
読む前から、新聞社が書いたネット社会批判(そういって語弊があるなら、『ネット社会への警鐘』、とかと書くと綺麗に聞こえる?・・・冷笑)の本かなあ~と思っていて軽く眺めてみたら、最初から最後まで想像通りの絵に書いたような内容の本でした。
新聞社だけではなく、TVも含めて既存のメディアに対しての不満が人々の間にだいぶ以前から溜まっていてそれが現在、ネットという環境を得て顕在化しているといった自らの問題点には一切触れず、あくまでもネットがもたらした負の側面だけをピックアップした論調には、今更ながら笑止と言わざるを得ない!
いつの時代にも新技術がもたらす負の側面は存在したし、本書に書かれている問題は、ネットの当初からさんざん議論されていた点で全然独自の視点がなく、既存の議論の焼き直しでしかない。
申し訳ないが本書内でコピペの弊害を語る本書自身が、私の目には同様に映るのだが・・・。ただ&ただ、こういった問題があるんですと言うだけで、それではどうしたらそれらが防げるのか、取材班自身の建設的な提案がほとんど無いのもいつもの通り。
それらしいその筋の人に、もっともらしい意見を聞いて、規制しろとか教育しろとか、何それ?って、感じで呆れ果てて涙が出てくる。これってどう考えても責任逃れじゃないの?
メディアは欠点をあげつらうが、決して解決策を提示することもなく、気紛れに騒ぐだけでまさに本書が問題視している『祭り』を従来行ってきた自分達の行動を一切鑑みることはしないようだ。
ネットによって、社会が確実に良くなった点も多々有り、悪くなった点も多々ある。犯罪を取り締まるのは、大賛成だが、規制すれば良いという安易な考えが理解できない? 規制すれば、地下に潜るだけでしょう。
そもそもメディアは自らを擁護する時は、言論の自由を声高に叫ぶが自由には責任が伴うはず、責任をとってるとこ見たことないけどね。頻繁に見られる誤報道をしたメディアや悪意による捏造したメディアは何故、つぶれずに存続しているのだろう??? しかも社主が世襲だったりするしね(爆笑)。
規制をしたら、絶対に抜け道を探すのが普通だし、それらは次々に出てきます。ネット利用に実名登録制とか、児童ポルノ所持だけ有罪とか、別に規制してもいいんですけど、それを規制するだけ法的な違法性の根拠がちっとも明示されていないのが不思議。特に児童ポルノなどの規制自体はもっと強くてしかるべきだが、所持だけで有罪とする根拠なんかあるの?
単純に感情論だけで適当なこと言うから、『ジャ-ナリスティック』な議論は、まともな人達から冷笑ではなく、失笑されてしまうのになあ~。その辺りのこと、ご存知ないのでしょうか?
私が学生の時は、よく先生方に言われたものです。
「新聞やテレビのようなジャ-ナリスティックな物の見方だけはするんじゃないぞ!」って。
「彼らは何も知らべもせずに、知ったかぶりしたうえに誤ったままで大衆を感情的にミスリードする社会の必要悪だし、君たちは自ら調べて自分で判断しなさいって」。
あとね、言いたくないけど、議論の持っていきかたが読者の感情に訴えかけるやり方で非常にいやらしい。例えば、難病児募金の件なども挙がっているが、確かに善意でやっている人達がネットによる噂で困っている姿を知れば、どんな人でもネットが悪いと感じるし、現代の問題と感じるだろう。私だって、可哀想だと思うし、ひどいと思う。
しかし、本来問題とすべきは個々の事例の感情論ではなく、事実かどうかの確認が無いまま噂が一人歩きし、それが人を傷付ける可能性があるということだと思う。「ジャ-ナリスティック」な視点は、極力大衆の感情論に訴え、冷静な議論をしないのが特徴であり、本書もそれを地でいってるように感じられてならない。
こんな記事で、あれこれ言われてもねぇ~。
申し訳ないけど、こんな記事書く前に強引に新聞をとらせようとするおたくの新聞勧誘員の方をなんとかしたらと言いたい。一人暮らしをしていると、きっと誰でも思い当たると思いますが、ヤクザのチンピラのようなのがしつこく夜中や休日に勧誘に来ます。3ヶ月といいながら、半年の契約だと嘘言うので、証拠を取っておいて販売所に文句言ったこともある。
洗剤やしょうもないチケットを置いていったので、翌日返してやったが、特に読売新聞はヒドイので有名。本書は毎日新聞だけどね。こういう自分の問題をクリアにしてからでしょ、他人の批判は。
この手の問題も昔からあるが、自分達にとって不都合な話題は決していわないんだよね、メディアって。だから、嫌いなんだけど。
久しぶりに話題がそれまくってますが、ネットの功罪を検討することもなく、マイナス面だけ羅列してあえて目を背けがちなネット問題に脚光を浴びせたとか本音で思っていたら、黙って失笑するしかないでしょうね。
メディアが既得権益にしがみついている以上、言論の自由は弊害があっても、むしろより自由な場に晒した方が好ましいと思う。犯罪につながるような場合は、後で個人が特定できるようにするのも悪くないと思うが、原則は匿名であるからこそ、自由に発言できるのもまた真実だと思う。
本書内で、ネット上で発言する人にいちいち実名を出さないかと聞いているが、馬鹿馬鹿しい話だ。ネット上で実名を出している人は、ビジネス上で利用する為など明確な意図がある場合か、単純にセキュリティー意識に欠けて無知である場合がほとんどだろう。
例えば、ある組織内の不正に関する告発的なものに、実名などかけるはずがない。マスコミはしばしば情報源の秘匿を主張するが、彼らにとって都合の良い場合だけは秘密なのかあ~とつくづくその身勝手さには呆れるばかりだ。
新聞記者が実名で書くのと、ブログやサイト、掲示板で投稿者が実名で書くのを同様に捉える方がよほどおかしいと思うだけど・・・? 投稿してお金がもらえる訳ではないだろうし。
久しぶりに、かなりいらつかされた本だったけど、大変勉強になったことも一つありました。韓国のネット事情。韓国のネット環境が凄いは、有名だし、熱狂しやすい国民性も知っていましたが(一緒に仕事していたことあるしね)、ネットの意見がこれほど現実社会(政治等)に影響を及ぼしているとは知りませんでした。へえ~、ここまでの影響力は思いもしませんでした。
日本のネットもそういった意味での社会的影響力は、もっとあってもいいように思います。日本では、誰からも批判されずに存在している特殊な『マスメディア』という権力がありますが、これを抑制する意味でももっとネットが影響力を持つべきでしょう。
と、同時に誰もが参加できるだけに、自分で考えながら行動しないと今度は、自分が直接的に踊らされることになる危険性がありますけどね。所詮、権力はそれぞれが掣肘しあってこそのバランスなんでしょう。効率は一番悪いんだけどね、本当は。でも、しかたないでしょう。
【目次】
第一章失われていくもの
第二章IT立国の底流
第三章近未来の風景
第四章私の提言
第五章ネットからの反響
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