自身が悪魔の捕虜となっていることだけで満足せず、多くの良民を、その意に反して、悪魔のものである自分たちの同盟に加入するように強制し、かくてこれらの人々を、彼らのあらゆる邪悪と呪いの道連れにしようとしているからである・・・・
・・・・・・・・
・・・・・・・・
・・・・・・・・
・・・愛する諸侯よ。ここで解放し、ここで救い、ここで助けなさい。領民に憐れみを示しなさい。できる者はだれでも、刺し殺し、打ち殺し、絞め殺しなさい。
ほお~、ここまで言うんだ。まさに信念の人ですね。こういうタイプは、なまじっか信念があり、自らを恃むこと篤いだけに買収にも屈しないし、死をも恐れずに反対者の全滅を図るタイプみたいです。

偉人であることは間違いないでしょうが、いささか狂信的な感じがしないでもない。もっともそれぐらいでなくても歴史に名など残せないのかもしれません。きっと普通では駄目なのでしょう。

幾分、話はそれましたが、やっぱり名著とか古典とか言われるものってそれだけの価値があるもんですね。歴史を理解するうえで、読んでおいて間違いない一冊でした。

本書には、もっと&もっと深いものが書かれています。個人的にはどれだけの人が理路整然とルターの思想を理解できたのか、甚だ疑問にも思うのですが・・・これだけの思想を伝える為には口伝では足りなくて、絶対に活版印刷が不可欠であったのも実感できます。そういう意味でも価値がありました。
【目次】
ルターの思想と生涯・・・松田智雄

キリスト者の自由
キリスト教界の改革について
ドイツ国民のキリスト教貴族に与う
奴隷的意思
農民戦争文書
商業と高利
詩篇講義
ローマ書講義
ガラテア書講義
卓上語録
世界の名著〈23〉ルター(amazonリンク)

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2007年04月17日

「図説 コーランの世界 写本の歴史と美のすべて」大川玲子 河出書房新社

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イスラム教の聖典コーラン(本書では、より正確な名称として『クルアーン』と表記)の写本を採り上げ、その歴史と華麗な美の伝統を解説した本。

私はそもそもイスラム教をほとんど知らないので、初めて知ることも多いのですが、中でもキリスト教の写本に劣らず、イスラム教にも素晴らしく美しい写本の伝統があることを初めて知りました。

本書では写本のカラー図版が結構あり、見ていると実に美しい本なので思わずため息が出るほどです。宗教書って神の世界や言葉を表すものだから、最高のものが求められ、必然的に人を魅了するほどのものになるのでしょうか? 今、キリスト教の時祷書の本も平行して読んでいますが、これも実に綺麗だったりする。

写真だけでも見てみると、いい刺激になります。ただ、説明は私にはちょっと退屈。個人的には、写本の歴史よりもその美しい写本自体の説明にもっと紙面を割かれていたら嬉しかったかもしれない。コーランの写本というのは、とっても新鮮な驚きでした。どっかで本物のコーランの写本見てみたいなあ~。

余談:
あのいろいろな意味で傑出した思想家である大川周明氏がコーランの翻訳を出掛けていたとは、初めて知りました。なんか意外!
【目次】
序章 神の言葉は、いかにして下されたのか?
第1章 初期の写本たち―クーフィー体を中心に
第2章 書物の形成―モンゴル西征以降の多様化
第3章 精緻の極みへ―三つの大王朝時代
第4章 写本以後、クルアーンの今―印刷からデジタル化へ
図説 コーランの世界 写本の歴史と美のすべて

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「聖典クルアーンの思想」 講談社現代新書
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2007年03月28日

「天使のような修道士たち」ルドー・J.R. ミリス 新評論

普通の歴史書なら、修道院の歴史的変遷を描くところ、本書は修道院や修道士が中世を通じて(500~1500年の約千年間)変わらずにもっていたと思われる社会的存在意義や影響力を対象にしてあえて通常とは異なる視点から描いています。

また、歴史が文字に書かれた資料を基に考察されることから、必然的に内在する問題も明確に指摘しています。具体的には、本書で扱う文字文献の98%から74%(数値は一種の目安程度のもので年代によっても異なる)以上が修道院や教会で作成されると共に、書かれた内容自体も記述者である彼らが当たり前のことではなく異常で記述するだけの価値があるとした事柄であり、長い歴史を偶然に生き残った限定的なものであることを明示しています。

従って、資料からの考察には、各種のバイアスの存在を差し引いて考えることが必要だとまで言っています。実に良心的だし、大切な前提条件を再確認させてくれます。大いに期待して読んでいったのですが、・・・内容はかなり微妙?

私的には、他の本でも見た内容を少しだけ異なった視点で説明している感じがしてなりませんでした。合わせて、本書での説明がだいたいある程度は知っていることだったので、新しいことを知りたいという私には、物足りなかったのも事実。もうちょい、変わったことを知りたかったんですが・・・残念!

扱っているテーマは幅広いし、興味をひくテーマなんだけど、他にもいろんな本を読んでると、もう少し突っ込んだ解説を期待しちゃうなあ、やはり。決して悪くはないと思うんだけど・・・。

でも面白い記述もあったからそこだけメモ。免罪符の件。
「我々は厳正においてあなた方のお世話を致します。あなた方は天国において我々の世話をして下さい。」

修道院とそこに寄進する人々の間には、現世における保護と安全の保障が魂の救済と取引される役割上の互恵関係があるのである。

物事が目に見える形で外面化することが支配的通念となっている社会では、天国を手に入れることも目に見えるように外面化する行為の結果なのである。一方が天国の値段を決め、もう一方がその金額を支払う。これは現世の生をよりよいものにし、来世の生を保障する保険契約である。

罪は禁欲という非現実的な(=実行が甚だ困難な)行為によっても償うことができたし、また禁欲を善行や献身活動に変換するリストに従ってもっと現実的な償いに変えることもできた。

中世末期に出現してくる免罪符売買は新しい現象というよりは、中世前期のこのような考え方の名残である。
マフィアが人殺した後に、告解して教会に多額の寄付するようなもんでしょうか? そうか罪が金で購えることが社会システム的に認められるという地盤がまず、当時の社会にあって初めて免罪符が許容され、その乱用によって問題化されたということだったんですね!

確かに修道院を立てたり寄進して、神の栄光を現世に積むというのは分かるが、免罪符は即物的な金銭だから、本来的に許容されないものだと思っていたのは私の誤解だったようです。あくまでも乱用の程度問題だということが分かっただけでも本書は価値あったかも。ふむふむ。

ゴシック建築におけるステンドグラスで神の国を視覚化したのも、これと同じ外面化に共通するものなのかもしれませんね。
【目次】
第1章 文字に書かれた情報―例外的なものの記録から日常的なものの記録へ
第2章 創造された世界の世界観
第3章 世俗的富の源
第4章 人々に対する修道士の態度
第5章 価値観―キリスト教的なものと修道院的なもの
第6章 知的貢献
第7章 キリスト教、修道生活、教会
第8章 芸術表現
第9章 修道生活
天使のような修道士たち―修道院と中世社会に対するその意味(amazonリンク)

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「中世修道院の世界」M.‐H. ヴィケール 八坂書房
「修道院」今野 國雄 岩波書店
「修道院」朝倉文市 講談社
薔薇の名前(映画)
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2007年03月19日

「宗教改革の真実」永田 諒一 講談社

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ここんこと関心を持っているグーテンベルク以降の印刷革命の余波で、それと密接に絡む宗教改革にも関心が湧いてきて読んだ本。

安価で大量に印刷できる、まさにその技術を利用したイラスト入りのパンフで民衆に広まっていった宗教改革。実際に民衆の間では、どのようにそれが伝えられたのか、実に分かり易く説明してくれています。

宗教改革の契機にも一役買った贖宥状の販売が一方で聖遺物崇拝と競争関係にあり、どちらもカトリック信者を集めて金銭的利益につなげたいという思惑があったという視点は、私には目新しいもので大変面白かったです。

宗教改革が民衆の既存制度への不満からだけでなく、結婚という形式を内心的欲求から求める聖職者自身の存在なども私には知りえなかった視点です。

本書では具体的な事例を取り上げながら、民衆の立場から、宗教改革の諸相というものを浮かび上がらせていて、なかなか面白いと思います。特に当時、自治権などを持ち始めた各都市が現実的政治配慮から、カトリックと改革派の両派容認という立場を採ったり、逆にその辺の采配を間違って自治権を剥奪されてしまった都市の例なども興味深いです。

そうですね、あと、ルターが教会の扉に貼り付けた話。あれ、事実と異なるとかね。いやはや、学生時代、教科書で教わったことってみんな違うジャン! 聖徳太子っていう名称も今では教科書に出てこないそうだし・・・。歴史で教えるべきは、年号でも人名でもないことを痛感します。もっともだからこそ、歴史も生きていて面白いんですけどね。

欲を言うと、個々のテーマをもっと&もっと知りたいところですが、それは専門書にあたるべき事でしょうね。少なくとも本書をきっかけに見方が広がることは間違いないと思いますよ~。
【目次】
第一章 社会史研究の発展
第二章 活版印刷術なくして宗教改革なし
第三章 書物の増大と識字率
第四章 文字をあやつる階層と文字に無縁な階層
第五章 素朴で信仰に篤い民衆
第六章 聖画像破壊運動
第七章 修道士の還俗と聖職者の結婚
第八章 都市共同体としての宗教改革導入
第九章 教会施設は二宗派共同利用で
第十章 宗派が異なる男女の結婚
第十一章 グレゴリウス暦への改暦紛争
第十二章「行列」をめぐる紛争
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プランタン=モレトゥス博物館展カタログ~メモ
「グーテンベルクの時代」ジョン マン 原書房
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2007年03月08日

「天国と地獄の事典」ミリアム・ヴァン スコット 原書房

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よくあるようなテーマの事典で、間違っても自腹で購入しないけど、読んでみたいタイプの本といったところでしょうか? 実際、一通り全ての項目名に目を通し、興味があるものは個々の説明をチェックしてみましたが、あまり大したこと書いてない本というのが、感想です。

そもそもの原文の著者が作家さんで、興味に趣くまま書き散らかしたもの、というのが実情に近いように思われます。ただ、通常だとキリスト教やその関連に限定されたうえでの「天国」と「地獄」の関連項目になりますが、本書の場合は一切の制限をつけず、それ以外のゾロアスター教や仏教、イスラム教、神道など宗教や神話等々、およそ人が考えたり、思ったり、伝えてきたものなら、全てを対象にしています。

そういった意味で、人間がこれまでどのように「天国」と「地獄」という概念を扱ってきたのかを知ろうとするには、役立つかと思います。アフリカの神話や日本の神道まで対象にしようというのは、面白いです。文化人類学的な視点とでも言えば、良いのかも?

ただ、良くも悪くも著者が知り得た範囲でただひたすら書いているというのがその真相に思えてしかたがありません。というのは、個々の項目の説明に割く紙面が少ないという制限以上に、内容が薄っぺらいし、ポイントがずれていると思われる箇所が散見します。要はもっと、適切且つ簡潔な表現ができるでしょ!ってこと。

あえて言うと、ステンドグラスや教会建築に関する記述などは、論外ですね。内容不適切&不十分で破棄!ってなカンジ。逆になんでこんなことまで?という訳の分からない細かい事まで書かれている場合があって、著者が記述している項目の重要性をほとんど意識せず(or 認識できず?)、書いているとおぼしきところも頻繁に出てくる。

ずばり言うと、本書は大枚はたいて買うべき本ではないなあ~。質よりも量を目差しているのかもしれませんが、量自体もたいしたことないです。たま~に、本当にごくたまにですが、自分が知らなくて大変面白い項目がありましたので、そういうのを見つける為に目を通すと良いかも。それ以上の、使い道はないかと思いました。

むしろオーソドックスなキリスト教限定のものの方が使えそうな気がします。

天国と地獄の事典(amazonリンク)

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「天国と地獄の事典」~メモ
実際の内容で関心のあるものを抜書きしました。
ラベル:書評 事典
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2007年02月04日

「聖母マリアの系譜」内藤 道雄 八坂書房

率直に言おう。本書はなんら明確な目的や意図を持たず、単に著者の私的好奇心の趣くままに「聖母マリア」というキーワードだけを唯一の契機にして書き連ねたメモであり、私にはそれ以上の価値も見出せない本である。

と同時に、膨大な内容があるものの著者自身が書かれているように、あえて個別の文献名や引用先を示さないと方針の為、資料として利用するにも甚だ不向きであり、実用性は著しく低いものとなっている。端的に言うと、いろいろ書いてあるけど使えな~い! まあ、2ちゃんねるのカキコみたいなものだ(←大変失礼な物言いではあるが・・・)。

もっとも著者が上記のような方針を採る理由として、個々の文献には著者が納得できるところと納得できないところがあり、納得のいく部分だけを本書で採り上げたので、文献全体を肯定できないからという。確かにもっとも主張ではあるが、著者が納得しても読者が納得できるかは全く意図しておらず、また、それを他の文献資料と比較することも確認もできず、やっぱり著者の一人よがりな『メモ』というしかない。こんな本を読まされる読者は大いに不幸だろう。私がその一人だが・・・。

本書の内容ついていうと、どっかで聞いたことやどっかで読んだ事柄を本当にただメモしただけの粋を出ていなかったりする。それらを基にして、仮説を押し進めていくようなところもほとんどなく、良く言っても引用集程度。但し、その一次資料が判別できないのだから、もはや論外なのだが。(本書の中でイアン・ベックの名が挙がっていたが、まさに彼の書く本と同じで使えない)

巻末の文献欄には、非常に多くの書名が踊っている。実際、私のそのうちのかなりの部分を読んでいたことに気付いたが、不可解でしょうがないことがある? 何故、もう少しテーマの方向性を絞って論じていかないだろうか? マリア神学だけに絞るとか、伝承の中のマリア像だけに絞るとか、方法はいくつもあったろうに場当たり的に羅列しただけの観がぬぐえず、読んでいるのも辛かった。

データ量は多いが、それに対して付加価値を加えた情報量は決して多くない。本書を読むよりも、自分で時間や手間はかかるが類書を丹念読む進める方がはるかに実りが多いように感じた。どの章も中途半端で尻切れトンボで終わっている。
【目次】
第1章 新約聖書のマリア
第2章 受胎告知図の背景
第3章 マリアから悪魔、魔女、聖女までの距離
第4章 中世受難劇のマリア
第5章 巡礼地のマリア
第6章 マリアの母アンナの家系
第7章 黒マリア崇拝の謎
聖母マリアの系譜(amazonリンク)

関連ブログ
「聖母マリア」 竹下節子著 講談社選書メチエ
「黒い聖母」柳 宗玄 福武書店
「黒マリアの謎」田中 仁彦 岩波書店
「黒い聖母と悪魔の謎」 馬杉宗夫 講談社
「黒い聖母崇拝の博物誌」イアン ベッグ  三交社社
「芸術新潮1999年10月号」特集「黒い聖母」詣での旅
「シャルトル大聖堂」馬杉 宗夫 八坂書房
「黄金伝説3」ヤコブス・デ・ウォラギネ著 人文書院
ラベル:聖母 書評
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2007年01月23日

「イエスの王朝」ジェイムズ・D・テイバー  ソフトバンククリエイティブ

【追加部分】
本書の冒頭部分には、イエスの骨箱の件と共に『イエスの墓』についての記述がされています。あまりにも眉唾ぽかったので私はあえて触れなかったのですが・・・。
 

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本書の冒頭部分でまず引き込まれた。うちのブログでも何度か採り上げたがイエスの弟の骨箱の事件を取り上げている。昨年世界中を騒然とさせ、カナダで公開された後にイスラエル当局により偽造と判断して、その所有者が逮捕されたことまでは私もニュースで知っていたが、それについての評価が未だ定まらず、あれを偽造と看做さない学者がいるのは知りませんでした。

まず著者は、あの事件を偽造と看做さない立場に立っているようです。学界全体で主流として、実際どのように考えられているのか門外漢たる私には分かりませんが、この立場にたっていることは後の本論にも絡み、影響してきます。

実際、当初は学者らしい冷静な姿勢で資料や考えられる当時の社会的状況から、史実に迫るべく仮説を展開していくように見えてこれは信頼できる本かと思いました。

しかし、読み進めていくうちになんともご都合主義で自分の仮説(=主張)には確信があるといいつつ、その根拠に客観性がないように思われてなりません。最終的な私の感想だと、本書だけから判断する限り、「イエスのミステリー」の同類の可能性が高いと思いました。

結論が予想外のものであってもその仮説が立脚する根拠に納得がいけばいいのですが、なんともおかしい部分が散見します。しばしば著者は、Q資料ではこのように言っているので・・・という議論が展開される。著者自身も言っているようにQ資料自体は原本が存在しない。その肯定説に立つのは、不思議でもなんでもないが、現存しない以上、どれほど強い推定が働いてもあくまでもその存在自体が仮説である。その仮説を前提にして、それのみに依拠する形で展開される著者の説明には、屋上屋を重ねる危うさがある。

勿論、研究を進めるうえでそういう仮説に基づく仮説も試論としてあっても良いとは思うが、慎重に扱うべき内容であろう。それにもかかわらず、著者は確信があるといってはばからない。学問をする姿勢としては、甚だ疑問を覚える。

また、本書においては新約聖書として採用された正典を中心に議論を進めているが、正典自体に聖書編纂者による修正がたぶんに入っていると著者は主張するのだから、むしろ積極的に外典と比較をすることでその修正を施す前の姿を浮かび上がらせる作業をしていいように感じる。勿論、ところどころでは正典以外で記述を出して比較したりもしているのだが、正典中心の比較がメインであり、外典との比較は恣意的に(自らの論旨に都合がいい範囲?)行われているように思われる。

本書の特徴として、基本的に論拠を出して仮説を展開しており、その意味では説得力がある。特に本書の文脈で読んでいくと非常に論理的に感じられてこれこそ隠された真実か、と安易に勘違いしそうになるが、冷静になってみると他にもおかしいところが多い。

どんな優れた仮説であっても、通常はそれに対する反論やそれ以外の仮説が並立しているものだが、それらは本書ではほとんど紹介されない。しかも著者の示す論拠は、部分的なものだったり、ひどい場合は文献も示されない場合が多く、本書自体にも文献一覧がない。体裁からして、学問的な本ではないにしてもこの本に信用を置く拠り所がない。

また、著者の仮説がイスラム教におけるキリスト教の取り扱いと大きく異なるところがなく、それが別な意味で整合性がとれた(=真実である可能性が高い)仮説であるとするが、それは根本的に間違っている。イスラム教では十字架にかかってイエスが死んでいないとされるが、著者は数ある仮説の中でイエスが十字架にかかって死んだという説を採用しているので、それだけでも本書には明確な間違いがある。

まあ、個別に挙げるとキリがないが、根本的な意味で本書は単なる仮説でしかない。また、本書の内容でみる限り、確かにダ・ヴィンチ・コードとは違う。(もっともダ・ヴィンチ・コードは小説であり、小説が史実に基づいているかという問い自体がナンセンスである)が、かといって学問的な本でもないだろう。但し、それを踏まえて読む限りでは、結構面白い本だと思う。書かれている内容の途中までは、きちんとした学問的成果を踏まえて書かれている事実だと思うし、実際にその道の専門家だと納得させられるところも多い。

著者が述べるイエス磔刑後の初期キリスト教会の主導権争い等、他の本でもしばしば読んでいるし、とりたてて特殊な訳でもないが、文献資料がなく推測以上のことができない部分にまで、確信をもって自己の仮定(どころか想像でしかない)を主張するのは、明らかに行き過ぎでしょう。結論自体の飛躍以前に論理の飛躍があるので、そこだけは注意しましょう!!

間違っても著者の主張をうのみにさえしなければ、実に興味深く、初めて聞くような内容も多々あり、勉強になります。幾つかの類書と共に読むべきでしょう。イエス亡き後については、実にたくさんの本で似たような説が出されています。ヨハネ教会とかね。ある程度分かったうえで読むば、本書の長所と短所に気付き、いい意味でキリスト教理解が深まるような気がします。

amazonの書評を見ていたら、私にとっては意外なものが多く、奇異に感じたので長々とした文章になってしまいました。

さて、もっとも大切な本書の内容ですが、イエスの12使徒のうち、複数名がイエスの血を分けた兄弟であり、イエスの死後、初期教会はイエスの血族たる弟のヤコブによって率いられたとする。イエス及びその血族に率いられた教会は、ユダヤ人としての伝統に立脚する存在であり、それを否定するものではなかった。一方でイエスから直接教えを受けたわけではないパウロが全く新しい原理に基づくキリスト教を実質、創始し、それがやがて主流となり、聖書もその主流を肯定せんがために恣意的な編集がなされたうえで存在しているとする。
またヨハネとイエスの相互補完的な役割とユダヤの祭司としての意義については、特に本書以外の本でも盛んに見られるとだけ、述べておく。

私のような一般読者にはそれ以上のことは分からないが、専門家だったらどんなふうに本書を見るのか知りたいと思う本だった。
【目次】
はじめに イエスの王朝の発見
序説 ふたつの墓の物語

第1部 まず家族があった
1処女懐胎
2ダビデの子?
3名前が語られていないイエスの父親
4異父きょうだい

第2部 ガリラヤでユダヤ人として成長する
5失われた歳月
6この世の王国
7ユダヤ人イエスの信仰

第3部 大復興運動と迫りくる嵐
8声を聞く
9失われた重要な年
10王国の到来を告げる
11ヘロデ、ヨハネを撃つ
12エルサレムでの最後の日々
13王の死
14イエスは二度埋葬された

第4部 「人の子」が現れるとき
15義人ヤコブのもとに集まりなさい
16パウロの挑戦
17イエスの王朝の遺産
18時代の終わり

結び 失われた宝を取り戻す
イエスの王朝 一族の秘められた歴史(amazonリンク)

関連ブログ
「イエスの弟」ハーシェル シャンクス, ベン,3 ウィザリントン 松柏社
イエスの兄弟の石棺は偽物 CBSニュースより
「マグダラとヨハネのミステリー」三交社 感想1
「聖典クルアーンの思想」 講談社現代新書
「イエスのミステリー」バーバラ・シィーリング著 感想1
「トマスによる福音書」荒井 献 講談社
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2007年01月16日

「情報と国家」江畑 謙介 講談社

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湾岸戦争時、NHKで軍事評論家として頻繁に出演して一躍知名度が上がった江畑氏の本です。江畑氏はあの有名なイギリスの軍事専門誌「ジェーン」の日本通信員。書かれたのは2004年で少々古いのですが、それが逆に現在のイラクの状況を踏まえて読むと実に的確な指摘がなされていて説得力が増しています。

具体例として湾岸戦争やイラク戦争、北朝鮮による弾道ミサイルなどを採り上げつつ、「情報」という言葉が一人歩きし、世界を混迷に陥れている姿を淡々と客観性を保ちつつ説明しています。

単なるデータに、価値評価を含めて初めて「情報」(=インテリジェンス)となる点など基本と言えば、あまりにも基本なのですが、特に日本(のメディア関係)においてはその点について注意力の欠如が著しく、そのメディアの情報をそのままうのみにして信じてしまう人々など、かなりヤバイことを指摘しています。

私なんて懐疑的過ぎるかもしれませんが、新聞やTVのニュースなんて6割から7割程度しか事実ではないと思っているし、興味があれば自分で可能な限り複数のソースから調べるタイプですから、著者の主張を全面的に肯定しちゃいます! 
(折に触れてブログ内でもその手のこと触れてますが、ダ・ヴィンチ・コードだって、本当かよ?っていうところからこのブログが始まっていたりします)

情報自体が内包する問題点やその情報を扱う機関が『人』であることから必然的に避けられない問題点など、あえて国家に限定せずとも企業でもこの手の情報にまつわる話は無数にあります。人は常に自分にとって聞こえのいい事しか聞かないので、どんなに優れた情報機関であってもそれを生かせずに情報戦略で失敗する事例などは、本当に枚挙に暇がありません。本書はそれを実に分かり易く説明してくれています。

私の卑近な例でも、経営資料となる情報を役員や社長に渡す時ほど怖いことはありません。なぜなら、彼らは自分にとって都合のいい数字しか見ないうえに、自らが主導しているプロジェクトのせいで売上の一部の指標が落ちた時などそれをもっともらしく説明する理由を探そうとするのですから。

更に怖い点としては、確かに何らかの改革や変更は一時的に数字を落とすが、将来的に飛躍する為の準備である場合もあり、数字の下落は一概にプロジェクトの失敗なのか、それとも将来の為の投資の忍耐の時期なのか、表面的にはどちらにもとれるのです。

ここで数字を読み間違えると、中長期的な経営戦略の失敗につながります。失敗は常に誰かの責任で評価下落であると共に、競合者の相対的評価向上にもなります。それを私が出した経営指標の短絡的理解で行われてしまうのは、危険過ぎるのです。そしてそれ以上に怖いのが、一時的に数字が良くなったことを季節の変動要因や他の環境要因ではなく、プロジェクトの成果のみに帰してしまい、更に膨大な資金や人材など経営資源を投入する決定をしてしまうなどまさにワンマン経営にはありがちなことだったりします。

また、それ以前の段階で数字は実績数字だけではなく、普通は不確定要素を含めて予測数字であることがしばしばあります。パラメータの設定を一つ変えるだけで予測数字なんていくらでも変わってしまうのです。しかもそれが、世代を超えていくモデルだと誤差が無限大に拡大します。こういった経営指標を読みこなす場合も常に複数のソースから、情報の整合性を判断したり、いわゆる『常識的』判断を加味したりすることでリスクはぐっと減るのですが、その辺りのことも本書では、表現は異なるもののより具体的に触れられています。

このように『情報』全般の基礎的な常識と、実際の戦争報道などにおける具体例の解説と説明がなされています。あくまでも基本ベースの話なのですが、実に分かり易いし、これまで漠然と聞いていたマスコミ報道から何が分かり、何が分からないかを明確にしてくれます。

感情論だけで無知蒙昧の罵声飛び交う討論もどきを本当の議論と勘違いされている方には是非、無償提供してもいいので読んで欲しいものです。もっとも本書を読むような方に限って、読む前から既にほとんどを知っているような理性的な人だったりするんでしょうけどね。

肯定派も否定派も含めて、まずは最低限の知識の土台くらいは本書レベルで統一してから討論して欲しいなあ~と強く願うこの頃です。政治・外交の話だけではなく、企業レベルの情報の取り扱いでも絶対に役立つと思いますよ~。

本書の内容項目にデータ・マイニングなども書かれていますが、実はこれ私の元々の本業だったんでそういう意味でも実に身近に感じました。情報を生かし切れていない会社って無数にあるもんね。久しぶりに理論書を読みたくなりました(笑顔)。

少しでも目次を見て関心を持った方、絶対に読んで損はない一冊です!!

<余談>
国家公務員でどこぞのヨーロッパの小国に赴任した友人いわく、仕事なんてその国の新聞や雑誌等の公刊ものからの切抜きとラジオやTVのチェックとか退屈極まりないと言っていたが、本書でも8~9割の情報は公刊ものから得られると書かれていてそれが妙に符合していて1人で納得してしまった。

ラヂオプレスの件。つい最近、日経新聞の記事で初めてその存在を知ったのだが、その奇妙な活動内容について記事内でいろいろと書かれていた。ほお~諜報活動の一歩手前かと思っていたら、本当にそんなんですね。実に勉強になりました(笑)。

他にも私にはどこかで聞いたことのある話が多く、本書の内容についてはふむふむとうなずいてしまうことが多々ありました。
【目次】
第一章 氾濫する情報の落とし穴
「情報」という言葉の落とし穴/共産圏公刊情報のモニター/ラヂオプレスの役割/情報革命とインタネット/武装勢力もインタネットを活用/公刊情報と公刊インテリジェンス/公開情報利用の制限/エシェロン/産業スパイの巣窟とされた航空ショー/イメージ・インテリジェンス=商業高分解能画像衛星の実用化/シャッター・コントロール/衛星写真の立体映像化/マルチ・インテリジェンスと政府情報活動/情報収集戦略/ネットワークを使った産業スパイ/民間分野でも役に立つ軍と政府の情報手法/政府と民間企業の協力関係/データ・マイニングとデータ・ウェアハウス/技術的情報収集手段の限界/情報ノイズと分析における人間的要素/分析評価の落とし穴

第二章 情報収集・分析・評価の落とし穴
世界が疑わなかったイラクの生物・化学兵器保有/落とし穴に落ちた米英の情報機関/イラクの大量破壊兵器を巡る危機感の相違/米政権に同調という戦略が先にあったイギリス/石油の安定確保を望んだアメリカ/パトロール飛行、パレスチナ問題/技術手段に頼った米国のイラク大量核兵器査察/証拠とならない衛星写真/「出した者勝ち」の映像情報/確定的なものはなかった通信傍受情報/亡命イラク人に踊らされた米国情報機関/職を賭してまでは異議を唱えない/米英政権には他に方法がなかった?/倒されると思っていなかったフセイン政権/米軍の首都接近を信じなかった共和国防衛隊/不信感から創られた親衛隊/フセイン大統領は「裸の王様」だった?/フセイン政権と似ている金正日政権/平壌が自分をどう評価しているかが分からない

第三章 情報の落とし穴に落ちない為に
米英からの情報をそのまま信じたデンマーク/情報小国が「だまされない」ためには/北朝鮮弾道ミサイル保有の意図と命中精度/北朝鮮の弾道ミサイルと核弾頭/日本海に試射されたノドンⅠの真偽/基本常識からの情報評価すら行わなかった日本/全米科学者連盟によるノドンの推測/パキスタンとイランのミサイル発射で得られたノドンの手がかり/ノドン配備数の「常識的」な数字/数えられないはずのノドンの数/台湾を狙った中国のミサイル配備数/北朝鮮の新型ミサイル情報/「新型中距離弾道ミサイル」がありそうかの考察/北朝鮮地下施設「想像図」の考証/北朝鮮のトンネル施設が実証された時/一般常識を基にする/それでも常識外の事は起こる
情報と国家―収集・分析・評価の落とし穴(amazonリンク)
本書の内容が目次を見たらすぐ分かるように、できるだけ細かい目次まで載せました。
ラベル:情報 書評 戦争
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2006年12月24日

「聖者の事典」エリザベス ハラム 柏書房

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カトリックの聖人歴は知られているが、私も含めて諸聖人が何を私達の為に守ってくれるのか知らないと思います。本書は端的に言うと、どんなご利益があるのか(みもふたもない言い方ですみません)を明確に示しながら、その聖人が広く崇敬されている地域などの情報まで合わせて聖人について説明をしている本です。

ご利益別の構成というのが特色で、何か願いごとがあったりしてどの聖人にお願いすればいいのかというのが非常に分かり易いです。また説明も簡潔だし、軽く調べたいむきには重宝かも?

だ・け・ど・ねぇ~。
聖人歴でも紙面に制約があるので同じなのですが、説明が簡潔過ぎて読み物としてはそれほど面白くない。個人的には、全然使えないなあ~って思う。別に聖人にお願いすることもないし・・・。

純粋に『聖人』というものについて知りたければ、やっぱり「黄金伝説」しかないっしょ! 本書自体が黄金伝説の抄訳や要約以上の出来ではないので、量的に大変でも内容がはるかに面白くて為になる「黄金伝説」をお薦めします。
【目次】
第1章 人生における場面
第2章 女性
第3章 子供
第4章 屋内の職業
第5章 野外の職業
第6章 恐れと困難
第7章 身体・健康
第8章 芸術・手工芸
第9章 動物
第10章 危機と危険
聖者の事典(amazonリンク)

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あの黄金伝説が平凡社より復刻された!!
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2006年12月15日

「中世思想原典集成 (3) 」上智大学中世思想研究所 平凡社

sisougenntenn.jpg

ずっと&ずっと探してようやく原点(且つ原典)を見つけました!!

うちのブログでだいぶ前から出てきた単語に「光の形而上学」というのがあるのですが、最初のゴシック建築と言われるサン・ドニ修道院長シュジェールを支えた思想的背景がまさにこれだったりします。

偽デュオニシオス文書として知られるもののうち、この光の形而上学を述べているのが本書で初の邦訳である「天上位階論」だったりする。ようやく見つけたぜ(ふっ、ふっ、ふっ)。

とにかくシャルトル大聖堂を理解するには、ゴシック建築の理解が欠かせないし、その為にはそれを生み出した思想的な背景を知らないでは本当に理解したことにはならないもんね! いろんなことを知らねばならないから、ステンドグラスを楽しむのも大変。勿論、何にも知らなくても本物さえ見れば、ただただ感動なんだけど、それだけで満足するほど私は単純ではなかったりする。

今度は、たくさんたくさん勉強して分かったうえで更にあの神秘的なまさに「神々(こうごう)しい光」の中で感動するんだもん!ってね。

前置きはこのくらいにして、確かに一度読んですぐに完全に理解できるような生易しいものではありませんが、読めば確かに「光の形而上学」をなんとなく分かったような気がします(すみません、薄っぺらな理解で)。人はそれぞれの分をわきまえたうえで物質的な美を実現することで、神の領域へと徐々に上昇していけることを述べられています。

ちなみにここで述べられている位階がその『分』にあたり、ここからあの階層を表す「ヒエラルキー」の語源が来ているそうです。へえ~、ちょっとしたトリビアです。

とにかくゴシック建築好きなら、分からないなりに押さえておきたい資料かと。他にもなんかいろいろ貴重な資料が満載です。私は、この部分しかまだ読めていませんが、英語にも訳されていないものが原典のギリシア語やラテン語から直接日本語なんてのもあるようで、結構凄いみたいです。

ただ・・・やっぱり値段がネック。本書一冊だけだったら、高くても買って間違いなしと言いたいとこですが、これって全集もので全20冊だって。一冊買ったら全部欲しくなるんじゃない? 

か、買えない・・・。澁澤龍彦全集や集成で無理して買ったけど、そこまでして買う気はさすがにないなあ~。でも、本書だけでも買おうかな? ものすご~く悩んでます。一万円以上の価値は絶対にあると思うのですが、他の本を買う資金が・・・。パトロン募集中ってなわけにはいかないか(涙)。

でもでもいい本です。間違いなく。
【目次】
エウアグリオス・ポンティコス『修行論』
ネストリオス『アレクサンドレイアのキュリロスへの第二の手紙』
アレクサンドレイアのキュリロス『書簡集』『キリストがひとりであること』
偽マカリオス『説教集』『大書簡』
ディオニュシオス・アレオパギテス『天上位階論』『神秘神学』『書簡集』
ヨアンネス・クリマクス『楽園の梯子』
証聖者マクシモス『愛についての四〇〇の断章』
ダマスコスのヨアンネス『知識の泉』
ストゥディオスのテオドロス『聖画像破壊論者への第一の駁論』
新神学者シメオン『一〇〇の実践的・神学的主要則』
ミカエル・プセロス『書簡/哲学小論集』
グレゴリオス・パラマス『聖なるヘシュカスト(静寂主義者)のための弁護』『講話集』
ニコラオス・カバシラス『聖体礼儀註解』
中世思想原典集成 (3)(amazonリンク)

内容についての詳細なメモは以下の通り。
中世思想原典集成 (3)~メモ

関連ブログ
「西洋古代・中世哲学史」クラウス リーゼンフーバー 平凡社
ゴシックということ~資料メモ
ステンドグラス(朝倉出版)~メモ
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2006年11月20日

「中世修道院の世界」M.‐H. ヴィケール 八坂書房

監訳に朝倉文市氏の名前があり、中世の修道院に関する資料ということで読んでみた本。亡き法王ヨハネ・パウロ二世が亡くなられる際まで読んでいた「キリストにならいて」という本があったそうだが、ここでは「キリスト」ではなくて『使徒にならいて』というのがポイント!

キリストにならうことこそがキリスト者として生きるべき生活とした時、使徒がキリストにならう以上、直接使徒にならうことは、即ちキリストにならうことであるとするのがその背景としてあるそうです。

個人的な資産を放棄して進んで世俗と離れて暮らす修道士に、俗人でありつつも自らがなすべきことを行うことでキリストの聖性にあずかることが可能とする聖堂参事会員。

腐敗し切って、およそ使徒的な生活とは無縁な既存聖職者達が異端に批判され、なすすべもない状況下。財産を持たず、寄進のみに拠ってたつ全く新しい動きとしての托鉢修道会の誕生とその意義について説明している。

私としては聖堂参事会についてのところが一番勉強になったかな?シャルトル大聖堂など数々の巨大なゴシック建築を生み出した背景になくてはならない存在であり、名称はよく聞くもののいまいちピンとこなかったので、そういう意味では良かったけど、正直言ってあまり面白い本とは言えない。amazonでは名著と書かれているが、本当にそうなのかな?それほどのもんではないと思うんですが・・・。

私のような一般人には、退屈な読み物でした。キリスト教の神学者とかだったら、意味がある議論かもしれませんが、『使徒にならう』という意味付けが時代によってどのように変化し、いかに受け止められ、解釈されてきたのかって言われてもねぇ~。そうそう、本書を読む前に修道院制について基本的な知識がないと何言っているのか全くわからないかもしれません。いきなりでは、読めない本ですのでご注意を。

【目次】
序章 使徒の生活

第1章 修道士
 一キリスト教徒の典型としての使徒
 二初代キリスト教教会へのノスタルジー
 三修道士の使徒的規律遵守

第2章 聖堂参事会員
 一ウルバヌス二世から見た教会史
 二聖堂参事会員の起源は使徒に由来するものではない
 三聖堂参事会員の使徒的刷新
 四聖堂参事会員の独自の方針

第3章 托鉢修道会士(ドミニコ会士)
 一「使徒的」という言葉の新たな意味
 二使徒的巡回の発見
 三修道院において巡回の理想が安定する
 四使徒の模倣、使徒的修道会の形態

付録 メッス司教クロデガングによる司教座聖堂参事会会則
中世修道院の世界―使徒の模倣者たち(amazonリンク)

関連ブログ
「キリストにならいて」トマス・ア ケンピス 岩波書店
「修道院」今野 國雄  岩波書店
「修道院」朝倉文市 講談社
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2006年11月07日

「トマスによる福音書」荒井 献 講談社

ダ・ヴィンチ・コードを読んで以来、いつか読もうと思いつつも今まで保留になっていた本です。文庫故の手軽さでいつでも読めるとそのままになっていました。

ご存知グノーシス主義の福音書としては、大変有名なものです。だって、あのナグ・ハマディ文書に含まれていたものですし、今年になってにわかに脚光を浴びたユダの福音書に先んじて世界中に話題になったものです。

ナグ・ハマディ文書はコプト語(古代エジプト語)で書かれていますが、他の福音書などにもしばしば見られるようにギリシア語からの翻訳だと考えられるそうです。そして、そのギリシア語のトマス福音書も更にシリア語のトマス福音書の原本が想定されるんだそうです。しかもその場所は、あのエデッサ(聖骸布の話でも有名なあのエデッサです)だったりします。う~む、いろんな事柄が有機的に結びついていくのを感じます。

ネタになりそうな話はたくさんあるので、まだまだダ・ヴィンチ・コードの続編書けそうですね(笑)。

そうそう、本書を読んで個人的にワクワクしてしまったのは、トマス福音書にあるという以下の言葉:
「木を割りなさい。私はそこにいる。石を持ち上げなさい。そうすればあなたがたは、私を見出すであろう。」

これでピンときた方いるしょうでしょうか? そうです、あの映画「スティグマータ」で聖痕を受けた女性が語る言葉であり、壁にアラム語で書いた言葉です。

いやあ~、やられました! あの映画では、トマス福音書が背景にあったんですね。今頃になってやっと分かる私って、情けないです(トホホ・・・)。でもでも、改めてその意味が分かりました。これを知ったうえであの映画を見ると、感銘が更に増しそう・・・。早速、今度見直してみよっと!

他にも実に興味深い説明があります。何故、聖書や福音書などがあの時代に選択・固定されることになったのか? グノーシス派が正典を含めて次々に『聖』文書を拡大していった為に、止むを得ず、正統派教会が取らざるを得なかった対抗策であることが説明されます。実に、実に面白い♪

勿論、グノーシス主義の定義から、いわゆる正典との対比や外典との対比などを含めた翻訳と注釈まで内容は実に盛りだくさんです。ただね、門外漢には正直つらいのも事実。Ⅱの部分は、はあ~そうなんですかあ~という感じで読むしかありませんでした。

まあ、Q文書を含めた二資料仮説とかをご存知の方なら、楽しめるのではないかと思います。後ほど、本書からの抜書きをメモしますが、グノーシス主義に感心があるなら、とんでも本のいい加減な知識や説明に満足せず、正統派の本書をお薦めします。

巷に氾濫するいい加減な本をいくら読んでも、誤りに屋上屋を重ねても知識にはなりません。是非、本書のようなしっかりした正しい知識を持った方がいろいろと幅広く楽しめます・・・何が?(笑)

なお、余談ではあるがうちのブログのタイトルにある『叡智』って、まさにグノーシスじゃん! しかも『禁書』でしょう。う~ん、どう考えても異端そのもののサイトだと思われそう・・・。しかもブログ立ち上げのきっかけがダ・ヴィンチ・コードだし、私が火炙りにされないことをただ願うのみです(笑顔)。

トマスによる福音書~メモ
備忘録はこちらにメモ
【目次】
Ⅰ トマス福音書の背景
 第一章 ナグ・ハマディ文書の発見とその内容
 第二章 教会教父たちの証言
 第三章 オクシリンコス・パピルスとの関係
 第四章 外典との関係
 第五章 福音書正典との関係
   1 トマス福音書とQ
   2 トマス福音書とマルコ資料
   3 トマス福音書とマタイ特殊資料
   4 トマス福音書とルカ特殊資料
   5 トマス福音書の伝承史上の位置
 第六章 「正典」と「外典」成立史上におけるグノ-シス主義の位置
   1 「正統」と「異端」
   2 グノーシス主義「外典」
   3 グノーシス派の「聖書」解釈原理
   4 グノーシス主義の「聖書」解釈

Ⅱ トマス福音書のイエス語録―翻訳と注解

Ⅲ トマス福音書のイエス
 第一章 「無知」から「覚知」へ
 第二章 光―生けるイエス
 第三章 「単独者」―「統合」を目指して

参考文献
トマスによる福音書(amazonリンク)

関連ブログ
スティグマータ 聖痕 <特別編>(1999年)
イエスを偽預言者、嘘つきとみなす「マンダ教徒」
ナショナル ジオグラフィックセミナー『ユダの福音書』の謎を追う
ユダの福音書(試訳)
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2006年10月01日

「キリストにならいて」トマス・ア ケンピス 岩波書店

キリスト教徒の副読本といった捉え方でいいのでしょうか。いかにして、主キリストを見習ってこの世の中を生きていくべきか、行動指針・精神規範とでもいうべき事が書かれています。

文章は非常に読み易いです。一読するだけで、表面的な意味は理解できると思います。これは難解な神学の解釈本ではなく、あくまでも普通の人が読む事を対象にしているのでそういった点では、万人向けの本とも言えるでしょう。

自らを驕(おご)ることなく、また過剰に自らを恃(たの)むことなく、淡々と日々を処していくその姿勢には、非常に理想的で素晴らしいものがあるかと思います。

これは、格別キリスト教特有なことではなく、禅宗でも同様に言われることでもあり、宗教にある種普遍的な考えでもありますが、全ての生存活動を競争と位置付けるものとは対極的でもあります。

人としての思いやりなどの美徳にも通じる反面、向上していこうとする『種』としての本能や生き物としての摂理にも反するのでは(?)と私個人には感じられる点も多々あり、正直納得がいきませんでした。

部分部分には、共感できるものがたくさんあったのですが、部分を採り上げて論ずることは、こういったものの場合、我田引水や牽強付会(けんきょうふかい)の恐れもあり、また著者の主張も全体をもって初めて一つの意味を有すると思われることから、本書は私には価値が見出せませんでした。

元々、本書の存在を知り、読んでみたいと思ったのは亡くなられた先代のローマ教皇ヨハネ・パウロ2世が死の直前まで本書を読まれていた、というニュースを聞いたので関心を持ったのでした。

う~ん、あの方の謙虚さと行動力が本書にどう結びつくのかが、キリスト教門外漢の私には最後まで分かりませんでした。改めて私は俗物なのかなあ~?ということを気付かされるばかりでした。

プロテスタントでも辛いのではないでしょうか本書は。カトリックでないとなかなか価値を見出しにくいのではと思います。

でも、聖書についで世界ではもっとも読まれた本と言われているそうです。う~ん、わかんない?

キリストにならいて(amazonリンク)
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2006年09月21日

「ローマ教皇検死録」小長谷 正明 中央公論新社

非常に読み易い本です。お医者さんが医学的な側面から、歴代のローマ教皇の死因について解説している本、かと思うと・・・厳密に言うと違う。確かにそれらしいところもあるのだけれど、ほとんどの頁は医学に関連が少しはあるかなあ~っていう程度。

逆にいうと、お手軽に教皇に関する雑学的知識が増えるっていうのがウリかなあ~。但し、ズバリいうと書かれているのは、表面的過ぎて深みがない。本書を読んで初めて知ったことは、女教皇ヨハンナに関することぐらいでしょうか。

勿論、バチカンでは公式には存在せず、歴史のかなたで噂だけ広まっている女教皇のことはいくらか聞いたことがありましたが、これには引用ながらもきちんと載っていました。これは大変興味深かったです。

それ以外の黒死病やボルジア家の毒殺等々は、本書の何十倍も濃い内容の本を何冊か既に読んで知っている話ばかりでかなり退屈だった。ただ、もし、そういうのを読んでなくて初めて読む分には、とっても分かり易いかもしれない。一時間半もあれば、読了してしまう。そのレベルである。

【女教皇ヨハンナ】本文より抜粋
九世紀に女教皇ヨハンナがいたという言い伝えがある。修道士マルティン・ポラヌスが1265年に書いた教皇の年代記には次のような記載がある。

レオののち、マインツ生まれのヨハネス・アングリクスが教皇座に二年七ヶ月四日あったののちに、ローマで逝去し、教皇座は一ヶ月間空位となった。このヨハネスは女性だったと噂されており、愛人に連れられて男装してアテネに行っていた。その地で学問のある分野の第一人者になり、対等に渡り合える人がいないくらいになった。その後、ローマで文学を教え、学生や聴講生にとっては大変な権威者になった。市内での彼女の生活態度や学識の評判が高まり、人々によって教皇に選ばれた。ところが、教皇の座にあった間に、愛人の子を身篭ってしまった。正確な出産予定日を無視し、サン・ピエトロ寺院からサン・ジョヴァンニ・イン・ラテラノ寺院へ向かう行列をした。その途中、コロッセウムとサン・クレメンンテ寺院の間の狭い通りで子供を産み落としてしまった。彼女は死に、亡骸はその場に埋められたという。その後、教皇の行列がその場を避けるのは、このことを忌み嫌ったためだといわれている。また、女性であったこと、このとんでもない失態とから、彼女の名前は教皇の年表には載せられていない。

ヨハンナは怒った群衆によって、石打ちの刑にされた、あるいは手足を引きちぎられたか、ローマの町を引きずりまわされたともいう。14世紀の詩人ペトラルカはこれは最悪の天啓で、彼女が死んだのちに血の雨が三日間降り六枚羽の強靭な歯のイナゴがフランスに現れたと、おどろおどろしいことを書き連ねている。勿論、イナゴは一匹ではなく、飛蝗(ひこう)の大群だ。女教皇は忌むべきことなのだと。

ヨハンナが子供を産み落として死んだことになっている場所は、古代ローマ
の遺跡のフォロ・ロマーノの東端にある競技場コロッセウムと、今は白いアーチの瀟洒なサン・クレメンテ寺院との間である。

バチカン宝物館にある赤い大理石のできた教皇用の椅子。座席の部分が割れていて楕円系の穴が開いている。中世の時代、枢機卿の互選、コンクラーベで選ばれた次期教皇はその椅子に座り、男性であることが確認され、その場にいた一同が「我らが教皇は男である」とラテン語で唱えてから、正式に即位することになったという。
最後の男性の確認の話は、よく聞く話ではあるば、バチカン宝物館には二度くらい行ったけど、こんな椅子あったかな? 残念ながら、記憶力のない私には覚えがなかったりする。でも、まあなんかありそうな話ではある。
【目次】
1 神の代理人たちの病いと死
2 教皇庁に渦巻く暗殺疑惑
3 女教皇ヨハンナ伝説
4 マラリアは「ローマの友だち」
5 黒死病の黙示録
6 コロンブスの年の輸血
7 教皇になった医者


ローマ教皇検死録(amazonリンク)

関連ブログ
「ペスト大流行」村上 陽一郎 岩波書店
「法王暗殺」デイヴィッド・ヤロップ 文芸春秋
「バチカン・ミステリー」ジョン コーンウェル 徳間書店
「法王庁」小林珍雄 岩波書店
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2006年07月27日

「祈りと秘跡」松永 久次郎 聖母の騎士社

どっからどうみてもバリバリのカトリックの信者の方向けの本です。分かっちゃいたんですが、非キリスト教信者としては、しばしば聞く聖体拝領とか終油の秘跡とかってイマイチ良く分からないんで少しでも分かり易く書かれたものは・・・と思って読んでみました。

辛い、かなり辛い。本当にどっかからどこまでも宗教の本なんだなあ~って思いました。一般大衆でも、具体的な例示を入れて理解し易く書かれているんですが、どうしても現代人には抵抗感を覚えてしまいます。

信仰に生きるということが、現代の社会でうまく折合いをつけていくのは大変なのではないかと、他人事ながら思ってしまいました。人間としてはいい人なんだろうなあ~と思うんですけど、実際には本人も周囲の人も大変そうです。

あまりこういうことを言うと、問題があるのですが土俗の日本的風習には相容れない事実を歴然としたその教義から感じました。勿論、ご存知の通り、宗教は布教に際して想像以上に柔軟でいざとなれば在来の風習を自らの宗教色に同化せしめるぐらいは、どこの宗教にもザラにあることなのですが、う~んどうなんでしょう?

まあ、それはおいといて。神学的な捉え方や、カテキズムなどとは違ってもっと端的にキリスト教に出てくる祈りや秘跡の意味やそれをどう行っていけばいいのかを解説してくれています。

今までの私の理解は非常に漠然としてものだったので、これ読んで少し分かったかも? 一般の信者が感じているレベルを少しだけでも分かるようになります。

どうしても本だと、難しい表現ばかりで実際にやっていることや意味とは、かけ離れているカンジがしたのでその点では役に立ったかな? でも、信者以外の人は、読んでも面白くないと思うし、辛いと思う。読み易いけど、内容的にはちょっとなあ~。これが本音ですね。

祈りと秘跡(amazonリンク)
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2006年07月16日

「黒い聖母」柳 宗玄 福武書店

一番の関心は、黒マリアについて柳氏の解説が知りたくて購入しました。実は、買う前から調べて分かっていたのですが、本書は黒いマリアについても触れていますが、主題はあくまでも美術における色彩表現の象徴的意義を解説したものです。それゆえ、色彩表現の一つの例として黒い聖母が挙がっているので、黒い聖母そのものに関しての説明はちょっと物足りないものでした。

シャルトル大聖堂の黒い聖母なども例として挙げられ、説明されていますが、非常にオーソドックスにケルト以来の大地母神崇拝の流れと、聖母マリアに捧げられた燈明の煤により黒ずんだ説などを解説されています。

上記の話は本書の中のごく一部分であり、中心は既に述べたように東洋・西洋を問わず、美術における色彩の象徴主義について解説されています。東洋においては、『色』を示す漢字の原義として、漢字の成り立ちにまで遡って個々の『色』が現してきた象徴的な意味を説き、その色を以ってして美術的表現において何を現す事を意図してその色が使われているかまでを解説されています。

西洋の場合だったら、当然ラテン語やガリアの言葉が示す意味からスタートしています。

著者が本書の中で主張されていますが、従来の美術解釈というと図像的なものは比較的早くから行われていたが、色彩自体が有する伝統や社会的概念から自ずと暗示される象徴的意義が看過されてきたということがあるそうです。

写本や壁画などで何を描くかという指定は、当然依頼者からあったとしても個々の色彩については、それを描く人に委ねられた場合がほとんどあった。しかしながら、描く主題に合わせてもっとも適切な色彩を当時の社会において認識されていた色彩概念に照らして選んでいったその背景も考慮しなければ、本当にそこに描かれたものを理解するには、不十分だというのである。

う~ん、当然過ぎるくらい当然なんですが、ちょっと目からウロコですね!絵画を見る時に、色彩から受ける印象を現代に生きる自分の生(ナマ)の感性として捉えることも勿論、十分に意義あることだとは思うんですが、それだけでは、足りないんですね。歴史や図像的な表現形式や意図など、約束事を知っていないとそこに描かれた当時の人々の意図を十二分に理解することは難しいですが、それには色彩という要素も不可欠だったんですね!!

「綺麗なら素敵♪」というわけではないんだ。希少で高価なラピスラズリなど鉱物絵具などで聖なる聖母の衣が『青』で描かれたりというのは知っていましたが、それだけでは足りないんですね。

美術作品を観る時に色彩を意識する大切さを学べたような気がします。そういう意味で良い本なのかも? ただね、普通に読んでると結構、辛いです。正直眠くなるなあ~。

普通に絵が好き、という人だったら、あまりお薦めしません。逆に美術に限らず、色彩感覚というものに関心がある方にはいいのではないでしょうか?まあ、私はどちらかといえば、即座にクリュニー派なのはご存知の通り、間違ってもシトー派では我慢できません。

豪奢な大聖堂に、これでもかと奇怪な彫刻を彫りまくり、美食を楽しんで煌びやかな典礼行事に勤しむタイプです。現世の崇高なる華麗な世界を通じて、神の栄光を間接的に感じる、という俗物ですね(爆笑)。

そうそう、「ベアトゥス黙示録」めちゃくちゃ高いが買うかな?
【目次】
黒い聖母
ゴシックの版画―その木の香
拓―紙と墨の芸術
色彩象徴の系譜―とくに赤について
象徴色としての青
地の色―黄について
白の思想
『ベアトゥス黙示録』における色彩
敦煌莫高窟―とくにその色彩について
「樸」について

黒い聖母(amazonリンク)

関連ブログ
「黒マリアの謎」田中 仁彦 岩波書店
「シャルトル大聖堂」馬杉 宗夫 八坂書房
「黒い聖母崇拝の博物誌」イアン ベッグ  三交社社
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2006年07月11日

「ザビエル」結城了悟 聖母の騎士社

完全にカトリック系の信仰を広める為の出版社、聖母の騎士社が出している本だし、フランシスコ・ザビエルの話なんでとりあえず読んでみようというのがきっかけでした。

そしてちょっと前にイグナチウス・ロヨラに関する本を読んで結構良かったのでイエズス会つながりでザビエルって感じですね。前置きはこのぐらいにして本書の内容ですが、基本はパリ大学に行った後から中国での宣教を願いつつ亡くなるまでの軌跡が描かれています。

う~ん、悪くはないんだけど、描き方がいまいちなのだろうか?これだけすごいことをした聖人のお話なのでもっと感動してもいいぐらいなのだが、読んでいても心から感動するまでには至らなかった!残念!

但し、ザビエルって変な頭の人で日本をいきなり聖母マリアに捧げちゃった人としか印象なかったんですが、実はとんでもない苦労人でひたすらに自分の信ずるところに従い、全身全霊を込めて生きた熱い人だったのが分かります。

どこにいってもまずその土地の人々の価値観を尊重しながら自らの信じる神を説き、その素晴らしさを自らの行動をもって示していくその姿は、まさにいつの時代にもどこの世界においても求められるリーダーの資質がうかがえます。

情報を収集し、それに基づいて戦略を立て、不屈の意思でそれを達成していくところなんて『指導者』そのものであり、同時にそれらを含めて組織の維持、発展を図りつつ、適材適所で人を配置し、育成していくところなんてジャック・ウェルチ(GEの元CEO)を彷彿とさせます。

邪道かもしれませんが、宗教の本として読むより、そういった見方をしても興味深いです。徳川家康や織田信長だけではありませんよ、経営者の範とすべき人物は・・・(笑顔)。

でも、人生ってほんと思い通りにいかないもんですね。私だけじゃないんだなあ~って思いました(笑)。

ザビエル(amazonリンク)

関連ブログ
「イグナチオとイエズス会」フランシス トムソン 講談社
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2006年07月05日

「イエスの血統」ティム ウォレス=マーフィー, マリリン ホプキンス 青土社

koshoten.jpg最初の序文がいけない。いきなり、著者の講演会で出会った人物がテンプル騎士団の創設者ユーグ・ド・パイヤンの子孫で、2000年来の秘密を明かされた。と言われても・・・はあっ?ってな感じでしか、言いようがない。その時点でトンデモ本決定! あ~あ、目次や内容をパラパラ見てから買ったけど、序文なんて飛ばして読まなかったら、ショック大。

改めみてみると、本書の著者って「シンボルコードの秘密」の人じゃん。う~ん、あちらもかなり胡散臭かったけど、本書はあちら以上に、ヤバイです。最初に著者達の主観があり、その主観に対して論拠となる仮説だけをいろんな文献や主張から取捨選択している観があります。結局、最終的な一歩を踏み外してしまったカンジですね(ニヤリ)。

一般的には支持されていない仮説(イエスはマグダラのマリアと結婚していて子供がいたとか、ペトロは本来イエスの正統的な後継者ではなく、イエスの説いた教えを歪めた存在等々)を前提にしたうえで更に信憑性が薄い仮説を屋上屋として重ねていってしまっている。

途中までは確かに仮説としてはよく挙げられており、可能性のある話であるが、それが段々と歪められ、あたかも通説かのように話していくのは、巧妙な論理のすり替えとも言えよう。意識していないとなんとなくもっともらしく説明され、こういった文献からもそれが明らか、などと言われると頷いてしまいそうになるが、文献自体の解釈に種々の議論があることに触れないのは・・・。まあ、ファンタジーとして読む分にはいいんでしょうけどね。あくまでもフィクションとしてね!

しかしなあ~、テンプル騎士団を出してきて最後の弾圧後の話なんですが、これって先日読んだ「テンプル騎士団とフリーメーソン」のスコットランド説をまんまパクッてるだけじゃん(オイオイ~)。

改めて、そういう視点で見てみると著者達のオリジナルティってほとんど見つける事はできません。この手の本をあらかた読んで要所要所を切り貼りしたいうのが実情でしょう。

よせばいいのに、黒い聖母のイアン・ベッグを慧眼の持ち主とか書いている。あの適当でどうしょうもない本の作者のことを! また、ひどいことにリン・ピクネット女史の説を普通の学説か何かのように引用するのは、ご勘弁を。そういったノリで本書の全編が貫かれています。

カタリ派から異端審問、聖骸布、ゴシック大聖堂、石工等々、この手のものにありがちなキーワードを片っ端から網羅していますが、その説明ははなはだ根拠に乏しく、どっかで聞いたような内容を書いたものでかなり薄っぺらいです。

後書きで訳者ご自身が書かれているようにダ・ヴィンチ・コード便乗本でしょう。オリジナリティがあるとも書かれていますが、そういう点は私には感じられませんでした。少しでもまともなことを知りたいと思われるなら、これ以外の本をまず読むことをお薦めします。

イエスの本来の教え(カトリックとは異なる教え)を伝える集団『レックス・デウス』があり、それが歴史の背景でひっそりとしかし確実に存在してきたというのは、典型的な陰謀史観でそれ自体は嫌いじゃないが、全てを他の著者による本から、採ったネタで構成されてもね。著者にはもう少し努力して欲しかったです。

頑張りましょうの一重○ってところでしょうか?花○の二重○にはまだまだほど遠いレベルでした。

【目次】
テプ・ツェピ―エジプト・グノーシスの起源
ユダヤ教のエジプト起源
出エジプトからバビロン捕囚まで
バビロン捕囚と神殿の再建
聖書のイスラエル、洗礼者ヨハネ、そしてイエス
義人ヤコブ、聖パウロ、そして神殿の破壊
キリスト教、ラビ的ユダヤ教、レクス・デウスの成立
暗黒時代と抑圧的教会
ヨーロッパにおけるレクス・デウス貴族制の台頭
テンプル騎士団
テンプル騎士団の信仰
虐殺と弾圧
異端審問
テンプル騎士団の終焉
残存者と復活
周知の「捏造」の再認証
ロンバルディアよりの先
ロスリンのセント・クレア家とフリーメイソンリーの設立
二一世紀の霊的覚醒

イエスの血統―レクス・デウスと秘められた世界史(amazonリンク)

関連ブログ
「シンボル・コードの秘密」ティム ウォレス=マーフィー 原書房
「テンプル騎士団とフリーメーソン」三交社 感想1
「黒い聖母崇拝の博物誌」イアン ベッグ  三交社社
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2006年06月18日

「キリスト教図像学」マルセル・パコ 白水社

ラングドン教授が書いていそうな本だな、とかしょうもないことを思いつつ期待のクセジュを読んでみました。

う~ん、これは使えない。内容は別に特別な専門家向けでもなく、クセジュ文庫らしく一般人に対して書かれたものなんですが、図像学の本なのに致命的な欠陥がある。図版が全くと言っていいほどないから、説明が文字だけでイメージできない。いくら名称をたくさん挙げて比較してもほとんど意味をなさないものになってしまっている。

本書で挙げられているのは圧倒的にフランスの作品が多いが、たとえフランスに住んでいる人であってもここに挙げられている絵画や彫刻をすぐに頭に思い浮かべられる人がそれほどたくさんいるとはどうしても思えない。

最低でも全頁数の四分の一以上は、図版がないと恐らく著者の言いたいことを読者は理解できないではないだろうか? また、根本的な意味で本書は欠陥のある本だと思う。

仮に名称だけで自らの記憶や写真集でイメージできる人がいるとしても、その人達が本書に書かれている説明で満足できるとは到底思えない。辛辣な言い方をすると、表面的な説明であまり価値があるような考察でもないし、そんなレベルなら、名称だけで「ああっ、あれね!」と分かる人が知らないわけないでしょう。

初心者には図版がなくて理解できず、知っている人には平易過ぎて内容がない読み物になってしまっている。また、むやみと対象範囲を広げ過ぎてそれが更にダラダラと列挙しているだけの印象を残し、本書をつまらないものにしている。我慢して読破したけど、この本は絶対にお薦めできない本です。

もし、タイトル通りのものをキリスト教図像関係を知りたいなら、私も先日読んだエミール・マール著の「ヨーロッパのキリスト教美術」(上下巻)。これを読むべきです。大家エミール・マールの作品から抜粋&要約したものですが、まずはこれを読むだけでもかなり勉強になると思います。本当にいい作品ですから! できれば私もハードカバーの方も読みたいんだけど、なかなかそこまで及びません(涙)。

まあ、とにかくこのクセジュを買う方はよく見てからでないと後悔されそうですよ。ご注意を!

キリスト教図像学(amazonリンク)

関連ブログ
「ヨーロッパのキリスト教美術―12世紀から18世紀まで(上)」エミール・マール 岩波書店
「ステンドグラスの絵解き」志田政人 日貿出版社
「中世の美術」アニー シェイヴァー・クランデル 岩波書店
「中世の美術」黒江 光彦 保育社
「秘境のキリスト教美術」柳 宗玄 岩波書店
「黒い聖母と悪魔の謎」 馬杉宗夫 講談社
「新装版 西洋美術解読事典」J・ホール 河出書房新社
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2006年06月17日

「スペイン巡礼史」関 哲行 講談社

jyunnreisi.jpgはいはい、我ながらよく飽きもせず、またまたサンチャゴ・デ・コンポステーラへの巡礼の話です。なんでかなあ~、やっぱり関心があると自然に目に入り、手に取ってしまいますね。

それなりに本も読んではいるし、巡礼の途上の写真なども見ているので後は実際に体験するだけ。な~んて思っていても、知らない事が次から次への湧いてくるんだから、困ったもんです。関連する数冊程度の本を読んでも読むたびに知らないことを学びます。

という訳で本書から学んだことは・・・。
サンティアゴ教会が生まれる原因になった聖ヤコブの遺骸発見であるが、それが起こった当時の時代的・社会的背景が実に面白い! 

当時、イスラム教徒の支配下でなんとか存続していたトレド教会はイエスを神によって採択された子とする「イエス養子説」(著者の説明ではこう書かれていたが、アリウス派のことじゃないのかな?・・・私見)を唱えていた。唯一神であるアッラーを奉じるイスラム教下では、それでなければ存続できなかったかららしいのですが、当然、これに対して三位一体を唱えるバチカンとフランク王国は異端として非難をしていた。

そんな中で正統派としての権威確立の為にも是非とも必要であったところに、必然として聖ヤコブの遺骸発見がおこったそうです。また、それがやがてイスラムとの聖戦を闘う最前線の象徴としての意義が付け加えれていったという、実に政治的な話が裏にはあったりします。

巡礼の道がそのままイスラム教徒との境界線だったとも言えたそうですし。

しかし、どういった事情があったにせよ、大衆がそれを求め、支持したからこそあれだけの大聖地になったのですし、世界的な巡礼にも成長していったのですから、それをこの目で是非とも確認したいですね。

そうそう、他にも「えっ~?!」と思ったことがありました。聖地巡礼の目的は聖遺物を見て触って、少しでもそのご利益で奇跡をおこしてもらおうというものなのです。それなのに肝心のサンティアゴ教会の聖遺物がイスラム教徒の闘いのドサクサで隠したのはいいものの、どこに隠したか分からなくなり、紛失していたそうです。ナニソレ?

以前は、聖ヤコブの聖遺物を実際に見れたものが、ある時を境に見れなくなり、信者は教会の祭壇の下に埋葬されていると信じるしかなくなってしまったんだって! それって・・・(ヒドクない?)

もっともその後、だいぶ期間が経ってからあちこち探してようやく再発見したそうです。この話は知らなかったなあ・・・。

まあ、そういった話以外にも巡礼の道筋に当たることで途中にあった場所が発展し、都市に成長していったりとか興味深いのもあるんですが・・・、全体としてこの本はイマイチ。正直私には合わない。

シンプルにサンチャゴ・デ・コンポステーラへの巡礼を扱っているのではなく、社会学的な採り上げ方に違和感を感じる。歴史学や宗教史学的な観点ではなく、特定な視点からの見方がかえってありのままの『巡礼』という現象を歪めて理解しているような感じさえ覚える。これは私の言い過ぎだと思うが・・・。

ただ、私が知り会いに薦める本かどうかと言えば、これは止めた方がいいのでは?と言うだろうなあ。決してアカデミックな水準でもないし、読み易い本なんだけど、どうしても読後に違和感が残ってしまいました。口直しに他の本、読まねば。
【目次】
第1章 海を渡る巡礼者たち―オリエントの聖地へ
第2章 聖地と聖性―地の果ての聖地
第3章 巡礼行の実際―「聖なる空間」をゆく人々
第4章 巡礼と「観光」―巡礼者と観光者と
第5章 巡礼と都市の形成―巡礼の盛行とともに発展した都市
第6章 巡礼と慈善―「宗教的救貧」から「世欲的救貧」へ/総合施療院の誕生
スペイン巡礼史―「地の果ての聖地」を辿る(amazonリンク)

関連ブログ
「芸術新潮1996年10月号」生きている中世~スペイン巡礼の旅
「スペイン巡礼の道」小谷 明, 粟津 則雄 新潮社
「星の巡礼」パウロ・コエーリョ 角川書店
「聖遺物の世界」青山 吉信 山川出版社
「中世の巡礼者たち」レーモン ウルセル みすず書房
「巡礼の道」渡邊昌美 中央公論新社
「カンタベリー物語」チョーサー 角川書店
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2006年06月11日

「原典 ユダの福音書」日経ナショナルジオグラフィック社

yudagenten.jpgずいぶんと待たせられてようやく日本語で「ユダの福音書」を読めるかなあ~と思っていたのですが・・・。

やっぱりそうですよね。あの断片的な英語から訳すとこんなもんですよね。私が訳そうとしてうまく訳せなかったのも私の能力が不足していた以上に、素材に問題があったようです。

高い金取る本なんだから、その辺りはきっちりとフォローが効いていて意味ある文章になっているかと思いましたが、単なる英語の日本語訳以上のものではないなあ~(ガッカリ)。

実際の原典を訳しているページなんて数十頁だし、そこにある訳注を除くとさらに半分以下。全体の8割(9割?)ぐらいは、その原典に対してのコメントなんですが、解説というのにはちょっとお粗末なレベル。正直目新しいものはないし、その8割の部分に価値を見出せない。

原典だけ訳して100円で売って欲しいね。福音書なら、聖書のように無料で配ってくれてもいいけど。

やっぱりどうにもこの本もお薦めできません。英語の辞書引きながらでも自分で読んだ方がいいかも??? 下で無料であるんだから。
【目次】
原典 ユダの福音書
チャコス写本と『ユダの福音書』
よみがえった異端の書
リヨンのエイレナイオスと『ユダの福音書』
『ユダの福音書』とグノーシス主義
nationalgeographic, Gospel of Judas英語版ユダの福音書

ユダの福音書について、きちんと知りたいなら、もっと調査や研究が進むまで待つしかなさそうです。私も首を長くして改めて待とうという気持ちになりました。しかし解説ぐらいもっと面白いものにできなかったのかな、本当に心底残念(涙)。

原典 ユダの福音書(amazonリンク)

関連ブログ
ユダの福音書(試訳)
NATIONAL GEOGRAPHIC (ナショナル ジオグラフィック) 日本版 2006年 05月号&「ユダの福音書を追え」
ユダの福音書の内容は、確実にじらされることを約束する
『ユダの福音書』4月末に公刊
イスカリオテのユダ、名誉回復進む!
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2006年05月10日

「ヨーロッパのキリスト教美術―12世紀から18世紀まで(上)」エミール・マール 岩波書店

本当は「ゴシックの図像学」とか四巻物を買う予定でいるので、この抄訳的な方は読まないつもりでした。でも、高くって・・・。今も買うつもりは変わらないのですが、その前にどんな感じか知りたくて買っちゃいました。高いの買って外れたら泣いても泣き切れないしね。

さて、実際に読んでみると。最初は、美術の表現形式が歴史的に過去のどういったものを引き継ぎ、それがどういった形で伝播し、展開していったかの説明に乗り切れませんでした。図版もあるんですけど、絶対的に図版や写真の枚数が不足しているのは明らかです。(それなりに載ってはいるんですけどね)

だって、そんな一般人が大聖堂のどの彫刻がどうとか言われても皆目分かりません??? そりゃ、有名なのは分かるし、名前を聞いたことがあるものもありますが、悲しいことに頭に浮びません(涙)。説明だけが空回りする感じがありましたが、段々読み進めていくうちにこの本の素晴らしさ・面白さが分かってきたような気がします。

私の場合は、シャルトル大聖堂や黄金伝説がテーマに上がってくると、予めある程度知っているので著者の説明が非常に良く分かり、ようやく本書のリズムに乗れてきました。そうすると、げんきんなもので今までは説明の羅列のように感じたものが、いかに著者の美術に対する造詣の深さと愛情がにじみ出た文章であるか、またそれが大いに魅力的であることにも初めて気付きました。

いやあ~、一度波に乗ると実に良い本です。今まで見てきたものとは、だいぶ違った見かたを教わった感じなんです。例えば、シャルトル大聖堂のティンパンで描かれた彫刻がただ何を現しているかだけではなくて、それがサン・ドニが生み出した表現形式を受け継いだものであり、他の大聖堂ともども並行して採用したデザインだとか、ステンドガラスで描かれたあのイェセの樹も同じくそうした影響下で初めて成立しているとかね。

大きな表現形式の歴史の流れの中で、それぞれを具体的に説明してくれているのでその題材の特定をするだけでなく、何ゆえそれが描かれ、当時のどういう意図の下でその表現形式がとられたのか、実に分かり易いし、面白いんだなあ~これが!

私は読んで正解でしたし、高い本の方もやっぱり買うつもりですが、とにかくここで紹介されているのを写真とかで見れると面白さが何十倍にもなりそう。逆に言うと、それが大いに不満ですね。どうしても文字中心だから、事前に知らないとその文字情報をイメージできないんだもん。

この本を持ってフランスのゴシック聖堂巡りをしたら、絶対に最高だと思う!! 一つの聖堂観光に1日や2日では確実に足りなくなるけどね。一ヶ所につき、一週間はかけて隅から隅までそこに描かれた題材を確認し、理解し、味わい尽くしたい衝動に駆られます。マジに。

座学の本として読むだけではもったいないし、ある意味面白くない。実物を見つつ、読みたい!そんな本です。

本書からいくつか印象に残った言葉を引用してみよう。
大聖堂は書物である。

中世美術のこの百科全書的な性格が最も著しいのはシャルトルである。

シャルトル大聖堂は、眼に見えるものとして示された中世思想そのものである。
本書を読んで最初に思ったこと。サン・ドニ今度こそ絶対に行こう!

次に思ったこと。シャルトル大聖堂を見てから、私の中で中世への関心が異様に増していたのは当然だった。だって、現代に残る中世を目の当りにしたのだから。

最後に思ったこと。百科事典を一日で全部読むのは無理だった。丸一日をシャルトル大聖堂に費やしたが、まだまだ全然読み足りなかったはずである。今度は一週間ぐらい通い詰めたいです。ユイスマンスの「大伽藍」の主人公が羨ましくてしかたがないです。心からそう思った。

さて、明日から下巻にチャレンジだ♪

ヨーロッパのキリスト教美術―12世紀から18世紀まで (上)(amazonリンク)

関連ブログ
「ヨーロッパのキリスト教美術―12世紀から18世紀まで」エミール・マール 岩波書店本書の続き 
シャルトル大聖堂 ~パリ(7月5日)~
「ステンドグラスの絵解き」志田政人 日貿出版社
「大伽藍」ユイスマン 桃源社
「中世の美術」アニー シェイヴァー・クランデル 岩波書店
「中世の美術」黒江 光彦 保育社
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2006年05月05日

NATIONAL GEOGRAPHIC (ナショナル ジオグラフィック) 日本版 2006年 05月号&「ユダの福音書を追え」

ngjuda.jpg

ナショナル ジオグラフィックの5月号です。かねてから話題であった「ユダの福音書」の特集をしているので、売れに売れまくっているのではないのでしょうか。

衝撃の発見! 「ユダの福音書」が明かす驚きの物語
緊急特集 『ユダの福音書を追う』
~ユダは裏切り者ではなかった~


こんなコピーを見たら買いたくなりません? 私も早く見たくてうずうずしてました。で、結局先月末になんとか読んでみたんですが・・・。

う~ん、写本の写真がバ~ンと大きく出て、ユダの福音書が表に出てくるに至る経過が説明されるのですが・・・。どんどん読んで行くとアレレッ?って感じになります。これまでも幾つかの記事で報道されていることよりは確かに詳しい「ユダの福音書」発見、獲得及び修復の経緯が書かれてはいるのですが、一番知りたい内容がほとんどない。

っていうか、全然説明されてないじゃん! えっ~ってな感じです。個人的には、死海文書に関する本のように義の教師とか詳しく内容の紹介があり、当時の初期キリスト教会の分裂の状況や、グノーシス派との関連などの説明があるのかなあ~と思ったんですが・・・。そういうことは、ほとんど書かれていません。

発見以後の経緯は、それなりに興味深いと思いますが(死海文書を羊飼いがたまたま入った洞窟で発見した・・・とかね)、私はあくまでも内容に興味があったのでその点では失望しました。残念!

だって、内容については一言で終わり。ユダがローマ軍にイエスを密告したのは、予め決められていた為すべき事であり、まさに神の偉大な計画の一部だということしか説明してくれないのはちょっとねぇ~。悲しいよ!

ここで特集されている取得の経緯とかなら、うちのブログでも紹介している記事でサマリーなら分かりますので、特にユダの福音書について何でも知りたいという人以外は、買わない方がよろしいかと思います。

どこかの記事にもありましたが、ダ・ヴィンチ・コードの映画公開に合わせて話題先行で売る為に、慌てて出版したように感じられました。

おそらく、もっと時間をかけてきちんとすれば、本当に興味深い内容があるのではないかと思います。但し、それが出版されるのは、ずっと&ずっと先になるのではないでしょうか? 


もう一つの「ユダの福音書を追え」この本ですが、きちんと読んでいないのですが、ざっと目を通した感じではこれも福音書の内容自体についての本ではないですね。時間と手間暇をかけて読むのをためらっています。

どなたか、読んだ感想を教えていただけると嬉しいのですが・・・。ていうか、早く内容についてきちんした本で知りたいなあ~。いつ頃できるのでしょうか? 当分、無理なのかなあ~。

【補足】
amazonにレビューが載っていました。どうやら、私の思った通り、内容に関するものではないようです。ユダの福音書の内容については、6月に別な本が発売されるそうです。書名が知りたいですね!!

NATIONAL GEOGRAPHIC (ナショナル ジオグラフィック) 日本版 2006年05月号(amazonリンク)

ユダの福音書を追え(amazonリンク)

関連ブログ
ユダの福音書(試訳)
直接、自分で訳しちゃいました!
ユダの福音書の内容は、確実にじらされることを約束する
『ユダの福音書』4月末に公刊
イスカリオテのユダ、名誉回復進む!
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2006年05月04日

「黄金伝説4」ヤコブス・デ・ウォラギネ著 人文書院

(書きかけです)

ようやく、本当にやっとこさ、という感じですが黄金伝説全四巻を読破しました(拍手~)。入手するまでにだいぶ苦労して、最初は英語版をつまみ読みしていましたが、今年になって日本語訳をGET! 最後の四巻目は、毎晩一聖人か二聖人分ぐらいを読みつつ、なんとか全部読み切れました。

まあ、内容が面白かったから初めて可能になったという気もしますけどね。私的には一話完結の千夜一夜物語みたいな感じでした。一緒に並べていいのか?という問題は置いといてネ。

さてさて内容ですが、この四巻も結構充実しています。聖ヒエロニムスから始まって福音史家聖ルカ、聖カエキリア(聖チェチリア)、聖バルラームと聖ヨサバト(仏陀伝のパクリで有名なもの)、聖フランキスクス(聖フランチェスコ)など。聖人ではないですが、ここにはなんとイスラム教の預言者マホメット(マグメト)が採り上げられていて、当時のキリスト教会がいかにしてイスラム教を見ていたのか(=偏見と憎悪に満ちた表現が凄いです)まで分かります。

面白い物がたくさんあるので、いつものように抜き書きしてメモ。聖フランチェスコから
聖フランキスクス(聖フランチェスコ)。神のしもべフランキスクスは、ある時夢の中で、十字架にかけられたひとりの天使(セラビム)を頭上に見た。天使はフランキスクスのからだに磔刑の傷痕をはっきり押し付けたので、フランクスクス自身が十字架にかけられたように見えた。こうして彼の手と足と脇腹に十字のしるしがついた。しかし、彼はできるだけこの聖痕が人目につかないように苦心した。それでも彼の生前にそれを見た者が何人かあった。

アプリアにロゲリウスという名の男がいた。あるとき、聖フランキスクスの肖像の前に立って、このような聖痕を受けたというのは事実であろうか、それともそう信じられているだけの話であろうか、あるいは修道士達が作り出した絵空事であろうか、と心中ひそかに疑問をおぼえた。そんなことを思い巡らしていると、突然矢が弓から放たれるような音がして、左の手に深い傷を負ったような痛みを感じた。はめていた手袋にはわずかな破れもなかったので、手袋を脱いでみると、手のひらに矢が突き刺さったような傷があり、血が流れていた。そして、痛みと発熱の為にいまにも死にそうな気がした。ロゲリウスは、すっかり後悔して聖フランキスクスさまの聖痕を信じますと証言した。そして、聖人の聖痕に心からお祈りを捧げると、二日後には傷がすっかり治った。

聖フランキスクスは鳩のような素直な心を持っていて全ての生き物にたちに造物主を愛することを教えた。彼はよく小鳥達に説教した。小鳥達は彼の言葉にじっと耳を傾け、おとなしくなでてもらい、彼から許しがあるまでは飛び立とうとしなかった。あるとき、フランキスクスが説教をしているとつばめが鳴いてやかましかった。彼が注意すると、たちまち静かになった。

聖フランキスクスはたくさんの小鳥の群れに出会った。彼は分別のある人間に向かってするように、小鳥達に挨拶してこう言った。「羽のある私の兄弟達よ、心から造物主をたたえなさい。主はお前達に羽毛と飛ぶための翼、それに澄み渡った大空をさずけられ、おまえたちが何もしなくても生きていけるようにして下さっているのだから」すると、小鳥達は首を伸ばし、翼をはばたかせ、くちばしをあげて、一心に聖人を見つめた。聖人は彼らの中を通り抜けていった。服が小鳥達にさわったが、一羽もその場を動かなかった。そして、聖人が動いて宜しいと言うと、いっせいに飛び立っていった。

フランキスクスがアルウィウムの城で説教していたとき、城に巣をかけているつばめのさえずり声の為に彼の声がよく通らなかった。そこで彼はつばめたちに言った。「私の姉妹であるつばめたちよ、おまえたちはもう十分お喋りをした。今度は私が話す番だ。だから、私が主のお言葉を語り終わるまで静かにしておくれ。」すると、つばめたちはすぐに彼の言うことを聞いて、さえずるのをやめた。

黄金伝説 (4)(amazonリンク)

関連ブログ
「黄金伝説3」ヤコブス・デ・ウォラギネ著 人文書院
「黄金伝説2」ヤコブス・デ・ウォラギネ 人文書院
「黄金伝説1」ヤコブス・デ・ウォラギネ著 前田敬作訳 人文書院
「中世の説話」松原 秀一 東京書籍

関連サイト
聖人にされたブッダ
lapisさんのブログで仏陀伝が黄金伝説に取り入れられたことに言及されている
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2006年04月16日

「シンボル・コードの秘密」ティム ウォレス=マーフィー 原書房

ダ・ヴィンチ・コードの便乗本。最初の印象はこれでした。パラパラと書店で見た時は、買う気にはならなかったのですが・・・。今日、図書館で見つけて何気なく読んでみると、なかなかしっかりと書かれています。よく調べてあるし、一見するとトンデモ本なんですが、内容をよく読むとトンデモ本に入れるのは、違うような気がします。

ダ・ヴィンチ・コードを読んで、いきなりこの本を読んでもおそらく意味は分かりません。そういうたぐいの本ではないと思います。出版社サイドでは、ダ・ヴィンチ・コードの読者に売るつもりでしょうけど、その狙いは外れるでしょうね、きっと(失礼)。

著者独自の主張は、おそらくあまりありません。ある意味、どこかの本でみんな読んだことのある話や主張ばかりです。でもね、引用ばかりであっても、それを曲解して絶対に間違いない真実と主張する某(?)リン・ピクネット女史の本よりも何十倍も信頼を置ける本です。勿論、かなり胡散臭い話もあちこちから採用していて、私レベルでさえ元ネタが分かるものが多数あるのですが、それでも引用の仕方がまだ良心的であり、その引用が明確に分かるだけでもこの本の意味はあると思います。

それこそ、通説的な解釈の他、ごく一部の人が主張している説まで著者の視点ではありますが、広く文献を見たうえで取捨選択し、紹介しているのは興味深いです。どれもこれもほとんど知っていましたが、こういった感じでまとめてくれているのは、便利です。知らない説などもたまにはあり、後で参考文献として読んでみたいものもたくさんありました。

それと挙がられている説ですが、結構、ポイント良くまとめられています。いろんな説を挙げる時に変な省略や要約で、その説自体が違ったものになってしまうような場合さえあるのですが、少なくても著者の説明の仕方は、的確な要約だったと思います。勿論、その説自体が正しいかどうかは別にして、ではありますが・・・。ある意味、相当な数の本やら資料やら読み込んだうえで、更にもっといろいろ知りたいと思う人には、お薦めしてもいいかと思います。

初期キリスト教会がヨハネやイエスの親族によるグループとパウロによるグループの深刻な派閥争いがあった点などの指摘も、いささか痛烈且つ断罪的な評価ではあるものの、知っている人はふむふむと頷ける要領の良いまとめ方してるし、シャルトル大聖堂を初めとした大聖堂建築における歴史的な聖地の意味付けやそこに現われるさまざま中世的な結社の存在の解釈など、いちいちもっともだと思うことも多かったです。(うちのブログでシャルトルを異様に採り上げている意味と重なる問題意識の表れですね)

テンプル騎士団などの取り上げ方も悪くないんですが、紙面の誓約上、知っている人が知識整理として読むなら理解できても、本書の文章だけでは、そこに凝縮されている深い意味までは読みとれないのは、仕方ないことでしょう。バフォメット崇拝とかマンディリヨンとかね。

結論的にいうと、関連書をある程度(20~30冊)読んでから読むと、大変興味深く、楽しめる本だと思います。次に読む本を選ぶ参考になるし、知識の整理にもなります。反面、ここに書かれている説明だけでは、その背景的な知識無しには、なにがなんだか分からないのではないでしょうか?

トンデモ本じゃないの?という疑念を抱きながら、読んでいた私ですが著者が最後の方の章で、最後の晩餐でイエスの隣にいる人物を、マグダラのマリアとは思えないと言い切っている点で、読んでもいい本だと思います。

もっとも著者の支持している説には、トンデモ系の説も多々あるものの、ある程度分かっていて読む分には、問題ないと思います。そういうマイナス点を除いて読む分には、ポイントを押えていろんな本から引用してますので勉強になると思います。あくまでも、他の本を読んだうえでの話ですが。

私的には、今度買って蔵書に入れようとは思いますが、ダ・ヴィンチ・コードの小説的な面白さや謎解きの面白さはありませんので、気をつけて買って下さいね。まあ、マニア向けの一冊だと思います。

ランスの大聖堂やシャルトルの大聖堂、ロスリン礼拝堂など行って直接見ないと頷けないような説明がたくさんありますので、くれぐれもご注意を!

シンボル・コードの秘密―西洋文明に隠された異端メッセージ(amazonリンク)
【目次】
第1部 シンボルの始まり(宗教的シンボリズムの誕生と発展、古代エジプトの霊知(グノーシス)の遺産)
第2部 聖書、エジプトに由来するユダヤ教、ふたつの対立するイエス観(聖書と古代イスラエル人、イエスの生涯と伝道についてのふたつの説)
第3部 初期キリスト教とキリスト教シンボリズムの発達(聖パウロ、初期教会の歴史と、キリスト教シンボリズムの礎、キリスト教によるヨーロッパの統合と教会シンボリズムの礎、ゴシックの栄光)
第4部 秘密の系譜が表に出る(神聖幾何学と「ラ・ラング・ヴェルト」、教会内の秘密の系譜 ほか)
エピローグ(アミアンでの発見、ひとめぐりしてふりだしへ)
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「黄金伝説3」ヤコブス・デ・ウォラギネ著 人文書院

この第3巻で取り上げられているもので、面白かったのは、聖ステパノ、聖ドミニクス、聖女マルタ、聖母マリア被昇天、聖アウグスティヌス、洗礼者ヨハネの刎首、聖母マリアお誕生、聖十字架称賛、使徒聖マタイ、大天使聖ミカエル辺りかな? 

聖ステパノの殉教の絵は、上野の西洋美術館で何十回も見たことあるんだけど、詳しい話を知らなかったんです。今回、黄金伝説を読んで始めてその絵画がいかに忠実に聖人伝を表していたのかを実感しました。その絵では、ステパノの説教から石を投げつけられ、殺された後に船でその高貴な遺体が運ばれていく様が一連の伝承に従って描かれているんですが、確かに分かり易い! この絵を観ながら、聖人についての説明を受けたら一発で文盲の人でも理解できますね。映像だからイメージとして記憶に残り易いし、布教の手段としてこれほど有効なものはありませんね、納得しちゃいました。うん。

聖女マルタ、黄金伝説の中ではマグダラのマリアの姉とされる。弟のラザロ、妹のマグダラ達と共に舵のない船で海上に放り出されたが、マルセイユに辿り着いて布教を行ったという話がある。聖マルタの話でマグダラに関するところを抜き書きしてみると・・・。
マルタが重い熱病にかかり、一年間床についていた。死の一週間前に天使達が賛歌を歌いながら妹(マグダラ)の魂を天上に運んでいく歌声が聞こえた。それを聞くとマルタはこういった。「私の道連れであり、教え子である皆さん、私と一緒に喜んで下さい。と言いますのは、天使達の群れが喜びの声をあげながら妹の魂を約束の地に導いているのが見えます。ああ、美しい、いとしい妹のマリア、あなたはこれからあなたの師であり、私の客人(まろうど)でいらっしゃった方と御一緒に至福の国に住まうことになるのです。」

マルタは自分の自分の最後も遠くないことをすぐに感じ取り、弟子達に自分が死ぬまで灯りをともして見守って欲しいと言ったが、死の前日の真夜中、睡魔に打ち負かされて人々が眠り込むと一陣の強い風が吹き込んで灯りを全て消した。悪霊達の群れが押し寄せてきたが、マルタが祈り始めた。「私の主、私のおん父、私の大切な客人様、悪霊どもが私を血祭りにあげようとして、手に手に私の罪状を書き記した紙切れをもっています。私の主よ、どうか私から離れずに、この身をお守り下さい。」

すると妹のマリア(マグダラ)がこちらにやってきて、手にした松明(たいまつ)でろうそくに火をつけ、全ての灯りをともした。姉妹が互いに名を呼びあったちょうどその時、主がみずからおん姿をあらわされ、お言葉をかけられたうえで最後まで見守る中、マルタは息をひきとった。

聖母被昇天後の話の中で、シャルトルの聖遺物に関する記述があったのでこれもメモ。
聖母被昇天後、信者達をなぐさめる為に墓の中には聖母の御衣が残っていたという。それまつわる奇跡として、ノルマン人の将軍がシャルトルの町を包囲した時、この町の司教は町に保存されていた聖母のトゥニカを取り出しきて槍の先につけて軍旗にし、市民の先頭にたって果敢に敵軍にむかって打って出た。すると、敵の軍勢はことごとく狂気と盲目にとりつかれ、手足をふるわせてうつけたような顔つきでその場にきょとんと立ち尽くしていた。町の人々はこれを見て神の裁きをまっとうしようとばかりに。敵兵の中になだれこみ、相手かまわず殺しまくった。しかし、聖母は自分の衣に助けられて大量の殺戮がおこなわれたことを大変不快に思われた。すると、たちまち御衣は消え失せ、敵兵達の視力が回復した。

聖コスマスによると、
聖母は使徒達によってゲッセマネに埋葬され、主がご降臨してご遺体を天上に導かれたが、疑り深いトマスだけはこの葬儀に列席できなかった。彼はこれらの出来事が本当であるかどうか確かめる為に墓を開いて見せて欲しいと言った。使徒達は断ったが、自分だけが同じ使徒でありながら、共有の宝を見せてもらえないのですかとトマスが言ったのでしかたなく、墓を開いた。墓の中にはご遺体は見当たらず、おん衣と布だけが残されていた。

コンスタンティノポリスの大司教ゲルマノスは、「ヒストリア・エウテュミアタ」に出ている話として次のように書いている。
女帝プルケリアは、マルキアヌス帝の時代にプルケルナの町にも聖母を称える美しい教会を建て、イェルサレムの司教ユウェナリスをはじめ、カルケドン公会議のため首都に集まっていたパレスティナの司教達を呼び寄せてこう言った。「聞くところによりますと、聖母様のご遺体はゲッセマネの村に葬られているそうですが、この町を守っていただく為にこちらにお移しさせて下さい」ユウェナリスは昔からの言い伝えによりますと、ご遺体は変容して、おん衣と棺掛けの布しか残っていないそうです、と答えた。ちまみに、ユウェナリスはその後このおん衣をコンスタンティノポリスに送り、おん衣はそのうちに手厚く葬られた。

まだ、面白いのがたくさんあるんで・・・もう少しメモしておきたい♪
聖ヨハネの頭骨(聖遺物)の発見のお話。
「教会史」によると、ヨハネはアラビアのある城壁に幽閉されていて、そこで首を刎ねられた。しかし、ヘロディアスはその首をエルサレムに運ばせ、ヘロデの宮殿の側に葬った。首を胴体と一緒に葬ったのでは、預言者が甦るかもしれないと恐れたからである。

ところが「聖書物語」によると、452年に帝位についたマルキアヌス帝の時代にヨハネはちょうどエルサレムに来ていたふたりの修道士に自分の首のありかを教えた。ふたりは、さっそく昔のヘロデの宮殿の跡に行き、毛の毛布にくるまれた首を見つけた。この布は、聖人が荒野でまとっていた布であったのかもしれない。

ふたりの修道士は頭骨をもって帰途についたが、その途中で故郷を食い詰めて旅に出たエメサの一陶工と道連れになった。彼らはこの陶工に持ってもらうことにして、彼の背嚢(はいのう)に聖頭骨を入れた。こうして陶工は神聖なお荷物を運んでいったが、ある夜のこと聖ヨハネが夢枕に現われて修道士達から逃げよと告げた。そこで陶工は故郷のエメサに舞い戻り、ある秘密の洞窟に聖頭骨を隠して死ぬまでこれを崇め、大きな恵みにあずかった。

それから長い歳月がたち、マルケロスという聖徳に満ちた修道士がその洞窟に住みつくことになった。聖ヨハネはこの修道士に聖頭骨のありかを教えた。その経緯はつぎの通りである。

ある夜、マルケロスが眠っていると夢の中で大勢の人々が聖歌をうたいながら、洞窟の中に入ってきて「見よ、洗者聖ヨハネが近づいてこられる」と言った。みると、聖ヨハネが左右にふたりの供(とも)を連れて近づいてきた。全ての人々は彼の側に寄っていった。彼は、それらの人々を祝福を与えた。マルケロスも側に寄って、聖人の足元にひざまずいた。しかし、聖人は彼を立たせて顎をもって平安の接吻を与えた。そこでマルケロスはたずねた。「どちらからおみえになられましたか」聖人は「セバステから来ました」と答えた。

その後またある夜、眠っていると近づいてきて彼を起こす者があった。見ると、洞窟の入口のところに一つの明るい星が輝いていた。彼は起き上がって、その星を手で触ろうとした。すると、星は別の入口の方に逃げていった。後を追っていくと、星は洗者ヨハネの聖頭骨が埋められている場所のうえで止まった。そこを掘ってみると、壺が出てきて、中に聖頭骨が納めてあった。
う~ん、定番の聖遺物発見のパターンですね。サンチャゴ・デ・コンポステーラもそうだし、マグダラのマリアも聖遺物もそうでした。星が指し示し、そこを掘ると聖遺物がある! それを祀ると霊験あらたかな奇跡が次々と起こる。そしてそれこそが、聖遺物であることの証(あかし)になるわけです。やっぱり、論より証拠、『奇跡』こそ大切なんですよねぇ~。日本各地にある弘法大師様の伝説と一緒ですね。ここでは引用しませんでしたが、当然ヨハネの聖遺物による奇跡譚が続いています。

黄金伝説 3(amazonリンク)

関連ブログ
「黄金伝説1」ヤコブス・デ・ウォラギネ著 前田敬作訳 人文書院
「黄金伝説2」ヤコブス・デ・ウォラギネ 人文書院
シャルトル大聖堂 ~パリ(7月5日)~
聖母マリアの聖遺物があります!
黄金伝説 ~聖人伝~ ヤコブス・デ・ウォラギネ著

関連サイト
国立西洋美術館
マリオット・ディ・ナルドによる
《説教する聖ステパノ/ユダヤ法院での聖ステパノ》1408年
《聖ステパノの殉教/聖ステパノの埋葬》1408年
《聖ステパノの遺体を運ぶ航海/聖ステパノと聖ラウレンティウスの遺体の合葬》1408年
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2006年04月13日

「中世の説話」松原 秀一 東京書籍

西欧中世の説話物語を読みたいなあ~と思って買った本だが、具体的な説話自体はほとんどなくて、その点では想像外れでした。しかし、その代わりに想像もしていなかった面白い事がたくさんありました。

この本を読むまで、基本的に西洋は西洋、東洋は東洋で別々な文化圏として成立し、説話文学(教訓物等)も当然、その文化的な枠組みの中で固有の意義を持って発達したものだと思っていました。

絹がローマ帝国に運ばれ、珍重されたり、ネストリウス派キリスト教が唐王朝で流行していてもあくまでも異国の要素があるという程度の認識でしかありませんでした。

まして仏陀伝(お釈迦様の出家する話)がカトリックの聖者伝となり、カトリックの祝日歴に堂々と載っていたなんて、凄過ぎません? ヒンドウー教の神の一人として仏陀がいるとかいう次元とは、訳が違いますよ~。

私が大好きで、今も読んでいる「黄金伝説(キリスト教の聖人伝)」にもこの仏陀伝由来のものが載ってるそうで、「聖バルラームと聖ジョザファ伝」というそうです。後で、黄金伝説読む時に注意して読まねば!

またインドの英雄叙事詩「マハーバーラタ」にある一角獣の話は、ヘブライ語やスペイン語経由という複雑な道を経てラテン語に訳され、いっきにヨーロッパ中に広まっていったそうです。まさにへえ~の世界。誰か、トリビアに教えてあげて下さい(笑)。

あとね、何が面白いかって、フランシスコ・ザビエルが日本に伝道に来てさいほどの「聖バルラームと聖ジョザファ伝」もカトリックの聖人伝として日本に持ち込んだそうです。とっくの昔に日本は漢訳仏典として、仏陀伝は伝わっていたのに・・・。なんか笑えません?

他にもいろいろな例があって、今まで別個のものと思っていたのが、思いもしない形で結びつき、大変興味深いです。今昔物語や千夜一夜物語、黄金伝説等々が縦横無尽に関連していくそのさまは、まさに壮大絶後。

決してトンデモ本ではありませんので、物事を知れば知るほど、好奇心が増してきます。そういえば、芥川龍之介氏の「奉教人の死」とか、『れげんだ・おうれあ』なんか、まさにこのことですよね。

う~ん知れば知るほど、奥が深いです。楽しいネ♪ 他にもシンドバッドの冒険のやつとか、いろいろと書かれています。確か、元ネタの翻訳本買った覚えがあるなあ~。部屋のどっかに隠れているだろうから、後で探してみないと。とても楽しいですが、キリがないことになります(苦笑)。ただ、読んどいて損はないかと。
【目次】
説話の故郷
  説話の故郷
  インドと西欧
説話の東西
  一角獣の話
  小鳥の歌
  ささやき竹
  すり替えられた手紙―沼神の手紙
  5度殺される話―智慧有殿
  宝蔵破りの話―ランプシニトス王の宝

中世ヨーロッパの説話―東と西の出会い(amazonリンク)
出版社自体がつぶれたのかな? amazonでは探しても出てきません。中公文庫に同じ物があったので版権売ったのかな? いい本なのに。

関連ブログ
「フランス中世史夜話」渡邊 昌美 白水社
「中世の奇蹟と幻想」渡辺 昌美 岩波書店
黄金伝説 Golden Legend コロンビア百科事典による
「カンタベリー物語」チョーサー 角川書店
「キリシタン伝説百話」谷真介 新潮社(途中)
「錦絵 京都むかし話」浅井収 蝸牛社
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2006年04月04日

「法王庁」小林珍雄 岩波書店

これは、ありそうでなかなか無かった本でした。怪しい陰謀論などには、法王庁の各聖省の名が挙げられるものの、実際にはどういった機関で何を担当し、どうやって運営されているのかって基本的なことは知らないままだったんで、こういう正しい理解を助けてくれる本は嬉しいですね。

検邪聖省の詳しい担当内容や禁書の実体や、秘蹟のことなど知りたくても何を調べればいいのか分からなくって・・・そういやあバチカンのホームページあったけど、組織図以外に詳しい説明ってあったかな? あまりきちんと読んだことないんだけど・・・。

修道会が実際に認められるまでどういった経緯や手順を経なければならないか、どうように聖人として列聖されるまで実務的な手順など、大変勉強になることばかりでした。

ただねぇ~、古いんだ、この本って。1966年だもん。ヨハネ・パウロ2世の前の前ぐらいじゃないかな?もしかしたら、もう一つ前くらい? 勿論、長い歴史を持つこの組織の基本が数十年で激変するとは思わないけど、組織が硬直したままでこの現代を生き残れるほど、甘いわけでもないだろうし・・・。

それなりに変更や修正が行われているのも事実。検邪聖省も名称変わってるもんね。中身が変わったかはさておき。

今の組織に関してでこの本があれば絶対に買いなんですけど・・・。最近、こういう本ってみないなあ~。カトリック中央協議会とかで、この手の本出しているかな? 探したけどそれらしいものないなあ~。
古いものですが、基本的なことを知るには役立つと思います。勿論、絶版です。amazonにも出てやしません(ちぇっ)。

関連サイト
カトリック中央協議会

関連ブログ
「ヴァチカン」南里 空海、野町 和嘉 世界文化社
NHKスペシャル「ローマ教皇、動く」(再放送)
「典礼の精神」ヨセフ・ラッツィンガー サンパウロ社
「信仰と未来」ラッツィンガー著 あかし書房
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2006年03月23日

「聖遺物の世界」青山 吉信 山川出版社

ibutu.jpg聖人や聖遺物に関する情報に飢えている私としては、去年あたりから目を付けていた本です。気にはなっていたんですが、面白いかどうか分からなくて躊躇してました。値段もそこそこしますからね。

まず著者ですが、元々はイギリス中世史辺りがご専門のようでして私がその著書を大好きな渡邊昌美氏とはお友達だそうです。狭い業界だし、そう言われればなるほど~と思ってしまいます。で、必然的にこの本はというと聖遺物を扱う以上、西洋中世史なんですが、異様なほどご自分が明るいイングランドの話が多いです。

普通この手の話では、イングランドってまず出てこないし、せいぜいおまけ的なものと勝手に思っていた私にとっては想定外でした。その代わりに今までほとんど知らなかったイングランド関係の聖遺物や聖人の話なども知ることができたのは良かったです。

でもね、著者はできる限り一般性を保ちつつ、どうやって聖遺物が西洋の社会において崇敬されるようになったかを民衆の心情や教会側の事情、世俗の権力者側からの視点で解説してくれます。ほとんどの場合は、私が知っている限りの薄っぺらな知識からももっともだと頷く内容なのですが、逆に言うと当たり前過ぎてねぇ~。

個人的には、そういった考察もいいのだけれどそれを支える具体的且つ豊富な事例として、聖遺物の奇跡譚なんかも生々しく語ってくれると嬉しかったんだけどなあ。本書の場合、そういったものにはあまり触れずに、概論めいたお話が中心だったりする。正直これじゃ、どっかの学校の講義みたい。あくびして学生寝ちゃうって!もう~。

聖遺物崇拝といっても、非常に狭い地域のローカルなものだったのが国際的な広がりを持ち、巡礼の盛況といった現象に及ぶ過程で、その崇拝の対象・内容がどんどん変わっていく点など、考察は興味深いんだけどね。別に学術的な訳でもないし、一般向きで読み易いんだけど、これでは飽きてしまう・・・。もったいなあ~。

カンタベリ・ウォーター(殉教者カンタベリー司教の血が染み込んだ布を水に浸したもの)が病人を治したり、数々の奇跡を起こす話とか面白いのもいろいろあるんですが、もっとボリュームを増やしてくれればいいのに。今も通販で売っている奇跡の水と一緒です。いつの時代も人がすることは変わりません(笑)。

イギリスの守護聖人として有名な聖ジョージも元々は、外来の新参聖人だったのが、あれよあれよという間にイングランド古来の古株聖人達を押しのけて一番に登りつめた話なども、初めて知りました。王家の人間が教会との協力関係の中で聖人になっていく過程とか、それなりに楽しめます。

ただ、やっぱり聖人伝や奇跡譚が足らないなあ~。思いっきり俗物の私は、そういう伝承の類い(たぐい)の方が好きだしね。まあ、持っていても悪くない本です。絶対、買った方がいいとは間違っても言えませんけどね。
【目次】
第1章 聖人崇敬 (聖人崇敬の始まり、初期中世の教会)
第2章 修道院と聖遺物(外民族の侵入と修道院、聖遺物盗掠の横行、新時代への胎動)
第3章 聖人と巡礼 (普遍的聖人の擡頭、列聖、国際的大巡礼の発展、地方的章巡礼の活況、奇跡と治癒)
第4章 宗教改革と聖人の運命 (中世末期の諸相、国家的聖人の登場、イングランドの宗教改革と聖人の行方)

聖遺物の世界―中世ヨーロッパの心象風景(amazonリンク)

関連ブログ
「巡礼の道」渡邊昌美 中央公論新社
「中世の奇蹟と幻想」渡辺 昌美 岩波書店
「守護聖者」植田重雄 中央公論社
「黄金伝説1」ヤコブス・デ・ウォラギネ著 前田敬作訳 人文書院
黄金伝説 Golden Legend コロンビア百科事典による
エスクァイア(Esquire)VOL.19
「イタリア・奇蹟と神秘の旅」坂東真砂子 角川書店
「ファティマの奇蹟(奇跡)」最後の目撃者が死亡
オタクの守護聖人
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2006年03月20日

「中世の巡礼者たち」レーモン ウルセル みすず書房

聖遺物を巡る旅。最終目的地であり聖ヤコブの眠るスペインのサンティヤゴ(サンティアゴ、サンチャゴ)・デ・コンポステーラの大聖堂を目指し、富める者も貧しき者もがそれぞれの悩みを抱えて神へのとりなしを求めていく。

中世の教会というと中世の一大封建領主であり、貴族諸侯と変わらぬ俗物が主となり、その地位が贈与や聖職売買の対象となった堕落した姿をまずイメージしてしまうのだが・・・。

そんな悪い面ばかりではないんですね。二度とは生きて戻れないかもしれない危険を冒して巡礼する信仰心篤い人々。堕落した上位聖職者とは裏腹に、彼らの役に少しでも立ちたいと無料の施しや病に倒れた際の救護、一夜の宿を提供する修道士や地元の庶民・有力者。えらくはないかもしれないですが、一番キリスト教徒としてあるべき奉仕や献身を何の報酬も考えずに行う人々の存在があったことを知りました。

四国のお遍路さんなんかにもこういうのが確かあったことを思い出します。遍路道沿いにお遍路さんが夜露を凌げるように泊まれる場所や食事を提供する習慣があったみたいです。国や宗教は違っても、そういったものに対する崇敬の気持ちって変わらないんですね。う~ん、こういうのって人間の素晴らしいところだと思う。

と同時に、そういった旅人を襲って強盗を働くならず者や、ふっかけて高い通行税を取ったり、高い食事代金や宿代を請求する悪徳商人の存在も普遍的にどこでもあったらしい。東海道中膝栗毛によらずとも、旅人を騙してぼったくるのは変わらない。現在でも世界各国の観光地に行って、この経験をしなかった土地などなかったと思う。旅には危険がつきものである。

もっとも、本書に出てくる巡礼者はそのごく一部しか見事願いを叶えて故郷に生還した者がいなかったので、「巡礼に出る」それは既に今生の別れに他ならなかったらしい。まして、彼らは地図も持たずに行き当たりばったりに近い様子で道行く人に尋ねながら行くのである。十分な資金も食料も持たずに、ひたすら喜捨に頼りつつ進むその姿は、自ずから神聖な存在に近づいていくのかもしれない。

著者は実際に自分の足で何度もこの巡礼の道を歩いたうえで多角的に採り上げている。いささか(かなり?)退屈なところもあるのだが、この巡礼の道を行く人々がどのような気持ちで何を求めて、無謀と思える行動に駆り立てられたのか? 彼らが実際にどうやって巡礼を成し遂げたのか? それを可能にした社会的・宗教的・時代的環境など、興味深い記述が多い。

自らの土地支配権の拡充の一環として、巡礼者の保護の為に巡礼の道沿いに礼拝堂を立てて宿を提供したりすることが地元の有力者のステータスシンボルであったことや、クリュニー修道院がスペインの世俗権力との関係を深めていく過程でスペインをフランスの緊密化を図り、異民族イスラム教徒からスペインを守る為にも信仰を強くしつつ、この巡礼の旅を後押ししていたなど、この本を読んで初めてこの巡礼という大きな社会的存在を理解できたような気がします。

巡礼の人々が胸につけるホタテ貝のシルシなんかの話もへえ~って思うもんね。今なら記念の絵葉書や写真でも撮って帰ってくるところですが、聖地に行った記念として何らかの証(あかし)が欲しかったんでしょうね。ふむふむ。

でも、本書を読むの結構大変です。これ書いてる時点でまだ100ページぐらい残ってるし。読んでるうちに次々にいろんなことが出て忘れてしまうのでパラレルでブログにメモ書きしてるぐらいだらもん(笑)。

ただ、写真ばかりの巡礼の本よりもこちらの方が得られるものは多いですね。中身のないサンチャゴ・デ・コンポステーラへの巡礼本が最近日本でも結構あるけど、やっぱりこちらの方がいいかも? もしも実際に巡礼に行くならこの本はいいと思うなあ~。

私的には、サンチャゴ・デ・コンポステーラへの巡礼と四国のお遍路さんをやるつもり。今はちょっと余裕がないので無理だけど、一度はやっておきたいよね。何か自分の中で気付くことがあると思う。但し、徒歩かMTBでね。個人的な思いこみだけど、車やバイクとかで周るのはあくまでも観光でしょ。何も見えてこない気がする。できれば、徒歩でしっかりと一歩一歩確かめて経験すべきことだと思う。

って、その前に金貯めないと・・・。地獄の沙汰も金次第、っていうのは果たして真実か否か?(笑)

さて、上記のことを書いてから2時間経ってようやく残りも読み終えた。後半になると、巡礼の道々に建つ教会建築(大聖堂)に関する説明になってくる。図版がないので、文字による説明だけでは正直言って理解しかねるが、別な資料と合わせて読むときっと面白いかもしれない。私はそこまでしないけど。

中世の巡礼に関連するものには貪欲に触れてイいて、資料としての価値は高い感じがします。ただ道であるので地名がたくさん出てくるのには辟易した。イメージできないし・・・。それを我慢すれば、十分に価値ある本。でも、予備知識がないとこの本の面白みを味わえないと思う。どうしてもある程度は、知っていないと辛い。本書だけを中世のことを何も知らない人が読んだら、苦痛でしかないだろう。私の場合は、苦痛の合間に断片的に知っていることがあったのでだいぶ救われたというのが正直な感想だったりする。
【目次】
1 キリスト教における初期の巡礼
2 中世における巡礼の社会的・宗教的状況
3 道
4 巡礼者の祈りと振舞い
5 荒々しくも力強い作品―『サンティヤゴ巡礼の案内』
6 『案内』と巡礼の組織
7 スペインとフランスの道
8 詩的ともいうべき学説―「巡礼路の教会」について
9 ロマネスク巡礼の他の聖堂
10 つねに巡礼者

中世の巡礼者たち―人と道と聖堂と(amazonリンク)
関連ブログ
マグダラのマリア~「中世の巡礼者たち」より抜粋
「巡礼の道」渡邊昌美 中央公論新社
「中世の奇蹟と幻想」渡辺 昌美 岩波書店
「スペイン巡礼の道」小谷 明, 粟津 則雄 新潮社
「フランス ゴシックを仰ぐ旅」都築響一、木俣元一著 新潮社
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2006年02月26日

「悪魔考」 吉田八岑 薔薇十字社

う~ん、あの吉田氏の本だったので期待していたのですが…、特になんの感想も湧かないものでした。整理整頓に走り過ぎて、個々の内容については既にどこかで見た内容ばかりだし、より深い考察といったものも見受けられませんでした。端的に言うと、あまり面白くない。絶版ですが、復刊しなさそうな気がします。

私のやや屈折した趣味嗜好(オイオイ)を満足させるような事例もないし、初めて知るようなこともありませんでした。せいぜいメモ書きされた項目の列挙っていう感じでしょうか。本の表紙とか装丁は結構、期待させるくせにね、ちぇっ!てなカンジです。

文章は不要でしたが、資料篇の文献目録だけはいいと思います。悪魔関係でどういった資料があるのか、それを知りたい時には重宝しそうです。ただね、当然海外の文献ばかりで英語ならまだしも英語以外の文献ばかりなのが辛い…。私読めないジャン(涙)。やっぱりフランス語くらいは、もう一度勉強しないと駄目かな?日本語だけでは、知りたいことの資料が足りなさ過ぎるのを痛感するこの頃。
【目次】
一悪魔
 1.悪魔学
 2.魔女
 3.夢魔
 4.吸血鬼
 5.妖術
二魔女裁判
 1.緒論――魔女存在とその周辺
 2.魔女裁判の方法
 3.魔女狩り
 4.偉大なる主人公たち
三資料篇
 文献目録
 悪魔学主要人物録
 宗教裁判および悪魔学史年表

関連ブログ
「西洋暗黒史外伝」吉田八岑 桃源社
「異端審問」 講談社現代新書
「魔女狩りの社会史」ノーマン・コーン 岩波書店
「黒魔術の手帖」澁澤 龍彦 河出書房新社
「悪魔学大全」酒井潔 桃源社
「魔女と聖女」池上 俊一 講談社
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2006年02月21日

「ヨーロッパの死者の書」竹下 節子 筑摩書房

竹下氏の本だというので期待しただけにショック! かなりつまらない本でした。要は死というものをどう捉えるかという文化・社会論なんだけど、かなり薄っぺらな内容です。豊富な文献を駆使して…とか、紹介文にありましたが文献らしい文献などありません。そういった意味で資料的にも価値は無いし、文化論としても鋭い指摘があるわけでもなく、お気楽にエッセイとして書き流したレベル。コメントするほどのものは一切ないです。

確か、以前読んだ本(タイトル忘れてしまった…)で修道院の院長とかがなくなると、その名前の一覧を長い&長い紙に書き、それを放浪する商人などに委ねて各地の修道院などへ回覧し、追悼文のようなものをみんなで書き連ねていくといった習慣のことを読んだ覚えがあります。私的にはそれに類することを期待していたんですが…単なる死に関する西欧の文化論ではね。この程度の考察は自分でできますよ。知りたいのはあくまでも情報や知識であって、考えることは自分でできるのになあ~。

仮説立てたりなんて、昔から大得意!! 以前の仕事もPLAN・DO・SEEは基本中の基本。学問でもビジネスでも企画立てるのなんて誰でもできる。問題はその内容なのに…ネ! 個人的にはもうちょっといい本を書く方かと思っていたので、残念でした。竹下氏の本は、今後評価低くしてしまいそうです。私の中では今までが結構高かったのになあ。

聖人伝がどうのこうの解釈されるのを読むよりは、直接聖人伝の内容を読んだ方がはるかに面白いに決まってます(当たり前ジャン)。

ヨーロッパの死者の書(amazonリンク)
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2006年02月13日

「イエスの墓」リチャード アンドルーズ、ポール シェレンバーガー 日本放送出版協会

haka.jpg勿論、ダ・ヴィンチ・コードの延長線上でレンヌ=ル=シャトー絡みの本だと思って、馬鹿みたい高いのにようやく購入して読んだ本。それだけに怒りが…!

これも私が知りことが何にも書かれていない、単なる図形遊戯の本でした。ショックが大きい(号泣)。だっていろんな図表やら、地図やらに昔のユークリッド幾何学よろしく補助線みたいなのをバンバンひいて、やれこれは何とかの線で何かを示しているとか言われても勝手にやって下さいとしか言いようがない。著者達の妄想を本で後追いさせられるのは勘弁して欲しい。イエスの墓がどこにあるって…??? 適当な山にあると言われてもねぇ~。この本のどこにそんな説明があるのやら?

知的好奇心をいたく刺激した「レンヌ=ル=シャトーの謎」と比べると、私的には思わず焚書処分にしたくなった。しかもあの本よりも後に出ていていろいろと批判しているのは、いいのだけど瑣末な事ばかりで一番大切な聖杯とか血脈に関する部分は、説得力が更に無いんだもん、使えな~い。というか、どっか他の本で読んだことばかりだし。

私の興味のある歴史的な事実に対する謎解きはほとんどなく、単なる宝(=イエスの墓)探しゲームになってしまっている。しかも、個人的にはどうでもいいことを基準にあれこれと適当なことを言ってる気がしてならない。途中でまともに読むのに耐えられなくなり、地図や図が出ているページは飛ばし読みしたが、それでも読み価値があるところを見つけられませんでした。あ~あ。

そうそう思い出した! 以前も似たような思いがあると思ったら、「隠された聖地」があった。まさにアレと同系列の私の嫌いなタイプの本です。そっか、そっか、自分で納得。逆にいうとあの本を面白いと思った方なら、この本も面白いはず。

私はこの手の本が嫌いなんでどうにも合わない。図形問題は好きですが、こんな一人よがりな論理による、宝探しで図形をいじるのにはやってらんない。久しぶりに大外れの一冊でした。さて、これ売り飛ばそうっと。少しでも回収して先週1万6千円も出して購入した本の資金に回さなければ…。うっ、頭が痛い(涙)。

イエスの墓(amazonリンク)

関連ブログ
「隠された聖地」ヘンリーリンカーン著、荒俣宏訳 河出書房新社
「レンヌ=ル=シャトーの謎」 柏書房 感想1
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2006年02月09日

「正統と異端」堀米 庸三  中央公論社

異端とすぐにキリスト教の過酷な迫害、特にアルビジョワ派十字軍などをイメージしてしまうのですが、どうやら本書の内容とは違うようです。キリスト教における正統と異端の話ではあるのですが、神学論争に社会の為政者としての側面が絡まり、なんとも複雑な様相を示しています。

しかし、本書を通じて初めて理解できたことも多かったです。私のようなキリスト教門外漢にはなかなか得る所の多い本です。そもそもキリスト教的な正統と異端ですが、何が違うと思いますか?

カトリック教会の本質は客観的制度にあり、客観的に存在する歴史上の教会が、その聖職者の位階的秩序ともども神の人類救済の為の恩寵の施設なんだそうです。これに対し、異端の教会は自覚した成員の自由意思による共同体であることを特徴とし、それは成員を離れて客観的な価値を持たないんだそうです。

これって凄くないですか! 私流に噛み砕いて言うと、カトリックは要は教会に来ているだけ
の形式さえあればOKで、心は二の次ってことでしょう。勿論、極論ではありますがちょっと驚きません? 異端はあくまでも個々人の内心が重要視されていて、教会の形に囚われないわけです。

そりゃ、カトリックが必至になって異端を敵視するのも分かりますよね。ふむふむと、ど素人が勝手に納得。そこから、名称だけはよく聞く幼児洗礼の問題が出てくるわけです。自由意思の確立していない幼児に洗礼を受けさせることの問題ですね。一面的に言うと、カトリックは形式があればいいのでOKなのですが、異端側からすると自由意思のない洗礼なんて意味ないジャン!って訳です。ようやく、この問題の意味が分かってきました。

あとね、あとね。面白いなあ~っと思ったのは、聖職売買に関すること。金で聖職を買った瀆聖聖職者が行った秘蹟が有効か否かという論争なんですが、カトリックの神学理論上では、客観主義の原則から、それを行う人の徳性にたとえ問題があっても、あくまでも神の道具として代行しているのに過ぎないので問題ないとするんです。つまり、品性下劣な司祭だろうが、やっている本人は問題じゃないんでOKなんですよ~。物凄い徹底ぶりですね。

もっともこの背景には皇帝派と教皇派で割れていた時代であり、皇帝派の聖職者の行った過去の秘蹟全て(洗礼や叙品)を無効にしたら、ひどい混乱が生じるので現実問題としてそんなことできないという切実な側面もあったそうです。なんだかねぇ~。

もっともグレゴリウス改革では、この聖職売買等の腐敗を一掃しようとする情熱の余り、この客観主義を逸脱し、神学的な矛盾を内在したまま、瀆聖聖職者の秘蹟を無効にしようともしたりするのですが…、まあ大変だったりします。

その他にも、今の感覚からするとどうしていけないのか不思議に思うような説教の禁止も当然のこととされていたようです。だからこそ、一番熱心であった人々が使徒的清貧を推進し、広く説教活動をする、それがもう異端だったりするわけです。しばしば名を聞くワルド派なども口語訳の聖書を作ったり、説教したりと熱心に宗教的情熱のままに行動した為に異端とされ、迫害されたりしたわけです。

本書を読むと、何故そんな理不尽なことがなされていたのか?カトリック側からの論理が見えてきてとっても勉強になります。

以前見て、私の中では非常に強く印象に残っている映画「スティグマータ」で、聖痕(せいこん、スティグマータ)を受けて神の言葉を伝えようとする者を司教が神の国を脅かすものとして殺そうとするシーンが目に浮かびます。
「私の教会、私の神の国を脅かすこの悪魔め!」
まさに、これは真実だったんですね。最初は映画故の誇張した台詞だと思っていたのですが、これが真実を表していることを知り、ちょっとショックを受けました。

逆にそこで語られる台詞も強烈です「教会とはなんだ、単なる建物でしかない。そんなところに神はいない。神は常に存在し、どこにでも存在する」
やばいです、映画でありながら結構感動しちゃいましたが、これって異端の主張そのものじゃないですか。う~む。プロテスタントをカトリックが血眼になって、争うのもまさにコレなんでしょうね。いろんなバラバラの知識が、この本を読んでようやく有機的に結びついたカンジです。いやあ~良かった&良かった(笑顔)。

きっと、ご存知の方には当たり前なんでしょうが、全然意味が分からなかったのでちょっと賢くなった気がします♪

正統と異端―ヨーロッパ精神の底流(amazonリンク)

関連ブログ
スティグマータ 聖痕 <特別編>(1999年)
「異端カタリ派」フェルナン・ニール 白水社
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2006年01月25日

「聖者と学僧の島」トマス カヒル 青土社

最近、すっかりケルトに関心が偏りつつある私です。今回もケルト絡みの一冊。学者さんが書いた本とは違い、かなり大胆な仮説(想像)も入っているようだが、基本線は正統的にそれなりに資料に基づいて書かれている感じです。何よりもとっても読み易いし、これまで私のほとんど知らなかったアイルランドというものへの理解を深めてくれた本です。

これまでほとんどアイルランドって知らなかった私にとっては、驚くことがとっても多かったです。今までの私の知識では、アイルランドが世界の(しかも学問の)中心であった時が古代であってもあったなんて、大変衝撃的な驚きでした!!

ギリシア以来の西洋古典的知識がローマ帝国滅亡後、西洋から失われ、それがイスラムを経て中世の教会でアラビア語経由でラテン語に翻訳されたのは知っていました。私的にはまさに「薔薇の名前」の世界ですね。

しかし、古典的な知識や写本は、イスラムだけではなく西洋の片隅であるアイルランドでいかにして保持され、継承されてきたのか、まさに眼からうろこの気持ちです。大陸で失われた知識がアイルランドで絶えること無く、またその知識を求めて大陸からもたくさんの人々が渡ってきたのもこの本を読んで初めて意味が分かりました。実に、人類にとって貴重な文化の1頁を担っていたのも分かります。

それらと共に名前だけ知らなかったアイルランドの聖者・聖パトリックがどのような人生を送り(奴隷として過ごしていたこともあるそうです)、アイルランドで何を行ったのか、いろいろ知る事もできました。一人の殉教者も出さずに、キリスト教に改宗させていったのも興味深いです。他にアウグスティヌスに関しての話もあり、とっても話題が豊富です。

お気楽にさらっと読んでみたい方にはお薦めだと思います。結構、勉強になりました。そうそう、聖ブレンダンの航海とか何故いきなり旅に出てしまうのか?その辺のこともよく書かれています。どこまで正確なのかはちょっと分からないですが、ああっそうなんだあ~と納得させられる事も多かったです。
【目次】
序 歴史はどれくらい真実なのか
第1章 この世の終末―ローマ帝国はどのようにして滅亡したのか そしてなぜ
第2章 失われたもの―錯綜する古典の伝統
第3章 移りゆく闇の世界―神聖ではなかったアイルランド
第4章 遠方からの福音―最初の伝道者
第5章 堅固な光の世界―聖なるアイルランド
第6章 見つけだされたもの―アイルランド人はどのようにして文明を救ったか
第7章 世界の終わり―希望はあるのか


聖者と学僧の島―文明の灯を守ったアイルランド(amazonリンク)

関連ブログ
聖ブレンダンの航海譚 抜粋
「聖パトリック祭の夜」鶴岡 真弓 岩波書店
「図説 ケルトの歴史」鶴岡 真弓,村松 一男 河出書房新社
「ケルト神話と中世騎士物語」田中 仁彦 中央公論社

関連サイト
聖ブレンダンの航海 お薦めです!!
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2006年01月13日

「黒魔術の手帖」澁澤 龍彦 河出書房新社

ここで紹介しているのは河出文庫ですが、私が持っているのは既に潰れてしまった桃源社のものです。一時、澁澤さんの初版本集めにはまっていた時に購入した一冊で、澁澤龍彦集成や河出書房新社の全集まで全巻揃えて、だいぶお金を使ってしまったなあ~。勿論、後悔はないけど。

そんな澁澤氏にはまるきっかけが高校生の時に読んだこの本と毒薬の手帳です。以前にamazonでレビューを書いて忘れていたのですが、たまたま今日見つけたので自分のブログに転載します(amazonのパクリではないので・・・笑)。

では、忘れないうちに。

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生まれて初めてこれを読み、日常生活とは異なる世界「異端」の存在が歴史上の厳然たる事実であることを知らされた一冊です。今でこそ、黒魔術という言葉はRPGゲームなどで一般的になっていますが、恐らく日本でその用語を大衆化させたのは、澁澤氏の功績でしょう。まさに、この一冊の衝撃は、出版当時に思春期を迎えた人達にとって異端のバイブル足り得たのは驚くにあたりません。

マンドラゴラを始め、魔女やサバト等、西洋キリスト教の裏側である庶民の生活をベースにありとあらゆるものが概観できる格好の入門書であり、現代日本の抱える神経抹消気味な社会システムから、外れた「現代の異端」であることさえも容認している若者救いの書とも言える。それ故、バイブルなのであるが・・・・。

これを読み、改めて価値観の多様さの意味を知ることができる啓発の書でもある。もっともこれを読んだ後では、日本社会が大切にする道徳の精神がいかに偽善に満ちたものかを痛切に感じ、悩まされる心配もあるが、そこは本書が意図しないもので受け手の問題であろう。

思考のパラダイムシフトを求める方、軽く黒魔術に関心のある方、万人向きと言えるでしょう。

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なんか文章が我ながら、若い! そんな気がするんですが…?

黒魔術の手帖(amazonリンク)

関連ブログ
「悪魔学大全」酒井潔 桃源社
「悪魔の話」 講談社現代新書
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2006年01月12日

「修道院」今野 國雄  岩波書店

非常に正統派的な修道院に関する歴史の本。薄いながらも、まさに岩波と確信できる感じと言えば分かってもらえるでしょうか?

エジプト以来の本当に何もない中で修道制から、聖ベネディクト会則が作られ、それに則った形での修道生活の実践。典礼で有名なクリュニー修道院の繁栄とその奢侈堕落ぶり。それに対する改革派によるシトー会の誕生とその改革性と隆盛。やがて異端との論争をすることになるドミニコ会やフランチェスコ会。

さらにはルターの宗教改革を経て近代に至るまで、非常にバランス良く正統派的に概観することができます。おまけに「労働」を巡る評価の論争や聖者と学者の島アイルランドにまで触れ、本当に幅広い。視野が広くなる一方で、個々のテーマについては、説明不足で駆け足になっている点も否めない。そこが惜しい!! でも、これを読んでおおまかな趨勢をつかむことで次の本に向かう良い入門書や準備体操的な役割を十分に果たしていると思う。

もし、修道院というものに対する知識がない人には、この手の本が最初は手頃かもしれない。私の場合は、既に何冊かこの手の本を読んでいるので余計分かり易かったかもしれないが、知識の整理には良いと思う。映画「薔薇の名前」でも出てくる修道院(教会)における富と清貧の問題は、ここでも取り上げられています。

クリュニー修道院が圧倒的な中央集権体制下、ほとんど荘園経営者として自らの労働をやめ、ひたすら華美・壮麗の建築や美食、豪華な服装にうつつを抜かしていく一方で、シトー会が使徒的生活をまさに実践し、あくまでも修道士自身が荒地を開墾して直接土地経営に当るのとでは全く対称的であり、面白い。

それ以前からも修道制における「労働」というものはずっと問題とされてきており、使徒的生活を求める余り、自らの生活を支える労働さえも行わず、ひたすら喜捨に頼り、乞食の生活に甘んじるのは間違った労働の捉え方としているのも興味深い。

アイルランドが当時は、宗教・学問の中心地で皆がそこに憧れ、集っていたというのも初耳でした。もっとも先日読んだケルトの本に少しは出ていたような気もするけど・・・?

修道院というキーワードから、いろんな興味深い歴史・事実を知ることができます。絶版のようですが、もし見かけたら買っておいて悪くない一冊です。

読んでいてさすがは贅沢三昧のクリュニーと思った部分を引用。
次々に皿が運ばれてくる、あなた方に禁じられているただ一つのことである肉食の禁戒を埋め合わせる為に、たくさんの魚が二度にわたって出される。最初の食事で満腹しても、次の御馳走が出るので先に味わったものを忘れてしまう。新しく工夫された調味料で刺激された味覚は、ちょうどそれまで断食していたかのようにいつも敏感に働き、再び食欲をそそる。胃はいっぱいになるが、料理の多様さが食欲不振になることを妨げる。また、卵を料理するさまざまな方法を誰が教えるのだろうか。卵は裏返しにし、また裏返し、湯がき、ゆで、細かく切り、フライにし、焼き、詰物をする。それは時には単独で、時には他の食物と混ぜて出される。もしこれが食欲不振を避けるという目的の為だけでないとすれば、一体どんな理由があるというのであろう。この食事の後、食卓を立つが、浴びるほどのぶどう酒で頭は重苦しくなっている。もし眠る為でないとすれば、なぜこんなことをするのか。もしこんな状態で聖務日課に行かなければならないとすれば、果たして聖歌を歌うことができるのだろうか。

ねっ、すごいでしょう。私は今すぐにでもクリュニー修道院だったら、入りたいな。たらふく食べてワイン飲んで、美しい写本読んでればいいんでしょう。この世の楽園ですね。ずっと本を読んでいればいいんだし。たまには形だけのお祈りをすればOKみたいだし(笑)。

そうそう、ケルトの話で有名な「聖ブレンダンの航海」。修道院の院長が旅に出るんですが、実際に当時の風習としてそういうのがあったんだそうです。突然、清貧の旅に出ちゃうんだって。ローマ教会側では、こうした動きを止めようと禁令まで出したとか。まさにへえ~って思っちゃいますね。なんか楽しいです♪

修道院―祈り・禁欲・労働の源流(amazonリンク)

関連ブログ
「修道院」朝倉文市 講談社
薔薇の名前(映画)
「図説 ケルトの歴史」鶴岡 真弓,村松 一男 河出書房新社
「イグナチオとイエズス会」フランシス トムソン 講談社
ブラザー・サン シスター・ムーン(1972年)フランコ・ゼフィレッリ監督
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2006年01月03日

「ユダヤ・キリスト教 封印のバチカン文書」林 陽 徳間書店

fuuinn.jpgバチカン図書館の中に人知れず忘れ去られた古文書の山。その中から、偶然にも陽の光を浴びて世界に現われたイエスを巡る2000年前の公文書の数々。そこに描かれたイエスの真相とは・・・?

こ~んな感じで書かれてしまうと期待にわくわく胸を躍らせてしまいませんか? 私は以前からバチカン図書館には人類の秘められた謎や叡智が隠されていそう・・・なんて夢想しておりましたので、もう興味津々で読み始めました。そもそもこのブログのタイトル自体がバチカンの禁書図書館のイメージからつけたもんですしね!期待大でした。

で、率直に感想を述べると・・・この本つまんなかったりする。そもそもバチカン図書館の文書保管者からラテン語の古写本の写しを入手し、それをアメリカ人が調査すると言ってもなあ~、はなから胡散臭い。しかもその為にかかる費用が62ドル、英語に翻訳してもらうのに更に10ドルって昔にしても安くないかなあ~。僕が頼んでいいけどね、それぐらいなら???

まあ、ざっと内容を述べると、目次でも分かりますが、ピラト総督がローマに送った書簡やヘロデ王の書簡など、ローマ帝国の行政の活動の一環として公文書がたくさん残されているそうです。そこに書かれている内容は・・・。まあ、想定の範囲内なんですが・・・。個人的にはもっとインパクトのあるものを期待していたんだけど、そういうのはありませんでした。逆に、あまり特徴のない文章で読んでいて何度も眠そうになってしまったくらい。たぶん、他の方が読んでも退屈すると思うなあ~。

第一部はバチカン図書館の文書ですが、第二部になると第一部と関連する別な資料という形で大英博物館に所蔵された公文書の紹介になります。そして第三部になると、チベットに現存するという古文書から、イエスが布教を開始する30歳頃以前の謎の部分について、チベットで布教をしていたという話を紹介しています。

どうなんでしょうか? 正直言って、第三部にまで至るとトンデモ本のような気がするのですが・・・? 私の個人的感想から言えば、この本は大いに期待外れだし、読まなくていいと思います。何よりも退屈で辛いです。個別に資料の裏付けができないので絶対に嘘とは言えませんが、なんかねぇ~。この本出している徳間出版というのも、ちょっと信用おけないし・・・。私の偏見かもしれませんが・・・? 
【目次】
第1部 バチカン図書館、聖ソフィア寺秘蔵のキリスト公文書(幻の古文書はこうして発見された―実在した2000年前のキリスト公文書
タルムードから削除されたイエスの記録―ユダヤ・タルムードを再検証する
西洋キリスト教思想の源流を探る―エウセビオスに宛てたローマ皇帝コンスタンティヌスの書簡 ほか)
第2部 大英博物館秘蔵のキリスト公文書(ヨハネの殺害者ヘロデ王家を襲った悲劇―総督ピラトに宛てたヘロデ王の書簡
復活したイエスと総督ピラトの対話―ヘロデ王に宛てた総督ピラトの書簡
イエス磔刑に関する弁明―ティベリウス皇帝に宛てたピラトの書簡(1) ほか)
第3部 チベットのヒミス寺秘蔵のキリスト古文書―聖イッサの生涯(永遠の地チベットでのイエス伝
大いなる義人イッサ―イスラエル商人たちの証言
解放者モッサ―モーゼの誕生から出エジプトまでの記録 ほか)

ユダヤ・キリスト教 封印のバチカン文書―西欧文明が抱える巨大矛盾(amazonリンク)
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2005年12月18日

「ヴァチカン」南里 空海、野町 和嘉 世界文化社

vatican1218.jpg値段は高い。正直かなりのもんであるが、写真が非常に多く、しかも通常では見れないものがたくさんある。実際にヴァチカンには3回ほど行ったことがあるが、それでは見れない又は知ることのできないものをこの写真を通して見ることができるかもしれない。美しい写真集的な気持ちでまずこの本を買った。

そして中を読んでみると、おまけ的なものと全然期待していなかったはずの文章が実にイイ!非信者としてまた一人のジャーナリストとして淡々とした語り口ながら、必要以上に偏らず、事実を並べてながら紹介していくこの文章には、非常に好感を覚えた。

以前、法王を扱ったNHKを見た時にもその真摯な姿勢と現実に行動する姿には、かなり胸を熱くした覚えがあるが、その時には知らなかった事実もこの本で知り、再び感動した。どんな人であっても賛否両論があり、まして行動する人物には当然批判もつきものだが、それらを考慮してもやはり亡くなられたヨハネ・パウロ2世は、ひとかどの人物であったと思う。いろんな意味で影響力をもった偉人の一人であったと感じた。

野暮ったいようであまり口にしたくはないのだが、苦労をしてもそれにくじけることなく、正面から立ち向かってきた人のみが有する人間としてのギリギリの強さを持っているのではと感じた。率直に、そういった生き方に対して強烈な憧れを覚える。と同時に、憧れだけでそれを実行にうつせていない自分に対するもどかしさも強く実感させられた。

信念、それは行動によって生かされ、行動の伴わない思いは信念になり得ない。

いろいろと考えさせられる本であった。と、同時にいささかの懐疑も浮かんだ。確かにこの本では私も知っている限りでは事実が述べられている。但し、それは別な意味でいうと都合のいい事実であり、宗教が現実社会において行動する時に政治的なものから無縁ということはありえない。バチカンが抱えるとされる資金問題(バチカン銀行等々)など、闇に隠れた部分に関しては一切触れられていない。もっとも著者もその点ははっきりと自覚があるようで、そういった問題に触れられていない点を自分で書かれていたのは、逆に良心的とも言えるかもしれない。

本書は非常に興味深く、読んで正解だと思うが、ここに書かれていることだけが全てだと思うのはあまりに軽率であり、また短慮のそしりを免れ得ないだろう。奥歯に物がはさまったような言い方しか出来ないのは残念だが複数の情報ソースを持つ、その為の一つとしては有用です。素直に感動するのは感動しても、どこかで冷ややかにそれを見つめる自分がいないとバランスを失うかも? う~ん、うまく言えませんが良い本であり、写真もGOODです。他の本とも比較して読んでみるのも良いかもしれません。

ヴァチカン―ローマ法王、祈りの時(amazonリンク)

関連ブログ
NHKスペシャル「ローマ教皇、動く」(再放送)
「法王暗殺」デイヴィッド・ヤロップ 文芸春秋
「バチカン・ミステリー」ジョン コーンウェル 徳間書店
バチカン:前ローマ法王が「聖人」 列福調査を正式開始へ
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2005年12月13日

「神秘体験」山折 哲雄 講談社

sinnpi.jpg実はね、以前読んだ本で原始キリスト教では幻覚キノコ(マジック・マッシュルーム)を使って神の姿を見た、な~んて論文があるのを知り、目次にあった「聖なるキノコー幻覚と薬」と「グノーシスとヘルメス思想」に惹かれて読んだのですが…思いっきり外れ。著者はちゃんとしたまじめな学者さんで、いろんなことを実体験しているようですが、悲しいことに書かれている文章には読むだけの価値が無い。

端的に言うと、上っ面をなでてあれこれ書いているものの深くその現象や物事に掘り下げることがなく、知的好奇心を刺激されません。勿論、何ら知識を得ることもできません。

せっかく神の飲み物ソーマを出しながら、その歴史的意義や文化的意義、あるいは薬理学的な意味のどれも満足のいく説明がなく、ただ意味もなく紹介しているだけ、非常にお粗末な文章で本書を通して何が言いたいのか分かりません。

この本を読むならば、もっと俗っぽい「悪い薬」とかドラッグ系の本でも読んだ方がなんぼかマシです。もったいぶって、グノーシスとか出しても文脈上、何の意味があるのか不明だし、クンダリーニがどうとか言っても・・・???

こんな本読むよりも声明やグレゴリウス・チャントのCDでも聞いた方がよっぽど神秘体験できます。じゃなければ、何も持たずに青木が原樹海を3日間彷徨えば、いくらでも神秘体験できるのではないかと? 朝鮮朝顔の種でもなんでもトリップできますしね。暇つぶしにしてもしょうもない本でした。失敗&失敗。

もっと、面白い本ないかな~?

神秘体験(amazonリンク)

関連ブログ
「媚薬」エーベリング (著), レッチュ (著) 第三書館
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「黄金伝説2」ヤコブス・デ・ウォラギネ 人文書院

少し前に苦労してやって見つけて購入したものの、約500頁のぶ厚さに負けて、しばらく読んでいなかったのですが、ようやく読破! 結構、日数かかったかも。今、いろいろと忙しいからしかたないけど、4日くらいかかったかな? それなりに面白い話が多いし、毎晩一聖人づつ読んでいくものいいかも?

第二巻は大物が多いです。福音記者マルコ、ピリポ、ペテロにパウロに大ヤコブ。更に更に、とっておきのマグダラのマリアまで。まあ、既にわざわざGOLDEN LEGENDから訳までしてブログに書いているのにまた読まなくてもいいようなもんですが、一応ね、内容確認の意味も込めて。勿論、何度読んでも面白いです。

重複しない範囲で面白いところというと、十字架の話かな? シバの女王が見つけるところは、既にうちのブログでも何度か取り上げてますが、それ以外も含めてちょっと抜き書きしておきます。ひたすら殉教と奇跡が書き連ねられた黄金伝説(聖人伝)。読んだことのない方は是非、読んでみましょう。面白いですよ~♪(笑顔)。

聖十字架の発見。「ニコデモによる福音書」には、アダムが重い病気になった時、息子のセツは地上の楽園の門のところに行き、父の体に塗って病気を治したいからといって憐れみの木の油を分けて下さいと頼んだ。すると、大天使ミカエルがあらわれて、「憐れみの木の油を手に入れようとするのをやめなさい。また、そのことで泣くのもやめなさい。憐れみの木は5千5百年が経過するまではあなたに与えられないのです。」と言った。

また、大天使ミカエルはセツに小枝を一本与えて、これをレバノンの山のうえに植えなさいと命じたという説もある。ある歴史書によると。ミカエルはアダムが罪を犯す原因になった木の枝をセツに与えて「このコ枝が実をつければ、あなたの父は健康な体にもどるでしょう」と言った。さて、セツが家に帰ってみると父のアダムは既に死んでいた。そこで父の墓の上に小枝を植えた。小枝は成長し、大木となり、ソロモンの時代まで生き続けたという。

ところで、ソロモンはこの木の見事な枝ぶりに眼をとめ、これを切らせて<レバノンの森の家>の建材に使わせようとした。ところが、この木は家のどの部分に使おうとしても長過ぎるか短過ぎるかして寸法が合わなかったという。正確なものさしできちんと切ってもいつも短くなって、間尺があわないのである。腹を立てた大工達はこの木を使わないことにし、ある沼のに掛け渡して、人が通る小橋にしようとした。さて、ソロモン王の知恵を噂に聞いたシバの女王がこの沼を渡って王を訪問しようとしたときのこと、女王は世界の救世主がいつかこの木にかけられることになると心眼で見抜いた。そこでこの木を踏み付けて渡るのは恐れ多いと思い、その場にひざまずいてうやうやしく拝んだ。

しかし、「聖書物語」によると、シバの女王は<レバノンの森の家>でこの木を見かけ、故国へ帰ってからソロモンに使者を送り、あの木にいつかさる人が吊るされ、その人の死はユダヤ人の王国を滅ぼすことになりましょう、と伝えさせたことになっている。そこでソロモンはこの木を大地の底深くに埋めさせた。

それから長い年月がたって木を埋めた場所のうえに神殿に使えるしもべたちが犠牲獣を洗う池が掘られた。すると、池の水が吹き上げてきて、万病に効くようになった。これは天使がこの池にのぞんだからでもあるが、一つには木にあらたかな霊験がやどっていたためでもあった。

さて、キリストの御受難が近づいた頃、木がひとりでに浮かび上がってきた。ユダヤ人たちはこれを拾い上げて主の十字架をつくった。また一説によると、キリストの聖十字架は四種類の木、棕櫚、糸杉、オリーブ、香柏で作られていたと言われる。「十字架の木は、棕櫚に香柏、糸杉にオリーブ」という詩句はそこから来ている。また聖十字架は四つの部分から成っていた。縦木、横木、頭部につける板、十字架を埋め込む台木、この四つがそれである。

この有り難い十字架の木は、キリスト受難後二百年以上も地中に埋もれていた。その後、コンスタンティヌス大帝の母ヘレナによって発見されたと言われる。

黄金伝説 2 (amazonリンク)

関連ブログ
「黄金伝説1」ヤコブス・デ・ウォラギネ著 前田敬作訳 人文書院
マグダラのマリア 黄金伝説より直訳
「黄金伝説抄」ヤコブス・ア・ウォラギネ 新泉社
The Golden Legend: Readings on the Saints 「黄金伝説」 獲得までの経緯
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2005年12月01日

「山伏」和歌森 太郎 中央公論新社

なんと言えばいいのでしょうか? 端的に言うと、面白くもなんともないってところでしょうか。山伏が僧侶等とも密接な関係を持ち、檀那を持っていてそこにお札やら護符やらを売っていたとは知りませんでした。

ただ、単に山に入って修行しているもんだと思ったんですが・・・。さらに言うと、僧侶は厳しい資格検査があってなかなかなるのも大変だったのに、山伏はeverybody O.K.で髪型も伸ばしてもいいし、妻を持ってもいいと俗っぽいこと甚だしいのは、本書を読んで初めて知りました。

でもね、その山伏ゆえの特殊性や加持祈祷の内容や社会的な意味合い等の解説は、個人的にはどうでもいいようなことばかりで、もっと楽しいエピソードとか呪的なものなどを期待していた私には、面白くありませんでした。勿論、民俗学的な興味をひくほどの内容もないし、ただ文章が長々と続いている感じです。

まず、お薦めできない本ですね。もっと、いい本があると思いますので読むならば、他の本をどうぞ!

山伏―入峰・修行・呪法(amazonリンク)
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2005年11月27日

「キリシタン伝説百話」谷真介 新潮社(途中)

今までは、日本のキリシタン関係のものって隠れキリシタンや天草四郎の話とか、ちょっと
なあ~って感じでパスしてきたのですが、この本は結構いけます。私の好きな日本昔話と西洋の聖人伝説が混ざったようなカンジ…というと少しは内容が伝わるかな?

一応はキリシタンものなんだけど、どちらかというと奇怪な妖術(幻魔術)を扱うバテレンとか、およそ正統派とは相容れない不可思議な奇跡とかの話が多くて、とっても楽しかったりする?(ニヤニヤ)

忍者バテレン金鰐治兵衛とか、キリシタン金彫り師とかの話に至っては・・・。すっかり土俗の習俗と混じり合い、すっかり混成宗教と化した日本独自の宗教の観さえあるほどです。後でいくつかのお話を紹介しようかと思いますが、これって読んで損無いと思います。とっても軽くてすぐ読めますが、なかなか面白いですよ~。

芥川龍之介氏の本とかにも確か、こんな感じの文章があったような気がするなあ~。残念ながら書名を忘れてしまったんですけど・・・。

(途中)

キリシタン伝説百話(amazonリンク)
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2005年11月24日

「魔女と聖女」池上 俊一 講談社

正直言って、毒にも薬にもならない表面的に過ぎる入門書といったところでしょうか? 女性の魔性と聖性をキーワードに中世を読み解く、な~んてことをおっしゃってますが、かなりありきたりの文章の寄せ集めといった観が拭えません。

初心者に分かり易く、ということと内容に魅力がないのは比例しません。優れた入門書は、人を惹き付けるものが必ずあると思うのですが・・・本書にそれはみられません。個人的な感想に過ぎませんが、著者情熱持ってこの本書いてる? 適当によくある文章をパッチワークしたやっつけ仕事の域を出ないようにも感じます。

いささか酷な言い方かもしれませんが、文章に情熱が感じられない。勿論、これを読んで新たに得た知識は一切ありませんでした。非常に残念! 聖女の話やマグダラのマリアの話など、テーマは興味を惹くものの料理の仕方がねぇ~。材料が腐ってますよ、これでは。カタリ派に触れてますが、あまりにも無造作な説明と解釈には、不適切な印象を覚えます。他のところでも、私のような一般人でもなんか変だよ、と思う説明が多々あります。

説明の簡略化はいたしかたないにせよ、これでは何を言いたいのか不明? 本自体は読み易いのでサラっと読めるんですが、これでは意味ないなあ~。講談社現代新書、薄くても内容の濃い本がたくさんあるけど、これはただ薄いだけの本。間違っても購入なされませんように。もっと&もっと、いい本たくさんありますよ~。

魔女と聖女―ヨーロッパ中・近世の女たち(amazonリンク)

関連ブログ
「西洋暗黒史外伝」吉田八岑 桃源社
「異端審問」 講談社現代新書
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2005年11月09日

「イグナチオとイエズス会」フランシス トムソン 講談社

イグナチウス・ロヨラにより作られた、軍隊式の厳格さと規律で有名な新しい修道会がイエズス会。ザビエルを遠いアジアの未知なる国へと宣教に赴かせた組織。堕落していたカトリック会に生まれた希望の光。

そんな教科書的な知識しか知らずに読み始めた本です。この本は16世紀の聖人イグナチオのことを19世紀の伝記作家が描いたものなのですが、これまでに私が抱いていたイグナチオのイメージとは全く違う人物像に本当に驚きました。勿論、伝記物ですのでどこまでが事実であり、またある程度の脚色はあるのでしょうが、読んで非常に参考になるというか、素直に感動できる内容になっています。

キリスト教の信仰に忠実に生きたというのは、この聖人の姿の一面に過ぎず、どんな苦境にあっても諦めず、目標に向かって一心に努力する。常に周りの人の意見を聞きつつも信念を貫き通し、かつての敵でさえうらむことなく、最終的に味方にしてしまうまでの人間的魅力にあふれた人。これこそ、聖人の聖人たる所以でしょう。一人の人間として、その人の主義主張に関わらず、尊敬に値する人間がまさにこのイグナチオだと思いました。本当にその凄まじい行動力と万人に対する愛は、胸にぐっときます!! 最近、感動したことのない方やただ生きているだけの方には、是非お薦めしたい本です。私も久しぶりに感動しました。

アッシジのフランチェスコもそうでしたが、イグナチオも若い頃は軍人として活躍し、結構、ガンガンにあらゆることをやってるタイプの人でした。それが戦争における負傷により、一生涯に渡って足をひきずらねばならないぐらい境遇に陥りながら、彼は人生を投げたりしません。たまたま手にして本によって、神の為に働くことを目指しました。

そこからがまた凄い。情熱的な軍人資質は彼そのものであり、彼は神への情熱から極端過ぎるくらいの苦行・禁欲を己に課す。何度も死にそうになりながらも彼は神故に生かされるのだった。

彼は行動するのは得意だったが、学問の素養がなかったので学校に通って一からラテン語は学びます。大の大人が小学生に交じって国語を学ぶようなものです。しかも、彼はその宗教的情熱から、学習の合間にも恍惚として神の世界に浸り、学業がおろそかにもなった。時間があれば、説教や托鉢に出かけ、そこで得られたものはみんなにまたすぐ分け与えてしまうという繰り返しであった。

そんな彼にはいつも敵対者がいた。彼は学問もないのに説教していると非難され、学校から追い出される羽目になる。しかし、彼はあきらめることなくパリへ向かい、今度は説教を控え、神の世界に浸るのも抑制して無事にラテン語や神学を修めた。彼は貧困にあっても批判されても、ただひたすらに抗うことなく、己が為すべき学問を修め、神へ為すべき事をするべく準備していった。

う~ん、書くことがたくさん有り過ぎてうまくまとめられないのですが、彼の生涯を通じて恐らく順風満帆に進んだことは何一つ無かったみたいです。語学を勉強してもなかなか成績が良くならなかったし、誤解や妬みから大学もあちこちで追い出され、イエズス会を作っても、イエスの名を語るとは不届きだとカトリック内部からも中傷され、プロテスタントとの宗教戦争においては、ルター派からも堕落したカトリック司祭達からも蔑まれた。

彼らを支持するものも多かったが、寄進されたものは全て貧者に分け与えて常に清貧であり、あらゆる称号や権威を辞退して、謙虚に努めた。同時に、学問を非常に尊び、ヨーロッパ中を始め、宣教した各地に大学や学校を作って、何よりも素晴らしい人を作った。今でも世界中に残るイエズス会ゆかりの大学などの伝統は、まさに彼らのものでしょう。

イエズス会は設立時もそうだし、更に知名度が上がれば上がったで、常に誹謗・抽象・妬みを受けて逆風の中にあった。それでも、イグナチオは淡々としてそれを受け止めつつ、自らが為すべき仕事(貧者の世話、学校の設立、後進の育成)を着実になし続けた。どんなに敵対する人にでも、相手の土俵に立って謙虚に語り、最後には常に勝利したのもまさに聖人の徳としかいいようがないのではないでしょうか?とにかく、この本読んでみて欲しいな。

相手を説得する素晴らしい交渉術が書かれています。情熱と正論と謙虚さ。私達が生きていくうえでも決して無駄にはなりません。逆にこれが少しでも会得できれば、私の人生も大いに開けてくるかも? 本当に私って根性無いもんで・・・(自爆)。少々の能力なんかよりも、人が生きていく為にもっと&もっと必要なモノを感じさせてくれる本です。

落ち込んだり、悩んだ時にも読んでみましょう。貴方はまだまだ、困難が足りないのかもしれません? 私自身がこれじゃいけないなって大変参考になりました。そうそう、努力もそうですが、得意なものを最大限に尊重し、伸ばしていくのもこの本でイグナチオが採用している教育であり、学問の進めです。好きこそものの上手なれって言葉はここでも生きています。
【目次】
第1章 若き日のイグナチオ・ロヨラ
第2章 スペイン脱出
第3章 大器晩成
第4章 イエズス会誕生
第5章 波乱の聖地巡礼
第6章
名誉ある少数者
第7章 イエズス会公認
第8章 インドへ 世界へ
第9章 イエズス会会憲
第10章 会士の育成・指導法
第11章 ドイツ宣教
第12章 反宗教改革運動
第13章 戦う修道会
第14章 トレント公会議
第15章 比類なき統率者

イグナチオとイエズス会(amazonリンク)
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2005年11月06日

「法王暗殺」より、抜き書き

本の感想とは別に、本の中で興味深いことに触れられていたので抜き書きしてみた。

オプス・デイ
国際的なカトリック信者の団体で、会員は六万ないし八万人と少ないが、大きい影響力を持ち、しかも教会が禁じる秘密結社である。何も秘密はないと称しているが、これまで一度も会員名を公表したことがない。

創設は1928年、スペイン人ホセマリア・エスクリーバ神父により始められた。聖職者は5%セント前後に過ぎず、大半は男女信者で、味方も多いが敵も多い極右団体である。会員には特別の資格を要求しないが、経営者や言論界の指導者など、上流階級に属する人が多い。オックスフォード大学講師で元会員のジョン・ロッシュ博士は「秘密で陰険でファシズム的団体だ」と書いている。

オプス・デイが反感を持たれるのは、中世風の苦行によりわれとわが身を苦しめることと、カトリック教会の乗っ取りを企てていると噂される点だろう。もちろん、その精神性には高く評価すべき点もある。

現教皇ヨハネ・パウロ二世(出版当時)は、即位後はやばやとオプス・デイ創始者の墓に詣で、続いてこの団体に教区に似た資格を与えた。つまりオプス・デイは教皇直属の強力な機関になったわけである。

世界各地の新聞社や学術誌六百社のジャーナリスト、五十以上のラジオ、テレビ局の関係者がオプス・デイの会員だそうだが、60年代にはフランコ時代のスペイン政府閣僚のうち三人が会員で、スペインの「経済の奇跡」達成に功績があったという。スペインのルマサ社の総帥ホレ・マテオスも会員だが、彼はカルビばりの金融帝国をつくろうとして1984年4月、西独警察に逮捕され、現在スペイン政府が引渡しを求めている。

スペインで所得ナンバーワンというマテオスは、既に巨額の金をオプス・デイに出資し、そのうち相当な金額は、スペインとアルゼンチンでカルビはじめP2との連携による不正行為から得たものだそうである。

P2
Pはプロパガンダの頭文字。もとは19世紀の有名はフリーメイソン支部名だった。最初、ジェッリは退役した高級将校を入れ、やがて彼らのつてで軍の現役上層部を抱き込み、人脈は徐々にイタリア権力機構の中に浸透していった。

フリーメイソンが揚げる理想はまもなく建前だけになり果てた。ジェッリが狙ったのは、極右勢力の大同団結と、イタリアが共産化した場合に備えクーデター勢力の温存だった。西側諸国からの支援には自信があった。事実、P2の初期には、イタリアで活躍するCIAからの積極的な協力を得た。

P2は、単なる左翼恐怖症だけで結びついた秘密結社ではなかった。その証拠に、P2イタリア支部の会員は、陸軍司令官ジョバンニ・トリーシ、秘密警察首脳ジュゼッペ・サントビートとジューリオ・グラシーニ、税関長オラーツィオ・ジャyンニーニ、その他閣僚、共産党を除く各政党の有力者、将軍30人、提督8人、新聞社やテレビ局の首脳、カルビやシンドナを含む実業界や金融界のトップという実力者ぞろいだった。一般のフリーメーソンと違って会員名は極秘にされ、全会員の名を知るのはジェッリだけだった。

P2の勢力拡張に、ジェッリはさまざまな手段を使った。会員のつても用いたが、脅迫を多用した。一人の会員が入会すると、有力者を脅迫できるように秘密文書を忠誠のあかしとして提出させる。それを利用して対象となる人物を強請り、会員に加えていくという手口である。一例が国有石油会社ENIのジョルジョ・マツァンティ社長のケースでサウジ原油買入れに関する贈収賄やリベートの証拠書類をみせられたマツァンティは直ちに入会、されに多くの秘密情報を提供した。

また、不正な取引をしている情報源から有力者3人の名前を出させ、彼らに電話してトラブルがあれば片付けて差し上げようと申し入れる。すると翌日には少なくとも一人が新会員になっているというわけだった。表面上は、P2は共産化を阻止する為の秘密機構である。今日でもイタリアの他アルゼンチン、ベネズエラ、パラグアイ、ボリビア、フランス、ポルトガル、ニカラグアに支部を持ち、スイス、米国でも活動している。イタリア、キューバ、米国でマフィアと結びつく他、南米諸国の軍事政権やネオ・ファシスト団体と連絡があり、CIAとは緊密に協力中である。さらにバチカンの奥深くに浸透している。要するに反共を掲げた組織である。

その実は、P2は反共団体でも何でもない。さまざまな利害を持った国際組織で、反共よりもっと当面の利益の為に連絡をとりつつ動く。「自由世界の防衛」という掛け声の裏で権力と富を利己的に増やしていくのである。 
 
勉強家のダン・ブラウン氏は、「ダ・ヴィンチ・コード」に先立ち「天使と悪魔」を書く際に恐らくこの本を読んだのは間違いないでしょう。とすると、当然これらの文章を見ており、後にダ・ヴィンチ・コードでオプス・デイを導入し、巧妙な役割を果たさせるアイデアを得たのもこの本がきっかけかも知れませんね?

「レンヌ=ル=シャトーの謎」とかもそうでしたが、ダン・ブラウン氏は読者の興味を引く材料の選び方・調理方法がなんとも非凡ですね。断片的な知識を組み合わせて一つの作品に組み上げる素晴らしさは、やっぱり凄いなあ~と勝手に思ってしまいました。

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オプス・デイ創立者、列聖へ  カトリック新聞
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「法王暗殺」デイヴィッド・ヤロップ 文芸春秋

ヨハネ・パウロ1世の遺体

先日読んだ「バチカン・ミステリー」は実はこの本「法皇暗殺」によって生じたバチカンを取り巻く世界中の冷ややかな疑惑の目(=在位33日間の法王は暗殺されたのではないか?)を晴らす為に、描かれたものでした。

そちらはこの本よりも後に書かれ、教皇のお墨付きでバチカン内部に取材ができたという特殊な恵まれた条件があったこともあり、丹念に事実を照らし合わせ、可能な限り冷静に当時の状況を再構築していると思いました。それ故、バチカン・ミステリーを先に読んでしまうと、こちらの方は推測が多いし、関係者は消される(実際に、マフィア絡んでるので殺されてるしね)恐れがあると言って証言した証人の裏がとれないので根拠がとても弱い。ありていにいうと、安っぽい陰謀論だろうと勝手に想像してました。読む前までは。

でもね、それは間違いでした。頭から法王は暗殺された。そこを出発点にこの本が始まってしまっているので、確かに問題は多い本だとは思いますが、一面の真実も語っていると思います。著者が法皇の暗殺が為されたとする理由の多くは、確かに事実も多く、それは当時の新聞記事やニュースなどで知られており、裁判を巡る証言や証拠資料からも明示されています。実際にBBCの記事などでも報道されています。

非常に怖い本です。これが真実ならば、この世の中に正義はあるのでしょうか?マフィアが彼らに不利な証言する人達や事件の検察官を暗殺して、闇から闇に葬る事件が実際にあるの聞いていましたが、ここで語られる内容はあまりにもヒドイ。しかも、宗教家までもがこれだけ堕落し、悪事に手を染めているのならば・・・。掛け値無しにこの世は闇かと思ってしまいます。

勿論、私はカトリックとは縁もゆかりもないですが、俗物以上に金と権勢を求める宗教家というものには、嫌悪の情を抱かざるを得ません。どこまでが本当か分からないのですが、全部が本を売らんが為の捏造ではなく、たぶんに事実が含まれていそうで怖いんですよ。この本に書かれている内容の10分の1でも真実であることが分かったら、まともな人は信者ではいられないでしょう? 生半可な信仰の危機、なんて言葉ではいられないように感じました。それくらいショッキングな内容です。

キリスト教に関心が薄い日本でこの本が出版されるにあたり、紹介記事が出た時点で日本司教団がバチカンに真相を問い合わせ、それに対して返信があったのも故なきことではない。それくらい、この本は危険なのだと思いました。

そこいらにあるような汚職や脱税事件なんかの比ではなく、多国籍間の国際金融取引を利用した巨大バチカン株式会社(著者は、こういう表現をしている)が起こしている問題の一端をかいま見せてくれたように思いました。

右上はロベルト・カルビ、右下はシカゴ司教ジョン・コディ枢機卿、左はリーチョ・ジェッリ

実際、バチカン銀行(IOR)がマフィアの息のかかった多数の銀行と密接な(?)取引関係を持ち、名目上バチカン銀行の支配下とみられるパナマの会社への融資の焦げ付きを原因にアンブロシアーノ銀行倒産に際しては、道義的責任と言いながら、二億五千万ドルもの巨額資金を負担しているのは、何故でしょう??? また当時のバチカン銀行のトップであるマルチンスク司教。彼がバチカン銀行の債務保証をした便箋の存在等。この便箋の存在自体は事実らしいし、これらに関する重要人物・関係者が次々と不可解な死を迎えたのも通常では有り得ない話でしょう。

そもそも根本的な疑問として、法皇が亡くなった当時のバチカンによる隠蔽工作や情報操作があったことは、事実だったそうだし、何故そんなことがなされたのか?それがますます民衆の疑惑を増す結果になってしまっている状況は現実世界の話だけに興味深いです。

1982年ロベルト・カルビは首吊り死体で発見された

最近、私が読んだ本の中でもトップ3に入るくらい!! 今まで読んできた中でも国際犯罪小説、金融小説、陰謀小説、ミステリー等々ひっくるめてもかなり上位に入るくらいドキドキしてしまう本です。どこまでが本当でどこからが創作か? その境界線上がいっこうに分かりません。是非、是非、興味のある方はこの本と「バチカン・ミステリー」、それと関係する海外のニュース記事とか探して読み比べて下さい。《事実は小説より奇なり》この言葉はやはり真実なのかと思いました。絶対にお薦めの一冊です!! 

残念ながら絶版のようですが、とっても興味深い一冊です。復刻してくれても売れそうだけどなあ…。仮に、全くの創作でも十分に楽しめる国際金融小説です or 陰謀小説かな?(笑顔)読んでおいて損はないです。

あっ、でも信仰の厚いカトリックの方は読まれない方がいいと思います。不快感以上に、深刻に悩んでしまうかもしれません。事実は闇の中ですし。但し、完全な創作でもないことも確かです。そこがなんとも怖い本でした。

法王暗殺(amazonリンク)

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「法王暗殺」より、抜き書き P2及びオプス・デイの説明
「バチカン・ミステリー」ジョン コーンウェル 徳間書店
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2005年10月13日

「イエスの弟」ハーシェル シャンクス, ベン,3 ウィザリントン 松柏社

brother.jpg【サーバーの調子がおかしくて、この記事は至る所で文字化けしています】

いやあ~この本で問題になっているイエスの弟の孫箱が贋作で首・者一味がイスラエルで捕まった記事を読んで以来、ずっと読んでみたかったんですよ~。

だってね、フェイクの石棺をいろんな科学的分析をしたうえでその筋では有名な学者達が多数、本物と認めたうえで、トロントの王立美術館で展覧会までやったんだよ~。イエスは実在した確かな考古学的証拠である、とか大層なこと言って大騒ぎしてたのに・・・これだもん。本書は、この石棺が本物かどうか分からない段階のものであり、著者は99%以上の確率で本物と確信して書いているらしいので、いささか悪趣味ですが意地悪い観点から、この本に興味を持っていました。

そもそもの事件を御存じない方もたくさんいらっしゃると思いますので、そこからお話しますね。ある骨董マニアが何十年も前に購入したまま、放置していた古代の石棺があり、たまたまそこを訪れた古文書学者がそれに文字が書かれているのを発見する。どうやら「ヤコブ、ヨセフの息子 イエスの弟」と書いてあるらしい? この学者さんピンと来るものがあったらしく、他にも古文書学の権威への鑑定や科学的測定などにかけてみると、それらは全てこの石棺と銘文を本物とする判定結果だった。

それでもって、通常こういった出所不詳(臓怪しげな孫董市場での購入品)のものについては、学術論文として採り上げてくれないんだそうですが、「聖書考古学レビュー」という出版ではOKだったんでそこで発表したそうです。そうすると、イエスが実在した証拠が発見されたとしてBBCやらニューヨークタイムズやらが大々的に採り上げ、学会他世界中で大騒ぎになったそうです。勿論、当初から真贋論争は巻き袖こりましたが、それでもこれを本物と認める学者や測定結果も多く、ついにはトロントまで運ばれて美術展で展示されたりもしました。この世紀の大発見を一目見ようと、何万人もの人が押し寄せたとも報道されています。

ただねぇ~、実は展示される前にも不可解な問題が生じたりする。世紀の発見なのに、何故か梱包がずさんでトロントに到着して梱包を開ける時には、石棺は壊れて5つに分かれ、傷だらけで、ボロボロと粉になっているものまであったそうです。おそらくそれも初めから仕組まれていて多額な保険金を詐取するのが狙いなんでしょうが、この損壊事件も世界中に大ニュースとしてかけ巡りました。

最終的には修復して展示するんだけど、石棺の出所といい、この損壊事件といい、怪しいものがたえずつきまとっているんです。それでも鑑定の結果から、あくまでも本物とみんなが信じていたわけです。

しかし、しかし、イスラエルの考古学調尊当局はこれを捏造したものと発表。その後しばらくして、一番最初の所有者で孫董市場から購入したと言いつつ、その出所をはっきりさせなかった人物と彼と組んでこの捏造を仕組んだ人物を逮捕したというニュースが流れました。

どうやら石棺自体は、本物で年代はあっていたらしいのですが、やはりその石棺に書かれた文字は捏造されたものだったようです。非常に巧みな偽造で専門家が軒並み騙されたという、近来稀にみる大規模なフェイク事件でした。日本のTVでは、世界で何があっても興味ないんでちっとも報道しませんがキリスト教の世界には多大なる影響を与える事件で大騒ぎしてたそうですけ。まあ、日本ではたまちゃんとかもっと大切なニュースバリューのある記事があるんでしょうから・・・仕方ないですね、報道されなくても。

とまあ、こんな事件がありました。それでは以上の事件を念頭に置きつつ、石棺の真贋が決まっていない段階でこの本は書かれています。

まず著者の一人は「聖書考古学レビュー」の編集者で、この石棺に書かれた銘文を公表する記事の編集にあたった人物です。銘文の信憑性を証・することに多くかかわり、トロントの美術館での石棺の展示会開催に奔走したそうです。

なんせねぇ~、著者のいう所では、以下の5つにも渡るテストを経てもこれは本物に間違いないと力説するんですから、熱の入れ方が違います。
  古文書学(文字の歴史的形態)
  言語学(当時のアラム語の語法)
  地質学的分析(パチナの化学成分)
  統計学(銘文の名前が、当時の全人口内で表れる頻度)
  一世紀のユダヤ人の埋葬習慣

なんせ、イスラエル地質学研究所の公式調尊結果で「現代の道具や器具が使用されたいかなる形跡も認められなかった」というお墨付きをもらい、たくさんのその筋の権威もおおむね本物認めていたので、もう自信満々です。

本書は二部構成に分かれ、第一部ではこの石棺と銘文が本物であることの多角的証明をし、第二部では銘文に描かれたヤコブやイエス、イエスの弟に関する聖書学的な話がされています。

第一部では表面上、贋物の可能性もあることを認めつつ、謙虚そうにみえますが、各種の鑑定からどうみたってこれは本物だという著者達の主張が何度も繰り返されます。最後にはこの真贋を否定する人びとはその筋の専門家じゃなくて、ただ懐疑的なだけで骨董市場からの発見物を認めない偏狭な人々と一蹴してしまうのはどうでしょうか? 

結果的に、ここまで強く本物と主張した著者達は、現在、おそらく立ち直れないほどに彼らのキャリアを台無しにしてしまったでしょう。勿論、騙された彼らの不運もあるのでしょうが、輝かしい名声と自らの幸運に夢中になって客観的な冷静さを無くした点は、自業自得といえるかもしれません。

だって、まだこの発見の真贋が明確になる以前に、思いっきり調子に乗っていいたいこと言ってるし・・・。ローマ・カトリックがマリアの処女性に拘泥して、イエスの実弟を認めないのは大きな誤りだとか、もろもろのカトリック批判までしちゃうのは、どうでしょうか? 自分達の発見が学会を変える的なうぬぼれにつながっているのが、ありありと見えてしまいます。

それをわざわざ本にしてまで発表したんですから、彼らはその責任を最後まで取らされることでしょう。まあ、悲劇といえば悲劇ですが、同情しづらいのも事実です。

そして第二部では、石棺から離れて聖書学的な一般論の話が出ます。銘文に名前の挙がった人物の系図や初期キリスト教会内での地位とか。正直言って、全然意味が分かりません。私自身がよく知らない上に、同じ名前の人物もたくさんいるし、文章もうまくなくて非常に分かりづらい。読んでると段々と嫌になってきますし、内容もあまり意味があると思えません。本書は第一部だけで十分です。個人的には第二部不要でした。

さてまとめると、読む価値はない本かと。そもそも贋物を本物と主張するだけの論拠が予めあるのでは、と思って読んだ本ですが、まあ、こんなものでしょう。基本的には真面目に述べているのですが、結果的には贋作者に踊らされたという皮肉な結果に終わった物語です。

内容自体は特に面白い点もなく、前半しか読む気にならないし、単なるニュース記事の方が面白いかも? まあ、どういった鑑定をして本物だと思ったのか、それが知りたかっただけですのでちょっと読むと目的は果たせました。

とにかくこれは買わなくて良かった!! ずっと買うべきか迷っていて、外出先の図書館で見つけて浪費しなくて済みました(笑顔)。
【 目次 】
第一部 驚くべき発見の物語 ハーシェル・シャンクス
第一章 まさかっ!
第二章 驚くべき発見
第三章 神の子にどうして弟が
第四章 これは偽者か?
第五章 本当にあのイエスなのか?
第六章 これを無視できるか?
第二部 ヨセフの息子、イエスの弟、ヤコブの物語 ベン・ウィザリントンⅢ
序文―ヤコブの復活
第七章 弟から使徒へ
第八章 使徒からエルサレム教会の指導者へ
第九章 ユダヤ人と異邦人との調停者
第十章 賢者ヤコブ
第十一章  ヤコブの死
第十二章  ヤコブの伝承
第十三章  弟、従兄弟、それとも親戚?
第十四章  ヨセフの息子、イエスの弟

イエスの弟―ヤコブの骨箱発見をめぐって(amazonリンク)

関連ブログ
イエスの兄弟の石棺は偽物 CBSニュースより

関連サイト
キリストの兄弟、ヤコブの骨を収めた箱は贋物
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2005年10月12日

「フランスにやって来たキリストの弟子たち」田辺 保 教文館

regenda.jpg思っていたより結構、読み応えあるかも? サブタイトルに―「レゲンダ」をはぐくんだ中世民衆の心性―とあるが、このレゲンダは英語ならlegendで、本書はフランスに伝わっている聖人伝を集めたものです。実際に、読んでみると当然ながら、黄金伝説がその中心にあるんですがそれに留まらず、「レンヌ=ル=シャトーの謎」「聖杯伝説」など、巷にあふれる本にも書かれているエピソードなどが可能な限り採り上げています。

著者の姿勢は史実に拘泥すること無く、あくまでもフランスの民衆がどのようにして聖人達の来歴・存在を受け止めているのか?民衆の視点や民衆の心情に基づく聖人伝を紹介しています。その意味で、他の本ではあまり出てこないような話も多く、読んでいてもこういう話があるんだあ~と、とっても楽しいです♪

逆にそれぞれの伝説についても掘り下げて知りたいと思った時に、参考になる文献も文中に挙げられており、いろいろと役立ちそうです。

とっても読み易く、情報満載なんだけど、欠点もあります。著者がキリスト教徒の方であり、出版社がキリスト教系の為、文章のあちこちに宗教色が感じられ、私のような非キリスト教徒にはいささか違和感を覚えます。時々、過剰なまでのキリスト教徒的心情が吐露されているのは、ちょっと辛かった。それさえ無ければお薦め~!って言いたい所なのだが・・・。

元々はマグダラのマリアに関する聖人伝の情報が知りたくて購入した本ですが、その目的は達成できました。マグダラのマリアについては、かなり充実しています。黄金伝説のそのマグダラ部分については、ほとんど全訳に近く文章を引用しています(細かい所は削ってますが)。

また、イエスとマグダラのマリアが婚姻し、その子孫がメロヴィング朝を創始した話まで触れています。マグダラが最後を過ごしたサント=ボームの洞窟についても詳しく描かれていて、観光地巡りのガイドブックとしても使えそうなくらい。

サン=マクシマンのサント=マリー=マドレーヌ聖堂。マグダラのマリアの聖遺物(頭蓋骨)についての話も面白い。復活したイエスがすがりつこうとするマグダラを押し留めた際、イエスの手の触れた部分が皮膚として残っており、頭部の左目の上の辺りの皮膚と肉が聖遺物となっています。これが「ノリ・メ・タンジェレ(我に触れるな)」として有名なんだって!へえ~って思いました。

後は、私も知っているマグダラの聖遺物の真贋争いかな?元々はヴェズレーのマドレーヌ聖堂にあるもの(サン=マクシマンから掘り起こして持ち出した)がマグダラの聖遺物だと信仰を集めていたのですが、実はそれは別人のもので、本物のマグダラの聖遺物は元のサン=マクシマンに残っていたという争いがありました。とっても有名なお話ですが、これについても詳しく書かれています。他にもたくさんの話が載っていて、マグダラのマリアに関する伝承は一通りこれ読めば分かりそうです。

今でもマグダラのマリアを含めて3人のマリアが流れ着いたとされるサント=マリー=ド=ラ=メールの地とか、やっぱり知っておきたい基本事項かなあ~とも思いました。この辺の資料って探してもあまり無いから、有用かも?

ロカマドゥールの黒い聖母。黒い聖母については、いろいろな本でも採り上げられているテーマですが、実際にそこに行かれたうえで実体験に基づき感想なども書かれているので、これも観光に行く前に読んだりすると、絶対に楽しさが倍増しそう。

他にもたくさんのテーマが盛りだくさんですので、資料として目を通しておきたい一冊かな?個々のテーマの掘り下げは浅いけど、とにかくとっかかりとして読んでおいていい本だと思いました。
【目次】
アレオパゴスのディオニシオ
聖なるマリアたち
マグダラのマリア
徴税人のかしらザアカイ
イエスに会いに来たギリシア人
アリマタヤのヨセフ
その他の聖人たち

フランスにやって来たキリストの弟子たち―「レゲンダ」をはぐくんだ中世民衆の心性(amazonリンク)

関連ブログ
マグダラのマリア 黄金伝説より直訳
「中世の奇蹟と幻想」渡辺 昌美 岩波書店
「図説 ロマネスクの教会堂」河出書房新社
「黒い聖母と悪魔の謎」 馬杉宗夫 講談社
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2005年10月11日

「バチカン・ミステリー」ジョン コーンウェル 徳間書店

vatikanmy.jpgまず、基本的な事実として歴史上稀にみるほどの長い在位だった亡きヨハネ・パウロ2世の一つ前の教皇ヨハネ・パウロ1世の在位は、逆に歴史上でも有数の短さであった。たった33日間の在位であった。

また、ヨハネ・パウロ2世の教皇就任当時、イタリアの大銀行アンブロシアーノの倒産についてバチカン銀行(IOR)のなんらかの関与が疑われており、事実としてバチカン銀行はこの倒産に関して2億5千万ドルを支払っている。

また、この本には書かれていないが、つい最近CNNやBBCのニュース記事にもなっている事実としてアンブロシアーノ銀行の元頭取が変死した事件については、殺害を行ったとされるマフィアの関係者が捕まったそうです。

上記の事実を理解したうえでヨハネ・パウロ1世の死亡については、当初から暗殺説が噂され、それが長年に渡ってバチカンの未来を暗黒が覆っていたらしい。また、バチカン特有の秘密主義や巨大組織故の事無かれ主義等も相俟って、ますます世間からの評判を落とす、そんな状況だったそうです。

本書は、そうした状況をなんとか改善しようとするバチカン側からの意図があり、以前は新学校にも通っていたジャーナリストで20年以上も前にカトリックを離れた著者がヨハネ・パウロ2世のお墨付きを受けたうえで内部の関係者から直接インタビューし、情報を集めたうえで書かれている。その点で伝聞や憶測だけに頼り、せいぜいがいい加減な周辺関係者からの証言を歪曲したうえで書かれたこれまでの記事や小説よりもはるかに信憑性は高いだろうと思う。

この事件についてはあちこちで取沙汰されているらしいが(残念ながら私は読んでいない)、本書で書かれているのを信用する限りでは、やはりこの本が一番役に立ちそうな気がする。但し、この本でさえ、私自身が比較も何もしていないのでうのみするのは危険であると述べておく。

あくまでもこの本は著者が教皇様の許可を得たという特別な状況下で、可能な限り生の証言を集めようとしたものであり、ヨハネ・パウロ1世の急死の謎を解明して結論付けるところまではいっていない。実際に、死亡診断書を書いた人でインタビューに応じるよう上から指示があっても最後まで会おうとしない人までおり、長い時間の経過で直接の関係者で亡くなっている者がいることも合わせて非常に困難な調査を行っているのが分かる。

また、それ以上にバチカンが世界に影響力をもたらしうる巨大官僚機構であり、そこに勤める人達も普通の人間であり、否応無く官僚組織の有する悪弊(臆病・隠避・責任回避等々)が蔓延しており、それが真実へ至る道をひどく険しく一向に光明の見えない闇の世界にしてしまっているのが如実に現われている。

その辺りが非常に生々しい証言によって知ることができるだけでも、素晴らしい労作だと感じた。安易に結論を出さず、分かる範囲での状況証拠を出している点にも非常に好感が持てる作品です。また事実であっても、それを捉える人によってもその見え方はずいぶんと異なった様相を見せるものであり、一概に言えない。そういったことを分かったうえで、著者が直接インタビューを通して証言を集め、それらを照合して一致点と相違点を見出し、相違点については誰が誤解しているか(偽証しているか?)を多角的に推測し、確認していくその手法はまさに正統派ジャーナリズムの王道でしょう!

この事件に関して興味のある人には読んで損はないでしょう。但し、どの証言を採用し、どの証言が嘘であるのかを判断するのは読者に委ねられています。たくさんの証言があるが、矛盾するものがたくさんあり、その真偽の判定はなかなか困難です。その帰結としての結論を考えるのも貴方次第、そういう本です。

この本が世界中で非常に評判になり、ベストセラーになったのも分かるような気がします。発売当初、イタリアでは売り切れ店が続出し、コピーしてまで読まれた。そんな話も故無い訳でもないでしょう。

ちなみに筆者は、そのインタビューに際して巷で噂される暗殺説やP2の件、フリーメイソンに関することまで率直に尋ねているが、本書の中ではそれらに関しては確たる証拠が出ていない。それらを期待するなら、読むべきではないと思う。その代わりに本書を読んで浮かぶのは、神に仕える聖なる組織といえども人が営むものはなんであれ、政治から離れては存在しないこと。「人は3人いると派閥ができる」とも言うが、自らの保身に汲々とするその姿には、小役人の悲哀を禁じえない。

亡くなったヨハネ・パウロ1世に対する評価が、本書では仮借ない表現で述べられているのにも驚いた。関係者が本音で言っていたとすると、まさに悲劇だろう。田舎の純朴で信仰に生きる人に、巨大で政治的過ぎる官僚組織の運営は無理だったというその証言の数々には、選ばれた者の苦悩と選んでしまった者達の苦悩が生々しい。

ビジネスの世界にも往々にしてあるが、人として素晴らしい&いい奴だという評価と有能で一緒に仕事をしたい人という評価は、一致しない場合が多い。恐らく世界を相手に活躍する多国籍企業のような巨大官僚組織バチカンのトップにはジャック・ウェルチ(元GEの会長)のような人物でなければいけなかったかもしれない。

そういう観方でみるなら、組織論のサブテキストぐらいには使えるかも本書?いかにして部下は情報を隠し、真実を伝えないか?とかビジネス誌によく書かれている問題点がいっぱい出てきて面白いです。

ヨハネ・パウロ2世についても少々触れられており、本書の調査を後押ししたのは亡き教皇様でしたが、ポーランドの連帯に対しての資金供与疑惑にもさらっと触れられている。政治は政治として、理解しないと世界情勢を見誤るなあ~と改めて確認させられた一冊でした。

【追記1】
こういう本ですから、原著の文章がどれだけ真実か気になる一方で訳者さんも気になります。何故なら、この本を訳されている方、他にも多数の本を訳されてますが、こういってはなんですが非常に胡散臭い本が多い。明らかにトンデモ本である「契約のハコ(字が出ません)」等も先日購入したけど、これもまさに失笑物みたいだし・・・。どうしてもちょっと意識してしまうな、そういう点も。

【追記2】
実は知り合いと話をしていて思ったんですが、ダン・ブラウン氏の「天使と悪魔」。この本を読んでいるんじゃないかなあ~と思います。だって、バチカン内のフリーメイソン陰謀説や侍従とか、地下の部分の話って他から調べようがないでしょう、おそらく。勿論、これだけではないでしょうが、結構重要な情報源として使われているような気がします。

バチカン・ミステリー(amazonリンク)

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2005年10月07日

「トリノの聖骸布―最後の奇蹟」イアン・ウィルソン 文芸春秋

この本もいつかは目を通さなければ・・・と思っていた本の一冊だったのですが、先週末に高田馬場の穴八幡宮の古書市があり、そこで購入してきたもの。しばらく本は買わないつもりだったのに、視界に入ってしまったんではしょうがないです。値段も手頃だったし。

でもねぇ~、きっと理由があって私の手元に来たことが分かりました。だって、コレ面白いって!! マジにお薦め。いろんな雑誌やホームページでこの『聖骸布』のことは採り上げられてるし、私もある程度は読んでいてその真贋論争のことは知っていましたが、この本ってずいぶんときっちりと書いてある印象を受けました。著者が新聞記者というので、読む前は大丈夫かなあ~?と不安もありましたが(メディア関係の人間には、根強い不信感があります)、どうしてどうして実に理路整然と書かれています。この本だけ読むと、絶対に本物じゃないかと思ってしまいます(確か、この本以外の情報では炭素の年代測定が推定されるものと異なり、問題になっていたはず?)。そういったことは抜きにしても、知っておきたいことが満載の本だったりする。

まず、基本的な本書のスタンスがイイ。事実は事実として、科学的な分析の結果や歴史上の文献に出てくる記述、それに対する仮説は可能な限り客観的に説明されており、少なくとも不公正に歪曲しないようにと意識している著者の姿勢がうかがえます。実際に、聖骸布を分析して分かったことの説明は興味深い内容が多くとっても楽しい♪ これを読むと次の聖骸布公開時には、どうやっても見に行かねばと思わずにはいられません。それっくらい、魅力的な聖遺物だったりする(満面の笑み)。

本書の中では、科学的な分析結果の解析と合理的に考えられる仮説の部分と、歴史上の中からその存在の証拠になるものを探し、その背景や事情を説明できる仮説をしていく部分に大きなポイントを占めている。どちらも興味深い考察がたくさんのあるのですが、ここでは私が特に関心を持ったことをメモしておく。

聖骸布から読み取れるはりつけ時の釘の打ち込み位置。これがなんと言っても興味深い。最近では知っている人も多くなったが、この聖骸布では手のひらではなく、手首に釘が貫通している。というのは、手のひらでは全体重を支えきれず肉がさけてしまうので、イエスが十字架刑にされた当時は一般に手首に釘が打ち込まれたのが普通だったそうです。この事実はつい最近の研究で分かったことであり、教会に描かれるイエスの磔刑図が軒並み手のひらに釘が打たれているのは、誤解に基づく構図と知られている。もしこれが偽造によるものであるならば、その製作者はよほどの知恵者であり、そこまでを見通してわざわざ手首に釘を打ち込んだ図を描いたと考えるしかないそうです。

うおお~と思っちゃいます。この釘の話は映画の「スティグマータ」でも出ていて、その時に初めて知ってメチャクチャ感動しちゃった覚えがあるんですが、まさか聖骸布にも当てはまるとは思いもしませんでした。ますます、聖骸布はまっちゃいます(ニヤニヤ)。

あとね、聖骸布表面から取った物質の中に花粉が含まれており、それが死海及びネゲプ砂漠周辺のパレスティナ地方一帯に見られる塩生植物のものでこの植物は、そこにしか生育しないそうです。つまり、イエスがいたであろう地域にこの聖骸布があったことを肯定できるそうです。わざわざ、そこまで行って花粉を取ってきて付けたりしなければね(偽造者が)。

そしてこれら以上に面白いのがその歴史。誰から、どんなルートを経て現在のトリノに至ったかの系譜がまさに&まさにミステリー。これだけで映画作れますって、本当に。それっくらい怪しいんです。

現在の所有者であるサヴォイ公の御先祖さんルイ公爵が入手してから、華々しく脚光を浴びるようになったそうで、これだけの聖遺物なのに、なんと歴史上で直接遡れるのは、サヴォイ公にそれを譲ったフランスの騎士の妻であるド・シャルネル家までらしいんです。14世紀までの間、歴史上に一度も現れないなんて、これほど貴重な聖遺物にしては不自然極まりなく、当然、贋物の疑いが濃厚になるのですが・・・。

これについて、とっても面白い説が出されています。美術史的な話になるので、それが一般に支持されている説(仮説)なのかどうか?門外漢の私には分かり兼ねますが、とにかく面白いのでご紹介します。

現在に至るイエスの肖像ですが、聖骸布に描かれたものとも共通点が非常に多く、これが6世紀ぐらいにまで類似性・特徴を持って遡れるんだそうです。逆に、それ以前になると多種多様なものとなってしまう。ということは、6世紀になんらかの事柄が起こった、そしてそれ以来、そのパターンを真似て肖像画を描いたのではないかという説を述べています。6世紀に起こった事、それこそ聖骸布が陽の目を浴びたのではないかというのです。

いやあ~なかなか壮大なスケールの話になってきました。凄いでしょ! これまでは14世紀以前の歴史的資料がないと思われていた聖骸布ですが、上記の事を考えると出てくるんですなあ~歴史上にその姿が。トルコの南西にあるエデッサという都市ですが、現在は完全なイスラム教徒の町にもかかわらず、古代においては有名なキリスト教都市だったそうです。そしてこの地に聖骸布がもたらされ、イエスの肖像画(=マンディリオン)として大切にされていたそうです。

都市を守る聖遺物として長年大切にされてきた後、それがコンスタンティノープルに渡り、有名なコレクションの一つとしてリストの中に挙げられている。しかしながら、この辺りまではなんとか歴史から推測されうるものの、いつのまにかコンスタンティノープルから消え失せてしまう。先ほどのフランスの騎士のところに現れるまで100年以上もの間、歴史からその姿を消すのである。

そしてその謎を解く秘密は・・・。

で、出ました~《テンプル騎士団》だという仮説を出しています。あっ、念の為に言っておきますが、どこかのトンドモ本とは違うと思います。テンプル騎士団というと、私も含めてすぐそっち(オカルト)を思い出してしまいますが、幾つかの理由を挙げながら、仮説を述べてますので真面目に読む価値はあると思います。正しいかどうかは、不明ですが、その論旨はそれなりに説得力があります。個人的にはすっごく惹き付けられちゃいました(笑顔)。

当時のテンプル騎士団は十字軍としても大きな活躍をしており、コンスタンティノープル征服にも当然従軍していました。そして何よりもキリスト教への強い信仰心を持った集団でした。彼らが聖骸布を手に入れ、密かに保持し続けていたのではないかというのが驚くべき仮説です。この仮説を裏付ける理由にいろいろ挙げられていましたが、特にテンプル騎士団が異端としてつぶされる原因にもなった偶像崇拝がポイントらしいのです。

深夜に恐ろしい顔をした首を崇拝するその姿が異教崇拝やマホメット崇拝ではないかとの邪推を招き、政治的理由と共に濡れ衣をかけられてしまうのですが、彼らが密かに崇めたものこそ、彼らキリスト教徒が求めてやまないイエスのお姿ではなかったかというのです。もう

ここでダ・ヴィンチ・コードの記述を思い出しました。『バフォメット』って小説の中でどう書かれていたか分かります?テンプル騎士団が異端と疑われた原因にもなった、異教の神。ラングドンがもともと豊穣の神であったといい、二本の角を生やしたその姿が悪魔崇拝と誤解されたとか説明してたけど・・・。

まさにそれが聖骸布崇拝であり、それ故に異端と嫌疑をかけられたというんです。もう、私なんかこの説読んで、思わず拍手喝采したくなりました。舞台観てると、たまに出る「ブラボー」とか叫びたくなりましたよ、ホント。いやあ~、この説はとっても面白いです。

この本にはその辺のことがもっと詳しく例証挙げつつ、説明しているので是非、お好きな方は読んでみて下さい。それだけの価値ありますって。他の人の書評とか見たけど、この事に触れているのは読んだことないなあ~。絶対に、見逃せないって感じなのに!!

ダ・ヴィンチ・コードの関連本に入れたいくらい(笑)。テンプル騎士団しか関係しないけどね。ダ・ヴィンチ・コードよりも「レンヌ=ル=シャトーの謎」の方がもっと関係してくるね。アレ読んでると、さらにこの話が面白くなります。レンヌ~を読んだ方、是非&是非、これ読んでみて。いやあ~、すっごく楽しいです。

私の書評だと、なんかトンデモ本みたいに思われそうですが、そんなことはなさそうなんで聖骸布に興味ある方には一読をお薦めします。読んで損はないと思いますよ~。グッ、ジョブ!
って感じ。 

トリノの聖骸布―最後の奇蹟(amazonリンク)

関連サイト
トリノの聖骸布-その布はイエスを包んだか 有名なX51ORGさんのサイト
聖骸布 聖骸布に関するニュースが満載
最後の奇蹟─トリノの聖骸布 本からいろいろとまとめてあります

関連ブログ
『トリノの聖骸布』の印影は復活の時のものか
スティグマータ 聖痕 <特別編>(1999年)
「テンプル騎士団 」レジーヌ・ペルヌー 白水社
「レンヌ=ル=シャトーの謎」 柏書房 感想1
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2005年09月28日

「異端カタリ派」フェルナン・ニール 白水社

文庫クセジュのシリーズで、今まで読んでいて外れの無かった渡邊昌美氏の翻訳となれば、面白いに決まっているジャンと思ったのですが…。いくら渡邊氏でも翻訳では、原文に忠実に訳そうとする誠実な性格の表れか、読んでてお世辞にも面白いとは言えないなあ~。本書に関する限りでは、渡邊氏の魅力的な文章は影を潜めています。あくまでも翻訳に徹しておられる様子です。私のように渡邊氏期待で読むのは止めるべきでしょう。

そもそもニール氏について、渡辺氏はあとがきでも述べられていますが、モンセギュール遺構(カタリ派の最後の本拠地)の研究で名が通った人物であり、彼が本書で展開しているマニ教の系譜をひいているのがカタリ派とする説については懐疑的であり、一概に首肯できるとは思えない旨を述べられています。そういった点を考慮しながら読む分にはいいのかもしれません。

私は専門家でもないので厳密なことは分かりませんが、少なくともマニ教が直接的にカタリ派につながる話は知りませんので、あくまでも仮説の域ではないかと思います。あくまでも概括的にカトリックと異端カタリ派の対立の歴史的推移やその背景を知るには役立つと思います。それとカタリ派がいかにして現世の物質世界を厭い、神による創造を否定したのか、その辺のことについては、詳しく語られています。断片的にはいろいろな本で知っていたのですが、この本を読むと、すっきりして説明でとても分かり易かったです。でも、個人的な感想ではわざわざ買って読まなくてもいいなあ~。

内容ですが、マニ教ってグノーシス派に数えられるんですね。今までのイメージだとすぐグノーシス派キリスト教しか思い浮かばなかったのですが、あくまでもそれはグノーシス派の一つに過ぎないことが分かりました。そして二神論のマニ教が古代において広範囲に伝播していたことにも詳しく書かれています。そしてこれは非常に驚いたのですが、「マグダラとヨハネのミステリー」でリン・ピクネット女史がえらく力説していたマンダ教にもちょっとだけ触れられていました。有名なのかなマンダ教徒?

更に文中でカタリ派の教義として引用されている部分を孫引きすると
「初めに、二つの原理があった。善の原理と悪の原理である。永劫のうちにあって、前者には光明が、後者には暗黒が存した。光明にして霊的なるすべてのものは善の原理に由来し、物的且つ暗黒なる一切は悪の原理に発する・・・・」

知覚できる現実社会を悪の所産とするが故に、現世においては禁欲のうちに処し、善の所産である精神世界を追い求めるんですね。その辺について非常に詳しく、また分かり易く書かれています。そしてその世界観から彼らの行動が初めて理解されていくわけです。当然、彼らは教会などという現実世界のものに一切の価値を認めないわけですし、そのカタリ派が非常に広範囲に広まり、しかも堕落した俗物以外の何物でもないカトリック教会は、徐々に劣勢に陥りかねない不穏な情勢となっていきます。カトリック勢力が、自らの存亡をかけて徹底的なカタリ派弾圧に乗り出す社会状況や政治状況も説明されていて、その辺は読んでいても楽しいです。

ただ、異端各派の説明になると、なにがなにやら分からなくなります。実際の相違が明確でなかったり、資料が不足していたりと理由もあるのですが、私の理解力もいっぱい&いっぱいでキャパを超えてしまいました。まあ、そこは飛ばしてもいいかもしれません。

こうした異端に対してのカトリック側からの対応(異端審問やアルビジョア派十字軍等)もなかなか楽しいですが、いかんせん、紙面不足か事項の羅列になってきてしまいますね。ある意味しかたないのかもしれませんが…。

こんな感じでしょうか。カタリ派の教義の本質部分の説明は良かったですが、カトリック側との対立の説明はちょっと不十分かな。ただ、個人的にはいろんな意味で物足りなかったです。もうちょっと専門的な本を読むべきだったかも? まあ、悪くない入門書って感じでしょうか。ちなみにこの本を元にカタリ派の説明をされているサイトとかがたくさんあるのでそちらを見るのも良いと思います。一応、下に挙げておきます。
【目次】
第一章 起源
第二章 マニ教
第三章 マニ教からカタリ派へ
第四章 カタリ派
第五章 アルビジョア派
第六章 アルビジョア派十字軍
第七章 モーの協約と異端審問
第八章 モンセギュールと最後の抵抗

異端カタリ派(amazonリンク)

関連サイト
異端カタリ派
異端カタリ派 ヴォイニッチ手稿で有名なサイト様です。

関連ブログ
ヨハネを崇めるマンダ教徒(グノーシス派)
イエスを偽預言者、嘘つきとみなす「マンダ教徒」
「オクシタニア」佐藤賢一 集英社
「異端審問」 講談社現代新書
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2005年09月23日

「修道院」朝倉文市 講談社

最近、多いのだが「中世」関連で手に取った一冊。修道院と通常の教会の区別とか、修道院って何しているんだろうというのが疑問にあったので読んで見たのですが…。

最初のうちは、な~んかパッとしない文章が続く。禁欲をもとめて荒地に独立して生活していたのが、やがて集住し、私有財産の放棄をうたって修道院を産み出していく。その辺は読んでいてもあまり面白くない。だけど、段々読み進めていくうちに何故か、ちょっと面白くなってくるのだから不思議です。

修道院が中世の教会同様、世俗の領主と変わらず、富と権力を求めて堕落していくのは我々には周知の事実だが、その理由がなんとも面白い。本来は清貧を求めてひたすら労働と観想に打ち込む彼らは浪費もせず、勤勉故に、結果として豊かな富と権力を産み出し、それが故に清貧への理想からドンドン離れていってしまうとはなんという皮肉であろうか? 修道院制度が本質的に内在する堕落への誘引が勤勉にあるとは思いもしませんでした。今まで、私は単なる貴族からの土地等の寄進によるものや、俗人の修道院長の就任とかが原因だと思っていたのですが、そういうのは複合要因の一つでしかなかったみたいです。

そういえば、マックス・ウェーバーの名著「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」
にも通じるなあ~と思いました。勿論、この修道院はプロテスタントではないですが、勤労に対して正当な評価をし、無駄を省いて資本の再投下をして拡大再生産をしていくのはまさに資本主義的! 富も貯まるのも当然な訳です。まして労賃が生存ぎりぎりの食料だけで済み、個人財産の放棄とは、すべての資本が再投資に向けられるわけでこれほど効率的なのもないわけです。う~む、こんな視点は思いもつきませんでした。これだけでも読む価値あったかも。

また修道院の性格自体も時代時代によって、驚くほど変化していくのも興味深いです。当初は、学問研究よりもひたすら観想することに価値を置いていたのが、いつのまにやら、学問研究に比重が移っていくんですね。その背景には、清貧を求めて集まった隠修士が建てる修道院から、ローマ貴族が現実逃避の場所として修道院を建てるようになってきた時代的側面が大きいようです。

やがて修道院が俗人の手に帰し、教皇権が王権に従属する中で、本来のキリスト教の為の修道院を目指して、改革者として出てくるのがクリュニー修道院だったそうです。王権には服さず、教皇権にのみ従うという画期的なものだったらしい。ここでは新しい概念も打ち出され、死者の罪障を浄化するのは生者の代祷(代わって祈ってもらうこと)であり、ミサこそがそれに有効であり、豪勢なミサを一日中を行うクリュニー修道院が当時の人々の多大な帰依を受け、大躍進を果たした。

しかし、ここにも問題が内在したりする。一日中ミサを行うと修道士が労働することは事実上、できなくなる。それゆえ、助修士を認めて彼らに実際の労働を任せるようになっていく。これはその延長線上に大土地領主があり、堕落していくのは時間の問題であった。

それに対して、新たに生まれてくるのがシトー会だったそうです。クリュニーを反面教師にして手の労働を重んじたのが特徴で、最初はうまくいっていたのですが、やがてこれも行き詰まっていきます。修道院の歴史って、本当に大変ですね。清貧を求めていたのが堕落し、また清貧を求めて改革し、うまくいくとまた堕落して過ぎの改革を待つ。これが延々と続いていきます。

ドミニコ会やフランシスコ会になると更に、その改革には新しい意義が加わってきます。ドミニコ会の場合は、従来、土地に結びついて修道院がありましたが、彼らはあくまでも人の団体に結びついており、それ故に土地に縛られずにどこにおいても布教を行える点が全く新しい存在として生まれたそうです。それが後に異端審問の為にありとあらゆる場所でその正義を進めていく為の重要な基盤になったのが分かりました。

フランシスコ会の場合は、ある種の過激派かとみまごうばかりで、従来の個人財産の否定にとどまらず、団体としての共有財産の否定まで推し進めていたそうです。つまり、使徒的生活において共有財産がなかった以上、教皇に財産があるのはいかがなものかという所までいってしまい、大論争になったそうです。フランシスコ会の一部は、その急進性故に破門となり、フランシスコ会自体も後に二分されることになったのもすべてはこの論点の為でした。(そりゃそうですよね。持っている巨万の富を捨てろといわれて、すんなり従うような人は当時の教皇になったりしませんもん)

この本を読んでやっと、「薔薇の名前」のあの財産権を認めるか否かの争いが事実に即していたことを知りました(遅過ぎ~、無知で恥ずかしいかも)。なるほどねぇ~、ふむふむ。映画の中で切れ者のパスカヴィルも確かフランシスコ会に属していたと思いますが、そういう事実や時代背景が分かるとあの議論や行動にも納得がいくね。ギーは当然、ドミニコ会でどこにでも現われて異端を追求するのも、すべて合理的に説明がつくしね。

ごちゃごちゃしていて、私の要点整理的な文章では分かりにくいですが、それなりに知識として知っておくべき事柄がたくさんあって勉強になります。その点ではお薦めですね。でも、読んでていまいち面白くないところも多い。著者の後書きみると、当初はもっと分量があったものをむりやり削ったらしいのでそのせいでしょうか? 分かりづらいし、読んでてちょっとなあ~という部分も多々ありながら、でも、読んでおいていいかも。

結構、頑張り屋さんで勉強したい人向き。普通に読んだら面白いとは思いません。私の場合は、今まで読んだ本や関心のある事柄に関連付けながら読んだから、それなりに面白く読めたけど。これだけ単独で詠んでもなあ~? そんな感じでした。
【目次】
第1章 禁欲の起源
第2章 殉教から修道制へ
第3章 東方修道制の夜明け
第4章 西方修道制の始まり
第5章 『聖ベネディクトゥス戒律』の普及
第6章 改革修道院クリュニー
第7章 修道士の日常生活
第8章 源泉への回帰―十一世紀の修道院改革と聖堂参事会
第9章 シトー会の誕生
第10章 托鉢修道会の出現
第11章 中世末期の修道制

修道院―禁欲と観想の中世(amazonリンク)

関連サイト
薔薇の名前(映画)
「異端審問」 講談社現代新書
ブラザー・サン シスター・ムーン(1972年)フランコ・ゼフィレッリ監督
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2005年09月19日

「錬金術」セルジュ・ユタン 白水社

今まで漠然としたイメージ的な錬金術と、虚実ない交ぜの錬金術師伝説ばかりしか知らなかったので、きちんと錬金術というものが有していた全体像を知るには、大変役立ちました。賢者の石や金属変成、霊薬(エリクシール)といった単語ばかりに目が行き、それを錬金術という体系全体の中でどう把握し、またどういう役目をしていたのか、まさに視点を変えることができたので、私のようにあまり知らない人には興味深いかも? 単語しての「ヘルメス」は知っていてもその意味を正確に知らなかったような私には、良い本でした。

ただねぇ~、どうしても限られた紙面にたくさんの情報を整理していれようとした為に、講義録や要点メモのように、箇条書きされた項目の羅列になってしまっている点が否めない。一つ間違うと(間違わなくても)単調な項目の列挙になってしまっているのも事実。その分、整理されている感はあるのだが、読んでいくのが辛い一冊ではある。

但し、「錬金術」が巷間されているような怪しい金儲けを狙う山師達を対象としているのではなく、世界を形作る神秘の理(ことわり)を見つけようとするある種の哲学(思想)体系であり、それは物質的なものよりもむしろ精神的な『完全』を目指す行為であることなど、大変興味深い考え方が描かれているので、少しでもその辺の事を知りたい方にはお薦めします。しかし、読むのはなかなか辛いのだけど…。

そうだね、読んでて面白かった点を抜き書きしてみると。
ヘルメス哲学:
錬金術師は、特殊な『哲学者』で、最も高い意味での「学問」、即ちあらゆる学問の原理を含み、森羅万象の本質と起源と存在理由を説明し、全宇宙の始原と運命を物語る学問の受託者を任じていた。この秘密の学理こそあらゆる学問の母、最古の学問であり、世界とその歴史を研究するもので、言い伝えによればヘスメス神(エジプトのトート神)から人間に伝授された。その為、この学理は「ヘルメス哲学」と名付けられた。

エメラルド板:
ヘルメスのみずからの手でエメラルドに刻まれ、ヘルメスの墓地で発見されたという。
一見したところ、この奇怪なテキストは、冗漫な言葉の遊戯と錯乱に過ぎないようにみえる。だが、ヘルメス学と錬金術に通じた者にとって、この風変わりな著作は実際にはまことに意味深長なのである。そこには、宇宙の全一性の教理や、天地のあらゆる部分の間の、そしてまた「天地創造」と「錬金作業」との間の、類比と交感の教理が見出せる。これは、賢者の石の作り方に関して賢者たちのメルクリウス(ヘルメス・トリシメギストスを指す)が述べた言説なのである。
《こは真実にして偽りなく、確実にしてきわめて真正なり。唯一なるものの奇蹟の成就にあたりては、下なるものはうえなるもののごとく、上なるものは下なるもののごとし。》
《万物が「一者」より来たり存するがごとく、万物はこの唯一なるものより適応によりて生ぜしなり。》
《「太陽」はその父にして「月」はその母、風はそを己が胎内に宿し、「大地」はその乳母。万象の「テレ-ム」(テレスマ Telesma意志)はそこにあり。》
《その力は「大地」のうえに限りなし。》
《汝は「大地」と「火」を、精妙なるものと粗大なるものを、ゆっくりと巧みに分離すべし。》
《そは「大地」より「天」へのぼり、たちまちまたくだり、まされるものと劣れるものの力を取り集む。かくて汝は全世界の栄光を我がものとし、ゆえに暗きものはすべて汝より離れ去らん。》
《そは万物のうち最強のもの。何となれば、そはあらゆる精妙なるものに打ち勝ち、あらゆる固体に浸透せん。》
《かくて世界は創造されたるなり。》
《かくのごときが、ここに指摘されし驚くべき適応の源なり。》
《かくてわれは、「世界智」の三部分を有するがゆえに、ヘルメス・トリスメギストスと呼ばれたり。「太陽」の動きにつきてわが述べしことに、欠けたるところなし。》

コスモス:
秩序ある宇宙は「混沌(カオス)」から引き出されるだけでなく、「混沌」から生まれたのであって、無から生じたのではない。「混沌」が秩序を与えられて「コスモス」となる過程の発端をなすのは、火の相を帯びた「光あれ」の太初の波動だが、それは《形なくむなしい》状態にある「混沌」の中に孕まれたもろもろの可能性に、実質的には何一つ付け加えるものではないのである。

他にも神と世界の関係についての捉え方がとっても面白い。世界の歴史は、即ち神の歴史でもあり、そもそも混沌とした原初の姿(未分化な可能性の状態)で存在した世界を神が創造することにより、初めて分化し、可視的な世界になったとする。それが逆に言うと、物の姿に関する錬金術的な見方にも当てはまり、卑金属が本来の完全な姿(金)になりうる根拠がそこにあるとも言えるだろう。

余談だが、私見として原初の混沌とした世界を可視的に固める(=形づくる)作業は、古事記のイザナギノミコトとイザナミノミコトによる国作りとぴったりと一致するように思われる。ほこを混沌とした中に入れ、かき混ぜた後に、引き上げてぽたぽた垂れて固まったのが四つの島になったのは、まさに天地創造に他ならないだろう。もっとも、これは中国の大極の概念にも世界は最初、混沌であったとされるので、世界共通の概念なのかもしれない? その辺の類似性について書かれた資料を見かけたことがないが、興味あるテーマでもある。他に資料があれば、読んでみたいなあ~。ご存知の方いらしたら、教えて下さいませ。

さて、とまあこんな感じで面白いところもいくつかある。だけど、実際に読むと単調で辛い。お勉強したい方がざっと知識を得るには良いかも? 勿論、著者は錬金術を批判も弁護もせず、それがどういった内容を持っているのかを可能な限り客観的に捉えようとしているので、その点ではいい本です。それは間違いありません。入門書といえばそうなのですが、退屈なんだよねぇ…。そこが欠点です。

錬金術(amazonリンク)

関連ブログ
「錬金術」吉田光邦 中央公論社
「錬金術」沢井繁男 講談社
読む必要はないけど、一応挙げときます。
「サファイアの書」ジルベール シヌエ 日本放送出版協会
この本の中で捜し求められるのが、何を隠そうあの『エメラルド板』。世界の叡智の結晶ですね!
「悪魔学大全」酒井潔 桃源社
これはまた、ちょっと捉え方・視点が違う本
魔女と錬金術師の街、プラハ
「THE GOLD 2004年3月号」JCB会員誌~プラハ迷宮都市伝説~
「荒俣宏の20世紀ミステリー遺産」集英社
「アルケミスト」愛蔵版 パウロ コエーリョ 角川書店
錬金術とはかけ離れていそうだが、エメラルド板が出てきたりする。別の意味で、これはお薦め!
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2005年09月15日

「聖母マリア伝承」 中丸 明 文藝春秋

maria.jpgタイトルで「伝承」と書かれているので、あくまでもそういう話があるというレベルで読む分には問題ないのかな。事実でもないし、伝承でもなく、こういった解釈もあります、みたいな説が著者の独断でふんだんに取り込まれています。聖母マリアに関する話を、著者が知っている範囲で適当に集めたものというのが、正しい実態だと思います。ただ、読んでいて面白い説がたくさんあり、参照文献も明示されているからその点では良心的かも。

でもなあ~、最初にオーソドックスな聖母マリアの説明してから、マイナーな説を紹介するというスタイルを取らず、いきなりマイナーな「イエスのミステリー」(たくさん売れたけど、トンデモ本として有名)の説を紹介するのは、いかがなもんでしょう?前半には「イエスのミステリー」から抜き書きした説の紹介が多く、私も既読なんで誤解はしませんが、いかにも日本人が描く、斜めから見たキリスト教観という感じがしてしまうのですが…。

その一方で、第一章では不要な頁数稼ぎにしか思えないところで、聖母マリアを祝う人々を熱狂的なまでに描いているのは何故? 民衆が聖母マリアを熱望していることを示すにしても違和感を感じます。

それ以上に、拒否反応をおこしかねないのが、著者の描くアラム語表現。イエスが語ったとされる一部地域の言葉であるアラム語だが、これをわざわざ名古屋弁にして「みゃあーみゃあー」いうのはいかがなものか? まあ、確かに当時としてもまさに方言だったんでしょうが、読んでいて個人的にはだいぶイラつくのも事実。読み終わってから、気付いたのですが、以前読んだ「絵画で読む聖書」も同じ著者だったんですね。あれもちょっと鼻につくなあ~と思っていたけど、納得しました。

まあ、内容的には処女族胎について種々の説の紹介、図像学的な聖母の絵画の解釈、聖母マリア信仰の興隆(ケルトの大地母神崇拝を取り込んだキリスト教)、現・において奇蹟を起すマリア等々。バランスは悪くないし、それなりに興味深い説をあちこちから引用しているのは評価できると思います。この本で扱っている参考文献は、悪くないと思います。巻末にあるのは、ほとんど私も既読か、知っている本ばかりでたぶん普通に手に入る範囲では、使えるんではないでしょうか?

そうそう、コーランにおける聖母マリアの扱われ方なんかも、とっても面白いかも?実はコーランにもしっかりマリア様は描かれていて、結構な人気者だったりします。私も別な本で読んだ時にビックリしましたが、その辺の事にも触れられています。あの「黄金伝説」にも言及しているし、まあまあかな?

でも、正統派とは言えない本です。これから入るとなんか歪んだ知識ばっかり、蓄積しそうなんですが…。えてして怪しい説の方が面白くて記憶に残るからね(私がこのパターン)。軽~く、冷やかしで読むならいいかも? ある程度、基本的なことを知ってから、こういう本に行った方が本当は勉強になるんだけどね。個人的には竹下節子氏の「聖母マリア」とかの方がはるかにお薦めです。

結論としては、この本で一・お薦めなのは参考文献の頁。そういう本でした。

聖母マリア伝承(amazonリンク)

関連ブログ
「イエスのミステリー」バーバラ・シィーリング著 感想1
「聖母マリア」 竹下節子著 講談社選書メチエ
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2005年09月02日

「黒い聖母と悪魔の謎」 馬杉宗夫 講談社

kuro.jpg先日読んだ「シャルトル大聖堂」 の著者、馬杉氏の作品である。実は今回読むのが3回目なのだが、前読んだ時には関心がなくて読み過ごしていた事が多数あるのに気付いたのでここに感想を書いておく。前に読んだ感想も書いてなかったようだし。

いやあ~、薄い本なのになかなか素敵な情報がたくさん詰まっていて嬉しい本です。タイトルかして、私が好きそうな本であるが、いい加減な推測と適当な資料に基づく類書が多い中でその道の専門家がきちんとした資料を元にして、一般的な解説とそれについての自分の説を区別しながら、説明してくれている。こういうのは、どこからが通説でどこからが仮説か分からない素人の私にはとっても助かる。何よりも、この本を読んで興味を持った時に、次に読む本を選ぶ参考にもなるしね。

まえがきにも、この本の主題が正統派のキリスト教図像学にあてはまらない異質なものを対象にすると、はっきりと書いてくれているあたりも著者の真面目な姿勢が感じられて好感度が増す。先日読んだシャルトルの本でもしっかり書かれていたし、やっぱり信頼がおけるってのは頼もしいです(笑顔)。
【目次】
1 悪魔の出現とその形態
2 ロマネスク美術と『黙示録』
3 右と左の序列―左は悪い方向
4 謎の黒い聖母像
5 『旧約聖書』伝壁画のなかの横顔像
6 目隠しされた女性像―シナゴーガ表現
7 「葉人間」の正体
8 怪物ガルグイユの象徴的意味
9 一角獣のタピスリーの意味
目次とタイトルだけでは、よく分からないかな?具体的に魅力的な内容をコメント or 抜書きしますね。

まず悪魔の図像的表現の出現について。
諸宗教同様、元来キリスト教も偶像崇拝禁止だったので当初は、悪魔の姿が描かれることはなかったが、最初に出てくるのはアイルランドのケルズ修道院の「ケルズ書」(800年頃)ではないかと書かれています。次にヨハネ黙示録の注釈書「ベアテゥス本」の写本挿絵の中に見られ、イスラム勢力(=悪魔)とのレコンキスタに明け暮れるスペインで「ベアテゥス本」が支持され、多数のコピーが作られた。その悪魔がまさしくモサラベ美術(=イスラム美術との融合の下に生まれたキリスト教美術)の表現であった。
モサラベ:イスラムの支配下にあって、彼らとの完全な同化に抗しつつ、伝統的な信仰や文化の保持につとめたキリスト教徒」
こうして悪魔の異教的な姿は、イスラム影響下に諸宗教の要素を取り込んで成立した訳ですが、それを広めていった「ベアテゥス本」が広汎に受け入れられたのには背景があるそうです。まさに紀元1000年を迎える際、黙示録的な終末観が人びとの心を捉えていたが、1000年を過ぎても終末は訪れなかった。人々は歓喜して教会堂を建設し始めた。それがロマネスク美術であり、悪魔が教会建築に現われてくるようになったそうです。う~ん、勉強になるね!

黒い聖母について。
キリスト教において「黒」は夜、闇、疑い、罪を象徴的に表しており、本来、清純無垢なマリアには「白」が用いられるべきであるが、何故かしら黒い聖母が置かれている。その理由としてこれらの聖母の置かれている土地を挙げている。ル・ピュイ、シャルトル等々。全て古代のドルイド教の聖地であり、自然を崇拝する巨石、水と密接に関連した土地である。黒は、ケルト以来の豊穣や母性を象徴する大地であり、そこに奇蹟の黒い石信仰が結びついた中で生まれたとする説を著者は採っている。土俗の宗教をキリスト教が取り込んで、民衆を懐柔していく過程で生まれたのがこの黒い聖母であるという。

教会に描かれる旧約聖書。
旧約と新約の関係がいまいち、部外者の私には分からなかったがこの本を読んで少し蒙が啓けたような気がする。そのまま、本書より引用すると
「旧約聖書は、ヴェールに被われた新約聖書以外のなにものでもなく、新約聖書は、ヴェールの取り除かれた旧約聖書以外のなにものでもない。」(アウグスティヌス『神の国』より)

この文章の根源にあるのは「予型論(タイポロジー)」という考え方である。予型論とは「旧約聖書の人物・事物・出来事のうちに、新約聖書の、ことにイエス・キリストおよびその教会に対する約束予言を見出すこと」である。
だから、普通では描かれない旧約が描かれていてもいいわけなんだそうです。そんなこと意識したこともなかったので知らなかったけど、なるほど~って思いました。面白いですね、こういうの。

グリーン・マン(葉人間)について。
そもそも葉人間の図像は、先ほどと同様に自然崇拝を行うケルト以来のドルイド教の影響が古代ローマの神と混交したものだそうです。そこにケルトの伝統であった「切られた頭」(彼らは首狩り族であり、戦場において切り取った敵の頭を神的な力が宿るものとして崇拝し、悪霊除けとして飾ったりした)と結びついたとする。また、「葉」は性的罪の象徴として同一視されていたそうで、魔除けと罪への戒めにより、葉人間が描かれたとする。

そしてこの人頭崇拝がガーゴイルにもつながっていく。但し、このガーゴイルについては、この本から以前作成した用語集に抜書きしたのでここでは、省きます。

ちょっと長くなりましたが、真面目に上記のようなことを知りたい方にはお薦めですね!何しろ入門書みたいなもんだし、新書で分量も手頃だしね。こういったので基本的な予備知識を得てから、いろんな本を読むといいかも? いきなり変な本読むと、誤解と偏見の土台に何を乗せても、まともな知識になりませんからね。本当に、シンプルだけど面白いし、良心的な本です。でもねぇ~、やっぱり新書。この本も絵が小さくて分かりにくい、というかわかんないのも結構ある。あと、省かれているところもあるけど、それは巻末にある文献を読むしかないね。でも、悲しい現実が。参考文献、フランス語ばっか。英語なら、少しは読める可能性も出てくるのだが…。やっぱりアテネ・フランセでも通わないと駄目かなあ~?

黒い聖母と悪魔の謎―キリスト教異形の図像学(amazonリンク)

関連ブログ
「ゴシックとは何か」酒井健 著 講談社現代新書
「大聖堂のコスモロジー」馬杉宗夫 講談社 
同じ著者なのに、この本は全然私に合わなかった。感想がここのものとは対象的なほど異なるが、あちらを先に読んでおり、その時の印象だったので一応、ここにも紹介しておく。私に理解する能力が無かったのだろうか? 今読めば、もしかして感想が180度変わる可能性があるかも?
「シャルトル大聖堂」馬杉 宗夫 八坂書房
これは最高に面白かった!
「フランス中世史夜話」渡邊 昌美 白水社
「黒い聖母崇拝の博物誌」イアン ベッグ  三交社社
「マグダラとヨハネのミステリー」三交社 感想1
「聖母マリア」 竹下節子著 講談社選書メチエ
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2005年08月30日

「ユダの謎キリストの謎」三田 誠広 祥伝社

yuda.jpg最初は、分かり易く聖書の世界を説明する入門書だと思っていました。実際、まえがきにもそれっぽいことを書かれていたので。で、実際に読んでいくと、分かり易いっていえば、分かり易いんだけど、どうにも表現の仕方が粗っぽい。失礼ですが、こんなにも表現能力の低い人が芥川賞取れるんだあっていうのが正直驚きでした。

それでも、前半はまだ一応、聖書の範囲内での表現といえなくもないなく。ムカムカしながらも読み易さと引き換えに著者が意図的に、こんなふうに書いているんだろうと自制しながら読んでました。

で・す・が…。
中盤以降になると、完全に聖書の世界を離れ、完全にど素人が(私自身もその一員なのは重々、知っていますが)好き勝手な解釈というか、トンドモ仮説をさも正しい聖書解釈のように書いているのは、正直憤慨させられました。

実はこの本があまりにも、胡散臭いので新約聖書を片手に観ながら読んでいたんですが、とにかくヒドイ解説です。聖書を知っている読者を対象に、自分はこう思うという話ならいいですが、聖書の初心者に向けての解説といいながら、およそ正統とは言い難い自分一人の説をさも通説的解釈のように語る傲慢さや節度の無さには、軽蔑以外のなにものも与えられないでしょう。

少なくとも、作家としてそれ以前に人間としての誠実さを疑うような文章です。出版社が出版社だからというのは、偏見のようですが、やはりそういう面があるのを否めないことを感じました。とにかく、程度の低い本です。ラザロがヨハネってあんたねぇ~。小説でなら何を書こうが自由ですが、聖書の入門書にそんな嘘書くかあ~。他にも挙げればキリがないほど、同様な記述が出てくる。

どうしょうもなく誤っているのは、恐らく誰の目にも明らかですので、良識のある方は読まないようにして下さいね。まあ、こんな本を暇つぶしにでも読むのは私だけでしょうが。こういうのって見ると、すご~く不快になるなあ(鬱)。

私も日本人で宗教に関してはよく分かりませんが、こういういい加減なことを書かれたら、それを信じている方はどう思うでしょうか? 日本人だからという宗教的無知で済まされるのでしょうか? 大袈裟かもしれませんが、常識がなさ過ぎるような気がしてなりません。

一昔前の経済行動でエコノミック・アニマルと呼ばれる姿は、この人と共通する背景を感じてしまうなあ~。相手の事を思いやる気持ちの無い、一人よがり。すみませんね、たかが本一冊で大騒ぎして。でも、こういう常識の無い人は大ッ嫌いなもんで!!

ユダの謎キリストの謎―こんなにも怖い、真実の「聖書」入門(amazonリンク)
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2005年08月02日

「悪魔学大全」酒井潔 桃源社

book1.jpg book2.jpg
【目次】
第一章 淫魔
第二章 黒弥撒
第三章 Sabbat(悪魔の夜宴)
第四章 魔術に対する処刑
第五章 奢覇都 黒弥撒 淫鬼魔
第六章 降霊魔術
第七章 妖幻夜譚
第八章 天狗雑考
第九章 草木 動物 金石の魔法
第十章 護符呪法
第十一章  占星術
第十二章  聖天秘話
第十三章  錬金術

論考集
麻薬毒薬の研究
自動人形
淫惨なる悪魔の弥撒を修する事
南方先生訪問記

解説 澁澤龍彦

解説において述べられていますが、あの澁澤氏も神秘主義や魔術について学び始めるに当り、本著の中核を為す「愛の魔術」(昭和4年刊)と「降霊魔術」(昭和6年刊)の2冊から開始したそうです。そういう意味では、ある程度整えられた本邦初のオカルト文献とでもいうような存在らしいです。確かにいろんなところから引用がなされ、著者の博引傍証の凄さは読めば読むほど実感させられます。

しかし、う~ん、読んでいてイマイチ面白く感じられないのも事実。澁澤さんの超一流の文章スタイルとは違います。情報量はそれなりにあるのですが、それに対する著者の感性・表現に違和感を覚えます。また、読めなくはないけど、不勉強な私にはきわめて読み難い漢字や語法も障害になっているのかも? まだ、古典の方が読み易かったりして…。

最初はきちんと読んでいたんですが、ちょっと辛くなってきたので後は拾い読みしました。そういう話があるんだあ、これはあの本に書かれているんだあ、と資料としては結構、役立つかも。そのまま読んでいる分には、いささか持て余してしまいそう。

手元に置いておいて、必要に応じて眺めるって感じの利用法がいいでしょう。あくまでも資料探しのきっかけ程度であり、本当に資料として探すなら、更に相応の手間がかかりますね。でも、歴史的にも意義がありそうですから、悪魔とか黒魔術に関心があるなら買っておいていいでしょう。値段も手頃だし。

私は愚かなことに、先月、浅草松屋の古書展で購入したのに、こないだの日曜日に新宿京王百貨店の古書展でも買ってしまった。まあ、理由があるんだけど、それはおいといて。一冊あれば十分なのでもう一冊は売ってしまうことにした。誰か欲しい人います? ヤフオクに出品してますので良かったら見て下さいね! と、さりげなく宣伝までする私でした。売れたらそのお金ですぐ別な本買ってしまうんだけど…。

【追記】
調べてみたら確かに桃源社は倒産したのでないが、他の所から出ているのを発見!
なあ~んだ、だったら買わなかったのに…。いささかショック。

悪魔学大全〈1〉(amazonリンク)
悪魔学大全〈2〉(amazonリンク)
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2005年07月30日

「フランス中世史夜話」渡邊 昌美 白水社

yawa.jpg最近、この著者の書くもので外れが無いという勝手な渡邊氏神話を作り上げつつある私です。でもでも、予想に違わず、これも面白いんだなあ~。但し、他の作品と違って一つのテーマについて語るというのではなく、一話完結物をずらずら~っと集めたもの。仕事が終わって夜、練る前に一話読んでから寝るとちょうどイイ感じ。実際、これ読んでるとなんか眠くって…ムニャムニャ…お休みなさい。

なんか退屈な本だと誤解されちゃうかな、決してそんなことはないです。それぞれが面白いんだけど、全体的に言ってすご~く軽い感じ。そうですね、ウエハスとかミルフィーユの生地の部分みたいな食感(本は食べません)に近いかな? でも上品で満足感もあって、小腹も満たされてぐっすり寝てしまう…そ~んな感じです。こんな文章じゃ読んでて伝わらないかな?

魔法の話やあの有名なクリュニー修道院の話、楽しい&楽しい黒い聖母。著者は蝋燭の炎で黒く煤けた説を結構、支持されているみたい。あっ、紋章についてのお話も興味深いです。いろいろと領土が併合していくにつれて、紋章にもそれが取り込まれていくところなんか、最近の企業合併で社名がドンドン長くなっていくのと同じ心理ですね。人間はいつでも変わりません。勿論、異端審問についてもしっかりかかれてますよ~。私同様、皆さんもお好きでしょう(笑)。さりげなく芥川龍之介の「奉教人の死」から、『れげんだ・おうれあ』(架空の稀覯本)なんかにも触れられています。当然、「黄金伝説」との絡みも出てきます。

文章がとっても読み易いので甘くみてしまいそうですが、知らない事ばかりでちょっと教養人になった気がします(勘違いですが…)。とにかくサラリと読めてしまう本ですね。だから、余計読み心地が良くて寝ちゃうんですけど。

今までの著者の類書とは、ちょっと違って軽いです。でも、持っていて悪くないと思う。ハードカバーで当初出ていたのですが、おそらくもっと手軽にしてたくさん売ろうとの販売戦略で内容はそのままで現在、新書で売られています。場所とらないからこっちの方がいいと思って買ったんですが、正解だったかもしれません。収納も便利。

そうそう、これだけでは感想も味気ないし、読んでて特に惹かれた部分もあるので抜書きを。

~ シャルトルの大聖堂には黒い聖母像が二つある。この大聖堂は「地の下なる聖母」だ。寺院の方では巡礼がそこに殺到するのを嫌って、地上に新たな黒い聖母像、「柱の聖母」を作り、こちらへ誘導しようとした。ところが依然として地下の像の人気が衰えないので1497年には地下祭室を閉鎖してしまった。 ~

chartre9.jpg

まさにへえ~の世界。そんなんだあ~、今月の頭に行ったばかりのシャルトル大聖堂の地下祭室行ってみたかったなあ。知らなかったもん、そんなの、チェッ。知ってたら、忍びこんで行ったのに…それやっちゃ怒られるって! でも&でも、なんか怪しいですね。地下にもある聖母像って。
【目次】
騎士のおそれ  建国者コナン  海底の都
大帝の墳墓  魔法を使う法王  死者の巻物
騎士気質  絵巻物 僧院  クリュニーの栄光
白い兄弟たち  院長シェジェ  十二世紀の群像
ジェヴォーダンの魔獣  パン屋の一ダース
紋章  暗夜のつどい  蛇体の妃  幽明の境
亡霊  黒い聖母  東方の博士たち 
審問の教科書  死の季節  リュブロンの惨劇
話好き


フランス中世史夜話(amazonリンク)

関連ブログ
シャルトル大聖堂 ~パリ(7月5日)~
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2005年07月15日

「神の民俗誌」 宮田登 岩波書店

広く浅く入門書って感じでしょうか? 面白みに欠けますが、書かれている内容はどっかで聞いたことのあるオーソドックスなものです。ちょっと前に買っておいたもので、稲荷信仰に何か関係のあること書かれているかなあ~って思って読んでみました。(関係無かったのですが)

最初にウブ神、出産に関する神が出てくる。古来より、出産時には御宿下がりをしたり、産褥をケガレとして避けるのが一般的であるが、そんな習俗についても説明をしている。そしてそのウブ神が山の神であるのは、知らなかった。また、山の神が女性であるのもちょっと意外な気がしたのだが、私だけだろうか?

よく神聖な霊山への女人禁制の結界というのがあるが、女性の持つ血褥(月経や出産の血による障り)というのは元々不浄なものとしては認識されず、本来はそこから神聖な霊域に入るという境でしかなかった。そこに大陸伝来に思想(仏教や陰陽道)が不浄の概念を持ち込み、稲作社会で労働力として劣るという差別的な概念と相俟って生じてきたという説明がされていました。

あと、ハレとケとケガレについての説明はまさに教科書的。ちょっと面白くなるのは厄年のとこかな。厄払いをする年であるという以外に、「役」の意味があるとはなあ~。ほらっ、よくお祭りの際にいろいろな担当(役回り)をするのが、その年の厄年の人とかやるでしょ。あれって、そのまま「役」をする年でもあるんで両義性があるみたい。ケガレるのではなく、ケガレを祓う方の意味もあるんだね。なんかそう言われると納得しちゃうかも。ちょっと興味深く思いました。

富士講も面白いかも? 今でも日本庭園を回ると、富士山に見立てた小山があるけど、あれってその小山に登る事で富士登山をしたのと同じご利益があるとする為なんだよね。フジの音は「不二」「不死」に繋がったりといろいろな話はありますが、日本を代表する霊山であり、全国に広まっているものとしても興味深いです。この富士講なんですが、女性への差別(区別)が非常に少ないんだそうです。制限付ではあるものの(60年に一度の庚申縁年)女性の登山もOKだったそうです、へえ~ってな感じですね。いいんだ、登っても。

こんな感じの内容ですね。でも、わざわざ買うほどではないね。

まあ、今日は仕事の帰りがけにわざわざ浅草まで寄って、松屋の古書市に出没。スーツ姿での本物色は、動きづらくて駄目だなあ~。でもでも、なにげに見てたら桃源社の本、こないだの西洋暗黒史伝の類書っぽいのや、amazonで買おうか悩んでいた中世関係の本が安く売ってたので買ってしまった…うっ、予想外の出費! まあ、しゃあーないね。読みたいものは読まないと後悔しちゃうし、つまらなかったら売っちゃおうっと(言い訳めいてるが…)。こっちの面白そうなの読みたいな~早く!

そうそう、稲荷信仰に書かれた本も2冊あり、買おうかなって思ったら結構、高い。その割に内容が無さそうで結局買わなかったけど…。民俗学系の本って、なんか高いような気がする?なんでだろう???

神の民俗誌(amazonリンク)
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2005年06月25日

「スペイン巡礼の道」小谷 明, 粟津 則雄 新潮社

実は、この本文章をほとんど読んでいない。完全に写真だけを見て、文字はパラパラと見るのみ。まともに感想を書くのはおこがましいがすぐ見たことを忘れてしまいそうなんで一応、書いておく。

結構、写真が多い。まだしばらく、巡礼に行けない身としては(行くつもりでいるあたりが私らしい)、まずは写真でその雰囲気でも知りたくてしょうがなかったのでそれだけで嬉しい♪♪ こないだ「巡礼の道」という本を読んだが、その前に買っていたのが本書。期せずして同じサンチャゴ・デ・コンポステラ(聖ヤコブの遺骸が葬られた土地の上に建てられた大聖堂へ至る道)について書かれている。先日のは文章で今回のは写真で。特に意図してはいなかったのだが、奇縁とでもいうべきであろうか。

文章で語られていた旅の大変さが映像で形を与えられてより思いが深まりました。この本は絶版ですが、別な著者で同様の巡礼の本があるのでそれを見てもいいかも。今度はこの本を眺めながらもう一度、「巡礼の道」という本を読み返してもいいなあ~と思いました。絶対に味わいが増しますよ~。こういうのいいなあ~、ホント。

私は奈良の古道を1日30キロ歩いて、道筋にある社寺を参拝して回ったことがありますが、それはたった1日でしたから…まだ楽。当時はもっとも険しい山道を1日に50キロ前後歩いていったそうです。う~、足が腫れちゃいそう。でも、いつかトライしたいですね! シルクロードも行きたいけど、こちらの方が優先順位高いですね。

しかし、現代になってもやっぱり自然がたくさんと…というか、田舎の結構すごいとこ歩くみたいですね。最近は、巡礼する人も増えてきたみたいで整備も進んでいるようですが、遍路宿みたいのあるのかな? 

まあ、知りたい事はいろいろあるものの、やっぱりこの写真を見てると実際に目で見たくなります。本を片手にデジカメ持って(俗物?)旅したいなあ~。

スペイン巡礼の道(amazonリンク)

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「巡礼の道」渡邊昌美 中央公論新社
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2005年06月23日

「巡礼の道」渡邊昌美 中央公論新社

思いっきり著者の渡邊氏にはまってます。だって、どの本も面白いし、知的好奇心をグイグイと惹き付ける魅力があります。文体はサラっとしてるのにね。何気に中身は濃厚でドロ~っとしてる。それなのに、それを感じさせないのは、著者の人柄なのでしょうか?大学でこの先生がいたら、毎回講義を最前列で聞き、講義が終わるごとに毎回質問に行くなあ~絶対! 嫌いな授業はテストで単位をとるだけですが、好きな講義はいつもこんなんでしたね私。だから先生からの覚えもめでたく(そりゃ、変わってるし)、講義の内容以外にもいろんな話や参考文献を教えてもらったりして一人で喜んでた。また、そうしたことを経験したくなるような、そんな文章です。大好き!!

この本でいう巡礼とはフランスから、スペインのサンチャゴ・デ・コンポステラ(聖ヤコブの遺骸が葬られた土地の上に建てられた大聖堂)へ至る道を指し、おおまかに4つのルートがあるそうです。他の聖遺物関係の本や中世の本にもたびたび出てきますが、この巡礼の道というのはとりもなおさず、聖遺物詣での道のりに他ならず、あちこちに散在する聖遺物を祭る大聖堂や礼拝堂を順繰りに辿っていくものでありました。外形的には四国の札所巡りに近い感覚でしょうか?但し、自らと対峙するお遍路さんと異なり、中性の巡礼は概して病気や災いを始めとするありとあらゆる悩みの万能薬、奇蹟を求めての旅ですから、その現世利益信仰への情熱はまた格別なものがあったようです。勿論、純粋や宗教的な要請から赴く人々もあったのでしょうが、いかんせん一般大衆は、何よりも奇蹟が大切だったようです。

新書の本なのに、とにかく中身が濃いです。個々の聖堂や聖人(ヴェズレーのマグダラのマリアなんかも結構、詳しく書かれてます)についてもいろいろかかれてますし、この巡礼の道を生み出していった種々の政治的・社会的・地理的背景を説明しながら、クリュニー修道院が背後に大きく関わっていることなどを詳しく説明してくれます。同時に、一旦はイスパニアで布教後、パレティナに戻ってその地で殉教した聖ヤコブがいかにしてスペインの地に戻って、コンポステラ大聖堂へつながっていくのかの縁起についても複数の説を元にして説明しながら考証を加えています。他にも各種の文章により、この巡礼は公式に認められ、聖地としての格をあげていくのですが、それらの多くに創作が含まれており、聖ヤコブ以前の各種の伝承がその中に吸収されていく様なども説明されています。こういうの大好きなんですっごく楽しいです(満面の笑み)。ただ、歴史的な細かい王朝の勢力史みたいなものが続くと時々、退屈で眠くなることもあるものの、全般的には充実した一冊です。

さすがに「中世の奇蹟と幻想」には勝てませんが、これ読んだだけでも聖遺物のことそれなりに詳しくなりそう。中世におけるキリスト教信仰の一形態をリアルに理解できる本です。前から、コンポステラ巡礼には憧れがあったのですが、これ読んだら非常に行きたくなってしまいました。歩いてヴェズレー辺りから、巡礼に行ってみたいなあ~。で、奇蹟を体験してみたいです。

具体的に内容についてもっと書きたいんですが、あまりに量が多くてかけません(涙)。絶版になってますが、古書店で安く見つけたら、買っておいて損はありませんよ~。参考文献もたくさん挙げてくれていて親切ですしね。邦書もたくさん挙がってますし、洋書もあります。でもね、洋書はフランス語文献ばっかり…読めません私。本が読みたいなら、語学くらい勉強しろって言われているようでちょっと悲しかった(涙)。

そうそう、本に書かれていた内容で、ちょっとメモしておきたいことを。
聖マルタン祭当日、堂内も門前も、石畳の上は糞便や痰唾や吐瀉物にまみれて異臭が立ち込める。これも奇蹟の起こった証拠なんだって!え~っと思ったんですが、聖者の霊力に撃たれて、取り付いていた悪霊が体外に逃げ去るときは出口が二つしかなく、嘔吐や下痢が伴うんだって。ということは、映画のエクソシストに出てくる、あの気持ち悪い吐く場面は理にかなっているんだ。へえ~知らなかった。新鮮な驚きです。単なる映画の効果上、やってるんだと思ってました(過剰演出だよなあ~って思ってたもん)。

あとね、パリで活躍した大錬金術師ニコラ・フラメルも秘教開眼の為に、サンチャゴに巡礼し、金属変性に成功したんだって。それでは私も巡礼したら、金作れるかな?(ニヤリ)

是非、物好きな方は読んでみて下さい。で、すぐさま旅に出てね!(笑)

巡礼の道(amazonリンク)

関連ブログ
「中世の奇蹟と幻想」渡辺 昌美 岩波書店
「図説 ロマネスクの教会堂」河出書房新社
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2005年06月17日

「守護聖者」植田重雄 中央公論社

聖クリストフフォルス、聖ゲオルク、聖マグダレーナ、聖ニコラウス等々、メジャーな聖者が選ばれており、聖人のことをちょこっと知りたい向きの方には重宝かも。中でもマグダラのマリアについて、触れているのはありそうでいて使える本は少ないのでそれだけでも価値があるかも。私が苦労して読んだ「黄金伝説」のマグダラのマリアの伝承が数ページを使ってほとんど完璧に要約されています。というか、そのまんま抜粋してないか?前田氏の苦労は・・・?

逆に言うならば、現在絶版である人文書院の「黄金伝説」のうち、マグダラのマリア伝承を知りたい方にはお薦め! でもでも、この本自体も絶版みたいなんですが・・・。呪われてるマグダラのマリア。それともやはり○○の陰謀か?(オイオイ)

他の聖人についても、あてはまるんですが、説明に際してかなりの部分を「黄金伝説」に拠っています本書。勿論、それが全てではありませんが、黄金伝説にプラスした付加価値部分の価値が疑問? 私的にはその部分に対して読むだけの意義を認められませんでした。但し、黄金伝説を読んだことのない方には、本書は良き案内書になると思います。同時に黄金伝説が入手できるなら、本書は不要です。ほとんど黄金伝説の抄訳以上のものではありません。

あくまでも個人的な意見ですが、この著者の書いた他の本も購入予定だったんですが再考するつもり。類書が無ければ、しかたないですが、あまりいい本書けない感じ。書籍代、無駄使いしなくて済むかな。

守護聖者―人になれなかった神々(amazonリンク)

関連ブログ
「中世の奇蹟と幻想」渡辺 昌美 岩波書店
「黄金伝説1」ヤコブス・デ・ウォラギネ著 前田敬作訳 人文書院
マグダラのマリア 黄金伝説より直訳
「黄金伝説抄」ヤコブス・ア・ウォラギネ 新泉社
エスクァイア(Esquire)VOL.19
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2005年06月14日

「マグダラのマリアと聖杯」マーガレット・スターバード 感想2

読了してみて改めて分かったんですが、ダン・ブラウン氏は本当にこの本をネタ元にしていますね。だって剣▽と杯▽だけなら、まだ分かるけど、ダ・ヴィンチ・コード本文でも出てきていまいち説明の分かりづらかったみずがめ座がどうたらこうたらという説明は、全てこの本からの受け売りですね。ようやく理解しました。なんか唐突に占星術の黄道12宮の話題が出てきて変だなあ~っと思っていたんだ。この本を読むと、少しはその辺の事情も分かるかも?

中でもそこまでやるか~って思ったのが、ディズニーの人魚アリエルについての話。あれはさすがにダン・ブラウン氏の独創的こじつけだと思ったいたのに、それもこの本だったとは・・・。もっとも、素材はこの本や「レンヌ=ル=シャトーの謎」とかかも知れませんが、小説としてベストセラーにした力量は、まさに作家の面目躍如たる所。「天使と悪魔」も読ませて売れる小説でしたもん(尊敬!)。私が元ネタの本知ってても、これだけ売れる本書けなかったろうし。

でも、この本はもうありとあらゆるネタ(というか知識)が詰め込まれています。しかもそれが読み易いんだから、困ったもんだ。読んでるだけで理解してつもりになっちゃいます。後半では名画の数々(珍しくダ・ヴィンチは出てきません)が異端のシンボルを隠し持っていると、暴かれていきます。ボティッチェリ、フラ・アンジェリコ、ラ・トゥール、カルロ・クリヴェッリ等々。マグダラのマリアと共に、異端の印がチラホラってね。みんな、うちのブログでも出てきたような名前です(クスクス)。

あと一角獣とタペストリーという、定番のアレもやはり異端的なシンボルが隠されているそうです。なんせユニコーンは処女にしかなつかないというのもねぇ~。ここに出てくる乙女は、実は異端の女神である豊穣神なんだって、でこれが花嫁であり、そこにやってくるのは花婿たるイエスだそうです。連作になるタペストリーについて順を追って説明してくれるので、この部分も知っておくといいかも? 

そもそも一角獣と乙女の主題は、中世を通じて定番中の定番でしたし、この本で扱っているのはNYのメトロポリタン美術館別館のクロイスターにあるタペストリーです。私も、911の数ヶ月後にNY行って見たので覚えていますが、そういう意味があるとは知りませんでした(金ピカの宝石で飾られた十字架ばっかり見てたので)。なんか、知らない作品でないので思い入れしそう。元々は、ロックフェラーが金にあかせてフランスの貴族の城館にあったものを購入したもので、その貴族がいたのはアルビジョア派の根拠地の近くだったというオマケ付き。さあ、著者がどう解釈するのか?楽しみでしょう。是非、読んでみて下さい(笑顔)。

マグダラのマリアを崇めようとする大きな力に対し、それをカトリック側が抑圧しようとする動きから、逆に聖母マリア崇拝が中世に力を持ってくるといった考察など、幾つかの本でも読みましたが、分かり易くかかれています。もっともその行き過ぎが、聖母マリア自体も罪のない女性から生まれたとして、聖母の母までも聖人として崇めるところまで行き着くのはなかなかコミカルにさえ思えますね。

そして、シャルトル大聖堂を初めとするゴシック建築や大聖堂、ギルドやフリーメイソンにも話題は広がる&広がる。いやはや参りましたね。それらが有機的に結びつく重層的な関係を説明してくれるので読者はなかなか目が話せません。あのソロモンとシバの女王が描かれているのも確かシャルトル大聖堂でしょ。なんか、seedsbookさんにもご紹介頂いていてパリに行った時にますます行きたくなってます。この本を読んだせいだ(困った)。

そうそう、あとね。聖杯についてケルト神話に出てくる「ブランの大釜」との類似性みたいなのも指摘されてました。この魔法の大釜で煮ると、死んだ人が生き返るんだそうです。聖杯伝説で聖杯の光を浴びて負傷者が回復するのと一緒ですね。先日、ちょうどこの「ブランの大釜」について書かれてた本を読んだばかりなので、妙に納得しちゃいました。みんな、深層の部分で結びついているんですね。なんかとっても面白い。そういった感じのものがいっぱい&いっぱい出てきます。

関連書籍や出典も豊富に出てますから、これを読んで興味があれば、さらにディープにはまれること間違い無し!それが幸せか否かは保証の限りではありませんが・・・(フェードアウト)。お好きな方は、是非御一読を!

マグダラのマリアと聖杯(amazonリンク)

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「ケルト神話と中世騎士物語」田中 仁彦 中央公論社
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「マグダラのマリアと聖杯」マーガレット・スターバード 感想1

seihai.jpgダ・ヴィンチ・コード関連本でその出典になっているものとしては、ラストかな?これ以外は安直な解説本だから、あえて読まなくてもね。出版社が英知出版さんだったので、ちょっと分野外のに手を出してるなあ~、大丈夫か?完全に便乗本のノリでしょうもない内容で騙されるのではと戦々恐々だったのですが・・・(最近、外れが多くて猜疑心の塊なのです)。いやあ~、これ面白いです(笑顔) 久しぶりにお薦め~!!

実は、まだ3分の2しか読んでないのですが、本の厚さに比して内容が豊富なんでもう、書いておきます。すぐ忘れちゃうんで(苦笑)。

著者は元々がバリバリのカトリック信者(まるでリン・ピクネット女史みたい)。「レンヌ=ル=シャトーの謎」を読んでショックを受け、いい加減なことばかり書いていると思い、御本人の専門に関わることだし反論の材料を探す為、文献を調べまくったそうです。そうしたら、反論するつもりが逆に、イエス結婚説を信じるほうになってしまったそうです。ミイラ取りがミイラにというやつです。

そういう経歴の著者がご自分で調べた結果に基づいて、各種の事柄に説明をしてくれています。勿論、たいていの話題については、他の本でも議論されていて既知のものではありますが、この人文章がうまいのか訳者がうまいのか分かりませんが、ポイントを押えてあって非常に分かり易い。私も知っていた知識の整理になりましたし、他の本を読まれていないなら、それだけでも一読の価値ある一冊です。あとね、著者フルブライトの留学生でもあったそうです。比較文学と神学を修めているそうです。ご存知の方は、御存知ですがフルブライトって相当優秀じゃないと選ばれないんだよね。日本でもこれで海外に留学してる人って、将来有望な人ばっかりジャン。論旨が明快で好ましい文章なのは、そのせいもあるのかも。

既知の知識の整理としては、副題の「雪花石膏(アラバスタ)の壺を持つ女」というのが、まさに本書の本質に関わるもので、イエスに高い香油を塗って聖別した行為が真に意味する所を説いています。「イエスのミステリー」でもそれは指摘されていますが、これこそ選ばれしユダヤの高位高官・聖職者を認証する儀式であり、イエスが王としての地位を宣言する行為であったと述べています。日本でいうなら、大嘗祭をやるとかいったものでしょうか?類似の行為です。

また、既存の知識だけでなく、著者のオリジナルも結構あります。うちのブログでもよく採り上げている「黄金伝説」に出てくるマグダラのマリアの伝承やフランスのサント・マリー・ド・ラ・メールという町で行われるマグダラのマリアの召使エジプト人サラを祀る祭りから、非常に面白い推測(仮説)を出しています。な・なんと!イエスとマグダラのマリアの子供は女の子であり、エジプトに数年住んでいたので、プロヴァンスに上陸したのはエジプト人だと後に誤解され、エジプト人だから肌も黒いとされて現在の祭りになったと、根拠らしいものもないままに推測と思い込み(?)によって結論づけています。真偽のほどは定かではありませんが、二人の子供が男子ではなく女子というのは、なんとも斬新なアイデア(拍手)。しかもそれが、あの有名なお祭りのサラというのは・・・。とりあえず、聡明であっても論理の逸脱はあるみたいです。それでもこの説は、なんか非常にそそられますね。誰か、これに関して本でも買いてくれるといいのに・・・。

マグダラのマリアの「magdalene」が、ミカ書(いつの日かシオンの土地が、バビロンで捕囚となっているユダヤ人の元に返されるという神の約束の予言)にある「マグダル=エデル(羊の群れの塔」という言葉を指すのではないかと著者は書いています。この辺りになると、段々何でもありになってくるので評価は難しいでしいですが、書き方がうまいのか、それなりに読めてしまったりします。

あとタロットカードの絵柄が実は異端信仰の教理問答書になっているとか、中世の聖書にさりげなく挿入されたすかし彫りのデザインが異端信仰の隠された意図を示す象徴だとか、なんかいろいろな陰謀史観につながりそうなものがたくさん出てきます。なんともうまいのが、怪しげな仮説が明確な歴史的事実(メロヴィング朝の歴史等々)と混ざりながら、説明されちゃうのでついつい、どこまでが事実でどこからが仮説なのか、意識しないまま、そうだったんだあ~といった納得につながりそうなところ。進んで読者から信じたがっている内容だし、好きな人はほんと大喜びしそうな本です。

当然、聖杯もそこで重要な位置を占めて説明されていますし、さきほどのサラとの絡みも含めて聖杯を守るアリマタヤのヨセフも頻繁に登場します。聖杯伝説を何冊か読んだけど、確かに聖杯の守り手としてアリマタヤのヨセフの名はよく出てきましたしねぇ~。とにかく、この程度じゃ収まらないくらい情報が盛りだくさんです。金銭的な問題がなければ、まず基本中の基本である「レンヌ=ル=シャトーの謎」を読み、それから本書を読むとこういった関係の本で扱われるトピックについては一通り知識を得られて、それなりに概括的な理解ができるようになると思います。あとは、ここをスタートにしてどこまで掘り下げられるかですねぇ~。私なんかも正直、表面的なところをチョコチョコうろついているだけでしかないですし(苦笑)

また残りも読了次第、感想を書くつもりですが、ダ・ヴィンチ・コードがネタにしたグノーシス的な背景についてもっと知りたいならば、これは本当にお薦めです。読んで外れはないと思いますよ~。

マグダラのマリアと聖杯(amazonリンク)

関連ブログ
「マグダラのマリアと聖杯」マーガレット・スターバード 感想2 (感想の続き)
「レンヌ=ル=シャトーの謎」 柏書房 感想1
「イエスのミステリー」バーバラ・シィーリング著 感想1
マグダラのマリア 黄金伝説より直訳

関連リンク
フランスの田舎を旅する サント・マリー・ド・ラ・メール
プロヴァンス滞在記(木村様のHP)
南フランスへの旅
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2005年06月11日

「イタリア・奇蹟と神秘の旅」坂東真砂子 角川書店

shinpi.jpg聖人や聖遺物関連の書として、購入した本。買う前にいろいろと不安があったのですが・・・。

本としてのルックスは、実にイイ。ちょっと小ぶりな版型に表紙や、章ごとの扉もちょっとセンスが良くて、人でいうならイケメンとでも言いたくなるような外見で惑わされてしまいそう。実際、中身以外ではかなり好きな本。でも、内容を読むと、だいぶむかつき焚書の刑に処してやろうかと思うほど、イライラさせられた本だった。

もっともこの著者の描く本のうち、国内を扱ったもの以外を読むのは時間の無駄か?という疑念が最近よぎるようになりつつあり、購入しようか否かを悩んでいた際にも一抹の不安があったのですが・・・悪い意味で予感は当たってしまいました(涙)。

全部が全部つまらないわけではないです。説教をよくしていたので有名な聖人の聖遺物、舌が未だに腐りもせず、残っているというのも面白かったし、中世期に異端とされたヴァルドー派の由来なんかも、ほお~そうなんだと知らないこともありましたので、全く無意味であったとは言いません。でもね、著者があまりにも不勉強過ぎ。文章中に出てくる文献は日本語のものがほとんどあったので私のような浅学の者でさえ、知っているようなものばかり。その程度の知識でこの手のもの書くんじゃないといいたくなるようなレベル。イタリアに語学留学してたこともあるそうだから、当然あえて名前は出さなくともそれなりにいろんな本(イタリア語)で下調べをされているはずだが、その割に文章からにじみでるはずの背景的知識(教養)水準が期待外れなほど低い。特に世界史的素養は、論外。中学生並の知識であれこれ書かれても・・・。さすがにもう書くな!と何度も思った。(読んでる私が馬鹿なのですが)

別に作家さんだから、物を知っていなくても文章力でカバーされてもいいのですが、逆にそれが決定的にこの本を読むに値しない本にしてしまっている。イタリアの聖人のお祭り等も実際に見学し、見聞されたことを書いたうえで著者の感想・思索を述べてあるのだが、これが怒り心頭に来るほどヒドイ。あまりにも狭量な心持ちで、現代の日本人的価値観から、当時のお祭りや事柄を評価し、ご自分の不見識に基づく勝手な評価をされるのはいかがなものでしょうか? 価値相対主義がもてはやされる時代ではありますが、口先だけでこの方のようになんにも理解されていない人がいるのでは?と、不肖私でさえ心配になるほどの識見の低さです。

歴史を眺める時に、時系列上、非常に特異且つ流動的な一時点の価値判断をもとに他の時代、他の国の文化を評価するとはなんたるキチガイ沙汰。一箇所ではなく、なんどもそういった著者の考えが述べられ、確信犯的な犯罪者ですね。正直言って、かなりの不快感に苛まれた。でも、ルックスはいいんだよね、この本。罪な存在です。内容も著者の意見や感想さえなければ、話題もそれなりに豊富で中世の聖人の伝承や聖遺物を取り扱い、楽しく読めるのに・・・。

この本で一番の収穫は、先日読んだ「中世の奇蹟と幻想」がいかに素晴らしい、良い本であったかを実感できました。坂東氏のこの本の中でも紹介されているが、これとは全然違う。本当に素晴らしい本でした。絶対にそちらを読みましょう。逆にこの本はショックだったなあ~。著者にも失望した。この人の描かれたカタリ派を扱った小説
「旅涯ての地」
も駄目だったし。もう、二度と読むまいと思った。お金と時間の無駄は悲し過ぎる。人生の浪費でしかない。

ここのところ、聖人や聖遺物にはまって資料を探しては読み漁っているのだが、使えない資料ばかり選んでしまてっているなあ~、悲しい。頑張ってもっと有益な資料や文献読みたいなあ~。もうちょっと頑張ろうっと! あと「守護聖者」とかもあるし、いい本だといいのだけどれど・・・切に願うこの頃だったりする。

なんか、本を批判するのって自分で書きながら嫌なもんだし、どうせならこれって最高に面白いって書きたいなあ~。なんか自己嫌悪に陥りそう(鬱々)。
イタリア・奇蹟と神秘の旅(amazonリンク)

関連ブログ
「中世の奇蹟と幻想」渡辺 昌美 岩波書店
「旅涯ての地」坂東真砂子 角川書店
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2005年06月09日

「隠された聖地」ヘンリーリンカーン著、荒俣宏訳 河出書房新社

ああ~、やられた! 荒俣氏に騙された!っていうのがまず、第一の声。あと、サブタイトル「マグダラのマリアの聖地を巡る~」は明らかにJARO(日本広告審査委員会?)に訴えてやるぅ~とか思うほどの騙しよう。え~ん&え~ん、金返せ!! 時間と手間返せ!!(号泣)

この本は、ダ・ヴィンチ・コード関連本として有名ですが、品切れらしくずっと探してました。で、先週ぐらいにようやく古書で見つけて買って、読んだんだけど、全然マグダラのマリア出てこない・・・。名称としてマグダラのマリア教会が出るのみ。レンヌ・ル・シャトーも地名として文章中には何度もでるけど、全然求めているのと違う。本当に、この著者は、「レンヌ=ル=シャトーの謎」の共同執筆者の一人なのかと疑うほどのひどさ。

だって、だって、本を見てみれば分かるけど、あるのは変な斜線が何本も交差したり、放射線状に引かれていたり、五芒星を描いている図ばかり。前半の、ソニエールが発見した羊皮紙の謎解きも、詳しい資料としてはちょっとだけ興味が持てたけど、暗号の解読といいながら、なんだかなあ~。正直、自己満足の戯言と走り書きを本にして、小遣い銭稼いでんじゃないのとしか思えない。この人がTV番組の構成作家とかを仕事にしてて、BBCに番組制作の企画持ち込んだ張本人みたい。やっぱりねぇ~、納得! 本当にTV関係の企画屋さんって怪しい人ばかり、まっ、面白いんだけど、真実2割に嘘8割ってとこかな。元NHKプロデューサーの矢追氏をすぐに思い浮かべてしまった。UFOで荒稼ぎしたあの人にソックリ。世界は変わっても似たような人はいるもんです。NHKとBBCか、確かに似てる(笑)。

でも、騙されて変な図や、しょうもない憶測の説明を受けてる私が哀れ。マグダラのマリア関係で何か情報があるかとだいぶ期待していただけにショックだった! でも、私も含めてよくどっかの本でもっともらしく関連する書籍なんていうけど、あれも誰も読んでいない本をさも、読んで知っているかのように適当に書名で選んで説明してるんだね。私もすっかり騙されてました。う~馬鹿だった・・・。

このブログ読んでる方は、騙されないようにね! しょうもないのでも許せる心の広い暗号マニアなら別ですが、私のような普通人は切れます、っていうか泣きます。私の失敗を教訓にして間違ってもこの本買わないように。うっかりダ・ヴィンチ・コード関連とか思うと、死にますよ~。久々に大失敗した本でした。さて、売り飛ばさないと。誰か、それでも読みたいという奇特な方いないかな? 悪徳商人の私です(笑顔)。

唯一良かったのは、下のマグダラのマリア教会の写真。壁に描かれた「イエスの顔をぬぐう聖ヴェロニカ」、教会入口にあるという「悪魔象」。

聖ヴェロニカ 悪魔像 クリックで大きくなります

隠された聖地―マグダラのマリアの生地を巡る謎を解く(amazonリンク)
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2005年06月05日

「中世の奇蹟と幻想」渡辺 昌美 岩波書店

いやあ~、楽しい♪新書で薄いのに、中には聖人伝がぎっしり詰まっていて大満足の一冊です。これでもか、これでもか、っていうぐらい聖人(の聖遺物)が起した奇蹟が挙がられています。どれほど中世の人々が奇蹟を求め、また奇蹟故に従来の宗教を捨ててキリスト教徒になっていったのか、ありありと目に浮かぶような筆致で当時の人々の心境が描かれています。

極論すれば、誰の骨か分からない得体の知れない人骨を誰かが夢の中で語られた「聖人のものだ!」って言ってしまえばOK!(=啓示) とりあえず祀ってご利益の奇蹟が起きれば、後は民衆の熱狂的な崇拝が後続し、気が付けば昔からあったような聖人の出来上がり。なんとも凄まじいまでの奇蹟崇拝。最初に神ありき、信仰ありきではなく、まずは現世利益である奇跡ありき。その徹底した心情が、う~ん共感を呼ぶなあ。私も奇蹟を実感できれば、すぐに信者になるつもりがあるんですが・・・(こういうの駄目かな)。「天使と悪魔」でも奇蹟が描かれていましたけど、熱烈な信仰心には「ありうべからざるもの」の個人的実感が必要ではないかなあ。

聖人崇拝が聖人の生前の徳や殉教の内容に関心がなく、それのもたらす奇蹟にのみ民衆の関心が向いた結果、なんとも不思議な現象が生じてきます。これまで共同墓地に埋められていた人骨を神からの啓示があったとして、掘り起こして聖堂に安置するとたちまち奇蹟を起したり、なんてまだ可愛いほうで他の修道院で祀っている聖遺物を盗んでもってくるんです。なんか、スゴイ!

理由としては、元のところではきちんと聖人が祀られていないから、聖人にふさわしい崇拝が得られる自分のとこにお運び申し上げた、これこそ信仰心溢れる行為というんですが、まさに詭弁。様々な聖遺物泥棒が横行したらしいのですが、有名な話としてコンク僧院のエピソードが語られています。警戒が厳しいのにお目当ての聖遺物を獲得する為、そこに侵入し、10年間も真面目なふりをして信用を得、聖遺物の監視役になるや否や聖遺物を盗み出すなんて! あんたCIAやKGBのスパイじゃないんですから・・・その情熱や使命感たるや半端じゃないです。しかもその盗んできた由来は、誇らしい&素晴らしい聖遺物の来歴として数々の本に残されているというんで唖然。日本でいるなら、神社仏閣の縁起に書かれているようなもんですね。

また、奇蹟は記録され、宣伝されてこそ修道院の利益増進にもつながるということで聖遺物が見つかったり、移送されてくる(=盗んできたりも含む)と早速、奇蹟記録専用の僧侶が任命され、始終聖遺物の側で奇蹟の起こるのをいまか&いまかと待ち受けるんだそうです。病人の治癒とかだけに限らず、作物の豊作、家畜の伝染病予防等にいたるありとあらゆるものが奇蹟に関連づけられてそこに記される記録は増えていくんですから、ほんと人は奇蹟を求めているんですね(偶然じゃないそうです、既に聖遺物があるんですから全てその恩恵になるらしいのです)。

そんな状況ですから、祀られる聖人を調べてみると、えっ~!?というものも。例として聖ギヌフォールなんかだと、お犬様なんです。もう聖人が人ですらない。恐ろしいもんです。まあ、ご利益さえあれば私も何でも信じますけどね。「鰯の頭も信心から」とはよく言ったもので時代や地域を超えて、人のやることは変わりません。

あと、これはこの本の内容紹介で絶対に落とせないこととして、マグダラのマリア崇拝についても結構、詳述しています。私がこのブログで何度か紹介している黄金伝説のくだりやマグダラの聖遺物があったとして非常に崇敬を受けていたヴェズレー僧院がバッチリ出てます。もっとも理性ある著者は黄金伝説のくだりは、あくまでも伝承で捏造だとばっさり切っています(この本全般に言えますが、そういう明快且つ理性的な論調がしばしば出てきて私はすごく好きです)。

今ならそうなるにしても、当時はその伝承が信じられており、マグダラのマリア崇拝は物凄い熱狂的な巡礼者を集めていたらしいです。さらにそういった情熱の凄さというか怖さとしてマグダラがこの地にいるなら、兄弟であるラザロが側にいたって不思議ではない、というなんとも不思議な理屈のもと、ラザロの聖遺物があると主張するところまで出てきたそうです(笑顔)。しかもマグダラの伝承が民衆に広まっていることを踏まえて、更なる捏造「聖女マルタ伝」が生まれ、聖人が一挙に増えていったそうです。ここまでいくと、これぞ神の御業(みわざ)ってな感じです。

もっとも隆盛を誇ったヴェズレー僧院ですが、その後、別な寺院で本物のマグダラの遺体が発見されるに至って、名声は地に落ち、さしもの巡礼者も激減して哀れな結末になったそうです。知っている話ではありますが、ここではその経緯が詳しく書かれていてへえ~っと思わず頷きたくなるような内容でした。マグダラに関心ある人は読むと絶対に面白いです!!

おまけにちょこっとですが、薔薇の名前に出てきた異端審問官ベルナール・ギイにも触れていますよ。なんか嬉しいかも。この著者が書いた「異端審問」っていう本も面白かったですが、この人は文章が読み易いし、理性的できちんと論理だった話もできるし、結構いいですね。改めて気付きました。この人の大部の著作も購入してみようかな? この本も絶版になってるようですごく残念なんですが、聖人関係の本ってみんなそうだなあ。今日、届いた本も絶版だったし、入手するのに苦労します(涙)。

とにかく、聖人とか聖遺物とかが好きな人はこの本イイです。いろんな伝承も載ってるし、それを取り巻く環境や社会についての知識も得られます。また、学者がその奇蹟の内容を統計的に分類したこんな傾向がある、とかまで書いてくれていてなんとも嬉しい一冊です。文献も少しだけど、載ってるし。日本語+それ以外の言語。次にどんな本を読もうかと考える時に、参考になりますよ(つ~ことは、また購入しなければならないという悲劇ですが・・・喜劇?)。買って正解な一冊でした(満面の笑み)。

今日は印刷博物館でグーテンベルク以来の500年前の印刷物を見てご機嫌♪♪ その当時で既に4種類の言語とか多言語訳聖書が作られていたりしたのには、もう感動つ~か驚愕!! 神谷バーで電気ブラン3杯に大ジョッキを飲んで大満足の一日でした。

中世の奇蹟と幻想(amazonリンク)

関連ブログ
マグダラのマリア 黄金伝説より直訳
「図説 ロマネスクの教会堂」河出書房新社
「異端審問」 講談社現代新書
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2005年06月01日

「典礼の精神」ヨセフ・ラッツィンガー サンパウロ社

tenrei.jpgこれも現法王が以前に書かれたもの。先日読んだものは、すごい昔のものでしたが、これは1999年翻訳だからそれほど古くはないでしょう。図書館で探索依頼したら、県内で見つからず、国立国会図書館から取り寄せてもらった一冊。館外貸出は不可とのことで、図書館にこもって読了しました。

勿論、真面目に完全理解を目指しつつ読むのだったら、何度も読み返さなかればいけない本ですが、部外者の気安さでさあ~と目を通して、分かる範囲で理解しました。理解できたのは全体の3、4割ってとこでしょうか。当然、正統派的なカトリック神学の立場で書かれていますが、神学者内でも論争がある点については、その旨も取り上げたうえでご自分の採られる主張を書かれています。どうしても非信者としては、議論の内容が細かすぎるきらいはありますが、おおまかなところなら理解できますので関心のある方は読まれてもいいかもしれません。

まず、典礼について。典礼を「遊び」として解釈する話が述べられています。その理由として、(1)固有の世界をつくる固有の法則をもち、人がその中に加わるときには法則に縛られますが、「遊び」が終われば再び自由になる(2)功利的な目標をもたない、が挙げられています。但し、ラッツィンガー氏によるとそれだけは不十分で、「遊び」が有する人生の先取り、実生活への予行演習として、典礼は具体的希望の形相、来るべき真の生命を今すでに予め生き、本当の生命に向けて私達を予行演習するものとしています。

これなんか、非常に分かり易い説明ですが、上記のような感じで典礼に関する様々な事柄の捉え方を説明してくれます。典礼において、古くは東方(太陽の出る方向)に向かって司祭が会衆と共に行っていたものが、現在は司祭と会衆が向き合う形で行われていることとかにも、神学的解釈として説明をされています。諸説あるようですが・・・。

典礼における聖画像の問題、音楽と典礼、ひざまづく、ひれ伏す、立つこと、座ること等々。なるほど、そういう点が問題になり、またいかにして教会をそれに対処してきたのか、いくのか、といった点なども分かります(理解度は、度外視して)。

神から既定のものとして与えられるが故に変更できないもの(すべきでないもの)と、時代を含める社会的なものとの関わりを含めて変更するもの(=成長という意味で肯定されています)。それら難しい問題を取り扱っていて、その一端を窺うことができます。勿論、宗教内部の問題でそれこそ集団内部の内的自治の話だから余計なお世話なんでしょうが、神道の国日本に生まれ育った私からみると、いささか便宜主義的なものも感じてしまうなあ~。極力、表面的には感性や感覚によるものを排除しつつも、究極的には秘儀的なもので自ずからわかると言われても…???

やはり、アミニズム(原始宗教)の方が私の感性的には受け入れられる。美しい自然の風景や、野外で宿泊したときに感じる自然崇拝の方がよほど、内的な湧き上がるような崇拝心を実感できるのだが・・・。だから、神社仏閣巡りしても、お参りしなくなっちゃうのかなあ~私。どうも人が作りし物って、単なるモノじゃない?って感じてしまう。神が金銭や捧げ物を欲しがるわけないし、そんな俗物を欲しがるのは、堕落しきった聖職者のみと思ってしまう。伊勢神宮などの本来は建物ではなく、その山や空間を祀ることに意義があるというのが共感できるなあ~。建物って、えてして権力の示威的象徴に他ならず、またそれに過ぎないしね。お役所の建物見れば、すぐ分かるけど、都庁とかね。

とまあ、こんなことを考えつつ、熊野神社行きたい! あと、四国の巡礼に行きたい! でも、その前に今チュニジア旅行の見積もりをしているがエアーが高い。11万~16万。帰りにイスタンブールに寄ってくるのが魅力なトルコ航空だけど、これって乗換えが相当悪いはず。エアーフランスかアリタリアはコネクションがいいんだけど、料金がべらぼうに高い。帰りにルーブル観光かバチカン観光も悪くないけどね。ツアー参加するとホテル代込みで18~28万円ぐらい。チュニジア国内もカルタゴだけならチュニスでいいけど、世界遺産が7個か8個あるので最低3個ぐらい見るとなるとスース辺りまで電車で行って、チュニスin スースoutで考えると・・・?さてさてどうしたものやら? 海外ホテルの予約サイトみるとチュニスはなんとか抑えられるものの、スースで予約できるネットサイトは見つからないなあ~。現地で探すと時間が惜しいし。

ヨーロッパならエアー5~7万だし安いんだどなあ~。う~む、あまり時間をとっているとまた、料金が高くなるから行くなら今月中だね。税務申告も終わったし、国外脱出したいなあ。
【目次】
第1部 典礼の本質について
 第1章 典礼と生活
 第2章 典礼・宇宙・歴史
 第3章 旧約から新約へ

第2部 典礼における時間と空間
 第1章 典礼が持つ空間と時間との関係についての予備的考察
 第2章 聖なる場所
 第3章 典礼における祭壇と祈りの方向性
 第4章 聖体の保存
 第5章 聖なる時

第3部 芸術と典礼
 第1章 聖画像の問題
 第2章 音楽と典礼

第4部 典礼の組成
 第1章 典礼様式
 第2章 身体と典礼
典礼の精神(amazonリンク)

関連ブログ
「信仰と未来」ラッツィンガー著 あかし書房
新教皇ベネディクト16世(ヨゼフ・ラッツィンガー枢機卿)略歴
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2005年05月31日

「西洋暗黒史外伝」吉田八岑 桃源社

gomon1.jpgもう、この本も定番中の定番の部類ではないかな? 日本において悪魔っていったら、まず筆頭に挙げられるでしょう吉田八岑氏。悪魔学の泰斗ってところでしょうか。私も何冊か著者の本を持っていますが、これは読んだこと無かったような気がして先日、古書店で購入した一冊。

タイトルの通り、西洋史及びキリスト教会史上の恥部である宗教裁判を具体的な事例や裁判の審理過程、裁判の根拠法令、法令実施状況等を当時の資料を引用(or 孫引き)しながら、丁寧に解説を加えています。

どこぞの嫌らしい低俗な悪魔本等とは一線を画し、可能な限り、その当時の事実を明らかにしていこうとする姿勢が大変好ましいです。引用に際しても、かなりの部分は文献が明記されているし、数々の事実の延長線上に当時の社会情勢を再構築するべく、理路整然と書かれた文章は、時代を経ても色褪せるところがないですね。(書かれたのは昭和46年)

最近、悪魔を取り扱った百科全書的な本で翻訳物を散見するが、どれも内容がイマイチだった気がする。そのうちの幾つかは読んだが、正直値段に比した価値のあったものは少ない。本書は十分に値段に合った、否、値段以上の価値ある本だと断言する!

本書ではまず、異端審問がいかにして始まり、それが世俗の裁判権と棲み分けを果たしながら、西欧に広まっていく歴史を説明している。同時にそれがどのような世界史的情勢下でなされ、その異端審問の内容が時代に沿っていかに変容・拡大していくかも合わせて物語っている。当然、それを支える法的根拠にも説明がなせれ、「審理」「自白」が有する意義・内容についても解説されている。

また、具体的に資料が残っている裁判事例を挙げながら、各国別の異端審問の模様や差異についても触れている。当時の異端審問が当初、宗教的な情熱から生まれながらも、いつしか被告の財産没収という付加的価値から徐々に変質し、各種制度の整備とシステム化に伴い、体のいい金儲けの為の産業、ひいては国家的経済政策にまで増長する有様を如実に示していて、巨観深い。

フランス拷問図十字軍の目的が聖地奪回から東方貿易の伸張へ、と変質にしていくのにも似たその姿は、つくづ人の業の深さを感じさせずにはいられない。裁判の証拠が往々にして自白に拠った為、いかにして被告を殺さずに、苦痛を生ぜしめて有罪につながる告白を引き出すかに躍起になった人々の姿が心に痛い。その為に生み出された拷問道具の数々。本書では、それにも詳細な説明や効果が挙げられていて知識的な欲求としては惹かれるものの、ここではあえて詳しく説明しない。

貧しい人々に限らず、大法官、貴族、聖職者、市長等の社会的成功者クラスであっても、続々と嫌疑をかけられて異端とされ、火刑に処せられたのはまさに、財産没収が裁判の目的であったことを裏付けていて悲惨このうえない。わずかな報奨金目当ての密告・偽証が相次ぎ、相互不信の渦巻く社会。裁判にかかる費用(各種拷問別の費用一覧表まであった)が全て、被告持ちであった理不尽さが酷薄さを増す。たとえ裁判に無罪になっても裁判費用が支払えず、奴隷として売り飛ばされた人もあったそうだが、儚(はかな)いもんです人の命・人生。今の時代は、少しはマシになったのかもしれませんが…。

内容の空っぽの悪魔辞典を読むよりは、人間の内面に潜む悪魔を歴史から学ぶのもいいかもしれません。歴史の本としても面白かったです。異端審問に関する資料で日本語文献なら押えておくべきものでしょう。但し、残念なのは文献名はあるのですが親切にも日本語に訳してくれているのが…困った! だって原資料を探すのに相当苦労するはず。巻末に原文の文献名が欲しかった!!
【魔女裁判の為の訊問条項】
1、被告は魔法使いになって、何年になるか。
2、如何なる理由で魔法使いとなったのか。
3、魔女になった動機について説明せよ。
4、誰が魔女の仲間に入信させ、教唆せしめたのか、その名を明らかにせよ。
5、お前が主人として崇めている悪魔の名を明らかにせよ。
6、どのような理由で悪魔に誓いを立てたのか。
7、悪魔への誓いと、その条件を明らかにせよ。
8、お前はどの指を立てて誓い、またお前の養成はどこへ連れていって悪魔の仲間に加えたのか。
9、その場所に居た悪魔と、集合していた仲間たちの名を思い出すのだ。
10、お前は参集した宴会で何を食したか。
11、夜宴のご馳走はどのように配膳されていたか。
12、夜宴の食事に手をつけたか否か。
13、夜宴ではどのような曲が演奏され、またどのような舞台を行ったのか。
14、悪魔のなかだちであるお前の妖精と、どのような方法で連絡を取るのか。
15、その妖精はお前の体に、どのような悪魔の刻印を付けたか。
16、世間一般の人間に、今までどのような弊害を与えてきたか、その方法を説明せよ。
17、何故、そのような弊害を与えたのか。
18、また魔女の引き起こした弊害を取り除くことはできるものかどうか。
19、魔除けの薬草はどこから手に入れ、如何なる方法で、毒薬を作り出したか。
20、誰の子に魔法をかけ、何故その子供を悪魔の犠牲として選んだのか。
21、如何なる動物たちに魔法をかけ、疫病を起こさせて死にいたらしめたのか、その理由を挙げよ。
22、悪事を行うに当たって、誰が共犯者となったか。
23、悪魔が何故真夜中にお前のところに連絡を取りにきたのか。
24、夜空をとぶ”箒”の柄に、お前はどのような膏薬を塗り付けたか。
25、どのような方法で空中をとぶことができたのか。またその時に、どのような呪文を唱えたのか。
26、悪魔の力を借りて、如何なる嵐を巻き起こさしたか。またその助力をした者は誰か。
27、疫病のもとになった蛾は、どのように作り出したのか・
28、その外にどのような有害になる創造物を作り出したか、またそれを何に使用したか。
29、お前の悪行について、悪魔との間に如何なる契約が取り交わされているのか。

関連ブログ
「異端審問」 講談社現代新書
薔薇の名前(映画)
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2005年05月29日

「黄金伝説1」ヤコブス・デ・ウォラギネ著 前田敬作訳 人文書院

英語の golden legend を読んでから、のんびりと日本語訳も読んでみるつもりでしたが、せっかく購入してあるのに、読まないのももったいないのでしばらくブログも書かずに読書してました。

ふう~、面白いけど、なかなか約550頁ボリュームはなかなかのもんでした。これでつまらなかったら、即挫折ですね(読了できて、良かった&良かった)。知らない聖人も多いのですが、名前だけ知っていても伝説の内容まではほとんど知らないので、すっごく勉強になりますね。なんか、ちょっと物知りになった気分♪♪

聖ニコラウスや聖ステパノ、聖女アグネス、聖グレゴリウス等々。全4巻のうちのたった一巻なのに出てくる聖人の数は半端じゃない。あとね、この本の良い点は注釈が非常に詳しいこと。本文では出てこない情報や知識がなかなか読み飛ばせない魅力があります。もっとも、通読で読むときには、そこまで丁寧に読んでいないので、勿論、読み飛ばしてますが、必要に応じて再読する際には絶対に有益だと思います。

そうそう、聖人ではないけど、ユダについても面白い記述がありますよ~。ユダは常日頃から経理を担当しながら、扱うお金の一割をピンハネしていたそうです。そして、ある時、ある女(マグダラのマリアという説がある)が主に高価な香油を聖別するのに使ってしまう。ちょうどその香油の値段が銀貨300枚相当で、ユダにとっては勝手に自分のお金(その10分の1、つまり銀貨30枚)を浪費されてしまったわけで、当然怒った結果として、イエスをその代償として銀貨30枚で売ってしまうんだって・・・。

無知な私は、思わずえっ~って思ったんですが・・・? 初めて聞いた話だったんで・・・。まあ、あくまでも噂の一つでしかないのかもしれませんが、非常に興味深い内容が多く、残りも欲しいなあと痛切に思ったりする。英語版は持ってるんだけどね、結構辛いんだよね、マグダラのマリアを訳してて実感したけど。

まあ、英語の場合、意味は分かるけど、それを知識や資料として使いこなすの大変だもの・・・。徐々に読んでいくけどね。

あっ、話は変わりますが、十字架にかけられているイエス様のとどめを刺した兵士ロンギヌスですが、キリスト教的には絶対に悪魔の化身とか言われてると勝手に今まで思い込んでました。だってねぇ~。それがな・なんと!聖人なんですよ。これにはちょっと衝撃を受けました。奇跡を目の当りにして回心したんでしょうけど、なかなか凄い転身ですね。尊敬~。

あと、聖セバスティアヌス。これって、アレかあ~と私の頭にまず浮かんだのは、三島由紀夫氏がこの聖人に憧れていて、確か雑誌「血と薔薇」の中でも、この聖人の格好をしていた写真があったはず。しかし、好きだなあ~三島氏も(クスクス)。今、復刊されて安く手に入りますけどね「血と薔薇」。昔は高かったけど・・・高いときのを持っているけどね、フン、気にしません私(血の涙がダラダラ・・・)。

それと、イエス様の割礼の話も。あまりに内容が盛り沢山でここには書けませんが、ずいぶんと楽しめました。それ系が好きな人には、必須資料ですね! 絶版が痛いが!! 

さてさて、次の本でも読むかな。今日も止せばいいのに、古書市や古書店をはしごして、だいぶ値の張るものばかり購入。お金はどうすればいいのでしょう? 本を買って読めば読むほど、もっと関連資料が必要になり、本が増えていく。この矛盾とは???

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これは絶版
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な・なんと復刻しやがった・・・(号泣)
血と薔薇―全3号復原(amazonリンク)

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あの黄金伝説が平凡社より復刻された!!
マグダラのマリア 黄金伝説より直訳
「黄金伝説抄」ヤコブス・ア・ウォラギネ 新泉社
The Golden Legend: Readings on the Saints 「黄金伝説」 獲得までの経緯
黄金伝説 Golden Legend コロンビア百科事典による
黄金伝説 ~聖人伝~ ヤコブス・デ・ウォラギネ著
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2005年05月25日

「日本の奇跡 聖母マリア像の涙」安田貞治 エンデルレ書店

秋田で聖母マリア像から涙が流れ出した、という噂だけは私も知っていました。しかし、本があることは知りませんでした。正直、眉唾っぽいものではないかと偏見を持って読み始めたのですが…。

少なくとも、よくあるようないかがわしい変な本でもなく、勿論トンデモ本ではありませんでした。流れ出た涙が人の体液である旨の科学的鑑定結果や、司教からの報告書、聖痕を受けたシスター笹川の精神鑑定書等々、巻末に添付された資料も可能な限り客観的にあろうとしている姿勢も信頼感を覚えます。

私の主観でしかありませんが、本は真摯な姿勢で描かれていてそこに起こった現象が事実としてあったのではという気持ちになりました。勿論、事実としてそれらの現象があったとしても、それが奇跡によるものかどうかはその場でいたわけでもないし、そういったことを判断できるわけでもないので、未だに懐疑的ですけど。文中では疑い深いトマスという表現がありましたが、現代ではある程度止むを得ないのではないかとも思えます。

うっかり人を信じようものならば、身ぐるみ剥がされ、殺されることがありえますから。冗談ではなく、海外で旅行なんてしてると本当にあるし。国内でも怪しい信仰にはまって全財産を失った人はざらにいますしね。ただ、何が何でも科学で説明できないものはインチキという気もないですし、そういうことも有り得るでしょう。ただ、慎重に判断すべきだとは思いますが…。

否定する人も肯定する人も、一読の価値はある本だと思います。ここに書かれている事が事実かどうかはもっと他の資料や本で確かめないとうのみにはできませんが、週刊誌にだいぶかかれ、1980年前後だと思うのですがTV東京でも放映したそうです。その時の映像を見てみたいなあ~。いかんせん、TV東京だと信用性が落ちますが。でも、この本を出版してるのがエンデルレ書店なのは信用に足るかも。純然たるキリスト教系の出版社で怪しい変な本は出さない所だと思います。

内容としては、秋田にあるキリスト教系の小さな信仰共同体のシスターがある時、マリアを見て聖痕を受けて手に十字架の傷ができ、痛みと血を流すようになります。教会にあった像にも十字架の傷ができ、血を流します。その後もマリア様はシスターの前に頻繁に現れると共に、木彫りのマリア像の目から涙が流れるという現象が101回にわたって観察されます。

その間にも数々の奇跡が生じます。シスターが病弱で入院し、いよいよ危ないという時に病油の秘蹟を授けられると、突然、そんな知識などあるはずがないのにラテン語で主祈祷文、天使祝詞、使徒信教をはっきりと唱えたとか。ルルドの水を与えられると、病が快方に向かったとか。耳が不自由になった後、マリア様からそれが治ることを告知され、実際にその通りに治ったとか…。また、マリア像が安置されていた部屋が17日間、馥郁たる高貴な香りに包まれた後、3日間、悪臭とうじが生じたこと。他にも韓国からこの奇跡を聞いて訪れた人が急に全快したとか、たくさんあるそうです。

こう書いてしまうと、私もにわかには信じられませんし、本書の中で書かれているようにマリア様を観たシスターを中心にしたヒステリー症状説も首肯できそうだったりします。実際に人は思い込みだけで、一切の外傷を加えることなく、肉体に傷をつけることが可能らしいですし、幻覚や幻聴などは、特殊な環境に置かれることである程度任意にでも呼び起こすことが可能なのは既知の話ですしね(もっとも安易なのは、麻薬等の薬物の利用ですが)。

そういった話も含めて、これはこの本を読んだその人が判断するしかないですね。実際にこの現象についてはバチカンへ報告もなされていて、2回も調査団が組織されているそうです。2回目の時には、当時、教理聖省のトップにいらしたラッツィンガー氏(現法王)にもこの報告が届けられているそうです。

1回目の報告としては、奇跡の認定に否定的でマリア様を観たシスターが精神疾患且つ超能力者で、非科学的な現象を可能にしたとかいうそうですが、本当か?と疑いますね。それで2回目の調査団が生まれたわけで、精神鑑定上、一切の問題なしという診断書が巻末に添付されているのもそういった理由からのようです。

とにかく百聞は一見に如かず!ですが、見てみたいですね。今でも見れるのかな?後ほどネットで調べてみようっと。とりあえず、興味ある方は一読をお薦めします。既に英訳もあり、そちらが日本語よりも先に出版されていて本書は逆・出版になったそうです。

そうそう、このマリア様からの第3のお告げというものに「ファティマの予言」に近似したものがあります。内容故に、ファティマに便乗していてどうも胡散臭いと思われているそうですが、ここに引用しておきます。ファティマと比べてみて下さいね。
【本より引用】
前にも伝えたように、もし人々が悔い改めないならば、おん父は全人類の上に大いなる罰を下そうとしておられます。その時おん父は、大洪水よりも重い、いままでにない罰を下さるに違いありません。火が天から下り、その災いによって人類の多くの人々が死ぬでしょう。よい人も悪い人と共に、司祭も信者とともに死ぬでしょう。生き残った人々には死んだ人々を羨むほどの苦難があるでしょう。その時わたしたちに残る武器はロザリオと、おん子の残された印だけです。毎日ロザリオの祈りを唱えて下さい。ロザリオの祈りをもって、司教、司祭のために祈って下さい。

悪魔の働きが、教会の中にまで入り込み、カルジナルはカルジナルに、司教は司教に対立するでしょう。わたしを敬う司祭は、同僚から軽蔑され、攻撃されるでしょう。祭壇や教会が荒らされて、教会は妥協する者でいっぱいになり、悪魔の誘惑によって、多くの司祭、修道者がやめるでしょう。

特に悪魔は、おん父に捧げられた霊魂に働きかけております。たくさんの霊魂が失われることがわたしの悲しみです。これ以上罪が続くなら、もはや罪のゆるしはなくなるでしょう。

勇気をもって、あなたの長上に告げてください。あなたの長上は、祈りと償いの業に励まなければならないことを、一人ひとりに伝えて、熱心に祈ることを命じるでしょうから。
日本の奇跡 聖母マリア像の涙―秋田のメッセージ(amazonリンク)

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「ファティマ 第三の秘密」教皇庁教理省 カトリック中央協議会
「ファティマの奇蹟(奇跡)」最後の目撃者が死亡
「聖母マリア」 竹下節子著 講談社選書メチエ
「黒い聖母崇拝の博物誌」イアン ベッグ  三交社社
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2005年05月23日

「黒い聖母崇拝の博物誌」イアン ベッグ  三交社社

他の本でも時々出てくる黒い聖母。イシスを初めとする大地母神崇拝の流れをその背景に色濃く持つと言われていますが、もう少し詳しく知りたくて買った本。だけど・・・この本をいくら読んでも役に立つ知識は得られません。

だって・・・。
これ内容を評価する以前に完全に日本語としておかしい。各文書がそれぞれ別なことを述べていて、次にくる文章と繋がらない(ヒド過ぎる!)。私は以前、通信添削の小論文の添削をしていたが、その時の感覚で言うと完全に零点。文章として成立しないほど、日本語としておかしい??? 読むに値しないし、読んでも意味が通じません。

さらに内容ですが、扱ってる領域は非常に広いです。各地の大地母神や神話、聖書外典を初めとし、各地の教会に伝わる伝説・伝承、有名ところのオカルト本やら何やらまで網羅してあちこちから引用の限りを尽くしている。但し、解説がほとんどなく、断片的な剽窃もどきで読書に対して必要な説明がなくおそらく前提となるべき本(レンヌ=ル=シャトーの謎、等々)を30~40冊ぐらい読んでないと理解できません。馬鹿なことに、私はそのうちのおそらく20冊以上は読んでるので時々、著者が何を書きたいのかピンときてしまう箇所があり、筆者の気持ちも推測がつくのですが、極め付きに文章が下手です! 知っている人以外には、恐らく分からないような書き方してます。

だって、いきなりベルナールやオック語、プリウス団、ケプラ・ナガスト、プレスター・ジョンとか言われて分かります? 私はみんな他の本を読んで知っているから、ああ、あれね、で済みますが、自分でも読んでなかったら、絶対に理解できない自身があります。

翻訳者の方がタイトルに「博物誌」と入れてますが、これは断片的な知識もどきがバラバラで集まってますよ、という意味に過ぎず。きちんと整理されて情報としての価値を有するような学問的な博物誌とは全く違います。新聞や雑誌の切抜きを集めた方が、はるかに博物誌的かも?そのレベルのひどさ。

原著を見ていないので訳者を批判するのも公正か分かりませんが、失礼ながら翻訳者は関連文献を調べていないのが多そうです(10冊も読んでないんじゃないかな?)。きちんと根本的なものを理解していないうえで、ただ英語を日本語に置き換えているかのような印象さえ受けます。勿論、原文のせいかもしれませんが・・・。

一応、文章内に出てくる単語に解説がついているのですが、私的には必要のない単語に解説がある一方で、もっと解説しないと分からないだろうというものには全然解説が無い。これって原著の注がそうなのかな? 失礼ながら著者は全く読者のことを考えておらず、本にするべき原稿でないような・・・。せいぜい、走り書きもメモレベル。しかし、ひどい内容だった。

勿論、これだけいろんなものを積み込めば、少しは関心の湧くところもあるが、引用のしかたがメチャクチャなうえに、著者が勝手に思い込みをこういう理由でこうだと断言してしまっているし、引用と主張が混同されていて資料としての価値も無い。

値段の高いゴミかも? まあ、うちのブログの内容からだけで勝手につぎはぎしてもこの半分近く書けるかも?マグダラのマリアとかは黄金伝説をそのままパクッてるだけだし・・・。購入して失敗した、あ~あ。もっときちんとした本でお勉強することをお薦めします。この本は駄目です。
【目次】
序章 黒い聖母にまつわる謎
第1章 東方の女神たち―黒い聖母の原像
第2章 古代ギリシャ・ローマの伝統とイシス―黒い聖母の原像2
第3章 ケルトとチュートンの神々―黒い聖母の原像3
第4章 キリスト教と娼婦の知恵
第5章 黒い聖母の象徴的意味
黒い聖母崇拝の博物誌(amazonリンク)

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「聖母マリア」 竹下節子著 講談社選書メチエ 
「異端審問」 講談社現代新書
マグダラのマリア 黄金伝説より直訳
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「エチオピア王国誌」アルヴァレス 岩波書店
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2005年05月20日

「仏教伝来〈東洋篇〉」プレジデント社

こないだ書いたブログで、鳩摩羅什がすごく気になっていた見つけた本です。この本には、他にも天竺へ渡って仏典を中国に持ち込んだたくさんの僧侶の話があるんですが、三蔵法師とか法顕とか。そちらもなかなか興味深いものの(あとで「大唐西域記」読もう)、今回はいささか驚いた記述があったのでそちらを紹介。

実はサンスクリット語の仏典を漢訳した偉大な人物、鳩摩羅什ですが、先日、NHKのシルクロードでやっていた内容とは実情がずいぶん違うらしい? 勿論、進んで女犯をして破戒僧になった訳ではなさそうだが、(この本によると)陥れようとした計略はあったものの抱かないと女性を殺すとまで脅したのかどうかは不明らしい。そのあたりは、NHKが番組的に盛り上げようとして、小賢しくヤラセみたいに作ったのだろうか??? 真実は不明だが、いろいろな説のあるうちに視聴者に媚びた少数説を意図的に採用したのではないだろうか? 

他にも資料を調べてみないとなんとでもいえないが、素直に番組を信じて感動した者としては相当不快感を覚える。勿論、事実がはっきりしないうちにはなんとも言えないが、もしそうならば…受信料不払いを煽りたくなるなあ~。

NHKで何らかの作為があったのではと思われる事柄が、さらにこの本には書かれている。
鳩摩羅什は僧坊に住まず、役所に住んでいてそこには妓女10人が一緒にいたらしい。お手伝いさん的なものもあるかもしれないが、女性が10人同居でしょう。当然、内実はハーレムで女性を囲っていたようだ。そりゃ、仕事もはかどるなあ~じゃなくて…。これが事実なら、NHKはそんなこと一言も番組内で触れてなかった! 当然、重大なヤラセ番組ジャン!

かと言って、この本がわざわざそんな嘘の情報を捏造する必要もないし。そもそもオヤジのビジネスマン向きのプレジンデント社ですよ、誰も読まないって。だったら、怪しいのはNHKなんだけどなあ~。誰か、その辺の詳しい事実をご存知だといいのですが…。もし、どなたかご存知でしたら、文献とか教えて下さい。お願いします。

私もこれから意識して探してみよっと。でも、なんか嫌なカンジだなあ~。
【目次】
求法の道―東洋篇
釈迦 瞑想の末「涅槃」に達す
十大弟子とその生涯
竜樹と大乗思想の完成
鳩摩羅什 経論を翻訳す
法顕 十四年余のインド求法の大旅行
玄奘三蔵と大唐西域記
達磨はなぜ東へ行ったか
仏教伝来・東洋篇「関連年譜」
仏教伝来〈東洋篇〉(amazonリンク)

関連ブログ
NHKスペシャル 新シルクロード 天山南路
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「ファティマ・第三の秘密」五島勉 祥伝社

これはもう名実共にトンデモ本です。言わなくても皆さんご存知でしょうけど。しかし、ファティマの予言の話にまでノストラダムスを出すとは…、恐るべし五島勉。まるで○○の一つ覚え、と言ったら言い過ぎであろうか? でも、ちょっとねぇ~。これもさきほどの本と同様にネタが無いのか、結構、強引に無理矢理関連付けているのが多いように感じるのですが。

何よりもファティマの奇跡にまつわる事柄を事実ではなく、著者による勝手な推測で文章を書いていてかなり悪質。ほとんど(劣悪な)小説のレベルまでいってます。で、当然、この当時は分からなかった第三の予言の内容を、これまた勝手な思惑でああだこうだと述べています。

よせばいいのに、ユング心理学まで持ち出してまさに牽強付会。で、最後にはいつものパターン、地球外高等生物が人類が自滅するのを哀れに思い、それを防ぐ為に受け入れられ易い聖母の形でメッセージを伝えたとか言い出す始末(ハイ、ハイ、そこ拍手!)。

しかし、ヒドイ話もあったもんだ…。まさかまだ売っていないと思うけど…。あっ、売ってる?売れ残ったんだね、きっと(笑)。まあ、いいけど。

そうそうバチカンが配布したファティマの予言のダイジェストを入手したと大見得切って、もっともらしく解説してるけど、一介のエセ・ジャーナリストが入手できるとはそもそも信じられません。どこぞの情報部ならまだしも…。勿論、現在正式に公表されているのとも違っていて、いつもの空想出鱈目小説ってとこです。

こういうのが本になるのだから、現代は素晴らしい平和な時代です。うん、良かった&良かった。しかし、恐ろしいほど情報としての価値が無いなあ~(絶句)。まあ、それを飛ばし読みしてる私も私だけど…。まあ、息抜きも必要だしね(言い訳)。

ファティマ・第三の秘密―人類存亡の鍵を握る 法王庁が封じ続けた今世紀最大の予言(amazonリンク)

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「ファチマ大予言―"第三の秘密"全貌を解明」鬼塚 五十一 サンデー社
「ファティマ 第三の秘密」教皇庁教理省 カトリック中央協議会
「ファティマの奇蹟(奇跡)」最後の目撃者が死亡
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2005年05月19日

「ファチマ大予言―"第三の秘密"全貌を解明」鬼塚 五十一 サンデー社

ファティマの予言についての本ですね。どれほどトンデモ本かなあ~と思って、読んでみたんですが。書かれていたのは…。

思っていたよりもドンデモ本ではなかったです。普通の雑誌や新聞の記事の寄せ集めに、どっかで聞いたようなコメントを載せています。資料的な価値も無いです。勿論、出典も無しにあちこちの切り抜きを寄せ集めたレベル。まあ、誰も資料としての価値なんて期待してないか(笑)。

だってね、ファティマ関係の資料で普通に出回っているのは限られてしまうし、ネタがないからなんとか頁数を膨らませようと思って、奇跡の泉で有名なルルドを入れたり、聖痕(スティグマータ)を入れたり、大忙し。それでもネタが足りないとついに出ました!秋田の湯沢谷の聖母。1979年に12チャンネルで放送中にも奇跡を起こし、血の涙を流したそうです。雑誌や本でも有名ですが、これまでこの本で触れる必要があるんでしょうか??? まあ、別途この関係の資料は目を通してみるつもりですが。

最後はお決まりの、マリアの警告に耳を貸さないと世界は…。第三次世界大戦の恐れが…。安易、且つ陳腐。まあ、元CFディレクター・コピーライターという著者だから、目を惹くコピーを書くので精一杯というところでしょうか。読むのは無駄ですね。書く必要は無いかも?まだムーとかの方が面白いし…、あちらの方がぶっ飛んでいて面白いですが。

ファチマ大予言―"第三の秘密"全貌を解明(amazonリンク)
日本の奇跡 聖母マリア像の涙―秋田のメッセージ(amazonリンク)

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「ファティマ 第三の秘密」教皇庁教理省 カトリック中央協議会
「ファティマの奇蹟(奇跡)」最後の目撃者が死亡
スティグマータ 聖痕 <特別編>(1999年)
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2005年05月18日

「信仰と未来」ラッツィンガー著 あかし書房

説明不要でしょう、いわずと知れた法王ラッツィンガー氏が1970年前後に書かれた本の翻訳です。単なる好奇心から購入したのですが・・・。想像通り、難しいというか私には無関係というか、失敗したような・・・。

当時の時代背景もあると思うんです。カトリックが近代以降の理性万能主義というか科学万能主義的な状況下、いかに社会の求める価値観と宗教が整合性をとっていくのか、非常に切実な問題だったはずですし。これにも少々触れられていますが共産主義がまだ精気をみなぎらせて虎視眈々と世界を狙っていたわけですし。

社会が考える科学的推測に基づく可能性を求めていく「未来」とは異なる、不確定性を所与とした中で別次元の価値観である「信じる」ことによって確固たる存在として現れてくる「未来」。う~ん、私の理解力の問題と表現力の問題でうまく言えませんが、そういったものを神学者としての立場から述べた本と言えるのではないでしょうか。

現実社会と宗教とがどうやって折り合いをつけていくのか、混沌とした時代の中で模索していく方向性を打ち出そうとしているようにも思いました。いかんせん、私には宗教は頭で考えるよりも気持ちで自然と湧き上がってくるものだと思いますので、ずいぶんと困難な道を進まれてるなあ~と思いました。その後も教理聖省を経て法王になられた方ですので、改めていろいろと信仰と現実社会の狭間で日々生きてこられたのかなあ~とも思いました。

ただ、私のような人には興味深いとはいいがたい本でした。ある程度の信仰を持ったうえで、日々の生き方に悩みがある人にはいいのかもしれません。読み手を選ぶ本です。想像通り、特殊な部類でした。ただ、読めば一応、分かるだけいいかも? 今度、「典礼について」を読む予定ですが、いささか憂鬱気味。途中で断念しそう・・・。まあ、そういう時もあるでしょう。

関連ブログ
「典礼の精神」ヨセフ・ラッツィンガー サンパウロ
新教皇ベネディクト16世(ヨゼフ・ラッツィンガー枢機卿)略歴
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2005年05月07日

「マグダラのマリア―マリア・ワルトルタの著作による」あかし書房

magdara.jpgまず、これはちょっと特殊な位置付けの本であることに触れておきたい。翻訳された神父自身も述べられているが、(原文の)著者の述べているのをそのままに受け取るのは抵抗というか反感さえ抱くかもしれない。実際に私も胡散臭く感じている。何故なら、著者はこれをイエズス(イエス)自身から伝えられたものを書き取ったものであると言っていて、普通の常識人にはにわかに信じられない。また、いきなりある私人がそう主張しても危ない人で係わり合いになってはいけない人だと思うでしょう。それが正常だと思う。

いうならば、イエスからのヴィジョンをみたという主張なのだが、これについて翻訳者の神父が適切だと思われることを書かれている。私が理解しえた範囲でいうと、ファティマの啓示についての(ラッツィンガー現法王による)神学的解釈で説明されたいたように、啓示(ヴィジョン)には公的なものと私的なものがあり、カソリックの説く範囲を逸脱しない限りで私的な啓示も否定されるようなものではないそうです。

とすると、この本は史実というのは当然問題があるが、啓示自体が個人的なもので可能性としてありうるとすると、創作という評価もふさわしくないのかもしれません。前置きが長くて恐縮ですが、こういう位置付けの本だ、ということが分からないと誤解してしまいますので。

では、感想を。
著者マリア・ワルトルタは困難な家庭状況を経た後、長らく病床にありながら、ほとんど聖書以外の資料も無い中で書かれた1万5千枚にも及ぶ著作を書いた。この本はその著作からマグダラのマリアに関するものだけを集めたものとなっている。何よりも特筆すべき事柄として資料もなく、特別な教育を受けてもいない彼女がヴィジョンを見てそのまま記述したという内容が、歴史学的にも聖書学的にみても、きわめて正確で誤りがみられないそうです。う~ん、どうなんですかね? 何も知らない私はそうなんですか、としか言えませんが。ただ、読んだ感想としてはすごく良かった!と思います。 信者じゃないので号泣するほどではありませんが、じわじわ~っと感動してきたのも事実です。普遍的な人間性を説いたものとして、優れていると感じました。お釈迦様が述べられた話を本で読んだ時にも感じた種類の感動です。飢えた虎に我が身を提供する話にも通ずるかな?(いささか違うけど)

著者としては、不服に思われるかもしれませんが良質の文学作品のような味わいがあります。私はこれを読んで本当に良かったです。それがキリスト教的な解釈に沿うのかどうかは不明ですが、マグダラのマリアという存在、悔い改めた者という意味が初めて自分の中で理解できたような気がします。それとユダの描き方が素晴らしい。ユダを取り上げた文学作品はたくさんありますが、期せずしてこの本の中に描かれたユダも印象に残る存在です。キリスト教的なものに興味がある人、どうしょうもなく鬱々としている人、癒されたい人なんかだったら、これ良い本だと思いますよ~。

でもね、普通の小説のような気持ちで読むなら、それほど感銘を受けないし、失礼ないい方ですが「面白い」とか思わないでしょう…。私はこの本を読んで、なによりもキリスト教でよく聞く「悔悛」とか「懺悔」のキリスト教における意味あいが実感として少し分かったような気がします。日本語で言う後悔とか反省とは、似て非なるものというのが感覚として分かったような感じです。すご~く勉強になったかも??? それだけでもこの本読む甲斐がありましたね。

基本的には聖書に書かれた内容を踏まえ、それを何十倍にも肉付けし、詳細にあたかもドラマで再現されているかのように感じることができる本です。これ、そのままですぐでにも映画化できそうですよ。絵コンテが既にあるように感じなんです。翻訳者もその辺のこと、書かれてますが。

でも、量はあったかも。数日間かかりましたから読了するまで。全員にお薦めする本ではないですが、一部の人には目を開かせてくれるかもしれないですね。うん。

マグダラのマリア―マリア・ワルトルタの著作による(amazonリンク)

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マグダラのマリア 黄金伝説より直訳
「図説 ロマネスクの教会堂」河出書房新社
「マグダラのマリア」 岡田温司 中公新書
「マグダラとヨハネのミステリー」三交社 感想1
「イエスのミステリー」バーバラ・シィーリング著 感想1
美の巨人たち ラ・トゥール『常夜灯のあるマグダラのマリア』
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「聖書のヒロインたち」生田哲 講談社現代新書

hiroin.jpgマグダラのマリアの資料を集めたくて読んだ本です。内容はとにかく読み易い! あと、非常に分かり易い! それはすっごくいいと思うんです。全然、聖書関係のことを知らないでちょっと興味を持って読むには、いい入門書かも?

ただ、ある程度聖書のことを知っている人なら、読まなくていいと思います。恐らく、新しい知識は一切得られません。読んで失敗した、とか感じることはないですが、役に立つことも私の場合はありませんでした。勿論、感動もないですね。

それと、分かり易いのはいいのですが、ちょっと気になったこと。分かり易いたとえとして、現代風の事例を入れるのはすごく不自然に感じて違和感を覚えた。だって「ホステス務めの女性がお泊りサービスもしていた外国企業の駐在員と恋に落ちた~」とかいう例を出せれても??? 分かり易さを優先し過ぎて、いささか俗っぽ過ぎるのはいただけないなあ~。他にもこの手のたとえがたまに出てきて、非常にさめる。

まあ、聖書の出てくる人物を女性という観点で抽出し、どういうエピソードがあるのかを紹介・説明してくれる本です。私は読まなくても良かった一冊です。以下の目次で興味のある人がいて、ほんのちょっとだけ知りたいなら、役立つかも?

<旧約編>
 1 エバ人類史上最高の美女
 2 サラふたつの民族の母
 3 リベカ家族を崩壊させた偏愛
 4 タマル罪をも辞さず守った家系
 5 ラハブ運命を切り開いた売春婦
 6 ルツ義母にささげた愛と忠誠
 7 ミカル父と夫に利用されて
 8 イゼベル犬に喰われた悪女
<新約編>
 1 マリヤ世界史上もっとも愛された女
 2 ヘロデヤ洗礼者ヨハネを斬首させた妖婦
 3 マグダラのマリヤイエス復活の最初の証人
 4 サマリヤの女罪人を救った「命の水」
 5 ルデヤヨーロッパで最初のキリスト教信者

聖書のヒロインたち(amazonリンク)
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2005年04月07日

「マグダラとヨハネのミステリー」三交社 感想1

magdra.jpgとにかく、本の厚さに比して盛り込まれた情報量は莫大です。とにかくこれでもかっていうくらいの情報が積み込まれています。おまけに整理されていないのと各種文献等からの手当たり次第の引用が相俟って、分かりづらい。意味が分からないのではなくて、個々の説明で著者が言いたい事自体は分かるのですが(それが合理的か否か、真実であるか否かは別に)、本を通じて何を言いたいのかがいまひとつ明確に伝わってこないのが残念! 

但し、そういう点を除けばとっても興味深いと思います。端的に言うと、ある程度知識があり、好奇心が強い人にはかなり面白いかも?ダ・ヴィンチ・コードのような分かり易さや小説としてのノリは期待できませんが、私は創作として楽しめました。著者達が自称研究家というのは、あくまでも自称なのにご注意! それぞれ基本的にオカルトマニアであって、学者でも研究者でもないので彼らの説自体はなかなか愉快に読めますが、リアリティーという点ではほとんどありません。

それでいて彼らは思いっきり根拠を挙げています。○○の本にはこう書かれている、××の学者の論文には、こう述べたところがある等々。これでもか、これでもかという量で。どこからそんなに探し出してくるんだろう?と本当に驚愕するほどの量の根拠です。自分がしっかりしていないと、「そんなに根拠があるんだ。じゃあ、その仮説は事実なのかも?」って読んでいくうちに思いますよ、きっと!! 私自身もかなりそういう感じになりつつありましたから。

ただ、私の場合はそこで引用される元の文献をある程度、事前に読んでいて内容が分かっているので、そもそもいい加減な妄想で書かれた本(イエスのミステリー)とか、仮説はともかく真実性の怪しい本(レンヌ=ル=シャトーの謎)とかからの引用や仮説を前提にして、あたかもそれが通説や事実のようにして自分の仮説の根拠とする姿勢には、相当疑惑の目で見ざるを得ません。他のブログでも感想をちょっと書きましたが、自己正当化に邁進する狂信者的な側面が見られます。

でもでも、それなのに・・・。
なんか、筋が通っていそうで「もしかしたら?」と思わせてくれるのは、最高の娯楽かも?(分かって読むならば) ダ・ヴィンチ・コードは意図的に真実と虚実を混ぜているように思いますが、この本は著者達が信じているカンジがします。逆にいうとその怪しい情熱が書かせた迷著の一つ。物書きを生業にする人なら、ネタ本としても使えそうな、一冊です。面白いよ~。

では、いよいよ具体的な内容を少々。マグダラのマリアについては丸々一章を割いて説明しています。イエスの復活を最初に目撃し、伝えた弟子であり、彼らが見出した限りでは、グノーシス派福音書(ナグ・ハマディ文書)でイエスが自分の次のリーダーに選んだのはマグダラのマリアとされている、と述べてます。ペテロじゃないんだって!へえ~としかいいようがないですね。派閥争いで負けたんでしょうか?で、次にはあの「黄金伝説」から説明している。

ちょっと興味深いのは「黒い聖母」かな?この辺りは、割合正統派っぽいですね。異教のイシス崇拝と聖母マリア崇拝が混交する一方で、性の豊穣を象徴するイシスの代わりが処女性のマリアでは、共感が得られないのでマグダラのマリアと混交していったというのは。それなりに論理的だし、いくつかのまともな本でもそういう仮説は出ていたなあ~。

あとは・・・。そうだねぇ~、この本にはありとあらゆるオカルト的な要素詰まってるからなあ~。あちこちのオカルト本の(パクリ)ベスト版みたいなもんで、シオン修道会やらテンプル騎士団、錬金術、ソロモン神殿、バフォメット等々きりがない。

テンプル騎士団が潰された陰謀の理由が少し面白いかな?内部で秘儀伝授位階制度が行われ、まさにシオン修道会のような中核組織が裏にあり、そこでヨハネ崇拝やマグダラのマリア崇拝が行われていたらしいから・・・というそうです。その根拠の一部にハンコックの「神の刻印」を使う時点で終わってますけどね、根拠(笑)。さらに話が進んで、これらは全てグノーシス主義に基づくヨハネにたどり着くらしい。

そこで聖書に隠された最大の秘密が暴かれる!イエスはヨハネの弟子で後継者候補だったが、内部紛争で分裂して独立した。本来のこの上下関係を隠し、ヨハネを単なる洗礼者として歴史上から抹殺してきたのがポイントらしい。当初あったヨハネ教会を侵食し、圧迫し、蹂躙して横取りしていったのがイエスとその後継者たるローマ教会だそうです。

おまけにイエスはヨハネの弟子である間に、魔術師(ヒーラー)としてのノウハウや性的秘儀も学んでいたそうで、ラザロの甦り(=死者の復活)とかもヨハネ先生のおかげなんだって。そして性的秘儀の司祭(伝授者)こそ、マグダラのマリアという位置付けなんだって。おお~納得しました、皆さん?素晴らしいですね(拍手)。本の中では、そこをうま~くもっともらしく説明してくれています。読んでみたい?(笑)

だから一見しただけでは分からないが、イエスも実はグノーシス派の流れを汲む異教の要素が中核だったそうです(ユダヤ人でさえない、とか言ってるし、彼らの話では。魔術を行うのでエジプト人では?と言っています)。 ただ、それは位階とかで下位者には見えないようにしていたから、分からなかったのだし、ヨハネとの差別化を図るための宣伝ではないか?との事です。いやあ~これが立証できればノーベル章も取れるでしょうね!絶対にないけど。

とっても楽しいfairy taleって、とこですね。実際、面白いもん。思考しないで、与えられた情報だけをうのみにすると・・・。まだまだあるけど、ずいぶんと長くなったので、続きは別のブログで。

マグダラとヨハネのミステリ(amazonリンク)

関連ブログ
イエスを偽預言者、嘘つきとみなす「マンダ教徒」
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「神の刻印」グラハム・ハンコック著 凱風社
黄金伝説 Golden Legend コロンビア百科事典による
「聖母マリア」 竹下節子著 講談社選書メチエ
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2005年03月22日

「黄金伝説抄」ヤコブス・ア・ウォラギネ 新泉社

目次
Sanct Georg 聖ゲオルギウス
Sanct Marina 聖マリーナ
Sanct Christophorus 聖クリストフォルス
Sanct Veronica 聖ヴェロニカ
Sanct Nicolaus 聖ニコラウス
Sanct Sebastian 聖セバスチャン
Sanct Johnanes der Evangelist 聖ヨハネ〔ほか〕
改めて思うのは、日本語は読み易いなあ~、とっても。辞書も引かずに、目で追うだけで飛ばし読みもできるし、あっというまに読めてしまうんですから。但し、翻訳者の力量がそのまま出てしまうので、そのへんが逆にいうと辛い。同じ内容でも訳者のセンス次第で全く異なった作品になってしまうことさえ、ままあるので。

で、この本はというと微妙なところです。元々が信者に聞かせて、キリスト教の有り難さをより実感させるという明確な目的をもった書物であり、素朴な農民などを対象にして平易且つ簡潔に書かれていたのでしょう。元来がラテン語でそれが大衆から支持され、各国の言葉に翻訳され、本書はドイツ語版の翻訳とのことです(別に英語版でもいいと思うのですが・・・理由は特に述べられていません)。それらを踏まえると訳も悪くはないのですが、英語で読んだ時の方が面白かったです。聖チェチリアのところとか。他の所は、比較する以前に英語で読みきれてないのでコメントできませんが、正直うまい訳とは言えないでしょう。

ですが、現在日本語で読める範囲の聖人伝としては、これがベストですね。だって他のが手に入らないのですから。興味ある方は読んでもいいかも?もし、英語ができるなら、迷わずに英語で読みましょう!!絶対にお薦めします。ペーパーバックなら、2巻で4000円で買えますから。

内容としては、聖ゲオルギウスが面白かったですね。イギリスではセント・ジョージでしたっけ?竜(ドラゴン)を退治する聖人です。聖人なのに、異教の偶像崇拝をする者どもを懲らしめる為に、計略を使って嘘をいうのはどうかと思うんですが?まあ、布教の為には嘘も方便なのかな?なかなか魅力溢れる聖人です。ガーゴイルの由来となる竜退治の伝説を思い出してしまいました。

それに聖フランシスコ。あのアッシジの聖人です。清貧のあるべき姿が描かれています。まさに謙虚と敬虔さの模範ですね。聖痕(スティグマータ)についても書かれています。改めてエピソードの多い聖人であったことが分かります。

そして他の聖人もそうですが、聖ヨハネ。キリストのように死者を生き返らせたりしていたんですね、まるでラザロの場合の如く。他の聖人伝にも似たような記述がしばしば見られますが、まさに奇跡が他の聖人によってもなされていたとは。死者の甦りは、キリストだけが可能だと勝手に思い込んでいたんで、ちょっと驚きました。へえ~ってな感じ。

もっともこの聖人伝は、その当時の素朴な信仰やら伝説やらを布教の目的に照らして収集・整理したものらしいので、内容の真偽等はあまり問題でなかったようです。日本の古事記みたいな感じですかね?あれも、伝説等もそのまま入れて作ったものですし。内容的に一番近いにはやはり今昔物語や日本霊異記等の説話集ですね。目的がまさに一緒だし、時代的に近い中世でしょ。あと、往生要集あたりか。

あっ、この本の中で意外に興味深かったのは、実は本文ではなく、あとがき。私が小・中学時代に大いにはまっていた芥川龍之介氏が書かれていた作品のいくつか(「きりしとほろ上人伝」等)がこの黄金伝説をベースにしていたことを、初めて知りました。う~ん、無知な私。加えて芥川氏が座右の銘としていた本の一つであったとは・・・。かなりの衝撃だったりします。そういったことが分かっただけでも、私にはこの本の価値がありました。本文は、まあ二の次でしたが。

なんか、いよいよ英語の黄金伝説TRYしなきゃかな?聖チェチリアの訳は、既にあるのでなんかする気が失せてしまいましたが、肝心なマグダラのマリア無かったし…。でも、量が多いし…。非常に悩んでいる私でした。まあ、他の本をとりあえず読んでからですね!(と言い訳しつつ逃げる)

黄金伝説抄(amazonリンク)
The Golden Legend ペーバーバック(amazonリンク) Vol.1 Vol.2
The Golden Legend ハードカバー(amazonリンク) Vol.1 Vol.2


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2005年03月20日

「ファティマ 第三の秘密」教皇庁教理省 カトリック中央協議会

fatimabook.jpg内容の構成としては、ファティマの秘密の第一部、第二部の翻訳分が書かれた後、第三部の翻訳文がそのまま載っています。章を別にして、以上の「秘密」の内容についての解釈が述べられており、各種書簡や実際に予言を受けたシスター・ルチアとの対話やこの秘密に描かれた内容の神学的解釈が載っています。
<目次>
  あいさつ
  はじめに
  ファティマの「秘密」
  「秘密」の第一部および第二部
  「秘密」の第三部
  「秘密」の解釈
  シスター・ルチアにあてた教皇ヨハネ・パウロ二世の手紙
   シスター・マリア・ルチアとの対話
   国務省長官アンジェロ・ソダーノ枢機卿の声明
  注
  オリジナル集

以下、秘密の第一部及び第二部を本の内容から抜粋しますと
~第一は地獄のビジョンでした。
マリアは私達に広大な火の海をお見せになりました。それはまさに、地の下にあるもののようでした。この火の中に、サタンと人間の形をした魂とが閉じ込められていました。この魂は、透き通るように燃え上がる燃えさしのようで、すべては黒く、あるいは光り輝く青銅色をしていて、大きな炎の中に漂っていました。彼らは自分の中から放つ炎によって、巨大な煙の雲と共に空中に吹き上げられ、ぞっとするような、しかも恐怖に震え上がるような苦痛と失望の悲鳴とうめき声を上げながら、重さもバランスも失って、火花のように大火の中を四方八方に飛び散っていました。サタンは、見たこともない奇怪な動物の形をしていたのですぐにそれと分かりましたが、戦慄を覚えさせるような気味の悪い形相をしており、透明で黒い色をしていました。

~中略~

マリアに目を上げると、優しいけれども悲しそうに、こうおっしゃいました。
「あなたは、あわれな罪びとの魂が落ちていく地獄を見ました。罪びとを救うために、神は私の汚れのない心に対する信心を世に定着させるよう望んでおられます。もし、わたしがあなたたちに言う事を人々が実行するなら、多くの魂は救われ、平和を得るでしょう。戦争がもうすぐ終わろうとしています。しかし、もし人々が神の背くのをやめないなら、ピオ十一世が教皇である間に、もう一つの、もっとひどい戦争がはじまるでしょう。ある夜、まだ見たことのない光がやみを照らすのを見たなら、それは、戦争や飢餓、教会と教皇に対する迫害による世の罪のために今まさに神が、世を滅ぼそうとしておられる大いなるしるしであると悟りなさい。それを防ぐために、私の汚れない心にロシアを奉献することと、償いのために毎月初めの土曜日に聖体拝領をするよう、わたしはお願いに参ります。もし、私の要請を受け入れるなら、ロシアは回心し、平和が訪れるでしょう。さもなければ、ロシアは、戦争と教会への迫害を推し進めながら、自分の誤りを世界中にまき散らすでしょう。善良な人々は殉教し、教皇は非常に苦しみ、多くの国々は滅ぼされるでしょう。けれでも、最後には、私の汚れない心が勝利するでしょう。教皇は、ロシアを私に奉献し、ロシアは回心し、世界に平和の時が与えられるでしょう。」
そして、核心的な第三部についての抜粋
~すでに述べたあの二つの啓示のあと、わたしたちは、マリアの左側の少し高い所に、火の剣を左手に持った一人の天使を見ました。しかしその炎は、マリアが天使に向かって差し伸べておられた右手から発する輝かしい光に触れると消えるのでした。天使は、右手で地を指しながら大声で叫びました。「悔い改め、悔い改め、悔い改め」。それからわたしたちには、計り知れない光―それは神です―の中に、「何か鏡の前を人が通り過ぎるときにその鏡に映って見えるような感じで」白い衣をまとった一人の司教が見えました。「それは教皇だという感じでした」。そのほかに幾人もの司教と司祭、修道士と修道女が、険しい山を登っていました。その頂上には、樹皮のついたコルクの木のような粗末な丸太の大十字架が立っていました。教皇は、そこに到着なさる前に、半ば廃墟と化した大きな町を、苦痛と悲しみにあえぎながら震える足取りでお通りになり、通りすがりに出会う使者の魂の為に祈っておられました。それから教皇は山の頂上に到着し、大十字架のもとにひざまづいてひれ伏されたとき、一団の兵士達によって殺されました。彼らは教皇に向かって何発もの銃弾を発射し、矢を放ちました。同様に、他の司教、司祭、修道士、修道女、さらにさまざまな地の天使がいて、おのおの手にした水晶の水入れに殉教者たちの血を集め、神に向かって歩んでくる霊魂にそれを注ぐのでした。
    トゥイにて  1994年1月3日

法王暗殺未遂事件の際、「…銃弾の軌道を導く母の手があったので、瀕死の教皇は死の際にとどまった」ということがきっかけで、ファティマの秘密の封筒が検邪聖省古文書庫より取り出されて読まれ、現教皇による聖母マリア信仰への傾斜が進んでいくのは、非常に有名であり、この本の中でもきちんとその経緯が触れられている。

マリア信仰がこの現代になって盛んになっているのは、まさにこうした事情があるからなんですね。あちこちの本や新聞の記事で読んで知ってはいましたが、ようやく納得がいきました。まさに、啓示として示されていた訳ですし…。

そうそう、忘れてはならないのがこの本で書かれている神学的解釈。そういう方面に全く不慣れなもので、知らなかったのですが、啓示には『公的な啓示』と『個人的な啓示』があるそうです。また、第一の秘密にでてくるヴィジョンも、これは単なる将来の予測とか、予言ではなく、時間や信仰によって成長していくものであり、固定化したものではないそうです。神が人間と出会うために来るという、いのちを授けるプロセスといったものだそうです。(一生懸命、本を読んで理解しようとしていますが、誤解していたらすみません、正しく訂正していただけると助かります。)

シスター・ルチア そこらに出回っているインチキな本と違い、まさに正統派の本ですので、少しでもヴァチカンやローマ・カトリック教会とかに関心のある方にはお薦めです。薄い本ですぐ読めますしね。但し、すぐ読めるのと理解できるかは別問題。正直私もどこまで理解しているのかは怪しいです。でも、これらを知らないで他のキリスト教関係の本読むよりは、いいと思います。当たり前なのでしょうが、現代でもローマ教会は、神の啓示とともに生きていることが実感として理解できます。エクソシスト養成講座が必要なのも納得がいったりします。あと巻末に、実際にマリアから啓示を受けたシスター・ルチアの自筆のコピーが入っているのも興味深いです。
ファティマ第三の秘密(amazonリンク)

関連ブログ
「ファティマの奇蹟(奇跡)」最後の目撃者が死亡
エクソシスト養成講座 記事各種
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2005年03月12日

「死海文書の謎」マイケル・ペイジェント、リチャード・リー著 柏書房 感想2

「死海文書の謎」マイケル・ペイジェント、リチャード・リー著 柏書房 感想1
さてさて、前回書いた感想からようやく本書の第3部に入り、死海文書の内容そのものの話。ここまでくるのが長かった。読んでいて、興味をもった点を挙げてみると・・・・。

平和主義者且つ禁欲主義者であるとされたエッセネ派がこのクムラン共同体の住人であると一般的に言われているが、武器を作る加熱炉としか言えないような遺跡が見つかっていることとは相容れない。

「銅の巻物」で述べられた財宝は、侵入してくるローマ軍より守る為に神殿から運び出されてきた。また、その宝の一部と考えられるバルザム油が見つかったこと。
「銅の巻物」が発見された洞窟のちょうど北にある洞窟で水差しが見つかり、それはヘロド王とその後の彼の後継者の時代に由来する品であった。棕櫚の繊維の保護カバーで守られ、中には濃い赤い油が入っていた。科学的分析では、今日知られているいかなる油とも違うもので、一般にバルザム油と信じられている。バルザム油は伝統的にイスラエルの王に注がれるための貴重なものであるが、バルザムの木はほぼ1500年前に絶滅しており、確認されていない。これは、クムラン共同体が砂漠に孤立した存在ではなかったことを示している。

「共同体規則」はメシアを紹介しているが、それは油による聖別を表すだけで、イスラエルの伝統において、王や祭司(高位に就く事を主張する者すべて)も油を注がれたのであり、それゆえ彼らはメシアであったのである。

ヤコブとパウロ。ヤコブはイエスを個人的に知っており、イエスが本来的に主張していた思想に則り、神との契約である律法を遵守する姿勢に対し、パウロは律法を軽んじ、イエス自体を神としてしまう、イエス本来の思想の変質を通じて独自の宗教思想を生み出す姿勢をとる。このような、状況下でパウロの思想が現・教会へとつながっているとする。

さらには、パウロの不可思議な行動やそれに対するローマ軍の対応等を述べながら、パウロは歴史に見られるような「秘密諜報員」で、ローマのスパイとか言っちゃってます。う~ん、この人も結構、好き勝手なこと言うなあ・・・。かなりヤバイこと言ってるように思うんだけど。実際、どこまでがまともな議論の対象になるのでしょうか???ただ、この手の話は、それ以前から19世紀あたりにもいろいろな本で出ているらしいし(眉唾ものにしろ・・・)、イエスが生き延びたというのは、ダ・ヴィンチ・コードが最初でもなんでもなく、実は結構ポピュラーなお話らしいです。他の文献にも言及していましたよ。それらも、おいおい読んでみようかな?ちょっと、この本は読み辛かったですね。個人的には、あまり知りたいこと書かれてなかったし、労力をかけて割りに得るものが少なかったです。まあ、基本資料ってことで、一応は目を通したってカンジでしょうか?

もっと面白いの読もうっと。今、図書館で借りてきた「アッシジの聖堂壁画よ、よみがえれ」の方がずっと&ずっと面白いです。タイトルはイマイチですけどね。清貧を説き、あの聖痕(stigmata)を最初に受けたとされる聖人フランチェスコを祀った聖堂のあるイタリア都市の壁画をこれでもか~ってぐらい大判の図入りで解説されているので、見易いし、なかなかGOOD! こういうの好きなんだよね~。ゆっくり、毎晩寝る前に眺めようっと。

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「死海文書の謎」マイケル・ペイジェント、リチャード・リー著 柏書房 感想1

<目次>
第1部 欺瞞
 第1章 巻物の発見
 第2章 国際チーム
 第3章 巻物にまつわるスキャンダル
 第4章 〈合意〉に抗して
 第5章 学問世界の政治と官僚主義的惰性
第2部 ヴァチカンの代表者たち
 第6章 科学の猛攻撃
 第7章 現代の異端審問
第3部 死海文書
 第8章 キリスト教正統主義にとってのディレンマ
 第9章 『死海文書』
 第10章 信仰に仕える学問
 第11章 エッセネ派
 第12章 『使徒言行録』
 第13章 「義人」ヤコブ
 第14章 律法への熱情
 第15章 ゼロテ党員の自決
 第16章 パウロ―ローマのスパイあるいは密告者?

う~ん、こういうの読めば読むほど、謎が増えてまたまた他の本を読む羽目に・・・。でも書いている人は先日読んだ「レンヌ=ル=シャトーの謎」と同一著者だったりする。読む方だけでなく、書く方も一緒だ(笑)。

さて、この本はかなりというか徹底してジャーナリスティックな視点で描かれていますね。イエローペーパーやタブロイド版のような雑誌に掲載されている記事みたい。なんか非常に政治的な駆け引きが中心に描かれていて、”人が3人いれば派閥ができる”の言葉ではないけど、改めて学問の世界も大変だなあ~と思います。教授が指導している学生の研究成果を自分の名前で勝手に発表して成果を横取りするのってよくあることだし、先生の名前のおかげで学会におけるポジションも決まり、就職先が決まるのは世の常です。でもね、ここで描かれる政治的な駆け引きは、そんなレベルでは無かったりします。

世界で名実共に最大数の信者を有する世界宗教キリスト教の根幹に係わる事柄で、場合によってはその存在基盤に多大なる影響を及ぼす可能性がある問題を巡る政治的な駆け引きとなると、一筋縄ではいかないのでしょう。既にその舞台となる背景からして尋常ならざる予感がします。また、ここで描かれる事柄も100%信じられるかどうかと聞かれれば、疑いの目を持って見るべきではありますが、当時のセンセーショナルさは世界各国のメディアで喧伝されており、今なおその問題は完全に解決したとはいえない状態ですから、やはり知っておくべき事でしょう。なにぶん、量もあることなのであくまでも私が読んで捉えた問題点を列挙すると・・・。

クムランで発見された死海文書と呼ばれる文書の翻訳に関して、デゥ・ヴォー神父率いるある特定の集団「国際チーム」があたっているが、発見後数十年の期間が経っているのにもかかわらず、ごく一部の翻訳成果しか公表されず、意図的に情報操作が行われている可能性がある、ということ。
「国際チーム」の担当者は、調べてるとカソリック教会の息がかかった者達が大半を占めており、彼ら以外の学会でも定評のあるいかなる人物がその資料を閲覧しようとしても一切公開せず、情報を独占管理化においている。

等々を中心に、多数の問題を生じさせているそうです。
また、この死海文書が明らかにする内容には、初期キリスト教会の実態と非常に酷似する点が多く、歴史的な加筆・修正等の存在が否めない現在の聖書では分からないキリスト教の原点の姿を知る可能性が指摘されている。他方、それはイエスがもたらした種々の思想がユニークさを失い、当時一般的に信じられていた宗派・セクトの一形態に過ぎないかもしれないという、現在のカソリック教会には受け入れがたい問題を勃発する危険性があり、それを避けるためには、それ相応の手段をとる可能性も指摘されています。

この本では、死海文書そのものを巡る争いの他、信仰の危機的状況に瀕したカソリック教会側の対応についても説明しています。ダーウィンの「種の起源」やら、死海文書、ナグ・ハマディ文書等、科学的側面からの教義への懐疑について、同じ土壌での保守的行動としてカトリック・モダニスト運動の登場。学問的に武装した僧職の学者が、聖書の真理を守るべく論争を行う(はずだった・・・)。結果的には、むしろ真理への疑義を生じさせてしまったそうなのですが・・・・。

あまりに政治的な駆け引き等が、メインで語られており、読むのが苦痛になってくるのですが、時々、面白い情報が書かれているので参考になります。例えば、すべての聖書研究を監視し、監督し続けている教皇庁聖書委員会。聖書に関する研究が、委員会の教義的権威と矛盾してはならないことが教書で宣言されてるそうです。また、この聖書委員会の委員長ラッツィンガー枢機卿は、カトリック教会の信仰教理聖省(Congregation for the Doctorin of the Faith)の長でもあるそうです。しかもこの信仰教理聖省とは、1542年には検邪聖省(the Holy office)として知られ、それ以前にはあの悪名高き異端審問聖省(the Holy Inquisition)として13世紀にまで遡る存在だったりするんですから。 ははあ~って感じになりますね。

また、そのチームのトップであるデゥ・ヴォー神父、その地位を引き継いだミリク神父は共にドミニコ会の所属であったことも書かれています。ここからは、私の思いつきなのですが・・・、ドミニコ修道会ってそもそも異端審問の為に生まれてきた存在なのだから、それがこの現代においても、カソリックの教義を揺るがす問題を有する死海文書を監督する立場にあるというのは、ちょっとまずいでしょう・・・。だって、これではまさに現代版異端審問ではないの?って思ってしまったのですけど。ちょっとうがった見方過ぎますかね?でも、私なんか一般人が考える以上に、世界は謎と陰謀に満ちているのかもしれません。

これは余談ですが、このデゥ・ヴォー神父の経歴に聖シュルピース神学校で神父になるべく学び、その後ドミニコ修道会に入られたそうです。この聖シュルピース神学校なんですが・・・、他にもいろいろな資料で出てくるんですよ。「レンヌ=ル=シャトーの謎」でソニエール神父がパリに行った後に羊皮紙の秘密を明かすのもこの聖シュルピース神学校だったりする。「ダ・ヴィンチ・コード」でダミーとして聖杯が隠された舞台も聖シュルピス教会であったのも記憶に新しいですしね。ダン・ブラウンもなかなかうまいです(笑顔)。

とまあ、いろいろと楽しい話もありました。まだ、読み終わってないんだけど。残りでも面白いこと書いてあるといいなあ~。そうそう、この本を元にしてクムランが書かれているのがイヤっていうほど、分かります。最初、クムランの創作だと思っていたところが、かなりの部分事実だったというのは、それも大きな驚きでした。事実は小説より奇なり、ここでも真実でした。

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「イエスのミステリー」バーバラ・シィーリング著 感想2

「イエスのミステリー」感想1のブログはこちら
ようやく全部読み終えての感想。益々、奇想天外な空想小説としか言えなくなってきたなあ。イエスがマグダラのマリアと離婚して処女と再婚したんだって・・・・。あの~もう何も言えなくなってしまうですが・・・。しかもそれをもう、周知の事実とでも言わん限りの断定口調で言われたんではね(実際には書かれた言葉ですが)。想像と違って、およそ学者以前に小説家でも(信憑性が無くて読者にそっぽを向かれかねないから)書かないだろうと思う内容が堂々と書かれています。それが裏付け無しなんですから(本で読む限り、著者は根拠があると思っているようですが)。ある意味すごい。この著者、学会からスポイルされないんだろうか?

ふと疑問に思ってネットでさらに調べてみると、冗談で前回の感想に書いていた「トンドモ本」として有名なんですね。知らなかった! ただ、トンデモ本だから、駄目だよ~とネットではよく載っているのですが、仮説の内容が常識と異なるからトンデモ本なのではなく、その仮説がちゃんとした根拠に基づいていないうえで、個人的な予断と偏見の産物なのがトンデモ本なんだと思います。そのあたり、ネットで見た情報で書かれたいたのは、ほとんど見つからなかったから。まあ、いいんですけど。

でもやっぱり最後まで読んでから感想書いたほうが良かった、と思う点もありましたね。この本の半分くらいなんだけど、後半はひたすら注釈や引用文献の説明で膨大なスペースを使っています。本の実質は約半分です。資料をつけているという点自体は、評価すべき所ですね。やはり。でも、内容があくまでも著者の視点であることはかわりなく、それが学問的にも意味があるとは思えません。読んで見れば分かりますが、そのわりに微に入り、細に入り、あそこまで考えて書く著者の執念には驚きが隠せません。この情熱は素晴らしいです。方向性が違っていなかれば、きっと素晴らしい結果につながったのではないかとも思うのですが・・・・。もったいない。

あっ、でもたくさんの国でだいぶ売れたんですもんね。お金が儲かったから、個人的にはいいのかな?学者としてのキャリア捨ててもそれ以上に得るものがあったでしょうし。NHKもこんな本出版するんだあ~と驚くと共に、当時たくさんの新聞・雑誌で立派な学術書として書評がかかれ、推薦され、各種の賞までとっていたとは・・・・。

怖いねぇ~。マスコミは。日経はさすがにあまりないけど、他の朝日や読売新聞なんて経済理論でも誤っている正反対の解釈を堂々と載せるもんね。社説でさえ、そのレベルではうっ、イタイ!!今でも時々、それやるんだから恐ろしいを通り越して、洗脳 or 煽動かと思う時さえある。活字になった情報は本当に凶器(狂気)ですね、全く。影響力があまりにも大きいんだから。

でも、読み物としてはこの本も面白いところがまだまだあります。そういう観点ではお薦めですね。後半の注釈は不要だし、ほとんど人が読まないと思うけど。

もうちょっと、内容を書いておくとイエスが十字架に架けられた後、復活した話ですが、毒を飲ませて、気を失った後に宗教的破門を意味する洞窟に置かれたそうです。で、生きているイエスに解毒させ、当然生きているのでそこから出させる、当然、復活するということが書かれていました。この論理はラザロの生き返りにも当てはまるそうで、あくまでも宗教的に死ぬ(=破門)、そこから破門を解けば、生き返るのだそうです。筋が通っていて非常に面白い話ではあります。都市伝説になるかな(笑顔)?

まあ、人には夢が必要ですからね。いつの時代でも都市伝説は生き続け、人々の噂になり、活字等のメディアを通して自己増殖していくものだし。このブログでも夢のある本を読んでいきますか。次に積んであるのはマイケル・ペイジェントの「死海文書の謎」か、これも結構厚いなあ~。どんな面白いことが書かれているかな?

イエスのミステリー(amazonリンク)
ラベル:キリスト教
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「イエスのミステリー」バーバラ・シィーリング著 感想1

「イエスのミステリー」の舞台(クムラン=イスラエル)  記事
実は、この本はまだ読了していないのでこの時点で感想を書いてしまうのは少々問題なのだが、全部読む終わるまで待っていると忘れてしまう部分もあるので、今の段階での感想を書いておこうっと。

角川のクムラン を以前読んだ時、それに先立つ資料として是非読まなければ!と思いつつ、1年ぐらいたってようやく読んでます(高いし、時間がね)。おまけに、ダ・ヴィンチ・コードにも係わる資料だし、いい機会なんで頑張ってTRY。

さて、内容なんですが。これは書店等の書評を読むと、学術書的なノリで書かれてますが、それは間違いです。ダ・ヴィンチ・コードがご存知の通り、明白な創作小説でかなりの部分を嘘で読み物として作ってあるのとは、次元が違うのですが、少なくとてもこの本は学術書ではありません。そこんとこをきちんと認識しておかないと一見した体裁が、論文っぽいノリで騙されます。

確かに最初の前文みたいなところには、歴史学としていかに資料を読み解くのかかなり真摯な姿勢が描かれているのですが、ひとたび、自分の主張に入るや否や、そこで書かれていた前提は全く、遵守されず、独断と偏見に基づく偏狭な仮説(あえてそう呼ぶなら)をあたかも歴史的事実として自明であるかのように主張しています。原文を見ていないので、訳者による間違いの可能性も無いわけではありませんが。

学術的な論文であるなら、仮説であっても根拠のないものは仮説ですらありえず、その根拠について明確な文献も出さず、根拠が自明と勝手に決めたうえで仮説を構築する姿勢は既にその時点で学者のものではないでしょう。個人的に、特におかしいと感じたことは、当時はこういうやり方が普通で現代の人には分からないと述べるだけで、その辺の文献資料や学会での通説的な話は一切されないまま、規定の事実として話が進む事。また、イエスを初め、当時の人の政治的・社会的背景や所属団体を一意に決めたうえで議論を進めるのは、ありえないでしょう。どれ一つとしてまだ確定しているとはいえないようですし、それを勝手に決めたうえでの議論は・・・???

但し、初めて読むと、著者の論理でいくと聖書に出てくる奇跡や不思議な事柄に対して一見、合理的な説明がつき、おお~凄い!となります。本当に気持ちが良くなるほど、明晰にズバズバ謎が解決していくのでこの人は天才か~と思いたくなります。学問的な点を考慮しなければいい作家になれそうですが、学者としては、たいしたことなさそう。

と最初に、批判してますが、それだけ読み物としては興味深く、本当にもっともらしく聖書に隠された真実の歴史をあばく、みたいになってます。事実を誤認して読むと、えらいことになるのであえて、くどいこと書いてしまいました。私自身、最初はこれ、学者が真剣に書いたものなのかなあ~と思いかけていたので、騙される人きっといると思うので・・・・老婆心ながら。

でも、内容はすっごく面白いんです。人間関係や宗教関係が複雑過ぎてついていくのがツライけど、読んでてなんか目からうろこが・・・って感じですもん。聖書に出てくる奇跡やありえない事柄が、なんでも普通の事実であったと説明されて、それが納得しちゃうのがスゴイ!!まあ、つじつまあわせがあるにせよ、あそこまで説明されるとそうかと思っちゃいますよ。仮にこれをNHKスペシャルやBBCのプログラムで流されたら、かなり信じてしまうなあ~、私自身も。

前置きが長過ぎました。面白いところをいくつか挙げると。
結婚式において、ワインが足りなくなった時に、イエスが水をワインに変えた初めての奇跡の説明。クムランの共同体への入会儀礼が2段階制になっており、まずは水による洗礼を受け、2年間精進後に、独身主義者だけがその後、ワインによる洗礼をうけられた。つまり、異邦人や女子、婚姻している者等は、水による洗礼以上に進めなかった。イエスが水をワインに変えたのは、これまでの伝統を破り、独身主義者以外であっても共同体に迎え入れた社会的革命を現すものと捉えるそうです。う~む、と思うよね。

少ないパンで5000人を養うとは、祭司はレビ族生まれでなければならないというユダヤ教のしきたりを破り、イエスが叙任したものは誰であれ、聖務者として仕えられることを示すそうです。パンとは即ち、レビ族を現していたらしい。

もっと凄いというか凄まじいのは、、処女マリアの受胎。エッセネ派は徹底した独身主義者であった為、大祭司やダビデの王族である重要人物だけは、やむをえず家系存続に必要な結婚を認めていた。その結婚とは、長い婚約期間があり、次にテスト的な最長3年以内の結婚が済んだ後に、第二の結婚が行われ、子供ができれば、すぐに離れ離れになり、また独身生活に戻ったのである。ヨセフはダビデ王の子孫であり、婚姻をしたが、マリアとテスト的な結婚中に妊娠させてしまったのである。これは本来的な結婚前の妊娠であり、ある意味、未婚の母のような状態で法的には「処女」であった。それ故に、後世、処女であるマリアがイエスを生んだというエピソードにつながっていくと説明する。非キリスト教の私がいうのもあれですが、こんな説言ってもいいの?と驚きます。推測というか、裏付け無しに突っ走って・・・。もっともあまりに、筋が通っているのでほお~という感嘆もでるんですけどね。

さらに、もう「ダ・ヴィンチ・コード」に直結しちゃう話ですが、マグダラのマリア。イエスに香油を注いだ女がマグダラのマリアだと(いきなり)言い切り、現実にイエスと結婚していたという。上下2冊でさんざん話を引っ張る「ダ・ヴィンチ・コード」の立つ瀬がないほど明確な断言。しかもその論証は無し(オイオイ~)。いや、なんか書いてるけど、論証になってないし、この香油を注ぐ女にしたって、いくつかの説があったはず、確か。強引に決めつけ過ぎだよねぇ~。この辺りで、私的にはこの著者、結構というかかなりペテン師(?)との思いを強くしたのでした。

で、まだまだ続くのですが、とりあえずここまでで。後は感想2以降で。でもでも、面白いんだよね。トンデモ本かも知れないけど、まあ、話のネタに読んでおきたい本です。寛容な精神を持ち、マスコミとかに騙されない理性的な方にはお薦め~!!

そうそう、ググってみたらやはり同じようにこの本について考えられていた方がいたので、その方のサイトも良かったらどうぞ。私よりははるかに真剣に読まれてますので、参考に。

イエスのミステリー(amazonリンク)

「イエスのミステリー」バーバラ・シィーリング著 感想2(続き)
『イエスのミステリー』のミステリー
聖書ニュース こちらも参照下さい
ラベル:キリスト教
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「聖典クルアーンの思想」 講談社現代新書

「ダ・ヴィンチ・コード」から「レンヌ=ル=シャトーの謎」を経由して本書へ。いいのかなあ~、こんなにのんびりと読書したり、レビュー書いてても?一抹の不安を抱きつつ・・・。

クルアーンってコーランのことです。発音的にはこちらの方が近いそうです。で、肝心の内容ですが、正直言ってそれほど私の知的好奇心(どこが?)には訴えかけてくるものはありませんでした。これを読んでも、イスラム教に関して少しも疑問が解けません。また、ドンドンイスラム関係の本を読もうという気持ちにもなりませんでした。

イスラム教にとって、「経典の民」であるユダヤ教徒やキリスト教徒がそれなりに処遇されているのは知っていましたが、実際に旧約聖書のエピソードがあれほどまで、コーランに取り込まれているとは知りませんでした。この点は、お勉強になったかも?

個人的には、イスラム教の持つ固有性や習慣についての説明なんかもあると、より生きたイスラム教の理解に役立つと思うんですけどね。なんか、文字かいてますってカンジで入門書なのに読者が何を求めているか、考えずに書かれていると思った。そういう視点がないからかな、この方が書かれた本は今後パスしてしまいそう・・・。何か他の入門者を探して読まないと・・・。

でも、以前のブログにも書いたけど、イエスが十字架にかかっても死んでいないという話がコーランに載っているのが確認できたのは良かった!! 活字になっていても複数のソースで確認しないと、事実は分からないからなあ~。絶対ではないにしろ、事実に近づく為の最低限のルールだしね。これで、イエス生存説もだいぶ信憑性が増したかな?

BBCでは、「レンヌ=ル=シャトーの謎」本に基づいて作成した番組は、プリウス団(シオン会)の文書が近代に作られた文書だと分かったので、誤りだったと訂正したが、それ以外の事実はどうなんでしょうか? BBCのその番組自体見たいなあ~。ネットで流れてないのか??? どなたかご存知でしたら、教えて下さい(ませ&ませ)。

聖典「クルアーン」の思想 (amazonリンク)
posted by alice-room at 00:38| Comment(0) | TrackBack(0) | 【書評 宗教A】 | 更新情報をチェックする

「聖母マリア」 竹下節子著 講談社選書メチエ 

偶然といえば、偶然なのですが、今日(2月2日)は「キャンドルマス(聖燭節,聖母マリアの清めの日)。 聖母マリアが天使ガブリエルから受胎告知を受けた日。 教会でミサの始めに蝋燭を持った行列を行うため、 「キャンドルマス」と呼ばれている。」そうです。ネットで見てて初めて気付いた!この本にもそんなこと書かれていたような???

さて本の内容ですが、実に多種多様なマリア様が出てきて、キリスト教におけるマリアの存在感の大きさに改めて驚かされました。ラファエロの聖母子画が何より好きでも、非キリスト教徒故の悲しさか、マリアそのものについては殆ど何も知らなかったことを改めて気付かされたね。

ローマ教会が土着の宗教を信じる民衆を教化していくうえで、シンプルな大地の豊穣神・大地母神をマリアと意図的(?)に混交していくことを有効な手段として用いた事は何度か聞いていましたが、元来、男性原理を強く働くキリスト教で地獄の恐怖を救う「慈悲」としての存在感やマリア自体が無原罪で受胎したという論理には、正直意外の念を禁じえなかった。

ムリーリョの「無原罪の御宿り」の絵もプラド美術館に行った際に見てはいるのだが、そういった背景を理解しないまま見ていたので、宗教画の暗示する命題の奥深さにはつくづく驚かされる。やっぱりお勉強して下調べしないと、楽しみが半減しちゃいますね。う~む。

でもね、それだけではないんです。マリアはコーランの中でも人気者だそうです。マホメットの娘ファティマと肩を並べるほどの人気だとは、全く知りませんでした。これも今度調べてみようっと。この本には、他にもマリアの聖遺物についての話や、あのスティグマータ(聖痕) に関するエピソードもあって、なかなか飽きさせません。黒い聖母や薔薇娘なんかの話も、断片的に聞いていましたがほお~と頷くことも多かったです。今でも血を流すマリア像といった奇跡は起きているそうですし。

以前にルルドの泉に関する本も読みましたが、感慨深いです。そうそう、バタイユだったっけ? 「腐乱の華」というルルドの泉を扱った小説がありましたが、これももう一度、そういった背景を念頭に置いたうえで読み直すべきだなあ~って思いました。昔(高校生くらいの時)、読んだのでもよく分からないまま印象に残ってましたが、たぶん今読むと当時とは全く違った印象を受けそうです。なんか楽しみだなあ~。

とまあ、概して良かった本なのですが、読者に対して親しみ易くする為か、言葉使いというか文体が好意的に言うとこなれ過ぎていて(悪く言うと、安っぽい表現で)書かれていて、かえって読みにくい。そのうえ、出典がきちんと明記されないまま、あちらこちらのエピソードを漫然とまとめ、そこに通説的な解釈と著者独自の解釈がはっきりと分けることなく書かれているので、資料としての価値は正直言って低いと感じた。

入門書としてはいいのかもしれないが、著者の見解なのか一般的に支持される見解なのかがはっきりしないのは、かなり痛い本だった。情報量は、見た目よりはるかに多いが、端的に言うとジャーナリズムっぽいね。俗っぽいのが、ウリなのかな?但し、一読の価値有り。

聖母マリア 講談社選書メチエ(amazonリンク)

謎の聖母マリア出現事件
ラベル:マリア 聖痕
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「レンヌ=ル=シャトーの謎」 柏書房 感想2

レンヌ=ル=シャトーの謎 柏書房 感想1 
(感想の続き)
そうそう、この小説を読んでの感想と言えば、やはりカタリ派に関することかな?他にも何冊かカタリ派の本は読んではいるが、結構分かり易く説明されているのも良かった。

当時のランドック地方(南仏)がヨーロッパでも有数の裕福な地域であり、商業も盛んでヴィザンチンと並ぶ文化的先進地域であったこと。ユダヤ思想や最新のイスラム思想・知識(当時の科学知識の最先端はイスラムでヨーロッパは科学的後進国であったのは、有名。医学等はすべてイスラム教徒の書物をラテン語に翻訳して学んでいた)が流入する土地であった。そういった事を背景に、文化的先進地域では往々にして多種多様な宗教・思想が流行し、教養溢れる文化的多様性からあらゆるものに寛容でもあった。そうした地域であるにも関わらず、ランドック地方に存在したローマ教会は、世俗の金儲けに忙しく、腐敗に腐敗を重ねた為、他宗派に比べて評価は著しく低かった。これがランドック地方における異端の最大なる繁栄を可能にしていたそうです。

そうりゃ、そうだよね。経済的余裕があり、各種の思想や最新の知識に触れられるような地域に住む人々が、金儲けに走り、ミサさえ行わない聖職者がいたローマ教会の信仰を絶対的に受け入れるわけはないでしょう。それゆえ、実際に清貧を実践しつつも、聖職者自身に価値を認めるのではなく、あくまでも神を崇め、神と個々人の直接的な対話、神秘的な経験(=グノーシス)を重視するというカタリ派が宗教として支持を多く集めたのは当然の帰結と言えるし、その背景の説明には納得しちゃいます。

でもね、聖職者がいらないってことになったら、ローマ教会はおまんまの食い上げですし、働きもしないで贅沢な王侯貴族の生活ができなってしまいます。彼らが強く反発し、異端憎しという感情が起こるのも理解できます。また、純粋に教義的にも異なるんだから、始末が悪い。ローマ教会における神は唯一の存在であり、敵対する悪魔は神よりも劣った存在とする。それに対し、カタリ派の神は2種類有り、霊的存在の善き神と物質的存在の悪しき神がいる。後者を世界の王(レックス・ムンディ)と呼び、まさにローマ教会の栄華がそれを現すと捉えているので、同じ二元論でも相容れないわけです。端的にはイエスの捉え方で決定的な差異が生じてくる。イエスが物である肉体に受肉しながら、神の息子であるのというのはカタリ派に受け入れられるはずがなく、ローマ教会における十字架刑や十字架の重要性は一切が否定された。

カタリ派を支持する有力者や貴族は文字が書けたり、当時としては教養ある人々であり、他の地域の大多数の領主や貴族が文盲であることに比べ、扱いにくい理性ある人々であったらしい。また、教会に収める十分の一税を逃れたいという経済的目的もたぶんにあったそうです。まさに「合理的」な思考ですな(笑顔)。

こういった状況下、カタリ派(実際には、総称で個々に細かな差異が見られる)は、ローマ教会より清貧であり、より使徒的ふるまいを実践していて宗教的崇高さを尊重され、ローマ教会にとって大切な教会制度や司教の存在意義まで否定する教義でもあった。アリウス派(イエスは神ではなく、人であるとする)を異端として三位一体を推し進めてきたローマ教会にとってカタリ派は自らの存在を脅かすものであり、一般の人にとってより魅力的であるがゆえに彼らにとっては存亡に係わる敵であったそうです。やるかやられるか?――― 実際、そこまで追い詰められていたみたい。そこで政治的陰謀に長けているローマ教会は、豊かな土地に対して領土的な欲望(or 羨望)を持つ周りの貴族達をけしかけてアルビ十字軍へと導いていったわけです。

う~ん、いつの時代でも政治力が大切なんですね。正しいところが勝つのではなく、勝ったところが正しいという「勝者の論理」は国を超え、時代を超えて普遍性をもつのですなあ~。まさにカトリック(=普遍性の意味)にふさわしい!! 日本の国津神と天津神の闘い然り(古事記参照)、イラク戦争然り。

このカタリ派の最後の砦モンセ=ギュールが十字軍に包囲される中、密かに財宝が運び出せれたという。それがソニエールの探し出した秘密につながる・・・・??? 謎が謎を呼び、魅力的なストーリーですね。

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「レンヌ=ル=シャトーの謎」 柏書房 感想1

『レンヌ=ル=シャトーの謎』 -イエスの血脈と聖杯伝説- 柏書房のサイト
レンヌの謎:ここが一番詳しい説明されてるサイト
【 本の目次 】
第1部 謎
 第1章 謎の村
 第2章 カタリ派と大異端
 第3章 戦闘修道僧
 第4章 秘密文書
第2部 秘密結社
 第5章 舞台裏の騎士団
 第6章 総長と地下水脈
 第7章 何世紀にもわたる陰謀
 第8章 今日の秘密結社
 第9章 長髪王
 第10章 追放された1族
第3部 血筋
 第11章 聖杯
 第12章 統治しない祭司王
 第13章 教会が禁じた秘密
 第14章 聖杯の王朝
 第15章 結論と未来の予兆
補遺 プリウレ・ド・シオン団の総長

「ダ・ヴィンチ・コード」、「天使と悪魔」、「レックス=ムンディー」、「薔薇の名前」と読んできた流れの中で、ダ・ヴィンチ・コードの元ネタであり、是非読んでおきたいと思ったものが、まさにこの本でした。

値段の高さと分量がその願いを押しとどめていましたが、ようやく手に入れて読むことができて感激! しかも読んでみて、更に大感激!! 値段以上の価値のある本でした。買って正解でした(満面の笑み)。つまんなかったら図書館で借りれば良かったかと後悔するところでした。と、前置きはこの辺にして。

この本の主題は、フランスのレンヌ=ル=シャトーと呼ばれる地域で若き僧侶ソニエールが廃墟となった教会の柱から四枚の羊皮紙を見つけ出し、その後、湯水のようにお金を使う生活をするようになったという出来事の不自然さ・不可解さから始まる。そして、それが最終的には、キリスト教の根幹に関わるイエスの血脈が現代にまで存続し、あまつさえ過去の歴史上にその足跡を残しているという内容(仮説)につながっていく。

私のように「ダ・ヴィンチ・コード」から流れてきた人には、あちらの方が単純明快で分かり易いが、端的に言ってしまうとイエスは結婚していてマグダラのマリアがイエスの配偶者であり、その子孫がメロヴィング朝で王位に就いた。その後の十字軍遠征によるエルサレム攻略もイエスの子孫によるものであり、テンプル騎士団はその命を受け、最前線を担っていた。また、時代の背後にはシオン修道会なる秘密結社が存在し、現在に至るまでイエスの血脈に関する秘密を握っていると考えられる。
――― 以上のような仮説が、各種資料や情報に基づいて提示されている。勿論、現在の歴史学では、まずは元となる文献自体の吟味が肝要であり、資料そのものの時代や書いた人が置かれた政治的・社会的・歴史的状況等々(恣意的に記載内容が歪められていないか?そもそも誤った認識をしていないか?などの判断材料として欠かせない)、無数のチェックをクリアして初めてその文献が検討の素材となり、仮説や実証が進んでいく。
しかしながら、本書は著者自身が事前に述べているように、そうした手続きを経ずに各種の文献・情報を検討の素材に挙げたうえで仮説を作り上げている。加えてその仮説の実証性も多分に、裏付け無しの文献・情報によるものであることだけは、読み手として留意すべきと感じた。

但し、非常に真摯な姿勢で書かれているとは思う。ジャーナリスティックな視点・手法と言えば、それまでだが。2千年前に遡る過去の事であり、彼らの仮説に従うならばカトリック教会より弾圧・抹殺されてきた中でかろうじて部外者が知り得た情報・資料を基にしている以上は、彼らの思考方法自体も否定すべきモノではないと思う。もっとも、歴史学者からは冷笑を浴びるかもしれないが…。(彼らもそういった手法を採れば、無数に興味深い歴史解釈が可能なことは判っているうえで、あえて学問的厳密さ故に、採れないし、採らないだけなのだから)。少なくとも著者達が仮説の立脚点としておいている素材が明白な誤り・虚偽を含まない限りは、可能性の問題として大変興味深い。

小説の「ダ・ヴィンチ・コード」以上に知的好奇心をくすぐる書籍であり、思わず、うおお~叫びたくなるくらい満足できる本でした。

非常に関心のあるカタリ派についても結構、詳細に書かれており、グノーシス主義まで含んで大変勉強になります(入門書としても使えますね)。メロヴィング朝とカトリック教会との関係や、その後の十字軍遠征がソロモン王以来の正当所有権者(ユダヤの王の血筋)として絶対の悲願であった事、フリーメーソンが実は表面の目くらまし、或いは出先機関としての存在であったこと等々。とっても新鮮で魅力的且つ説得力のある仮説だと思いました。

ただ、残念なのは著者の仮説の立脚する素材を一つ一つ、現実問題として検証出来ない事。私も暇人だが、そこまではできないしなあ・・・。イギリスやフランスに行く事はあっても、調べものをして回るだけの余裕はないし・・・。ただ、(全部ではないにせよ)きちんと資料を挙げているのは素晴らしいと思う。誰か、これをきちんとした学究的な立場から検証してくれると、この仮説の意義も更に増すと思う。感情論や宗教論争ではなく、歴史学的な立場から、素材だけでも確かめられれば、この仮説について現実社会での対応も変わってくると思うのですが。

非常に驚く事が多いのですが、今回は一つだけあげるとコーランでイエスは十字架刑を身代りのおかげで助かり、生き延びたという話があること。正直これはえ~っと思った。世界3大宗教のイスラム教の聖典にそんなことが書かれていたなんて! だったら、それだけでも私なんか十分にこの本で述べられる仮説の真実性が増すと思うのですが・・・。

今日、図書館でコーランに関する本(コーラン自体は無かったし、聖なる言葉だから他言語の翻訳不可みたい)を借りてきて、イエスに関するところを見てみると、本当にそうなっているのでますます驚きました!! 誰もそんなこと教えてくれなかったし、初めて聞きましたよ。
これからも、いろんな書籍を読んでこの仮説に関する情報を集めてみたいですが、奥深くて楽しみですね。文章が長過ぎるので、とりあえず感想の1回として終わり。今後も感想がまだまだ続く予定。
レンヌ=ル=シャトーの謎(amazonリンク)

関連ブログ
レンヌ=ル=シャトーの謎 柏書房 感想2 に続く
「聖典クルアーンの思想」 講談社現代新書(これ、コーランの資料)

関連リンク
偽説美術史講座 第2回 美術 プッサンの〈アルカディアの牧童〉
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2005年03月11日

「異端審問」 講談社現代新書

中世の異端審問というと、宗教的権威をかさにしておよそ強圧的に一般人に課せられたイメージばかりでしたが、そんな単純なものではなかったんですね。ローマ教会が一律に最上位の存在であったのではなく、地元の世俗権力もしたたかに対抗していた事を知りました。

ローマ教会の司教が俗物化して、豪奢な生活に溺れる一方で異端とされた各宗派(カタリ派やワルドー派等々)の指導者が進んで庶民の生活に入り、使徒的清貧を実践する状況下では人々が異端に走るのは当然の事であり、その現状を憂うことから、正統派ローマ教会側からも清貧を重んじたフランチェスコ修道会が生まれていくのもなるほどと思いました。更に異端審問に情熱を注ぐが故に、まさにその為の存在としてドミニコ修道会が誕生し、従来は司教の権限内であった異端の取り扱いを、権限を分かつ形で法王直属の異端審問官の独立職務としていくんですね。

勿論、その流れは地元有力者や住民からの反発だけに留まらず、既存の権限を侵される司教側からの抵抗も受けてまさに外と内からの両面の敵に挟まれた中での苦しい戦いだったとは…。裁かれる立場の者達も決して唯々諾々として従った訳ではなく、国王や法王に異端審問官の所業を直訴したり、なかなか政治的な駆け引きが重要だったらしい。

異端審問官や司教が領土外に追放されたり、殺されたりすることもあり、その切迫した状況も自己の立場と存在意義を肯定する為にはいよいよ過酷な異端狩りへとなっていったのも肯けます。いやあ~この本薄いのになかなか内容は奥深いものがありますね。

とにかく疑わしきは皆殺せという、異端憎しという場合もある一方で、より正確に真偽を見極めようとする真摯な姿勢が見られる場合もあり、一概に論評するのも難しい。歴史は表面的に見られる事柄だけでなく、その背景をも考えなければ分からないという好例です。

とまあ、概論はこの辺にして、部分で印象に残ったことは、フスの件。宗教改革の先駆者で宗教会議において異端とされ、三角帽をかぶさられて火あぶりにされたので有名ですが、フスはプラハと関連が深いんですよね。プラハは、以前から錬金術師の都として関心を持っていたうえに、実際に行ってみて、その中世以来の遺物にすっかり魅了されている私としては、なんかプラハと関係深いフスが出てきて妙に心踊る感じ。プラハにあるカルレ大学の学長だったのがフスですから、そりゃ因縁の浅かろうはずがありません。
(カルレ橋の聖人の像が目に浮かぶ・・・)プラハの街は今もそうですが、妖しい雰囲気に満ちています。ゴーレムだった土塊が未だに残るというシナゴーグさえあるし。

話はだいぶそれていますが、この本には他にもあのベルナール=ギーについても書かれています。「薔薇の名前」の映画でまさにはまり役的な印象を残すイメージ通りの異端審問官ギー。本当に実在の実物だとは知りませんでした。それを知れただけでもこの本読んで良かったかも?なかなか楽しい本です。

ただね、こうやって魅力たっぷりの本ですが、後半ちょっとダレきてしまいます。裁判の細かい内容になり過ぎて、ちょっとね。もっとも、被疑者が問われた問いに対して二義的な(=二重の意味に取れる)答えを言う事で、嫌疑を成立させず、同時に自分の信条を冒さずに済ませるといったしたたかな行動をとるなど、興味深い点もありました。(でも、なんかだるいんだけど・・・)。あの「薔薇の名前」の映画中に見た一場面を思い出します。かつてのドルチーノ派であった僧が、まさに異端審問の最中に答える姿。これとオーバーラップしてきます。「ペニティンツィアージテ」ってね!

異端審問講談社現代新書(amazonリンク)

ラベル:異端審問
posted by alice-room at 23:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 【書評 宗教A】 | 更新情報をチェックする

「悪魔の話」 講談社現代新書

正直言ってここまで内容の無い本だとは思わなかった。生まれて初めて悪魔に関する本を読む人ならそれでも目新しいことがあるのかもしれないが、それにしてもヒドイ本だ。何故ここまで使えない本としての烙印を押すかというと、端的に言うとこの本の中身は他の本からの引用に過ぎず、しかも元ネタの本はほとんど日本語訳のあるものであり、元ネタを既に読んでいる私には、薄っぺらなメモ?としか感じられない。更に悪い事に、きちんと一定のテーマごとにまとめてあるのわけでもなく、章はおざなりにあるだけで、内容が悪魔に関係のない事項に飛ぶだけで、それが一向に有機的に結びつくこともない。

新書という量的な制約と、入門書という出版側の意図を好意的に解釈してもゴミ本の仲間でしょう。澁澤龍彦氏の「黒魔術の手帳」とかで思春期を過ごした私には、軽いエッセイ的な位置付けにしてもあまりに下手な文章力に驚愕を隠せない。仮に文章力は無くても、学者出身ならもう少し真摯な姿勢で書けばいいのに、いかにも片手間に書きましたというレベルで酷過ぎる。

具体的にいくつかどうしょうもないと強く感じた点を挙げると、「錬金術師と魔女の街」とまで言われたプラハを採り上げるのは当然としても、完全に重点の置き方がおかしい?私自身、直接行ってプラハに残る錬金術の道具や、中世の修道会付属図書館、ゴーレムが土の塊になったまま未だに残っているというシナゴーグ(ユダヤ人公会堂)を見ているので断言するが、その辺りに触れずに表面的なことばかり書いている。著者は恐らく、中世の手彩色写本等の文献についても見たことが無いのではないかと思う。
他にも、マンドレークについて本で触れているが、恋の秘薬としてだけではなく、財宝をもたらす護符のような扱いをされていたうえに、聖書にまで登場するのに解説がほとんどない。澁澤氏や種村氏の爪の垢でも煎じて飲んで欲しい、全く呆れるばかり。

よせばいいのに、浅はかな知識と本人の勝手な思い込みでついには、悪魔と河童についてまで論じる始末。まさに、悪魔の所業・・・。その論旨が、勝手に柳田国男氏とハイネを結びつけてしまうんだから・・・一切、自分は考えずに同様だと言うのは、お前はジャーナリストかと言いたくなる。本当に元学者なのだろうか???少なくとも私の大学院の時には、そこまで低レベルな先生がいなかったのは幸いでした(合掌)。著者は以前いた大学の先輩みたいですが、あそこは中退して正解だったかな(笑)。

ご本人も専門ではないがと書かれていたが、だったらこんな駄本書くべきではなかったですね。資料の孫引きか、やしゃご引きばかりで、時間の無駄です。初学者が悪魔について日本語で知るなら、やはり澁澤氏か種村氏の本でしょう。そちらをお薦めします。

悪魔の話 講談社現代新書(amazonリンク)

ラベル:悪魔
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2005年02月03日

「聖母マリア」 竹下節子著 講談社選書メチエ 覚書

「聖母マリア」講談社選書メチエ の感想ブログはこちら
著者 竹下節子氏の写真&コメント

サバ(SABA、SHEBA)の女王=シバの女王
ソロモンはサバの女王に一目ぼれし、女王はソロモンを牽制する為に足にびっしり毛が生えていると信じさせた。ソロモンはそれを確かめるために床にクリスタルを張った広間に通した。クリスタルを知らない女王が水が溜っていると誤解し、服の裾をあげたので美しい足が見えてしまう。ソロモンは女王を手に入れる為に、夜の間に宮殿のものに手を触れることを禁じ、それを破れば自分のものになることを約束させる。そのうえで晩餐の料理に香辛料をたっぷり入れる。その為、夜中にノドが渇いた女王はそっと起きて水差しに手を触れた。それを見張っていたソロモンに見つかり、一夜を共にした。女王は国に戻り、男子メネリグを産む。彼は青年になった時にエルサレムに行って父に面会したという。この王が開いたエチオピアのサロニモド王朝は1974年に社会主義革命で滅びるまで3000年間続いたと言われている。

サバの女王(「黄金伝説」では)
シバの女王がソロモンの宮殿にやってきた時に木の橋を渡り、この木に一人の男が架けられて死に、ユダヤの王国を滅ぼすだろうと言ったという逸話がある。ソロモンは驚いて端を取り外して埋めてしまった。実はその木はエデンの園にあった智慧の樹であり、アダムの墓の上にあったものだった。それをソロモンが宮殿造営に使い、後にイエスの十字架の樹に使われたという。その木は、キリスト教を公認した最初のローマ皇帝コンスタンティヌス帝の母ヘレナによって発見されてさまざまな奇跡を起こしたとされている。それが十字軍によってヨーロッパにもたらされてもっとも貴重な聖遺物となった。

薔薇娘
フランスを中心にヨーロッパのおくの地方共同体で毎年、徳の高い貧しい娘を選んで薔薇の冠を授け、結婚資金(持参金)を送った習慣を指す。薔薇はマリアの栄光のシンボル。後のミスコン等につながる系譜とも言われる。

聖遺物信仰
主にキリスト教初期の殉教者の遺骨や墓に対する、フェティッシュな信仰。殉教者の死に方が凄まじかったせいでその聖性の大きさも期待され、骨や体の一部はもちろん流した血にひたした布や墓石を削ったものまでもが魔除けは難病治癒の呪具のように広まった。

シャルルマーニュ(カール大帝)はスペインからの帰途、ソワソンのノートルダム修道院に聖母マリアのはいていた上履きを寄付した。修道院長はシュルルマーニュの妹ジゼルである。多くの巡礼者がそれに触れにやってきて奇跡的な治癒が次々に起こったと信じられた。

シャルルマーニュがもたらしたマリアの聖遺物は「マリアの肌着」と呼ばれ、マリアが天使から受胎告知を受けた時に被っていたヴェールだとされる。四世紀のコンスタンティヌス帝が所有していたとされ、その後シャルルマーニュの宮廷のあったアーヘンに保存されていたが876年シャルルマーニュの孫シャルル禿王によってシャルトルのノートルダム大聖堂に寄贈された。
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