2019年11月09日

「自分のなかに歴史をよむ 」阿部 謹也 筑摩書房

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もうだいぶ前に、著者のあの有名な「ハーメルンの笛吹き男」を読んで大変感銘を受けたものですが、その著作に至るまでの著者の在り様、考え方、生き方、学問に対する姿勢等が本書からは伺え、本当に興味深い本でした。

あと・・・大塚久雄氏の名前が出てきたのには、そうなんだ!と別な意味で感慨深いものがありました。
他にも私でも存じ上げているような方の名前なども出てきて、そちらもいろいろと思うことがありました。

本書の中で改めてヨーロッパ中世の概念である“二つの宇宙”については、当然知ってはいましたが、私の理解は非常に浅かったんだなあ~と改めて感じさせられました。それに対する認識を本書を通じて再度認識し直しました。

個人的には大きな収穫ですね。

装飾写本の人体図と天球図が重なったような図案を頭に思い浮かべました。

また、中世の音楽についての見識も目を開かさせる気がしました。

実際、うちの外から聞こえてくるのは寺の鐘より、教会の鐘だったりする・・・。
しかも、カソリックのそれなりに知られた教会の鐘なのですが、本書の説明を読んで聞くとまた違った意味に感じられてきますね。

著者の作品を何冊か読んだ後で本書を読むと、更に他の著作の内容への理解が深まるように思います。

『中世』という世界を捉えるのに、本書の視点は大変有意義なものがあると思いました。
改めて阿部氏の著作読んでみたくなりました(笑顔)。


【目次】
第1章 私にとってのヨーロッパ
第2章 はじめてふれた西欧文化
第3章 未来への旅と過去への旅
第4章 うれしさと絶望感の中で
第5章 笛吹き男との出会い
第6章 二つの宇宙
第7章 ヨーロッパ社会の転換点
第8章 人はなぜ人を差別するのか
第9章 二つの昔話の世界
第10章 交響曲の源にある音の世界
自分のなかに歴史をよむ (ちくま文庫)(amazonリンク)

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「ハーメルンの笛吹き男」阿部 謹也 筑摩書房
「甦える中世ヨーロッパ」阿部 謹也 日本エディタースクール出版部
<訃報>阿部謹也さん71歳=一橋大元学長
「中世の星の下で」阿部 謹也 筑摩書房
「刑吏の社会史」阿部 謹也 中央公論新社
ラベル:書評
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2019年01月10日

「西欧精神の探究」上下巻 堀米 庸三(編)、木村 尚三郎(編) 日本放送出版協会

西欧精神の探求.jpg

内容は拾い読みをしていましたが西欧中世と言えば名が挙がる有名所の方々が各章を担当されてます。

但し、各章の文章量の制限故か、相当深い内容のことを書いていても表現的にはかなり圧縮された形で書かれている為、書かれた文言の背景にあるところを分かったうえで紙背を読まないと何も意味のない単なる文字の羅列として読めてしまう点があります。

また、なんというか個々の執筆者の本を読んだうえで総括的な意味で鳥瞰するぐらいの視点で読めば、本書の意味もなるのでしょうが、いかんせん、物足りなさが半端ないです。

本書で関心のあるところに目星をつけたら、執筆者の関連書籍を読むぐらいですかね?
本書の利用法としては?

参考文献は全然足りないし、別な意味でストレスが溜まってしまう本かと。
もっと大部の本格的なものだと良かったのですが、あくまでも放送大学用の試験的試みですもんね。
実は、1巻物で本書を持っているのですが、あえて持ってなくても良さそうなので手放すか検討中。

それよりも中世哲学で欲しい本があるから、あちらを買って手元に残そうか思案中。

【目次】
序 十二世紀と現代
1 革新の十二世紀
2 西欧農耕民の心
3 都市民の心―自由の精神
4 グレゴリウス改革―ヨーロッパの精神的自覚
5 祈れ、そして働け―西欧の修道精神
6 正統と異端―十二世紀の社会宗教運動
7 騎士道―剣を振るうキリスト者
8 愛、この十二世紀の発明
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
9 西欧型政治原理の発生―封建制度と封建社会
10 大学と学問―自由な思索の展開
11 近代科学の源流―スコラ自然学と近代
12 中世人の美意識―ロマネスクとゴシックの世界
13 賛美と愛の歌―グレゴリオ聖歌と世俗歌曲
14 中世と現代―革新の世紀の終末と再生


西欧精神の探究―革新の十二世紀〈上〉 (NHKライブラリー) (amazonリンク)
西欧精神の探究―革新の十二世紀〈下〉 (NHKライブラリー) (amazonリンク)
ラベル:書評 中世 歴史
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2019年01月06日

「多摩の古社寺305 」平野 勝  けやき出版

多摩の古社寺.jpg

最近、御朱印巡りをしているのでこの手の寺社仏閣に関する本をあれこれ読み漁っていて見つけた本。

とにかく普通のこの手の本では出てこないようなマイナーな神社や寺がいろいろと出てきます。
大きな神社や寺ではないのでご由緒や縁起等、簡素なものしか記述はありませんが、まずはこんなのがあるってのが分かり、本書をきっかけにネットや他の本で調べて、あちこち行こうとするのには有意義な本です。

以前に自分が行ったところなども本書で確認すると、それなりに情報が書かれていて結構、有難かったりします。

但し、かなりディープな感じのマニア向けですかね?
適当に地図やカーナビで見つけたところや自分で歩いていて、車で走っていて偶然に見つけたところをあちこち訪問してたりするような好奇心旺盛な人向け。

普通の方が本書見ても活用法がないし、大手の神社・寺と比較しても意味がない点に気づかないような人には無用な本かと。
その分、ある種の人には大変有用な本です。

個人的にはこの本と「埼玉の神社」(3分冊)・・・アマゾンでも載ってないけどね。あるとこにはあったりする。
があれば、非常に便利かと。

多摩の古社寺305(amazonリンク)
ラベル:書評 寺社仏閣
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2018年12月19日

「皇帝の閑暇」ティルベリのゲルウァシウス 青土社

皇帝の閑暇.jpg

これはいささか退屈な本でした。
他に読んだ西洋中世綺譚集成は、もっと面白かったんですけれどね。

ローマのプリニウスの書いた百科事典みたいな感じで、世界の驚異について、種々述べたものなんですが、なんだかね?

少し拾い読みしましたが、全部の項目を読みたいほどではなかったので途中で読むのは止めちゃいました。
他の本、読みます。

皇帝の閑暇 (叢書 西洋中世綺譚集成)(amazonリンク)
ラベル:書評 中世
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2018年12月09日

「中世の知識と権力」マルティン・キンツィンガー 法政大学出版局

う~ん、このシリーズは時々、面白いものがあるので読んでみたのですが、ハズレですね。

現代的視点から、中世を見てどうのこうの言うってのは、まあ、分かるんですけどね。
人は常に自分の立ち位置からしか、それ以外のものを見ることは出来ないってのは確かに歴史というものが内在せざるを得ないものであることは別として、個人的にはそんなこと不要で、さらに言うなら無駄な著者の独り言でしかないかと。

それ以外にもなんというか、説明のポイントが私の知りたいことには全くかすることさえなく、こんなの読まない方が良かったというのが感想です。実際に飛ばし読みしつつ、目を通したのですが、それさえも途中で止めるほど私には得るものの無い本でした。

【目次】
1 中世の知識と中世における知識―近代への道
2 修道院の僧房と権力中枢―中世からの道


中世の知識と権力 (叢書・ウニベルシタス)(amazonリンク)

関連ブログ
「中世の大学」ジャック・ヴェルジェ みすず書房
ラベル:書評 中世
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2018年04月03日

「禁書」マリオ インフェリーゼ 法政大学出版局

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以前、印刷博物館でカソリックの禁書目録の実物を見て感慨深かったのでふと目にして読んでみました。

う~ん、内容は思ったほど学術的ではないかもしれません?
もっと具体的且つ踏み込んだものかと想像していたのですが、実際はかなり総括的で個々の内容については表面的で薄っぺらですね。

でも、あまりこの手の本で手頃なものが無いように思っていましたので、手元に置いておいても悪くはないかもしれません。邪魔なだけかなあ~、う~ん?

ただ、いつの時代も為政者は体制維持の為に腐心し、その一方で関係者は複雑な利害関係の中で妥協と服従と脱法行為に勤しみ、自らの利益の為に行動してきたんだなあ~と思いました。

禁書に協力し、自らの出版を認めてもらって独占的利益を得つつも、その裏側で反体制側のパンフを印刷し、そちらはそちらで利益上げたりとかね。

もっとも今の時代の方がむしろ大規模に情報統制をしているものなあ~。
エシュロンしかり、中国のネット規制しかり。
うちのブログも中国からは見えないと言われたしなあ~。

まあ、形を変えた焚書坑儒も無くならないしねぇ~。

人間は時代を経ても本質は変わらないっていういい見本ですかね?
【目次】
出版規制
1検閲の起源
2教会と国家の狭間で
3無垢で思慮深い検閲
文化追放
1禁書目録
2講読禁止
3検閲と民衆購読
4科学
検閲の限界
1クレメンス目録後
2異端審問と抑圧
3寛容の起源
絶対主義と検閲
1国家検閲の優勢
2非合法市場
3黙認と偽書誌事項
4啓蒙、検閲、印刷の自由
エピローグ
禁書: グーテンベルクから百科全書まで (amazonリンク)

ブログ内関連記事
「中国の禁書」章培恒、安平秋 新潮社
印刷革命がはじまった:印刷博物館企画展
ラベル:書評
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2017年07月03日

「哲学の歴史〈第3巻〉」中央公論新社

tetugakunorekisi.jpg結構前にこのシリーズの4巻(ルネサンス)を読み、出来が良かったので是非、このシリーズの中世哲学の巻を読もう、読もうと思っていたのですが、なかなか機会が無くて読まず自体でしたが、たまたま訪れた図書館で見つけたので読んでみました。

まずは関心のある部分からと「一二世紀の哲学」と「古典イスラームの哲学」を読んでみたのですけれどねぇ~。中世の文献は古代ギリシアやローマのものがアラビア語に翻訳され、それをまたラテン語に翻訳して・・・という経路を辿るから、イスラム哲学にもしっかり頁が割かれているのは当然、いいのですが・・・。

『一二世紀の哲学』がとっても不満だったりする。
そんなもんかなあ~? 新プラトン主義の光の形而上学とか、その辺も含めてシャルトル学派の自然主義的な側面とかもっと触れて頂きたかったりするんですけれど・・・。

シュジェールとかも出てくるんですが、全然物足りないっす!
否定神学とかの説明もちゃんとして欲しいなあ~。

あとはこれから「スコラ哲学とアリストテレス」「ボナヴェントラ」辺りを読んでつまらなかったら、もう読むの止めようっと。ただでさえ、積読本が山積みですしね。消化せねば・・・。

シリーズの4巻は面白かったですが、3巻は今のところ、つまらなかったです。
この値段を出して買う価値は無さそうです。

4巻だけ手元にあるから、まあ、いっか。
【目次】
総論―信仰と知の調和
アレクサンドリアの神学
アウグスティヌス
継承される古代
アンセルムス
ビザンティンの哲学
一二世紀の哲学
古典イスラームの哲学
スコラ哲学とアリストテレス
トマス・アクィナス
ボナヴェントラ
ラテン・アヴェロエス主義
ガンのヘンリクス
ドゥンス・スコトゥス
オッカム
エックハルト

哲学の歴史〈第3巻〉神との対話―中世 信仰と知の調和(amazonリンク)

ブログ内関連記事
「中世の哲学」今道友信 岩波書店
「西洋古代・中世哲学史」クラウス リーゼンフーバー 平凡社
「中世思想原典集成 (3) 」上智大学中世思想研究所 平凡社
「西洋哲学史―古代から中世へ」熊野 純彦 岩波書店
「岩波哲学・思想事典」岩波書店 ~メモ
ゴシックということ~資料メモ
ゴシックのガラス絵 柳宗玄~「SD4」1965年4月より抜粋
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2016年11月29日

「神秘の中世王国」高山 博 東京大学出版会

shinpicyusei.jpg

十二世紀ルネスサンス。
それとの関連で実際にアラビア語からラテン語に各種文献が翻訳された場所の一つがシチリア王国のシチリアであり、ここを通じて中世ヨーロッパに古典古代の知識が再度もたらされたのは有名ですが、それを可能にしたこのシチリアという土地に興味を持って、本書を読み始めました。

想像以上にコスモポリタンな環境ですね。
また、思ってもしなった高度な行政機構に官僚組織、本書で初めて知りました。

そうそう、本書の内容は結構アカデミックな方向で書かれてます。
一般人の歴史好きにはちょっと細か過ぎて、いささか食傷気味になりますが、勉強にはなります。
関心のないところは読み飛ばしていけばいいのですが、中世についての世界観が改めて大きく変わること間違いなしですね。

『暗黒』の中世、なんてどこの話?っていう気になります。

まあ、私はそんなこと思ったことはありませんけれど・・・ね。
こういったシチリア王国のような存在があった初めて『十二世紀ルネサンス』が可能となったことを痛感します。

また、中世を学ぶなら、ラテン語、ギリシア語だけではなくアラビア語も出来ないといけないと、どっかの中世史学の学者の本に書かれていましたが、強く納得致しました。どの言語もできない私は学者を目指さなくて正解でしたね(苦笑)。

そうそう、さらに「13世紀ルネサンス」の本も買ったんだよねぇ~。本書に啓発されて・・・ってわけでもないですが流れでポチッと。そちらも読まないとね。

持っていていい本ですが読んでると退屈なのも事実。
【目次】
Ⅰ魅惑する王国
1章 きらめく過去への扉
2章 羊皮紙に記された三つの言語

Ⅱ神秘の中世王国
3章 三人の王の物語
4章 王国に住む人々
5章 王の支配

Ⅲ地中海世界のプリズム
6章 王国内に併存する異文化
7章 異文化圏を行き交う人々

神秘の中世王国―ヨーロッパ、ビザンツ、イスラム文化の十字路 (中東イスラム世界) (amazonリンク)

ブログ内関連記事
「中世シチリア王国」高山博 講談社
「十二世紀ルネサンス」伊東 俊太郎 講談社
「十二世紀ルネサンス」チャールズ・H. ハスキンズ(著)、別宮貞徳(訳)、 朝倉文市 (訳)みすず書房
「中世イスラムの図書館と西洋」原田安啓 近代文藝社
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2016年11月03日

「中世社会の構造」クリストファー ブルック 法政大学出版局

思わぬところでサン・ドニのシュジェールが出てきて感慨深かった。
光の形而上学のくだりは、大元を知っていればこそ、分かるものの、本書の説明で内容を正確に理解するのは難しいだろうなあ~と感じた。

そうそう教皇を選出する会議、コンクラーベの誕生については興味深い記述があった。
おおまかな由来は知っていたが、ここまで酷いことをやっていたとは・・・。
ただ、これが定着して今のようになるんですね。
・・・
教皇が死ぬとオルシーニは手が届く範囲にいた全ての枢機卿を集め、監獄に改造されたローマの宮殿に彼らを追い立てた。教皇を選出するまで、彼らはそこに監禁された格好になったのである。何週間もの苦悩ののち、枢機卿たちは脱出方法を見つけた。仲間のうち一人が既に死に、もう一人も死の床にあった。彼らはその男を教皇に選出し、その男もまた死んでゆくまでの短期間に、脱出することができた。
・・・
「我らは人生を生きる価値をほとんど見失うまでに我らをせめたてた、数え切れぬ苦痛、絶え間ない熱気、悪臭、悲惨な監禁、侮辱、空腹、飢餓、病などすべてについて考えを巡らせた・・・・」。
・・・
我らが手足を縛られ、盗賊のように鞭打たれて監獄へと引きずられていった時の様子を忘れたとでもお思いか」と記述はさらに続く。
・・・
監獄の衛生設備からくる彼ら自身の苦しみが語られ、また納骨堂に閉じ込められて門番に唾をかけられ、からかい半分に滑稽な歌を聞かされ、さらにはベッドの下から石ゆみでつつかれた・・・
・・・
元老院議員がおそるべき脅迫でわれわれを拷問にかけたことも忘れてはなるまい。彼は新しい教皇を選出したら、即座に明らかにするようにと命じ、我らをせきたてんがために、前教皇の亡骸を墓から掘り出して我らの中央に据えたのである。
そもそも、そうまでしなければならなかった背景としての教皇君主制などの説明も改めて、勉強になります。
【目次】
教皇と乞食
国王と王権
教皇と司教
教皇と国王の選出
農民、都市民、領主
乞食と教皇
中世社会の構造 (りぶらりあ選書) (amazonリンク)

おっと、この本以前に読んでいたのに気づかない私って・・・。
最初は借りた本だし、これは買った本で再読ってことになるのか。買うほどの価値があったのかは疑問ですが・・・?

ブログ内関連記事
「中世社会の構造」クリストファー ブルック 法政大学出版局最初に読んだ時のもの
「中世の大学」ジャック・ヴェルジェ みすず書房
ラベル:書評 歴史 中世
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2016年01月24日

「フランスの聖者たち」渡邊 昌美 八坂書房

franceseijya.jpg著者も語られているが本書はフランス版古寺巡礼記とでもいうべきものであって、フランスの有名な巡礼地にある古い教会とそこに祀られる聖者(聖人)と由来などをエッセイ風に書かれている。

寝る前に少し読んで、2か月ぐらいかかっただろうか?
読了する前にほとんど最初に読んだ内容を忘れてしまっていたりするのだけれど、本書の内容自体も別に目新しいものではない。

著者の本書以外の作品を読んでいれば、どこかで読んだ内容だし、私の場合、他の本からの知識と相まって、本書を読んで取り立てて新たに興味を覚えた部分は少なかった。だが、読んでいてどこかしら既知でありながらも心地よく、寝物語として読むには私個人限定かもしれないが、なかなか良い本でした。

適度に眠くなるし、読物のようにストーリーに執着して読了せずにはいられなくなるのも困るしね。
全くつまらなければ、そもそも読むのを止めてしまうし・・・ね。

内容は巡礼寺の説明で縁起や聖人伝などが語られています。
その辺はまあ、普通な感じ。

本書を読んでいて、私が一番、関心を持った事。
それはシトー教会の厳しさ。

クリュニー修道院の繁栄と豪奢な生活、過剰なまでの美や装飾を良しとする価値観と対比されるシトー会は一切の装飾を拒否した建築や質素な生活で有名ですが・・・まさか、それほどまでとは・・・・。

「過酷な生活と烈しい労働のために、初期シトー会士には28歳を超えて生き続ける者は稀であったという。」こんなふうに本文で書かれているが、思わず映画「バラの名前」を思い浮かべてしまいますね。

行き過ぎた『清貧』の過酷さは半端ないです。
しかし、それ故にそれが建築として表現された洗練された美というものは、また、比類ないものなのだろうと思わずにはいられません。

ヨーロッパの難民問題やIS関連の治安懸念で今年は微妙ですが、落ち着いたら、改めてロマネスク建築ともどもル・トロネとか見に行きたいなあ~。イスタンブールのアヤ・ソフォアさえ行けないのは悲しい限り・・・。
【目次】
第1章 聖堂の四季―サン・ドゥニ(1)
第2章 歴史の工房―サン・ドゥニ(2)
第3章 ピレネーの桃源郷―サン・ベルトラン・ド・コマンジュ
第4章 たまごの聖母さま―ノートルダム・ドラフレード
第5章 大天使の要塞―モン・サン・ミシェル
第6章 金色の乙女―サント・フォア・ド・コンク
第7章 泉の僧院―フォントネイ
第8章 海から来た聖者―サン・ジルダ・ド・リュイス
第9章 遙かなる旅路―巡礼と同胞団
第10章 幻の聖なる道―サンチャゴ巡礼(対談 小川国夫×渡邊昌美)

フランスの聖者たち―古寺巡礼の手帖(amazonリンク)
ブログ内関連記事
「巡礼の道」渡邊昌美 中央公論新社
「フランス中世史夜話」渡邊 昌美 白水社
「異端者の群れ」渡辺昌美 新人物往来社
「モンタイユー 1294~1324〈上〉」エマニュエル ル・ロワ・ラデュリ 刀水書房
サン・ドニ大聖堂1~フランス(20100625)
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2015年12月14日

「中世劇の世界」石井 美樹子 中央公論社

chyuuseigeki.jpg

エミール・マールの本の中に中世劇に触れた記述があり、その延長線上で本書を読んでみました。
う~ん、あえて読む価値のある本でもありません。

民衆に受容された中世の宗教劇について、本書は語っているのですが・・・視野が狭い気がします。
エミール・マールのような大きな視点の中で、歴史的にどのような背景があり、また社会や制度、宗教的な価値観があり、それが民衆に受容されていく過程で、どのような形式を採った・・・とかいうようなものはほとんどありません。

では、その代わりに演劇自体について深く掘り下げた内容のものかというと、なんか薄っぺらな感じです。
フランスやドイツではなくてイギリスであることの意義も分かりませんし、たまたま自分の目についた物的な感じさえしてしまいます。

もう少し、知見に溢れた文章だったら良かったんですけれどね。
内容自体もあまり面白くないし、考察らしきものも価値のあるものと思えません。

後の免罪符販売でどんな罪も免罪符さえ持てば、許されてしまう・・・そんな売り文句に匹敵するような俗っぽい内容で民衆がカタルシスを得て、進んで受け入れるような中世劇の内容自体も目新しさは感じません。

イエスの地獄征服だけは、初めて知った内容でほお~っと思いましたが・・・後はね。

時間の無駄ですね、読むだけ。
どんな読者層を想定しているのか不明ですし、著者自身の自己満足用の本です。時々、見かけるような本です。お勧めしません。
【目次】
プロローグ 中世的世界の復活
第一部 中世劇はどう演じられたか
中世唯一最大のマス・メディア
中世の聖体祭と演劇
中世イギリスのサイクル・プレイ

第二部 降誕劇
キリスト降臨節の意味
泥棒マックとシーツの儀式
マリアの夫、寝取られ亭主のヨセフ
幼子イエスの降誕
羊飼いたち、その饗宴、音楽、贈り物

第三部 受難劇
死と滅びのグロテスク・リアリズム
ヘロデ王、「死」、悪魔
ゲツセマネからゴルゴタへ
イエスの地獄征服と復活

エピローグ 現在のイギリス中世劇上演を観て


中世劇の世界―よみがえるイギリス民衆文化 (中公新書 (728))(amazonリンク)
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2015年03月14日

「満州と自民党」小林 英夫 新潮社

以前から満州関係は好きだったので革新官僚として有名だった岸信介の名前があったのでとりあえず読んでみました。

基本、重要な項目で本書で目新しい事はなかった。
ただ、岸が満州で働いた期間が正味3年とあまりに短かったのは、正直予想外でした。あれだけの事を成し遂げ、満州で経験したことを戦後の高度経済成長期へ繋がるべく日本でも実施した岸が直接、その地に滞在した期間としては、やはり異例の短さと思える。

そうそう、満州重工業株式会社を始めとする新興財閥の日産コンツェルン。
あの鮎川氏と岸が親戚関係にあったというのは、初めて知りました。

戦後の傾斜生産方式がソ連の五カ年計画同様の統制経済であり、満州時代のノウハウと人脈が活用されていたのは、周知の事実ではあるが、 岸との関連で書かれていたのはあまり読んだことが無かったので新鮮だったかも?

でも、満州でその存在が圧倒的であった軍部との関係の中での言及がほとんど無くて、かなりバランスを欠く記述であることも否めない。

勿論、新書である為に紙幅の制約があり、あえて割愛しているのだろうと思われるが、全ての活動に対して軍の了承無しに成し得なかった状況下で軍との関わりを触れねば机上の空論とは言わないまでも無理があるだろう。

その制約下でいかにして、岸をはじめとする人々が思い描いていた満州国を作り出していったのか・・・。
理想が常に現実の圧力の下で、歪められて本来の姿からかけ離れたものになるか、それを知っている組織(あるいは社会と言ってもいい)で生きる自分としては、そこが大いに不満が残った。

モスクワ大学出のエリートや後に満州国ナンバー2になる綿花栽培を夢見て農大出などを抱える満鉄調査部などの一大勢力が岸をはじめとする勢力に容易に制御できたとは思えない。

どうにも上っ面的な感じがしてならなかった・・・。
NHKスペシャルの「海軍400時間」とかとは、調査の質が違いますねぇ~。比べちゃいけないのかもしれませんが・・・。

あっ、でも岸が社会主義とは言わないまでも個人の私有財産などにはほとんど目もくれず、戦後のソ連や中国の5カ年計画よろしく、統制経済を主導していった信条というか、思想的背景については知らなかったこともありました。

また岸が首相の時代に、アジア各国との戦時賠償や経済協力を一気に進め、後のODA等での経済支援とアジアの発展の中で日本がそれをリーダーとして担い、引っ張っていく的な発想は確かに戦中、戦後を通じて一貫しているなあと思いました。

大東亜共栄圏の名称は変わっても、本来目指すところは不変であり、普遍なんでしょう。
中華思想の下での朝貢外交の時代は帝国主義の焼き直しに過ぎず、破綻するかと思いますが、それまでの間、あちらも重々承知のうえでのパワーポリティクスである以上、大きな波乱と混乱が生じるのは避けられないんでしょうね。

まあ、小市民の私は早く資産を増やして、早々にリタイアして自分の書庫に籠もるか、世界を放浪して人知れず天寿を全うできれば何よりですが・・・・。

そのためにも早く今の仕事は辞めないとなあ~。
【目次】
第1章 偉大なる遺産
第2章 敗戦、引揚げ、民主化
第3章 経済安定本部と満州組の活動
第4章 「満州人脈」復権の時
第5章 五五年体制と岸内閣
第6章 見果てぬ夢の行方
満州と自民党 (新潮新書)(amazonリンク)

ブログ内関連記事
「大満洲国建設録」駒井徳三 中央公論社
「最終戦争論・戦争史大観」石原 莞爾 中公文庫
「岸信介」原彬久 岩波書店
「満洲帝国」学研
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2014年03月24日

「宦官」顧 蓉、葛 金芳 徳間書店

【目次】
序章 中国史を読み解くキーワード
第1章 異常心理と病的行動
第2章 歪んだ集団力学
第3章 屈辱の「中性」奴隷
第4章 どちらが最高権力者か―皇帝と宦官
第5章 後宮の闇の中で―后妃と宦官
第6章 不倶戴天の政敵―官僚と宦官
第7章 乗っ取られた統帥権―軍隊と宦官
第8章 暴走する秘密警察―司法権と宦官
第9章 なぜ増殖し続けたのか
第10章 知られざる業績
宦官―中国四千年を操った異形の集団 (徳間文庫)(amazonリンク)
ラベル:書評 中国 歴史
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2013年09月29日

「ポンペイ・グラフィティ」本村 凌二 中央公論社

古代ローマ帝国が大好きな私としては、ポンペイに遺された落書きから、古代ローマ帝国の在りし日の生活が生き生きと再現され、描写されることを期待していたのですが・・・・物の見事にその期待は打ち破られました。

確かに、火山灰にうずもれたポンペイの落書きから、その背景となる社会生活や制度の有り様などを説明しているのですが、とにかくつまらないです。

新鮮な驚きも、遠い歴史に思いをはせるような好奇心さえも全くかきたてられません!

ダラダラとどうでもいいようなことを表面的に説明されていて、他のローマ帝国について書かれた本を読めば、それぐらい知ってるでしょっていうレベルの話ばかりで、落書きから、より一層深い考察に結びつくような内容は全くありません。

単なる暇を持て余した学者さんの自己満足、以外の何物でもないかと?
論文や大学の紀要なら、それでいいけど、わざわざ一般書として出版する意義さえ首を傾げたくなるレベルです。

本当に何の価値も私には見出せませんでした。

て、いうかチュニジアのバルドー美術館で世界一と言われるモザイク壁画を観たことがありますが、あそこにはモザイクで残された看板や広告みたいなものまであり、落書き並みもあったように記憶しています。

わざわざ、ポンペイである必然性さえも無いように思えてならないのですが・・・。

一通り、目を通してしまったのですが、結局、時間の無駄な一冊でした。
【目次】
1章 友に、公職を!
第2章 公務にふさわしい人々
第3章 民衆は見世物を熱望する
第4章 喜怒哀楽の生活風景
第5章 愛欲の街角
第6章 文字を学ぶ
第7章 落書きのなかの読み書き能力
ポンペイ・グラフィティ―落書きに刻むローマ人の素顔 (中公新書)(amazonリンク)
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2013年09月16日

「世界遺産37の謎の回廊」歴史の謎研究会 青春出版社

世界遺産ブームに便乗し、それをいささかうがった方面から、ネットで検索して集めた程度の情報で適当に書き散らした雑文。

まあ、おおよそ、その類の本だろうとの予想の元に読んでみたのだけれど、実際もそのまんまだった。
かと言って、私はこの手の本も嫌いではない。

こういう俗っぽくて胡散臭いのもそこそこ楽しかったりする。

そうそう、シャルトル関係の本には洋書も含めて目を通しているつもりでいたのですが、サン・フォールはまあ、実物も見てるし、「黒いマリア」も見知っているけれど、本書には、私の知らない事が書かれていました。
【以下、本書より引用】
南側の翼廊に置かれた「斜めの敷石」も神秘性をはらんでいる。一定の方向で敷き詰められた石畳の床に不自然に斜めにはめ込まれた白い医師は、普段は何の変哲もない敷石である。
だが、毎年6月21日ごろ、すなわち夏至の時だけステンドグラスの透明な部分から洩れる光が、まっすぐこの石を照らす仕掛けになっているのである。
う~ん、地下の深さと頂上の高さがちょうど釣り合うとか、シャルトル大聖堂にはいろいろな怪しげな噂も多いのですが、この話は読んだことないんだよねぇ~。

どっから集めたネタだろう?
ソースを知りたいものです。あるのかどうかも分かりませんし、信憑性が限りなくありませんが・・・。

それでもちょっと興味深いのでメモしておく。

本書内のタイトル:
「シャルトル大聖堂・フランス共和国―「黒いマリア像」と「サン・フォールの井戸」の解けざる関係」

あっ、勿論、本書はあえて読む価値はありません。
暇つぶしに雑文として、読み飛ばすぐらいしか価値はありません。
【目次】
第1章 永久なる遺産の謎の断片
第2章 古人が記した幻の記録
第3章 遺跡に刻まれた解けざる痕跡
第4章 聖なる遺産の失われた真相
世界遺産37の謎の回廊―ふしぎ歴史館〈巻ノ7〉 (青春文庫)(amazonリンク)

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シャルトル大聖堂6~フランス(20100624)
実際に、シャルトル大聖堂のクリプト(地下室)ツアーでもらった解説パンフ。
「シャルトル大聖堂」馬杉 宗夫 八坂書房
ラベル:世界遺産 書評
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2013年09月15日

「一四一七年、その一冊がすべてを変えた」スティーヴン グリーンブラット 柏書房

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最初は、12世紀ルネサンスの延長線上で、古代ギリシア・ローマの古典を求めるブックハンターの物語だと思っていました。

勿論、それはそれで正しい本書の特徴の一端であり、「ビブリオマニア」と言ってもいいのですが、それにもまして、衝撃的な内容でした。

長く失われていた古代の知識としてエピクロス主義を伝えるルクレティウスの「物の本質について」。

その影響がかくも大なることを私は知りませんでした。
失われた古典が12世紀ルネサンス、続く、ルネサンスの文芸復興でさまざまに発見され、それが時代に大きな影響を与えたことは知っていても、このエピクロス主義については、全く寝耳に水、っといった感じでした。

原子論がねぇ~、ここで出てくるとは・・・。
またエピクロス主義(快楽主義)が、そもそもそういう意味であることさえも無知な私は本書を読むまで十分に理解していたとは言い難い状態でした(お恥ずかしながら・・・・)。

思想史・哲学史としても興味深いし、写本を含めた書物そのものに対するあくなき欲求である「愛書狂」の話としても面白いです。

そして、どんなに地位が上がっても、金に恵まれても人は人であることそれだけではなかなかに自由になれないということを痛感しました。

人は理想を求めながらも、現実という障害に阻まれ、押しつぶされながらもそれでもなお、理想を捨てずに、日々の日常を行き続けていく。辛い、ただひたすらに辛い現実がある訳ですが、そこになお留まり続け、生きていく。

人間ってのは、いつまでも経ってもその辺が変わらないみたいですね。
過去の話ではあっても、まるで今の自分のことのように共感し、考えさせられます。

どっかに閉じこもって生活の心配なく、朝から晩まで好きなだけ本を読めれば幸せなのですが、なかなかそうはいかないのが人生であることをこの歳になっても、改めて気付かされます。

いろんな意味で本当に学ぶことも多く、勉強にもなるし、大変、興味深いので、これは強くお薦めします!!
基本が分かっている人なら、本書の伝える豊富な知識・内容を存分に楽しめるかと思います。

これは購入して手元においておきたい本の一つです。

一四一七年、その一冊がすべてを変えた(amazonリンク)

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「書物への愛」リチャード・ド・ベリー 北洋社
「ルネサンスの神秘思想」伊藤博明 講談社
「十二世紀ルネサンス」伊東 俊太郎 講談社
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2013年08月31日

「中世の森の中で」木村 尚三郎、堀越 孝一、渡辺 昌美、堀米 庸三 河出書房新社

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小さい文庫本だが、実に内容は盛りだくさんであり、名の通った研究者が書いているだけあってその内容水準も高いと思います。そこら辺にある、内容がない駄目な駄目な自称専門家さんの書かれた専門書よりも一般書である本書の方が実は良かったりします!

新装版のあとがきに書かれていますが、本書は近年脚光を浴びるようになった「生活史」の観点から、中世の歴史を描かれており、民衆の心情や社会情勢、制度、さらに民衆にとどまらず、多様な人々の生活感覚をも含めた多角的視点が解説されています。

これらが実に興味深いです。

また、それらの視点を踏まえて中世史を眺めることで中世のあのかくも壮麗で理性的なゴシック建築や、独特の表現形式とその美に心奪われる装飾写本なども、まさに腑に落ちる、となることでしょう。

そうそう本書を読む事で、過去に読んだ数々の本の内容への理解が一層深まった、これも本書の有益の点でしょう。「ハーメルンの笛吹き男」の東方植民や「中世の秋」のブルゴーニュ地方の姿、黒死病に「死の舞踏」。聖遺物に写本、大学等々。

本書を読む事で、記憶に残っている断片的な知識が新しい相関性を得て結び付き、有機的に再構成されていくのを強く感じます。益々、中世というこの時代に魅了されると共にその歴史的断片が残る中世都市(ブリュージュ等)への期待感が増していきます。

10月行くのが楽しみですねぇ~。
観光客も減り、クリスマス・シーズンまでもまだ時間のあるタイミングですし、「死都ブリュージュ」を体感できることでしょう♪ インキュナブラもプランタンできっと見られるでしょうしね(笑顔)。楽しみです。
【目次】
プロローグ 自然と時間の観念
市民の一日、農民の一年
攻撃と防御の構造
城をめぐる生活
神の掟と現世の掟
正統と異端の接線
「知」の王国
エピローグ パリ一市民の日記
生活の世界歴史〈6〉中世の森の中で (河出文庫)(amazonリンク)
ラベル:書評 中世 歴史
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2013年08月04日

「ブリュージュ」河原 温 中央公論新社

【目次】
第1章 誕生
第2章 繁栄のモチーフ
第3章 フランドルの宝石―都市の美学
第4章 都市の祝祭と記憶
第5章 アルティザンからアーティストへ―アルス・ノヴァの世界
第6章 ブリュージュの近代と「神話」の形成
ブリュージュ―フランドルの輝ける宝石 (中公新書)(amazonリンク)

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「フランドルの祭壇画」岡部 紘三 勁草書房
「旅名人ブックス56 フランドル美術紀行」谷 克二
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2013年01月07日

「日本海軍400時間の証言」NHKスペシャル取材班 新潮社

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数年前に友人に教えられ、まずは映像で観た。
その時の衝撃は忘れられない。

近所の図書館で物色中、見つけたので早速借り出して読んでみた。
日曜の夜に読み始めたら、読了まで眠れずに翌日大変なことになった。
でも、時間が経って本で読んでも、やっぱり胸にくるものがある。

そうそう、本書を読む前にまずは映像で、動画でこのNHKスペシャルを観る事を強くお薦めする。
基本、観てから、その背景も含めて読む2次的な内容であることには間違いない。

本書の特徴としては、映像化される前の取材に関する背景的事情、制作スタッフ側の苦労と問題意識、諸事情をいろいろと描いており、そこが一番、映像とは異なっている。

実際、日本でこれだけの取材を出来たのは、製作スタッフの熱意もさることながら、やっぱりNHKだからという気がする。日本の民放では、100年経っても作れないだろう・・・・。

取材にかける予算・時間・人員、スポンサー等々、それ以前に優秀なリサーチャーを抱え、世界中から情報を集め、取材できるネットワーク情報網・ノウハウ、無理なんじゃないかなあ~と心底思った。
本書読んでいて。

BBCではなく、NHKが作ってくれて正直嬉しいです。
(福島原発のニュースでは、未だにBBCの方がはるかに質の高いもの作ってましたけどね。)

久しぶりに読んで思ったのですが、制作スタッフが狙った意図の通り、多かれ少なかれ組織に属する人にとっては、他人事ではなかったりする。

憲法を学んだ時に、教わったが、民主主義ってのは全体が100あれば、51を抑えれば、全体を支配できるが、その51のうち26を抑えても同じで、更にその26のうち14を抑えればOK。
14のうち8を、8のうち5を、5のうち3を抑えれば、3のうち2を抑えれば全体を代表したといえてしまう論理だったりする。

100のうちの2が100を代表するってのは、おかしいと思うかもしれないが、組織の存在がある限り、個々人が自由に振舞えない以上、少数による全体意思の支配ってのが、民主主義のある側面だったりする。

本書で描かれる海軍という組織は、まさに海軍中のエリート、軍令部のごく一部の作戦課によって、海軍が、政府が、国家が引っ張られていく姿が描き出される。

私が昔いたベンチャーでも社長とうちの上司と私の3人だけで、決めた企画や経営戦略を役員会議で事後的に承諾して、部署長会議で発表。各部署巻き込んで、会社全体で推進するんですが・・・・。

物の見事に、組織としてやってることは超・小型版ですが、一緒ですね。

組織変わっても、本当によくあることです。

去年、業務上の問題点を指摘し、改善提案(予算が必要)したら、会社批判するなとおえらいさんから、言われたことを思い出しますわ。私、中途で出世意欲もそれほどないので別に「あ~あ」と思っただけですが(その時の上司の反応には呆れましたが)、きちんとした生え抜きの方だったら、それ言われたら終りのような気がします。

まして、階級が絶対の超エリート組織中のエリートの方達でしたら。
また、頭の回転の速い人ほど、そういうのは事前に空気も読んで、やらないからね。

堺屋太一氏の「組織の盛衰」を思い出しました。
組織は、組織それ自体の自己拡大こそが、存在目的になってしまう・・・・そういやあ~、あそこに上がってた例が軍隊だったっけ?

さて、本書を読んでていて思ったのはそもそもの「反省会」の存在。
結果的に日本という国家を破滅させた責任の一端を免れることはないにしても、やっぱりエリートだったんだと思う。

人の評価を失敗するかしないかで捉えるのも一つだが、失敗を真摯に受けとめ、それをフィードバックすることで同じ失敗をしないように改善していくその姿勢こそを評価するというのも一つの方法ではある。

少し前に流行った「失敗学」ではないが、起こったことは起こったことであるが、貴重な経験を生かさないでは、これから『斜陽』をむかえた日本という国家の先は苦しいことになるような気がしてならない。

自民党の怠慢を諌めようとして、民主党を選んだものの、民主党の暴走を抑制できず、国富の浪費を促進しただけで、最も貴重な『時間』を失いつつある日本。

組織そのものの内部論理を優先させ、マーケットの論理に外れた日本企業が淘汰されている姿は、決して人ごとではないだろう。

本書の中で、組織存続・拡大の為、『聖域』(=皇族の権威)を作り、それを利用して本来あるべき正しい姿を捻じ曲げていく過程(=法律の改正、組織権限の拡大等)が丹念に説明されているが、どんな組織であれ、同じだろう。

かのローマ帝国は、歴史上、何度も敵に敗れている。
国土を蛮族に荒らされて、何度の存廃の危機に瀕している。

ただ、かのローマ帝国は、負けた後、徹底的に敵に学び、学習し、それを乗り越える為の不断の努力を続けたことこそが、どの国家よりも非凡であったらしい。

植民地出身の元老院貴族やさらには皇帝まで生み出した、あの国家に学ぶ事は未だに多いだろう。

奇襲か否かは別にして、真珠湾攻撃で打撃を受けた後、航空機戦へと大規模な戦略シフトを行ったアメリカ、日米通商摩擦なんて言って日本企業がわが世の春を謳歌していた頃、日本的生産方式を地道に解析し、システム化して採用(=Toyota's way)していったアメリカ企業。

最近だと、合法・非合法問わず、貪欲に技術を習得し、生産技術の高度化に邁進する韓国・中国企業等。

さて、日本は何に学び、何を学んでいくのだろうか?
改めて考えさせられる本です。

そういやあ~、戦後の東京裁判の件。
まさに国際政治の縮図ですね。

それぞれの思惑があり、国家的利害や組織的利害の錯綜する中、歴史は作られていく。
真実は、人の数ほどの真実があり、歴史は、その真実のどれか一つを暫定的に代表したものに過ぎない。
歴史は、容易く覆るのも道理な訳です。

自分は自分として、納得できる人生を生きていくしかないのだろうと思いました。
それが他人にどう映るのかは、また別な話ですし・・・。

いろいろと感慨深かったです。
映像を観た後に、読んでもよいかと思います。
【目次】
プロローグ――藤木達弘
「日本海軍400時間の証言」のスタート/海軍という組織と現代日本の組織/引き継いだ歴史への責任/「胸のつかえ」/命じた側と命じられた側/制作した我々の責任
第一章 超一級資料との出会い――右田千代
海軍反省会テープ/進まぬ取材/平塚元少佐の決断/さらなるテープ発見の「奇跡」/なぜ我々は日本を崩壊させたか

第二章 開戦 海軍あって国家なし――横井秀信
秘密の資料/重いリスト/率直な声/証人たちの横顔/第一回海軍反省会/初めて明かされた、開戦の驚くべき内幕/軍令部暴走の原点/老将の決意/軍令部の「謀略」/昭和天皇の憂慮/開戦のシナリオ?/第一委員会の闇/永野軍令部総長の変節/第一委員会の政治将校/足踏み/もう一つの「肉声」/「戦争決意」の真実/背信の軍令部/破綻の足音/未決の開戦責任

第三章 特攻 やましき沈黙――右田千代
「特攻」というテーマへの思い/番組共通の「巻頭言」/第十一回反省会/発言者は誰か/鳥巣元中佐と「回天」作戦/中澤元中将の講演テープ/最後の最後に語られた「特攻」/緊迫の質疑応答/戦後世代として、戦争指導者にどう向き合うか/海軍が生み出した特攻兵器/第二十回反省会と二人の軍令部部長/昭和十九年の戦況/反省会メンバーの素顔に触れる/第四十二回反省会と特攻兵器開発の内幕/幹部の沈黙の意味/源田元大佐が起案した電報/特攻の“戦果”の実態/第九十四回反省会での「特攻隊員の反撃」/「罪責の思い」――現代の問題、自分の問題として/反省会で語られていた「自責の念」/一人の仲間の命の重さ/幹部が作った「想定問答集」/「やましき沈黙」という言葉/鳥巣元中佐の戦後/「特攻隊員」と「涙が見えなくても伝わるもの」/神風特別攻撃隊・角田和男氏/特攻隊員の遺書/ラストコメント

第四章 特攻 それぞれの戦後――吉田好克
取材班への参加/回天烈士追悼式/飛行兵がいきなり海へ/毎日死ぬことに「邁進」/壮絶な「出撃」の体験/軍令部・中澤元中将の「業務日誌」/「変人」参謀・黒島亀人/黒島元少将の「戦後」を追って/残されていた直筆ノート/源田元大佐の戦後/中澤元中将の戦後/家族が明かした元中将の「内心」/現場の幹部が負わされた「責任」/回天元搭乗員の慟哭

第五章 戦犯裁判 第二の戦争――内山拓
番組との出会い/語られた海軍の“戦争責任”~豊田元大佐の告白/“海軍善玉”イメージを決定づけた東京裁判/組織的に練られた戦犯裁判対策/二復が重要視した海軍トップの免責/知られざる攻防・潜水艦事件/戦犯裁判への「指導」とは?~徹底した口裏合わせ工作/組織的に実施された証拠の隠滅/語られるBC級裁判の実態/スラバヤ事件とは何なのか/BC級戦犯の無念を追って/処刑現場に居合わせた元兵士の証言/消えた法務官を追う/事件の真相を示唆する元法務中尉の証言/豪州人捕虜遺族の沈痛に触れて/「上を守って下を切る」/なぜ戦争犯罪が多発したのか/大井元大佐が言及したサンソウ島事件/現地取材から見えてきた海軍支配の実態/実態窺わせる日本側資料『三ソウ島特報』/大切な仲間が遺してくれた重い問いかけ/事件を遺族に伝える苦悩/裁判対策の本質は天皇の戦争責任回避/海軍最高幹部とアメリカ軍高官の蜜月/遺された数千点の戦犯裁判記録/恩師・笹本征男の遺した言葉

エピローグ――小貫武
日本海軍400時間の証言―軍令部・参謀たちが語った敗戦(amazonリンク)
NHKスペシャル 日本海軍 400時間の証言 DVD-BOX(amazonリンク)

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「失敗学のすすめ」畑村洋太郎 講談社
「最終戦争論・戦争史大観」石原 莞爾 中公文庫
「ガリア戦記」カエサル 講談社
「帝国陸軍の<改革と抵抗>」 黒野耐 講談社
「戦術と指揮」松村 劭 PHP研究所
「The Toyota Way」Jeffrey Liker McGraw-Hill
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2012年12月24日

「イタリア・ルネサンスの哲学」 P.O. クリステラー みすず書房

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先日読んだ本から、ルネサンス時代の思想・哲学もなかなか面白いと思い、更に関連書籍を読んでみたのが本書。

今、6のとこまで読み進めたが、正直全く面白くない。
同じようなテーマを扱っているのに、本書はなんでこれほど面白くないのだろうか?

我慢して読み進めていくうちに面白くなることを期待したが、つまらなさが益々倍増してきたので最後の付録だけ、あとは読んで本書は終りにするつもり。

個々の人物の話にばかり、焦点が当てられて、中世哲学からのルネサンス期への変遷や全体像が本書を読んでいると良く分からない。

事前に素養のある人ならば、感想が違うのかもしれませんが、これ読んでてもこれ以前の時代の潮流と、この時代の大きな潮流の中でいかなる思想的位置を占めるのかを追っていけないのですよ。読んでても。

すると・・・個々の哲学者自体にはそれほど関心のない私のような人には、辛い文字の羅列になってしまい、まさに眠くなる哲学者の話になってしまいました。

勿論、前回読んだ本と一致する内容なので、言い回しは異なるものの同じことを言っているのは分かるのですが、えらく遠回りのように感じてしまい、素直に頭に入っていきません。

個人的にはお薦めしません。本書、数頁読むと眠くなりますし、何も知的刺激を受けれません。私の場合ですが・・・。共訳ですが、以前読んで面白かった本の著者もその訳者の一人で読んだんだけど、本の選択失敗しました。
【目次】
1 ペトラルカ
2 ヴァッラ
3 フィチーノ
4 ピーコ
5 ポンポナッツィ
6 テレジオ
7 パトリーツィ
8 ブルーノ
付録 ルネサンス・ヒューマニズムの中世的先例
イタリア・ルネサンスの哲学者(amazonリンク)

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「ルネサンスの神秘思想」伊藤博明 講談社
「パトロンたちのルネサンス」松本 典昭 日本放送出版協会
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2012年12月02日

「ルネサンスの神秘思想」伊藤博明 講談社

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ちょっと前に読んだ「哲学の歴史4」(中央公論社)がちょうどルネサンス期の哲学を扱っていて、非常に目から鱗で新鮮な驚きを覚えたので、同じルネサンス期の思想(哲学)を扱った類書ということで本書を読んでみました。

なお、本作の著者はまさに前回読んだ「哲学の歴史4」の編集責任者だったらしい・・・・どうりで中身も似ているなあ~と思いながら、本書を選らんだ経緯もあったりする。

さて、ルネサンスなんですが12世紀ルネサンスを知り、中世に目覚めて以来、16世紀のイタリア・ルネサンスにはちょっと距離を置くようになっていました。

勿論、ボッティチェリやラファエロは今も大好きだし、今年の夏にフィレンツェ行ってラファエロの聖母を見てきたりしてる訳ですが、昔と違い、絶対的キリスト教的価値観からの解放・自由、既存の枠を超えた人間中心の文化隆盛、そ~んな煽り文句に踊らさせることもなくなって、いささか冷ややかに眺めている、といった風情でしょうか。

かつて、教科書に書かれたレベルの知識やイメージしかなく、浅はかだった自分を苦々しく思いながら、冷めた感じでしか、逆に取られられませんでした。

しかし、「哲学の歴史4」と本書を読んでその辺の別な意味で私の中に根を張った誤った理解を一掃することができました!

ルネサンスは中世とも、また古代とも密接に繋がりを持ち、むしろ時代を飛ばして直結している感さえあるほど、いにしえの連綿と続く伝統を引き継いでいることを知りました。

むしろ、時代を経る過程で失われ、薄められた古代的『叡智』が12世紀ルネサンスと同様に改めて受容され、それでいて別ルート経由でより進化(深化)していく様子は大変に面白いです。

図書館で借りて読了した本ですが、これは速攻で買って手元に保存しておく対象に入れました!(笑顔)

本書で学んだことを幾つか列挙してみましょう。

よくルネサンス絵画には異教的要素がふんだんに見出され、私もうのみにしていましたが、お馬鹿な説明だと宗教的束縛から自由になり、そういった反(?)キリスト教的要素さえも一切の制限を受けずに自由に描けるようになったから・・・とかありましたが、とんでもなかったりする!

本書を読んで、私などもようやく理解したのですが、異教的要素は反キリスト教的要素である認識で寛容的に受容されたのではなく、むしろ、あくまでもキリスト教的要素として積極的に評価され、その認識下で進んで表現されているという解釈は驚愕ですらありました。

古代<哲学(思想)>或いは古代の叡智は、キリスト教を知らなかった者達が一部の誤謬を含もうとも神の世界を認識できていた、として、古代の哲学者の言説をキリスト教的とするこの論理は、う~むと思わざるを得ません!

逆にお恥ずかしながら、何故、中世キリスト教の解釈で多神教のギリシアにおけるアリストテレスが出てくるのか? スコラ学って、キリスト教徒ではないアリストテレスの論理を肯定している訳?
何故、キリスト教の解釈でアリストテレスやプラトンが対抗したりするのか? ずっと漠然と不思議に思っていました。

論理的な思考方法だけを、便宜的に借用しているのかなあ~というレベルで勝手にその疑問というか違和感をごまかしていたのですが、本書を読んでその辺が初めてすっきりと腑におち、目が開いたような気がします。

古代の智者は、キリスト教以前でキリスト教を知らなかったとしても、神の世界を正確に知っていた。だからこその『智者』なんですけどね。

新約聖書は、旧約聖書に書かれた事物が形を変えて記述されたとする予型論と論理展開は同じですね、そういうふうに説明されると。まして、寓意的解釈を施すことでありとあらゆる記述は、キリスト教的理解に繋がるのならば異教的要素なんて、ドントコイです!!(笑)

そうそう『詩』も私が長年、違和感を覚えていたものの一つ。
絵画や文章等で神の世界や神の摂理を示唆するのは、分かるのですが、どうにも『詩』は抵抗感があったんですよねぇ~。しかし、詩人は、古代の智者同様、神の世界を知る者であり、その知る手段が感覚的であるという理解もすっごく新鮮に感じました。

これも本書で初めて私は理解しました。

他にも<哲学的平和>とか神の叡智は、元来、大衆には秘して伝えられるものとかね。
愚かなる大衆に悪用されることを防ぐためとか。

期せずして、うちのブログ名がそのまんまだったりするわ。
叡智について、書く事を禁じられたものを集める場所・・・・。

本書では、ヘルメス・トリスメギトスとかカバラとかも普通に説明されていくのでいやあ~正直、最初はびっくりしちゃいますね。えっ、神秘思想って確かにオカルトっぽいけど、まさにそちらのグノーシスとか出てくるとは思わなかったので。

ゾロアスターも出ちゃうしね。

そうそう、アリストテレス哲学によるキリスト教解釈が中心の中世において、プラトン哲学も部分部分では大いに取り入れられているという話のあとで、偽ディオニシオス・アレオパギテスの名前が何度も出てくるのもおお~っと一人で喜びながら読んでました。

新プラトン哲学の系譜での光の形而上学とかも出てくるし、その辺の流れでの絡みもなかなかに興味深い本です。

あとね、あとね、まさに今年初めていったシエナ大聖堂の床にあるレリーフ。
あのヘルメスが描かれているなんて、気付かなかった!!
見たのかもしれないけど、写真あるかなあ~。

次回行く時には、心して観たいと思います。

他にも本書で、関心をそそられる記述が多かったです。
是非とも手元に置いておきたい一冊かと。

ルネサンスについての印象が、本書でだいぶ変わりました!!
個人的にはお薦めですね♪

あと、本書の巻末の参考文献。ボリュームもさることながら、内容が非常に豊富でこれだけでも相当有用です。私も参考にして、他にも何冊か読みたい本を見つけました。
【目次】
プロローグ ジョヴァンニ・ダ・コレッジョ、あるいは<神々の再生>
第一部 <神々の再生>の歴史
 第一章 蘇るオリュンポス神――詩の復興
1ペトラルカとヒューマニズム
2ペトラルカのスコラ哲学批判
3ペトラルカにおける道徳哲学批判
4ムッサートと<詩的神学>
5ペトラルカによる詩の擁護
6ペトラルカによる寓意的解釈
7ボッカッチョの「異教の神々の系譜」
8サルターティの「ヘラクレスの功業について」
 第二章 異教哲学の再生
1ペトラルカとプラトン
2ペトラルカとアリストテレス
3十五世紀のプラトン復興
4市民的ヒューマニズムの勃興
5市民的ヒューマニズと異教哲学
6プレトンの異教主義
7プラトンとアリストテレスの対立
8プラトンとアリストテレスの融和
 第三章 プラトン主義とキリスト教
1フィチーノとプラトン・アカデミー
2フィチーノの宗教理念
3キリスト教と<古代神学>
4キリスト教とプラトン主義的伝統
5天上のウェヌスと世俗のウェヌス
6天上的愛と世俗的愛
7フィチーノにおける神的愛
8フィチーノと中世的伝統
9<プラトン的愛>
10ボッティチェリの神話画
11《春(プリマヴェーラ)》
12《ウェヌスの誕生》
 第四章 <哲学的平和>の夢
1ピーコ・デッラ・ミランドラの知的遍歴
2プラトン・アカデミーの人間論
3ピーコの「人間の尊厳についての演説」
4ピーコにおける修辞学の哲学
5ピーコの<哲学的平和>
6ピーコにおけるプラトンとアリストレス
7ピーコと<詩的神学>
8ピーコにおける神的愛
9ラファエッロの《アテナイの学堂》
10エジディオ・ヴィテルボと<哲学的平和>

第二部 <神々の再生>の諸相
 第五章 エジプトの誘惑
1ヘルメス・トリスメギトスの復活
2<魔術師>ヘルメス
3<神学者>ヘルメス
4<哲学者>ヘルメス
5シエナ大聖堂のヘルメス像
6ジョヴァンニ・ダ・コレッジョとラザレッリ
7ラザレッチのヘルメス主義
8ホラボッロとヒエログリフ
9ヒエログリフの流布
10教皇庁のエジプト神話
 第六章 <古代神学>と魔術
1プラトン主義者と<古代神学>
2ゾロアスターと「カルデア人の託宣」
3<神学者>ゾロアスター
4<マグス>ゾロアスター
5ゾロアスターの魔術
6オルフェウスの神話
7オルフェウスと<神的狂気>
8オルフェウスと<詩的神学>
9オルフェウスの魔術
10<神学者>ビュタゴラス
11ピュタゴラスの教説
 第七章 占星術と宮廷芸術
1サン・ロテンツォ聖堂のホロスコープ
2占星術の復興
3宿命占星術とホロスコープ
4プラトンのホロスコープ
5フィチーノと占星術
6ピーコ・デラ・ミランドラの占星術批判
7リミニの占星術装飾
8<惑星の子どもたち>―スキファノイア宮Ⅰ
9デカンの神々―スキファノイア宮Ⅱ
10教皇庁の占星術
 第八章 カバラの秘儀
1ピーコと<隠された秘儀>
2カバラの起源と教説
3ピーコとカバラ
4カバラ・キリスト教・<古代神学>
5カバラと<ルルスの術>
6カバラと魔術
7フランチェスコ・ジョルジとカバラ
8エジディオ・ダ・ヴィテルボとカバラ
エピローグ ジャンフランチェスコ・ピーコ、あるいは<神々の黄昏>
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2012年11月04日

「ふらんす伝説大観」田辺貞之助 青蛙書房

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先日の神田の古本まつりで購入した本です。
これと類似の姉妹本で「ふらんす民話大観」があり、そちらと一緒に買おうと思ったんだけど・・・。

部屋の床が抜けるので購入は自重。
あちらではなく、こちらを買ったのは「聖ドゥニの死刑執行人」「聖女ジュヌヴィエーブのメダル」が最初のページに載っていたので。

「海底のイスの町」とかケルト神話の話も載ってたしねぇ~。
「黄金伝説」の現代版みたいな印象で買ってみた。

で、読んでみると・・・。
まあ、悪くない。消毒アルコールで綺麗にしたのだけれど、読んでていてかなり黴臭くてそれだけが残念。

さて内容。
ゴシック建築大好きで、サン・ドニ大聖堂にも実際に行ったけど、サン・ドニの伝説自体は正直あまり良く知らなかった。黄金伝説にもあったと思うんだけど・・・記憶に無かったりする。

今回、本書を読んで改めて、首持ってる聖者サン・ドニの姿に納得しました!

パリの守護聖人だっけ?聖女ジュヌヴィエーブ。
救国の少女ジャンヌ・ダルク共々、フランスではお馴染みの人物らしいですが、外国人の私は知らないし~。
他にも日本昔話みたいな話がたくさんあって、予想通り。

ただ、予想外だったのは、近世・近代から現代ぐらいまでも入っていたりする。
宰相リシュリューとか、もうしょっちゅう出てきて、陰謀のお話とかね。
その時代辺りはどちらかというと私の関心の範疇外なんだけどなあ~、中世がメインの関心事なんで。

まあ、鉄仮面や全く想定外のジル・ド・レーに至っては、お懐かしや・・・・青髭公様、みたいな感じでしたが、久しぶりに錬金術とか黒魔術のことを思い出しましたよ。

ヤバイ、今やってるアニメの「中二病」ではないが、黒歴史が出てきてしまいそう。
私の場合は当時、高校生でこじらせてましたが・・・・(苦笑)。

最初はあまり分量ないかと思いましたが、想像以上にボリュームあります。
中身は興味ないところも多々ありますが、面白いとこもあり、少しでもプラスがあるなら、読む価値ありと評価してますので、私的にはOKでした。

もっとも図書館で読めれば十分かな? わざわざ購入してまで読むほどの価値はないです。

でも、本書に出てるくらいの内容は知ってないと、フランス旅行しても楽しめないかなあ~。私の場合はね。フランスも地方をもっと回りたいなあ~。

あとフランス語の購入本、はてさて、どうやっても読もうか?フランス語の勉強している時間なんてないんだだけど、強引に本を読み始める気力も無いしなあ~。

その前にcaxton読了したいところか。

本の巻末に検印があったので。今は、検印は省略が普通だからあまり目にしないけど、この蛙の絵が新鮮だったので写してみた。出版社の社名まんまですね。
【目次】
第一部パリの伝説
第二部民間伝説抄
第三部騎士物語
第四部史実物語
ふらんす伝説大観 (1971年)(amazonリンク)

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The Golden Legend: Readings on the Saints 「黄金伝説」 獲得までの経緯
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2012年09月17日

「西洋中世の男と女」阿部謹也 筑摩書房

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どっかの古書市で購入して、放置しておいたもの。部屋の掃除中に発見したので読んでみた。

う~ん、阿部氏の本は、私的にはとっても面白いものが多いのだけれど、本書は私の趣味に合わないなあ~。
男と女の関わりという観点から、中世社会を浮かび上がらせていくという視点は良いと思うのだけれど、なんとかいうか新鮮な驚きがない。

読んでいて目から鱗でなるほどなあ~、そういう点から中世社会をより良く分かったような気にならないのですよ・・・・。本書読んでもね。

男女間の関わりから、中世キリスト教的世界観、ひいてはそこから紐付く中世美術とかゴシック建築とかに結び付くと面白いのですが・・・・エミール・マールの図像学のように・・・・。

そういうのがなくて、ただ、通り一編の説明レベルで終わってしまい、深く掘り下げ、それが当時の時代のどういった面へ広がっていくのか、そういう点が珍しく本書ではあまりなかったりする。それが物足りなくて読んでいてつまんない。

冒頭、フックスの「風俗の歴史」とか「緋文字」について触れられていましたが、フックスの「風俗の歴史」の方が興味深いですね。まあ、方向性が違いますので一概に比較すべき対象ではありませんけど。
【目次】
第1章 『緋文字』の世界
第2章 古代・中世の宇宙観のなかの男と女
 古代人の宇宙観
 ローマ人の男女関係
第3章 聖性の形成・解体と聖職者・女性
 ユダヤ教と男女関係
 初期キリスト教と男女関係
 聖なるものの変質
第4章 聖なるむすびつきとしての結婚
 ゲルマン人の結婚
 教会に管理される結婚
 贖罪規定書から
第5章 娼婦たちと社会
 娼婦の位置
 娼婦と娼婦宿
第6章 中世の男と女にとって愛とは何か
 聖性の呪縛の下で
 個人の誕生
西洋中世の男と女―聖性の呪縛の下で (ちくま学芸文庫)(amazonリンク)

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「中世賎民の宇宙」阿部謹也 筑摩書房
「ハーメルンの笛吹き男」阿部 謹也 筑摩書房
「中世の星の下で」阿部 謹也 筑摩書房
「中世の窓から」阿部 謹也  朝日新聞社
「刑吏の社会史」阿部 謹也 中央公論新社
「甦える中世ヨーロッパ」阿部 謹也 日本エディタースクール出版部
「図録 性の日本史」笹間 良彦 雄山閣出版
「風俗の歴史 6」フックス 光文社
「売春の社会学」ジャン・ガブリエル・マンシニ 白水社
ラベル:書評 西洋 中世
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2012年09月01日

「シエナ」池上 俊一 中央公論新社

この本、読むのって2回目か3回目。
実際に旅行行くはるか昔に読んだ後、すっごく気になって7月に実際に旅行し、帰国後改めて先々週ぐらいに再読してみた。

最初に読んだ時には全く気付かず、読み飛ばしていて記憶に欠片も無かったことが、実際に行ってみて、初めて実感と共に、強い共感を持って目に飛び込んでくる内容が多々あった。

一度目に読んだ時の理解とは、全然違う読書体験になっています。

同じトスカーナ地方であってもフィレンツェとシエナの強く歴史的にも長い確執。
駅が直接、シエナに入りこまず、不便さは否定できないものの、それ故にフィレンツェ以上にまさに中世そのままに残っている感が半端無いです。

プラハで感じた中世を今回のイタリアで強く感じ、本書を読んで更に納得しました。
同じイタリアでもやっぱり違うもの、本当に!

・地下水路、フォンテ
・コントラーダ 象さん
・イタリア最古のシエナ銀行
・ヴィーコロ(街路)、立体迷路
・キジアーナ音楽院
・壁龕の聖母
・シエナの非キリスト教要素


【目次】
第1章 自然の力と人間の匠
第2章 都市の宇宙空間
第3章 コントラーダ―シエナ社会の細胞
第4章 芸術のリリシズムと誇大妄想
第5章 神秘か邪教か
第6章 悦楽のトポス


シエナ―夢見るゴシック都市 (中公新書)(amazonリンク)
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2012年05月03日

National Geographic "King James Bible" Published: December 2011

wikipediaよりKJV

The Bible of King James・・・ナショナル・ジオグラフィック公式サイト
【以下、転載】
Rome Wager stands in front of the rodeo chutes on a small ranch just outside the Navajo Reservation in Waterflow, New Mexico. He is surrounded by a group of young cowboys here for midweek practice. With a big silver buckle at his waist and a long mustache that rolls down on each side of his mouth like the curving ends of a pair of banisters, Wager holds up a Bible in his left hand. The young men take their hats off to balance them on their knees. "My stories always begin a little different," Brother Rome says to them as they crouch in the dust of the yard, "but the Lord always provides the punctuation."

Wager, a Baptist preacher now, is a former bull-riding and saddle-bronc pro, "with more bone breaks in my body than you've got bones in yours." He's part Dutch, part Seneca on his father's side, Lakota on his mother's, married to a full-blood Jicarilla Apache.

He tells them about his wild career. He was raised on a ranch in South Dakota; he fought and was beaten up, shot, and stabbed. He wrestled and boxed, he won prizes and started drinking. "I was a saphead drunk."

But this cowboy life was empty. He was looking for meaning, and one day in the drunk tank in a jail in Montana, he found himself reading the pages of the Bible. "I looked at that book in jail, and I saw then that He'd established me a house in heaven … He came into my heart."

The heads around the preacher go down, and the words he whispers, which the rodeo riders listen to in such earnestness, are not from the American West: They are from England, translated 400 years ago by a team of black-gowned clergymen who would have been as much at home in this world of swells and saddles, pearl-button shirts and big-fringed chaps as one of these cowboys on a Milanese catwalk. "Second Corinthians 5. 'Therefore if any man be in Christ, he is a new creature: old things are passed away; behold, all things are become new.'"

Here is the miracle of the King James Bible in action. Words from a doubly alien culture, not an original text but a translation of ancient Greek and Hebrew manuscripts, made centuries ago and thousands of miles away, arrive in a dusty corner of the New World and sound as they were meant to—majestic but intimate, the voice of the universe somehow heard in the innermost part of the ear.

You don't have to be a Christian to hear the power of those words—simple in vocabulary, cosmic in scale, stately in their rhythms, deeply emotional in their impact. Most of us might think we have forgotten its words, but the King James Bible has sewn itself into the fabric of the language. If a child is ever the apple of her parents' eye or an idea seems as old as the hills, if we are at death's door or at our wits' end, if we have gone through a baptism of fire or are about to bite the dust, if it seems at times that the blind are leading the blind or we are casting pearls before swine, if you are either buttering someone up or casting the first stone, the King James Bible, whether we know it or not, is speaking through us. The haves and have-nots, heads on plates, thieves in the night, scum of the earth, best until last, sackcloth and ashes, streets paved in gold, and the skin of one's teeth: All of them have been transmitted to us by the translators who did their magnificent work 400 years ago.

The extraordinary global career of this book, of which more copies have been made than of any other book in the language, began in March 1603. After a long reign as Queen of England, Elizabeth I finally died. This was the moment her cousin and heir, the Scottish King James VI, had been waiting for. Scotland was one of the poorest kingdoms in Europe, with a weak and feeble crown. England by comparison was civilized, fertile, and rich. When James heard that he was at last going to inherit the throne of England, it was said that he was like "a poor man … now arrived at the Land of Promise."

In the course of the 16th century, England had undergone something of a yo-yo Reformation, veering from one reign to the next between Protestant and anti-Protestant regimes, never quite settling into either camp. The result was that England had two competing versions of the Holy Scriptures. The Geneva Bible, published in 1560 by a small team of Scots and English Calvinists in Geneva, drew on the pioneering translation by William Tyndale, martyred for his heresy in 1536. It was loved by Puritans but was anti-royal in its many marginal notes, repeatedly suggesting that whenever a king dared to rule, he was behaving like a tyrant. King James loved the Geneva for its scholarship but hated its anti-royal tone. Set against it, the Elizabethan church had produced the Bishops' Bible, rather quickly translated by a dozen or so bishops in 1568, with a large image of the Queen herself on the title page. There was no doubt that this Bible was pro-royal. The problem was that no one used it. Geneva's grounded form of language ("Cast thy bread upon the waters") was abandoned by the bishops in favor of obscure pomposity: They translated that phrase as "Lay thy bread upon wette faces." Surviving copies of the Geneva Bible are often greasy with use. Pages of the Bishops' Bible are usually as pristine as on the day they were printed.

This was the divided inheritance King James wanted to mend, and a new Bible would do it. Ground rules were established by 1604: no contentious notes in the margins; no language inaccessible to common people; a true and accurate text, driven by an unforgivingly exacting level of scholarship. To bring this about, the King gathered an enormous translation committee: some 54 scholars, divided into all shades of opinion, from Puritan to the highest of High Churchmen. Six subcommittees were then each asked to translate a different section of the Bible.

Although the translators were chosen for their expertise in the ancient languages (none more brilliant than Lancelot Andrewes, dean of Westminster), many of them had already enjoyed a rich and varied experience of life. One, John Layfield, had gone to fight the Spanish in Puerto Rico, an adventure that left him captivated by the untrammeled beauty of the Caribbean; another, George Abbot, was the author of a best-selling guide to the world; one, Hadrian à Saravia, was half Flemish, half Spanish; several had traveled throughout Europe; others were Arab scholars; and two, William Bedwell and Henry Savile, a courtier-scholar known as "a magazine of learning," were expert mathematicians. There was an alcoholic called Richard "Dutch" Thomson, a brilliant Latinist with the reputation of being "a debosh'd drunken English-Dutchman." Among the distinguished churchmen was a sad cuckold, John Overall, dean of St. Paul's, whose friends claimed that he spent so much of his life speaking Latin that he had almost forgotten how to speak English. Overall made the mistake of marrying a famously alluring girl, who deserted him for a presumably non-Latin-speaking courtier, Sir John Selby. The street poets of London were soon dancing on the great man's misfortune:

The dean of St. Paul's did search for his wife
And where d'ye think he found her?
Even upon Sir John Selby's bed,
As flat as any flounder.

This was a world in which there was no gap between politics and religion. A translation of the Bible that could be true to the original Scriptures, be accessible to the people, and embody the kingliness of God would be the most effective political tool anyone in 17th-century England could imagine. "We desire that the Scripture may speake like it selfe," the translators wrote in the preface to the 1611 Bible, "that it may bee understood even of the very vulgar." The qualities that allow a Brother Rome Wager to connect with his cowboy listeners—a sense of truth, a penetrating intimacy, and an overarching greatness—were exactly what King James's translators had in mind.

They went about their work in a precise and orderly way. Each member of the six subcommittees, on his own, translated an entire section of the Bible. He then brought that translation to a meeting of his subcommittee, where the different versions produced by each translator were compared and one was settled on. That version was then submitted to a general revising committee for the whole Bible, which met in Stationers' Hall in London. Here the revising scholars had the suggested versions read aloud—no text visible—while holding on their laps copies of previous translations in English and other languages. The ear and the mind were the only editorial tools. They wanted the Bible to sound right. If it didn't at first hearing, a spirited editorial discussion—extraordinarily, mostly in Latin and partly in Greek—followed. A revising committee presented a final version to two bishops, then to the Archbishop of Canterbury, and then, notionally at least, to the King.

The King James Bible was a book created by the world in which it was made. This sense of connection is no more strikingly felt than in a set of rooms right in the heart of London. Inside Westminster Abbey, England's great royal church, the gray-suited, bespectacled Very Reverend Dr. John Hall, dean of Westminster, can be found in the quiet paneled and carpeted offices of the deanery. Here his 17th-century predecessor as dean, Lancelot Andrewes, presided over the subcommittee that translated the first five books of the Old Testament. Here, in these very rooms, the opening sentence "In the beginning God created the heaven, and the earth" was heard for the first time.

John Hall is the man who conducted the marriage of Prince William and Kate Middleton in the abbey earlier this year, and as we talk, thousands of people are queuing on the pavements outside, wanting to get into the abbey and retrace the route the new duchess took on her big day. It is the other end of the world from Rome Wager's sermon to the cowboys in the New Mexico dust, but for Hall there is something about the King James Bible that effortlessly bridges the gap between them. He read the King James Version as a boy, and after a break of many years he took it up again recently. "There are moments," he says, "which move me almost to tears. I love the story, after Jesus has been crucified and has risen, and he appears to the disciples as they are walking on the road to Emmaus. They don't know who he is, but they talk together, and at the end they say to him, 'Abide with us, for it is toward evening, and the day is far spent.' That is a phrase—so simple, so direct, and so powerful—which has meant an enormous amount to me over the years. The language is full of mystery and grace, but it is also a version of loving authority, and that is the great message of this book."

The new translation of the Bible was no huge success when it was first published. The English preferred to stick with the Geneva Bibles they knew and loved. Besides, edition after edition was littered with errors. The famous Wicked Bible of 1631 printed Deuteronomy 5:24—meant to celebrate God's "greatnesse"—as "And ye said, Behold, the Lord our God hath shewed us his glory, and his great asse." The same edition also left out a crucial word in Exodus 20:14, which as a result read, "Thou shalt commit adultery." The printers were heavily fined.

But by the mid-1600s the King James had effectively replaced all its predecessors and had come to be the Bible of the English-speaking world. As English traders and colonists spread across the Atlantic and to Africa and the Indian subcontinent, the King James Bible went with them. It became embedded in the substance of empire, used as wrapping paper for cigars, medicine, sweetmeats, and rifle cartridges and eventually marketed as "the book your Emperor reads." Medicine sent to English children during the Indian Mutiny in 1857 was folded up in paper printed with the words of Isaiah 51 verse 12: "I, even I, am he that comforteth you." Bible societies in Britain and America distributed King James Bibles across the world, the London-based British and Foreign Bible Society alone shipping more than a hundred million copies in the 80 years after it was founded in 1804.

The King James Bible became an emblem of continuity. U.S. Presidents from Washington to Obama have used it to swear their oath of office (Obama using Lincoln's copy, others, Washington's). Its language penetrated deep into English-speaking consciousness so that the Gettysburg Address, Moby Dick, and the sermons and speeches of Martin Luther King are all descendants of the language of the English translators.

But there was a dark side to this Bible's all-conquering story. Throughout its history it has been used and manipulated, good and bad alike selecting passages for their different ends. Much of its text is about freedom, grace, and redemption, but those parts are matched by an equally fierce insistence on vengeance and control. As the Bible of empire, it was also the Bible of slavery, and as such it continues to occupy an intricately ambivalent place in the postcolonial world.

Amid the rubble and broken cars of Trench Town and Tivoli Gardens in West Kingston, Jamaica, every property is shielded from the street and its neighbors by high walls of corrugated iron nailed to rough boards. This is one of the murder capitals of the world, dominated by drug lords intimately connected to politicians and the police. It is a province of raw dominance, inescapable poverty, and fear. Its social structure, with very few privileged rich and very many virtually disenfranchised poor, is not entirely unlike that of early 17th-century England.

This is one of the heartlands of reggae—the Rastafarian way of life that gave birth to it—and of the King James Bible. As the Jamaican DJ and reggae poet Mutabaruka says, "The first thing that a Rasta was exposed to in this colonial country was this King James Version." Rastafarians are not Christians. Since the 1930s they have believed that the then emperor of Ethiopia, Haile Selassie, is God himself. His name was Ras Tafari before 1930, when he was called "King of Kings, Lion of Judah, Elect of God." Those echo the titles the Bible gives to the Messiah. The island had long been soaked in Baptist Bible culture. In the mid-20th century, as Jamaicans were looking for a new redemptive Gospel, this suddenly made sense. Ras Tafari was the savior himself, the living God, and Ethiopia was the Promised Land. For Rastafarians, intensely conscious of the history of black enslavement, Jamaica was Babylon, their equivalent of the city where the people of Israel had been taken as slaves. Liberty and redemption were not, as the Christians always said, in the next life but in this one. "The experience of slavery helps you," Mutabaruka says, "because there is this human need for salvation, for redemption. The Rastas don't believe in the sky god. Their redemption lies within the human character. When the Europeans came and say, 'Jesus in the sky,' the Rasta man reject that totally." (Jesus in the sky being Rasta shorthand for the whole story of the Resurrection.) "The man say, 'When you see I, you see God.' There is no God in the sky. Man is God, Africa is the Promised Land."

Michael "Miguel" Lorne is a Rastafarian lawyer who for 30 years has been working for "the poor and the needy" in the toughest parts of Kingston. The walls of his office are filled with images of Africa and the Ethiopian emperor. But the windows are barred, the door onto the street triple locked and reinforced with steel. "The Bible was used extensively to subjugate slaves," Lorne says. It seemed to legitimate the white enslaving of the black. "Your legacy is in heaven," he says, not smiling. "You must accept this as your lot."

The Bible has been an instrument of oppression—or "downpression," as they say in Jamaica, because what is there "up" about oppression?—but it has also been the source of much of what the Rastafarian movement believes. "The man Christ," Lorne says, "that level of humility, that level of conquering without a sword, that level of staying among the poor, always advocating on behalf of the prisoners, the downpressed, setting the captive free, living for these people. What is the use of living if you are not helping your brother? It is a book that gives you hope."

Lorne exudes a wonderful, tough-minded goodness. "We hope for a world where color does not play the dominant role it plays now," he says. "We want the lion and the lamb to lie down together. That is one of the beauties of Rastafari. We who have suffered and been brutalized and beaten, we have been agitating for compensation and reparation for years, but we don't think we will stick you up with a gun to get it."

Pious Rastafarians read the King James Bible every day. Lorne has read it "from cover to cover." Evon Youngsam, who is a member of the Twelve Tribes of Israel, a Rastafarian "mansion" in Kingston, its headquarters opposite Bob Marley's old house in the city, learned to read with the King James Bible at her grandmother's knee. She taught her own children to read with it, and they, now living in England, are in turn teaching their children to read with it. "There is something inside of it which reaches me," she says, smiling, the Bible in her hand, its pages marked with blue airmail letters from her children on the other side of the ocean.

The adherents of another, strict Rastafarian mansion, Bobo Shanti, in their remote and otherworldly compound high in the foothills of the Blue Mountains outside Kingston, rhythmically chant the psalms every day. The atmosphere in Bobo Camp is gentle and welcoming, almost monastic, but there are other Rastafarians whose style is the polar opposite of that, taking their cue from some of the more intolerant attitudes to be found in the Bible. Several Jamaican reggae and dance hall stars have been banned from performing in Canada and parts of Europe for their violently antigay lyrics. The justification is there in the Bible ("If a man also lie with mankind, as he lieth with a woman, both of them have committed an abomination: They shall surely be put to death," Leviticus 20:13), but this is a troubling part of the King James inheritance: a ferocious and singular moral vision that has become unacceptable in most of the liberal, modern world.

Not only at its roots in the heart of Westminster but also in some of the most obscure corners of the English-speaking world, this book remains complicatedly and paradoxically alive. Not that it any longer holds universal sway. From the late 19th century onward, revisions and new translations began to appear with increasing regularity. Scores of new versions of the Bible or of substantial parts of it have been published in the past 50 years. But the 1611 version remains potent in places where a sense of continuity with the past seems important.

With the cool summer rain of the Hebrides in northwest Scotland spattering the glass of his windows, John Macaulay, elder of his church in Leverburgh on Harris and a boatbuilder at home in Flodabay, muses on the double inheritance of authority and liberty that the King James Bible has given him and people like him. He was brought up in the strict way of Scottish Presbyterianism. "Everything for the Sabbath was prepared on the Saturday," he says, sitting now by the same hearth he sat by 60 years ago. "You had to bring extra water into the house—you didn't have piped water in those days. Buckets of water from the loch across the road. Peats were taken in from the peat stack so that you had all the peats that you needed for the fire. Potatoes were peeled, meals prepared. My father always shaved on the Saturday evening, and I did too when I got older. The Bible said you must not work on the Sabbath, and so we did not."

No one was allowed to drive on a Sunday. "The only person with a car going to church was the minister, and he would drive, but he would never pick anyone up on the road. You had old men tottering along—howling gale, driving snow—but no, even if he stopped and was to offer anyone a lift, they would not step into a car on a Sunday."

In this Gaelic-speaking family, the Bible was the frame of life. Every evening of the week they knelt for prayers in front of the fire and the reading of a psalm. On Sunday the only book they could read was the Bible.

Before he was four years old, Macaulay was taught by his mother to read English from the Bible. "It is literally true that the English I learned was the English of the King James Bible. But we didn't use English at all in the house. Unless we had visitors who had no Gaelic, which was rare. I could read English from the book, but I could not have a conversation in it. I did not really know what it meant."

In some ways his immersion in a sacred book has sustained him through life. "You were taught very early on that there was someone there looking after you, someone you could rely on, someone you could talk to. You knew his words. They were in your mind." But there was another side to it. The authority of the church with this book in its hand also became a source of fear. "It is not just awe and reverence; it is fear. People are fearful of being seen to be doing something wrong. There are lots of people that go through life without ever expressing themselves or their feelings, and it is sad to see that."

The reverence for the minister, the man in the pulpit explicating the supremacy of the Bible, remains potent. "The church is a refuge from the realities of life," Macaulay says, "but there is also something else, which is a wee bit more sinister. Domination is a factor. The power of some of these preachers to really control their congregation. That has always been there."

The King James Bible has always cut both ways. It had its beginnings in royal authority, and it has been used to terrify the weak. It has also brought an undeniable current of beauty, kindness, and goodness into the lives of rich and poor alike. Its origins were ambivalent—for Puritan and bishop, the great and the needy, for clarity and magnificence, to bring the word of God to the people but also to buttress the powers that be—and that ambivalence is its true legacy.
雑誌で読んでたんだけど・・・公式サイト上で、公開してるんだよね。そういえば、ナショナル・ジオグラフィックって。

KJV(king James Version)聖書としてiPhoneアプリなどでもお馴染みで、言葉としては耳慣れていましたが、こんなに徹底して学術的に価値ある内容で、偏り無く原文に忠実に翻訳しようとした企画で、生み出された文章・文体だとは全く知りませんでした!

自分の無知がお恥ずかしい限りです。

しかも実際に文章を読んで発音し、それがどのように聞こえるか、そこまでこだわり抜いて翻訳されていたとは・・・。なんとも侮り難し・・・・。

それでようやく、あの姦淫聖書(Wicked Bible)の回収の話が生きてくるわけです。
あれほどのエネルギーを注いで国家の威信をかけた大プロジェクトで、最終的な成果物によりによって、あってはならない誤植で意味が変わってしまったら、全ての権威が地に落ちますもん!

そりゃ、印刷業者は厳罰に処させれるでしょう。本記事を読んで、初めて得心致しました(笑顔)。

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『姦淫聖書』(Wicked Bible)誰か買って!
ラベル:キリスト教 聖書
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2012年03月19日

「ガリア戦記」カエサル 講談社

何度か読み直しているが、一向に色褪せることなく、読むたびごとに『人を統べる』難しさ、リーダーシップ他、考えさせられること・気付かされることが非常に多い本です。

最初に読了した時の感動や興奮こそ無いですが・・・・(もう、4、5回読んでるから)、それでもやっぱり凄いとしか言いようのない、まさに古典中の古典と言えるでしょう。

大昔の、しかも外国の、翻訳の本であるにもかかわらず、これだけ簡潔且つ的確な描写、記録、説明を含めた素晴らしい文章で、しかも内容自体も一級品である作品が読めるのは、人類の大いなる遺産と言えるでしょう。

これを原書で読むためだけにラテン語の勉強をしてみたいと切に感じてしまいましたよ。ホント!
(その前に、エミール・マールの原書を読むために始めるはずだった、フランス語をなんとかしないと・・・涙)

実際、しょうーもないビジネス雑誌の経営論やらリーダー論読むよりも、本書を熟読して、自らの置かれた環境を整理し、そこに置き換えて考えるだけでも十分に自分の日々の生き方、仕事に役立つと思います。

部下や上司、協力者、敵対者。

自らを取り巻く環境における利害関係者は、信頼しつつも、常に裏切りや予期せぬ行動等、不断の警戒と監視を必要とし、更に偶然から生じる諸要因が様々な影響を及ぼして、事前の想定を越える状況が日々、刻々と発生していく。

そのまさに不確実性下のもとで、自らが求める成果(結果)を出そうと行動することは、『政治』であり、『経営』であり、まさに人間が人として生きていく姿そのものでもある。

アメとムチと言ってしまえば、それまでだが、ローマ帝国の植民地支配で属国毎に格差があるのは有名であるが、そんなの今の国際政治を見ていても同じでしょう。古いものならば、関税の最恵国待遇なんてのもあったが、今はTPPとかでも違うじゃん。

あの北朝鮮ごときでさえ、アメリカと日本では対応が全く違うでしょ。
もっとも昔の日本なら、自国領域内にミサイル打ち込まれて、戦争もせず、まして占領さえしないなんて有り得ない話ですけどね。アメリカだったら、そんな事態を今でも絶対に許さないでしょうし・・・。

企業の経営においてでも、社員間でしっかりと格差があるのは当然です。
能力的なもので差をつけるか、派閥的な社内政治力で差をつけるか等、尺度はさまざまではありますが、『平等』というのは日本の学校で先生が語る絵空事の話か、民主党議員の先生方の頭の中にある、次の選挙で落選するまでの空手形の中だけでしょう♪

本書を読んでいると、本当に人を扱う難しさを痛感します!
表面的に良く従っていて信頼できるかと思い、それなりの恩恵を与えていても、ちょっと監視が緩み、機会があると攻撃しだす、『面従腹背』の輩がいかに多いか・・・。

表面的にさえ、一向になびく気配さえない敵の攻略も大変でしょうが、正面で敵と戦っている背後で、観方と思っていたものが、裏切って攻撃してくるのは、戦略的にも大失態以外のなにものでもありません。

遠く離れた本国ローマでは、政敵が常にカエサルの失態を待ち望み、引き摺り下ろそうと虎視眈々と狙う中、足元では正面の敵、自軍の中でも統率が往々にして乱れ、意のままにならない場合もあり、どこかで起きた一つのミスは、次々と連鎖を促します。

ガリアの地では、複数の部族がそれぞれの思惑で行動し、互いに牽制し合う一方で、反ローマでは一体化するわで内部・外部共に四面楚歌になりかねません。

我が身の一部として信頼する部下達も、思わぬ奇襲や裏切りで死亡していく中、自軍をいかにまとめ、兵士達の忠誠ややる気を維持させるか。

どんな組織でも、これが出来ないリーダーには、トップの資格がありません。
戦争という極限状況だけに、すべての事象が極端に現れるが故、リーダーシップの発揮もより一層、強烈に発揮されねばなりません。

いかに部下に接し、心を掴むか。
ハーバードのビジネス・スクールに通わなくても、カエサルの下にいれば、身に付きそうです。

また、裏切ってちょっと状況が悪くなると、平然と謝罪して寛恕を求めるふてぶてしい連中。
ケース・バイ・ケースでそれを許容する場合もあれば、必要に応じて徹底的に完膚なきまでに撃退し、みせしめ的に厳罰(処刑や奴隷にして売り飛ばす等)で対処するなど、必要な要素はすべてありますね。

そうそう、同時に適材適所。
能力のある人間を十二分に評価し、使いこなして成果を挙げること!

それは、新しい技術やノウハウの積極的な採用とそれを実行して、大きな戦略(ないし、戦術レベル)に組み込んで比較優位を確保したうえで、勝率を可能な限り向上させたうえで勝つべくして勝つ。

個々の戦術に奇策はあっても良いのでしょうが、戦略的な優位を確保しない限り、長期的な戦争は無意味ですからね。

兵士の移動や物資の兵站関係、ロジスティクスの重要性は現代の企業活動なんか以上に考え抜かれています。その為のローマ街道であり、その為の技術でもあります。

戦術レベルでも大きな川にかける渡橋技術や、トンネルを掘って城を攻略する技術、高い櫓を建てて上から、火矢を放つ手法等、いつの時代でも戦争こそが最新の技術の最初の使用例となるのは、不変の原則ですねぇ~。

アメリカが無人戦闘機の実用化を進め、実際に実戦配備で経験値を稼いでいる現状を見ても、中国が最新の技術をドンドン軍事利用しているのを見ても、全く現代と変わりませんね、ホント。

現在のEUでさえ、この当時のローマ帝国の支配領域の先進性と比較すると見劣りするのだから、そりゃ当時の英雄、カエサルの著作が素晴らしいのも当然ですかね。非凡としか言いようがありません!!

ちなみに言うまでもないことですが・・・。
当時のローマ帝国支配領域内で通用するのは普遍的なローマ法で、支配層の言語はラテン語、道路の規格は全て統一され、通貨はローマ金貨。ローマ市民権さえあれば、どこに行ってもそれに相応しい対応を受けられたわけで、今のEUも当時のローマ帝国の一部をやっと実現しているのが実際のところだったりします。

『暗黒の中世』なんて、無知蒙昧が使う言葉がありましたが、それを言うなら、5世紀のローマ帝国崩壊以後は、未だにヨーロッパは暗黒のままのような気さえしますけどね?

人は進化ではなく、退化していたりして・・・?いささかシニカル過ぎますか?(笑)

でも、本書は面白いよねぇ~。大好き♪

あとカルテーヌ族の聖地、後のシャルトル大聖堂の井戸(サン・フォール)のことも本書で書かれているし、ドルイド僧のことも面白いこと書かれていました。

後でメモしておこうっと。
ご興味ある方、一読をお薦めします♪

ガリア戦記~読書メモ
【目次】
第一巻 1年目の戦争(紀元前58年)
  1.ガリアについて(1節)
  2.ヘルウェティイ族との戦い(2-29節)
  3.アリオウィストゥス(30-54節)
第二巻 2年目の戦争(紀元前57年)
  1.ベルガエ人との戦い(1-33節)
  2.沿岸部族の征服(34-35節)
第三巻 3年目の戦争(紀元前56年)
  1.アルプス山岳戦の失敗(1-6節)
  2.ウェネティ族とウネッリ族の反乱(7-19節)
  3.アクィタニ人への遠征(20-27節)
  4.モリニ族とメナピイ族への遠征(28-29節)
第四巻 4年目の戦争(紀元前55年)
  1.ウシペテス族とテンクテリ族の虐殺(1-15節)
  2.最初のゲルマニア遠征(16-19節)
  3.最初のブリタンニア遠征(20-38節)
第五巻 5年目の戦争(紀元前54年)
  1.第2回ブリタンニア遠征(1-23節)
  2.エブロネス族の反乱とローマ軍の上官の敗死(24-37節)
  3.ネルウィイ族によるキケロ陣営の襲撃(38-52節)
  4.セノネス族とトレウェリ族の反乱(53-58節)
第六巻 6年目の戦争(紀元前53年)
  1.ガリアの反乱広がる(1-8節)
  2.第2回ゲルマニア遠征(9-10節)
  3.ガリアの制度、習慣(11-20節)
  4.ゲルマニアの制度、習慣(21-28節)
  5.エブロネス族への復讐(29-44節)
第七巻 7年目の戦争(紀元前52年)
  1.全ガリアの共謀と首領ウェルキンゲトリクス(1-13節)
  2.城市アウァリクム占領(14-31節)
  3.城市ゲルゴウィアの攻略放棄(32-53節)
  4.ガリア人の総蜂起(54-67節)
  5.城市アレシア占領(68-90節)
第八巻 8年目と9年目の戦争(紀元前51年と50年)
  1.ヒルティウスの序
  2.ビトウゥリゲス、カルヌテス、ベッロウァキ諸族の反乱(1-31節)
  3.城市ウクセッロドゥヌム占領(32-47節)
  4.カエサル

解説
専門語略解
ガリア戦記 (講談社学術文庫)(amazonリンク)

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「ゲルマーニア」コルネーリウス・タキトゥス 岩波書店
「ハンニバル」長谷川 博隆 講談社
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「ローマの歴史」I. モンタネッリ 中央公論社
「ローマ人盛衰原因論」モンテスキュー 岩波書店
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2012年03月10日

「民衆本の世界」ロベール マンドルー 人文書院

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フランスのアナール派の著作物。

17・18世紀のフランスで民衆(庶民)に向けて発行された粗末な印刷物で、雑貨同様、行商人によって販売されていた『青本』を対象にした研究書。

イギリスでいうところのチャップ・ブックとかあの手の類いですね。

比較的文献資料の残っている貴族等エリート層の研究と異なり、資料等があまり存在しない民衆を対象とした研究ということになるんだそうです。

使い古された活字を使い、どっかからぱくった版画を適当に差し込んで、有名な話をこれまた適当に概略だけまとめて(あるいは割愛し)印刷することで廉価版の印刷物を作成し、それを地方の隅々まで行商人が販売する。

そういう仕組みがあったんですねぇ~。

本書ではほとんど残らないであろう、そういった印刷物の貴重なコレクションを元に、内容をジャンル分けし、それぞれの分量の比率やジャンル毎の内容の特徴などを説明しています。

あと青本の印刷業者がどのように民衆の好みを取り込み、また業者間の競争も激しく、成功すると相応の財産を築き上げることが出来たことなども説明されます。

挿絵も少々載っていますが、物足りないですね。

私的には、あまり面白くなかった本です。
表紙はそそられたけど・・・ね。

研究者には興味深いのかもしれませんが、それ以外の人にはあまりお薦めしませんね。
【目次】
はしがき 民衆文化とアンシアン・レジーム
序章 青本と民衆文化
第1章 トロワの行商本
第2章 妖精神話―異教的な不思議の世界
第3章 「世界の認識」
第4章 信仰の世界
第5章 芸術と民衆の感性
第6章 社会の表象
第7章 結び
補論―19世紀の青本
解題(マンドルーの歴史学、民衆本の世界)
文献目録
青本作品名索引
民衆本の世界―17・18世紀フランスの民衆文化(amazonリンク)

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「チャップ・ブックの世界」小林 章夫 講談社
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ラベル:書評 歴史 書籍
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2012年01月16日

「中世ヨーロッパ都市と市民文化」フリッツ・レーリヒ 創文社

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中世ヨーロッパの都市と書かれていますが、著者がドイツの人の為、かなりの部分ドイツに偏り、ドイツ中心の話になっています。結果として、ドイツ都市の具体的な説明が他の地域より格段に詳しいです。

逆に言うと、今まで中世というとフランスしかイメージ出来ていなかった私としては、中世ドイツへの関心を改めて抱く契機になりました。ハンザ同盟とか、名称やおおまかな内容は知っていてもその実体は、全く知れなかったので、大変勉強になりました!

従来の領主権力から、都市が自立的な地位・権力を獲得する過程は概して一様ではなく、各都市毎に経緯やその自立程度は、全くの個別であったこと。

皇帝権力や教皇権など、「虎の威を借る狐」よろしく、その時々に適宜使い分け、外交手腕を駆使することで着実に上層市民勢力が担う市政の勢力を拡大する流れは、非常に感慨深いものがあります。

「ハーメルンの笛吹き男」のように東方植民が行われていく、まさにその時代背景など実に深く納得させられます。

進取の気性で貿易に着手し、着実にその勢力を伸ばしていった新興商人層がやがて富の蓄積と共に、保守化・貴族化し、各都市で市民上層部として門閥化し、自らは商売に手を染めることなく、単に寄生する存在になっていく過程は、ある種の典型的な歴史的推移を再確認させられます。

豪華な市庁舎や公共の建築物などが都市に建てられてくるのは、貿易の盛期を過ぎた後、蓄積した富を浪費する時期に一致するのは、どこの世界もどの時代も一緒なんだあ~と思いました。

固定化した市民上層部が門閥化し、やがてそれらの都市の役人は、法律学を修めた者が増え始める。いささか強引な比較かもしれませんが、新興ベンチャー企業が成功し、大企業になり、年数を経ると官僚組織化が進み、社内規則や社内政治力学に強い人間ばかりが幅をきかすようになる。なんか似たモノを感じてなりません。

たいてい、そんな風になってきたら、後は衰退する一方なんだけどね。

事実、上記のような都市達は、やがて自主的な権限を剥奪され、封建領主に屈服させられ、その後、国家による中央集権へと向かっていくのですが・・・・。

そうそう、都市内部においても当初は、自らの都市以外の外国商人を進んで招き入れ、貿易を盛んにすることで情報と文物の流通が進み、人や経済が集中し、発展したいったのですが、やがて保守化した人達は既得権益を守る為、保守主義的な政策を取り、職業に従事する人数を制限したり、外国商人の商売を制限することでやがて、経済的に衰退していくのも今の世界経済と相違無い感じです。

未だにTPPとかで騒いでいるのも、当時の没落する都市の既得権益層と変わらないものなあ~。

人は歴史から何も学ばない、というのも真理ですかねぇ~?悲しいことに。

あと、そういえば本書を読んでいて認識を新たにしたこととして、フランスの国王による重商政策ですが、外国製品の輸入を阻止する一方で、手織物業を一から興し、手厚く保護を与え、国内産業の育成の為に尽力して成果を挙げていたことを知りました。

昔、世界史の教科書で読んだ以来、すっかり記憶からは抜け落ちていましたが、そういった経済政策を協力に推し進めていった国王達が、テンプル騎士団への襲撃へと繋がっていくのは、なるほど納得です。

テンプル騎士団の封建領主的な地位と経済力、宗教的な独特な立ち位置。中央集権化を進め、都市を従え、諸侯を従え、宗教的権威さえも自らの権力下に組み込もうとした際、暴挙ともいうべき行為もやる方には合理的な理由があったことを痛感しました!

国王権力側からは相容れない存在だもんね。ふむふむ。

それ以外にも、都市におけるユダヤ教徒への取り扱いの推移。
当初は、経済・商売の活性化の為に進んで利用するものの、都市の富裕層になっていく過程で民衆の不満のはけ口として目の敵にされ、宗教的な地位以上にその富故に貶められていく変化も興味深いです。

まあ、日本でも徳政令や打ち壊しで、金持ちが狙われた現象が、ヨーロッパでは宗教的なものと一緒くたになって、ユダヤ人への理不尽な行為へ繋がっていく姿が説明されています。

本書は、散文的な記述で決して面白、おかしくドンドン読めるような内容ではないですが、自らが問題意識を持って読むならば、得るものがある本だと思います。

読んでる最中に、いろいろと他の本で読んだ内容と呼応し、ふとそういうことだったのかと気付かされることが多かったです。

中世の都市、ドイツの都市、という点でも関心のある方には価値があると思われます。でも、一般向けでは、眠たくなる本かもしれませんね。実際、興味ない箇所は私も眠くなりました(笑)。
【目次】
第1章 新文化勢力の台頭
第2章 東部ヨーロッパへの進出
第3章 都市と国家
第4章 帝国と国民諸国家の狭間
第5章 リューベックとニュルンベルク
第6章 都市の住民
第7章 都市門閥と手工業者
第8章 市政の展開
第9章 結末
中世ヨーロッパ都市と市民文化(amazonリンク)

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「中世ヨーロッパの都市の生活」ジョゼフ・ギース、フランシス・ギース 講談社
「ハーメルンの笛吹き男」阿部 謹也 筑摩書房
「法廷士グラウベン」彩穂 ひかる 講談社
「フランスの中世社会」渡辺節夫 吉川弘文館
ラベル:書評 歴史 中世 都市
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2011年12月16日

「西洋中世学入門」高山博、池上俊一 東京大学出版会

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【書きかけ】



本書は、私のような門外漢にとって最も欠けている部分を補ってくれる本であり、非常に得難いものを示唆してくれていて何よりも勉強になりました。

研究者でもなく、趣味で西洋の中世に関心を持っている人の場合、こういった本は基礎的なことをバランス良く教えてくれ、そもそも基本としてどういったことが研究分野にあり、どういったことがなされているのか、また、どうやって学習していくのか、大変参考にもなります。

勿論、本来の西洋中世学を学ぼうとする人への文字通りの入門書なのですが、こういった全体を見渡すガイドライン的なものが見えるだけでも、その後の足取りが全く違いますからね!

実際、本書の序論だけでも一読の価値はあるかと思います。
これからの研究者として志が高く、明治以来の外国の研究成果をただ国内に広めるだけの時代は終り、日本であっても世界に発信し、世界の研究水準に貢献し得るレベルを確保する必要性をはっきり明言している辺り、当然ではあるのですが、未だにそうなっていないことをあえて、現役の研究者が語るのが素晴らしいです。

基本的な文献資料を読みこなす為の技術訓練が決定的に不足している点の指摘とそれに対する方法の紹介。

偶然に残った資料に、偶然に書かれた内容(書いた人物が真実として書いたか、意図的に虚偽を書いたか。また、真実として書いても、本当にそれが真実であった客観性を担保できるか)等、『文献批判』(テキスト・クリテーク)の必要性とその限界など、歴史に携わる研究者が絶対に意識していなければならない点などについても、実に詳しく書かれており、以前読んだ(途中まで)ウィルヘルム・ヴォーリンガーの「ゴシック美術形式論」とかにもその辺、書かれていたことを思い出しました!

あと伊東俊太郎の「十二世紀ルネサンス」などもこの点は、強く意識して書かれてましたね、確か。一次資料を直接読んでこそ、初めて研究のスタートラインに立てるわけで、ラテン語、ヘブライ語は言うに及ばず、古代ギリシア語とか何ヶ国語学ぶのかと気が遠くなった覚えがあります。(私は英語で読むぐらいしか出来ませんが・・・)そういえば、中世はイスラム文献の翻訳だからアラビア語の原典から当たらねばという記述もどっかで見た覚えがありますが・・・・一流どころは、やっぱり違いますねぇ~。ふむふむ。

後ほど抜き書きメモするとして、本書を読んで、こんなにも研究対象の範囲が広いこと、研究以前に個々の基礎訓練にどれほどの習熟が要求されるか、改めて研究者に頭が下がります。
(本当にやっている人ね、感心してるのは。研究者と言いつつも、みんながみんなそれほど真摯な学究姿勢を持ってるわけではないし、能力以前にやる気もない、能力もない無能な名前だけ研究者もたくさんいるのは、どこの世界も一緒ですから。)

最初の古書体学からして、そんなに文字のタイプが千差万別であり、しかも時代によって一つのタイプがいくつものバリエーションを示したり、媒体毎に異なるだけではなく、同一媒体内でも記述する内容によって変わったり・・・・場所による違い(スクリプトリウム)や個人差もあるうえに、略字とかって・・・。

ごめん、私だったら軽く死にます。
しかし、現代はその辺の書体のサンプルがデータベース化されているので、昔に比べてはるかに研究・比較し易くなっているそうですが・・・それでもね。本書の中でも、膨大な量を実際に読む訓練を相当量こなすことで、慣れによる勘的なものがあることもはっきり書かれています。

職人的な技量が必要な訳です。どこもそういう面はあるね、やっぱり。

同時に翻訳された2次資料、3次資料なんて読んでては研究者として論外ってわけです。各種写本等を比較する事で個々の写本に紛れ込んだ過りを正し、本来あったであろう現存しない正確な原本を再構成しうるのも『文献批判』の役割だったりします。

と、一旦それはそれとして・・・・。

そもそも本書を読もうと思った動機は、「第9章 歴史図像学」をパラパラと目を通した時、エミール・マールやパノフスキー、アンリ・フォションやヴィルヘルム・ヴォーリンガーとか、以前に本を読んだことのある人の名前が出ていたからだったりする。

美術史学の体系的な流れがイマイチ分からないまま、分断された知識で読んでいたので、それらの流れを知りたかったんですよ~。そういうのを理解しているか否かは、個々の本を読む際にも内容理解の深さに影響するからね。

マクロ(巨視的)とミクロ(局所的)の話ではないけど、学問に拘わらず、人の全ての営みにはその両者のバランスと相互の関連性の把握が大切ですから。あとは、それ以外の事物等のアナロジーや枠を超えた理解など。ちょい話がずれますが・・・。

具体的には以下のような記述ですね。抜き書きメモ。
【歴史図像学への道】

美術の発展を社会全体の発展に結び付けようとする努力は両分野の懸案でもあったが、それはこの美術史の黄金時代、形態や表現形式の分析にもとづく様式論に対し、美術作品の主題や表現内容の分析と解明を主眼とする研究方法、すなわちイコノグラフィー(Iconography[図像学])とイコノロジー(Iconology[図像解釈学])が美術史学のもうひとつの支柱として形成されたことによって大きく前進した。

まず、フランスの中世美術史家エミール・マールは純粋に装飾的な作品を、象徴的価値をもたない、として意図的に研究領域から遠ざけ、読み取れる画像・図像をもっぱらの対象として一連の書を出版した。

即ち、「フランス12世紀の宗教美術」(Art religieux du ⅩⅡ siecle en France,1914)、「フランス13世紀の宗教美術」(Art religieux du ⅩⅢ siecle en France,1931)、「フランス中世末期の宗教美術」(Art religieux du la fin du Moyen Age en France,1931)、「トレント公会議以後の宗教美術」(Art religieux apres le concile de Trente,1931)である。

彼はとくに13世紀の宗教美術は、文盲の民衆にとって、教会の教えを目に見えるようにするために制作され、書物に匹敵するとし、中世図像の典拠を神学、宗教書など文献資料に求めて、形象の象徴的意味を解読する図像学の体系を提示した。

文字と図像を同じ俎上にのせて議論することの限界は明らかであるが、このような総合的な企ては、たとえばマルク・ブロックが「図像と集合的想像力」とのタイトルのもとに研究を準備したように、彼ら当時の歴史家を少なからず引き付けたのである。文字資料が必ずしも十全ではなく、宗教教義や信仰形態、政治理念、また後期には生活文化を視覚化した中世美術は、美術史の中でももっとも歴史学との結びつきが強いといえよう。
・・・・・・
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この時期すでに、美術史ではきわめて大きな変革が始まっていた。図像を文学、哲学、思想、宗教との関連においてより多角的に解釈しようとするイコノロジーが、アビィ・ヴァールブルクによって基礎づけられ、フリッツ・ザクセルらの追随者によって深化し、やがて同じくユダヤ人研究者としてアメリカへ割ったエルヴィン・パノフスキーの「イコノロジー研究」によって成就されることになる。

それは、イコノグラフィー以前のモティーフの記述による自然的主題の把握、イコノグラフィーによるイメージ、物語、寓意などの伝習的主題の解釈、そしてイコノロジーによって作品の象徴的価値を構成する意味内容を解明する、という3段階を通じて、形態と主題と意味を包括的に解明する方法論である。

ロンドンに設立されたウォーバーグ研究所を発信源とし、イコノロジーの影響は美術史学の歴史を導いたドイツとオーストリアのみならず、イギリス、フランスなど各国に及び、多くの追随者を生んだ。このウォーバーグ学とは宗教、文学はもとより、社会史、社会心理、政治などの諸問題を総合してひとつの作品が担う多様な意味を解読する試みであり、とりもなおさず、1929年に創設されたアナール学派による「新しい歴史学」の企てとの共通点を有していたのである。
美術史学を支える方法論として、
列伝史、様式史、イコノグラフィー、イコノロジーを経て歴史図像学へとつながっていくとのことですが、エミール・マールの本を読んだ時は本当に衝撃的でしたね!

目から鱗という言葉はまさにこの為のものかと思いましたもの。パノフスキーはあっけなく、理解不能で投げちゃってますが・・・・いささか行き過ぎの感もあってねぇ~。素人的には、そこまで言えるのかなあ~っていう気持ちが強くて・・・。一度、読み返さねばと思っているのですけれども。

ほお~アナール派にも共通するものがあるんだ。それは考えたこともなかったです。へえ~。

エミール・マールのおかげで、聖書のみならず、黄金伝説やら各種資料を読むことになるわけですけどね。数日前に国会図書館で読んだシュジェールの本もその影響と言えば、影響ですし。

でも、「歴史の鏡」だっけ? 
あれまだ未読なんだよね。日本語で翻訳あったっけ? あれは読んでおかないといけないんだけれど・・・英語なら、読む気力ありますが・・・フランス語しかなければ、いつになることやら・・・・???

ちょっと前後しますが、美術史の方。
オーストリアの美術史家アーロイス・リーグルは各時代、各民族の美術実には外的要因によらない独自の様式と視覚形式があるとし、その内的発展の原動力として「芸術意思」という概念を創り出した。

またリーグルの影響を鋭く受けたドイツの美学者ヴィルヘルム・ヴォーリンガーは「抽象と感情移入」を発表した。ついで美術の展開を思想史や文化史と関連付けた「精神史としての美術史」を著したマックス・ドゥヴォルジャークは中世キリスト教の世界観の変遷に焦点を当て、ゴシック美術の自然主義に関して洞察を加えた論考などを発表している。

一方、美術文献学の基礎を固めたユールウス・フォン・シュロッサーを生むと共に、彼らウィーン学派は、中世美術史家オットー・ペヒトに至るまで、様式の発展を踏まえ、作品の内在的な形成原理を見極めて構築する揺るぎない美術史の方法論を確立していくのである。

一方、様式論もこの時代大きな展開を迎えた。ブルクハルトの弟子であるスイスの美術史家ハインリヒ・ヴエルフリンは「美術史の基礎概念」において「純粋可視性」の理論に立ち、作品の主題や内容ではなく様式と形式的側面のもに研究対象を限定して、比較様式史を打ち立てた。

フランスでは古代から近代に至る「美術史」を著したエリー・フォールおよび芸術作品を自律的な形態として捉え、純粋な装飾にも様式発展の法則が内在することを示した「形態の生命」を著したアンリ・フォションらが様式論的見地から美術史の新たな段階を開いた。
このフォションの様式論もね。

まあ、分かるんですけど・・・・ゴシック建築の『枠の法則』なんかも、まさにコレだと思うし。でも、別に感動しなかったなあ~。それらを踏まえた(取り込んだ)成果物としての他の解説本を既に読んでいたからなのかもしれません。

ただ、こうした流れも大切なのでメモメモ。



【目次】
序論 西洋中世学の世界

第1部 西洋中世研究に必要な技術と知識
第1章 古書体学・古書冊学
第2章 文書形式学
第3章 刻銘学
第4章 暦学
第5章 度量衡学
第6章 古銭学
第7章 印章学・紋章学
第8章 固有名詞学
第9章 歴史図像学
第10章 中世考古学

第2部 西洋中世社会を読み解くための史料
第11章 統治・行政文書
第12章 法典・法集成
第13章 叙述史料
第14章 私文書
第15章 教会文書

アペンディクス
西洋中世学入門(amazonリンク)
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2011年10月26日

「大江戸残酷物語」氏家幹人 洋泉社

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冒頭、学問的な資料だ、なんだとくどくど言い訳めかした戯言を書いているが、あくまでも世間様から中傷・批判されるのを目的としたお体裁に過ぎない。本質は、俗物根性全開の昔懐かしい『エロ・グロ・ナンセンス』趣味満載といえるでしょう。

昨今の軟弱、薄っぺらな神経では、たちまち神経衰弱と成り果てかねない、時代逆行モノではありますが、ある意味、日本独自の美学の本質と、抑圧された美意識表現は、強烈なインパクトを感じさせます。

読んでいて、ふと漫画の「シグルイ」や中国の古典とかを思い出しちゃいましたよ(笑)。
支那伝来の、強烈な文化・風俗が日本に伝わってきた感を彷彿とさせます。

「忠君」の心意気で、自らの股の肉を割き、刺身にして病気の薬する話などは、親孝行の逸話として、中国で広がっていた話の日本版リメイク、ありありですもん!著者はその辺をご存知ないのか、中国の原典には触れていませんけどね。

死体の塩漬けの具体的なやり方は、悪趣味な知的好奇心(=下種な野次馬的好奇心)で、その詳しい内容に思わず、メモ取りそうになりましたが・・・・。それやると、人として終りそうなんでやめとく。

血達磨等に至っては、まさに「シグルイ」ですねぇ~。

ドグラマグラの呉清秀も真っ青の忠君愛国で、その手の好き者にはたまらない好物かと。
しかし、新書のくせにかなり内容盛りだくさんでキテます。コレは。

偏見の無い人で、抵抗が無い人ならば、いささか偏りは見られるものの、それなりに興味深いです。ホント! まあ、血まみれ芳年イケル人なら、これもOKなんでしょうね。きっと。

私的には、恥ずかしながら、ゾクゾクしながら読んでしまいましたので。
ラス・カサスの『人』を『人』未満の獣と見る感覚とは真逆とも言える、『人』を『人』と見る捉え方自体の感覚差が、なんとも感慨深く感じられる本でした。

俗な常識人には、嫌悪感以外の何物も催しませんが、その彼岸を越えると、また違ったものが見えてくるかもしれません・・・・さてさて?
【目次】
第1章 生首と旅する男
第2章 今日は処刑見物
第3章 情痴の果て
第4章 血達磨伝説
第5章 生きている屍
第6章 小塚原の犬
第7章 死体を塩漬けにする話
第8章 胆取り肉割く人々
第9章 優しさのゆくえ
大江戸残酷物語 (新書)(amazonリンク)

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ラベル:書評 新書 江戸
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2011年10月09日

「西洋中世の罪と罰」阿部謹也 弘文堂

西欧中世関係の本と言ったら、私が頭に浮かべる阿部氏の本ですが、本書はこれまで読んだ本とは、いささか取り扱い対象が異なっています。

中世のヨーロッパでありつつも、所謂キリスト教的世界ではなく、むしろその基底部に沈められた本来の古ゲルマン族の古来の土着風習・世界観・文化意識といったものが関心の俎上にあがっています。

最初は、ゲルマン民族の死生観(世界観)を現す伝説として、アイスランド・サガ等から具体的な話が紹介されます。ずっとその調子で行くのかと思いきや、途中でガラっと変わるので。

本書内でも「黄金伝説」(キリスト教聖人伝)との対比が何度も語られますが、いやあ~本当にキリスト教的価値観とのあまりの違和感に結構、考えさせられます。

キリスト教的世界観が自然を馴致して人間に(=神の世界に)従属化させるのに対し、ゲルマン民族的世界観はむしろ人間を自然化し(=本書では触れていないがアニミズムと等しいものを感じます)、真逆の方向性を有する点などが指摘されていて、大変興味深いです。

カール大帝のカロリング・ルネサンス(文芸復興)も、政治・社会的な背景との関連無くして、突如、湧き出したものではなく、従来のゲルマン的な世界観を、新支配者であるカール大帝+協力者キリスト教勢力の下で、自然を人間の支配下に置くキリスト教的世界観への転換を成し遂げる手段としての意義を見出しています。

う~ん、面白いね。
いつの時代でも新しい特徴ある文化は、それに先んじて政治的・経済的・社会的な背景に大きな変化・変革が生じてこそ、生まれるのが世の常ですから!

文化だけが突如、突然変異を起こすなんてありえません。
仮に起こっても、社会がそれを受け入れない状況下では、あっという間に消えてしまうのが歴史の常ですから・・・。

でも、16世紀以降のルネサンスやこのカロリング・ルネサンス等、学校の教科書とかで習うと薄っぺらい項目の列挙でその歴史的な意味を全く説明されないんですよね。教師が物を知らないのだから、そこから物を学ぶ生徒が興味持てないのは当然だし、歴史から学ぶべき一番美味しいところをスルーしている学校教育、無駄なんだろうなあ~。

数十人(?数百人)に一人ぐらいいる、本当に素晴らしい教師に出会えないまま、学校生活が終わる人の方が多いんだろうか? まあ、学校教育批判はおいといて。

本書はとても面白いです。
西欧中世の採り上げ方として、通常とは異なる視点からの取り上げ方で。
通常のキリスト教的世界として社会上層部の国王、領主、聖職者達が共有する上からのキリスト教秩序ではなく、民衆が上からの押しつけられた価値観の下で隠し持ち、あるいは共感できないものは無視しつつ、自らと自らの属する共同体が抱き続けたいにしえの価値観から、中世を捉え直す試みを行っています。

中盤以降に長々と具体例として紹介される「贖罪規定書」。
まさに、後年魔女狩りの熱狂が繰り広げられ、裁判の判断基準を準則化した「魔女の鉄槌」の編纂に繋がるのは、こういった多年にわたる準備が着々と進められていた土台があってこそ、だったんですね。

本書では「死者の舞踏」について触れているものの、「魔女狩り」までには言及していませんが、個人的にはそちらへ影響も感じぜずにはいられませんでした。

あとね、古ゲルマン民族(まさにガリアの土地ですから)の基層的な習俗が、キリスト教支配領域の拡大と共に、社会の辺縁に追いやられ、邪教・異教の習俗としてレッテルを貼られつつも、民衆の間には、しっかりとその存在が残ったことも改めて納得できました。

死ぬと、死者は生存の富(貴金属)を土中に埋める習慣や、泉や古い歴史のある聖地にお参りし、奉納物を捧げることなども「贖罪規定書」には、細かく具体的に記述され、それに対する贖罪方法のルールなどがあったことも紹介されています。

シャルトル大聖堂の一番奥底の地下(クリプト)に聖なる井戸があり、民衆は黒い聖母崇拝と共に、いつまでもその井戸を神聖視していた話を私は思い出しました。

後に業をにやした司祭が強引に埋めたという井戸。

今、現在はそれが掘り起こされ、そこを聖地として崇める人々が未だに訪れる場所であることなども感慨深く感じます。まあ、去年わざわざ、その井戸を見にクリプトへ行った私もアレですけどね。物好き以外の何者でもないか(苦笑)。
本書内の贖罪規定書より、以下抜粋。

第66章 お前は司教や司祭が定めた教会などの宗教施設以外の場所に、祈りに出かけなかったか。泉や石、樹木や十字路などでその場所を敬うためにローソクや松明が置かれているところへ、パンなどの供物をもってゆき、そこで身体と心の病を癒そうとはしなったか。もし、そのようなことを行い、それらのことに同意を与えたのなら、先に述べた祭日に三年間の贖罪をはたさねばならない。
本書は、ある程度知っている人が読むと面白いものの、キリスト教的中世世界観(公的)に対する古ゲルマン民族的世界観(私的)という構図が前提にある為、「黄金伝説」などを初めとする西欧中世の基本常識を押さえておこないと、その面白さが伝わらないと思われる。

それさえ押さえてあれば、読む価値のある本だと思うんですけどね。
改めて、「贖罪規定書」そのものにも関心が沸きました。この延長線上に、昨日、古書展で買ったブリューゲルの『大罪』の版画が生まれてくる訳だったりする。

この辺も全てが背後の大きな流れの中で繋がっており、知っていれば知っているほど、面白い♪
【目次】
第1章 古ゲルマン社会の亡者たち
第2章 死者の国と死生観
第3章 キリスト教の浸透と死者のイメージの変化
第4章 中世民衆文化研究の方法と『奇跡をめぐる対話』
第5章 罪の意識と国家権力の確立
第6章 キリスト教の教義とゲルマン的俗信との拮抗―贖罪規定書にみる俗信の姿
第7章 生き続ける死者たち
西洋中世の罪と罰―亡霊の社会史 (叢書 死の文化)(amazonリンク)

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「中世賎民の宇宙」阿部謹也 筑摩書房
「ハーメルンの笛吹き男」阿部 謹也 筑摩書房
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2011年09月19日

「歴史遺産 日本の町並み108選を歩く」吉田桂二 講談社

今は忘れ去られたような古い昔の町並みを残す地域を歴史遺産と称して紹介しています。

見開き2頁構成。
右1頁に歴史や町並みの様子、見所などを説明し、左1頁に手書きの風景画と簡略過ぎる地図が載っています。

右側の頁は可もなく不可もなくで、誰が書いても書ける内容だけれど、知らない場所が多々あるのでその意味では十分に読む価値はあると思われます。

ただ、左側は丸々無駄に紙面を使っています。
町並みの絵は正直下手で味わい深いところが、著者の自己満足かと思われ、むしろ貴重な情報源・案内としては台無しにしてしまっている。普通にカラーの写真を載せるべき。

また、アクセス情報等は、もっと細かく丁寧に情報量を増やすべきだし、地図もまともなの使って下さい。
googlemapの方が千倍も万倍もマシですから。

こういう町並みが残っていますよ~的な情報は、大変参考になるのでそれだけをもっと丁寧に取材して実際に訪れる参考になるようになれば、お薦めできる本ですが・・・本書は紙面の半分が無価値なので購入には抵抗ありますね。

まあ、編集者の能力の問題かもしれませんが、もったいないです。
そもそも情報量が少な過ぎなのも痛いし・・・・。
地元でよく知っている川越の説明の仕方もアマアマで勉強不足の感が出てるしなあ~。素人の私がいうのもおこがましいけど、もっと歩き回って足で稼ぐべきですね。手抜いてるような???

それでも、本書を読んで改めて千葉の佐原行ってみようと思いました。
計画はあるのですが、なかなか行く機会が無くってね。来週の連休に行ってもいいかも?
【目次】
第1章 みちのくの道
第2章 板東の諸道、甲州路、東海道とその脇道
第3章 中山道と北への諸道
第4章 京都周辺の諸道と北陸路
第5章 中国路と瀬戸内の海路と四国路
第6章 九州路・北と南の道と海路
歴史遺産 日本の町並み108選を歩く (講談社プラスアルファ新書)(amazonリンク)
ラベル:書評 歴史 景色
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2011年07月31日

「楊貴妃」村山吉広 中央公論社

まあ、標準的な歴史の本といった感じのものです。楊貴妃そのものよりも、楊貴妃というキーワードによって特定される時代、政治社会を歴史的に淡々と記述したものになります。

そういう点でいうと面白みには欠けるかと。
悪くはないですが、あえて読むほどの価値はないかもしれません。

本書で知ったこと。
梨園、梨園の御曹司、などと言われる『梨園』ですが、玄宗皇帝が芸術新興の為に作り出した制度がその由来だったんですね。な~る。

楊貴妃は生き残り日本に漂着したという伝説等について抜き書きメモ:
言い伝えによると、揚子江の河口を出たのち、楊貴妃はうつろ舟でこの里の唐土口という海岸に流れつき、まもなく死去したので、里人たちがこの高台に埋葬してやった。玄宗皇帝は夢でそのことを知り、追善のために陳安という将軍を日本に送り、釈迦と弥蛇の二尊像と十三重の宝塔とを造らせたのだという。
楊貴妃は熱田神宮の明神の化身で、馬嵬で死んだ後、熱田の杜に帰ってきたという説がある。昔は社殿の後ろに五輪塔があり、それが楊貴妃の墳墓だったとのことである。
何故熱田神宮の化身が楊貴妃だったのか、室町時代の学者清原宣賢の「長恨歌抄」という講義録に次のようにある。
一説ニ此の蓬莱ト云フハ、日本ノ尾張ノ熱田明神ヲ尋ネ行クト云フ義アリ。玄宗ノ日本ヲ攻メテ敗ラントスルホドニ、熱田明神ノ美女ト成リテ玄宗ノ心ヲ迷ハスト云フ。ソノ証拠ニハ此ノ社ニ「春叩門」ト云フアリ。春ノコロ、戸ボソヲ叩ク故ニ其ノ門ノ額ヲカクノゴトク云フ。是レ一説ナリ。
京都東山の泉湧寺。楊貴妃観音堂に楊貴妃観音が安置されている。
この観音像は唐の玄宗が楊貴妃を追慕して作らせた似像の観音像で、湛海律師という僧が宋に渡って修行したのち、帰国に当たって請来したものだと伝えられる。
【目次】
第1章 玄宗とその時代
第2章 玉環から楊太真へ
第3章 楊貴妃の栄華
第4章 天下大乱
第5章 玄宗蜀幸
第6章 長恨歌の世界
第7章 余聞・遺事
第8章 楊貴妃と文学
楊貴妃―大唐帝国の栄華と暗転 (中公新書)(amazonリンク)

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「楊貴妃後伝」渡辺龍策 秀英書房(1980年)
「色道禁秘抄」福田和彦 ベストセラーズ
ラベル:書評 歴史 美女
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2011年01月10日

「中世賎民の宇宙」阿部謹也 筑摩書房

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「ハーメルンの笛吹き男」以来、著者の作品は結構読んできましたが、この本も非常に学ぶ事の多い内容でした。実に勉強になりますし、ずっと漠然と疑問に思っていたことなどが幾つか氷解しました(笑顔)。

西洋の中世的なモノに関心を持つ方なら、是非読んどくべき作品だと思います。こういうのを理解したうえで、中世の写本とか見るとまさに目から鱗ですから・・・♪

幾つか学んだことをメモ。
古ゲルマン人―時間と空間はア・プリオリな概念でなく、経験の外にあるものではなく、直接に経験されるもの

キリスト教以前と以後での時間:
時間の円環的性格(自らが経験した昨日と明日、1年を通して繰り返されていくもの) VS 直線的な時間意識(最後の審判がその終結点)

商人が何故批判させるのか
←神にのみ属するはずの時間から利益を上げる高利貸しが批判の的となり、利子は禁止させる存在

贈与・互酬:
死者は法的主体でもあり、死後の財産中には「死者の持分」が存在した。
→ケルトのように地中(池や湖等含む)へ財宝を埋蔵するのはその一例
キリスト教的価値観が入ってくると、現世ではなく天国でお返しがあるとして「神への贈与」に代わっていき、教会への死後の寄進が生まれてくる

生き続ける死者:死者はいなくなってしまうのではなく、異なる次元へと移行して存在し続ける。
相続の主体が相続人ではなく、被相続人の死者であり、死者が法的主体(権利・義務の主体)として認められている。「死者が生者を相続人にする」

聖遺物崇拝:
生ける死者「聖者」
聖者は贈与を通して現世と交流可能な関係を結んでいる。
→寄進された財宝は死せる聖者が現世にそのお返しとして介入(=奇蹟)することを期待してなされた

人間狼:平和の喪失を宣告された者=死者
社会から受け入れを拒まれることは、当時そのまま死を意味する。
→不法者が集まり、集団化し、生者に害為す存在としてのみ認識される

小宇宙(ミクロコスモス)―人間が制御できる範囲
大宇宙(マクロコスモス)―人間が制御できない範囲
この両宇宙により、世界は構成されており、中世の写本でしばしば見られる小宇宙と大宇宙の概念は、そのまま上記を反映している。
いやあ~、利子が禁止されていた理由といい、聖遺物崇拝、人間狼など、ここの事象は幾つかの本で分かった気になっていましたが、それらを根本から生み出す基本的な概念がつかめず、上っ面だけの理解だったのを痛感しました!

本当にお薦めですよ~♪

まあ、ちょっとエッセイ的な著者自身の思考の軌跡みたいな部分もありますが、そういったものも著者の問題意識の形成にどう関わってくるのか、理解するうえでは、あっていいのではないかと思います。嫌いな人もいるかもしれませんが・・・・。
【目次】
私たちにとってヨーロッパ中世とは何か
ヨーロッパ・原点への旅―時間・空間・モノ
死者の社会史―中世ヨーロッパにおける死生観の転換
ヨーロッパ中世賎民成立論
中世ヨーロッパにおける怪異なるもの
ヨーロッパの音と日本の音
中世賎民の宇宙―ヨーロッパ原点への旅 (ちくま学芸文庫)(amazonリンク)

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「ハーメルンの笛吹き男」阿部 謹也 筑摩書房
「中世の星の下で」阿部 謹也 筑摩書房
「中世の窓から」阿部 謹也  朝日新聞社
「刑吏の社会史」阿部 謹也 中央公論新社
「甦える中世ヨーロッパ」阿部 謹也 日本エディタースクール出版部
「中世社会の構造」クリストファー ブルック 法政大学出版局
「中世の奇蹟と幻想」渡辺 昌美 岩波書店
「名もなき中世人の日常」エルンスト・シューベルト 八坂書房
「動物裁判」池上 俊一 講談社
「中世の巡礼者たち」レーモン ウルセル みすず書房
「巡礼の道」渡邊昌美 中央公論新社
「中世のアウトサイダー」フランツ イルジーグラー、アルノルト ラゾッタ 白水社
「狼男伝説」池上俊一 朝日新聞
「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら」藤代 幸一 法政大学出版局
「中世の大学」ジャック・ヴェルジェ みすず書房
「異貌の中世」蔵持 不三也 弘文堂
その他、多数。
ラベル:中世 歴史 書評
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2010年12月10日

「学術都市アレクサンドリア」野町啓 講談社

【書きかけ】



gakujyututoshi.jpg

今まで読んだ「アレクサンドリア図書館」に関する本の中では、一番興味深く、得る物が多かった本でした。

この手の本を読むには、予備知識の少ない私ですが、それでも何点か気付いた点があったのでメモしておこう。

膨大な数の本を集めたアレクサンドリアで行われていたことが『文献学』だったというのは、正直驚きました。当時、人出による写しによる意図せざる誤りの他にも、それぞれの地域で関わった人達の意図的な改竄・追記で本来の原文を特定する事が難しい中で、たくさんの異本の比較・検討で、オリジナルを見極めていくとは・・・・。

確かに数があるからこそ、出来る学問ではあるが、いつの時代でも優れた人物というのは、いるもんですねぇ~。

なお、本書は図書館としてのアレクサンドリアではなく、都市としてのアレクサンドリアをテーマにしていることに注意! それゆえ、本だけではなく、この学術都市を舞台にして行われた学者や学派、古代の哲学などについても書かれており、非常に内容豊かなものになっています。

ついていくのは、相当大変だけどね。

読み進めていくと自分が関心を持っていたキーワードに、あちこちで複数ぶつかるので大変勉強になります。
トラキアのディオニュシオスが書いた文献学のなすべき課題。
第一に句読点もアクセントも付されていないテクストを正しく朗読すること
第二にテクストの解釈
第三にテクストの筆写上の誤りの校訂
第四にテクストの文学上の価値の評価・批評、さらにそれに基づき、本当の作者が誰であるか決定する事。
スコリア:
写本に記された欄外の「註」のこと。
アレクサンドリアの文献学の場合、・・・・

当時の書物はすべて「コピー」であり、しかもこの「コピー」は、現在のように機械による原本の正確な複写ではなく、写字生なり書記がパピュロスに手書きした「写本」であった。そこに、単に誤読によるばかりでなく、筆写の自筆原稿なりマスターコピーを恣意的解釈や趣味の観点から、勝手に改竄する可能性があったのである。

先述のよう著者目録の最後に行数を記入する例がみられたのも、こうした危険性を防止する意味からであった。文献学の目的は、流布しているできるだけ多くの写本を萬集し、筆者の自筆原稿、つまり原著に可能な限り近づこうとすることにあったと言える。
アリストレスの「詩学」第25章での校訂の原則(というべき)

1)現実にはありえないこと
2)公序良俗にそぐわないこと
3)全体の内容からみて矛盾する記述
4)詩の技法にそぐわないこと

この原則に即してテクストの正しい読みを決定すべきだと主張している。
アリストテレスが校訂の原則に反するホメロスの箇所に対し、用いた解決法は「寓意的解釈」であった。つまり、文字通りにホメロスの作品を読むならば、彼の校訂原則のいたるところで抵触し、場合によっては作品全体の価値が否定されかねいないことになる。そこで文字の背後につまり記された表現とは別のところに作者ホメロスの真意を求めようとしたのである。
さまよえるユダヤ人:
16世紀中葉以降ヨーロッパに広まる伝説。十字架を背負いゴルゴダの丘に向かうイエスが、ユダヤ人の靴屋アハスヴェルスに一時休息を求めたのに彼がそれを拒んだため、イエスが「おまえは私が帰ってくるまで歩み続けなければならない」と言ったという伝説に由来する。



【目次】
序章 謎の古代都市アレクサンドリア
第1章 ムーセイオンと大図書館
第2章 メセナとしてのプトレマイオス朝
第3章 大図書館をめぐる学者文人たち
第4章 花開くペリパトス派の学風
第5章 哲学都市アレクサンドリア―ユダヤ人フィロンとその周辺
文献案内をかねたあとがき
学術都市アレクサンドリア (講談社学術文庫)(amazonリンク)

ブログ内関連記事
「アレクサンドリア図書館の謎」ルチャーノ・カンフォラ 工作舎
「知識の灯台―古代アレクサンドリア図書館の物語」デレク フラワー 柏書房
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2010年11月23日

「エジプト誌」

egyptsi1.jpg

以前、町田市の版画美術館で彩色された大変美しいものをガラス越しに見たのですが・・・。

今回は、巨大なエレファント版の実物を実際に見て、頁をめくって眺める貴重な経験をしました。他の判型と比べると倍ぐらいの大きさかな?いや、その小さい方でも十分に大きいのですが・・・。

お金あれば買えるんですね。たった二千万円ちょっとですよ。安っぽい郊外の家とかマンションを買う金額でお釣りがきちゃうくらい。でも、この本には住めない・・・orz。

というか、本当に買う気なら買えてしまいそうなところが怖い。他の全て諦めればね。じゃなきゃ、以前失敗したのに懲りずに再度起業して、上場すれば余裕ですが・・・(苦笑)。

ただ、これ買えたとしてもどこに置くんだろう? そして、どうやって観るんだろう?そんなことばかり、思いつつ(無駄な妄想ですが)、じっくりと眺めました。

いや、やっぱり皇帝ナポレオンは偉大ですね!ナポレオン法典も凄いのですけれど、無学だったかもしれませんが、実に偉大な人物だと思います。

この「エジプト誌」を見ただけで、そう思わずにはいられないでしょう。どんな人であってもね。

egyptsi2.jpg

そうそう、ちなみに今、エジプト誌はデジタル化されてWEB上で公開されてます。
以下でも見れますよ~。

http://www.wdl.org/en/
"EGYPT DESCRIPTION" とかで検索かければ、出てきます。

う~ん、お金あるって幸せなんだね。それで欲しいものを購入するならば。
数字だけ見てても仕方ないんだけど、資産のポートフォリオで時価評価損が多額になると鬱になるしなあ~。こないだ信用取引でやむなく損切りして決済したけど、痛かったなあ(涙)。

ブログ内関連記事
「エジプト大遺跡」荒俣宏 リブロポート
町田市国際版画美術館 企画展「カラフル・ワールド! 版画と色彩展」
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2010年11月18日

「巡礼と民衆信仰」歴史学研究会 青木書店

複数の研究者による学界発表会の原稿をまとめたもの。そ~んなタイプのものです。

キリスト教関係のこの手のものは、何冊も読んだことありますが、イスラム教の巡礼とかあまりイメージの湧かない珍しいものも分け隔てなく、同等に取り扱っているのは、ちょっと珍しい感じがしました。

私が知らないだけかもしれませんが。

逆にキリスト教の巡礼関係は、もう散々出尽くした感のあるお話ではないでしょうか?
聖人や聖遺物崇拝については、特に新しく学ぶこともなかったですし、格別興味をひく点もありませんでした。まあ、それなりに書いてありますが、それなりに・・・って感じです。

サンチャゴ・デ・コンポステーラのお話も、もうちょい違った角度とか、別なソースからだと面白いのでしょうが、数箇所を除き、ちょっと物足りない感じかな?

あえて高い金出して、買ってまで読むべき本だとは思いません。図書館で必要なところを見るぐらいでしょうね。それでも、あまり価値あるとは到底思えません。別な資料を見れば、十分かと。
【目次】
第1部 キリスト教世界の巡礼
巡礼総論―奇跡、聖者、聖遺物、そして巡礼
古代末期のキリスト教巡礼と女性―エゲリアの場合
中世ローマ巡礼
中世のサンティアゴ巡礼と民衆信仰
ロシア人の東方聖地「巡礼」―中世の旅行記から

第2部 イスラム世界の巡礼
イスラム巡礼総論
中世エジプト・イスラム社会の参詣・聖墓・聖遺物
メッカ巡礼とイスラム改革運動
知られざる信仰―ドゥルーズ派による聖者崇拝と聖廟参詣
現代モロッコの廟参詣―「聖者」と「偉人」とする提案を添えて
巡礼と民衆信仰 (地中海世界史)(amazonリンク)

ブログ内関連記事
「巡礼の文化史」ノルベルト オーラー法政大学出版局
「サンティヤーゴの巡礼路」柳宗玄 八坂書房
「中世の巡礼者たち」レーモン ウルセル みすず書房
「巡礼の道」渡邊昌美 中央公論新社
「サンチャゴ巡礼の道」イーヴ ボティノー 河出書房新社
「スペイン巡礼の道」小谷 明, 粟津 則雄 新潮社
「芸術新潮 2007年04月号 イギリス古寺巡礼」
「聖遺物の世界」青山 吉信 山川出版社
「スペイン巡礼史」関 哲行 講談社
「芸術新潮1996年10月号」生きている中世~スペイン巡礼の旅
「星の巡礼」パウロ・コエーリョ 角川書店
「カンタベリー物語」チョーサー 角川書店
「坂東三十三所観音巡礼」坂東札所霊場会 朱鷺書房
「西国坂東観音霊場記」金指 正三 青蛙房
ラベル:歴史 宗教 書評
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2010年10月12日

「パリ」木村尚三郎 文藝春秋

確か著者は、西洋史関係の学者さんだったと思います。受験勉強しているときに、よく名前を耳にした記憶があります。

ちょい期待してたんですが・・・。本書は世界の有名な国際都市をテーマにして出された企画の一冊で、内容的には都市にまつわるエッセイといったところです。

内容は・・・特に無いです。

都市の住民達の何気ない日常の息遣いを、歴史的な背景を紹介しつつ、伝えようとしているようにも見えますが、全く内容がなくつまりません。最後まで読破しましたけど、基本、時間の無駄かと。

悲しいことに当時の即時性・同時代性を感覚的に伝えようとしたこと、それこそが、もう20年近く前の本だと、致命的にズレを感じさせてしまう。

今年の6月に行った限りでは、あちこち裏通りも歩き回りましたが、著者の感じたものとは明らかに違うことを痛感します。その悲しさを裏打ちするように、著者がパリと比較して語る日本の姿も、当時と今は全く異なり、日本もパリもどちらも、実態にそぐわない描写となり、ますます本書の価値を落としています。

加えて、歴史的な背景の説明も一般向けへの分り易さに重点をおいたが故に、薄っぺらでその点からもわざわざ本書を読む価値を見出せません。

なんか、いろんな意味でとっても残念な本です。出版社の企画が浅はかだったのでは?と思わずにいられないほどです。文藝春秋70周年記念の企画らしいけど、よく持ったなこの企画レベルで70年。別な意味で感嘆せずにいられないほどです。

本書を読んで唯一私にとって勉強になったこと。
中世いらい橋といえば、その上に家屋、とくに貴金属商の家々が立ち並ぶのが、常識であった。その姿はいまでも、たとえばフィレンツェのアルノ川にかかる、ポンテ・ヴェッキオに見ることができる。敵が川の向こう側から攻めてくれば、川のこちら側へ、川のこちら側から襲ってくれば、川の向こう側へと、いつでも貴金属を手に逃げられたからである。
本書のこの部分を読んで、長年の疑問が氷塊しました。なんで、フィレンツェのあの橋の上に貴金属店があるのかずっと何年も気になっていたのですが、そういうことなんですね。ふむふむ、納得です。パリ (世界の都市の物語)(amazonリンク)
【目次】
1 着いたその日から、パリ市民―鏡の文化論
2 才子は馬車に乗り、天才は歩く―十八世紀パリの生活文化
3 パリの原風景―中世のパリ
4 十九世紀の輝き―近代のパリ
5 二十一世紀に向うパリ―五本の柱
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2010年09月23日

「聖徳太子の陰謀」佐治芳彦 日本文芸社

聖徳太子を巡る論争は、その実在そのものも含めて有名ですが、この本はあの竹内文書の本を書いてたと同一著者の手になるもの。その時点で、歴史謎解きふう小説ってのは自明&確定です。

最初は、著者名をよく見ずに読み進めていたんですけど、読んでいくとどうにも適当な論理展開で胡散臭いと思って、改めて著者名で調べたら、分かりました。まあ、そういう本です。

単行本にそういうのを期待する人もいないでしょうが、どこまでいっても歴史もどきの域を出ませんので、小説と思って読む分には良いでしょう。

聖徳太子は、後世の人々が自らの利権の為に架空の存在(or 実在するものとは別種の虚像)として作り上げられたものであり、時代は変わっても常に、一部の人の利益の為に利用され続けた存在だと著者は主張されています。

まあ、そんなのどんな歴史上の人物でも有名人だったら、そんなものだと思いますけどね(実際、歴史上の人物の評価は浮き沈みが激しいので)。

本書ではかなり明確に嫌悪感を持って主張されているのですが、その論理は、自らの文献等客観的根拠の提出のないまま、こういう人がこういうこと言ってるとか、従来の文献に対する独自解釈でしかもその解釈の仕方がどうみても論理的には整合性がとれているようには思えません。

つ~か、よくある素人の歴史好きが適当に思い付きで話していて、その都度、その都度、自説に都合の良い説を唱えている人のものを部分的に流用して、もっともらしく(?)している、そんな感じのものです。

確かに四天王寺の「未来記」とか、まあ、著者の言いたい気持ちも分からんでもありませんが、それはそれで著者自身の主張が正しいことには直接結び付かない事は気付くでしょう、普通。

著者の基本的な説明は3段論法なんですが、あくまでも可能性があるかも?レベルの話とそれが実際にあったと立証することの間には、どれほど大きな隔たりがあるのかご存知ないようです。この手の人にありがちな論理の飛躍、つ~か欠如がそこかしこで見られます。

それを踏まえて、読む分には、楽しいフィクションってことでいいかもしれません。 最後の方では、竹内文書のことまで触れられてますしね。ご自分で。

個人的には嫌いじゃないですよ~。こういうのも。

でも、無理して低俗っぽい「聖徳太子=ノストラダムス」とかその手のことまで言ってしまうのは、興醒めだなあ~。痛々しさが出過ぎです。

どうせなら、もっとうまくそれらしさを演出してもらえると楽しめるのですが・・・・。

まともな聖徳太子の本を読んでから、読むと苦笑しながら、楽しめますけどね。トンデモ本としてもあまりお薦めしません。面白さが足りないんだもん。
【目次】
まえがき 今も続く「聖徳太子の陰謀」への挑戦
序章 生き続ける聖徳太子神話―太子ロマン創作の謎を解く
第1章 日出ずる処の天子とは誰か―『隋書倭国伝』が明かす九州王朝の存在
第2章 偶像化された聖徳太子の登場―『日本書記』編纂プロジェクトの「あだ花」
第3章 聖徳太子神話はかく創られた―「十七条の憲法」と「万機総摂」の真相
第4章 奈良仏教の聖徳太子「発見」―『三経義疏』と法隆寺の陰謀
第5章 浄土祈願が甦らせた太子信仰―平安=末法の世に転生する聖徳太子
第6章 鎌倉~室町=動乱の聖徳太子像―時代がメシアとしての太子を求めた
第7章 ノストラダムス化する聖徳太子―「未来記」をめぐる四天王寺の陰謀
第8章 地に墜ちた聖徳太子像―近世儒学・国学による太子批判
終章 聖徳太子は不死鳥か―明治維新によって再びかつぎ出された聖徳太子
あとがき 神話・陰謀の終焉と疑似アイデンティティの清算
聖徳太子の陰謀―日本史を支配する巨大勢力の影 飛鳥時代~明治維新まで (ラクダブックス)(amazonリンク)

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「幻の法隆寺」邦光史郎 徳間書店
TNM&TOPPANミュージアムシアター「国宝 聖徳太子絵伝」in 東京国立博物館
ラベル:書評
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2010年09月08日

「大師の入唐」桑原隲蔵

こちらも青空文庫より。

先ほどの「食人」の習俗を扱った内容とは、一見して真逆のように見える内容が書かれていますが、ありのままの中国を受け入れて理解しようという姿勢は、不変です。

本書の中では、近隣諸国に対していかに寛容で進んで自国に迎え入れ、惜しみない援助とノウハウの提供を行っていた中国の素晴らしさが紹介されています。

テーマは、弘法大師空海の唐への留学ですが、当然、それは『唐』という当時世界一の文化的・政治的な国際都市を抜きには語れません。

改めて思いますが、志を持って、命を懸けて努力する人間の姿は素晴らしいです!!
頭が下がるとしか言えませんが、その一部でも見習いたいものです。ホント。

歴史的な物語としても大変興味深いのですが、中国でも有数の名高い寺で、たった2ヶ月の修行で伝法灌頂となった大師の非凡さは、いかほどばかりでしょうか?

何十年も修行を重ねるあまたの僧侶を差し置いて、わずか2ヶ月の修行に過ぎぬ異邦の留学僧に奥義を授けるわけですから、身内の僧達からの不満も相当あったようです。しかし、それをあえて押しのけて、大師の素質・能力を評価し、日本での仏教興隆を願ったそうした措置ができる中国も、また、非凡であることは各確実でしょう。

まさに大抜擢人事ですから!

どっかの国のように、芸人さんが客寄せパンダよろしく、声猛々しいだけの大臣になったりするのとは、次元が違いますよ~。

あくまでも実力と可能性を見極めたうえでのことですしね。

とにかく私的には大変興味深かったです。人は自分の明利目当てだけでは、なかなか腹くくってできませんが、大きな目的・志の為なら、死に物狂いでできるもんだなあ~って、大変感慨を受けました!

これは読んどいて悪くないと思います。面白かったです。
ラベル:書評 歴史 空海
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「支那人の食人肉風習」「支那人間に於ける食人肉の風習」桑原隲藏 

両方とも青空文庫によるもの。

ややもすれば、俗物根性で興味を持ってしまいそうになるが、そういう傾向の本とは異なり、小説や伝説などではない、正統的な歴史書等のより史実であろうと考えられる文献を元に、淡々と歴史的な事実として食人肉を扱っています。


だからこそ、戦争や飢饉で飢えによる起こる食人や、親の病気を治す為に、親族が自らの股の肉を割いて食べさせるなどの風習・習俗などをあるがままに紹介しています。

そもそもが、そういった歴史的な側面を踏まえて、本当の中国の人を理解し、アジアの中で共に生きていくことを目指しているのが、まさに当時躍進していた日本を髣髴とさせます。

古来より、漢字を初めとして多大なる文化的影響や社会制度などのお手本として中国より学ぶばかりであった日本が今こそ中国にその恩返しをするというのは、うぬぼれのような自信の反面、拭い難い中国へのコンプレックスの存在の裏返しでもあるんですけどね。

まあ、そういうのを抜きにしても、中国人はやっぱり大陸の民で、どこまでも極端で目的志向的な方向性は、アメリカと行動パターンが重なってしまう。

どこまでも自己流(のローカル・ルール)を押し通して、グローバル・スタンダードと言ってのける姿は、今の中国の経済政策そのものだし・・・。だからこそ強く、成長しているんですけれど・・・。

話がそれました。
もっとも中国の食人の話は、つとに有名でいろんな本・著者でも触れられているので本書が唯一でもなく、むしろ記述はおとなしめ。纏足や宦官を生み出す文化を持った国ですからね。

現在の似非人権主義者とかだとうるさそうですが、何の偏見もなく、淡々と事実を捉えようとする姿勢は、非常に素晴らしいと思います。この方の他の著作も読みましたが、中国の(日本人の感覚的に)良いところも悪いところも、同様に客観的に記述する姿勢は、本当に公正無私だと思いました。

あえてお薦めはしませんが、こういうのも含めて今の人よりも昔の人の方が、国際的な感覚や視野を持って、世界と向き合って生きていたように思われてなりません。

ちょうど、今、日経の私の履歴書に哲学者の人のが掲載されてますが、満州でのくだりが書かれていて実に興味深いです。

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「食人国旅行記」澁澤龍彦 河出書房新社
「アンデスの聖餐」Jr. クレイ・ブレア 早川書房
「大師の入唐」桑原隲蔵
ラベル:書評 歴史
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2010年08月02日

「ジャンヌ・ダルクの神話」高山一彦 講談社

ジャンヌ・ダルクそのものというよりは、ジャンヌ・ダルクに関する諸説とそれに対する著者自身の見解を広く浅く紹介している。

本国フランスにおける、ジャンヌ・ダルクの話題がこれほどまでに活気のあるものとは知りませんでした。

歴史上の人物、悲劇のヒロインといった枠を超えて、既に伝説上の(ある種実体のない虚像の)人物になってしまったが故に、時代を超え、立場や主義主張を越え、誰でもが自分の見たい姿を映し出す便利な存在になってしまっているかのように感じました。

まあ、いろんな説を唱える人がいるのは別にジャンヌ・ダルクに限った事ではありませんが、学者の方々がお好きな、こまごまとしてややもすれば矮小になりがちな話題で、それぞれが派閥を作って争うかのような部分の記述は、本書のような新書で書くのもどうかと思うが、ある意味面白いことは面白い。

本書を読んで、へえ~と納得したり、改めて知ったことも多かったので私には読む価値のあった本でした。本当はフランス行く機内で読むつもりで買ったんだけど、「狼と香辛料」の2期を一気に見てて読む暇なかったりする。

さて、最初になるほど~と感心したのは、ジャンヌが英国側の宗教裁判で異端と認定され、火あぶりにされた理由ですが、私はずっと単純にシャルル7世に負けた腹いせとメンツの問題だと思っていたのですが、とんでも間違いですね。

ランス大聖堂で戴冠式を挙げて正式の王となったその事実を無効にする為、その実現に寄与したジャンヌが異端者であるという別な事実を作り上げようとしたとは、思ってもいませんでした!

そうすることで、そもそも群雄割拠して国家としての枠組みも定まらぬ当時のフランスでの支配権を一旦ひっくり返し、再度、確保しようとしていたとは・・・・。実にロジカルな思考ですね。ふむふむ納得。

だからこそ、高い金でジャンヌを買い取り、性的圧迫を加えて男装をさせたり、異端としての外形的証拠を積み重ねていたとは・・・。

こないだ某国がやっていたことと重なるなあ~。
サダム・フセインを薬漬けにして、わざわざみすぼらしい恰好で臆病者として捕まるように演出し、それを世界中のメディアに流していたりとかね。

某満州で、特務機関が移住していた日本人に危害を加え、あたかも現地住民による暴動であるかのように仕組んだこととか、いつの時代も政治権力が絡むと人のやることは愚劣になるもんです。

まあ、そちらはおいといて。
田舎者の村娘が、王族や貴族等高位の人達の前でも、ものおじすることなく堂々とし、馬を駆り、戦場を駆け抜ける姿は、あまりにも非日常過ぎる訳ですが・・・、その理由として、ジャンヌがそもそも王女であった、な~んて説もあるそうです。

故あって、村人に預けられたが、さる筋からきちんとして教育を受けさせるべく働きがあり、またそういった助力無しに「神の奇蹟」で村娘が、とてもではないが王族に謁見し、軍隊の指揮を任せられることなど有り得ないというのです。

しかもしかも、ジャンヌが王室の血を引く私生児であるという証拠は、過去の裁判で残されており、その調書がバチカンの秘密書庫に残されているのを見つけた!という人物まで後に現れてきたりします。

出た~、出ましたよ!
バチカンの秘密書庫と言えば、何があってもおかしくないからね。この手のネタ好きな人、多過ぎぃ~(笑)。

もっとも、あれだけ騒がれたテンプル騎士団の裁判の判決文がついこないだ見つかった、なんてことを平然と言ってしまうぐらいだから、何でも有り得てしまうのだけれど・・・。『事実は小説より奇なり』を地でいく場所ですから。

そうそう、更に凄い事も本書には書かれていて、ジャンヌ・ダルクは火刑後も生き残って、地方の領主と結婚して墓まであるとか?

おいおい~、イエス・キリストの墓のある青森ですか? それとも大陸に渡ってジンギス・カンになった義経でしょうか?
まあ、ヒットラーはエバと死んではおらず、生き残って第三帝国再興の機会を狙っているとか・・・いやはや???

みんな好きだなあ~そういうの。
私も嫌いじゃないけどね(笑)。

確か、部屋のどっかにジャンヌ・ダルク裁判の邦訳があったはずなんで、今度探して読んでみよっとどこにあったかな?

そういやあ~こないだも海外のニュースでジュンヌ・ダルクの骨とおぼしきものの鑑定で騒がれていたけど、まだまだホットな話題のようです。

著者は大真面目で書いてますが、私のようないい加減な人でも楽しく読めますので暇な方どうぞ! 絶版みたいだけど、どっかで売ってますよ。
【目次】
プロローグー現代に生きる乙女ジャンヌ
1オルレアンの少女
2ジャンヌ・ダルクの謎
3変容するジャンヌ
4四つの裁判
5第五の裁判ー新しい神話の誕生
エピローグー歴史に生きる少女
ジャンヌ・ダルクの神話 (講談社現代新書 (642))(amazonリンク)

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ジャンヌ・ダルクの遺骨がテストされる
ジャンヌ・ダルクの遺骨は偽物で、エジプトのミイラ=研究者が発表
偽物と暴かれたジャンヌ・ダルク~ネイチャーの記事
「ユダヤ・キリスト教 封印のバチカン文書」林 陽 徳間書店
秘密ではない:バチカン文書館の105の文書を特集した新しい本。
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2010年07月28日

「巡礼の文化史」ノルベルト オーラー法政大学出版局

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西洋の巡礼、サンチャゴ・デ・コンポステラへと向かう旅が中心となっているのは当然だが、キリスト教的視点だけに偏ることなく、西洋という地理的・中世以降という歴史的視点を含めて多角的な視点から、『巡礼』というものを採り上げている。

他にも何冊か巡礼に関わる本を読んでいるが、本書がそれらと特別に異なる訳ではないものの、読んで損したと思うような本でもない。

大上段からバッサバッサと切り込んでいくタイプの本ではなく、丹念にいろいろな同時代の文献から、関連する記述を集め、それらからよりリアルな当時の人々の様子(巡礼当事者、それらを送り出す側の人、それらに関わる奉仕者、それらから利益を得る利害関係者等々)を描き出そうとしている。

サン・ドニ修道院長のシュジェールがゴシック建築を生み出す原動力の一つに、幼い時に経験した混沌として悲劇的状況の狭い教会堂などの話は、ちょっと予想外だったかも?

まあ、巡礼者への便宜の為という説明はよく聞きますが、改めて本書を読むと、ちょっとニュアンスが違ってきます。

黄金伝説なども話自体は、かなり知っていますが、それが教訓とするところの捉え方では、新鮮な視点がありました。

あとね、当時の旅はまさに『死』に直結していた訳で、だからこそ自由を獲得できた半面、それは貧窮と困窮のうちに野垂れ死にする自由でしかなかったことも感じました。

そりゃ、宿泊所と最低限の食事が提供されていたかもしれませんが、あくまでも可能性の話であり、常にそれが与えられるとは限らないですから。

驚くほどの人の命が軽かったことも指摘されています。まあ、日本でも行商人の六部殺しの話など、いくらでも転がってますもんね。今でも旅行先で騙されたり、金品奪われたり、乱暴されたり、殺されたり、普通にありますもん!

私も旅先で少しは経験しましたが、幸い命があって良かったです♪

今でも一部の国では、本当に軽い命ですが、本書の時代では、現代の比じゃないですからねぇ~。

そういった時代的・社会的背景を理解すると、巡礼の道の脇にホスピスや修道院が建てられていたことも分かりますし(逆に、聖遺物のある教会堂をつないで巡礼路が出来ていたりもするが・・・)、十字軍の必要性も分かります。

そして、巡礼の延長戦上に、故郷で事件を起こしたり、喰っていけない人々が宝くじを当てるようなわらにもすがる想いで、冒険に繰り出していたのも納得できます。そりゃ、同胞のキリスト教徒を虐殺して、貴金属を強奪し、聖遺物を略奪したりするでしょう。

どうせそのままでは、生きていくことすら困難な社会からの除け者だったんでしょうから。満州へ渡っていった人々と一緒です。人は追い込まれなければ、あえて冒険なんてしませんから!

西洋史でいうところの『地理上の発見』とやらも同じもんです。現地人を虐殺し、切り刻んで犬の餌にした征服者が国王から称賛されてりゃ、せわないです。

まあ、それが見方を変えれば、人類の進歩であり、発展でもあるのも真実で冷笑せざるを得ませんが、それはこの際、置いておく。

本書の中でも、『巡礼』そのものやそれのもたらした周囲への影響など、長所・短所(功罪等)共に分け隔てなく触れているのでいろいろと考えさせられます。

ただ、う~ん? 全体的に言うと、インパクトはないなあ~。

もうちょい突っ込んで考察とかもあると、興味が増すんでしょうが、淡々とした記述です。変に独善的な解説も困るけど、微妙かもしれません。

そういやあ~訳者の一人は、中世ドイツ関係でよく目にする「藤代幸一」氏です。だから、なんだって言われると・・・それだけでしかないんですが。

なんだかんだ言いましたが、先月のパリ旅行でも巡礼の目印のホタテ、あちこちで見てるんだよぇ~。シャルトル大聖堂もまさに巡礼路の一部だし、中世美術館の建物には、たくさんのホタテが・・・!

まあ、来年の夏は、とりあえず飛行機でスペイン行って、初サンチャゴ詣でもしてきます。実際に歩いていくのは、もうちょい先になりそう。

貧乏暇無しで、仕事休めないもんね。

会社辞めるか、クビにでもなったら、歩いて巡礼に行きたいものだが・・・。さて、どうなるのやら???
【目次】
1 背景
2 目的地はたくさんある
3 誰が巡礼になったか
4 巡礼者の動機
5 準備
6 巡礼は労働だった
7 宿ともてなし
8 最後まで、財産、肉体、魂への危険
9 目的地にて
展望
巡礼の文化史 (叢書・ウニベルシタス)(amazonリンク)

ブログ内関連記事
「サンチャゴ巡礼の道」イーヴ ボティノー 河出書房新社
「サンティヤーゴの巡礼路」柳宗玄 八坂書房
「巡礼の道」渡邊昌美 中央公論新社
「中世の巡礼者たち」レーモン ウルセル みすず書房
「中世の奇蹟と幻想」渡辺 昌美 岩波書店
「星の巡礼」パウロ・コエーリョ 角川書店
「スペイン巡礼の道」小谷 明, 粟津 則雄 新潮社
「芸術新潮1996年10月号」生きている中世~スペイン巡礼の旅
「スペイン巡礼史」関 哲行 講談社
「カンタベリー物語」チョーサー 角川書店
「聖遺物の世界」青山 吉信 山川出版社
「スペインの光と影」馬杉 宗夫 日本経済新聞社
「ある巡礼者の物語」イグナチオ デ・ロヨラ 岩波書店
「芸術新潮 2007年04月号 イギリス古寺巡礼」
「フランス巡歴の職人たち」リュック・ブノワ 白水社
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2010年04月04日

「聖遺物崇敬の心性史」秋山 聰 講談社

久しぶりに聖遺物である『聖母の肌着』を拝みにシャルトルに行くのでふと読んでみた本です。

聖遺物に関する本は、何冊か読んでいますが、ほとんどがフランスについてのものでしたのでドイツに関するものは、初めてでした。

本書を読んで初めて知る事もあり、読む価値はあったと思うものの、記述されている内容や表現でかなり違和感を覚える部分があって、個人的にはあまり好きになれない本です。

例えば、聖遺物に関する目録のようなパンフをグーテンベルクが印刷していたり、あのクラナッハが挿絵を描いているなんて、想像もしませんでした。

グーテンベルクが贖宥状を印刷して、儲けた金を印刷技術の改良に注ぎ込んでいたりしたのは、いろいろな本で知っていたのにね。ちょっと意外でした!

そして、ルターが匿われたヴィッテンベルク城でしたっけ? そこが逆に言うとある種、非常にリベラルな雰囲気を持った土地であり、それ故に、宗教改革へつながる契機をもたらしたというその感覚、本書を読んで初めて知りました!!

これは大変勉強になりました。

その一方で、聖遺物を捉える記述がなんかなあ~。なんか稚拙に感じられてなりません。だって、要は間接キスを意識する現代人と同じでしょ。

アイドルや有名人の触れたものに、オークションで大金をはたく人々と心象的にはなんら変わることがないのに、なんかしらじらしいほどの分類と記述には、苦笑させられました。

しかもその説明に価値があるようには思えないし・・・。

それとサン・ドニのシェジェールの光の形而上学についても、もうちょい説明しないと、訳分からないものになっていません? 黄金伝説への言及もあまりにも寂しい限り・・・。

そして、絶対に止めた方がいいのがATMを例にあげた比喩。ここは全然意味があっていません。おかしいでしょう。共通するのは、どこからでも引き出せるの一点のみで、その引き出す仕組みや意味が全く違うので、物凄い違和感と卑俗な感じで本書を陳腐にしていると思います。

別に一般書に格調高さを求めていないけど、正直呆れました。

他にも似たような点があり、学校の授業ならそれもいいけど、本でそれは止めて欲しかった。

まともに関心がある方にはお薦めしません。もうちょい、マシな本を読みましょう。

分かり易さは、粗略な比喩と安易な省略ではないと思います。類書が少ないだけにもったいない本でした。残念だなあ~。
【目次】
第1章 聖遺物の力
第2章 トランスラティオ(聖遺物奉遷)と教会構造
第3章 黄金のシュライン―聖遺物を納める容器
第4章 聖遺物容器のさまざまな形態
第5章 聖なる見世物―聖遺物/聖遺物容器の人々への呈示
第6章 聖なるカタログ
第7章 聖性の転移
聖遺物崇敬の心性史 西洋中世の聖性と造形 (講談社選書メチエ)(amazonリンク)

ブログ内関連記事
「聖遺物の世界」青山 吉信 山川出版社
黄金伝説 ~聖人伝~ ヤコブス・デ・ウォラギネ著
ローマ法王が聖遺物「ヴェロニカのベール」視察
「トリノの聖骸布―最後の奇蹟」イアン・ウィルソン 文芸春秋
「中世の奇蹟と幻想」渡辺 昌美 岩波書店
放射性炭素年代測定法がアッシジの聖フランチェスコの礼服の年代に疑問を投げかける
「聖母マリア」 竹下節子著 講談社選書メチエ 覚書
他にもうちのブログ内には多数。
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2010年01月10日

「謎の竹内文書」佐治芳彦 徳間書店

こういうトンデモ本、そこそこ好きなんですけどね。正直、これは笑い飛ばすだけの元気も無かった。

目次をざっと眺めただけで、岩波とか雄松堂とかでは死んでも出版されない本であることが分かります。まあ、いつもながらの徳間さんだから。

そして目次だけ見れば、もう内容が分かるでしょう。読む必要はないかと。信じる、信じないという段階以前で、この手の創作を楽しめるか否かの問題に移行しちゃいます。

こじつけでも何でも一見すると合理的に思える(錯覚できる?)だけの内容だったら、まだ、読んで楽しむ事もできるんですが・・・。

あまりにも論理の水準、つ~か、それ以前の論理破綻が酷過ぎて、読み進めることを断念しました。理性が拒否反応示しちゃいまして・・・。

たぶん、某国のファーストレディが寄稿していたというので、世界中から奇異に思われている(雑誌が? ファーストレディが?・・・後者だけど・・・)、あのムーでさえ、採り上げないじゃないかと思うけど・・・。

採り上げるか、あそこなら。文字が書いてあって、読者が食いつけばOKが採用基準みたいだし。

~記紀よりも遥か以前に成立しながら、正史から葬られた「禁書」に隠された謎を解き明かす~巻末裏の宣伝コピーから。

本書を楽しめる才能のある方が羨ましいです。

著者さんはそうだね、リン・ピクネットとかああいう人系ですね。なんでも自分の思っている考えに使えそうな箇所をありとあらゆるところから、引用し、曲解に曲解を重ねて、全然違うものとして、自説の正当化に使っちゃう、そうあの感じです。

引用されている本自体もトンデモ本で、トンデモ本の説明や論理補強にトンデモ本使われても、苦笑以上の何物でもなくて、辛くなっちゃうの。

笑える水準を、どっか外してしまっているかも? 私には笑えなくて読破を挫折した本です。
【目次】
1章 消された神々
人間が神々を裁くことはできるか?
消された神々
古事記より古い竹内文書
壮大な伝承の世界
竹内文書の悠久無辺な時・空間
二つの系統がある日本の神々
天之御中主神は至高神ではない
皇室の祖神・火の神と「火の路」
世界の真の主神ー神随南無天地人

2章 SFの宝庫―竹内文書の世界1
竹内文書の「創世記」
宇宙創造深化の七段階モデル
神々の故郷はプレアデス星団
飛騨の立山に降下した”円盤”
何度もおこったノアの洪水(大異変)
人種の発生は大異変が原因だ
核戦争(?)に敗れた天照大神
エスパー天皇とミュータント天皇
桃太郎は地球の警邏隊長?!
竹内文書に載っているムーとアトランティスの沈没
神々からの警告と予言
黄金時代はあった!
竹内文書の神々も”メトセラ”だ
天浮船は円盤か?
勾玉は天文学的計算機
ヤタノ鏡は刻まれたヘブライ文字
謎の金属ヒヒイロカネとオリハルコン

3章 日本は世界の中心―竹内文書の世界2
エホバは天一天柱主大神
人間(五色人)誕生をめぐる謎
アダム=イブは兄弟だ
六大州の起源
ローマ帝国をつくったのはモーゼだ
外宮の御神体にモーゼの十戒石が
裏十戒の謎
「キリストは日本で死んでいる」
釈迦も孔子も日本で修行した
太古代の空にひるがえった「日の丸」
菊の紋章は情報文明のシンボル
日本にもあったピラミッド

4章 古事記成立のかげに
「古事記以前の書」はたくさんある
古史古伝の共通の核
開かれたシステム「外八州モデル」
偽書は古事記か?
万国史抹殺運動
古事記編纂の内幕
ユダヤに占領された大和
最後の大仮説「弥生文化大革命」

5章 竹内文書継承者の歴史と受難
竹内巨麿ー出生の秘密
文明開化と仇討修行
もうひとつの出世譚
天津教開顕
弾圧と抵抗
拷問ー敗北
反撃ー無罪
竹内文書の真の継承者は?
神代文字とシャンカ文字
御岳教と山岳信仰
皇祖皇太神宮の謎
竹内巨麿の本当の出自は?
真の継承者は山人族だ

6章 開かれた文明論
天津教的天動説
異端者狩りと偽装工作
文書は古代にすでに改訂されていた
竹内文書はなぜ弾圧されたか
竹内巨麿の悲劇
竹内文書を生かすみち
タイムカプセルの開かれる日
謎の竹内文書―日本は世界の支配者だった! (徳間文庫)(amazonリンク)

ブログ内関連記事
「超図解 竹内文書」高坂和導 徳間書店
「危険な歴史書「古史古伝」」新人物往来社
日本のイエスの足跡(BBCのイエスの墓の記事による)
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2010年01月04日

「岸信介」原彬久 岩波書店

新年早々、たまたま手に取った本でこれまで衝撃を受けるとは思いもしませんでした。

満州国で理想に燃えた官僚が、一切の制約を逃れ、日本本国では実施し得ないまさに理想の国家政策・運営を行った「革新官僚」。

その中心人物であり、戦後の自民党政治の中枢で怪物のように鎮座ましました、権力主義者。

日米安保改定でのあの騒動。

等々のイメージが先行し、私の中では大変優秀な人物ながら、政治家としてよりは官僚イメージが強烈だったのですが、本書を読んで、私の印象は全く無知から来るものだったことを痛感させられました!

帝大法学部で主席の我妻栄(現在にまで影響を及ぼる民法の権威)とその成績を争い、戦争中でも夏には軽井沢の別荘で毎日10数時間も勉強して、法律論を戦わせたという話を法律雑誌で大昔に読んだ記憶がありました。

我妻先生は法律を、岸氏は政治を最終的に選んでそれぞれ別の道に進むことになったと確かその文章では書かれていたと思うが、その人物がいかにして、戦後政治の中心人物となり、現在の日本を形作っていったのか・・・・本書には、私には想像もできなかった政治家岸信介が描かれています。

戦後、巣鴨プリズンでの3年半も収容され、死の恐怖の元でも淡々と過ごす日々。そこから釈放されるや否や、一国の基本法としてはどう解釈しても押し付け憲法以外の何物でもなく、真の日本人のものではないとして改憲を目指すその情熱には、驚愕以外の何物でもありません!

だって、あの岸氏が社会党入党を考えていたそうですよ。戦後政治は、大衆こそが拠ってたつ基盤として、広範な大衆運動を進めようとしたとか、う~ん、保守とか反保守とかといった頭の悪そうな人達(某マスコミとかね)が好む薄っぺらな物の見方とは根本的に異なるスケールの大きさを感じます。

話が前後しますが、満州国行きにあたっても、当時の関東軍にそれだけの注文をつけて、飲ませたうえで、それだけ成果の上がる事を成し遂げたのですから、非凡という他に言葉がありません。

そうそう、満州国と言えば・・・。
やっぱりアヘンの話が出てきますね。別な本でも読みましたが、満州国建国当時の収入のほとんどが実は、アヘン絡みのブラックマネーで軍部の特務機関や各種組織を通じて、複数ルートで資金を集めていた事などもさりげなく匂わしています。

甘粕大尉で名高い国策映画会社への資金提供の話など、権力と金力をまさに駆使して、自らが達成しようとする目的の為に邁進する姿勢は、今の政治家に見習って欲しいです。

政治家に聖人君子は不要です。私は、時代遅れのマキャベリズムの信奉者ですので頭が下がる思いです。

でもね、その一方で徹底した国家による中央集権と統制経済こそが岸氏の本領なのですが、ひねくれものの私は、矛盾しているかもしれないが、やっぱり小さな政府の信奉者だったりもする訳です。

目的の為に手段は正当化されるとしても、自由経済以外の統制経済で生産性の向上が上がるとは思えないのが私の本音だったりします。どうしても個人的には、譲れない思いが・・・。

しかし、とにかく凄い傑出した人物だったことは間違いありません。戦後、二大政党政治による民主主義の下での安定政権の確立こそが、国家の繁栄への道と信じるのは、今も十分な妥当性があると思います。

そして、民主党がようやくそれらしく舞台が整ったのに・・・台無しにしているような・・・・???

そういえば、小沢氏の年来の宿願ともいうべきものが、まさに日本に二大政党制を確立することだったと思ったのですが・・・。田中の秘蔵っ子にして、角福戦争等もあり、岸とは相容れないイメージがありましたが、実は結構、近いのかもしれませんね。小沢路線と岸路線。

まあ、なにはともあれ、本書に描かれた岸像を通してこそ、戦中・戦後、現在にまで続く日本の政治状況が分かってくる気がします。政治に関心のある方は、好悪に関わらず、目を通しておいて良い本だと思います。

著者は政治学者さんですが、岸本人にも数度に渡って直接インタビューをしており、周辺の資料や関係者の証言なども相当綿密に調査されているようです。

正直、新書にはしょせんこのレベルという勝手な思い込みがありましたが、おそらく新書とは思えない内容の充実感があります。是非、一読を重ねてお薦めします!!
【目次】
第1章 維新の残り火-生い立ち
第2章 青春の刻印-国家社会主義への道
第3章 時代の帆風を受けて-少壮官僚の野心
第4章 国家経営の実験-満州国時代
第5章 戦時体制を率いて-国家主義の蹉跌
第6章 幽囚の日々-獄中日記が語るもの
第7章 保守結集に向かって-五五年体制の構築
第8章 権力の頂点に立つ-安保改定への執念
エピローグ-執念と機略と
岸信介―権勢の政治家 (岩波新書 新赤版 (368))(amazonリンク)

ブログ内関連記事
「私の履歴書 第二十八集」(田中角栄)日本経済新聞社
「大満洲国建設録」駒井徳三 中央公論社
「満洲帝国」学研
「最終戦争論・戦争史大観」石原 莞爾 中公文庫
「陸軍中野学校」斎藤 充功 平凡社
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2009年11月18日

「蝦夷の古代史」工藤雅樹 平凡社

う~ん、地方の中央政府にまつろわぬ民 VS 中央政府・・・といった対立構図をイメージしていたので、それに関する争い事が中心の記述かと思っていました。

実は、互いに利用しあっていた関係であったこととか、知らない話も多くて面白い点もあったのですが、邪馬台国はどこにあったかのような、個人的には全然関心が無いような学説間の話とか、ちょっと期待していた内容とは違いました。

特に二部の蝦夷がアイヌか日本人かというのは、私的には全然興味を惹きませんでした。

ただ、蝦夷が俘囚として、中央政府の管轄地に移住させられたのは知っていましたが、それと入れ替えで蝦夷の地に移住させられた人々もいたとは知りませんでした。

その辺は、パレスチナの占領地みたい。どんどんむりやりに移住させてるもんねぇ~。時代は進んでも人のやることなんて変わらないか?

中国の諸諸国への国民送り出しているのも同じレベルの話だもんなあ~。

そういやあ~元々は「毛人」だった表記が「蝦夷」になった時代背景と、中国へ朝責に向かう際、蝦夷をわざわざ連れて行ったというのが大変興味深かった!

要は、天皇の徳が高い為、その徳に惹かれて、周囲の夷荻が自然と服従するという構図を演出し、中国古来の発想パターンとしてあったものとの類似性を強調しているそうです。

即ち、日本の天皇は、ミニ中国王朝と同類で徳が高いんですよ~。
だから、日本は他の諸国よりも、高い肩書き下さいねっとなるわけです。

中国のお墨付きをもらうことで、対外外交を有利に進めたい姿勢がうかがえます。

今でもよくありますね。人は常に自分の育った身近な環境(価値観)を尺度にして、異なる外部のものを判断しようとします。愚かにも・・・。

多国籍軍(主に米軍)の支援の下で、混沌としたイラク政府の大臣等に任命された人間が、莫大な予算を横流したり、横領したりして問題になりましたが、あれはイラク出身者で英語ができて、いかにもアメリカが分かり易い、理解し易い・・・ただ、それだけで選ばれたのですが、まさに同じ発想だったりします。

余談になりましたが、そういった発想の仕方が実に面白いです♪

あと何かあったかなあ~?

そうそう無言貿易(silent trade)。
当事者が対面することなく、最初にどちらかがいくつかの品物を置いて、離れ、相手が品物を見て気に入ったら、対価となる代償物を置いていく。

気に入らなかったら、そのままの状態にしておくのだけれど、これなら互いに、相手と接触する必要がなく、危険は少ないわけだ。なるほど~。

そういう言葉自体を知らなかったので、勉強になりました。

でも、まあ、あえて読むほどの本だとは思わない。私にはそれほど面白い本には思えませんでした。地名がアイヌ語として意味があるとか・・・よくあるような話は正直私の関心外なので。
【目次】
第一部 古代蝦夷の諸段階
 第一章 古代蝦夷の諸段階
 第二章 東国人としての「エミシ」――第一段階
 第三章 大和の支配の外にある者としての「エミシ」――第二段階
 第四章 大化の改新後の世界――第三段階
 第五章 平安時代の蝦夷――第四段階

第二部 蝦夷はアイヌか日本人か

蝦夷の古代史 (平凡社新書)(amazonリンク)

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「蝦夷(えみし) 」高橋 崇 中央公論社
坂上田村麻呂の墓特定 京都・山科「西野山古墓」
「鬼の風土記」服部 邦夫 青弓社
ラベル:日本史 書評 古代
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2009年09月16日

「帝国陸軍の<改革と抵抗>」 黒野耐 講談社

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著者は、防衛庁戦術研究所で教官を務めたことのある人。経歴からして、期待しておりましたが、内容は駄目&駄目&駄目。

帝国陸軍で行われた3つの改革を採り上げているのですが、ダラダラとして続く背景的な説明と、数限りなく出てくる人物名と組織名の羅列で終わっているように思えてならない。

本書の主眼は、帝国陸軍での改革と抵抗の史実を踏まえて、より普遍的に通用する一般化された法則性等を説明してくれるのかと思ったら、大きな期待外れ。

新書にもかかわれず、ポイントを絞れず中途半端に過ぎる。全然使えない本です。うん、自衛隊が中国の軍隊にいいようにされているのも当然ですね。もっと頭の切れる人が指導しないと、人材育たないのではないでしょうか???

過去よりも現在以降が心配になりました。

どうせなら、せっかく三つに絞っているのだから、その改革のポイントをまず掲げた後で、個々に詳細を説明でフォローし、それに対する反応と対処、結果を挙げても良かったのではないでしょうか?

勿論、もっと抽象化するのが大前提です。じゃないと、そこから一体なんの教訓を得ろというのでしょうか?

申し訳ないが著者が教訓を得ろと言っておきながら、そのプロセスで一番大切な抽象化を十分にしておらず、そこに含まれる要素の何を一般化して適用するのか、はなはだ理解に苦しむ。

つ~か、こんな資料却下するけどな、私だったら。

細かい数字は、詳細な説明は、添付資料で十分。A4一枚にまとめてみましょうね。パワポで無駄な装飾は不要。テキストファイルに箇条書きで使えるものの方に価値を見出す私としては、かなりいらついてしまいました。

つ~か、改革が何故必要になるか、組織は時代に応じて、効率的であったものが非効率になっていくことを本質から看破した堺屋 太一の「組織の盛衰」の方がなんぼかマシです。あんまり好きじゃないけど、この本は勉強になります!!絶対に!

つ~か、「ガリア戦記」読め。どれほどの改革をやっているか分かるぞ!
【目次】
第1章 陸軍の創設
第2章 桂太郎の陸軍改革―明治期の改革
第3章 宇垣一成の軍制改革―大正期の改革
第4章 石原莞爾の参謀本部改革―昭和期の改革
帝国陸軍の“改革と抵抗” (講談社現代新書)(amazonリンク)

組織の盛衰―何が企業の命運を決めるのか(amazonリンク)

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「戦術と指揮」松村 劭 PHP研究所
「最終戦争論・戦争史大観」石原 莞爾 中公文庫
「アレクサンドロス大王東征記 上」フラウィオス アッリアノス
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2009年08月03日

「能勢に潜幸された安徳天皇」野木圓之助 詩画工房

壇ノ浦の合戦で亡くなった安徳天皇が実は生きていて、とある場所に隠れていたという話があるなんて、私は知りませんでした。義経伝説みたい。

まあ、徐福の子孫が生きている村があったり、楊貴妃の墓が日本にあったりするぐらいだしね。青森にはイエスの墓まであり、BBCの記事になるぐらいだから・・・(笑)。

本書は、安徳天皇が隠れて落ち延びていく際に付き添った侍従の藤原経房が自らの子孫に向けて書き残した古文書の既述が元になっている。以下、本書より抜粋。
文化十四年(1817年)摂津国能勢郡出野村の旧家、辻勘兵衛の屋根替えの時に屋根裏から、真っ黒い箱に入った古文書が発見され、地元能勢家の家老大南久太郎らが、近所の識者数人で調べたところ虫が食ったりしていて、たいへん読みにくかったが判読した文意によると、壇ノ浦から安徳天皇のお供をしてきた従四位上侍従左少辨藤原経房が、生前子息に書き残した遺書であったのである。

この遺書によると安徳天皇は壇ノ浦の入水ではなく、京都へへの潜幸の途中摂津国能勢郡において崩御になったのである。
興味が湧くテーマではあるものの、原本は結局紛失したらしく、現存するのはその写しらしい。

如何せん、本書を書いているのは地元の暇を持て余した郷土史家もどきの方々で、文献等の一次資料としてはほとんど役に立たなさそうなモノを、自己満足的に紹介しているのみで中身がありません。

本自体にもISBNコードもないから、完全に自費出版の類いですね。無駄にいい紙使ってますが、字が大きくて情報量が無いのは、ありがちです。

読んで得るものは特にないですが、その手の伝説というか伝承は他にもあるらしいです。夢があって、いいかなあ~。トンデモ本ではないですが、史実ではなさそうです。考察ももうちょい調べて、もう少し読み応えあると良かったのですが・・・残念!

他の伝説も興味が湧きました。
【目次】
第一章 藤原経房の遺書
第二章 遺書の調査研究
第三章 遺書の傍証史料
第四章 安徳天皇遺跡調査概報
第五章 能勢に潜幸された安徳天皇
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「佐渡の順徳院と日蓮」山本修之助 佐渡郷土文化の会
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2009年07月25日

「伊勢神宮」所功 講談社

今回二度目の伊勢神宮参拝にあたり、少しは予習してから行こうと思って、読んだ本です。

月並みで内容のない観光ガイド本は、別に持っているので、もう少しまともな概要と歴史を知りたくて読みました。

なお、著者はそちら系の関係者なので、当然本書に書かれている内容も正統派的な立場からのものである。専門家の意見の分かれている見解まで興味ないので、むしろ一般的にはどのように理解されているのかを説明してある本書は、私の要望に叶ったものでした。

内宮以外に、後に外宮が置かれるようになった歴史的・政治的背景とかもなかなか興味深いです。

式年遷宮に関しても、いろいろ書かれており、まさに私が行った今回は、まさにその為の準備が進められている段階で、橋も建設中で渡ったのは仮橋の方でした。それでも十分に立派ですけどね。

本書ぐらいをざっと目を通してから参拝すると、何も知らないでただ行くよりは、はるかに興味深いですし、いろいろな意味が分かって、楽しめます。

同じものを観ても、全然感じる印象も違えば、観る視点が全く異なってきます。これから、伊勢神宮行かれる方、一読しとくと良いかも?

ただ、この手のものに興味ない方には、退屈でしょうね。淡々と書かれているので、自分でそれなりに想像力&イメージ力がないとすぐ読むの諦めるかも?

万人向きではないですが、薄っぺらなパンフやガイドブックに満足できない方には、いいと思います。

実際に行ってみれば、当然感じられる清浄感、世界中の至るところにある『聖域』に共通する感覚を感じました。

(でも・・・個人的には、シャルトル大聖堂が今のところ一番ですけどね! あとはエルサレムに行くしかないっきゃな?)

勉強にはなる本でした。
【目次】
1 神殿の原型
2 鎮座の由来
3 恒例の祭祀
4 遷宮の歴史
5 遷宮の概要
6 神宮の英知
伊勢神宮 (講談社学術文庫)(amazonリンク)
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2009年07月12日

「日本の伝説1 京都の伝説」駒敏郎、中川正文 角川書店

この手の伝説本は、好きなのでいろいろと読んではいるものの、記憶力がないのか、それとも伝説の異同が多々あるからなのか不明ですが、聞いたことがあるような感じがするものの、知らなかった話しなどもあって、つい読んでしまいます。

一人旅で、この手の本を片手にいろいろと伝説の現地を廻るのって楽しいんですよ~。ツレがいると、そうも言ってらんないので、ガイドに徹しないと怒られますが・・・ふう~。

結構、一人で放浪するのスキ♪

で、本書の内容。よく民話として採取されるレベルの大変簡素で素朴なものを集めています。

その土地を廻った時の情景とそこに伝わる伝説の有無・粗筋などを述べた部分と、純粋に伝説だけを集めて紹介している部分に分かれています。

伝説の背後を探るような、考察等は特に無し。淡々と集めた話をメモしている感じです。そんな感じも悪くないです。興味があれば、地元の図書館に籠もって郷土史を調べたりも楽しいよね。休み短過ぎ~。

で、少しだけ気になったものをメモ。
秦の徐福を祀る新井崎神社。このあたりにだけみられる「にいよもぎ」をいう草がある。これが徐福の求めた不老不死の霊草だったらしい。

浦島を祀る宇良神社。乙姫の小袖や浦島がもらった玉手箱がある。

お盆の精霊迎えの日、六道の辻、珍皇寺の門前に、一日だけ「幽霊飴」の店が出る。・・・今も出るのだろうか???
京都の伝説 (1976年) (日本の伝説1)(amazonリンク)

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「埼玉の伝説」早船ちよ、諸田森二 角川書店
「徐福伝説の謎」三谷茉沙夫 三一書房
「楊貴妃後伝」渡辺龍策 秀英書房(1980年)
「錦絵 京都むかし話」浅井収 蝸牛社
「鬼の風土記」服部 邦夫 青弓社
「仏教の説話と美術」高田 修 講談社
ラベル:京都 伝説 書評
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2009年06月17日

「中世京都と祇園祭」脇田 晴子 中央公論新社

来月、久しぶりに祇園祭を観に京都へ行くので予習がてら祇園祭のお勉強。

御霊会を起源として、スサノオノミコトを祀った八坂神社のお祭りというのは知っていましたが、牛頭天王信仰との関係や外国由来の疫神というのは、本書で初めて知りました。

また、茅野輪に付けられた「蘇民将来之子孫」というあの有名な奴の詳しい話が書かれていたのも面白かったです。概略は知ってましたが、時代を通じて変化していった内容にも関心を持ちました。

手軽に新書で読めるという点では、いいと思うのですが、どうですかねぇ~。決して人に薦めたい本ではありません。いささか、引用と羅列に近い感じで、そういった文献から、どういった考察ができるか!というある意味、一番面白い部分が弱いです。説明不十分で、予備知識無い私のような人には、よく分かりません。また、文章自体もうまく無いです。

読んでも読んでも、著者は何がいいたくてこの文献を引用しているのか?ちっとも分からないのが悲しい。読者が納得しないままで、著者は説明をした気になって話を進めていくっていうやつです。なんだかなあ~???

まあ、学者さんにありがちな独り善がりで読者を想定しないで書くとこの手の文章になります。

逆にいうとこの手の文章は、読者が自分で関心を持って、面白そうな文献を拾い上げるしか価値はありません。次の読書へのきっかけぐらいにはなりそう。

私的には、なんか不満足感ばかりがつのってしまいました。でも、この著者以外の別な本を読んでみたいという気持ちになりました。

祇園祭、楽しみですぅ~♪
【目次】
第1章 祇園御霊会のはじまり
第2章 御旅所と神輿渡御
第3章 疫神の二面性
第4章 祭りを支えた人々
第5章 山鉾巡行の成立と展開
中世京都と祇園祭―疫神と都市の生活 (中公新書)(amazonリンク)

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「京の花街「輪違屋」物語」高橋利樹 PHP研究所
祇園祭に行きた~い!
京都散策シリーズ~八坂神社近辺(8月21日)
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2009年04月07日

「天平の僧 行基」千田 稔 中央公論社

最初は、政府から弾圧を受けていたはずなのに、奈良の大仏建立を支えた民間僧(私渡僧)として、後には中央政府と強い結びつきを確立するまでになった、類い稀なカリスマの人物として、私の中ではイメージしていたのですが、本書を読んでずいぶんと違っている事に驚きました。

私は本書を読むまでは、行基は勝手に出家した僧侶だとずっと思っていたのですが、ちゃんと得度をしていたんですね。しかも、生字素性の分からぬ人物が多いあの時代にも関わらず、いろいろな文献や資料が残っていることも初めて知りました。

まさかねぇ~渡来系の人物で百済系とは・・・。

初期の仏教が、山岳宗教や陰陽道的な要素を色濃くし、行基にも道教の要素が認められるというのは、私には新鮮なお話でした。また、行基が聖武天皇の時に、大僧正にまで上り詰めた背景には、行基につながる渡来系の人脈や技術を大仏建立の為に活用したいという政治的意図があったのでは、という説も大変面白かったです。

いやあ~今も昔も日本人は、外人さんつ~か舶来品、好きだもんねぇ~。留学してMBAを取ってきた人を有り難がる心理と共通する日本人のDNAでしょう。これって!

日本で使えるか否かは置いといて、権威付けされたのって大好きだもんね。まあ、学歴(日本の場合は学校歴)や大企業に勤務したという箔付けは、経済学的には確かにシグナルとして機能はするんだけど、その精度や如何に?ってとこでしょう(笑)。

ただ、行基は確かに使える人物だったようです。伝承だけではない、史実の行基像も魅力にあふれています。

日本全国にありますが、うちの近くにも伝行基作といわれる仏像がどっかに祀られたなあ~。あくまでも『伝』なのですが・・・。
【目次】
1 菅原寺―行基入滅
2 家原寺のあたり―行基の原風景
3 飛鳥へ―出家と修行
4 禁圧の風景―行基は呪術者だったか
5 都鄙周遊―道・水路・橋
6 池溝開発と四十九院―したたかな宗教者
7 遷都と大仏建立―異能の人
天平の僧 行基―異能僧をめぐる土地と人々 (中公新書)(amazonリンク)

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ラベル:行基 歴史
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2009年03月23日

「フランスの中世社会」渡辺節夫 吉川弘文館

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本書では、中世ヨーロッパを基本的に”貴族=領主制の時代”とする善前提に立って、中世社会の諸側面を概括した後、貴族・領主層と対抗・協調しつつ王権が拡大・強化され、13世紀前半に”封建王制”が形成される過程に力点が置かれている。

 そして、それを基盤にして中世後期(14・15世紀)にいかにして王権が、貴族=領主層の権力を削減するような形で、一層強化され、中央集権化が促進されるかを展望したものである。~プロローグより~
本書は一般書として出版されているものの、しばしばよくある変な意味で大衆に迎合した内容とは異なり、歴史を学ぶ本として実に正統、且つ有用な内容だと思います。

冒頭に本書から引用してみましたが、中世ヨーロッパを断片的なパーツとして知らない私には、大変眼から鱗の本となりました。

封建制は、群雄割拠する諸勢力の存在とそれに対して対等でありつつも、封建制以外の諸要因から若干の上位的存在と看做される王権との双務的契約によって成立しつつも、王権自体の有り様としては、中央集権を目指す存在であり、自らの拠って立つ基盤である、封建制自体を崩す事でその目的を達しようとする、非常に矛盾に満ちた仕組みであるなど、う~ん、久しぶりに歴史を学ぶ面白さを実感しました。

都市の生成と発展も、そもそも中世社会の根本的な要因として内在しており、決して外的な独立したものではないという捉え方も私には、実に新鮮な視点でした。おお~、なんとも面白いです。

労務的な貢納が、やがて貨幣による貢納へと変わることで農業の生産性向上が農民にとっての実質的な負担軽減・隷属的な身分からの解放につながり、都市の興隆・上層市民層の成長が平行して進んでいく。

それは、国王権力の下へ最終的には組み込まれていくものの、政治的な位置付けから、経済的な位置付けへ変遷する中で、国王による支配を可能にした官僚制や騎士への俸給を支える重要な存在となっていく。

この辺のことは、阿部謹也氏の諸々の本(「ハーメルンの笛吹き男」等)と表裏一体の別方向からの視点とも言えそう。比べて読むと面白いです(笑顔)。

そうそう、王のキリスト教による塗油の聖別や瘰癧(るいれき)治癒などが、この時代にシステムとして組み込まれていくのもまさに王権の確立に必要な道具立ての一部であったことが分かる。

あれほどまでに民衆だけではなく、フランス国王が聖遺物を求めたのもまさにプラグマティズムそのものの政治的な意図があり、それが私の大好きな「黄金伝説」やシャルトル大聖堂(&聖母マリアの肌着=聖遺物)につながるという始点は、いろいろな意味で大変感慨深く、目を見開かされた感さえありました。なんも分かってなかったんですね、私。

最近、バチカンから新たな文書が出て大騒ぎになったばかりのフランス国王によるテンプル騎士団潰しの陰謀も、経済的な理由が直接的なものであるとしても、中央集権的な国王権力をまさに築こうとしているその時に、神の権威を背景に国境の枠を越え、経済的・政治的に独立な存在であるテンプル騎士団は、大変大きな障害そのものだったのでしょう。

とすれば、テンプル騎士団潰しという行為の歴史的意義は、全く異なったものに見えてきません? 少なくとも私には、今までの利己心に凝り固まったフランス王の暴挙から、国家百年の大計に基づく安寧の為の戦略的政治行為と視点が変わりました。

まあ、本書ではそこまでは述べていませんけどね。上記は私の勝手な解釈です。

そうそう、あと、驚いたのはゴシック建築の生みの親として有名なシュジェール。国王との緊密な関係、サン・ドニ修道院を国王の墓として位置付け、復興を果たしたことは知っていたものの、それらが国王権力の正当化・伸張とこれほどまでに密接に結び付いていたことは見逃していました。
サン・ドゥニが王国の命運を担うフランス王の”特別な保護者”として位置付けられたこと・・・。
・・・・
サン・ドゥニを通じて、王の家系・血統に対して神の助力がもたらされ、王は「地上の繁栄と同様に天上の王国の豊穣から、このうえなく確かな報酬を受け取る」のである。特に王のサン・ドゥニに対する崇敬が飛躍的に高まるのは、新たな聖堂にその聖遺物が奉遷がなされた1140-50年頃と見なされている。
 
 サン・ドゥニは王が神から封として王の権威を受ける上での仲介者(中間封主)として現われる。その封=権威の象徴が王の権標(レガリア)である。
何故、ゴシック建築が生まれたのか? シュジェールの宗教的熱意は当然であるものの、それを経済的にも政治的にも支え、またそうする必然性さえ生み出したのは、当時の社会情勢であったことを見逃してはいけませんね。

シュジェールの献堂記は、読もう読もうと思いつつまだ読めていませんが、あそこに克明に書かれたゴシック建築に関わる記述が何故、時代を超えて残ったのか・・・何故書かれねばならなかったのか・・・それは個人的な記録ではなく、王権の正当化へ直結する国家の記録に他ならず、キリスト教的な神への栄光を高めれば高めるほど、反射的な利益として(=相対的な位置付けからも)国王権力を他の封建諸侯とは一歩異なった高みへと導く大切な仕組みであったのだと思いました。

こういう視点も教えて欲しいよなあ~。歴史の授業や、ゴシック建築の本読んでもそういった視点までフォローしているものを見たことがありません。建築史やキリスト教的視点だけでは、現実の理解にはまだまだ足りない事を痛感させられました。

逆にこの本を読んで本当に良かったと思いました。

でもね、くれぐれも勘違いして欲しくないですが、本書は決して面白い本ではないです。私の場合は、既に幾つかの本で疑問に思っていたり、気になっていたことがあったのでたまたまそれに対する問題意識からすると、大変興味深く、示唆に富む内容でしたが、自らの問題意識無しにいきなり本書を読んでも退屈なだけです。

おそらく、私がゴシック建築やテンプル騎士団、中世都市やキリスト教のことを何も知らないで本書を読んでも、すぐに投げ出すであろうことには自信がありますもん!

しかしながら、ある種の限られた人には、絶対に価値を見出せる本だと思います。ご興味のある方、是非、目を通して下さいね。私的には、大変勉強になった本です。

あっ、でも1点だけ疑問あり!
今、本書を読み直していてどこの箇所だったか見つからないのだけれど、用語の使い方で間違いではないかと思ったところがあった。
確か『法源』の説明がおかしい。私が法律を学んでいた時に使用されていた「法としての存在形式(だったっけ?)」とかとは違う説明がされていた。
歴史としての用語だと意味が変わるのかなあ~。でもローマ法とかゲルマン本との絡みで説明した箇所だったと思うし、法律用語としてなら、おかしいと思うのだけれど・・・。

そこだけ本書を読んでいて気になりました。
【目次】
中世社会の構造的特質
貴族の世界と民衆・教会
王権による統合とその基盤
王の権威の源泉
王権イデオロギーの強化と儀礼
王権の拡大と貴族層の対応
フランスの中世社会―王と貴族たちの軌跡 (歴史文化ライブラリー)(amazonリンク)

ブログ内関連記事
シュジェール ゴシック建築の誕生 森洋~「SD4」1965年4月より抜粋
ステンドグラス(朝倉出版)~メモ
ゴシックということ~資料メモ
「ハーメルンの笛吹き男」阿部 謹也 筑摩書房
The Golden Legend: Readings on the Saints 「黄金伝説」 獲得までの経緯
バチカン法王庁、テンプル騎士団の宗教裁判の史料を700年ぶりに公開
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2009年02月22日

「フランス巡歴の職人たち」リュック・ブノワ 白水社

いわゆるクセジュ文庫の一冊です。現在でもヨーロッパなどの労働組合の強さは有名ですが、近代以降の啓蒙思想の元で生み出されたような底の浅いものではなく、中世以来の伝統を持った筋金入りであることを再認識させられました。

放浪―この場合は遍歴―しながら腕を磨いていく渡りの職人像を生み出すのは、都市毎に食事と宿を無料で提供してもらえる仕組みがあり、賃金水準や職務内容まで含めて職を斡旋する互助的組織が存在していた事が実に大きな理由であったことが分かります。

為政者からたびたび禁止されるものの、歴史上から消えることなく現在に至るまで存続し続けたのは、まさに故なきことではありません。

本書は、そういった事柄を概観するには良いかもしれません。ただ、阿部謹也氏の著作などと比べると、読み物としての魅力には欠けています。面白くないです。

また、内容もかなり表面的であって、つっこみ所が多々あります。私でも分かる誤りとかもあるし・・・。(後で引用するマグダラのマリアの聖遺物のくだり、明らかに間違いです)

個人的には、阿部氏の著作の方がよっぽど面白いし、あるいは、同じ翻訳物なら、処刑していた職人の個別的な話の方が興味深いです。他の本読めば、いらないかなあ~?

あえて本書の価値を挙げるとすれば・・・完全に私だけの視点ですが、マグダラのマリアを巡る巡礼が職人によってなされた定番の巡礼だったことを初めて知りました。正直、これはかなり意外だったです。

また、職人の旅先の宿泊施設がメール(おふくろ)と呼ばれたりするのも本書で知りました。逆にいうとそれ以外は、全部既知の範囲内でしたが・・・。

以下、備忘録として引用。
・・・
サント=ポームへの巡礼であり、今もよき伝統として残っている。伝説によれば前述のごとく、マグダラのマリアはキリスト受難の後、ユダヤを去って、二人のマリアとともにサント=マリ=ド=ラ=メールに向かったらしい。彼女は罪の償いのための厳しい苦行をした後、サント=ポームの洞窟で生命を終えたということである。

この巡礼は中世初期に始まる。このときマドレーヌの聖遺物はヴェズレー大寺院とサン=マクシマム聖堂に分配されたようである。サン=マクシマムはジャック親方も埋葬されているということで、これが同職組合の巡礼のおこりとなった。

1914年までにこの巡礼は下火になった。1804年に始まった記名帳は1929年に閉じられたが、第二次大戦後再開し、1974年に新しい記名帳がつくられた。職人はこの記念サイン帳に署名し、特別のことでリボンに刻印を押してもらう。

以上が有名なフランス巡歴であって現在もなお連綿と続いており・・・
フランス巡歴の職人たち―同職組合の歴史 (文庫クセジュ 635)(amazonリンク)

ブログ内関連記事
「中世の窓から」阿部 謹也  朝日新聞社
「中世の星の下で」阿部 謹也 筑摩書房
「中世社会の構造」クリストファー ブルック 法政大学出版局
「刑吏の社会史」阿部 謹也 中央公論新社
「中世のパン」フランソワーズ・デポルト 白水社
ラベル:歴史 書評 職人
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2009年02月19日

「ローマ人盛衰原因論」モンテスキュー 岩波書店

モンテスキューの手になる著作として大変有名ではありますが、今まで読んだ事なかった本です。

現代ではなく、本書の書かれた時代を考慮しなければならないんだろうとは思うのですが、ローマ帝国を扱った歴史の本を何冊か読んだことのある私にとって、本書の考察はちっとも面白くないし、着眼点も分析も鋭さを感じることなく、感銘を受けません。

端的に言うと、凡庸に思えてなりません。というか・・・かなり偏っているように思えてならないんですが・・・。

共和制の限界から、より現実的対応の模索による結果としての帝政の採用と無学な私は捉えるのですが、著者は違うそうです。共和制の放棄こそがローマ衰退の原因らしいです。

カエサル嫌いみたいだし・・・。

「ガリア戦記」大好きの私としては、見方が違うようです。まあ、権力者とか為政者、大っ嫌いなタイプだろうからなあ~(笑)。

皇帝の親衛隊の役割や、蛮族たるゲルマンの受け入れなどの解釈の仕方もどうなんでしょう。当然、一面的には妥当な説明もありますが、組織は当初の目的を失って、ひたすら自己拡大を目的化するものであり、目的も有り様も変質していくのが内在する宿命なのは、堺屋太一のおっさんの書く「組織の盛衰」に的確に指摘されてますからねぇ~。

あっちの方が考察が鋭いし、歴史を踏まえた組織論としては興味深いです。もっとも、過去の著作や研究を踏まえているのだから、後世の方が有利なのは自明ですけどね。

正直なんかなあ~と思ってしまいます。まあ、なんと言っても大衆の力に、思想家が幻滅を抱く以前の時代ですからね! 夢のある頃の話ですね。

フランス革命の「自由・博愛・平等」の名の下に、破壊された神々しきステンドグラスや聖遺物等々を思うと、『個人の尊厳』自体の虚構性に呆然自失になります。

かつてそういったものの崇高さに憧れ、夢見ていた頃のあった自分ですが、今だったら迷わず、力(=権力や制度的な圧力)で押しつぶし、秩序の回復を最優先にするなあ~。

『啓蒙主義』やら『理性』なぞとうそぶくお調子者に踊らされ、何物も自分で判断しない民衆に、さて『自由』は必要なのでしょうか?

政府を批判しながら、政府に面倒を見てもらおうとする国民とそれを煽るだけのメディアなど醜悪なモノが跋扈する現代ですが、そのはしりのような気がしてなりません。

同じ改革でもまだルターの方が理論的にも面白いけどなあ~。結果は、最悪ですけどね。

個人的には、相当偏った視点での歴史論だと思いました。全くお薦めの対象外です。もっと面白い本読みたいです!

ローマ人盛衰原因論 (岩波文庫)(amazonリンク)

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「ローマ」弓削 達 文芸春秋
「ローマの歴史」I. モンタネッリ 中央公論社
「カルタゴ人の世界」長谷川 博隆 講談社
「カルタゴの興亡」アズディンヌ ベシャウシュ 創元社
「ハンニバル」長谷川 博隆 講談社
「ゲルマーニア」コルネーリウス・タキトゥス 岩波書店
「西ゴート王国の遺産」鈴木康久
「コンスタンティノープルの陥落」塩野 七生 新潮社
「生き残った帝国ビザンティン」井上浩一 講談社
「コンスタンチノープル征服記」ジョフロワ・ド ヴィルアルドゥワン 講談社
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2008年11月29日

「陸軍中野学校」加藤 正夫 光人社

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実際に陸軍中野学校を出た人の手による本です。除隊後は日経新聞で働いていたようで、メディア関係者だけあって文章はさりげなくうまい!

何よりも読んでいて、どれほど多くの人が大志を抱いて『日本の為に、アジアの為に、そいて世界の為に』と信じて過酷な作戦行動を完遂したのか・・・読んでいて感動してしまう場面が多々あった。

戦後の志の低い教育を受けた世代である私としては、日本人としてのプライドを意識することなく育ってきたが、どこの国の人間であってもそうだと思うが、自らと自国への自尊心の無い人間は、大変弱い。

自尊心は増長すれば、傲慢でしかないが、適度且つ適切な管理下にある自尊心は、自らの行動を律し、絶え間ない努力と周囲への思いやりを可能にせしめると信ずる。

今の日本にはもっとも欠けているものだろう。戦後の教育の最も失敗した点であり、アメリカ占領政策の最も成功した点だろう。

さて、話がややそれたが本の内容について。
失敗した作戦や成功した作戦を問わず、中野学校関係者が関与した作戦を調べ、どのような形で関与したか、またその影響についてなどが述べられている。

通常の戦史物との比較でいうと、戦後のアジア民族の独立運動(インド、ビルマ、マレーシア等)へ及ぼした多大なる影響を、中野学校出身者が根底の思想として共通して有していた深く大きな人類愛の発露と看做しているのが特徴的です。

綺麗事のように聞こえてしまいがちですが、真剣に理想論を信じて、その実現に尽くした人達がいたことは、無視して良いことではないと思います。

私も読んでいて、本当に心から感動し、今現在の世界への影響を始めて知りました。読んでおいて損はない本です。日本人として誇りに思えるかもしれません。

但し、意図的な嘘は書かれていないと思うのですが、都合の悪そうなことは、書かれていません。消極的に触れないことで、当然謀略関係等ダーティーなこともしていたはずですが、それによる悪いイメージを抱かないように操作されている感じはします。

なんせ、宣伝工作等も専門の中野学校出身者で、日経新聞出でしょう。情報操作は、まさにお手のものでしょう(笑顔)。いい本ですが、うのみにするのは、愚かでしょう。

また文体は、大部分断定的だが、著者自身の経験以外は、調査や資料から再構成したはずのもので、その点で明らかにジャーナリズム的であり、正確さとは一線を画したものであることも確かです。

ただ、バカみたいに戦争反対、過去の戦争をしたのは、日本人や軍部、政治家がバカだったとか言っているのは、別種のプロパガンダに踊らされていることを、本書を読むことで気付かされるかもしれませんね。

無知の知を知るには、良い本だと思いました。いささか割り引いて捕らえるべきでしょうが、胸を打つ内容でもあります。
【目次】
第1章 陸軍中野学校創設への道
第2章 中野学校の教育と訓練
第3章 アジア民族解放の曙光
第4章 日本軍と各国での独立運動
第5章 国運を賭けた最後の作戦
第6章 終戦処理と陸軍中野学校
第7章 中野学校設立が十年早ければ
陸軍中野学校―秘密戦士の実態 (光人社NF文庫)(amazonリンク)


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「陸軍中野学校」斎藤 充功 平凡社
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2008年11月08日

「陸軍中野学校」斎藤 充功 平凡社

「昭和通商」という陸軍の息のかかった商社が存在し、それを隠れ蓑にして中野学校のOBが諜報活動を行ったり、アヘンの密売をしていたというのは、初めて聞く話で大変興味深かったです。

もっとも満州帝国の建国当初の予算の大半をまかなっていたのがこのアヘン販売による利益であったことが昨今では、有名になっていますのでそれを考慮すれば、当然、有り得た話でしょう。

もっとも、こういった知られていない会社以外でも大手の財閥系商社が軒並みその手のことに協力・関与していたのは自明であり、本書で大仰に採り上げられた昭和通商と比較して、相対的な位置付けは分からない。

そもそも本書自体の独自の調査結果や資料はほとんどなく、既存に出回っている本からの孫引きと当てずっぽうの推測の混合レベルで終わっている。それが大変残念だ! 着眼点は面白いのだが、著者の水準が低過ぎる気がしてならない。

最低でも、一次資料ぐらいは自分で当たって調べるべきだろう。本書は各種メディアからのスクラップブックといった感じです。

稀に出てくる著者自身が見つけた情報も裏付けがきちんと取られておらず、全く信憑性が無いように思えてならない。

ただ、本書を今後関連情報を探すきっかけには使えると思う。台湾で軍隊を創設時、日本陸軍の有志(?)”白団(パイダン)”により陸軍のノウハウが伝えられたのは、NHKスペシャルで見ましたが、あそこにも中野学校のOBが関与しているとは知りませんでした。

あと、戦後の大物フィクサー児玉とかね。あれもみんな絡むんだ。他にも内閣調査情報調査室とかの創設の話もあったが、正直構成がヘタ。

なんか素人がとにかく集めた情報を切り貼りしているのが、歴然としているのである程度割り引いて適当に読まないといけません。まあ、著者の経歴を見ても、きちんとした論理的思考は苦手そうなのが、分かるんですけどね。

流し読みなら可かと。お薦めはしません。インテリジェンスの意味さえあやふやな理解をしているレベルです。
【目次】
序章 幻の商社「昭和通商」
第1章 知られざる阿片ビジネス
第2章 陸軍中野学校の誕生とその教育
第3章 陸軍中野学校と太平洋戦争
第4章 特務機関の栄光と挫折
第5章 陸軍中野学校が戦後に遺したもの
終章 中野学校終焉の地を訪ねて
付記 ワシントンで繰り広げられたソ連の秘密戦
陸軍中野学校 情報戦士たちの肖像 (平凡社新書)(amazonリンク)

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「情報と国家」江畑 謙介 講談社
ラベル:書評 昭和史 諜報
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2008年10月19日

「インディアスの破壊についての簡潔な報告」ラス・カサス 岩波書店

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何かの本で紹介されていて気になっていた本。会社休んで神田の古書店街をうろついていてGETしました。

コロンブスが新大陸を発見後、スペイン人が続々とおとずれ、原住民のインディオ達を虐殺しまくり、金を奪い、人々を奴隷として虐げるまさに『生き地獄』が始まる。本書はスペイン本国には届かない(隠されたいた征服行為の実態を)そういった非道の行為をスペイン国王に訴え、直ちに禁止しようと働きかける為に書かれたレポートです。

本書を書いたのはカトリックのドミニコ会の聖職者。

著者はスペイン人の侵略者と混じって現地へ布教を目的に渡ったものの、大陸で見たものは、キリスト教の福音を広めるどころか、悪魔そのものの行動で原住民のインディオを略奪、拷問、虐殺するスペイン人の同胞達。

インディオにとって、キリスト教・キリスト教徒とは、悪魔の宗教とその僕に他ならず、この世の楽園のような平和が『金』を求める侵略者に蹂躙される様を数十年に渡って見続け、あまりの理不尽さと憐れみから、インディオ達によるスペイン人の殺害さえも正義の行為と看做すなど、当時にあっては、むしろ例外的な存在だった人物だったようです。

本書を読むと、その半端ではない侵略行為の凄まじさに言葉を失います。

本来はキリスト教の福音を広める為という建前の下で植民者へ付与された権利は捻じ曲げられ、ひたすら『金』と『奴隷』獲得を目的とする侵略行為を正当化に使われます。

実際、彼らが行った結果は、数百万、数十万人のインディオが住んでいた島々を全滅させ、あるいは数十人しか生き残っていない状態にまでしました。島は荒廃し、この世の楽園は見るも無残な生き地獄と化したのです。

しかもそれを行ったスペイン人は、厳しい航海で生死の境にあった時に、無償で食料と住居を提供してくれた非常に慈悲深いインディオ達に対して、その返礼として為されたのでした。

原住民のインディオは、非常に穏健且つ従順であり、また善良であったが故に、スペイン人の求めるままに食料や金まで差し出したのですが、彼等はより多くのものを求め、効率良く『金』を集める為に、人々を虐殺したのです。

本書では彼らが為した極悪非道の所業が延々と羅列されています。現実の役に立つとは思えない道徳の教科書よりは、本書を一読することをお薦めしますね。いかほども教育効果が高いでしょう。戦争はいけないとか、正義とか、立派なお題目はさておき、『正義』は勝ち取ってこその正義であります。イエーリングの「権利のための闘争」を読むまでもありません。現実の世界に、水戸黄門や遠山の金さんはいないのです。(ランボーもいませんけどね)

『大航海時代』なんて、所詮、こんなもんです。某国が石油利権の為に堂々と侵略戦争を行って未だに撤退しないのと五十歩百歩の行動原理です。利益の為に、人は大胆且つリスクテーカーとして行動するのであって、決して善意の為ではありません(例外はあるし、否定はしませんが・・・)。人の行動は今も昔も変わりません。

正義ではなくて、強者が勝つんだなあ~と思いました(勝てば官軍って訳です!)。欲望への執着心こそ、最強の行動原理かもしれませんね。

だからといって、正義を踏みにじって利益の為に邁進するのも私の人生哲学に反するのでできませんが、負け惜しみで綺麗事の『正義』を主張するのもいかがなものかと思います。

世界史の副読本として、こういうの読まないとねぇ~。世界史の先生自体が世界を知らないのでは話になりませんが・・・。まあ、期待してはいけないかも?

まあ、論より証拠で本文より印象に残った部分を抜粋してみます。実はあまりにも凄過ぎてキリがないのですが・・・。
ある日、ひとりのスペイン人が数匹の犬を連れて鹿か兎を狩りに出掛けた。しかし、獲物が見つからず、彼はさぞかし犬が腹をすかしているだろうと思い、母親から幼子を奪ってその腕と足を短刀でずたずたに切り、犬に分け与えた、犬がそれを食い尽くすと、さらに彼はその小さな胴体と投げ与えた。
無法者のドイツ人総督はインディオをその妻子をできるだけ大勢捕らえるよう命じた。そこで部下たちは特別に作っておいた大きな囲いのような木の柵の中へインディオ達を閉じ込めた。邪悪な総督は、そこから出て自由になりたい者は身代金として一定量の金を差し出さなければならないと知らせた。同じように、妻や子を身請けしなけれなかった。総督はインディオ達を一層苦しめようと考え、要求した身代金を持参するまでは彼らに食事をいっさい与えてはならないと命じた。大勢のインディオは、使いの者を金を取りに家へやり、そうして、それぞれがあるだけの金を差し出し、自由を取り戻した。このようにして解放されたインディオ達は畑は戻り、食事の用意をするために家へ帰った。

ところが、その無法者はこうして一度自由の身となった哀れなインディオたちをふたたび捕らえるために、数人のスペイン人略奪者を派遣した。彼等はインディオたちを元の囲いへ連れ戻し、ふたたび身請けされるまで、彼らに飢えと渇きの苦しみを味わわせた。インディオたちの中にはニ、三度捕らえられ、その都度身請けされた者もいたし、また、持っていた金を既に残らず差し出してしまっていたために、もはやそれも叶わず、まったく身代金も無い者もいた。無法者は彼らをずっと囲いの中に閉じ込めておいたので彼等は餓死してしまった。
彼は奥地へと遠征し、無数のインディオを連行したが、インディオたちは鎖に繋がれ、重さ3、4アローバの荷物を担がされた。なかには空腹と過酷な仕事、それに生来の虚弱さのために疲労し、気をうしなったりするインディオたちが幾人かいた。その時、彼等は一番外側の首枷につないだインディオたちをいちいち止めて鎖を外すのが面倒なので、即座に、倒れたインディオの首枷の辺りを斬りつけた。すると、首と胴体はそれぞれ別の方向へ転げ落ちた。彼等はそのインディオが担いでいた荷物を沸け、ほかのインディオたちの荷物のうえにのせた。
既述したとおり、スペイン人たちはインディオたちを殺し、八つ裂きにするために獰猛で凶暴な犬を仕込み、飼いならしていた。真のキリスト教徒である人々、また、そうでない人も彼らがその犬のえさとして大勢のインディオを鎖につないで道中連れて歩いたという事実を知っていただきたい。おそらく、そのような行為をこれまでに耳にしたことはないであろう。インディオたちはまるで豚の群れと変わらなかった。スペイン人たちはインディオたちを殺し、その肉を公然と売っていた。「申し訳ないが、拙者が別な奴を殺すまで、どれでもいいからその辺の奴の四半分ほど貸してくれ。犬に食べさせてやりたいのだ」と、まるで豚か羊の肉の四半分を貸し借りするように、彼等は話し合っていた。

別のスペイン人たちは、朝、犬を連れて狩りに出掛け、昼食を取りに戻り、そこで互いに狩の成果を尋ねあう。すると、ある者は「上々だ。拙者の犬は十五、二十人ぐらい奴らを食い殺したよ」と答えていた。
島々では、牝馬一頭につき、理性を備えた人間であるインディオの八十名が交換された。
その無法者はいつも次のような手口を用いた。村や地方へ戦いをしかけに行く時、からは既にスペイン人たちに降伏していたインディオたちをできるだけ大勢連れて行き、彼らを他のインディオたちと戦わせた。彼はだいたい一万人か二万人のインディオを連れて行ったが、彼らには食事を与えなかった。その代わり、彼はそのインディオたちに、彼らが捕まえたインディオたちを食べるのを許していた。そういうわけで、彼の陣営の中には、人肉を売る店が現われ、そこでは彼の立会いのもとで子供が殺され、焼かれ、また、男が手足を切断されて殺された。人体の中でもっとも美味とされるのが手足だったからである。ほかの地方に住むインディオたちはみなその非道ぶりを耳にして恐れのあまり、どこに身を隠してよいか判らなくなった。
ローマ皇帝のネロもまだ良心的に感じられてしまいます。人ってここまで卑しくなれるんですね。他にも国王から金を根こそぎ絞り取る為に、拷問に次ぐ拷問をする話や、王妃を乱暴して陵辱し、殺す話など、いくら過去のことはいえ、鬱になりそうな話が載っています。

それがあの華々しい大航海時代、スペインの繁栄だったりするわけです。ルネサンスももうすぐだしね。

極論すれば、世界史なんて本書の本を一冊読んだ方が得られるものが多いような気がします。教科書の内容はすぐ忘れますが、本書の内容を忘れられる人はなかなかいないでしょう。

日本人が南京大虐殺で行ったことや、満州帝国が阿片の利益で運営されていたことなど、他人事ではないんだけどね。まあ、リアルタイムでパックス・アメリカーナも大差ないことしてますけど・・・。

いろいろと勉強になる一冊でした。

そうそう、面白いことに本書はその後の歴史で、当初の意図とは全く異なる使われ方をしたそうです。最初は、西欧諸国によるスペイン支配への反対の資料として。また、アメリカ独立戦争や第二次大戦後のアフリカにおける植民地の独立運動など、多彩な方面で本書がたびたび採り上げられたそうです。

実際に、スペインで禁書にされたようで、うちのブログで扱うにはうってつけだったりする(・・・って、オイ)。


う~ん、歴史って予想もつかないもんです。あまりにも酷過ぎる描写故に、インパクトがあるのでその時代時代で都合のいいように利用されたんでしょうね。

でも、そういった経緯は別にしても読んでおいて悪くない本です。人というものについて、改めて考えさせられることが多い本です。
【目次】
この簡潔な報告書の趣意
序詞
インディアスの破壊についての簡潔な報告
エスパニョーラ島について
エスパニョーラ島の諸王国について
サン・フワン島とジャマイカ島について
キューバ島について
ティエラ・フィルメについて
ニカラグワ地方について
ヌエバ・エスパーニャについて(1)
ヌエバ・エスパーニャについて(2)
グワテマラ地方と王国について
ヌエバ・エスパーニャ、パヌコ、ハリスコについて
ユカタン王国について
サンタ・マルタ地方について
カルタヘーナ地方について
ペルラス海岸、パリア、トリニダード島について
ユヤパリ川について
ベネスエラ王国について
大陸にあってフロリダと呼ばれる場所にある諸地方について
ラ・プラタ川について
ペルーの数々の広大な王国と地方について
ヌエバ・グラナーダ王国について
インディアスの破壊についての簡潔な報告 (岩波文庫)(amazonリンク)

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「ぼくの血となり肉となった五〇〇冊 そして血にも肉にもならなかった一〇〇冊」立花隆 文藝春秋この本で、本書が紹介されていたんだった! 
「エチオピア王国誌」アルヴァレス 岩波書店
「責苦の庭」オクターヴ・ミルボー 国書刊行会
こちらは、あくまでも文学ってことで・・・(逃げ)。
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2008年09月27日

「神君家康の誕生」曽根原理 吉川弘文館

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こないだ久しぶりに日光東照宮に行ってきたので、ふと目についた本。
いわゆるカラーバス効果でしょうか?(笑) でも、読んで正解! 知らない事が実にたくさんありました。

川越の喜多院や仙波東照宮、寛永寺なども時々行くものの、それらの占めた役割や歴史的経緯など目からウロコのものがいっぱいありました。楽しいなあ~♪

天海って、喜多院にいたんですねぇ~。それが江戸から遠いからと寛永寺に呼び寄せられて・・・というのは、新鮮な驚きでした。だから、川越って江戸との関係が深いんですね(春日局はおいといて)。あるいは、深いからこそ川越にいたってのもありでしょうが、納得です。

それと・・・
かつての歴史の授業で習った記憶だと、天皇制との関わりから言うと、江戸幕府が政権を担う正当性の根拠として天皇から委任されたと江戸時代当初は説明されていたのものが、幕末には、天皇から委任されたのだから、本来のところに戻すのが正統だと逆に江戸幕府からの政権奪取の理論に用いられたというのがありました。

本書を読んでいて、その辺の記憶がふと浮かびました。本書では、豊臣から徳川家への政権移行を正当化する根拠(『天道』)と、徳川家内での血筋による世襲の政権維持の根拠といったある意味矛盾する論理を整合しようとする点を説明しています。
天道思想:
主宰者として天を把握する点は共通するものの、宗学が天を非人格的な存在とみなすのと異なり、天道思想においては、天は自らの意思を持ち、人間に道徳的行為を要求する。
天道は、儒教の徳治主義の立場を基本とする為、徳を欠く上位者の打倒を正当化する一方で、自らが、または子孫が徳を欠いた場合、より道徳性を持つ下位者に打倒される道を用意しているのである。それ故、政権を握った者は、獲得した時とは異なる、血統を要件として人格神という根拠を必要とする。
また、家康を桓武天皇の、天海を最澄の再誕とみなす主張というのも興味深いです。
日吉山王権現が人々を救済するため、東照権現として再び現われました。それにあわせて、天台宗の祖師である最澄も、末世の人々を救うため天海大僧正の姿となられたのです。
~叡山文庫本『東照宮堅義表白』

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
以下の東照宮の彫刻について。

龍は中国では皇帝を現す動物で、その彫刻はもっとも格の高い箇所に置かれるが。東照宮では、トラが中央に置かれ、龍はその左右に配置されて次の位置である。その理由は家康が虎年生まれで、家光が辰年生まれだからって。
権現様が生前に仰っていたのは、自分は虎年、秀忠は卯年、家光は辰年の生まれであるから、もし家光が辰年に嫡男をもうけ、その子に天下を譲れば、徳川家は代々天下を保つことができるであろう、とのことでした。~英勝院書状
「眠り猫」
猫の裏側に雀の彫刻があり、それと組にして解釈する。
猫が眠り、弱い雀も安心して暮らせるという寓意。猫が寝ているのは、ネズミ(世を乱す悪者)がいなことを示し、その平和をもたらしたのが、家康ということだそうです。

陽明門の「唐子遊び」の彫刻。
二十人の子供たちが、安心して遊んだり勉強したりしている彫刻は、天下泰平となったことを示す共に、そうした社会が理想であることをも示している。

その中でもっとも重要な正面中央の彫刻は「司馬温公の瓶割り」を主題とする。水瓶に落ちた友人を助ける為、大切な瓶を割ったという故事で、物よりも人命が重要である事を示す。

唐門の正面には、「許由(きょうゆう)と巣父(そうほ)」、その下に「舜(しゅん)帝朝見の儀」の彫刻。

中国古代の聖王「堯(ぎょう)」が自分の子ではなく徳のある人物を後継者とするため、まず許由、次に巣父に政権移譲を頼んだが断られ、舜にも一旦は拒まれた、という故事を踏まえたものだそうです。

能力の有る者に政権を譲る(禅譲)こそが、政権交代の理想と示しながら、家康は舜に比すべき聖人であり、徳川家は豊臣家を一方的に滅ぼしたのではなく、基本は禅譲であったという公式見解も示しているだって。

日光に行ったきたばかりなので、家康が何故『神』として祭られねばならなかったのか、その理由と必然性が分かり、大変面白い本でした。歴史好きなら、読む価値がある本だと思います。

一般向きの本ですので、結構読み易いし、お薦めです。まあ、一部、王権論は、個人的に興味が無いし、どうでも良かったのですが、天台宗の本覚思想(徹底的に現実肯定的であり、一部は現世の実力者へ媚売りまくり?!)など、大変勉強になりました。

凡夫の私と致しましては、やっぱり現世利益を追求して参りたいですね!(笑顔)
【目次】
人が神になること―プロローグ

神格化の時代
  天下人と神格化/豊臣秀吉の神格化/天道思想と戦国武将たち

徳川家康と天海
  家康と天海/家康晩年の御前論義/家康死後の動向

徳川家光と天海
  家光と宗教/『東照社縁起』の基礎知識/天海撰『東照社縁起』を読む/『東照社縁起』の広がり

東照宮信仰の展開
  浄土系徳川神話の形成/家康像の作成/東照宮信仰の諸相/神君家康

神を作り出したもの―エピローグ
神君家康の誕生―東照宮と権現様 (歴史文化ライブラリー (256))(amazonリンク)

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日光散策シリーズ~日光東照宮(20080904)
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2008年09月20日

「生き残った帝国ビザンティン」井上浩一 講談社

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ローマ帝国大好き&聖遺物大好き&キリスト教美術関心有り、の私であるので読んで当然の本と思い、読み始めました。

初めて知る事も確かに多かったのですが、『通史』であるが故に、どうしても物足りなさが残るのも事実です。個人的に大変関心があった聖遺物については、聖遺物の宝庫であった都市にもかかわらず、言及が全然足りないし、キリスト教図像学的にも多大な影響を及ぼした(by エミール・マール氏の著作)聖像破壊運動やローマ法の維持・整備などの点への言及もちょっとねぇ~。

紙面の制約を考慮しても、もう少しなんとかして欲しいでしょう!! というのが私の感想でした。

読み易いのはいいのですが、歴史的事件の生々しさが全然伝わらず、臨場感に欠け、心を動かされる場面が大変少ない。教科書的過ぎて、そんなもんじゃないでしょ、とか絶叫したくなった。

まあ、安手のTVでもあるまいし、ドラマチックに仕立てれば良い訳ではないが、歴史の面白さや多方面に渡るビザンティン帝国の影響を十分に解説、紹介しているとは言い難いように感じた。不満足。

面白い歴史を読みたい人、ポイントを絞ってビザンティン帝国の歴史上果たした役割を知りたい人には、お薦めしません。悪い本ではないんですが、なんかどっちつかずで物足りなくてしかたありませんでした。

しかし、建前のローマ帝国を最後の最後まで意識の中で保持しつつ、徹底した実力主義で皇帝の地位にも、一介の農民から出世して成り得たことなど、全く知らなかったことも書かれていました。

他にも帝国のノミスマ金貨が国際通貨として流通していたが、財政悪化の際に、金の含有率を落とす改鋳を行った結果、信用を失い、ますます財政悪化を進ませることになったとか。

財政赤字の穴埋めに官位売買を積極的に行っていたことなどが説明されています。

読んでいて私が強く感じたのは、本家のローマ帝国もそうでしたが、ビザンティン帝国も初期においては、兵役を負担しうる自立した農民市民が軍の主役として活躍していたのにもかかわらず、晩年に至ると、社会の階層分化で兵役を負担できず、結果的に傭兵に委ねられて没落する、この過程は普遍だということでした。

必ずしも兵役の負担だけではありませんが、税負担に耐え得る良質な市民層の存在が国家の存続に必要不可欠であることを痛感しますね。日本史を学んでも、農民が逃げてしまったりして、土地が荒廃してしまった時代の政権は、潰れますもんね。興味深いです。日本が現在の政権を維持できるのは歴史的に見てあとどれくらいなんでしょう?

そういう見方で新聞読むと面白いです♪(ひとごとならね)
ギリシアの火:
生石灰・松脂・精製油・硫黄などの混合物で、液体状のもの。ポンプによって筒から発射され、火を噴きながら飛ぶ。
火は水をかけても消えず、かえって燃え広がり、海戦で効果的だった。
<コンスタンティノープル建設の伝説>
1、コンスタンティヌスが都の建設を始めたのは、ボスフォロス海峡のアジア側に位置するカルケドンであった。その建設工事中に山から鷲が飛んできて、工事道具や材料をつかみ上げると、対岸のビザンティオンへ運んでいった、という。

2、コンスタンティヌスは夢の中で皺だらけの老婆にあった。その老婆は突然若く、美しい乙女に変身した。不思議な夢をみたと戸惑っていた彼の夢枕に、数日後ローマ教皇故シルヴェステルがあらわれ、その女はビザンティオンの町であって、コンスタンティヌスによって若返らせてもらいたいと言っているのだと説明した。

3、コンスタンティノープルの町の城壁をここに築くようにと、コンスタンティヌスは自ら槍をもって地面に線を引いていった。あまりにも長い城壁となるのに驚いた従者が、どこまでゆくのですかと尋ねたところ、皇帝は「私の前を歩いておられる御方が止まれと命令されるまでゆくのだ」と答えた。
【目次】
プロローグ―奇跡の一千年
第1章 ローマ皇帝の改宗
第2章 「新しいローマ」の登場
第3章 「パンとサーカス」の終焉
第4章 栄光のコンスタンティノープル
第5章 苦悩する帝国
第6章 ビザンティン帝国の落日
エピローグ―一千年を支えた理念
生き残った帝国ビザンティン (講談社学術文庫)(amazonリンク)

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2008年09月10日

「ローマの歴史」I. モンタネッリ 中央公論社

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本書はだいぶ有名な歴史本ではあるが、生粋の歴史学者ではない、数々の職業を経験した後、ジャーナリズムの世界に入った人物の手により書かれた作品で、何よりも読んでいて面白いのがイイ!

古代ローマ帝国通史を扱いながら、項目の列挙にならず、読んでいて楽しめるというのは、非常に凄いことだと思います。

しかもその面白さが、基本的な資料に基づき、人がそれぞれの価値観・欲求・運命に従い(or 抗い)ながら、生きてきた結果として歴史的な出来事が描かれているのがなんとも愉快です。

一部は、どこまで歴史的信憑性を維持しているの?っと疑問に思うような部分もありますが、基本は誠実に歴史を人の活動の結果として描こうとしているので、決してトンデモ本等ではありません。

念の為に言うと、昨今の日本の歴史(もどき)番組のように、完全に論外でデタラメな思いつきの説をあたかたも検討に値するかのように扱う民放各社の番組とは、全く異なりますのでご注意を!!
あれを見ていると、論拠のかけらもないし、ダ・ヴィンチ・コードを扱った番組同様、悪意のある視聴率狙いの曲解で憤りを感じちゃいますもん。

それに比べて本書は、歴史好き、ローマ帝国好きには、必読書ではないでしょうか? 読む価値のある本です。12表法のところなんかも、平民が貴族から勝ち取った権利というのは知っていても、そこに至る流れやそれが後の歴史にもたらした影響など、簡潔な割になかなかポイントをついた指摘があり、改めて本質を理解できたような箇所が多々ありました。

勿論、簡潔過ぎて、ええ~というようなところ(例 アルキメデス)もありますが、まあそりゃ完璧は期待しちゃいけませんね。とにかく、読んで面白いのは間違いないです。高校生の時に、つまんない世界史の教科書よりこっちを読ませておくべきでしょう。学校の先生も、こういう本を紹介してよ!ってね。

いやあ~、改めてローマ帝国って面白い!! 歴史というよりも現代の政治そのものですね。人が生きるっていうのは、常に『政治』そのものに他ならないってことを痛感致しました。
【目次】
ローマの起源
哀れなエトルリア人
農民王
商人王たち
ポルセンナ
SPQR
ピュロス
教育
立身の身
神々
市民生活
カルタゴ
レグルス
ハンニバル
スキピオ
征服されたギリシアが・・・
カトー
・・・野蛮な征服者をとりこにした
グラックス兄弟
マリウス
スラ
ローマの晩餐
キケロ
カエサル
ガリア征服
ルビコン河
暗殺
アントニウスとクレオパトラ
アウグストゥス
ホラティウスとリヴィウス
ティベリウスとカリグラ
クラウディウスとセネカ
ネロ
ポンペイ
イエス
使徒
ヴェスパジアヌス
享楽のローマ
経済
娯楽
ネルヴァとトラヤヌス
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2008年08月20日

「イスタンブールの大聖堂」浅野 和生 中央公論新社

アヤ・ソフィアとか、ハギア・ソフィアとかいろいろな呼ばれ方がされるものの、長らくローマ帝国の伝統と西欧文化の継承を担ってきたコンスタンティノープルにある世界遺産の大聖堂を取り扱った本です。

私も何度か行こうと思い、計画は立てたものの、タイミングが合わず、未だに行けていない場所ですが、たぶんここ3年以内には行けると思う、そんな場所です。

先日も第4回十字軍によるコンスタンティノープルの陥落の本を読み、関心もだいぶ高まっていたりもする。

実際、本書の中でもその部分について一章を割かれているが、聖堂自体とそれを取り巻く環境とをバランス良く採り上げていて、この聖堂が拠って立つ歴史的基盤をよく説明していると思う。

読んでてもそこそこ面白いし、まだ見ぬ大聖堂の建築への期待がムクムクと湧く感じがします。壁に刻まれた(今では読み取れない部分も多いらしい)章句や図像の解説は、エミール・マールには及びもしませんが、悪くない感じです。

旅行に行く人なら、読んでおいて決して損はしないでしょう。つ~か、これだけのものを何も知らずにただ見るだけってもったいない、ような気がします。老婆心ながら・・・。

以下、抜き書きメモ:
正教会では、再婚までは認められたが三度目は許されない。教父性バシリオスによれば、三度目の結婚は「一夫多妻であり、姦淫である」。四回目の結婚は「けだもののような一夫多妻」で「姦淫より悪い罪」であるとされた。
イコン復活を前にして、テオドラは総主教メトディオスに夫の罪を許すよう懇願し、断食をして熱心に祈った。ある夜、彼女は幻影を見た。彼女がコンスタンティヌスの記念柱の横に立っていると、一群の男たちがさまざまな拷問の道具をかつぎ、テオフィロスを裸にして後ろ手に縛り上げて引き立ててきた。テオドラは夫を見つけ、泣きながらついていった。

 彼らが大宮殿のカルケー門まで来ると、門に掲げられたキリストのイコンの前に、威厳のある人物が玉座に座っているのが見えた。彼女がその足元に身を投げだして祈ると、威厳のある人物は言った。

 「女よ、汝の信仰は偉大である。したがって汝の涙と信仰と、そして私の聖職者たちの祈りと懇願のゆえに、私は汝の夫テオフィロスを許そう」。そしてテオフィロスは天使によって解放されてテオドラに渡され、ここで彼女は目が覚めた。
聖像崇拝を巡る争いとナルテックス・モザイクのエピソード
ロシアのスモレンスクから来たイグナティオスという人物の記録で14世紀のもの。
・・・・
われわれはブランケルナエ宮殿へ行って、まったく純粋な神の母の衣と靴下留めの入っている聖遺物箱にくちづけした。そこからわれわれは聖使徒聖堂へ行って、我々が主イエス・キリストが鞭打たれた聖なる柱にくちづけした。ペトロがキリストを否認したときもたれかかって泣いた石もそこにあった。
こ、これですね! 後にシャルトル大聖堂へ奉献され、今もそこに聖遺物として存在している『聖母の御衣(肌着)』とは。
別の同じく14世紀にコンスタンティンポリスを訪れたロシア人巡礼の記録。

・・・・・
聖ミカエル礼拝堂。

伝説によれば、かつてこの大聖堂の工事中、ここに大天使ミカエルが現われた。ミカエルは、労働者の監督をしていた若者に、「この聖堂の建築監督はどこにいるのか。すぐに連れてきて、ただちに聖堂を完成させるように」と命じた。

若者は、「主ミカエルよ、私は建築監督が来るまでここを離れる事ができません。さもなかれば仕事ができなくなります」と答えた。するとミカエルは言った。

 「皇帝のところへ行き、彼に建築監督がこの聖堂を聖なる英知を記念してすぐ完成させるよう命令させなさい。そうすれば私がお前の代わりに、聖ソフィア大聖堂の番をしていよう。そして主なる神キリストの力は私の中にあるから、私はお前が戻ってくるまでここを離れない」。

 ミカエルは若者を送り出し、そして彼は皇帝のところへ行って、ミカエルの出現のことを述べた。皇帝は心の中で考え、若者をローマへ送り出した。それは若者がもう戻っては来ず、聖ミカエルがキリストの再臨までずっと聖ソフィア大聖堂とコンスタンティノポリスの守護者であるようにするためであった。」
なんつ~か、日本昔話にあるような詐欺まがいのネタで天使を騙していいのか・・・という観点は、当時の人々には無かったようですね。とにかく、天使の力(ひいてはキリストの力)をGETできればOK!ということみたいです。

まあ、聖遺物を略奪しても、英雄扱いされる時代ですからね。当時は。眉唾ものらしいが、個人的にはこういうの大好き♪
【目次】
プロローグ ビザンティンの都を歩く
1 栄光のビザンティン帝国
2 ドーム建築の粋
3 禁じられた偶像崇拝
4 封印されたモザイク
5 さまざまな巡礼者たち
6 ビザンティン帝国の滅亡
イスタンブールの大聖堂―モザイク画が語るビザンティン帝国 (中公新書)(amazonリンク)

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posted by alice-room at 23:00| Comment(4) | TrackBack(0) | 【書評 歴史B】 | 更新情報をチェックする