2016年02月16日

「中世の修道制」上智大学中世思想研究所 創文社

三省堂池袋の第1回古書市で購入したもの。
基本、リブロ時代のと同じノリですね。出している古書店も同じところがほとんどかな?
少し違う古書店さんもいたようだけれど・・・。

さて、インフルの検査を病院で受けながら午前中に拾い読みしてた。

もともと大学の紀要とかに載せてたのを本にしたのでそれぞれの章は完全に独立している。
こないだ行ったベルギーのペギン会のところとシトー創立のところだけ、読み終えたとこ。

う~ん、微妙かな?
貴族とか金持ちの子女が持参金付きで教会に入るのとは別で、在俗のまま、使途的清貧生活を送るってことなんですね。知らないまま、白鳥のいるところで記念写真撮りまくってましたが、いろいろと分かると興味深いです。

ハンザ同盟の主要な拠点であるブルージュやゲントなど、ふむふむと勉強になりました。
個人的にはまたムール貝食べて、ランビック飲んで、チョコ食べまくりつつ、たくさんの絵画を観に行きたいなあ~。IS関連が落ち着くまでは、ちょっと治安が不安だけれど・・・・。
【目次】
1 東方キリスト教修道制の起源と展開
2 ビザンツの修道制
3 アウグスティヌスの修道霊性
4 ガロ・ロマン末期のローヌ修道制―レランス修道院とその周辺
5 聖ベネディクトゥスの『戒律』とその霊性
6 隠修士とその時代―ラ・グランド・シャルトルーズ修道院を中心に
7 シトー創立と「使徒的生活」
8 騎士修道会の創設とその日常生活―Templiersを中心として
9 最初の律修参事会―プレモントレ会の創立をめぐって
10 フランシスコ会の創立をめぐって
11 ドミニコの霊性と説教者兄弟会―言の新たな次元の開披
12 ベルギー中世のベギン運動
13 イグナティウス・デ・ロヨラの神秘体験―イエズス会の霊性の起源
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2015年09月03日

「中世キリスト教文化紀行」坂口 昂吉 南窓社

カトリック麻布教会で出していた月報に載っていたものをまとめて本にしたもの。

逆に言うと、そういう背景を持った特定の層の人向けに、個人的な宗教観をベースにして中世キリスト教に関するトピックを都度、採り上げて自分の主観的な思いを語ったもの。エッセイ等と同じ類かと。

個々の内容は興味深いものを散見するのだが、正直、カトリックでもプロテストでもない一般人の私からすると、相当違和感とともにうっとおしい感を覚えてしまう。

ユートピアのトマス・モアがカルトゥジオ会だったなんて、夢にも思わなかったし、当然知らなかったのでそれを知っただけでも読む価値あったかも?

聖変化の解釈とかは、以前から知識としては知っていたのですが、ここに書かれているのも興味深ったです。

著者がこういった軽い系の本ではなくて、きちんとした専門書で書かれた本だったら、改めて読んでみたいかも?そう思いました。ただ・・・本書は、あまり好きではないです。

個人の信仰とか、私にはまったく関心が無いものでね。

あと、トピックの数が多過ぎて、1項目辺りの分量が少なく、結果的に薄っぺらなのも残念!
もっと掘り下げたところまで書ける感じが漂っているのに、読者層を意識してか、半端ないセーブ感が漂っていて内容や深みを抑制しているようなきらいさえあったように思われます、残念!

本書自体はあえて読むほどの価値はないでしょうね。おそらく・・・・。

中世キリスト教文化紀行―ヨーロッパ文化の源流をもとめて(amazonリンク)
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2015年03月29日

「巡礼の道」渡辺 昌美 中央公論社

サンチャゴ・デ・コンポステーラへの巡礼について語られた本。

著者の本は、守護聖者や異端カタリ派などの著作で何冊か読んでいますが、どれも興味深いもののが多かったので本書も期待を持って読み始めました。

スペインのサンチャゴで聖ヤコブの発見とその聖遺物を巡る巡礼の成立。
こないだサンチャゴの「巡礼記」の盗難とその発見のニュースがまだ耳に新しいが、まさにそれに書かれていた内容について、他の文献などを紐解きながら、考察を加えている。

まあ、正直、類書を何冊も読んでいる私としては今更新しい知見があったわけではないのですが、日常の仕事に埋もれて、しばらくこの手のから離れていたので、なんか懐かしくじっくりと読んでいました。

あ~、早くリタイアして自由に旅と読書で暮らしたい・・・。

聖遺物、というと定番の移送記や奇跡譚、黄金伝説にエミール・マーレですか・・・懐かしいもの、総出演のオンパレードですが、淡々と説明、考察がされていき、改めて興味を書き立てられます。

手元にある積読の洋書、読みたい・・・その為の時間が欲しい・・・。はあ~。

6月か7月にはようやく新婚旅行の休暇を取れそうなんで、とりあえず、どっかの世界遺産でも行ってこないと。イスタンブール治安とか微妙そう? 

諦めて、サンチャゴやトレド、コインブラとかにしょうかな?
イランも行きたいけれど、これも難しいんだろうね・・・。はてさて、どこにしようか???

巡礼の道―西南ヨーロッパの歴史景観 (1980年) (中公新書)(amazonリンク)
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2014年03月24日

「中世のキリスト教と文化」C.ドウソン(著)、野口 啓祐(翻訳) 新泉社

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何気なく古書店で購入し、読んでみたのだけれど、今から40年以上前の翻訳(旧版)なのに内容が未だに古くないどころか、初見の解説も多く、学ぶところの大変多い本でした。

読了するまで結構、時間がかかってしまいましたが、内容のある本です。

いわゆる12世紀ルネサンスとは、もう大前提として既に語られてますし、当然、中世文化・中世キリスト教へのイスラム文化の影響などもきっちり踏まえたうえで「中世」という時代を偏見なく、的確に捉えた説明が書かれています。

私が以前から関心を持っていた偽ディオニシウスや光の形而上学、「キリストにならいて」のトマス・ア・ケンピス、シェジェール、鏡の聖ボナヴェントゥラなど、通り一遍の説明ではなく、それぞれが及ぼした影響などを含めた一連の経緯や歴史的位置づけなどが非常に的確且つ、説得力があり、それぞれのトピックが持つ本当の価値を再認識させられました。

個々に内容を知っているものも多々あるのですが、それら膨大な項目をこれだけ簡潔に、歴史の中で有機的に意義付けて説明しているものは初めて読みました。

そこいらにあるような薄っぺらな読み流せるような内容の本ではありません。

俗界の国王と、霊の世界の教皇に世界を二分した考え方自体は、しばしば語られるものの、それを支える本当の思想的背景を知らず、またビザンチンとの比較で皇帝が同じ思想から、俗界と霊界の両方の指導者となり、ヨーロッパと異なっている点にも本書を読んで初めて気付きました!

紙幅の制約で個々の項目に多くの言葉は割けないものの、本書で触れられている内容は、実に含蓄のあるもののが多かったりする。

ある種、総括的なまとめ本のように見えるが、最初に読む本ではない。
ある程度の知識がついてから読むと本書が書かれている視野の広さと本質へ洞察力に頭が下がる思いがします。

修道制や異端についても、個々の内容はそれぞれ詳しい本もあるが、それがいかにして発達し、それが中世という歴史の中でどのような位置付けを得て、他へ影響を与えていったのか、その点についてはふむふむと新たに首肯する点がありました。

中世に関心のある人には是非、一読をお薦めしたい本でした。
面白かったです♪
【目次】
中世の文化
第1章西欧キリスト教世界の社会学的基礎
第2章中世文化における神学の発展
第3章中世文化における科学の発達
第4章中世文化における文学の発展

中世のキリスト教
第1章緒論
第2章東洋と西洋
第3章中世におけるキリスト教発展の諸特徴
 第1節教父時代と西欧キリスト教
 第2節暗黒時代と蛮族の改宗
 第3節中世キリスト教世界と西欧文化の復活
 第4節修道制
第4章教皇職
第5章異端と宗教裁判
第6章典礼と祭式

付Ⅰ浪漫主義の伝統の起源
付Ⅱ農夫ピアズの夢


中世のキリスト教と文化(amazonリンク)

ブログ内関連記事
「修道院」今野 國雄  岩波書店
「修道院」朝倉文市 講談社
「キリストにならいて」トマス・ア ケンピス 岩波書店
中世思想原典集成 (3)~メモ「天上位階論」「神秘神学」
「図説 キリスト教文化史1」ジェフリー バラクラフ 原書房
「十二世紀ルネサンス」伊東 俊太郎 講談社
「十二世紀ルネサンス」チャールズ・H. ハスキンズ(著)、別宮貞徳(訳)、 朝倉文市 (訳)みすず書房
「異端カタリ派」フェルナン・ニール 白水社
「異端審問」 講談社現代新書
「異端者の群れ」渡辺昌美 新人物往来社
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2013年01月15日

「ザ・ライト」マット バグリオ 小学館

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いい意味で裏切られました。
エクソシストを扱っていて映画になったのは知っていたので、「オーメン」や「エクソシスト」のような小説だと思っていましたが、本書、ドキュメンタリーなんですね。

いやあ~、エクソシストとしての経験など無い、本当に悪魔っているの?って霊の存在は信じていても、悪魔については半信半疑ないかにもアメリカの神父さんって感じの人が主人公。

急に、公式エクソシストになってくれって上司に言われて、バチカンの大学でエクソシスト講義に出るところから、本書はスタートしていきます。

悩み多き現代人である一人の神父の姿を通して、現代にも絶えることなく続く、悪魔の存在とその脅威について、日常の一場面として描かれます。

英語しか分からず、イタリア語で行われる講義の通訳探しに苦労しながらもその講義を受講し、さらには実際にエクソシストとして活動している人の下で、その活動に何度も参加して体験を積む過程もあまりにもさりげなく書かれているが故に、リアルっぽいです。

いわゆるエクソシスト物をイメージすると肩透かしを食うかもしれません。
その代わり、人の為に何かをしたいという、強烈な『奉仕』の想いを強く感じます。
と、同時に、びっくりするほど、純粋なキリスト教(特にカトリック)の勉強になります。

初期のキリスト教徒は全員にエクソシストの権能を認めていたとか、イエスを初め、使徒達もエクソシクトの能力をフルに活かして、神の力の強大さを見せつけ、布教を進めていたかとかね。

神学的な説明も大変詳しいし、ある神学的な説明についても保守派と革新派で説明が異なるなど、その食い違いもそのまま可能な限り、偏見を加えないようにして記述されていて、実に勉強になった。

物語としての面白さは、正直あまり無いと思う。
淡々とした、現代の日常が大半なので。

その代わり、エクソシストを扱った類書では見られないような関連知識が得られます。
結構、要求水準高いと思う。個人的には、こういうの好きで少しは予備知識もあるんですが、普通の人でついていけるのかね?その辺はちょっと疑問だったりする。

しかし、昔、このブログでもバチカンでエクソシストの講座が開かれるというニュースを取り上げたことがありましたが、まさかその内容がこうやって読めるとは・・・・。感慨無量。

オカルト系の薄っぺらな好奇心ではなく、もっと知的欲求から湧き上がる好奇心があるならば、本書はお薦めです。大いに、知的好奇心を満足させてくれるはず。とっても興味深く、勉強になりました。

悪魔払いする前に、事前に承諾書をとろうとする辺り、アメリカだねぇ~と強く思いました。おまけですけど。

ザ・ライト ─エクソシストの真実─ (小学館文庫)(amazonリンク)

ブログ内関連記事
「バチカン・エクソシスト」トレイシー・ウィルキンソン 文藝春秋
法王大学で開講したエクソシスト講座の詳細
悪魔祓いの全国集会をローマ法王が激励
エクソシスト養成講座 記事各種
エクソシスト ビギニング  レニー・ハーリン監督
エクソシズム(2003年)ウィリアム・A・ベイカー監督
エミリー・ローズ(2005)スコット・デリクソン監督
「現代カトリック事典」エンデルレ書店~メモ
ルーマニア正教会が見習い修道女虐待で司祭追放
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2011年12月16日

「コーラン」フランソワ デロッシュ 白水

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私には全くつまらなかった本です。

コーラン自体に不案内な私がその内容と共に、宗教としての歴史やその文化的・社会的な影響等を知りたいと思って読んだのですが、本書の取り扱う内容が全く異なっており、私自身の選択ミスです。

本自体の内容が悪いという訳ではありません。

でも、たいていの日本人読者には、本書の内容に興味が持てないと思います。
コーランの外形的側面を捉えた評価や説明があるのですが、そもそものコーランの内容自体には、ほとんど触れておらず、それを前提として知らない読者には無用の本です。

読者を選ぶ本だと思います。

実際、前半の何割か読んだ後、読了を諦め、どっか興味持てるところはないかと目次見ながら、ざっと飛ばしつつ、面白そうなところを探したのですが全く見つけられず、そのまま読書を中止しました。

こちらを読む時間は削って、かなり素晴らしく読んでてお勉強になる『西洋中世学入門』を読む方に時間を割くことにしました。そちらは、最高にお薦め!!

まだ読み終わってないから、書評は書いてませんけどね。

さて、図書館や古書店でも行ってこようかな?
【目次】
第1章 歴史的文脈とコーランの啓示
第2章 構造と言語
第3章 コーランの教え
第4章 テキストの伝播
第5章 ムスリム社会におけるコーラン
第6章 西洋におけるコーラン受容
コーラン―構造・教義・伝承 (文庫クセジュ)(amazonリンク)

ブログ内関連記事
「図説 コーランの世界 写本の歴史と美のすべて」大川玲子 河出書房新社
「聖典クルアーンの思想」 講談社現代新書
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2011年11月23日

「フランス 巡礼の旅」田辺保 朝日新聞社

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【書きかけ】


この人の書いた本なら、まず外れは無い。
過去に著作を読んだ経験から、そう思える著者が何人かいますが、私的には本書の著者もそういう人の一人です。

そして、間違いなく本書は読む価値のある本です。

実際に自ら現地へ訪れた経験と丹念に関連書を読んで勉強された人が真摯に文章を書くと、こういう本になるのだろうなあ~と行間の端々から、伝わってくる文章です。

あとね、実は著者について、今まで読んでいて気付かなかったことを1つ発見しました。著者、国書から出てる「ルルドの群集」の訳者です。そう、あのユイスマスンスの!

海外なんて一度も行ったことがなく、キリスト教のなんたるかを全く知らなかった高校生ぐらい頃の私が読んでたことを思い出しましたよ!!

同じくユイスマンスの「大伽藍」、「腐乱の華」、澁澤龍彦の本を貪るように読んでいた頃からだったんですね。著者を知っていたのは。今回、本書の著者略歴見るまで全く気付きませんでしたよ。うかつでした・・・・。

前置きが長いので、いよいよ中身について。

スペインのサンチャゴ=デ=コンポステーラが巡礼の最終目的地ではあるわけですが、そこに至る4大ルートがあり、その途上には、数々の聖遺物を有する有名な巡礼地(=聖地)が存在します。

その主だったものについて、巡礼路に沿いつつ、紹介していきます。それらのほとんどは世界遺産だったりするわけですが、割合最近のルルドなどもしっかり紹介対象に入っています。

また紹介と言っても、観光ガイドに毛の生えた程度の薄っぺらな内容の本が多い中、本書はそれらとは一線を画し、非常に内容豊かです。

歴史的な成り立ちから、さまざまな文献に出てくるその土地、その聖人にまつわる各種伝説やエピソードに始まり、現在のありように至るまで。実に多種多彩な資料や自らの脚で周った体験を踏まえて書かれているので文章に深みと味わいがあり、本書を読むだけで往時の姿やその聖地の有様が目に浮かび、我知らず、行ってみたい!と思わずにいられない魅力があります。

著者は類書をいくつか書かれていて、それらの本とも内容が錯綜する部分は、重複しないように書き分けられてはいるものの、思わず、類書も読まねば思ってしまうぐらい良いです(笑顔)。

シャルトルの章なんて、実際に私も2度行き、クリプトへも行ったくらい好きで何冊も関連本を読んである程度は知っているつもりでしたが、それでもさりげなく知らないことが書かれていて大変勉強になりました。

本書は薄いのですが、相当濃い内容が凝縮して書かれています。
ニコラ・フラメルの話なんかも良い例で目から鱗と申しましょうか? 読んでいて、そんなこともあったのかと、無知蒙昧の私をまさに啓蒙されたような気分でしたよ(苦笑)。

本当に勉強になる1冊です。

文章は非常に読み易く、前提となる知識はあまり無くても困らないのですが、本書に盛り込まれた情報、知識は得がたいものがあります。そして、著者カトリックなのかな? 実に真摯な姿勢で「巡礼」という行為や「巡礼者」を捉え、実に暖かい目で評価しているのが心地良いです。

特に信仰する宗教を持たない俗物の私ですら、本書を読むと「巡礼」に行ってみたい!(私の場合は、観光にしかならいけど)と強く思ってしまうくらいでした。本書は絶対にお薦めの1冊です。

抜き書きメモ:
サン=ジャック=ラ=ブーシュリー教会。
・・・その正面タンパンは珍しいことに、古く「音楽の術」と呼ばれていた「錬金術」の象徴表現にあてられ、中央には聖母子像、タンパンの縁は、楽器を持った天使八体によってぐるりと取り巻かれていた。聖母は右手に幼子イエスを抱きかかえ、左手には一束のぶどうの房をつまみあげている。そして、聖母子の両脇に、一組の夫妻がひざまずいて手を合わす姿が見られた。夫妻のかたわらには、それぞれNとPとの頭文字が描きこまれていた。すなわち、ニコラ・フラメルとその年上の妻ペルネルとの。在りし日の姿である。

ニコラの横には、巡礼杖を持った聖ヤコブ、ペルネルの横には、洗礼者の聖ヨハネが膝をついた者の肩に手をおいて寄り添っている。聖母の両側には、コキーユ・サン=ジャンク(帆立貝)までが一つずつ、刻み込まれている。
うっ、ここのタンパンはニコラ・フラメル夫妻の寄進によるものだとは全く知りませんでした! そしてあの錬金術士として名高い人物が巡礼路の基点となるこの教会と関係があるとは・・・うかつな私。

ペルネルと結婚して間もなくのころ、平穏な市民生活を送っていたフラメルに、一夜、夢の中に天使が現れ、古い一冊の書物を示して、そこにはだれもついに知る事のできぬものが秘められていて「いつの日かおまえがそれを悟るときがくる」と告げる。そのすぐ後、ニコラは未知のある人から、神秘の絵入りの古い手写本を二フロリンで購入する。そこに解読不能な不可思議な文字、蛇、鞭、水の噴き出す泉、流れる血、剣を持った王などの奇怪な絵がちりばめられていた。フラメルは、その意味を解こうとして苦心するがかなわず、高名な医学者アンソーム師も適切な助言を与えることはできなかった。この書は『ユダヤ教徒アブラハム』の題がつき、ユダヤ教のカバラ神秘学では著名な古典籍だった。ニコラは、「ガリシアの聖ヤコブさま」の御力を仰ごうと思いつく。サンティヤゴ巡礼とはすでにこの時期、人知では到達不可能な、奥深い、隠れた秘儀にたどりつこうと願う霊的探究の確かな道程として受けとめられていたことをさし示す徴表の一つがここにある。
 妻のゆるしを得て、ニコラは長い苦しい巡礼の旅に出る。ナバラ、リオハ、ブルゴス・・・そして目的のサンティヤゴ・デ・コンポステーラ大聖堂。祈りをささげたあと、帰途、かねて評判に聞くレオン在のユダヤ教学者、今は回心してキリスト教徒となったカンチェス師をたずね、たずさえて来たかの古書を見せる。失われてたと思われていたカバラの秘宝の書を目にして、師は驚喜する。
 ニコラは、師から神秘学の手ほどきを受け、師を伴って、帰国の途につく。途中、オルレアンでの師の発病と死。しかし、パリに戻ったフラメルは、3年間の研究ののち、秘宝の鍵を読み解き、ついに1382年4月25日、午後5時頃、水銀の溶媒に溶かした鉛が輝く金に変わって現れるのを見た・・・・




【目次】
1 出発―サン=ジャック塔の下から
2 海の星よ、今ここは、麦の海原―シャルトルのノートル=ダム
3 大天使の舞う海のほとり―モン=サン=ミシェル
4 森かげに、水ぎわに隠れた御堂を―ブルターニュのトロ・ブレイス
5 岩窟のくぼみの黒い聖母―ロカマドゥール
6 岩山の頂の赤い聖母―ル・ピュイ=アン=ヴレイ
7 ウーシュの谷のロマネスク聖堂―サント=フォワ・ド・コンク
終章 ピレネーの山のふもとで―奇跡の地ルルド

用語解説
フランス 巡礼の旅 (朝日選書)(amazonリンク)

ブログ内関連記事
「サンチャゴ巡礼の道」イーヴ ボティノー 河出書房新社
「サンティヤーゴの巡礼路」柳宗玄 八坂書房
「巡礼の道」渡邊昌美 中央公論新社
「中世の巡礼者たち」レーモン ウルセル みすず書房
「スペイン巡礼の道」小谷 明, 粟津 則雄 新潮社
「中世の奇蹟と幻想」渡辺 昌美 岩波書店
「図説 ロマネスクの教会堂」河出書房新社
「フランス ゴシックを仰ぐ旅」都築響一、木俣元一著 新潮社
「星の巡礼」パウロ・コエーリョ 角川書店
「フランスにやって来たキリストの弟子たち」田辺 保 教文館
「フランス歴史の旅」田辺保 朝日新聞社
「巡礼と民衆信仰」歴史学研究会 青木書店
「巡礼の文化史」ノルベルト オーラー法政大学出版局
「芸術新潮1996年10月号」生きている中世~スペイン巡礼の旅
「スペイン巡礼史」関 哲行 講談社
「ある巡礼者の物語」イグナチオ デ・ロヨラ 岩波書店
「スペインの光と影」馬杉 宗夫 日本経済新聞社
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2011年09月18日

「エチオピアのキリスト教」川又一英 山川出版社

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以前から、エチオピアのキリスト教や世界遺産には大変興味があったので、実際に行った人の体験記ということで読んでみました。

旅行記としては、確かに一定の価値はあるのでしょうが、正直勉強不足を強く感じてなりません。

著者はエルサレムでキリスト教の宗教儀式を見ていて、他のキリスト教宗派とは明らかに異質な舞踏や楽器の演奏を伴うエチオピアキリスト教に関心を持ったといいます。

でもね、本書で書かれている内容は、そのまんまグラハム・ハンコックの「神々の指紋」で述べられたポイントを焼き直し以上の新しい文章、情報、知識は皆無に近いです。

行った、という行動記録以上には、全く価値がありません。

シバの女王の話やケブラ・ナガスト、タルムードにユダヤ教のファラシャのことなど。
もっとも今はイスラエルの受け入れ政策の結果、ファラシャがほぼ全員がいなくなっていることなどは、初めて知りましたが、後はほとんど書かれていて知らない事無かったりする。

ということは、事前に著者が調べたうえで積極的に行動し、調査することが無かった訳であり、ただガイドに案内されて観光旅行+α程度しか無かったことを如実に示している。
まあ、出版社が企画して費用持ちのものに乗ったのかもしれないが、正直、バックパッカーの旅ブログ以上の価値は無かった。残念!

やっぱり自分で行き、この目で確かめるべきなんでしょうね。

もっと知りたい!!という寝た子の欲求を読み覚ますことになりました(笑顔)。
ツレを連れていくのは、さすがに無理そうな国だから、一人で行ってこうようかな?
【目次】
「失われたアーク」を求めて―首都アディス・アベバ
夜を徹した祈り―古都ラリベラの降誕祭
タナ湖に眠るアークの記憶―青ナイル源流のエチオピア最大の湖
黒いユダヤ人を訪ねる―ファラシャ族の集団移住
ティムカットの祝祭―最古の古都アクスムのタボット
エチオピアのキリスト教―思索の旅(amazonリンク)

ブログ内関連記事
「エチオピア王国誌」アルヴァレス 岩波書店
「神の刻印」グラハム・ハンコック著 凱風社
NHK世界遺産100 高原の巡礼者 ~ラリベラの岩窟教会群~
「聖母マリア」 竹下節子著 講談社選書メチエ 覚書
「シバの女王」ニコラス クラップ 紀伊國屋書店
「黄金伝説2」ヤコブス・デ・ウォラギネ 人文書院
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2011年07月18日

「キリスト教をもっと知りたい。」月本昭男 学習研究社

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世界中の有名なキリスト教絵画や壁画、建築物などの写真をふんだんに取り入れ、非常に分かり易く、標準的な説明がなされています。

オーソドックスな説明が多く、予備知識のない人でも偏らずに、キリスト教の基本を学べるかと思います。

それ以上に私の場合は、採り上げられている写真にいい物が多かったので、本屋で立ち読みしていて(大概は見る価値が無く、買わないのですが・・・・)、これは気に入り、速攻で購入しました。

値段が650円と新書並みなのに、これだけのビジュアル・ブックなら、買っといて損はないでしょう。世界遺産であっちこっち行ったことのある大聖堂とかも出ているし、現地の美術館で何度も見た作品をこうやって観れるのは嬉しい&楽しい限りです♪

写真は非常に大きくて綺麗なうえに、採り上げている題材もなかなかセンスいいですよ。ホント、私好み。

ただ、黒い聖母の説明や他にもいくつかの説明で、間違いとは言えないまでも、それオーソドックスな説明?って首をかしげるところがありました。

監修者にその筋の人の名前をつけてますが、たぶん、名前貸してるだけっぽいね。ありがちだけど。

正直、よくよく読んでみると疑問つ~か、反論の挙げられる説明箇所もありましたが、実際の執筆者は学研さん編集の分業みたいだから、このレベルかなあ~?

でも、全体としてみると、非常にバランスの良い説明だと思います。
キリスト教を知りたい、興味あるけど良く分からない。西洋の美術品をもっと良く理解したいという人ならば、これは最近では一番のお薦めですね♪
【目次】
神の子を宿した乙女 聖母マリアの伝説
世界遺産の大聖堂
システィーナ礼拝堂の天井画で「聖書」を読む
日本正教会 東京復活大聖堂
イエス、地上最後の一週間
聖骸布の謎と秘密
父なる神とイエスの肖像
イエスに愛された女 マグダラのマリア
ペトロは鍵、大ヤコブは貝殻 聖人たちとシンボル
キリスト教をもっと知りたい。 (学研ムック)(amazonリンク)

ブログ内関連記事
「図説 キリスト教文化史1」ジェフリー バラクラフ 原書房
「キリスト教図像学」マルセル・パコ 白水社
「新装版 西洋美術解読事典」J・ホール 河出書房新社
「黒い聖母崇拝の博物誌」イアン ベッグ  三交社社
「黒マリアの謎」田中 仁彦 岩波書店
「黒い聖母」柳 宗玄 福武書店
「芸術新潮1999年10月号」特集「黒い聖母」詣での旅
「ヨーロッパのキリスト教美術―12世紀から18世紀まで(上)」エミール・マール 岩波書
「図説 キリスト教聖人文化事典」マルコム デイ 原書房
「黄金伝説1」ヤコブス・デ・ウォラギネ著 前田敬作訳 人文書院
「聖者の事典」エリザベス ハラム 柏書房
ラベル:キリスト教 書評
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2010年08月27日

「西洋中世奇譚集成 聖パトリックの煉獄」マルクス、ヘンリクス 講談社

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時代は中世ヨーロッパ。
『煉獄』という概念自体、カトリックの生み出したものと言われていますが、その煉獄に行って戻ってきた人が経験した煉獄での光景・事物を語ったものをそれぞれ文章にしたものです。

日本の中世説話とかにも似たようなものありますねぇ~。
聖パトリキウスの煉獄譚にいたっては、実際の島にその場所があり、巡礼者達が集まったようですが、私的には仏寺の胎内巡りを彷彿とさせ、そのヴァリエーションのようにさえ、感じられました。

人は思っただけで、脳内に実感しうるだけの虚像を生み出せる生き物ですから、当時の、しかも非常に強烈な信仰心・想いに捉われていた人物であれば、一定の条件下では更に容易にそれを体感できたのかもしれません。

まあ、「銀行はつぶれない」とか「国際はノーリスクの安全資産」とか信じている現代人とは、信じている対象が異なるだけで似たようなもんですけどね。あと、年金はもらえるものと思っている人とか、消費税が上げないで無駄を省くだけで今の財政政策が維持できると信じてる人とかね(ニヤリ)。

そっちはおいとくにしても、本書は当時広く流布しているだけあって、なかなか面白いです。

説話物語の血の池地獄とか、針の山とか思い浮かべながら読んでおりました。私。数々の拷問や責苦の場面も小さいながらも味わいのある挿絵が多数載っていて、見ていても楽しいです♪ 

私の大好きな「黄金伝説」とはちょっと系統が違いますが、煉獄に落ちない為に聖人のとりなしを求めることとは表裏一体の関係でしょうか? 一方で、こんな風に煉獄の恐ろしさが伝えられているが故に、それを避けるべく人は、とりなしを求めて熱狂的な行動へと駆り立てられたのだでしょう。

当然、合わせて当時を知るには、知っておくべきお話です。単純に面白いからね。

個人的には、ちょっと惹かれたのが、高潔な司祭を破滅させる為に赤子を面前に遺棄し、それを養育させる。自分自身の娘のように育てたその子は、年頃に成長すると美貌の為、司祭の欲望を燃え上がらせ、司祭は、娘から結婚の同意を得るまでに至る。

それらは全て悪霊が15年がかりで立てた堕落の計画だったのですが、最後の最後で司祭は寝台の上に寝かせた少女に手を出す直前、我を取り戻し、自らの性器を刃物で切って誘惑を退ける。

少女は修道院へ預けられ、司祭の堕落にしくじった悪霊は、仲間の悪霊から散々に鞭打たれることとなった。

う~ん、実の血の繋がった妹ととは知らずに、肉欲から関係を結ぶゴシック小説の「マンク」を思い出させますね、ハイ! 個人的には、散々悪い事して堕落してしまった後に深く改悛して聖人になったりする方が、良さそうに思いますが、駄目なんでしょうね。俗人的な発想では(笑)。

でも、これ面白いし、押さえておくべき本なのは間違いないですね!

今度、ル・ゴフの「煉獄」も読みたくなりました。今まで興味湧かなかったんだけど。
【目次】
第1部 トゥヌクダルスの幻視―マルクス(ラテン語ヴァージョン)
第2部 聖パトリキウスの煉獄譚―ヘンリクス(ラテン語ヴァージョン)
西洋中世奇譚集成 聖パトリックの煉獄 (講談社学術文庫)(amazonリンク)

ブログ内関連記事
「ケルト神話と中世騎士物語」田中 仁彦 中央公論社
「聖ブランダン航海譚」藤代幸一 法政大学出版局
「ビンゲンのヒルデガルトの世界」種村季弘 青土社
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2010年08月05日

「解読ユダの福音書」J.ファン・デル・フリート 教文館

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一時の興奮も醒め、ナショナル・ジオグラフィックが、さも世紀の大発見!
センセーショナルに騒ぎ立て、本自体は正直期待外れでイマイチだったことしか思い出せなくなりつつある今頃。

改めて、こんな本あったんだと読んでみた本です。

最初からこういう本を読んでみたかったのです。これこそが「ユダの福音書」について私が知りたかった&読みたかった内容が書かれた本です。

あやうく知らずに、読まずに終わるとこでしたよ・・・(ヤバイ&ヤバイ)。

ナショナル・ジオグラフィックの本は、本文の説明よりもそれが発見され、一時歴史の表舞台から消えて、出てくるまでの来歴ばかりをもてはやし、確かに世界中の話題になって、金儲かったんだろうけど・・・・。

ありゃ、今考えるとかなり悪辣な感じがしてなりません!

特に本書を読んだ後では、あちらの本は捨てたくなりますね。何にも説明らしき説明がないんだから・・・!

本書では、まず「ユダの福音書」が大きなグノーシス主義文書の流れの中の一部に属しており、その意味では既知となっているグノーシス主義文書の one of them であり、貴重な資料ではあっても、従来の枠を壊す新機軸的な発見ではないことが述べられます。

それだけで、ナショナル・ジオグラフィックは、嘘つきだよなあ~。まあ、アメリカ商業資本主義の手先と言ってしまえば、それまでだけど、本文の解説文のあのお粗末さは、やっぱり後ろめたさの裏返しかね?ホント?

さて、本書に戻ると、まずは古代から続くグノーシス主義全体の流れを説明し、その中で特に「ユダの福音書」が属すると思われるセツ派の位置付けを行っていきます。

あわせて、既存の「トマスの福音書」や「エジプト人の福音書」などとの共通点や相違点も触れられていく。

今まで、辞書的な説明のグノーシス主義は知っていましたが、こうしてみると、グノーシスと一言で言っても、実に広範な範囲を含んでおり、その中でどのような共通点と相違点があるのか、本書を読んで初めて知りました。

著者はあくまでも「ユダの福音書」を理解するのに必要な範囲での説明と書かれていますが、グノーシス主義そのものへの理解にも大変有益だと思います。

だって、本書読んでようやくアイオーンとかバルベーローとかの言葉が分かってきました。最初、英語の訳文をよく分からないまま、単に日本語に置き換えていくレベルの翻訳もどきを私がした程度では、理解できないのも当然ですね。納得です。まあ、同時に赤面でもあるわけですが・・・(苦笑)。

とにかく非常に勉強になる本です。さすがはキリスト教生粋の出版社さんが出しているだけありますね。原著はオランダ語らしいのですが、訳者さんが著者のかつての教え子というよくあるパターンではありますが・・・、それだけに訳も丁寧にされている感じです。但し、必要以上に小難しい言い回しや漢字の使用はマイナスですけどね。

訳なんですから、原文に忠実で日本語で意味を汲み取り難くする言葉遣いは、改めるべきでしょう。せっかくの素晴らしい内容がもったいないです。
まあ、あのブームでも売れなかったであろうことは容易に想像つきますけどね。

勉強になり、非常に面白くてしかたないのですが、内容についていけない箇所もところどころあるのも事実。一般読者向けに書かれた学術関係の解説本ではありますが、どれだけ一般読者がついていけるかは疑問ですねぇ~?

一般対象とは言っても、それなりにキリスト教的な常識を踏まえたうえで、最低限度、トマスの福音書とか外典等も読んだことあるぐらいの読者でなければ、まず、ついていけないし、本書の面白さに気づくことさえできないかも?

でも、本当に関心のある方には、是非&是非お薦めの一冊です。ナショナル・ジオグラフィックの本を2冊買うぐらいなら、絶対にこっちを買いましょう&読みましょう。

なお、本書のユダの福音書の訳は、著者自身がコプト語から直接日本語に訳出しているそうです。著者はコプト語勉強されていたらしいし。

日本語でこんな本を読めるだけでも感謝したいくらいですよ~ホント。

以下、本書を読んで私が思い付いた気付きなどをメモ。
ユダの福音書では、通常大天使の筆頭であるミカエルではなく、序列二位のガブリエルの霊を受けているそうだ。

普通の人間は、ミカエルの霊を受けていて、魂と身体は死すべきものだが、これに対してグノーシス主義者は高次の秩序の天使であるガブリエルから霊だけでなく、不死である魂をも受け取る。

至高の光世界からのこの二重の賜物は、グノーシス主義者を絶えず物質的被造世界の上へと持ち上げ、下界の支配を抜け出すことを可能ならしめている。
神話は物質的世界・人間と神的世界との間の関係を図示している。この関係を特徴づけているのは、一方で本質的対立であり、他方で模倣である。

高次の世界は、下界(低次の世界)に対して範型的機能を有する。さらに低次の物質世界は、一連の悪霊的な存在を媒介として、天上世界から言わば流出した。他方で、これら悪霊的存在は、神的世界との接触をまさに邪魔する存在である。
ここでいう「範型」は、カトリックが旧約聖書を新約聖書のヴェールを被ったものと看做す「予型論(タイポロジー)」と同質であり、私自身の感覚でいうなら、帰納的認識法とでも呼ぶべきものなのだと思われる。

これ読んでいて、私が頭に思い浮かべたのは、そう『光の形而上学』。
認識できない神的世界をその性質を微かに有する現実社会の物質から、うかがい知ろうとするこの新プラトン主義には、グノーシスと近しい同質性を感じるのですが・・・・?

本書でも、物の本でもそういう指摘をしている記述は見たことないんだよねぇ~。私の妄想なのでしょうか?

ゴシック建築は、カトリック教会により生み出され、建設されているものの、その中心的(本質的)思想は、むしろグノーシスの『叡智』に結び付きそうな気がしてなりません。

もっと&もっとその辺に関する資料調べてみたいなあ~今後は・・・楽しみです♪
聖体拝領の否定:
・・・
キリストに倣ってその贖罪の犠牲を(聖体拝領という形で)現前化する、媒介者たる祭司(司祭)制度についての教会の考え方が批判されているのだ。
・・・
十字架の上で捧げられたのは、神人間イエスではないのである。そもそもそういうことはありえない。何故なら、真のイエスは純粋に霊的存在であり、
・・・
イエスが自らを神に捧げているのではなく、むしろ、人間の死せる身体が、それを泥から形づくった当のアルコーンどもに返還されているということなのである。
完全な神がいる他に、低次の悪霊的神がいて、その低次の神が生み出したのが人間という世界観がまず背景にある。だからこそ、蛇の象徴するものも自ずとグノーシスでは異なってくるのも道理だったりする。
「ユダの福音書」では、イエスはしばしば笑っている。笑う事は、正典福音書のイエスは決してしておらず、逆にイエスはこう言っている。

今笑っている人々は、不幸である、あなたがたは悲しみ泣くようになる。(ルカ6/25)
・・・
イエスの笑いは、決まった意味をもつ独特な一つのモチーフであり、それは、下界に対して、またその無知と邪悪さとに対して、イエスが自らを現す時に見られるところの、イエスの神的優位性を表現したものである。
ここの箇所は、「薔薇の名前」を思い出さずにはいられないだろう。あそこでの文脈とは異なるものの、あそこで図書館長が守ろうとしたものは、アリストテレスの詩篇ではなく、カトリック信仰の大敵たるグノーシス文章であっても、否、そちらの方がよりしっくりいくような気がしてならない。

だからこそ、『笑い』は忌避すべき禁忌(タブー)だったように思えてならない。図書館館長にとっては、世界の崩壊につながる危機に他ならないのだから・・・。

まあ、他にもあれこれあるんだけど、本書はとにかくいろんな意味で、知的好奇心を刺激しまくりです。気力と好奇心のある暇な人、是非、読んでみましょう。

読んで損するようなものではないかと思います。但し、読者を選びますので万人向けではありません。でも、これは強くお薦めする本です♪(笑顔)
【目次】
第一部
第一章 十項目で見るグノーシス主義
第二章 エジプトに由来するグノーシス主義写本
第三章 「ユダの福音書」の写本―マガーガ・グノーシス主義写本
第四章「ユダの福音書」―タイトルとジャンル

第二部
「ユダの福音書」
本文の構成

第三部
第一章 神・世界に関する見方
第二章 神と人間
第三章 グノーシス主義的観点
第四章 教会に関する見方
第五章 ユダに関する見方
第六章 回顧と評価

グノーシス主義に関するさらなる読書のために
訳注
解読ユダの福音書(amazonリンク)

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「原典 ユダの福音書」日経ナショナルジオグラフィック社
ユダの福音書(試訳)
NATIONAL GEOGRAPHIC (ナショナル ジオグラフィック) 日本版 2006年 05月号&「ユダの福音書を追え」
ユダの福音書の内容は、確実にじらされることを約束する
『ユダの福音書』4月末に公刊
イスカリオテのユダ、名誉回復進む!
「ユダの福音書の謎を追う」セミナー
マグダラのマリアの福音書(訳)
「イエスが愛した聖女 マグダラのマリア」マービン・マイヤー 日経ナショナル ジオグラフィック社
「ユダとは誰か」荒井 献 岩波書店
「トマスによる福音書」荒井 献 講談社
「現代カトリック事典」エンデルレ書店~メモ
中世思想原典集成 (3)~メモ「天上位階論」「神秘神学」
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2010年05月16日

「聖母マリア崇拝の謎」山形孝夫 河出書房新社

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ちょうど法王が「ファティマの聖母」を訪問しているニュースを見たのと、来月行くシャルトルの黒い聖母のことを思い出したので久しぶりにマリア学関係の新刊本を読んでみました。

まず、前半第一部、正直「聖母マリア」に無理にこじつけて、ご自分の関心事である宗教人類学的な視点で関係のない他宗教の話をしている感じがしてならない。

バァール神の話は、あまり詳しく書かれた本を読んだことがなかったので新鮮で興味深かったんですが・・・。正直、後半部を読むとこの著者の書く事、信用できません。


有名な雅歌の解釈についても、えっー!そうだったんですか・・・・! と驚くことが書かれていて、古代エジプト恋愛詩の技法の影響下で書かれていたりして、従来の解釈とは全然異なる説などをいろいろ紹介している。(あくまでも紹介しているだけで、著者の好みで複数の説を紹介しているだけだったりする)

どんだけ興味深いんだろうと思って読み進めていましたが、第二部に入って読んでみると、正直期待外れ。

元ネタの本は大概私も既読の本だったので、それを前提にして読んでると、かなり適当に著者さん書いてませんか?

率直に言うと、本書は著者による読書メモ、それ以上の価値はありません!!

だって、マリア学の話や黒マリアなんて、引用というなの列挙でしかないし、理路整然とロジカルに説明されているとは思えない。一応は、著者基準で説明しつつ、並べてあるんだけど、都合の良いところだけパクってる感が漂うなあ~。

だって、なんの根拠もなくイアン・ベッグとかの本からの引用を紹介する神経が分からない。どう考えてもあの本に価値を見出せないし、あんないい加減な本に書かれた内容は、どれもが信用に値しないでしょう。

そういったものをまともに研究された人の本の内容と同列に紹介し、それらの延長線上で語られてもねぇ~、前提条件破綻してません?

特定の宗教的視点(価値観)に浸かってしまっては、比較なんてできない。というのは分かるのですが・・・・、あまりにも外形的過ぎる評価に基づいて、明確な根拠もなく、想像の遊びで書いている感じがします。

あちこち行ってはいるものの、本書に書かれた部分については、実地に調査されたものでもないですし、一次資料に当たられた形跡も無いです。

あとさ、チュニジアのカルタゴ遺跡の話やタニト神の話だけど・・・私も大好きで実際に行ってみたし、少し本も読んだけど、この著者の言ってること、どこまで一般的か非常に疑問?

少数説を挙げてたら、そんなのいくらでもあるし、単なるトンデモ本になるんじゃないの? かなり偏りを感じる本ですね。およそ学究的な姿勢とは無縁な本かと。

知らない人が読んで真に受けたら、いけないなあ~と思いました。自分が最初、結構勉強になるかと思って読んでたので・・・。見かけどおり、やっぱりチャライ本でした(残念)。

ついでに言うと、マグダラのマリアに関する部分も恣意的な解釈を感じてなりません。一般的ではないと思います。
【目次】
今、なぜ聖母マリアなのか―歴史の揺らぎの中から

第1部 聖母マリアの源流を探る―古代オリエントの地母神から
1章 聖なる花嫁―旧約聖書『雅歌』
2章豊穣と勝利の女神―ウガリット神話
3章祝婚の花嫁と悲嘆の花嫁―アドニス神話から
4章バァール宗教とヤハウェ宗教

第2部 聖母マリアとマグダラのマリア
1章聖母マリアの誕生―新約聖書『福音書』から
2章マリア学の形成
3章黒いマリア―「わたしは黒いけれども美しい」(雅歌1:5)
4章マリアの出現

聖母マリア崇拝の謎---「見えない宗教」の人類学 (河出ブックス)(amazonリンク)

ブログ内関連記事
「黒い聖母と悪魔の謎」 馬杉宗夫 講談社
「黒い聖母崇拝の博物誌」イアン ベッグ  三交社社
「黒い聖母」柳 宗玄 福武書店
「黒マリアの謎」田中 仁彦 岩波書店
「フランスにやって来たキリストの弟子たち」田辺 保 教文館
マグダラのマリア 黄金伝説より直訳
「聖母マリアの系譜」内藤 道雄 八坂書房

「聖母マリア」 竹下節子著 講談社選書メチエ 
「芸術新潮1999年10月号」特集「黒い聖母」詣での旅
「凍れる音楽-シャルトル大聖堂」~メモ
「聖母マリヤ」植田重雄 岩波書店
「アヴェマリア」矢崎美盛 岩波書店
「聖母マリア伝承」 中丸 明 文藝春秋
「世界の名著 67 ホイジンガ」中央公論新~メモ
その他、関連書籍多数有り。
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2009年09月26日

高僧伝(1)~抜き書きメモ

「高僧伝(1)」慧皎 岩波書店より抜き書きメモ。

康僧会の仏舎利について P67~
呉の国に初めて沙門が訪れた際、不審者ということで捕まり、詰問される。僧は疑いを晴らす為に仏法の霊験を示すよう求められ、仏舎利を得られれば塔を造営し、得られなければ、刑罰を与えられることになった。
・・・・
みんなして静室で潔斎し、同の瓶を机の上に置き、焼香し祈願した。七日の期日は終了したが、さっぱり反応もない。十四日まで延長することを求めたが、やはり同様である。孫権は「これはいんちき間違いなし」と言い、罪を加えようとしたが、僧会はさらに二十一日までの猶予を求め、孫権はまた特別のはからいとして許した。

 「孔子は言っているではないか、周の文王がすでに亡くなったからには、文明の担い手はこの私に託されているのではないかと。仏法の霊験は降るはずであるのに、しかしわれわれには何の感応もない。王法のお世話になぞなってたまるものか。決死の覚悟で臨むべきだ。」

二十一日目の日、暮れ方になっても相変わらず何の兆候もなく、震え恐れない者はいなかった。五更の刻となった頃、突然、瓶の中にからからと音がし、僧会らが自ら見に出かけてみると、果たして舎利が得られたのであった。翌朝、孫権に奉呈し、朝臣たちがこぞって見物に集まってくると、五色のまぶゆい光炎が瓶の上に明るく輝いた。孫権が自ら瓶を手に持って銅の皿にぶちまけたところ、舎利がぶつかって皿は即座にこっぱ微塵となった。孫権はすっかり身が引き締まり、驚いて立ち上がって「稀有の瑞祥だ」と言った。

僧会は進み出て言った。「舎利の威光不思議は何もこの光の相だけにはとどまらぬ。劫火とてやくことはできぬし、金剛の杵とて打ち砕く事はできぬのだ。」

孫権が試すように命じると、僧会はあらためて「仏法の雲は今や広く覆わんとし、衆生はその恵を仰がんとす。」願わくはあらためて不思議の迹(あと)を垂れたまい、かくて広く霊威を示されんことを」と誓願し、そこで舎利を鉄の平台の上に置き、力士にそれを撃たせた。すると平台はすっかりへこみ、舎利には何の損傷もなかった。孫権は驚嘆感服し、さっそく仏塔を建立した。
・・・・
鳩摩羅什 P141~
鳩摩羅什(くまらじゅう)、中国名は童寿は天竺の人である。家は代々宰相であった。羅什の祖父は達多は才気抜群、名声は国中に鳴り響いた。父の鳩摩炎は聡明で気高い節義の持ち主であったが、宰相の位を継ごうとするときになって、なんとそれをことわって出家し、東のかた葱嶺を越えた。

亀茲王は彼が世俗的な栄誉を捨てたと聞いてとても敬慕し、わざわざ郊外まで赴いて出迎え、国師となってくれるように要請した。王には妹がおり、年は二十になったばかり、頭が良くて聡明明敏。一度目にしたことは必ずやりこなし、一度耳にしたことは暗唱する有様。そのうえ体に赤いほくろがあって、智慧のある子を産む相だとされ、諸国は嫁に迎えようとしたけれども、どこにも出かけようとはしなかった。

ところが、摩炎を見るに及んで、自分の相手はこの人だと心に決めた。王はそこで無理に逼って妻とさせ、やがて羅什を懐妊した。羅什がお腹に宿った時、母親は普段にも数倍して不思議な理解力が備わった事に気づいた。雀梨大寺に高徳の僧がたくさんおり、また得道の僧がいると聞くと、さっそく王族の貴婦人や徳行すぐれた尼僧たちと何日間にもわたって供養を設け、斎会をお願いし仏法を聴聞した。

羅什の母親は突如として自然に天竺の言語に通じ、質問する言葉はきまって奥深い趣を窮め、皆の者はそろって感嘆した。羅漢の達磨くしゃなる者が「これはきっと智慧のある子を懐妊したのだ」と言い、彼女のために舎利弗お腹に宿った時の証しを説いた。羅什が生まれると、また以前の達磨くしゃの言葉を忘れてしまった。
・・・・
羅什も七歳になると(母と)一緒に出家し、師匠から経典を授かり、日ごとに一千偈を暗唱した。一偈は三十二字であるから、合わせて三万二千言である。毘曇を暗唱しおえると、師匠はその意味を伝授し、ただちに通達して奥深いところすべてに理解が行き届いた。
・・・・
蘇摩は才能も妓芸も抜群、もっぱら大乗の教えで教化することに心がけ、兄とあらゆる修行者たちがそろって師事し、羅什までもが先生として仕え、友情はますます深まった。蘇摩はその後、羅什のために「あのくだつ教」について説き、羅什は五陰、十二入、十八界がすべて空で実相がないのだと聞くと、不審に思って質問した。

「この経典には一体いかなることわりがあるとて、すべてあらゆる存在を破壊するのだ」。するとこう答えた。「眼根などのあらゆる存在は真実の有ではない」。羅什は眼根が存在するとの立場に固執し、相手は因縁によって成り立つのであって実体はないとの立場に基づき、かくして大乗と小乗について詳しく検討を加え、何時間にわたってやりあった。羅什はやっと理法が落ち着くところがあるのだと気づいて、大乗の教えに専念するようになり、そこでこう嘆息した。「私は昔、小乗を学んでいたが、それはまるで黄金が黄金だとは分からず、銅の鉱石を素晴らしいと考えるようなものだった」。それを機に、教義の中で要となるものを広く求め、「中論」「百論」「十二門論」などを授かって読誦した。
・・・・
呂光はかくて亀茲を破って白純を殺し、白純の弟の震を君主に立てた。呂光は羅什を捕虜としたが、相手の智慧のほどの見当がつかない。年かさがまだゆかぬのを見てただの凡人としてからかい、無理矢理亀茲王の娘を娶らせようとした。羅什は拒絶して受け付けず、言葉のかぎりを尽くしたが、「沙門である汝の節操は、先父以上のものではあるまいに、どうして固辞するのだ」、呂光はそのように言い、なんと美酒を飲ませて二人を一緒に密室に閉じ込めた。羅什は執拗に強要され、節操をかく結果となってしまった。

あるいはまた牛に騎乗させられたり駻馬に乗せたりして振り落とさせようとしたが、羅什はいつもぐっとこらえてまったく表情を変えなかったため、呂光は慙愧の念にかられて取り止めた。
・・・・
・・・・
君主がある時、羅什に言った。「大師は聡明にしてけたはずれの理解力の持ち主であって、天下に二人とはおられぬ。もしいったん世を後にした暁に、仏法の種を途絶えさせてしまってよいものであろうか」。

かくて伎女十人を無理矢理押し付けて受け入れさせた。それ以後、僧坊には住まず、別に屋敷を立てて潤沢な供養を受けた。講義を行うたびにいつもまず自らつぎの譬喩(たとえ)を説くのであった。たとえば汚泥の中に蓮華が生じたようなもの、ただ蓮華の華だけを摘み取って、汚泥を掴むではないぞと。
・・・・
・・・・
羅什は亡くなる前、いささか肉体の不調を覚えた。
・・・・
そこで病の身をおして衆僧に分かれを告げて言った。「仏法のおかげで知遇となったが、諸君の心を十分に尽くしているわけではない。今やまた世を後にするに当たって、この凄愴たる気持ちは言葉で言い表せぬ。私は、闇昧の身であるにもかかわらず、誤って翻訳の仕事に当てられることとなり、およそ訳出したところの経典、論書は三百余巻。ただ「十誦律」一部だけはまだ筆削を加えるに及ばなかったが、その本来の趣旨をそのままに残すならば、きっと間違いはあるまい。

願わくはほんやくしたものすべてを後世に流伝させ、みんなして弘通させてほしいものだ。今、大衆の面前で誠心誠意誓いを立てる。もし翻訳したものに誤りがなかったならば、きっと荼毘に付した後に舌が焼け爛れる事はないであろう」。

偽政権の秦の弘始十一年八月二十日に長安に卒した。ただちに逍遥園において、外国のやり方に従って屍を荼毘に付した。薪は燃え尽き肉体はばらばらに砕かれたが、ただ舌だけは灰にならなかった。その後、外国の沙門が来て、「羅什が暗誦してたもののうち、十分の一も訳出されなかった」と言った。
・・・・
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「高僧伝(1)」慧皎 岩波書店

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仏教伝来の1世紀、中国の後漢から6世紀梁の時代までで歴史に名を留めた沙門の伝奇の集成。

本書の前に、時流に乗って有名になった別な僧侶によって書かれた「名僧伝」が世俗的な名声のある僧ばかりを扱った僧伝であることに対する問題意識から書かれたらしい。
前代に撰述された僧伝は往々にして「名僧」をタイトルとしているけれでも、しかし「名」はそもそも「実」の賓(賓客。従者)なのである。もし実質に根差した行いがあったとしてもその輝きを潜め隠すならば、高潔であっても世間的な名声は揚がらないし、徳は乏しいのにうまく時流に乗るならば、名声は揚がっても高潔ではない。名声は揚がっても高潔でない者はそもそも(本書の)記述の対象外であり、高潔でありながら名声の揚がらないも者を今のこの記録に備えるのであって、それ故、「名」なる言葉を捨てて「高」の字に代えることとするのである。
著者はそれほど著名な人物だったわけではないらしいが、「高僧伝」が完成すると、それは全国に広まる。一方で「名僧伝」は現在にほとんど伝わっていないらしい。

もっとも、そんなふうにいうと非常に高尚なものと思われそうですが、読んでみると、結構面白い。ゆうなれば仏教版の聖人伝で、かの「黄金伝説」がキリスト教の有り難いご利益で数々の奇蹟を起こした聖人を扱うのに近い感覚です。

聖人の素晴らしい事績に留まらず、仏教の有り難さに由来する数々の奇蹟も紹介されています。どうやっても傷つかない仏舎利とかね。害獣達が人を襲わなくなったとか・・・。

他にもあの「鳩摩羅什」に関する話は、大変興味深いです。高僧との評判を前提に、女犯の戒律をおかして貶めようとするアレですが、貴方のような優秀な人材は得難く、貴方が亡くなったら、仏法の種が途絶えてしまう。だから直系の子孫を作れっていうのはねぇ~。

話的にはなかなかうまいものの、実際はこじつけもいいとこですが、 いろんな話が巷間には流布していたんでしょうね。まあ、私が見たNHKの番組は、やはり適当なような気が改めてします。

全4冊ですか。まあ、読んでいていいような気がします。

そうそう、あと読んでいて思ったのは、仏教の経典1巻がどれほどの危険と苦難を経て、印度から中国に伝えられたかということ。

本当に金銀財宝などおよびつかないほどの価値を認められ、世界の理(ことわり)を、世界の真理を、求めんとする人々。世界の安寧を求める人々。が、まさに命懸けで伝えたという事が伝わってきます。

損得勘定ではできない話ですね。本当に心の底から思います。

また、それを翻訳せんとする人々も実に真摯で、頭が切れ、人格も高潔だったりします。もっともそういう人々ばかりを集めたからこその、「高僧伝」だからなのですが・・・!

まあ、考えてみれば、昔は有能な人材は、政治・軍事・宗教の分野といった限られた分野でその才を発揮するのがほとんどだったはずですので、当然なのかもしれません。現代は、発揮できる分野が多岐にわたる分、密度が低そうだしね。

あと素晴らしい翻訳は、それ自体。もう一つの奇蹟に近い出来事であることを痛感しました。よし、誰もやらないんだから、私も今読んでる本「CHARTRES」翻訳しよっと。英語版をもうすぐ読破できるので、これを翻訳したら、原文をフランス語版を購入して、そちら側から翻訳してみるか。うむ。

ふと思いましたが、鑑真和上を始め、遣唐使がどれほどの思いで仏典を持ち帰り、空海や最澄が戒壇を開くだけのものを受戒して日本にもたらしたか、その思いの百分の一でも歴史の授業で教えて欲しいですね。

何よりも生徒の無気力もさることながら、教師の無知(無自覚)も嘆かわしい限りですね。稀にいらっしゃる情熱あふれる教師の方には、私も大変感謝したりするものの、絶望する場合も多々あったからなあ~。

敦煌の莫高窟の壁に隠された経文の数々。まさに至上の財宝そのものだったんのでしょうね。そんなことを本書を読みながら考えていました。

高僧伝(1)~抜き書きメモ
【目次】
漢の洛陽の白馬寺の摂摩騰
漢の洛陽の白馬寺の竺法蘭
漢の洛陽の安清
漢の洛陽の支楼迦讖(竺仏朔・安玄・厳仏調・支曜・康巨・康孟詳)
魏の洛陽の曇柯迦羅(康僧鎧・曇帝・帛延)
魏の呉の建業の建初寺の康僧会
魏の呉の武昌の維祇難(法立・法巨)
晋の長安の竺曇摩羅刹(聶承遠・聶道真)
晋の長安の帛遠(帛法祚・衛士度)
・・・・
(漢字が難しくて断念)
高僧伝〈1〉(岩波文庫)(amazonリンク)

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日泰寺 本物のお釈迦様の遺骨(仏舎利)があるお寺
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「敦煌」井上 靖 新潮社
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2009年08月08日

「カトリシスムとは何か」イヴ・ブリュレ 白水社

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いつもながらのクセジュ文庫です。薄い本ながらも、なかなか的確で本質的な記述が散見され、既知の知識でも気付かされる事が多い本でした。
カトリック:
①普遍的な教会。キリストの教会全体
②正当で真正な教会。司教に結ばれ、そして司教を通じて神に結ばれている教会

カトリック性:
教会の一つの側面であり、世界全体における拡張のために続けられている努力を指すもの

カトリシスム:
人々が通常「カトリック教会」と呼んでいる教会によって教えられている教義の内容を指す
=ローマ教会とその長である教皇によって保証されている使徒的継承の価値を真に継続するあり方を示す
常に福音を世界津々浦々へ広げていくことこそが、その本質として備わっているというのは、凄いですよね。旺盛な自己増殖機能。一つ間違わなくても、世界中に広がろうとする力は、価値観の多様性を原則とする近代以降と、どう折り合いをつけるのか? それだけでも興味深いテーマです。
全体としてのギリシア・ローマ文明の場合と同じように、キリスト教も長い間、本質的に都市的な現象だった。異教が田舎の地方に強く残存しており、その為にラテン語で「田舎者、農民」を意味する「パガヌス」という語が「異教性」を指すようになった。

アイルランドは、ローマ世界の圏外であり、社会の全体が田舎的である。都市がない為に司教を中心とする制度は修道院におかれて、そのような修道院を基礎として教会が組織された。
ゴシック建築も都市のものなんだよねぇ~。ロマネスクとは、そこが違ったりする。

アイルランドの修道院の興隆も、そもそも都市がない、という視点に今の今まで気付きませんでした。う~む。
オリゲネス
古代の修辞学と哲学の遺産をキリスト教に取り入れようとした。
→プラトン哲学をキリスト教に取り込むという貢献

プロティノス
新プラトン主義。神的存在との交流の豊富麻が構築された。
ルネサンス期の思想の開花の根源は、中世思想の豊かさであり、そのそもそもの目的はキリスト教世界を強化することだった。

ユマニスムは、楽観的なキリスト教的人間観と不可分である。人間は神によって自由で責任あるべきだとされており、自分の性質を獣のようにしてしまうか、高いものにするかのどちらかを選ばねばならない。
救済者であるキリストは、罪の存在である人を神のイメージ・神に似た者として回復させる為に来た。
中世を否定し、中世的なキリスト教からの解放、という誤ったイメージで、子供の頃から学校で学んできましたが、それらはみ~んな【嘘】を教えられてきたと痛切に感じます。

くだらないところをチェックする教科書検定ではなく、内容の意味ある部分で検定して下さいよ~。お役所様。

十二世紀ルネサンスもしかりですが、古典に立ち返ることで本来の自由さ・豊穣さを取り戻してそれを新しいものへとつなげていったのがルネサンスなのですが・・・馬鹿な学校の先生(一部は、尊敬すべき先生もいましたが)から、そんなこと一言も教わらないまま学校教育の歴史は終わりました。正直、悔しいな・・・。
教会は堕落しており、腐敗の絶頂だったというイメージは、ルターの企ての成功を説明するのに都合のよいイメージだが、歴史的分析を進めるならば受け入れられないものである。プロテスタントの革命が生じたのは、活気と創造性が豊かで改革の古い願望が具体化しつつあったキリスト教世界においてだった。改革への動きが沸き返るようになっていたなかで、ルターの計画は根源的なものだった。統一性と継続性を保存する器である既存の教会の古い制度を改変するのではなく、教会の再創設の方向に向かったのである。
これ、私は無知だったことに気付かされます。ルターの動きは、外部からのものではなく、むしろ内部からの変革を求める動きとの関係で見るべきものであったとは・・・うかつ過ぎでした!私!

従来の見方も、勿論間違っているわけではないでしょうが、カトリック内部でそれらと合わさって自己変革の動きがあったのも、凄く重要な視点でしょう。

いろんな意味で勉強になる本でした。但し、予備知識なしに本書だけ読んでいても一見すると単調な記述で、何も感じないかもしれません。いろいろと問題意識があって読むと面白いかも?

本書全体を通して読んでみると、う~む、ラッツィンガーさんの行動は、本来の(神学的正統としての)カトリックに立ち返ろうとする揺り戻しの動きなんでしょうね。

神学的正しさと、現実の政治勢力としての存在からした妥当な立ち位置とは、なかなか整合性が取れないことを強く感じます。

日本ではあまり報道されないので、無関心が多いですが、世界の動きを見る時に、キリスト教やイスラム教の動向は、実に興味深いです。
【目次】
第1章 ローマ世界におけるキリスト教
第2章 「キリスト教的秩序」の困難な伝達
第3章 オキシデントのキリスト教世界
第4章 宗教改革期から啓蒙期にかけてのカトリシスム
第5章 諸革命と「キリスト教世界への回帰」
第6章 第二バチカン教会会議の教会
カトリシスムとは何か―キリスト教の歴史をとおして (文庫クセジュ)(amazonリンク)

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教皇が公布「カトリック教会のカテキズム綱要」
「法王庁」小林珍雄 岩波書店
NHKスペシャル「ローマ教皇、動く」(再放送)
「キリストにならいて」トマス・ア ケンピス 岩波書店
「世界の名著23 ルター」松田智雄編 中央公論社
「十二世紀ルネサンス」伊東 俊太郎 講談社
「十二世紀ルネサンス」チャールズ・H. ハスキンズ(著)、別宮貞徳(訳)、 朝倉文市 (訳)みすず書房
「中世思想原典集成 (3) 」上智大学中世思想研究所 平凡社
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2009年02月04日

「決定版 御朱印入門」淡交社編集局

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本来は、写経したものを納めた納経の証としてもらうものが御朱印だったそうですが、今は参拝記念の記しになっているんでそうです。

まあ、貰い方などが書かれていますが、ごく普通の当たり前のことですね。手や口をすすいで清めてお参りしてから、朱印帳に書いてもらうとか・・・。

読む文章は少ないです。綺麗なお寺の写真と実際の御朱印の写真がたくさん載っています。

う~ん、実にレアな企画を立てる淡交社らしい、といえばらしいのですが、これ売れるんでしょうか? 他人事ながら心配になります。私はあえて欲しいとも手元に置きたいとも思いませんが、御興味のある方、こういうのを出す出版社がつぶれないように買われてもいいかも? しかし、御朱印の本があるとはびっくりしました(笑)。
【目次】
第1章 御朱印の集め方
第2章 霊場を巡る
第3章 多種多様な御朱印
決定版 御朱印入門(amazonリンク)
ラベル:寺社仏閣 書評
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2009年01月04日

「西国坂東観音霊場記」金指 正三 青蛙房

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去年から読み始めているのですが、なかなか読み終わらない(苦笑)。
分厚い本だからねぇ~。とりあえず、東国分を読んでます。

去年も坂東札所三十三ヶ所の何箇所かに行ったのですが、その縁起・由緒に関心が湧いてたので読んだ本です。以前読んだ「坂東三十三所観音巡礼」という本で、縁起等の種本として紹介されていたのが本書だったりする。

本書での扱いは、大きく分けて西国三十三札所と坂東三十三札所の二つ。別々の著者による本を、合わせて一冊にしたのが本書です。

坂東の部分について。原執筆者の執筆の契機。
ある巡礼者が巡礼途中で船に乗ります。突然の嵐で、船頭さえももう命は諦めてくれというほどの状況に陥ります。巡礼者はひたすら観音様にお祈りし、慈悲にすがります。奇跡的に嵐は静まり、無事に巡礼者は陸地へと到着するのですが、これは観音様のおかげと思い、有り難い観音様の巡礼地の縁起を記し、信心者へ役に立つことを願って書かれました。

いやあ~、キリスト教の聖人達(の奇蹟)を描いた「黄金伝説」を彷彿とさせられます。これは、『人』が対象でそれに付随して『聖地』も紹介されれるのですが、本書の場合は、『聖地(巡礼地)』が対象で、それにまつわる縁起や奇蹟、ご利益が描かれています。

値段はそれなりにしますが、全部読まなくても手元に置いて時々参照したいタイプの本ですね。私は、全部読むつもりですが・・・・。

そうそう、実際に巡礼する方も最近は増えているようですが、せっかく巡礼するのでしたら、是非本書の一読をお薦めします!!

これは、良書だと思いますよ~。一度絶版になったのが新装版として復刻されたようですが、まだあるかな? 

なお、私の地元で行った事のある岩殿観音(正法寺)とか、幾つかを読むと実際の場所では、ごく簡略化した縁起しか書かれていなかったものが、大変詳しく載っており、大変興味深かかったです。

その寺が有する現在では知られていないような栄光に満ち、参詣者が鈴生りで多数の伽藍を抱えて、まさに大巡礼地として繁栄していた時代があったことを知り、現在の閑散とした風景と思い合わすことで実に感慨深いものがあります。

本書を読んでから、巡礼地を訪れると、感慨もひとしおでしょう♪
巡礼に興味ある方には、本書は強くお薦めです!!
(まあ、昨今のアニメの聖地巡礼も良いでしょうが、こういうのも楽しいですよ~笑顔)
【目次】
西国三十三所観音霊場記図会
三十三所坂東観音霊場記
西国坂東観音霊場記(amazonリンク)

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「坂東三十三所観音巡礼」坂東札所霊場会 朱鷺書房
埼玉散策シリーズ~弁天沼、岩殿観音1(4月29日)
千葉散策シリーズ~笠森観音(20081012)
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東京散策シリーズ~第二回浅草灯篭会 其の二 淺草観音
埼玉散策シリーズ~秩父芝桜、清雲寺枝垂れ桜(4月21日) 秩父札所
「黄金伝説1」ヤコブス・デ・ウォラギネ著 前田敬作訳 人文書院
「サンチャゴ巡礼の道」イーヴ ボティノー 河出書房新社
「埼玉の伝説」早船ちよ、諸田森二 角川書店
「埼玉県の歴史散歩」埼玉県高等学校社会科教育研究会歴史部会 山川出版社
「埼玉の神社 比企、大里、北葛飾」埼玉県神社庁神社調査団 埼玉県神社庁
ラベル:書評 巡礼 宗教 札所
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2008年12月26日

「ある巡礼者の物語」イグナチオ デ・ロヨラ 岩波書店

人に薦める本かと言えば、正直「はい」とは言い難いところがある。面白いかと言えば、そうも言えないし・・・。

だけど、人生をこれほど真摯に生きた人というのは、なかなかいないのではないだろうか?そう思わずにはいれないほど、人間の生き方としては、感銘を受けるものがある。

世界に広がるイエズス会。日本に布教に来たフランシスコ・ザビエルもこのイエズス会の一員であり、現在も世界中に広がる一大勢力である。

と同時に、世界中で学問をあれほど熱心に取り組む姿勢の根本が、本書には、垣間見られる。イエズス会の創始者たる本書の著者ロヨラが、いかにして学問に打ち込むようになったのか、それを知れば、またたくまに納得することでしょう。

とにかく信念の人であり、自分の内なる声だけに耳を傾け、次々に襲い掛かるありとあらゆる困難に打ち勝つ情熱は、まさに非凡としか言いようがありません。

人は、ちっぽけな存在かもしれませんが、『信念』それがあれば、どれほど偉大な存在になれるのかのいい例証でもあります。

私も体調が悪い時に読んでいたので、常に病いや飢え、種々の悩みに苛まれながらもそれに屈することなく、挑戦していったロヨラの姿には、
驚愕と共に強い『想い』を共感しました。

私などは、正直精神的には軟弱な部類に入るのは確実ですが、現状を肯定してそのまま怠けることだけはしたくない!強くそう思いました!

人は悩む生き物ですが、それから避けたり、努力もせずに諦めるような人生だけは送りたくない。心の底から思いました。

人は必ず死ぬわけですが、死を恐れて、周囲の目を恐れて、ただ生きているのは、やっぱり私の求める生き方ではないなあ~と考えさせられました。本書を読むと、甘えている自分が恥ずかしくなります。

と同時に、とにかく死ぬまで努力しないといけないとつくづくと考えさせられました。宗教とは、一線を置いた目で見ても、感じることのある本だと思います。
【目次】
ロヨラでの劇的な回心体験
「世俗の騎士」から「キリストの騎士」への変貌
マンレサでの浄化から神秘体験へ
エルサレム巡礼―神への絶対的信頼を秘めて
エルサレムからの苦難の帰り路
バルセローナとアルカラで学び、投獄される
サラマンカでの受難―取り調べ、投獄、宗教裁判
花の都パリでの隠れた活動
故郷スペインに帰る
水の都ヴェネチアでの地道な活動
永遠の都での霊的活動
ある巡礼者の物語 (岩波文庫)(amazonリンク)

ブログ内関連記事
「イグナチオとイエズス会」フランシス トムソン 講談社
「ザビエル」結城了悟 聖母の騎士社
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2008年11月03日

「西洋哲学史―古代から中世へ」熊野 純彦 岩波書店

偽ディオニシオスのことが書かれていたので、そこだけ読みたくて手に取った本。ゴシック建築やエミール・マール本を読んでいると、中世の哲学の一部なりとも知らないでは、何も理解できないことを痛感させられる日々でしたので・・・。

でもって、本書の何章分かは普通に、残りは流し読みしたのですが、う~んよく分からない。哲学史なので、歴史的なものからその哲学自体の内容に入っていくのですが、歴史時代に割かれている部分は私的には既知で紙面がもったいないのと、肝心の哲学の内容については、どうも簡潔過ぎて全然意味が分からない。

ある程度は知っている偽ディオニシオスの部分(13章+前後の章)は何度も読み返してみたが、私的には全然使えないんですけど・・・(涙)。

私的には全くお薦めしませんが、一応、読書メモ。
キリスト教文化の復興期であり、人文主義が興隆する季節でもあったカロリング朝期には、ギリシア語諸文献があらためてヨーロッパ世界に知られるようになった。わけても重要なのは、それまでラテン世界にとって疎遠な存在でもあった、ギリシア教父たちのテクストである。

その最大のものが、いわゆる偽ディオニシオス文書であったいってよい。ディオニシオス・アレオパギテースを自称する著書のテクストは以後、中世期をつうじて繰り返し註解の対象となり、決定的な権威を帯びることになる。

著者が新約聖書に登場する、パウロの弟子のひとりと考えられ、しかも、パリの初代司教として殉教した、ディオニシオスと同一人物とも黙されたからである。新プラトン主義とりわけプロクロスの強い影響もみとめられ、パウロ時代のものではありえないテクストについて、いわゆるルネサンス(と宗教改革)期に強い疑念が提出されたけれでも、著者がまったくの偽名を使用していたことが決定的にあきらかになったののは、ようやく十九世紀もすえのことであった。

偽ディオニシオス文書は「神名論」「神秘哲学」「天上位階論」「教会位階論ん」と十通の書簡からなる。「神秘神学」は神に対するつぐのような呼びかけからはじまる(第一章一節)。

 存在を越え、
 神を越え、
 善を越えている、
 三一なるもの

偽ディオニシオスは神へといたるふたつの道として、肯定の道(カタファティケー)と否定の道(アポファティケー)とを区別し、一般に「神名論」はのちに肯定神学と呼ばれるようになる道を。「神秘神学」はおなじく否定神学を展開したものであるといわれる。「越えて」の語は、けれども「神名論」でも、繰りかえし用いられる。三一(トリアース)なる神、三位一体(trinitas)の神は、存在を超えて存在自体であり、善を越えて善自身である。

注目されなければならないのは、偽ディオニシオスがその神を「光を越えた/闇に隠れる」もの、感覚と知性とのいっさいを越えたものととらえ、ことにモーゼの名とむすびつけて、「神という闇の光」にいたるためにには、「無知」こそが必要であると主張していることである。

神の「現在」(バルーシア)は達しうる限りでの知性の頂点を遥かに越えている(同)。「言葉を越えた善」(ヒューベル・ロゴン・アガトン)(「神名論」第一章)である神、いっさいのものの原因である神はまた、すべてのものがぞくする「全体」(ホロン)の、さらにその「かなた」にこそ、在るのである(「神秘神学」第五章)。
【目次】
第1章 哲学の始原へ
いっさいのものは神々に充ちている
―タレス、アナクシマンドロス、アナクシメネス
 
第2章 ハルモニアへ
世界には音階があり、対立するものの調和が支配している
―ピタゴラスとその学派、ヘラクレイトス、クセノファネス
 
第3章 存在の思考へ
あるならば、生まれず、滅びない
―パルメニデス、エレアのゼノン、メリッソス
 
第4章 四大と原子論
世界は愛憎に満ち、無は有におとらず存在する
―エンペドクレス、アナクサゴラス、デモクリトス
 
第5章 知者と愛知者
私がしたがうのは神に対してであって、諸君にではない
―ソフィストたち、ソクラテス、ディオゲネス

第6章 イデアと世界
かれらはさまざまなものの影だけを真の存在とみとめている
―プラトン  

第7章 自然のロゴス
すべての人間は、生まれつき知ることを欲する
―アリストテレス  

第8章 生と死の技法
今日のこの日が、あたかも最期の日であるかのように
―ストア派の哲学者群像  

第9章 古代の懐疑論
懐疑主義とは、現象と思考を対置する能力である
―メガラ派、アカデメイア派、ピュロン主義  

第10章 一者の思考へ
一を分有するものはすべて一であるとともに、一ではない
―フィロン、プロティノス、プロクロス  

第11章 神という真理
きみ自身のうちに帰れ、真理は人間の内部に宿る
―アウグスティヌス   

第12章 一、善、永遠
存在することと存在するものとはことなる
―ボエティウス   

第13章 神性への道程
神はその卓越性のゆえに、いみじくも無と呼ばれる
―偽ディオニシオス、エリウゲナ、アンセルムス 

第14章 哲学と神学と
神が存在することは、五つの道によって証明される
―トマス・アクィナス   

第15章 神の絶対性へ
存在は神にも一義的に語られ、神にはすべてが現前する
―スコトゥス、オッカム、デカルト
西洋哲学史―古代から中世へ (岩波新書)(amazonリンク)

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「バラの名前」百科(而立書房)~メモ
「中世思想原典集成 (3) 」上智大学中世思想研究所 平凡社
「西洋古代・中世哲学史」クラウス リーゼンフーバー 平凡社
ゴシックということ~資料メモ
ステンドグラス(朝倉出版)~メモ
「岩波哲学・思想事典」岩波書店 ~メモ
「中世ヨーロッパの社会観」甚野 尚志 講談社
ラベル:哲学 書評
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2008年08月26日

「カトリックの歴史 改訳」J.B.デュロゼル 白水社

カトリックの通史を扱った本。部分部分はそれなりに分かるのだけれど、断片的にしか知らないので全体像を掴む手がかりでも・・・と思って読みました。

しかし、結論から言うと、本書も断片を寄せ集めたもので決して一本大きな線を通すような著述とはなっていません。個々の話は、当然ながら簡略過ぎ、面白くありません。また、歴史的な在り様の推移やその背景などの大きな『流れ』についても、見るべきものを見出せませんでした、私には。

通史にこだわり過ぎて平板になるよりは、もう少しポイントを絞って幾つかのトピックから歴史の流れを描き出した方が良かったように思います。

あと、簡略な説明であっても、時々納得のいかない説明があり、首をかしげることがあった。例えば、初期のグノーシス派とかは、キリスト教の中で問題になるものではなく、グノーシス派の方がそもそも先でしょ。明らかにソレ違うし・・・。他にも、一般的になさせる解説とは違うだろう・・・というのものが幾つか見られた。大変、違和感を覚えた。

時代的なものなのか、著者のバイアスによるものか不明だが、通史でバイアスがかかり過ぎているならば、好ましくないと思った。少なくとも本書から、私が何かを刺激や示唆を受けるような点は全く無かった。読んでも得るところ、無いような気がします。お薦めしません。
【目次】
第1章カトリック教会とローマ帝国
第2章蛮族の西国、ビザンティンの東国
第3章カロリング朝の文芸復興と教会の衰微
第4章中世紀カトリック教会ーその極盛期
第5章中世教会の衰微
第6章カトリックの改革
第7章教会と革命
第8章十九世紀のカトリック教会
第9章二十世紀のカトリック教会ー問題と解決
カトリックの歴史 改訳 (文庫クセジュ 149)(amazonリンク)

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「現代カトリック事典」エンデルレ書店~メモ
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2008年03月16日

「新約聖書」NKJ/新共同訳 日本国際ギデオン協会

我ながら、大胆不敵で不遜な企てのように思えるが、非信者としての書評ですので、キリスト教徒の方、気分を害しませんように。

実は、ダ・ヴィンチ・コード読破以後、また、シャルトル大聖堂訪問以後、こりゃ「聖書」を読まないと、私の関心のある事はいくら本を読んでも理解できないなと痛感していました。

エミール・マール氏のキリスト教図像学の本を読んでも、写本の解説見ても大元の聖書を知らないんじゃ、論外ですからね。ここんとこ、あしかけ2年以上かけて毎日数頁づつ読んで、ようやく読破しました!!
思った以上に時間かかったなあ~、やっぱり。

プロテスタントの友達いわく、「聖書を読むだけでは駄目でその文言の本当の意味を知る為の解釈が大切なんですよ。」とのことですが、まあ、そこまでやってらんないし、私が興味があるのはカトリックの中世時代における解釈だからなあ~。

そもそも資料文献としての読書なんで意味合いがずいぶん違っていたりする。まあ、それでも単純な読み物としても、結構面白かったです。

特に私の場合は、別な意味で予備知識があったので、ゴシックの大聖堂の建築に表現された理念(タンパンとかね)が、聖書内の文言に相当しているかとか、ステンドグラスの図像が聖書のどの話に由来するのかと、読んでいてネタ探し的な楽しさがありました。

今まで図像を知っていても元ネタを知らなかったんだからねぇ~。言うならば、同人誌を読んでいても原作を読んだり、アニメを見たりしてない状態ですもん(←ひどい比較の仕方でサーセン)。

改めて、新鮮で本当に面白いんですよ~。ただ、信徒へあてた手紙部分は、つまんないです。そこいらは我慢して読んで、最後のヨハネの黙示録でおおっ、こういうの有りなんだあ~? って別な意味で驚いたりします。

天使ばんばん、ひどいことしますよ。極悪非道の限り。俗人の私には、むしろ悪魔の使いにも見えたりしますが・・・。

本書(聖書)を読んで、写本に出てくる象徴的な図像の解説が、ようやく納得いくようになりましたし、シャルトル大聖堂のタンパンのあの図像の意味が、にわかに今まで以上の深い世界観と渾然一体となってきます。サン・ドニのシュジェール院長が目指していたものが、漠然と感じられるような気にもなってきます(大いに不遜な発言だったりして・・・)。

でもあれこれ考える前に、やっぱり読んでみないといけませんね。やっぱり、絶対に必要なことですね。これ読まずして、西洋美術は理解できないと言われている意味がようやく実感できました。ふむふむ。

となると・・・やっぱりコーランも読まないといけないですよねぇ~。神道や仏教は、何を読めばいいのやら? 何気に何にも知らない自分に気付かれますね。はてさて???

まあ、それらは置いとくとして。
私的には得る所が実に大でした。当然、本書はお薦めです!! どちらかというと、旧約よりも新約の方が美術とか文化理解には役立つかも。両方読むべきなんでしょうけど、なかなかそうもいかないですしね。

聖人伝を集めた「黄金伝説」との関連からも、当然、非常に興味深いです。つ~か、先に読め、私(自爆)!
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2008年03月07日

「イスラム聖者」私市正年 講談社

あまりにも知らな過ぎるイスラム教のことを、もう少し知りたいなと思って読んでみました。いろんな宗教に聖人はいますが、イスラム教の聖人(聖者)って、ちょっと私には想像もつかなかったのでその点でも実に新鮮でした。

イスラムの聖者にはキリスト教の列聖のような制度がないので、みんなが認めればOKらしく、民衆の支持こそがその基準となるようだ。キリスト教でも元々は、地方限定の聖人がたくさんいたことを思い浮かべれば、その類似性は宗教に普遍的なものなのだろう。

その一方で、本書で初めて知ったのは「バラカ」という概念です。一応、「神の祝福」「恩寵」「御利益」と訳されるそうですが、そんな単純なものではなく、非常に幅広い意味合いを持つ独特な概念のようです。以下、本文中から。
・・・・・
バラカは、イスラムに内在する要素であり、様々な物や者に宿りながら、それらをイスラムの聖性によって結合させる固有の機能であるといえよう。
全体として、可能な限り文献など資料を基にして、イスラム世界における聖者の存在を採り上げようとした真摯な姿勢が見れる真面目な本なのですが、如何せん、イマイチ面白みには欠けてます。

エピソード的なものの紹介よりは、むしろそれらの類型的な分類とその解釈に力点が置かれていますのでご注意下さい。私的には、まずは具体的な聖者のエピソードの方に関心があったので、その意味では残念でした。

まあ、「バラカ」という言葉を知っただけでもヨシとしましょう。
【目次】
1 生き生きとした聖者社会
2 人はいかにした聖者になるか
3 聖者のプロフィール
4 聖者と奇跡
5 社会の中の聖者たち
6 聖者は歴史をどう変えたか
イスラム聖者―奇跡・予言・癒しの世界(amazonリンク)

ブログ内関連記事
「聖典クルアーンの思想」 講談社現代新書
「三大陸周遊記」イブン・バットゥータ 角川書店
「聖遺物の世界」青山 吉信 山川出版社
「守護聖者」植田重雄 中央公論社
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2008年03月03日

「聖徳太子鑚仰」四天王寺編 中外日報社

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どっかの古書市でたったの300円で売られていた本です。非売品らしいのですが、聖徳太子所縁(ゆかり)の四天王寺が研究者や専門家に寄稿を依頼した論文集という形式で編まれた本です。各章毎にそれぞれ異なった人物によって書かれています。

聖徳太子に対しては歴史の教科書程度の知識しかなかったので、本書を読んで正直目から鱗になりました。聖徳太子が何であれほどちやほやされてるのか(←すみません、無知な私の表現です)不思議だったんですが、聖徳太子って単に日本に仏教を広めて定着させただけの人ではなかったんですね!

聖徳太子は、救世観音が姿を変えて現れた化身であり、転生していろいろな姿で絶えず現れて衆生を教化すると考えられたからこそ、日本仏教界の錚々たる人物、空海や親鸞等々が聖徳太子を崇敬したという記述の意味がようやく分かりました。

というか・・・今の今まで何にも知らない私も情けないお話なんですけどね。

また、先日東京国立博物館の映像で観た「聖徳太子絵伝」って、まさにこの「聖徳太子伝暦」を絵解きしたものだと思うのですが、そう思うと実に興味深いです。

「聖徳太子伝暦」は、当時、聖徳太子に関する種々の伝説・俗説が広まっている中で、多くのものを取り込んで集大成したもので後世、聖徳太子のお話は、この伝暦を元に語られるようになっていったそうです。

な~んか面白いですね。私としては、中世キリスト教の聖人伝を集大成した「黄金伝説」を思い浮かべました。あれも元々は、巷に流布していた伝承諸々をまとめたものなのですが、それ以後は「黄金伝説」を元にステンドグラスや彫刻で図像化され、更に聖人伝が庶民に浸透していく過程の類似性を感じます。

ちょっと話がそれましたが、いろんな意味で興味深い本です。売ってくれたらいいのにねぇ~。数を限って、関係者間に配られたのでしょうか? 実に魅力的な本です。本書を読んだうえで改めて「聖徳太子伝暦」を読んでから、「聖徳太子絵伝」観たいなあ~。今度、関西行ったら、四天王寺にも是非行ってみようっと。今まで、全然知らなかったし、興味なかったのですが、もったいないことしてましたよ~ホント。

聖徳太子好き(どんな人だ?)には、お薦めの一冊でした。

そうそう、一言だけご忠告を。一読してすぐに分かる部分と、難解な仏教思想に関する部分があり、後者は相当難しい・・・というか私にはほとんど理解できませんでした。だから、一般販売しないのかな? 一応、入手を目差す方はご注意を。
【目次】
第一篇
興隆三宝と聖徳太子
聖徳太子の国家理想
日本文化と聖徳太子
聖徳太子と日本仏教
聖徳太子と大陸仏教
聖徳太子

第二篇
勝鬘経義疏のこころ
維摩経義疏のこころ
法華経義疏のこころ

第三篇
憲法十七条奉讃

第四篇
四天王寺本願縁起と太子信仰
法隆寺金堂釈迦三尊と薬師如来の光背銘について
天寿国繍帳銘
聖徳太子伝暦
聖徳太子和讃と聖徳太子講式
聖徳太子絵伝と太子像
和国教主考
聖徳太子の浄土思想
聖徳太子の教育理念
聖徳太子の社会福祉思想の根源
四天王寺
法隆寺
聖徳太子廟の信仰
聖霊会の由来と舞楽法要
四天王寺勧学院の沿革と現状
四天王寺学園の沿革と現状
四天王寺福祉事業団の沿革と現状
聖徳太子年譜
ブログ内関連記事
TNM&TOPPANミュージアムシアター「国宝 聖徳太子絵伝」in 東京国立博物館
「聖徳太子信仰への旅」日本放送出版協会
「聖徳太子信仰への旅」~メモ
「聖徳太子はいなかった」谷沢永一 新潮社
日本最古の建設会社、1400年の歴史を持つ金剛組
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2008年02月24日

「坂東三十三所観音巡礼」坂東札所霊場会 朱鷺書房

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札所毎にそれぞれ4頁を割いて簡単な歴史などを解説し、主な法要行事、付近の名所旧跡、宿泊施設、拝観料、納経時間を紹介している。

また、視認性の良い巡礼の道順と地図があり、アクセス関係も具体的に書かれていて有用性が高い。

決して重い本ではないですし、実際に巡礼する際に持ち歩くのにも便利だと思います。また、実際に行く行かないにかかわらず、どういったお寺なのかちょっとその歴史を知りたいときには重宝します。

何よりも私の場合は、本書のおかげで完全に誤解していた点に気付きました。浅草寺なんですが、何故か今の今まで私は江戸時代以降に出来た歴史の浅いお寺だと思い込んでいました。

実は1400年近い歴史と由緒のあるお寺さんだったみたい。歴史が古ければいいというものでもないですが、う~、何十回も行ってるけど、知らなかったなあ~(反省)。

決して記述の量が多いわけではありませんが、そこそこの情報が入っていますので、勉強になります。また、次に何の本を読めばいいのか、本書で学ぶ事ができました。以下の本に詳しい縁起が書かれているそうです。今度、探してみよっと!

亮盛師著(1771年)「三十三所坂東観音霊場記」(十冊)・・・青蛙書房で活字本 
続豊山全集にも有り

えっと、これですね。ふむふむ。西国坂東観音霊場記 新装版(amazonリンク)

本書に出ている幾つかの寺はうちの近所にもあり、このブログでも何個か既に採り上げたことのあるもの。他の札所も回ってみたいなあ~。
【目次】
1 杉本寺 2 岩殿寺 3 安養院 4 長谷寺 5 勝福寺
6 長谷寺 7 光明寺 8 星谷寺 9 慈光寺 10 正法寺
11 安楽寺 12 慈恩寺 13 浅草寺 14 弘明寺 15 長谷寺
16 水沢寺 17 満願寺 18 中禅寺 19 大谷寺 20 西明寺
21 日輪寺 22 佐竹寺 23 観世音寺 24 楽法寺 25 大御堂
26 清滝寺 27 円福寺 28 竜正院 29 千葉寺 30 高蔵寺
31 笠森寺 32 清水寺 33 那古寺

巡礼の十徳
巡礼十三ヶ条の心得の事
坂東三十三観音札所一覧
巡拝計画
坂東三十三所観音巡礼―法話と札所案内(amazonリンク)

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「仏教の説話と美術」高田 修 講談社
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「仏教の説話と美術」高田 修 講談社

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キリスト教の図像学における、エミール・マールが書いたような本を期待しつつ読みました。しかし、いくら読んでも具体的な図像とそこに描かれた内容とが一致するような説明は、一部を除いてほとんど見つけられませんでした。

そもそも本書に入っている図版があまりにも小さい写真であり、説明されている文章との対応関係が明確に分からないうえに、極端に図版の数が少な過ぎることで、およそ図像の説明としては、根本的な問題があるように感じます。

元々の読者としての対象が、十分な予備知識を持っている人だからかもしれませんが、無知な私には、本書で解説される名称の漢字の量で既についていけませんでした。

巻末の初出を見ると分かりますが、複数の雑誌や本に載ったものをまとめた為、内容にも相当部分の重複があります。一方で、本来説明して欲しい用語や一般的な基礎知識部分の説明は既知のものとして、必要以上に省いてあり、決して理解しやすい文章ではありません。

また、それらを克服して読んでいっても、今まで実際の寺社仏閣で見ても分からなかった図像が、目から鱗・・・のように理解できるようになるのでもなく、正直本書を読んでいて感動がありませんでした。

個人的な希望としては、概説的で総括的な部分は削ってでも、もっとポイントを絞って具体的な図像を例示しつつ、それが何を示しているのかを明確に説明して欲しかったです。図像の元となる伝承などは興味深かったのですが、それがいかにして表現されているのか、時代的な推移を踏まえた説明などは、はなはだ不満足です。

う~ん、この類いの名著って無いのでしょうか? 仏教や神道の図像学的な本があったっていいと思うのですが、私が見た限りでは、ほとんど見たことないんですよねぇ~残念!

巷にあふれる、安っぽくて陳腐な、初心者をなめきったような入門書ではなくて、難解でも苦労して読む価値のある本があれば、挑戦したいのですが・・・ふう~、見つからないなあ~。

あちこちの神社やお寺で見た彫刻も意味が分かれば、もっと楽しくなるんですけどねぇ・・・。是非、研究者さんに期待したいところです。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
と批判的なことばかり、書きましたが、本書を読んでいて改めて仏教とキリスト教の違いを感じました。有名な話ですが、例えば、こんな話があります。
「投身飼虎」
ある国に慈悲の心厚い三人の王子があり、一日そろって山中へ分け入り、飢えた雌虎が七頭の子虎をかかえ死にかけているのを見つける。兄弟たちは憐れみの心に打たれるが、どうするすべも知らず遠ざかっていく。ただ末の弟だけは仏道を成就するため、不惜身命の一大決意をして引き返し、自分の体を食べさせようと、着物を脱いで竹の枝にかけ、虎の前に横たわる。しかし母虎は食いつく力もない。そこで彼は竹で自分の首を刺し血を出したまま、高いところから虎めがけて跳び下りる。虎の親子はその血をなめて力をつけ、ようやく肉にかぶりつく。これが物語のクライマックス投身飼虎の場面である。弟を探しに戻ってきた二王子が見出したのは、その残骸だけに過ぎない。二人の号泣と父王夫妻の悲嘆。人々は、無くなった王子の為に遺骨を納めて竹林中に塔を建てたという。
キリスト教だったら、間違っても動物の為に自己犠牲をするなどという場面は出てきません。殉教はOKでも、憐れみの為にいう観念が根本的に欠如している感じがします。
(それにキリスト教では人と動物は等価値ではありません。仏教では、全ての生き物を等価値に扱ってる、と思うのですが? それゆえの憐れみでしょう。おそらく・・・)

だからこそ、仏教の為に争うというのはあまり聞かないのに(一向一揆の扱いは、特異な例としていいのか不明ですが)、キリスト教の為の争いは、あれだけ多いのでしょうね。

そういえば、それに比して神道ってのは、どんな宗教にもあるはずの経典の存在しない超・宗教だと教わった気がするなあ~。昔、某予備校の講師から。あれって正しい話なのだろうか? 教育勅語が唯一の経典相当だとの話だったのですが・・・。

う~ん、その辺のことも是非知りたいものです。どっかに良書はないものでしょうか???
【目次】
第1部 仏教の説話
第一章 本縁説話
第二章 譬喩・本生・仏伝
第三章 仏伝文学
第四章 本生譬喩文学

第2部 仏教説話の美術的表現
第一章 仏教と美術
第二章 説話図遺品の分布
第三章 仏教説話図描出の仕方
第四章 仏教説話図と典拠

第3部 美術にみる仏教説話
1 猿の橋渡し
2 孝子の蘇生
3 六牙白象の物語
4 善事太子の冒険
5 投身飼虎
6 命に代えて鳩を救う
7 布施に徹した太子
8 鹿と忘恩の男
9 キンナラに教えられた国王
10 三重苦を装う王子
11 空を飛んだおしゃべり亀
12 首を布施した月光王
13 夜叉の青年と龍女との恋
14 スダナ王子と美しい妖精
15 海水を汲み干そうとする大施青年
16 燃燈仏の予言
17 得眼林
18 舎利仏と外道の通力競べ
19 維摩と文殊の対論
20 善財童子の求法遍歴の旅
21 幻の城の喩え
22 蓮華化生
23 観音の救いはいつ、どこにでも
24 地獄の責苦

第4部 本生物語
一 ルル鹿本生物語
二 尸毘王本生物語

第5部 仏教美術の基本
 起源と伝播
 種別
 仏像
 仏画
 仏教図像学


仏教の説話と美術 大文字版 (講談社学術文庫)(amazonリンク)

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2008年02月17日

「ユダとは誰か」荒井 献 岩波書店

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さ、さすがは「トマスによる福音書」を書かれ、日本のグノーシス派の権威・荒井氏によるユダの福音書の解説本です。ナショナル・ジオグラフィック社の本も勿論、読みましたが、あちらよりも本書の方が、きちんと整理されていて論理的に説明されています。

四福音書との比較や外典で既に知られているものをも視野に入れて、一つ一つ論拠を挙げて説明されているので大変勉強になるし、実に興味深いです。

本書では、各福音書におけるユダの記述を比較することで、それぞれの福音書記者が福音書の記述にあたって意図して点を明らかにしつつ、具体的にどのように記述が異なっているかを明示しています。

またユダが従来、イエスを銀貨で「売り渡す」とされた記述も、元々のギリシア語の意味に遡って必ずしもそのような意味ではなかったことを示し、他の福音書でも「売り渡す」という記述はしていない点を指摘されています。

また、ユダのその後についてもユダ自身が「後悔」した結果としての自殺なら、自殺自体は問題であっても懺悔していることで既に許されている可能性を指摘していて、天罰で罰せられたという記述とは意味が異なってくることを述べられています。

読んでいると、本当にふむふむを頷かないではいられないほど、実に面白いんですよ~、これが! 

時期的に「ユダの福音書」の出版に便乗したのは事実でしょうが、内容的には決してそれに乗じたような安易な本ではなく、さすがは岩波、さすがは荒井氏という感じです。従来の学問的成果の元での「ユダ」の位置付けが本書の主題であり、「ユダの福音書」そのものへの言及は、全体からしたらごく一部でしかありません。

その代わり、ナショナルジオグラフィック社の本「原典 ユダの福音書」ではよく分からなかった、ユダがイエスがバルベロから来たという点。それがもう明白なグノーシス的な特徴であることなどを説明されています。う~ん、勉強になる。

他にも私的には興味深いことがいっぱいあったのですが、あまり時間がないので取り急ぎ、一部だけメモ。後は時間がある時に別途メモしておこうっと。
パピアスの断片(P119)
ユダは首をくくって死んだのではなく、窒息する以前に下におろされて生き延びた。そして、使徒行伝は、彼はふくれあがり、腹が破裂してその内臓が流れ出た、と述べている(一18)。この点を弟子バビアスは、「主の言葉の説明」の中で次のように述べて、一層明瞭に報告している。
「ユダは不信仰の代表的見本として、この世で生を送った。彼の肉体は大層ふくれあがったので、車が容易に通り抜けるところを、彼は、その頭すらも通り抜ける事ができないほどであった。彼の目のまぶたは大変はれあがったので、彼は光を全く見ることができず、また医者が器具を使って彼の目を見ることもできないほどであったという。彼の恥部はあらゆる恥ずべきものよりも不愉快、かつ大きく見えた。そして、それを通して身体中から流れ集まる体液とうじ虫とが、ただ(身体の)必要性によって運び(出され)て、恥ずべき有様(となっていた)。彼は多くの責苦と(罪に対する)むくいと(をうけた)後で、自分自身の地所で死んだといわれる。その土地は(彼の)においのゆえに、今に至るまで荒れていて、人が住まない。また今日に至るまで誰も、鼻を手でふさがないでは、そのところを通り過ぎる事もできない。彼の肉を通して、地上で、このような流出がおこったのである。
実に、実に興味深いです。

巻末のある「ユダの図像学」というのも、一見の価値有り。私がユダが縊死している彫刻を初めて写真で見たのは、サンチャゴ・デ・コンポステーラへの巡礼路にある寺院の彫刻でした。その写真が非常にインパクトがあってずっと気になっていましたが、それが本書のような説明を読むことでまた違った見方で見られるような気がします。

本書は実にしっかりした内容の本ですので、胡散臭い表面的な本ばかりが多い中では、強くお薦めできる本です。とにかく面白い♪ 但し、ニ資料仮説とかぐらいは知っていた方が、すんなり理解できると思います。前提条件となる予備知識があった方が無難です。
【目次】
ユダの共観表

Ⅰ原始キリスト教とユダ
1イスカリオテのユダ―名称の由来とその意味―
2イエスとの再会―マルコ福音書のユダ―
3銀貨30枚の値打ち―マタイ福音書のユダ―
4裏切りと神の計画―ルカ文書のユダ―
5盗人にして悪魔―ヨハネ福音書のユダ―

Ⅱ使徒教父文書、新約聖書外典と「ユダの福音書」のユダ
6正統と異端―使徒教父文書と新約聖書外典のユダ「
7十三番目のダイモーン-―ユダの福音書」読解―

Ⅲユダとは誰か
8歴史の中のユダ

ユダの図像学



ユダとは誰か―原始キリスト教と「ユダの福音書」の中のユダ(amazonリンク)

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トマスによる福音書~メモ
ユダの福音書の内容(英文)
ユダの福音書(試訳)
NATIONAL GEOGRAPHIC (ナショナル ジオグラフィック) 日本版 2006年 05月号&「ユダの福音書を追え」
「原典 ユダの福音書」日経ナショナルジオグラフィック社
『ユダの福音書』4月末に公刊
イスカリオテのユダ、名誉回復進む!
ユダの福音書の内容は、確実にじらされることを約束する
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2007年11月27日

「ビンゲンのヒルデガルトの世界」種村季弘 青土社

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しばしば中世キリスト教絡みで名前だけは聞いていたのですが、いつか読んでみたいと思っていて著者が種村氏ということもあって読んでみました。

12世紀に現れた女性幻視者ヒルデガルト。聖書を読むこと以外、神学理論などは全く習ったはずのない女性が病の床で見る幻視の数々。しかも強烈な聖職者の堕落批判を伴っていたのにもかかわらず、教皇からのお墨付きを得てしまう。

当時、カタリ派の存在で厳しい批判に晒されていてカトリック側の事情が、この女性の幻視を公式に認めた背景に大きく影響しているが、私だったら、特に知りたいと思うその辺の事情については、本書では軽くしか触れられていない。

本書が扱うのは、タイトルが一番適切に内容を表しているが、あくまでも一女性幻視者としてのヒルデガルトであり、彼女がどういった環境で育ち、どういった行動をし、著作の内容、また、著作に見られる諸般の影響と独自性、等々。そういったことが非常に多角的な視点から、再構成され、当時としてはかなり特異な存在であった彼女の姿を描き出している。

私は本書で初めて知ったが彼女は単なる幻視者としてだけではなく、数々の自然科学や医学、精神医学に関する内容を持った本を残しており、そうした観点からもまさに特別な『例外』であったようだ。

また、終始一貫して病気に悩まされ、常に死と紙一重の状況で物凄く長生きするのも不思議としか言いようがなく、その状況故に、幻視者で有り得たのではないかとも思われる。

非常に内容は盛り沢山で、そういった視点で関心があれば、かなり面白いはずですが、私はあくまでも中世キリスト教に対する影響とか、神学理論への関与等に関心があったので、その意味では本書はほとんど役立たなかった。つまり、私的には全然面白くなかった!

本書でも紹介されているが、私の視点で見るならば、ヒルデガルトの著作そのものである「スキヴィアス」(中世思想原典集成15『女性の神秘家』)を読んだ方がはるかに良かったかもしれない。今度、機会があればそちらを読むかも?

ちなみに言うと、本書は雑誌「イマーゴ」に連載されていたものをまとめたものである。そう、あの雑誌である。私の友人の心理学者に言わせると、「心理学とか思想っぽい・・・雑誌」というアレである。

その辺の事情を理解すると本書の内容も分かるような気がする。本書は幾つかの賞もとってるそうだが、「正直どうよ」ってカンジ。私は、あまりにも退屈で後半はかなり飛ばし読みにした。基本的には、お薦めしません。いい加減な悪い本ではないんですけどね・・・。
【目次】
十字軍と幻視者
光り輝くもの
ルチフェルと宝石
教皇の認可状
卵と車輪
二人の娘
赤ひげ王バルバロッサ
花咲く女子修道院
光と音響
知られざる文字
ラインの魚類学者
女庭師の帰還
病気の治癒力
ジグヴァイツァ共同治療
メランコリアの涙
性と睡眠
風の薔薇
彼岸の王国

ヒルデガルト年譜
家系図
参考文献について
ビンゲンのヒルデガルトの世界(amazonリンク)
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2007年10月19日

「図説 キリスト教聖人文化事典」マルコム デイ 原書房

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聖人をそれぞれのテーマ毎に分類し、計100人を紹介しています。一人の聖人につき、1~2頁で聖人毎に最低でも一枚は図版が入っていて、とても分かり易い構成です

勿論、聖人暦とか、黄金伝説に慣れている人には物足りないかも知れませんが、例えば絵画を見る時に出てくる聖人についてちょっと知りたいとか、そんな時には重宝するかもしれません。

一応、私黄金伝説とか全部読んだんだけど、知らない聖人がたくさんいて、ちょっとショックでした(ガッカリ)。まあ、日々聖人が生まれてるくらい、ここんとこ聖人が大量生産されてますからねぇ~。深くはつっこみませんが・・・。

実は、私も読む前は結構なめてましたが、読んでみると勉強になりました。いくつか気がついた点、メモしておこうっと。
モニカ:
アウグスティヌスの母。アウグスティヌス自身が聖人なのは当然ですが、まさか母まで聖人だったとは・・・。でも、それって息子さんのおかげ?

コルンバ:
アイルランドの聖人。この人にまつわる奇蹟譚が面白い。
「舟をこいで渡ろうとしていた仲間の一人が海の怪物に追いかけられた時、コルンバはその怪物を鎮めたといわれている。それ以来、今日ネス湖の怪獣として知られているその生き物は、目撃はされるが、決して人を傷つけないという。」

ピオ神父:
聖痕を受けた人物で2002年に列聖。この人って何気に映画「スティグマータ」のあのピオ神父じゃないの? 実在のモデルがいたんですね! そういえば、どっかで聞いた名だと思っていましたが、正直かなり驚きました(アセアセ)。

ドミニコ会
即ち、ドミニカンズは domini canes とあだ名されたが、これは「神の犬たち」というラテン語の意味になるそうです。
ここで気付いたのですが、現在の教皇が「教義の番犬」という異名だというニュース記事を以前読んだのですが、単純に教理聖省のトップだからという意味で私は理解していたのですが・・・。教皇は確かドミニコ会の人だから、ここでいう「神の犬たち」にも意味をかけていたのかな? だったら、全然ニュース記事の意味合いが変わってきますね。う~無知な私は、ニュース記事を誤解していたかもしれません? やっぱり物を知らないといけないなあ~と痛感しました。(でも、翻訳した人は分かって訳してるのかなあ~???)

柱塔行者シメオン:
柱の上で不自由な生活をする苦行を最初に行った人物。先日読んだ「コンスタンチノープル征服記」の中で処刑された前皇帝が突き落とされた柱塔とは、まさにこの苦行用のものだったはずです。う~ん、知識がこんなふうにオーバーラップしていくのは、とても面白いものです。
【目次】
序文
第1章 家族と家庭
第2章 動物・植物・自然
第3章 社会
第4章 宣教と旅
第5章 災害と救済
第6章 苦難
第7章 仕事と職業

諸聖人の祝日
人名索引・項目別索引
図説 キリスト教聖人文化事典(amazonリンク)

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スティグマータ 聖痕 <特別編>(1999年)
「コンスタンチノープル征服記」~メモ
「黄金伝説1」ヤコブス・デ・ウォラギネ著 前田敬作訳 人文書院
「黄金伝説2」ヤコブス・デ・ウォラギネ 人文書院
「黄金伝説3」ヤコブス・デ・ウォラギネ著 人文書院
「黄金伝説4」ヤコブス・デ・ウォラギネ著 人文書院
エスクァイア(Esquire)VOL.19
「守護聖者」植田重雄 中央公論社
「中世の奇蹟と幻想」渡辺 昌美 岩波書店
聖ニコラウス伝承(巷にいうサンタクロースさん)
オプス・デイ創立者、列聖へ  カトリック新聞
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2007年10月12日

「新ローマ教皇 わが信仰の歩み」ヨゼフ ラツィンガー 春秋社

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なんかあまり面白そうではなくて、この本は知っていたのですがずっと読まないでいました。しかし、最近ラテン語のミサの復活やバチカンのある種、昔に戻るような言動・動きなどに関心を覚え、まずは入門書として読んでみました。

教皇の自叙伝的な部分は、個人的にはあまり関心を覚えなかったし、前教皇と比べるととりたてて感動するような場面もなかったのですが、読むだけの価値がありました。

それは何かというと、本書が出た時点では気付かなったであろう典礼についてのそもそもの教皇の考え方でした。昨日、今日の思いから、先日ニュースになったラテン語ミサの件が出てきたのではなく、ずいぶんと以前から心の中で考えてきた事だったことが本書を読むと分かります。

キリスト教神学とかは、あまり知らない私が理解した(と思っているだけかも?)範囲でいうと、次のようになります。
・トリエント公会議後、新しいミサ典礼書が作られたが、それは以前のものを使用禁止にして完全に新しいものにしてしまっている。これまでのミサ典礼書は、従来のものの延長線上でったのに対し、典礼の歴史の断絶を意味する。
・人が何もかも決めていくことが、できるかのように誤解する風潮が著しいが、あくまでも全てを定めているのは『人』ではなく『神』であるという視点が失われつつある。
・神学的な解釈にしても、論理性や文献学的な正しさだけという視点ではなく、歴史的経緯の中で採用されてきた解釈・理解の意義付けを踏まえたうえで新たな神学的解釈を行っていくという姿勢を採用している。

上記から分かるように、ミサ典礼の断絶という認識を常々抱いていたことから、最近話題になっている「ラテン語によるミサ典礼の復活」に繋がっているんだと思います。

いくつかニュース見たけど、海外の記事も含めてそういった視点から、解説されていたのはほとんどなかったように思います。本書は教皇自身が書かれたものを翻訳されているので、教皇の考え方を理解するうえで大変有用だと思います。興味のある方にはお薦めします。

もっとも、『啓示』と『伝承』などの解釈や神学的な論争の話が随所に出てきます(だって教皇は神学者だもん!)。従って、神学的な用語や知識が無いと、たぶん挫折します。

私は、神学的知識はほとんどないので本書の内容をどれくらい理解できたか怪しいのですが、それでも類書をいくつか読んでいたので、まだ抵抗感は少なかったですが、普通の人が読むとパンクします。つ~か、全然分からないし、苦痛だと思いますのでご注意下さい!

ただ、文章自体は平易ですし、翻訳をされてる人がなんと、ラッツィンガーさんのドクターコースでの教え子らしい。後半の4分の1くらいは、その翻訳者による教皇の人となりの説明になります。

それを読んで、初めて理解できることもあるので全部読破しましょう!本書を読むことで、現教皇の行動原理が少し分かったような気がします。類書が少ないので(後は神学の本がほとんど?)、こういう本は良いかもしれません。
【目次】
新ローマ教皇 わが信仰の歩み
 少年時代―イン河とザルツアッハ川のあいだ
 村への配転と小学校入学―「第三帝国」の影
 トラウエンシュタインのギムナジウムでの日々
 兵役と捕虜
 フライジングの神学校で
 ミュンヒェンでの神学の勉強
 司祭叙階―司教ー博士論文
 教授職獲得の試験の劇的展開とフライジングの日々
 ボン大学教授になって
 公会議の開始とミュンスターへの移行
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 ベネディクトという名前と近代の諸教皇について
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ラテン語ミサ典書が復活 保守色を深めるローマ法王ベネディクト16世
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2007年10月10日

「サンティヤーゴの巡礼路」柳宗玄 八坂書房

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いつも愛読している柳宗玄氏の手になる著作集の一つ、サンチャゴ・デ・コンポステーラへの巡礼路に関する本です。

中世において、大変有名な巡礼案内書を全訳していると共に、著者自身が何度も実際に道を辿った経験を踏まえつつ、その内容について解説を加えています。

本書は決して学問的な観点(歴史学等の視点)から書かれた本ではなく、進んで中世の非合理的側面と切って捨てられる側面に光を当てることで、中世の世界を、中世の人々を理解しようとした本です。

本書内で随所に出てくる巡礼路の写真も著者自身が撮影したものらしく、実際の巡礼路を彷彿とさせます。

そもそも巡礼路に興味を持っている人だったら、巷に出ている現代的なサンチャゴ・デ・コンポステーラの巡礼本とは、一味違った楽しみ方、味わい方ができる本だと思います。逆に興味無い方は全然面白くないでしょう、きっと。

巡礼者は人々の善意や喜捨で露命をつなぎつつ、ひたすら聖地を目差すのですが、そういった人々を食い物にする悪人達が出てくるのもやっぱり悲しい事実だったりします。

本来無税の巡礼者に税をかけ、あまつさえ、通常の倍の税を取ろうとする役人。川を渡すからと高額な渡し賃を取るにとどまらず、舟を川の途中で転覆するように仕向け、巡礼者が溺死すると残った手荷物を横領する輩など、いつの時代も旅は本当に命がけだったことが分かります。

まあ、未だにどこの国に行っても空港からタクシーに乗る外国人がぼったくられますが、それなんて可愛いものなんでしょうね。もっとも、日本の田舎へ観光に行ってタクシー乗っても、回り道して時間と料金を倍請求することがしばしばあるし、性悪説を採らないと酷い目に合ってしまうことを本書を読んでいても痛感します。

その一方で、実に善良な人々の存在もあり、ほんと世の中って不思議です。時代が変わっても、国が変わっても、それは普遍だったりします。

私的には、結構楽しく読めました。一度は是非、読んでみたいと思っていた『巡礼案内書』がようやく読めたしね(笑顔)。そうだ、巡礼案内書の内容についてもメモしておきます。
『サンティヤーゴ巡礼案内書』の日本語訳目次
第一章 サンティヤーゴへの巡礼路
第二章 サンティヤーゴへの巡礼路の宿場
第三章 巡礼路に沿う町村の名
第四章 この世の壮麗なる三大救護院
第五章 サンティヤーゴへの巡礼路再建に貢献した人たち
第六章 街道沿いの悪しき水と良き水
第七章 街道沿いの土地の名と住民の特色
第八章 参詣すべき街道沿いの諸聖人の墓所、聖エウトロピウスの受難
第九章 ガリスィヤにある聖ヤコブスの町と聖堂の特色
第十章 聖ヤコブス参事会の人数
第十一章 サンティヤーゴへの巡礼者たちの善きもてなし
旅に必要な水や食べ物、土地の人々の性情などなどまさに旅のガイドブックです。当然、巡礼中に訪れるべき聖地・聖遺物(観光スポット?)も詳しく書かれています。ご利益の内容や由来なども。

で、最後には、終点であるサンチャゴでの詳しい町情報も完備。これもって、巡礼したいものです・・・。

そうそう、本書の最後にある「奇蹟」に関する引用文も大変興味深いです。実際に当時、巡礼した人が残した文書に記載された奇蹟の内容です。人はいつでも奇蹟を待ち望んでいるものですね!私もですが!!

但し、内容は悪くないけど、値段は高過ぎでしょう。どう考えても内容からして半値以下が妥当でしょうね。もっとも購入者数から判断すると、この値段になってしまうのかもしれませんが・・・需要がいかにも少なそうだし。

「サンティヤーゴの巡礼路」~メモ本文中の抜き書きメモはこちら。
【目次】
サンティヤーゴの巡礼路

第1章 聖ヤコブスの聖地へ
第2章 巡礼に旅立つ人々
第3章 ガリスィヤを目指して
第4章 さいはての大聖堂
終章  中世の巡礼たち

全訳『サンティヤーゴ巡礼案内書』
「サント・ドミンゴ・デ・ラ・カルサーダの奇蹟」(コーモンの領主ノパール筆)
サンティヤーゴの巡礼路 (柳宗玄著作選)(amazonリンク)

関連ブログ
「巡礼の道」渡邊昌美 中央公論新社
「中世の巡礼者たち」レーモン ウルセル みすず書房
「星の巡礼」パウロ・コエーリョ 角川書店
「スペイン巡礼の道」小谷 明, 粟津 則雄 新潮社
「芸術新潮1996年10月号」生きている中世~スペイン巡礼の旅
「スペイン巡礼史」関 哲行 講談社
「聖遺物の世界」青山 吉信 山川出版社
「スペインの光と影」馬杉 宗夫 日本経済新聞社
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2007年09月23日

「広島大学フランス文学研究(通号22、23)2003、2004年」広島大学フランス文学研究会

記事名「聖ブレンダンの航海(1)」、「聖ブレンダンの航海(2)」太古 隆治。

聖ブレンダン航海譚はラテン語の他、各国の言葉に翻訳されて広く知られたベストセラーであった。本書以外に現在の邦訳には、2種類がある。

1)Benedeit のフランド韻文詩の訳。
  (村松剛:冥界往来―「聖ブランダンの航海」東京大学教養学部外国語科編「外国語科研究紀要―フランス語教室論集」第39巻第2号、1991年)
2)1476年のドイツ民衆本の訳。
  (藤代幸一:「聖ブダンダン航海譚」法政大学出版局1999年)

本書は、それらの各国版に先立つラテン語版の邦訳に当たるそうです。興味のある方は是非、読み比べてみて下さい。ずいぶんと内容が異なってきているのが分かります。

私は、2)の藤代氏のドイツ語訳を先に読んだのですが、ちょっと前で記憶は怪しいながら、かなり違う印象を受けました。勿論、訳出された文体の影響もあるのでしょうが、こちらの訳は読み易いし、どちらかというといろいろな要素が付加される前の原形故か、ストーリーがすっきりした内容になっています。比較しながら読むときっと更にその面白さが増すと思います。

後は1)のフランス語版の訳かな。これはまだ読んでないので機会を見つけて是非読んでみたいと思います(笑顔)。三つを並べて読むと面白そう!

ご興味のある方、お薦めします。

なお、この広島大学紀要のラテン語訳ですが、Curraghさんの「聖ブレンダンの航海」というサイト上で公開されています。ご興味のある方は、そちらもどうぞ!
風が止まった時、舟が止まった時、「兄弟たちよ、心配はいらない。神が私達を助けて下さる。神は私達の船頭、私達の舵取り、私達を導いてくださるお方です。櫂と舵を中にしまいなさい。ただ帆は広げたままにしておきなさい。神がそのしうもべと舟をお望みのままになさるでしょう。
「子供らよ、やめなさい。いたずらに体を疲れさせるのは愚かなことです。なぜならば、神みずから、お望みのままに私達の旅を導いていらっしゃるのです。
上記の2ヶ所は、本文中で気になった引用部分ですが、黄金伝説の中にもこれとよく似た部分をいくつも見たことを思い出しました。

例えば、マグダラのマリア一行が航海中に遭難して死ぬようにと、帆の無い舟に乗せられたにも関わらず、神のご加護で無事に岸に上陸したとかね。

確かその伝承もケルト文化の影響の残るプロヴァンスのものだと思ったが・・・。ケルト的キリスト教の特徴(名残り)なのだろうか? 神に全てを委ねるという考え方自体は、キリスト教だけではないし、珍しいものではないが、その表現として舟の進行全てを委ねるというのは、いかにもケルティックなキリスト教に思うの私だろうか? ちょっと、気になったのでメモ。

そうそう、この航海譚で出てくる『ユダ』がなんと言っても印象的。とっても面白い(こういう表現っていけないのかな?)。ユダのイメージって私の中では固定化されていたので、かなり意外な感じを受けました。

後は、『レヴィアタン』の呑み込む部分かな~。いわゆる『地獄の口』の事でしょうね。ここでは、こういう形で表現されているのかなあ~と勝手にふむふむとか思いながら読んでました。違ってたら、恥ずかしいけど・・・、いろいろと知識は複合的に機能するから、もっと勉強せねばと思ったりもしました。

単純に物語として読むだけでも、いろんな意味で実に面白いお話ですよ~。お薦め!

関連ブログ
「聖ブランダン航海譚」藤代幸一 法政大学出版局
聖ブレンダンの航海譚 抜粋
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2007年09月22日

「清泉文苑(通号 23) 2006年」清泉女子大学人文科学研究所

記事名「シャルトル大聖堂の彫刻と出会う(1)洗礼者ヨハネ像」高野禎子。

記事検索をしていて見つけたのだが、大学の紀要らしい。論文か何かと思って読んでみたら、単なるエッセイだった。

しかも、なんらヨハネを選んだ意味がないままに、単純な旅行者が抱くような印象を書いている。まあ、エッセイだからと言ってしまえばそのままだが、あまりにも内容が無くて落胆した。

しかしさあ~大学の紀要に書くエッセイなら、もうちょっとアカデミックにしても宜しいのでは?と思うのだが・・・。予型論も少しだけ触れていたが、あんなの解説でも何でもないしなあ~。二度とここの紀要は読まないぞ!と自戒の意味も含めて個人的メモ。
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2007年09月19日

「異端者の群れ」渡辺昌美 新人物往来社

もう何冊かの著作を読んですっかりファンの渡辺氏の若かりし頃の本です。タイトルにそのものズバリの『異端者』の文字が入ってるし、いかにも私が好きそうなタイプの本ですね。池袋の古書市で速攻、購入してしまいました。

ただ、出版社の新人物往来社がこんな本を出していたんだあ~っていうのが意外。あそこ、歴史物を中心に扱っていて面白いんだけど、結構、売れる為に無理した(=根拠の無い仮説、というかいささかトンデモ系の説)話が多くて、信憑性や信頼性に欠けるんだよねぇ~。

だから、まともな研究者は書かないと思っていたんですが・・・(失礼!)。自称研究者や郷土史研究家ってたくさんいるし、大学の先生でも『?』のつく方って確実にいるからなあ~。

渡辺氏が書かれているのに、驚いた訳が分かるでしょう。そして、本書の内容自体も、私には驚くべき事が多かったりする!(それでちょっと気になったんです)

例えば、異端が猖獗を極める南仏のラングドックは、普通、農業生産の豊かな経済的な先進地域であり、文化の先進地域でもあることが異端を支える条件の一つとして挙げられるが、本書ではラングドッグに新しい農業技術である有輪鋤は最後まで導入されず、むしろ農業生産性が低く、経済の後進地域であったとする。

元々は南部の方が農業生産性は高かったが、農業革命以後、北部と南部のそれは逆転したという。う~ん、私が今まで読んでいた本では、全く聞いたことが無かったのですが、これって現在はどう評価されているんでしょうか? 学説って時代によって変遷があるからなあ~。どうもすっきりしない?

あと本書では異端の考え方についての説明が大変詳しい。且つ、かなり明確になされている。カタリ派の考え方についての説明は、たくさんの本で何度も読んではいるが、本書を読んで今までの理解とは全然異なることに気付いた!

カタリ派が二元論を採り、善神によって支配される精神世界と悪神によって支配される物質世界(=現世)から世界が成り立つとするのは、知っていましたが、その帰結として出てくる内容には初めて知ることがあり、驚きを禁じ得ない!!

カタリ派は新約聖書を認めるが、旧約聖書を認めないんだそうです。旧約聖書には天地創造が書かれていますが、物質世界を牢獄と捉える以上、天地創造の意義は逆転し、旧約の造物主は悪魔となり、旧約は悪魔の書になるからだって。

また、イエスが善神であり、人の肉体を持って現世に現れたというのは、肉体が悪神によるものである以上、これも有り得ないと退けられる。イエスの現世への出現は、幻であったと解釈されるそうです。

同時に幻(まぼろし)であるイエスを生み出した母マリアが肉体を持っていることもおかしいので、マリアも幻であったそうです。う~む。

そしてかつてないほどまでにローマ・カトリック教会から敵視され、完膚なきまでに殺戮されるに至る異端カタリ派は、従来の異端とは性格を異にしていたらしい。通常の異端は、あくまでも宗教の内部の在り方や方向性などに関しての異同が原因で生じ、妥協や方向性の修正など話し合いの余地があるが、カタリ派の場合、現世にある『教会』というのは、即ち悪神の支配下にある物質的存在であり、存在していること自体が『悪』に他ならない。

教義的にカトリック教会が善神の教会に成り得る可能性はなく、ひたすら抵抗し、攻撃し、滅ぼすべき悪神の手先そのものなのだ。

だからこそ、「悪しき教会とは、すなわちローマの教会。これこそ、偽りの母、大いなるバビロン、娼婦の家、サタンの祭壇。」と言って非難するのも道理に適った行為となる。

他にも「洗礼の水は不浄の物質、ただの水、悪しき神の作ったもので、霊を浄化する力は無い。貪欲な聖職者は、その水を売って金にするのだ。ちょうど、死者の墓のために土地を売り、終油と称して瀕死の病者に油を売っているのと同罪だ。」とか、辛辣な言葉が引用されている。

本書では他の本では見られないほど、分かり易く突っ込んだ内容が盛り沢山に、且つ平易に説明されている。読んでいて実に分かり易くて嬉しいのだが、学問的な正確さが犠牲になっていないか心配になってしまうぐらい。大丈夫かな?

でも、異端やカタリ派に関心があるのならば、本書は是非読んでみて欲しい本かもしれない。

具体的なアルビジョワ十字軍の内容と、その前後でうごめく国際政治の駆け引きが更に&更に興味深いです。

やっぱり、腹黒くてしたたかでないと世俗の勝利者にはなれないですね。現世は悪神の統治する世界っていうのも納得です。フランス王の家康張りのたぬき親父には、怒りを通り越して、畏敬の念さえ抱いちゃいますよ~。

自分は可能な限り手を出さずに最終的に、あのラングドックを王家の支配下に組み入れる手際はまさに悪魔の手業かと思いました。ホント。

と同時に、十字軍に攻められると帰順を示しながら、ちょっと手薄になると即座に反旗を翻す誠意の無さは某○朝鮮や某○シアの国かと思っちゃいました(サハリン天然ガスのあの横暴さとかね)。う~ん、日本の学校のようにルールを守りましょう、なんて教育では国際社会を生きていけないんだけどなあ~。ルールなんて、権力や資力のある者によっていくらでも変更されてしまうというのが、実態なんだけどなあ~。まあ、だから某横綱みたいなのが人生をエンジョイできるんでしょう。

余談が過ぎましたが、ころころと態度が変わる被征服地の住民や領主は、絶対に信用できなかったでしょうね。何度も裏切り、隙を見せれば後ろから、殺そうとし、あまつさえ身内や仲間が実際に騙し討ちにあってバタバタ殺されたそうですから、処分は過酷なほどの厳罰をもってあたり、街の住民を皆殺しにしたのも当事者としては、妥当な判断だったのかもしれません。

歴史はやっぱり一面から見たのでは分かりませんね。私は今まで、アルビジョワ十字軍は残酷で奢り高ぶったカトリック側の傲慢と、略奪目当ての騎士達によるものと思っていましたが、どうして&どうして一概にそうも言えないだけの事情があるようです。

歴史の面白さであり、難しさですね。どれもが一面では真実なのでしょうが、解釈次第で意味は180度変わってしまうのですから。

ただ、本書は大変面白い! これは誓えますね。でも、参考文献等は巻末に挙げられていませんし、初めて聞く内容が多かったので類書で確認していく必要がありそうです。一般向きの本だからでしょうが、念の為、ご注意を!
【目次】
聖ベルナールの怒り
南フランスの風雲
異端カタリ派
アルビジョア十字軍
百合の紋章
後日譚

「世界のドキュメント」シリーズの一冊。
異端者の群れ(amazonリンク)

関連ブログ
「中世の奇蹟と幻想」渡辺昌美 岩波書店
「巡礼の道」渡邊昌美 中央公論新社
「フランス中世史夜話」渡邊 昌美 白水社
「異端カタリ派」フェルナン・ニール 白水社
「異端審問」 講談社現代新書
「モンタイユー 1294~1324〈上〉」エマニュエル ル・ロワ・ラデュリ 刀水書房
「オクシタニア」佐藤賢一 集英社
「西洋暗黒史外伝」吉田八岑 桃源社
「黒魔術の手帖」澁澤 龍彦 河出書房新社
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2007年09月13日

「聖なるものの形と場」頼富本宏 法蔵館

国際日本文化研究センター 共同研究の記録

国際日本文化研究センターで行われた研究会の成果ということで、かなり広範な分野の研究論文がまとめられている。

私はゴシック関係の部分だけに関心があり、そこしか読んでいないので本書全体の感想については触れない。

実際に私が読んだ部分は木俣元一氏によって書かれた章で、タイトルは、【シャルトル大聖堂「使徒伝」の窓における正餐の秘蹟の主題に関する試論】

以下、興味深い部分だけ抜き書きメモ。
シャルトル大聖堂に現在するステンドグラスの下端部には、職人、商人たちが仕事を遂行する姿が多数描かれている。これらは中世芸術の伝統にはない当時の風俗を活写する画像とされ、伝統的にそれぞれのステンドグラスの寄進者像として一面的に解釈されてきた。
 ~
シャルトルのステンドグラスが聖職者により精密に構築された、全体として一貫性のある教会神学的図像プログラムを基盤としているというのが、筆者の現在の主張である。
ステンドグラスで描かれたパン生地を小麦粉と水から練り上げる場面には、少なくとも三つのレベルが重ね合わされていることが、これらの祭壇で行われる秘蹟について論じたテクストからうかがわれる。
 一つはステンドグラスに描写されている世俗のパン職人がパン生地を作るということ。二つ目は、パン生地がキリストの身体であり、信徒たちの集まりであるキリスト教会を象徴するというレベル。そして三つ目に、これらのテクストが前提として語っている、教会で実施される目に見える徴としての秘蹟のレベルである。
基本的に、木俣氏が他の著書でも繰り返し述べられている主張がここでもされている。先行する研究成果を踏まえつつ、具体的な根拠を示しながら、反論や異論を唱えながら、新しい仮説を提示していくのは、まさに正統的であり、その論理の展開が大変説得力があって面白い!

タイトルが「試論」になっている関係上、本来の内容のごく一部分についてしか記述されていないが、それでも読むに値するだけの内容があると思います。

また、著者がこのテーマで書かれている他の文書よりも分かり易いので、その点でも読んでおいていい本でしょう。但し、非常に大部だし、高いし、必要なのはごく一部だと思いますので借りて読む本ですね。

なお、説明が大変詳しいのもポイント高いかも。抜き書きでは結論だけ抜粋してるのでイマイチ理解できないと思いますが、本書を読めば、きっと意味が分かります。私的には有意義な本でした。
【目次】
聖なるものの形と場
見えないものと見えるもの―聖と俗の密教学
中観派における勝義と世俗のあいだ―「言表される真理」と「不可説の真理」
戦う聖者佐々井秀嶺(アーリア・ナーガルジュナ)
インド的楽舞の受容と展開
チャイティヤと仏教信仰の習合―聖樹・聖柱・舎利・仏塔・聖地・表象
後期密教における聖なるものの形と場
インドネシア、ジャワ島に現存する密教遺跡の「聖なる場」
北魏金銅仏の同年銘像について
八部衆像の成立と広がり〔ほか〕
聖なるものの形と場(amazonリンク)

関連ブログ
ゴシックのガラス絵 柳宗玄~「SD4」1965年4月より抜粋
「ステンドグラスの絵解き」志田政人 日貿出版社
「ステンドグラスによる聖書物語」志田 政人 朝日新聞社
「図説 大聖堂物語」佐藤 達生、木俣 元一 河出書房新社
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2007年09月11日

「神の植物・神の動物」ジョリ=カルル ユイスマン 八坂書房

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本書は、ユイスマンスの「大伽藍」 のうち、翻訳されなかった残りの部分を「大伽藍」の翻訳者・出口裕弘氏とは別人だが、知り合いである野村氏によって訳されたものである。

一部だけの翻訳の為、本書だけ読んでもあまり意味が無い。本書だけ見ると、キリスト教的象徴として、植物や動物が何を現しているかを書いているようだが、それはあくまでも表層的な見方に過ぎるので要注意!

本来の「大伽藍」全体の文脈の中で、シャルトル大聖堂という神の『聖域』において、ステンドグラスや彫刻に表現された図像の解釈があくまでも基本で、そこから敷衍して一般論になっている流れが大切!!

それもあってわざわざ冒頭30頁以上もつかって概要があるのだと思うが、翻訳部分との関係性を明示的に示してないので気付かない人は、何も分からないままで読んでしまうかもしれない・・・。いささか、不親切とも言える。

また、ほとんど頁で頁の上部には挿絵(植物、動物)が入っている。文章中の内容の理解を助ける意味もあるのだろうが、真実としては翻訳する分量があまりに少ない為、空白を埋め、頁の水増しを狙っている気がしてならない。

冒頭にある概要もそういう視点で見ると、頁の水増しの可能性が倍加してしまうのが悲しい・・・。

そもそも翻訳されていない一部分だけ訳すなんて怠惰な事をせずに、最初から全文を訳すべきでしょう。翻訳者が甘えているように思えてならない。部数が期待できないからと、内容が薄っぺらな割に、強引な価格付けもいかがなものでしょう?

今更ながら、『大伽藍』の翻訳者・出口氏が最初から全訳じゃないのがいけないんだろうけどね。出版社との関係や諸般の事情があったにせよ、本書の部分は、中世の図像学の点を踏まえても、原著者ユイスマンスの意図からも絶対に削って良い部分ではないと思うんだけどなあ~。

大聖堂が示す神の世界を現す欠く事のできない部分としての図像なんだけど・・・。この部分が、主人公デュルタルのキリスト教理解の深さを占めすものでもあるのに・・・。

かくいう私もエミール・マールの「ゴシックの図像学」を読んでやっとその深遠な意味に気付きましたので、えらそうなこと言えません(苦笑)。翻訳者さん、最低それぐらい読んでると期待してますけど、読んでなかったら、文字の翻訳はできていても内容理解の水準は低いかもしれません。

ずいぶんと前置きが長くなりましたが、改めて本書の内容を言うと、シャルトル大聖堂に描かれた植物や動物の図像を契機にして、物語の主人公デュルタルが神が望まれている象徴としての植物・動物の意味を探ろうとした話が述べられています。

やがてその話は、シャルトルに限定されず、一般化されていくのですが、例えば、柱頭飾りの植物や四福音書記者の象徴、葡萄圧縮機にかけられるイエスや製粉器を経て生成される粉としての聖書の聖句など。私的には幾つかの本で御馴染みになった象徴がたくさん出てきます。

(うちのブログでは頻出してますが、古書で購入した時祷書の挿絵にあった奴です。あと、宗教改革時のパンフレットに刷られていた図版とかのアレです。無関係にバラバラで得た知識がこういう偶然に結びついてくるのが、知識を習得した時に感じられる純粋な喜びですねぇ~、うんうん。)

この辺りの記述は、そもそも何故に『象徴』というのが出てくるのか、神学的な基礎知識が無いと面白みがないかもしれません。本書だけでは説明不十分かも? 逆に知っていれば、それが『大伽藍』の他の章に実に意義深く関わってくるのかに気付きます。

本書を読んで『大伽藍』にもっと深い意味があったことにようやく気付きました。個人的には、元々1冊の本を、わざわざ2冊購入して初めて理解できるなんて馬鹿な状況が解消されることを切に望みます。一人で訳せると思うんだけどなあ~。

世の中にフランス語ができる日本人はたくさんいるのに、ユイスマンスを興味持って訳してくれる人がいないのは悲しい限りです(涙)。人に頼らず、自分でフランス語ぐらいは勉強しないといけないのでしょうかね、やっぱり・・・。

ゴシック関係の文献も日本語や英語では限られてそうだし、フランス語を学ぶ必要性を痛感しつつある昨今なのでした・・・。さあ~って、どうしようか?
【目次】
『大伽藍』概要
神の植物(『大伽藍』第十章)
神の動物(『大伽藍』第十四章)
神の植物・神の動物―J.K.ユイスマンス『大伽藍』より(amazonリンク)

関連ブログ
「大伽藍」ユイスマン 桃源社
「シャルトル大聖堂」馬杉 宗夫 八坂書房
「ゴシックの図像学」(上)エミール マール 国書刊行会
「ゴシックの図像学」(下)エミール マール 国書刊行会
「ルターの首引き猫」森田安一 山川出版社
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2007年09月05日

「キリストの棺」シンハ・ヤコボビッチ/チャールズ・ペルグリーノ(著)、ジェームズ・キャメロン(編集) イースト・プレス

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読む前から、本屋でパラパラ見てても内容の無い本だと思ったが、図書館で借りれたので改めて読んでみた。

そもそもキャメロン監督が映画にするずいぶん前から、イエスの銘のある石棺があるのは知られていたし、私でさえも知っていたぐらいで完全に『ネタ』としての話だった。(かなり有名な話です。)

と、同時にイエスの弟の石棺についても本書で触れられているが、私も意識していたので経過を知っているが、明らかに偽造だったのに、本書の著者は、本書執筆時点でもあれは本物だったと主張している。この一点だけ採り上げてもまともな理性を有する人は、本書の主張を肯定したり、信じたりする事はできないだろう。

実際、読んでいて失笑を禁じえない場面が続出する。深呼吸して読んでみれば、キリスト教関係の知識がなくても、論理的に考えても実に胡散臭い内容の本であることが分かるはずである。

実際に、読んでいて論外だと私が感じた点を思いつつくまま挙げてみよう。

「マリアムネ」という銘のある石棺があったので、googleで検索したら、マグダラのマリアの本名であることが分かった、そうです。
・・・つ~か、ググんなよ~っといいたい。google検索は便利であるが、ネットの世界は虚実混淆である。まともな良識のある人物が、アカデミックな事柄に関して『ググる』なんてことは有り得ない!!

正直、この記述読んだ時点で本書は終わったと思った。検索で出た内容が正確か否かが問題なのではなく、その方法自体が決定的に間違っていることに気付かない著者達に失笑を禁じえない。

それと著者達が力説する統計によるイエスの骨棺である『確率』について。彼らは肝心の数式を書いていないので、確率が10分の1だろうと、1億分の1だろうと何を言っても説得力がないうえに、全く意味が無い。更に、彼らが確率を計算している前提条件はたかだか数百個のサンプル中、いくつ該当する事象があったかという、非常にアドホックな例を元に確率を推定し、ひどいことにこのアドホックな確率を複数回かけて確率を出している。

要は、適当に決めたパラメータを何個も掛け合わしているので、そんな確率は0%から100%までいくらでも作り出せる数値であり、全く意味が無いように思えてならない。

同じモデルを使い、パラメータの数字が一つ二つ違うだけで、マイナスの経済成長と10%以上の高度経済といった経済予測をするシンクタンクの予想を見れば、そのいい加減さは歴然だろう。(などと言っている私自身が以前提出した企画の損益シミュレーションの数値を操作していたのだから、確信を持って言える!)。

まあ、騙されやすいけど、もっともらしい専門家の出す数値というのは複数の仮定があってのものなんで、仮定が変われば、全く意味無かったりする。

それ以外にもたくさんあったなあ~。そうそう、本書読んでいてさすがにこれは・・・と思ったのにテンプル騎士団の関与がどうとかあった。もうここまでくれば、TVの企画屋さんが大好きな『ネタ』としか思えないでしょう♪ 
実際、著者は自分がTV局にこの手のものを売り込む企画屋さんだと言ってるしねぇ~。

既述したけど、あくまでも「イエスの弟の骨箱」の件、あれは真実だと固執してる時点で論外なんだけどね。

本書は読んでもいいけど、買ってまで読むべき本でないことは保証します。映画の公表前にやっつけ仕事で書かれた本らしいし、翻訳もやっつけみたいです。こんな薄っぺらな本を分けて翻訳する人達もなんだかなあ~。私一人でこれぐらい訳せますって!マジに。

本屋で手にとってみれば分かりますが、これほど活字が大きくてスペースがある本ってのも・・・? テイムリーに一瞬で売って稼がんとして書かれたよくある本です。しかし、文字数少ないなあ~。

そうそうダ・ヴィンチ・コードで小説としての面白さを出す為に、語られていたイエスとマグダラのマリアが結婚していた、という『ネタ』が本書でも繰り返されています。う~ん、二番煎じだし、それが科学的調査で明らかになったと言われても・・・上記の通りだから、その信憑性って???  暇つぶし以上の何物でもないですね、本書って!

amazonの書評も見ましたが、私には信じられないことばかり書いてあるんですが・・・? うちのブログを見られた方には、くれぐれも騙されませんように、老婆心ながら。

【追記】
アメリカの大学にいたことのある友人と話をしていたところ、アメリカの大学では、参考文献としてweb上の資料を挙げることもOKなんだそうです。政府関係が公表する経済統計とか、研究者が公表している論文とかなら、タイトルとurlを列挙したりするそうです。

ということは、別にググったからといって私のような評価をするのは、早計らしいです。う~ん・・・。まあ、電子証明とタイムスタンプとかいろいろあるからかなあ? 私的にはweb上にあるデータは、いつでも変更の恐れがあるし、必ずしも常に参照できる安定性もないから、どうかなあ~と思っていたんですが、考えが古いのかもしれませんね。

ふと思ったのですが、上記のようなことを踏まえると、以前読んだニュースでアメリカのテストでwikipediaを参考文献に挙げるのが禁止になったという意味がようやく納得できました。ふむふむ。
【目次】
第1章 2000年の封印が解かれた日
第2章 <シンハの報告 1> それは偶然の出会いから始まった
第3章 <シンハの報告 2> 墓は生きていた、しかも呼吸して
第4章 <チャーリーの報告 1> 250万分の1という確率
第5章 <チャーリーの報告 2> ジェームズ・キャメロン参上
第6章 マリアムネと呼ばれたマリア
第7章 双子という名の息子
第8章 <チャーリーの報告 3> 反証に光を当て、厳しく再検証
第9章 なぜ不当に高い? 「キリスト標準」
第10章 ナザレ人(ルビ・びと)の末裔
第11章 <シンハの報告 3> ついにタルピオットの墓に!
第12章 <チャーリーの報告 4> イエスの骨棺が壊れた!
第13章 DNA鑑定が明らかにした「真実」
第14章 <チャーリーの報告 5> 鑑識にまわされたイエス
エピローグ <シンハの報告 4> 真実の確証
キリストの棺 世界を震撼させた新発見の全貌(amazonリンク)

関連ブログ
「イエスの弟」ハーシェル シャンクス, ベン,3 ウィザリントン 松柏社
イエスの兄弟の石棺は偽物 CBSニュースより
「イエスの王朝」ジェイムズ・D・テイバー  ソフトバンククリエイティブ
「キリストの墓」発見か――「妻」マグダラのマリアと息子も?
エルサレムで発見された「イエスの墓」
キリストの「本当の墓」発見? 米で映画化へ 教会反発
ラベル:キリスト教 書評
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2007年08月30日

「バチカン・エクソシスト」トレイシー・ウィルキンソン 文藝春秋

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ニュースでバチカン内の大学でエクソシスト講座が開設され、エクソシストの養成をしていることは知っていましたが、本書は実際にバチカン公認の下で、日常の職務の一環として悪魔祓いをしている人々を取り上げています。

「悪魔祓いを体験するのに16世紀へタイムマシンで行く必要がなく、ただ、イタリアへ行けばいい」という言葉は、眼からうろこ・・・ですね。イタリアには二度行きましたが、神秘的なものをそのまま現実の存在として受け止める国民性、未だに聖人崇拝が衰えない国、何よりもバチカンが存在し得ているのもまさにそれが根底にあるのかもしれませんね。自分が本質的なものに気付いていなかったんだなあ~って思いました。

ジローラモさんのちょいワルオヤジもいいのですが、セラピーに通院する患者のように、毎週定期的に悪魔祓いを行う司祭の下に通う人々が普通にいるイタリアの現実をもっと知りたいと強く思いました。

本書には、カトリックのことをよく知らない私には、驚くべき内容が淡々と書かれています。前教皇ヨハネ・パウロ2世も3回以上エクソシストとしての経験があるとか、ヨハネ・パウロ2世が行った悪魔祓いでも失敗して祓えなかった悪魔がいるとか・・・えっ!? 本当? って思いません?

勿論、ジャーナリストである著者がそう書いているだけでどこまでが真実なのかは不明です。ジャーナリストは注目を浴びる為、往々にして真実以外の虚構を作り出し、真実かのように語るので為政者同様に疑ってかからねばならないとは思うのですが、本書全体を通して受ける印象では、誇張は抑制気味で著者自身の判断はできるだけ避けているし、取材や調査によって自分の知りえた内容を伝えようとしている姿勢はうかがえます。

他の情報などで確認しないと安易に信じる事は危険ですが、バチカン側の主張や実際にエクソシストを行う司教側の主張が微妙に食い違い点や公表されているとして紹介されている事実などは、非常にリアリティがあります。

イエス・キリストが悪魔祓いをしたのは聖書に書かれているし、カトリックの教義の根幹にも関わることであるものの、それが乱用されたり、変に脚光を浴びて世間から誤解やあらぬ注意を集めるのは避けたい。というバチカンの姿勢などは、まさにいろいろなニュースから伝わってくる内容と一致しているように思いました。

と同時に、実際に悪魔祓いを必要とする人々は増加するのも事実らしく、知識と経験豊富なエクソシストが従来以上に求められている時代が現代というのも本当らしいです。

通常、悪魔祓いにはイエスの名の他、聖人の名前もあわせて呼ばれますが、最近では「ヨハネ・パウロ2世」という名が悪魔に効果的というのは、ちょっと驚きますよね!

あと、悪魔祓いにはラテン語が一番効果的なんだそうです。だからなんですかね、ミサをラテン語で行う事を復活させたのもその流れの一環として捉えると、最近見るニュースの見方も全然変わってきます。

本書によるとヨハネ・パウロ2世は神秘主義的な傾向があったが、現教皇のラッツィンガー氏は神学者でもあり、ドミニコ会出身で教理聖省のトップだった経緯からして、論理性を重視される方なんだそうです。

その現教皇が現在、エクソシストに対してかなり踏み込んで肯定的な発言をされている背景などの説明は、実に興味深いです。今まで眼に触れていたニュースなどもこうした説明を意識しながら、見直してみると、非常に多くの点で気付かされる事があります。

率直に言って、本書の信憑性は不明だし、奥深い解説がされているわけでもありません。詳しい人には、物足りないとも思います。それでも本書で初めて聞く事があり、ここで紹介される視点は、カトリック関係のニュースを理解する時に大いに役立つような気がしてなりません。

良くも悪くもジャ-ナリストの書いた本ではあるるのですが、『いいきっかけ』になる本だと思います。本書をうのみにすることなく、関連書を読んだりして調べると絶対に更に興味深くなりそうです。

買うのはちょっともったいない気もしますが、眼を通しておいて損はない本です。

【余談】
本書の解説者だったか、訳者だったか忘れましたが、映画の「エクソシスト」に出てきた端役の司祭は、本物のカトリックの神父さんだったらしいです。つまり・・・バチカンの暗黙の公認の下であの映画は作られていた、そういう経緯が事実としてあるそうです。

いやあ~、驚きますね!! 世界中に広まったエクソシストブームは必要があってバチカンが関与していた結果だったそうです。う~む。情報戦略の一環ですね、まさしく。

そうそう、更にいうと、うちのブログでも先日紹介したニュースのハリポタの件。カトリック(のとある司祭)は、「ハリーポッター」というのは魔法の存在を信じさせ、悪魔崇拝などの現代的な病癖へ繋がる現実的危険と認識されているんだそうです。

私はいくらなんでも過剰反応では?ってコメントしてましたけど、実際にそういった現代の風潮から生じていると思われる危険があるならば、あながち否定もできないですねぇ~。なんでも知らないところで、いろいろとあるんだと改めて気付かされました。

まあ、天気予報と一緒に朝の番組で占いをみている人がたくさんあり、それを公共の電波を使ってTVで流してる国だからなあ~日本も。細木かず子が出ている番組が今も放送されているのも信じられないけどなあ~。ちょっと私には論外だし。すみません、余談ですね。
【目次】
第1章 現代の悪魔祓い師たち
第2章 儀式は聖水とともに始まる
第3章 歴史
第4章 横顔
第5章 悪魔に憑かれた三人の女性
第6章 悪魔崇拝者たち
第7章 教会内部の対立
第8章 懐疑主義者と精神科医
バチカン・エクソシスト(amazonリンク)

関連ブログ
法王大学で開講したエクソシスト講座の詳細
悪魔祓いの全国集会をローマ法王が激励
エクソシスト養成講座 記事各種
教皇庁立大学で「エクソシズム」コース開講
ルーマニア正教会が見習い修道女虐待で司祭追放
エクソシスト ビギニング  レニー・ハーリン監督
エクソシズム(2003年)ウィリアム・A・ベイカー監督
エミリー・ローズ(2005)スコット・デリクソン監督
教皇「ハリー・ポッター」には批判的見解
「現代カトリック事典」エンデルレ書店~メモ
悪魔祓い、についての解説
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2007年07月31日

「聖母マリヤ」植田重雄 岩波書店

中世の聖人伝絡みの話では、結構素敵な著作の多い植田氏の作品ですが、残念ながら、本書は駄目。中身が悲しくなるぐらい無いです。

ここ最近読んだマリア関係の書物の中では一二を争う内容の無さでした(涙)。聖母マリアを地母神としてみる説は、なんの本を見ても出てきますが、ほとんど考察らしい考察もなしに、幾つかの例示的な事例を紹介するだけで終わっています。

図像的な説明に至っては、そりゃ説明になってません!というレベルです。黄金伝説絡みの聖母の話も、十分に触れていなし、そこから進んだ話もない。

あまり聞かないようなマリアに関するエピソードが時々紹介されるのが唯一の救いだが、そこから、示唆的な内容を持つ説明にまで進むこともなく、ただこんな話がありますよ~的なノリで終わってしまっている。

なんとも残念な限り。聖母マリアに関する限り、本書から学ぶべき知識はなかったです。本書よりも古くてもずっと&ずっと内容のある本「アヴェマリア」をこないだ読んだばかりですので、落胆もひとしおです。悲しい・・・。
【目次】
母神崇拝
伝承の中のマリヤ
マリヤの習俗
マリヤへの愛
図像のマリヤ
聖母マリヤ(岩波新書 黄版)(amazonリンク)

関連ブログ
「アヴェマリア」矢崎美盛 岩波書店
「聖母マリアの系譜」内藤 道雄 八坂書房
「聖母マリア」 竹下節子著 講談社選書メチエ 
「黄金伝説3」ヤコブス・デ・ウォラギネ著 人文書院
「聖母マリア伝承」 中丸 明 文藝春秋
posted by alice-room at 23:42| 埼玉 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | 【書評 宗教B】 | 更新情報をチェックする

2007年07月12日

「アヴェマリア」矢崎美盛 岩波書店

maria712.gif

著者は本書の中で、あくまでも一般向けで専門的な内容は省いたというが、私が無知なせいなのか、どうして&どうして、たいした内容で学ぶことが実に多い本でした。

普通の絵画の説明では、具体的な作品を元にそこに描かれてる主題や象徴などが解説されるが、本当は説明の順序が逆なのかもしれない。

本書では、宗教美術(絵画)一般に妥当する基本原則を説明したうえで、その適用例として種々の作品を挙げている。演繹的か帰納的かという問題かもしれないが、まずは本書のように基本原則を理解するのが良いように思う。

個人的な思いとしては、絵画は最初できるだけ予備知識のない状態で見て自分自身が作品から受ける印象や感動を大切にしたいし、それから、いろいろな事を理解したうえで再度じっくり見直してみたいと考えている。

『知る』ことによる偏見の弊害を極力避けたいといつも思っているのですが、その為、著者のいう「宗教美術は美的鑑賞の対象というのは二の次」という考えには、本を読み始めの頃、大変な抵抗感を覚えました。しかし、本書を読み進めていくうちに、知らないが故の誤解を自分もじつにたくさん犯していることに気付きました。う~む!

美術史家個人の解釈には、できるだけ離れていたいですが、当時の人々の常識事項についてはやっぱりある程度知らなければ、絵画を理解するのは難しいことを強く感じました。『無知』は知らないが故の『純粋』ではなく、ある意味独り善がりな『罪』なんですね。

本書は、2000年に出してるくせに初版当時のまま旧仮名なんでかなり読み難いのですが、それは補って余りある価値があります。巷に出ている内容の無い本を買うならば、本書一冊買うだけで事足りるし、何倍もの価値があるでしょう。新刊また無くなったみたいで残念ですが、きっと岩波さんがまた出してくれるはずです。GETしておきましょう♪

私は、いつ・どこで買ったか記憶にないのですが、完全な新品で持っていました。黄金伝説にうつつを抜かして読み忘れてしまったらしい・・・。

それは置いといて。本書の中ではこんなふうに記述されています。
マリアは、天から降下した神の子が肉体となるための『場所』であります。神の子、すなわち、肉となった上智の『座』Sedesであります。『神の子の御座、幸いなる爾が懐、』であります。だから、マリアの連祷でも、彼女は『上智の座』と呼ばれております。
 このようにして『上智(聖智)の座』Sedes Sapientiaeがやがて、またマリアの象徴となります。それは、また、旧約の世界に於ける叡智の権化たるソロモン王にちなんで『ソロモンの王座』Trone de Salomonとも呼ばれます。そしてこの象徴主義がまた中世に於けるマリア崇拝像の権威の為、一つの基礎となったのであります。すなわち、この『上智の座』または『ソロモンの王座』としてのマリアは、彼女が王座(椅子)の上に座るという形をもってあらわされます。だから、いろいろのマリア像に於いて、彼女が王座に座したり、椅子に腰掛けたりしているのを、単に、構図上の便宜だとか、平凡なる壮厳だとか、考えてはなりません。
何にも知らない私は、今の今まで、即ち本書を読むまでまさに構図の故かと思ってました。たくさんの聖母をこの目で見てきましたが、何も分かっていなかったってことです。お恥ずかしい限り(赤面)。

他にも、キリストの『昇天』に対しての聖母の『被昇天』(聖母は神性はあっても神ではないので、自力で天に上がるのではなく、あくまでもキリストによって上げられるのがポイント!)とか、『被昇天』が上昇に対して『無原罪の御孕り』はキリストの天からの降下とか、視点が全然違ってきます。ムリーリョの実物の作品を見たことがあっても、何も知らなかった私の至らなさを痛感しますよ、ホント。

とにかく、黄金伝説を読んだら、次に本書を押さえておくべきでしょう♪ 著者も黄金伝説は強くお薦めしてますしね。両方読むと、宗教絵画を今までの何百倍も何千倍も楽しめますよ、きっと!! 実に素晴らしく、為になる本でした。聖母マリアを扱った本は多いですが、これ、私の一押しです。

最後にまとめ。キリスト教図像学をマリアに絞って解説した本。神学的な側面まで含めてきちんと書かれた良書です。但し、非常に残念なことにこれだけの内容なのに文献紹介がないのです。これだけは欠点だと覆います。
【目次】
第一章 序説
 第一節 アヴェ・マリア
 第二節 宗教美術
 第三節 神秘性

第二章 神の母
 第一節 マリアの肖像
 第二節 聖母
 第三節 聖母像
 第四節 象徴
 第五節 元后(女王)
 第六節 慈悲と哀しみの聖母
 第七節 ロザリオの祈り
 第八節 聖なる会話

第三章 被昇天
 第一節 神秘の薔薇
 第二節 御眠り
 第三節 昇天
 第四節 戴冠
 第五節 マリア遷化
 第六節 天使

第四章 無原罪の御孕り
 第一節 聖童貞
 第二節 マリアの出生
 第三節 産みの苦しみ
 第四節 助産婦
 第五節 陣痛
 第六節 アンダルシアの乙女

第五章 結び

索引(人名・事項)
アヴェマリア―マリアの美術(amazonリンク)

関連ブログ
「黄金伝説3」ヤコブス・デ・ウォラギネ著 人文書院
「聖母マリア伝承」 中丸明 文藝春秋
「聖母マリア」 竹下節子著 講談社選書メチエ 
「ヨーロッパ聖母マリアの旅」若月 伸一 東京書籍
「聖母マリアの系譜」内藤 道雄 八坂書房
バチカンと聖公会が『シアトル声明』
「黒い聖母と悪魔の謎」 馬杉宗夫 講談社
「キリスト教図像学」マルセル・パコ 白水社
「ヨーロッパのキリスト教美術―12世紀から18世紀まで(上)」エミール・マール 岩波書店
「新装版 西洋美術解読事典」J・ホール 河出書房新社
「ヨーロッパ中世美術講義」越 宏一 岩波書店
posted by alice-room at 22:41| 埼玉 ☔| Comment(2) | TrackBack(0) | 【書評 宗教B】 | 更新情報をチェックする